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09

司州は洛陽ーーその宮城には皇帝が直々に発した勅に応じた諸侯が集っていた。


集ったのは主に三国ーー曹魏、孫呉、そして蜀漢の者だ。


「…うわぁ……宮城って広いんだね~~」


「…まぁ…皇帝が住んでる所だし…」


緊張している素振りすら見えない劉備ーー桃香、そして一刀を始めとした蜀の者達の気楽さが羨ましいとばかりに孫呉、曹魏の者達は溜め息を吐いた。


「桃香…もう少し緊張したらどうかしら?」


「華琳の言う通りよ。ここからは畏まらないと」


「うっ…ごめんなさい…」


華琳、雪蓮から突っ込まれた桃香に苦笑しつつも一刀は孫呉の随伴者達の顔触れに疑問を抱く。


「雪蓮、ちょっと良いかな?」


「ん?どうかしたの一刀?」


「和樹さんと将司さんは…?」


「二人は別行動よ」


「別行動…?」


一刀を始めとした蜀漢の者達が首を傾げる。


和樹と将司が孫呉の驃騎将軍と車騎将軍を拝命しているのは彼等も承知していた。


孫呉の軍部でも高官である二人が主君たる雪蓮の参内に随伴していないという事は彼等にしてみれば意外すぎたのだ。


「さぁ…行きましょう」


無駄口は終わりとばかりに華琳が先頭を切って歩み始めたーー







「ーー曹丞相以下、孫策、劉備、他の随伴者、陛下の詔に応じ、只今参上仕りました」


ーー宮城は朝見の間で彼等は献帝へ抱拳礼で最上位の敬意を示した。


「ーー大儀である。皆の赤心、朕も嬉しく思う」


「勿体無き御言葉」


献帝が口上に答えると華琳は更に深々と礼をする。


「ーーところで曹丞相。朕の勅に応じたのはお主や孫策、劉備達だけか?」


「はっ、残念ながら」


「……そうか……」


献帝はか細い声で呟くと自らの前にいる者達へ気付かれぬよう唇を噛み締めた。


(…覚悟を決めねばなりませんか…)


決意を新たにし、彼女は毅然と顔を上げると二人の名を呼んだ。


「ーー“韓大司馬”、“呂大将軍”これへ」


朝見の間に献帝の静かでいて良く通る声が響き、それに応じるが如く短靴の規則正しい足音、そしてカチャカチャと鍔鳴りの音が近付いて来る。


彼女達が思わず振り替えるとーー見慣れた二人の男が剣を佩き、靴も履いたまま朝見の間へ上がる姿を視界に捉える。


ーー剣履上殿。


それが皇帝の信任厚い者にしか認められない権利だと気付いた数人が息を飲んだ。


「ーー主上、拝謁致します」


「韓大司馬、久しいですね。呂大将軍も息災でしたか?」


「勿体無き御言葉。主上の御健勝を拝見し、此の身も安堵致しました」


「朕も喜ばしく思います。面を上げなさい」


抱拳礼から直った二人ーー和樹と将司は腰に佩いた愛刀を左手で軽く押さえつつ不動の姿勢を取る。


「ーー朕が勅を発したのにも関わらず参内しなかった者達がおります。呂大将軍、これは如何なる事でしょう?」


「畏れながら申し上げます。此の眼には大陸の主だった諸侯の姿が見えまするが……荊州に在地する豪族の姿が見えませぬ。洛陽と荊州は目と鼻の先……にも関わらず、ここへ集わなかったという事は……主上への叛逆の意あり、と考えざるを得ませぬ」


「ーー韓大司馬。呂大将軍はこのように申しておりますが…朕は如何すれば?」


「畏れながら主上へ言上仕る。荊州の者共の所業は主上に対する叛逆の意ありと認めざるを得ませぬ。ここは……畏れ多くも主上の勅でもって荊州の者共へ分からせねばならぬものと愚考致します」


