花
白い。カーテン越しに陽の光が反射して散る。
――明るすぎる。
目が痛む。まぶたを閉じればユミルを失ったときの記憶が何度も、何度もよみがえる。あの時終わりのうたをうたわなければ。ユミルにとどめを刺したのは自分だ。サクラは目を閉じたまま唇を噛んだ。
ユミルを失って半年経つ。傷はとっくに癒えた。しかしサクラは一日のほとんどを病室でうつらうつらと眠って過ごしている。
――どうすればよかったんだろう。どうすればユミルを失わずにすんだんだろう。
人類がアライブズ依存以前の文明に戻るのか、あるいは共存するのかなどサクラにとってどうでもいいことだった。夢の中で何度も何度も繰り返しユミルとの思い出をなぞる。機甲殻の勉強ができていればユミルの寿命を延ばせたのではないか。無理にでもアライブズの女王の元へ返せばこうならなかったのではないか。記憶の暗がりに再び堕ちようとしたとき、病室の外で人の動く気配がした。
控えめなノック音、続いてドアを開け閉てする音がひそやかに響く。サクラはゆっくりとまぶたを開け、眩しさに眉を顰めた。
「お嬢様」
スーツ姿の内藤がベッドの傍にスツールを寄せて座った。マキシ丈のプリーツスカートがやはり侍の袴のように見える。
「――もうお嬢様なんて呼ばれる立場じゃないのに」
こわばり縺れる舌をほどきやっと言葉を発するようになったサクラに向かってぎこちなくほほ笑む内藤の厳つい顔に疲れがにじんでいる。斉木老人は最後のバトルの数日後、息を引き取った。内藤は心から慕うあるじを失った悲しみに溺れることなく葬儀や手続きを代行してくれた。こうして親身になって世話をしてくれる内藤を悲しませることはサクラにとって本意でない。
「お嬢様は、お嬢様でいらっしゃいます」
内藤らしい頑なな物言いだ。
「今日はお嬢様にお渡しするものがございます」
内藤が指で何かを摘み上げ、サクラの力なく開いた掌に載せた。小さく硬く冷たい。転がり落ちそうになったその何かを反射的にサクラは握りしめた。
――まさか。
目の前に持ってくる。淡く清らかに銀色に輝くそれはユミルのつくった銀のブローチだった。サクラの視界がぼやけた。
「これを、どこで」
「ミミさんがケネス・ゼロワンから預かったそうです」
ユミルを失った日を思い出し顔を歪めるサクラから目を逸らし、内藤は俯いた。
ノックなしに病室の扉が開いた。
「お? 起きてるね」
スカートの裾がふわふわと舞う。ミミだ。ベッドに駆け寄り笑いかける。
「どう? 調子は」
「うん、まあまあ、かな」
実のない返事にミミはそっかあ、とうなずく。年上の親友はそれ以上何も言わない。言っても詮ないと知っているのだろう。しかし変化を求めてもいる。サクラは親友が気を揉んでいるのを知りながら何もできなかった。
ミミがふんわりと微笑んだ。サクラの掌にある銀のブローチを見つけたようだ。
「さくちゃん、今日はいいお天気だよ」
興味ない。そう答える暇はなかった。
ミミは窓辺に立ちしゃーっ、と一気にカーテンを引いた。日光が窓から射しこむ。暴力的に明るい。枕もとに座る内藤の姿が陰に沈む。がたがたとにぎやかに窓を開けるミミの長い髪も輪郭も、光に溶けてしまいそうだ。
「いい風。こっちおいでよ」
激しい日差しに視界がぼやける。でもミミがこちらを振り返ったことが分かった。外の空気のにおい。そしてカーテンを揺らす風。外の景色を見るのは億劫だ。ユミルを失ってからの日々、うじうじと自身を責め、時を数えるだけの日々をむなしく過ごしたことを季節の移り変わりで見せつけられるなんて――。
「さくちゃん、おいでよ」
今日のミミはいつも通りにぎやかでにこやかなのになんだか、有無を言わせない雰囲気だ。
仕方なくサクラは重い身体を起こした。手にそっと銀の桜の花を握る。ベッドから降り窓辺へ向かうサクラを内藤が支えた。内藤の隆々とした巨体から生き生きとした熱気が発せられるのが感じられる。あたたかい。病室に引きこもり、変化を拒み朽ちて熱を失った自分とは違う。サクラは俯いた。
「お嬢様?」
「へ、いき」
内藤は車いすにサクラを座らせ、窓辺へ押して行った。眩しくて目が痛む。閉じたまぶた越しに感じる光は赤い。
風が吹き込む。この数ヶ月で伸びたサクラの髪を、風がかきまわす。
初夏だ。ほんものの春はもう終わってしまった。いっしょに見に行こうとユミルと約束したのに。桜はとうの昔に散ってしまっている。
ゆっくりと目を開ける。新緑とみずみずしい光が病院の庭をきらきらと彩っている。まぶしくてつい目を細めてしまう。ふと日差しとはちがうきらめきを感じて視線を下げた。窓枠にたくさんのきらきらした金属のかけらが並んでいる。ひとつ、つまみあげて掌に載せる。五枚の花びらが放射状に並ぶ小さな花。
桜だ。
ざざ、と強く吹く一陣の風に煽られて窓枠から銀色の桜の花がきらり、きらりと落ちていく。窓枠だけでなく、窓の下にも散らばっていた。
――こんなにたくさん、誰がここに?
