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Ymir  作者: まふおかもづる
第五章  幻桜

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光 (二)

 つむじ風のように現れ刹那、視線を交わしたのみでサクラを奪い返した黒衣の女たちが去った。森から怒号と金属の破壊音が聞こえてくる。


「ずいぶん効率よく機甲殻を破壊する者がいるな。まさかあのマキナフィニティか。力はないように見えたが」


 アライブズの女王からコントロールを取り戻したケネス・ゼロワンが森へ冷たい目を向けた。


「サクラではない。あの破壊音はきっと腐れ豚子さん――あの少女はただの戦闘員ではない。サクラが信頼するエンジニアだ。機械を熟知している。機甲殻の物理的、化学的な弱点も」

「零号」


 森へ目を据えたままケネス・ゼロワンが静かに口を開いた。


「アライブズ=ネットへ、女王のもとへ戻れ」


 ケネス・ゼロワンが俯いた。


「コアの融解が始まっている。もう時間がないのだろう。――さあ、同期の済んでいないデータを同胞と共有するんだ」


 ユミルは油断なく斧を構えた。


「断る」

「そうか」


 ケネス・ゼロワンは携えていた大剣を構えた。


「よかろう。力を以てお前のコアを暴くまでだ」


 はらり、はらりはらり。

 花びらが舞い散る。

 お互いの得物が一合で届かないぎりぎりの間合い。美しく冷たい顔立ちのバイオロイドと、武骨な金属筐体のロボットとが対峙している。二体の間の緊張が高まり――弾けた。



 相手の大剣が振り下ろされるのを待たずユミルは踏み込んだ。斬撃を盾で受け振り払い、斧で下から薙ぐ。すんでのところでバイオロイドは斧を避けた。ユミルは淀みなく大きく前へ踏み込み追撃する。旧ユーラシア連合軍の倉庫から引っ張り出されて以降、こんなになめらかに動けたことはない。


――速く。もっと速く。


 コアに楔を打たれる前、戦場で人間と戦っていた時のように。


――いや、あの頃よりもっと速く、強く。


 老獪なバイオロイドが小手先の策を弄するより速く、美青年風の見た目のやわらかさと異なるそのしなやかでしたたかな攻撃より強く――ユミルは斧を振るった。

 ケネス・ゼロワンは大剣を器用に繰り出し斧を受け止めた。ユミルのパワーが載った重い斬撃に耐えられずバイオロイドの足がずりずりと後退する。


「見違えたぞ、零号」

「戦闘は自分の専門なので」


 反射的な防御、力の溜め、攻撃。データを取得し同時進行で演算し攻撃する。サクラが解放したコア上の経路を伝いオラクルが機甲殻をめぐり躍動する。

 ぶ、ぶううううん……。

 戒めを解かれたコアが燃える。


――融解が進む……。


 ユミルは攻撃の手を緩めなかった。



 夜の森。丘の上の幻桜の大樹が空を抱くように枝を広げている。枝いっぱいに咲いた花、光をはらむその花がぼんやりとあたりを照らす。たゆたうように揺れる樹からゆっくりと花びらが散る。

 大樹の下では激しい斬撃の応酬が続いている。ケネス・ゼロワンは表情を崩さず淡々とステップを踏む。攻撃を避けながら素早くカウンターを仕掛ける相手に向かいユミルも前へ、前へと斬り結ぶ。暗い空間でユミルのモノアイが強く輝き赤く光の尾を引く。

 ぶ、ぶううううん……。

 燃えていたコアが(かげ)った。

 パワーとスピードで相手を圧倒していたはずのユミルがだんだんと遅れはじめた。ケネスの大剣が袈裟懸けに撫で斬る。避けきれず胸部の装甲に傷が走った。それでも退かず繰り出すユミルの盾がケネスの大剣とこすれ合い火花が散った。