来た、と控えている雪蓮や冥琳達が生唾を飲み込んだ。


「ーーならば…詔を下す。大司馬 韓狼牙、大将軍 呂百鬼。汝らはーー」


そこまで述べた所で献帝の声が詰まった。


この詔を下せば後には退けなくなる。


荊州の地は文字通り、屍山血河となるだろう。


昨年の五胡との戦役で眼前の男達は僅か数千の手勢で300万にも及ぶ夷狄の大軍勢へ一歩も引かず戦い抜いた事を彼女は思い出した。


今回は一年前とは訳が違う。


和樹と将司は互いの軍勢の兵力と戦力を増強し、戦備を整え、将兵の練度を高め、着々と次の戦争へ臨めるだけの用意を進めていた。


一年前は数千だった兵力が現在では精強と謳われる揚州兵約4千を擁する二つの軍勢。



それだけを考えても献帝は詔を下す事に躊躇してしまった。


ーー天下へ静謐をもたらす。


和樹と将司に語った理想ゆめは嘘ではない。


嘘ではないからこそーー他でもない自身が天下に再びの争乱を起こす切っ掛けを作る事に彼女は恐怖した。


言葉に詰まった刹那ーー眼前の和樹と彼女の視線が交わる。


瞬間ーー彼が微かに頷いた。


その姿が、案じるな、と言っているように思えーー献帝は覚悟を決めた。


「ーー汝らは軍を率い、荊州に屯する不忠の豪族共その悉くを討伐し、荊州を併呑せよ」


「「ーー必ずや」」


深々と抱拳礼で応えた後、二人は回れ右をして朝見の間を後にした。









寿春 第1連隊野営地


寿春の郊外に築かれた天幕の群が連なる野営地の中心には大天幕が張られている。


かつて黒狼隊 砲兵小隊長に上番していた黄暁雄ファン・シャオション少尉は和樹や朴中尉が洛陽へ出張している間の留守を任せられており、大天幕の中で訓練や糧食申請の書類処理の仕事に追われていた。


一休みしようと首をコキコキ鳴らし、机に置いたタバコを銜えて火を点けようとした時ーー大天幕へ通信兵が飛び込んで来た。


「ーー何事だ?」


「はっ!黄中隊長宛の電文を受信しました!発信者は韓将軍閣下であります!」


「本文を読み上げろ」


タバコに火を点けつつ黄少尉が兵士を促す。


「はっ!“黒キ狼ハ地ヲ駆ケル一二○○(ヒトニィマルマル)”。繰り返します。“黒キ狼ハ地ヲ駆ケル一二○○(ヒトニィマルマル)”。以上であります」


その電文を聞いた黄少尉は吸い込んだ紫煙を静かに吐き出しつつ、静かに眼前の兵士へ命令を告げる。


「ーー第1連隊、非常呼集ひじょうこしゅう


「第1連隊、非常呼集!!」


挙手敬礼した兵士へ軽い首肯で応えると彼は大天幕を飛び出した。


その数分後ーー野営地全体に非常呼集を告げるラッパの甲高い音色とその意味を告げる兵士達の逓伝が響き渡る。


タバコを吸い切った黄少尉はそれを灰皿に押し潰した後、椅子から立ち上がると鍵が掛けられたキャビネットを解錠し、封がされた茶封筒を取り出した。


それの封を切ると中から一枚の命令書を引き出す。






作戦名 “暁”。


一:作戦の発令は事前に達した暗号“黒キ狼ハ地ヲ駆ケル”にて告げる。前進開始時刻は発令から24時間後とし、その定刻を暗号にて告げるものとす。


一:発令と同時に各連隊ならびに各隊は総員非常呼集。武装を整え、所在地にて待機せよ。


一:各隊は各上級部隊指揮官の到着を待つこと。事後の命令は各上級部隊指揮官より達す。


一:残留指揮官は部隊を良く掌握、監督すべし。


大司馬 韓狼牙





ーー本文を一気に黙読した黄少尉はその内容を頭に叩き込み、命令書を折り畳み終えると大天幕を後にした。


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