一
ぽつりぽつりと灌木が見える他はなだらかに整えられた田や畑が続く。時折、人影が動いているのが見える。車で近くに差し掛かったときによくよく見ると、人だと思ったのはロボットだった。
――畑仕事もロボットがするんだ。
スラムの市場で売っている野菜が、こうした広々とした場所でロボットによって作られていることはサクラも知らないわけではない。ただなんとなく人型や動物型でなく重機のようなものに作業用アームがついているのかと思いこんでいた。海辺のスラムで育ったサクラが初めて目にする光景だ。
機械には大まかに分けて二種類ある。ロボットと、ドローンだ。
ロボットはアライブズ=コアを機甲殻で包んだ自律作業機械。ドローンはアライブズ=コアを搭載していない作業機械。違いはそれだけではない。ドローンの使用目的がひとつであるのに対して、ロボットは主たる作業領域だけでなく、周辺業務、契約者の曖昧な指示にも対応可能な多目的作業機械である。
例えば、ごみの分別や処理に特化したロボット、これは蠍や蜘蛛などの多足動物に似た形をしている。狭いところにもするりと潜り込み、大きなゴミから小さなゴミの分別まで、再利用する資源別の分別や処理も細かにできる。これらの作業をすべてドローンにさせようとすると大変なことになる。ゴミを大きさ別に分けるドローン、さらに鉄とそうでないものに分別するドローン、仕分けたごみを次の作業場へ運ぶベルトコンベア、洗浄装置……きりがない。何よりも考え得る事態を考慮して作業場の面積やベルトコンベアの長さ、装置やドローンの配置、さらには不測の事態に対応しつつ作業を管理しなければならない。こういうもろもろの作業を、自律的に計画を立て数体のグループで手分けしながら行えるのがアライブズ=コアが搭載されたロボットだ。
ごみの処理や交通網などのインフラストラクチャの運営だけではない。家庭においては家事や育児を数体のバイオロイドが補助し、辻ごとに治安を維持するための人型、あるいは大型犬を模したロボットが待機する。都市だけではない。郊外へ出れば街道沿いのドライブインを運営するのもロボット。農場や牧場で田畑や牛、鶏の世話をするのもロボット。
今や社会は、アライブズ=コア搭載ロボット抜きに成立しない。
ただ、何事にも例外はある。
サクラが斉木屋敷に引き取られてまず驚いたのは、資産家なのにアライブズ=コア搭載のマシン――ロボットがないことだった。サクラの育ったスラムにはほとんどロボットがいない。腕の良いエンジニアだったサクラの父親の職場にはロボットがいたがそれは人々の生活のためでなく、港湾整備工事に必要なものであって会社の備品だった。スラムに暮らす住人にとってロボットは贅沢品で、大戦前の廃材や部品を集めてジャンクパーツ屋が組み立てたドローンを買うのがせいぜいだ。
「わしら代々裕福に暮らす者はのう、おのれらの力だけでその生活を保っているわけではないのじゃ」
なぜ屋敷にアライブズ=コア搭載マシンがないのか、質問したサクラに対し、噛んで含めるように斉木老人は言い聞かせた。
「ともにこの地で暮らす人々あっての安寧じゃ。斉木の家だけでない。土地持ち金持ちは皆、ロボットでなく人に世話をしてもらうのじゃ」
「人々に働き口を提供しているのですか」
「そういうことじゃ。それに――」
斉木老人が言いかけた時、ホットラインに通信が入った。話の続きは聞いていない。
* * *
イベント会場から連れてこられたのは大きな屋敷だった。居心地が悪くなるほど愛らしい内装の、広々とした二間続きの自室の他に真新しいガレージ、工具箱などが与えられ、サクラは目を丸くした。今まではいつ崩れてもおかしくないようなビルの一角が我が家で、それでも親子三人で暮らすには破格の広さだった。アルバイト先のジャンクパーツ屋の薄暗く埃っぽい部屋でドローンを組み立てたり修理したりしていたのに比べるとこのガレージは天国だ。照明、机、広さ、什器だけではない。用意されたパーツは全て新品。スクリュースレッドがくっきりしたぴかぴかのビス。再利用可能かどうか磨いて確かめなくていいなんて。なんて贅沢な。
そして対戦の傷がそのまま残る試作機零号。初めて触れるロボットだ。亡父の職場で何度も目にしたが、ロボットに触ったことはない。早く見たい。目を見たい。逸る気持ちを抑えきれずシートに手をかけようとしたところで声がかかった。
「お嬢ちゃん、二週間後でどうかの?」
「どうか、とは」
斉木老人は言い淀んだ。
「零号の取引に少々手こずっての、交換条件があってな。再戦の申し入れがあったのじゃ」
サイセン、さいせん。――再戦。
言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかった。
「また戦わせるんですか」
「ほう。――嫌かね?」
嫌なんだろうか。サクラは顔をしかめた。
零号はまるで戦うために生まれてきたかのように美しかった。厚く大きい体躯。重苦しい古びた装甲。力強く振られた斧は狙いを外し、床にたたきつけられて火花を散らす。完全な負け戦なのに美しかった。薄暗いフィールドで赤く光の尾を引く零号のモノアイ。禍々しく美しい。