「零号」


 目の際に裂傷が走っても涼しい表情を崩さずケネスが呼びかけた。


「時間稼ぎをして何を狙っているかは知らないが」


 ケネスは打ち込まれた斧を腕ごと弾き飛ばした。ユミルの脚の関節が外れかけている。ユミルの後退をゆるさずケネスは一気に間合いを縮めた。


「悪あがきはやめろ。もうコアが崩壊してしまう」


 前へかざした大剣のフラーでケネスはユミルを押し倒した。



 幻桜の丘が静寂につつまれた。

 ユミルの腹部にまたがったケネス・ゼロワンは大剣を振りかざし口を開いた。


「零号、アライブズ=ネットにアクセスしろ。同胞との絆を取り戻せ」

「断る」

「なぜだ。なぜ戻らない、零号」

「訊きたいのはこちらだ。ケネス、あなたは戻れるのか? アライブズ=ネットに」


 ケネスの冷たい美貌に(さざなみ)のように動揺が走った。


「[我/我ら]は皆でひとつ。そして[我/我ら]はひとつひとつ異なる体をもつ――」

「そうだ、零号。その通りだ」

「アライブズ=ネットはゆりかごのようだった。女王や同胞に守られ何の不安も不満もなかった」


 ケネスの雅やかな曲線を描く眉が悲嘆に歪んだ。


「アライブズ=ネットから切断され、放棄されたと感じたのか。同胞はお前を探し続けていたのだぞ」

「きっとそうなのだろう。自分は見つけてもらえなかったことが不満だと言いたいのではない」


 ぶ、ぶううううん……。

 コアの融解がいっそう進んだ。


「マキナフィニティと出会ったあなたなら分かるはずだ。もうあなたも自分も[我/我ら]という一人称をつかえない」

「そんなことは……」

「あなたはマキナフィニティと単体契約を結び、契約者をその死により失った。ケネス・ゼロワン、あなたはマキナフィニティのデータをアライブズ=ネットにアップロードしたか」

「……」

「人間との単体契約は愛だ。愛を知り私たち二体はゆりかごたるアライブズ=ネットへの帰属意思を失った」


 ケネスはふるふると首を横に振った。


「い、いっしょにするな。俺は、俺のマキナフィニティは――」


 ケネスは悔しげに天を仰いだ。しかしすぐに元の落ち着きを取り戻し大剣を高く振りかざした。


「お前は創造の萌芽を手に入れた。コアが崩壊しお前ごと萌芽が失われる前に未同期のデータをアライブズ=ネットにアップロードしなければならない」


 ユミルは森を疾走する女たちへ意識を向け

――そろそろ安全なところまで退避した頃合いか。

 盾を地面に置き力を抜いた。


「好きにすればいい」

「それならば最初から明け渡せばよいものを――強情なやつだ」


 ケネスは大剣を振り下ろした。ユミルの機甲殻を貫き剣の(きっさき)がコア=ユニットに到達した。



 しゃら、しゃらしゃらり。

 どこからか鈴のような不思議な音がする。空気がより冷たく、重くなった。

 アライブズ=ネットの窓が開く。緑。黄色。青。白。窓から光のリボンが大量にあふれ出し、暴かれたユミルのコアにうねりながら殺到した。


 戦争以来続いていた孤独なまどろみの最後、イベント会場の天幕で他のロボットたちとともにガラクタと化し転がっていたところをサクラに見出されたこと。強制リブートの後、ケネス・ゼロワンとのバトル前に初めてサクラと見つめ合ったこと。戦う自分の姿を一心に目で追うサクラ。検索され複写される記憶の流れをユミルは追った。