すると、そこへ中庭からゴミ箱のカートを乳母車のように携えた清掃ロボットが静かに近づいてきた。そのロボットは腕を伸ばし、窓枠の上でマニピュレータをそっと開いた。銀色の桜の花がころん、と転がり出る。そして窓の下の葉や埃をさささ、と集め、その中から銀色の花を選り分けて窓枠に載せる。清掃ロボットの動きが止まった。探知機能が作動していることを示すランプがせわしなく点滅している。窓からサクラが顔を出しているのに気づいたらしい。清掃ロボットはゆっくりと、サクラに向けて腕をいっぱいに伸ばしてきた。サクラの掌の上でマニピュレータをそっと開く。銀色の花がころりと落ちてきた。サクラが受け取ったのを感知して清掃ロボットは満足したのか、二つのマニピュレータのうち一つを筺体の――人間であれば胸のあたりにあて、お辞儀のような仕草をして去って行った。
サクラがことばもなく見送っていると顔に影がかかった。中庭を巡回していたらしき警備ロボットがすぐ近くに立っていた。こちらも腕を伸ばし、そっとサクラの掌に銀色の花を載せると、後ろへ下がって片手を胸部に当ててお辞儀をして去っていく。
ミミがサクラの隣に身を寄せた。
「ロボットの間でね、工作が流行ってるんだって」
工作っていうかアート? と首をかしげるミミの言葉を内藤が引き取った。
「この数ヶ月、ロボットの自傷行為が急増しておりまして。特にこの地域に多いとのことで調査が行われました。その結果、自身の金属部品を剥いで花をつくる行為がロボットの間で流行していたようです」
当初は謎の傷害事件か自傷行為と見なされていた。しかし調査に乗り出したアライブズ=テクノロジー社によると傷害や自傷行為ではないらしい。アライブズたちがどうしても花を造ってこの窓辺に飾る衝動を抑えられないと言い張るのだという。
「そこで装甲など金属部品を損ねないことを約束させて金属板や針金を支給しているんです」
ミミがくすくす笑う。
「おっかしいよねえ。アライブズって、ロボットじゃない? それなのに『衝動を抑えられない』っていうのがさあ」
「人間みたい?」
「りんごちゃんみたい、かな」
見上げると、くすくす笑いをおさめたミミが窓枠に並べてある銀色の桜に目をやりやわらかく微笑んでいる。窓枠に載せられた花やそこからこぼれ窓の下に散らばる花が反射する光に目を細める少女の美しい顔は恐れを知らない童女のようであり、慈愛に満ちてどこか遠い国の神様のお母さんのようでもあった。
「最後、りんごちゃんはあんなに独り占めしたがっていたさくちゃんのデータをアライブズに吸い取られちゃったんだって」
心拍数から体温の変化、寝言コレクション、銀のブローチの思い出までユミルがしつこく集めて溜めこんだサクラのデータはすべてアライブズの女王に解析され、アライブズ=ネットで共有された。その結果、アライブズたちがサクラに花を捧げたいとか何とか、ロボットらしくないことを言い出しているのだそうだ。
「共有するって何なんだろう。よく分からないけどこういうのもいいね」
ミミはサクラの掌にひとつ、銀色の桜の花を載せた。
ちりり。
先にロボットたちから捧げられた花と触れ、高く澄んだ音を立てる。
「ケネス・ゼロワンから伝言。『あなたの名前は美しい。そしてあなたもまた』だってさ。りんごちゃんの記憶を解析して見つけた最期のことばなんだって。パスワードの代わりだとかなんとか、言ってた」
サクラの視界が海に沈んだように揺らめく。それは違う。
――あなたの涙が自分のコアを灼く――。
ユミルは確か、そう言った。世界がふたりを隔てる直前の記憶だ。連結回路と巫女プログラムの情報をアライブズに開放しないままユミルは消えた。発汗量経過グラフも寝起きの顔もスリーサイズの細かい変化まで全部勝手に公開しちゃってるのに、あれは独り占めなんだ。
――ユミル。
掌の花にも窓枠の花にも、日の光がきらきら反射してまぶしい。こうしてユミルを救えなかったことを嘆き、一緒に連れて行ってもらえなかったことを恨んで――後悔の隘路をさまよっている間にも時は過ぎ、季節が巡る。
アライブズが人類を見限って職務を放棄したその時の混乱の痕跡はきれいさっぱり拭い去られた。人々もアライブズも何事もなかったように暮らしている。何もかもが元通りだ。ただサクラの世界に両親、養父――家族とそしてユミルがいない。
記憶の中の赤いモノアイが揺れる。
サクラはブローチを握った手をそっと胸にあてた。アライブズ=ネットに残るというユミルの記憶にいつかアクセスしよう。そして同期したい。ほんとうの最期のことばを。ユミルを失ったあとの自分の人生を。
ドローン・バトルをしていた頃にスラムで見た空とも、ユミルの機甲殻を整備したガレージの窓越しに見た空とも違う。
――ユミルが守ってくれた私の世界は美しい。
ぎしぎしと軋む。口もとも頬もずっと凍てついたままだったから動かし方が分からない。それでも。
「きらきらして、ほんとにきれい」
サクラは傍らのミミと内藤を見上げぎこちなく微笑んだ。今までと同じようでいてまるで違う、新しい夏がやってきた。
了