好きに改造していい――そう言われてサクラはどう改造するか具体的な何かをイメージしていたわけではなかった。ただただ、零号の目を見たかったのだ。
「いいえ。――ご承知の通りジャンクパーツ屋のメカニックだけでは食べていけませんでしたから、私は非合法のドローン・バトルで暮らしを立てていました。だから機械を戦闘に使うことが嫌、なのではありません」
「それでは、――二週間後。よいな」
「いいえ、それは困ります。時間が必要です」
全壊ではないが、片脚がもがれるほどの損傷だ。機甲殻のチェックをしなければならない。運動系統に支障が起こる損傷の場合は他の系統にもダメージが伝わっていることが多い。これはロボットであろうと、ドローンであろうと変わらないはずだ。優秀な助手がつくとしても二週間では時間が足りない。そして息の合う優秀な助手などここにはいない。
「オーバーホールします。少なくとも一ヶ月は必要です」
「――よいじゃろう。交渉してみよう」
斉木の細められた目はにこやかなようでいて感情の色を見せない。
――何を試すつもりか知らないが、受けて立つよ。
老いた養父に微笑み返すサクラの目に力強い光がともった。
* * *
斉木屋敷のガレージの床にひざまずき、サクラは手を胸にあてつぶやいた。
「開放」
顔を上げ、機甲殻に掌をあてる。サクラの目は横たえられた零号の胸部に据えられているが、意識は視界とは別の方向を探っていた。やがて唇を引き結びバイザーを装着すると、腰のホルダーからレンチを取り出し、力をこめてひとつめのナットを緩める。試作機零号のオーバーホールが始まった。
ぶっぶっぶぶー。
インターフォンが鳴る。無粋な呼び出し音にサクラは手を止めた。ビューアにメイドのアイコンが表示されている。サクラはため息交じりにバイザーに触れた。
「はい」
「お嬢様、昼食のお時間です」
「ああその、予定作業が終わっていないので食堂に行けません」
「そちらへお持ちしますか」
「ええ、お願いします」
「かしこまりました。すぐにうかがいます」
ほんとにご飯持ってくるの、と聞き返したかったが、通話は一方的に切れた。
――お嬢様、か。
サクラはため息をついた。斉木屋敷に引き取られて一週間。多忙な斉木老人とは朝だけ食事を共にしている。妙にやわらかいパン、加熱の足りないとげとげして青臭い野菜、ぶわぶわしてとろみの残った炒り卵、どす甘い蜜のかかった果物。金持ちの食事はサクラの舌に合わなかったが、それでも食べなければ生きていけないので我慢して食べた。見たこともないほど長いテーブルの隅っこで向かい合う斉木老人は食材がすり潰されてどろどろしたスープをスプーンで掬い口に運んでいる。上品な仕草だ。
「口に合わないかえ」
目を細め苦笑している。
「そんなことはありません。とてもおいしいです」
変な味がするけど、そう口走りそうになるのをサクラは抑えた。余計なことを言って厨房で誰かが責任を取るなどということがあってはならない。
斉木老人は常ににこやかで物腰穏やかであるが、だからといって甘い主ではないらしい。サクラはこの一週間で二度、使用人が上役に叱られているのを見かけた。一度は最後通牒だった。
――試用期間は今日で終了です。明日から来なくていいですよ。
――ど、どうしてですか。
――ご主人さまから通達があったのです。
――そ、そんな。納得できません。
――あなたが仕事に集中しないからです。本来無理のない工程を組んでいるはずなのにグループ全体の作業効率が落ちている。
目の前の老人は暴君に見えない。しかし、屋敷の主の細められた目はにこやかなようでいて感情の色を見せない。
「昼と夜の食事はガレージでとっていると聞いておるが、問題ないかえ?」
「問題ありません」
サクラは部屋の隅に控えたメイドのきつい視線を背中に感じた。
数時間ぶりにガレージの外へ出てぼんやりとここ数日のできごとを、サクラは思い出していた。昼食を持ってくるというメイドを待っているのだが、一時間経っても来ない。
ガレージは母屋や庭園などのパブリックスペースから離れた場所にある。数時間おきに作業を中断し、作業着から部屋着だというひらひらした服に着替え母屋まで戻るのが億劫でひとりでいただく昼食を、次いで斉木老人とタイミングの合わない夕食もガレージまで運んでもらうよう頼んでいるのだが、
「ご飯、もらえなくなってる気がするんだけど」
文句を言ったら担当のメイドやら厨房のコックに迷惑がかかりそうだ。毎度毎度、食事の時間をインターフォンで知らせてきて、そのたびに「お持ちします」「うかがいます」と答えるメイドがなぜ食事を届けに来ないのか、サクラは不思議に思った。
「理由なんて、考えても仕方ない」
サクラは親しい者を除き人間に興味がない。この屋敷に親しい者はいない。屋外でぼんやりしているうちに空腹のピークも過ぎたようだ。サクラはガレージに戻った。