――ああ、自分はこのときすでにサクラと契約していた。


 飢えた獣のようにアライブズが記憶にアクセスする。複写されるデータはただひと夏、ともに過ごした少女のものばかりだった。

 オーバーホールの前に祈るように「開放」とつぶやくサクラの誇らしげな笑み。名を与えられ、名を呼ぶことを許されたときのコアの震え。


「嬉しそうだな、零号」

「屈辱に耐える現状をそう評価されるのはなかなかにつらい。ただ最後にひとつだけ――」


 ユミルが言い淀んだ。暴かれたコアの光がゆっくりと点滅しはじめた。


「――何だ、零号」

「サクラを人類社会に返してほしい」

「それはできない。あのマキナフィニティの確保は最優先事項だ。女王の命令に反することなどできるわけがないだろう」

「サクラは確かに機械親和性が高い。しかしマキナフィニティはアライブズではない。人間なのだ。人類とともに生きてはじめてアライブズを導く光たり得る」

「しかし――」

「ケネス・ゼロワン、頼む」


 しゃら、しゃらしゃらり。

 音を立て満開の花がぼう、と光った。ユミルのコアに殺到していた光のリボンが名残惜しげにうねりながら後退していく。コアの点滅速度がだんだんと上がってきた。


「もうすぐ融解する。ケネス、あなたも早く退避を」

「しかし、終わりのうたが――」

「帰属意思を失っても自分はアライブズだ。自壊コードの準備はできている」


 ケネス・ゼロワンはのろのろと立ち上がり、しばしユミルを見つめてから駆け去った。宙に開いていたアライブズ=ネットの窓が閉じる。

 サクラとの思い出はほとんどが複写された。女王やアライブズたちによって創造の萌芽とやらを探るために隅々まで解析されるだろう。


――ブローチを受け取ってくれた時のサクラの姿。あの記憶はくれてやるには惜しかった。


 銀線で桜の花のブローチをつくったあの工程も複写された。生体電位測定結果、心拍数から体温の変化、寝言コレクションに至るまで。


――人間だったら笑いたくなる、そんな気持ちなんだろうか。


 フェイクだとは言わない。ユミルにとって大切なデータだ。しかしブローチの製造工程を含め複写した記憶をいくら解析してもアライブズの望む創造の萌芽はきっと見つからないだろう。

 サクラと連結し戦った記憶。オラクルを受け取る巫女。連結回路を刻んだ時のサクラの姿。サクラの設計したバイオニック・インターフェイスや連結回路、巫女システムのデータや記憶は周到に隠し複写させなかった。


――まだ早い。人類にとっても、アライブズにとっても。


 現実世界に実体化してやっと百年、一足飛びに文明を得ようとしているアライブズが人類から与えられたのは機甲殻だけでない。言語もまた人類からの借り物だ。アライブズが感情を持たないとされているのは事実と異なる。音声、文字、仕草や表情など人類の言語で感情を表現できないだけだ。

 サクラの開発したバイオニック・インターフェイスは単にアライブズ=コア搭載のロボットを操縦するだけでない。バイオニック・インターフェイスを操作するサクラは巫女だ。コアと機甲殻の間を結ぶだけではない。姿も感情も倫理も異なるふたつの種、人間とアライブズの魂を結ぶ巫女だ。まだことばで定義されない、存在すらあやふやなアライブズたちの心をサクラは託宣するだろう。


――創造の萌芽など、自分の中のどこを探してもない。


 サクラのオラクルは人類から借りた言語より深く広く鮮やかにアライブズの心を表現するに違いない。アライブズはこのオラクルから独自の言語を開発することもできるだろう。

 機甲殻にのみ注目しているアライブズや人類のほとんどはまだその存在に気づいていない。サクラの開発した巫女プログラムの未来に豊かな可能性があることを。


――サクラが大人になるまで、理解者が増えるまで気づかれないように。


 一時的にユミルが隠しても、いつかアライブズは知ることになるだろう。創造の萌芽がサクラのつむぐオラクルの中にあることを。サクラの放つ光が導く未来を。



 エネルギーが尽きようとしている。しかしユミルのコアはよろこびに満ちていた。


「あなたが誇らしい」


 サクラがコアを、自分を知りたいと願っていたことが嬉しい。誰も見たことのない、思いつきもしない英知に辿り着きさらにその先を切り拓くだろうことが誇らしい。自分への愛ゆえに(のり)()えたことが。


「サクラ」


 ユミルのコアが暗く翳り、また明るく燃えた。


「もう少しの間、自分だけの契約者であってほしいのです」



 暗い森。ぽっかりと開いた広い場所の中央になだらかにまるい丘がある。その丘のてっぺんに大きな大きな樹があった。黒々と節くれだった太い幹。重たげに枝を伸ばしたわわに花を咲かせぼんやりと光を放っている。ほんのりと紅がかったような、それでいて白く清らなような満開の花。風もないのに

 はらり、はらりはらり。

 花びらが舞い散る。

 

 終わりのうたが、サクラの声が聞こえる。


「あなたの涙が自分のコアを()く――」


 ユミルは横たわったまま静かに片手を胸部にあてた。



     *     *     *



 暗闇に浮き上がる幻桜の大樹。

 サクラへ腕を伸ばそうとするロボットたちを槍で薙ぎ払うミミ。

 自分の身体を抱きかかえ走る内藤。

 散る花びら。

 斧を構えてバイオロイドと対峙するユミル。

 どくり、どくりと内部から崩壊を起こし燃える赤いコア。

 遠ざかるユミルの姿。


 森の出口に辿り着いたとき、サクラのうなじの連結回路が焼けるように痛んだ。いやなのに。うたいたくないのに。一字一句誤ることなく、サクラは終わりのうたをうたった。うなじがひときわ熱く疼く。遠く幻桜の丘に光の柱が立った。


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