一
* * *
「サクラさん――!」
駆けつけたヤシロ青年は斉木家の観戦ルームの惨状に息を呑んだ。バトルフィールドを見下ろす窓やカウンターが割れ、スツールがひしゃげて弾き飛ばされている。部屋の中央で厳つい秘書があるじに緊急用の注射器を押し当てている。斉木老人はぐったりしているが意識を失っているわけではないらしい。部屋をざっと見まわした限りでは令嬢とメイドの姿がない。
「サクラさんは」
「お若いの……ヤシロくんだったかね。わしの養女はお前さんのところのあの阿呆のロボットが連れ去ったぞえ。バトルのルール違反に破壊行為、誘拐まで……」
「ちょっと待ってください」
ヤシロ青年は慌てた。さっきから侍のような秘書が殺気を放っている。手を下されるまでもなく視線だけでひねりつぶされそうだ。
「あの阿呆は確かに親戚ですが、僕をいっしょにしないでください。ほんとうに今回の件は無関係なんです。それから庇う気はさらさらないんですがあの阿呆が企んでいたのはルール違反と破壊行為までで、誘拐はロボット自身の行動です」
空間が歪みそうな圧力で睨みつけていた斉木老人と秘書が一転、憐れむような表情になった。違う。頭、おかしくなってない。心外だ。不本意だ。
「斉木翁は零号以外のロボットが周りにいないからお気づきでないかもしれません。しかしこちらへ馳せ参じながら確認した限りでは、どのロボットも同じように持ち場を離れています。僕のロボットもあの金ぴか鎧について出て行ってしまいました」
「お若いの、手短に推測を」
「このホテル中、あるいは近隣一体、下手をすると世界中のロボットが一斉に職務放棄している可能性があります」
「それだけかえ」
身体はぐったりしているのに斉木老人の目は炯々とした光を放っている。
「ホテル内の通信が遮断されています。インターネットだけでなく有線の電話もダウンしています。ロボットたちのサボタージュがご令嬢の誘拐と直接かかわりがあるかどうかは不明ですが、同時に起きたのは確かです」
「分かりやすく」
「ロボットが自らの意思でお嬢さんを連れ去りました。動機は不明です」
「うむ。わしらだけでは把握不可能な情報の提供に感謝する。――内藤や」
鋭い刃物のような空気をまとう秘書があるじの声を聞きもらすまいとにじり寄り、巨体をかがめた。
「思いのほか早く事態が動いたの。わしはよい。サクラを頼む。例の手順での」
「しかし、旦那様」
「お前さんに頼みたいのじゃ」
厳つい秘書が老人の手を握り、俯いた。
「――旦那様、ずるいおっしゃりようです」
握った老人の手を額にいただいていた内藤だったが、しばしのち姿勢を改めた。
「――かしこまりました。あらかじめご指示いただいた通りに」
「うむ。――内藤、頼むぞ」
「はい」
すすす、と後ずさり美しく侍めいた所作で一礼すると内藤は立ち上がった。
「ヤシロさま、お願いがございます」
「いいよ。トレーラーに乗っていっしょに行けばいい?」
内藤が細い目を瞠った。断られると考えていなかっただろうが、依頼内容も聞かずに承諾するとは思っていなかったと見える。
「手伝う気がなければそもそもここに来てないよ、内藤さん」
「それでは、零号の修理を」
ヤシロ青年はうなずいた。
* * *
ヤシロ青年が息を切らせて駆けつけた時、ちょうどユミルが杖代わりに角材をつきながらトレーラーに乗り込むところだった。ぜいぜいはあはあ、ばたばたと駆け寄るヤシロ青年を見てミミはあからさまに眉を顰めた。
「何しに来ましたか、糸目」
「い、――糸目って確かに目は、ほ、細いけども――ひどい」
「はあはあ言って気持ち悪いんですよ、糸目。用件は」
「――ひどい」
「ミミさん、ヤシロさまは零号の修理を手伝ってくださいます」
後から息遣いの乱れを見せず内藤が姿を現した。そしてトレーラーに乗り込んだユミルへ声をかけた。
「零号。お嬢様の位置、分かりますね?」
「北です。山へ向かっているようです。周りにロボットがたくさんいる。だからロボットの列を追えば辿り着くはずです」
内藤は重々しくうなずくとミミとヤシロ青年に乗車を促した。
「旦那様は別の者に委ねました。まいりましょう」
斉木家令嬢づきのメイドだという美少女は菓子のようにやわらかく甘い外見をしているのに実際のところたいそうアグレッシブだ。
「糸目! てんでなっちゃいない、駄目駄目!」
令嬢が現れる前、つい半年前までは自分がマキナフィニティに最も近い人間とされていたのに――。ヤシロ青年はこと機械に関して他人から、しかも年下の女の子からこんなぞんざいな扱いを受けたことなどなかった。青年の目は悔しさで潤んでいたのだけれど、生来糸のように細いので他人にはそう見えない。
ヤシロ青年は、内藤が運転するトレーラーで移動しながらミミを助手に古ぼけた人型兵器の修理をしている。いや、修理に取り掛かる前に臨時助手のミミから思いっきり駄目出しされている。
「機甲殻を開けるときはね、ちゃんとおまじないしなきゃ駄目なの」
「おまじない?」
「っかあああ、糸目、この物知らず! 跪け!」
「へ?」
「時間がないの。言われたとおりにやれっての! 跪いて利き手を胸にあてて『開放』、これ必ずやるの!」
ずいぶん古い習慣だ。オーバーホール時に作業にかかわる人員全員でそういう儀式をすると耳にしたこともあったけれど、今はまずやらないだろう。今回はオーバーホールするわけじゃないんだし。しかし、これを省略すると目の前の少女とかなり揉めることになりそうだ。ヤシロ青年は言われたとおりロボットの前で跪き、右手を胸にあてて唱えた。
「開放」
ちぎれた脚部の修理は意外にすんなりと終わった。
「この部分は前も断裂起こしているから、予備パーツをつくっておいたの」
ミミはきびきびと工具やパーツを整理しながら神妙な表情をした。
「こういう事態を想定していたわけじゃない。でも――」
「助かります。ありがとうございます、腐れ豚子さん」
「んなっ……りんごちゃん、あんた褒めてんのけなしてんの、どっちなの」
「両立を目指しました」
ヤシロ青年は装甲と外殻を外した。内部の損傷は軽い。軽く整える程度の修理にとどめ、元に戻そうとしたところでユミルからストップがかかった。
「待ってください。最奥ユニットを開けてください」
「えっと、多分もうこれで動けるようになったと思うんだけど。駄目だった?」
「りんごちゃん、この糸目には感謝してるけどさ、最奥ユニットをさくちゃんに断りなく他人に触らせるのはよくないよ」
「――お願いです。自分はサクラを人間のもとに戻したい。そのために必要なのです」
出発前に、斉木老人からの伝言を二人と一体は内藤から聞いている。伝言は「今まで通りに日本で暮らすにしても、アライブズ=テクノロジー社の庇護下でロボットに交じって暮らすにしてもどんな選択肢であれ、養女の望むとおりにさせるように」というものだ。
「あなたがただって、サクラの近くにいたいはずです」
「りんごちゃん、その言い方はずるい」
結局、ヤシロ青年とミミは最奥ユニットを露わにした。
「ずいぶん変わったコアだね」
「さくちゃんもそう言ってた」
ヤシロ青年は最奥ユニットの蓋を押さえて揺れから守りながらユミルに問いかけた。
「最奥ユニット、開けたよ。どうすればいい?」
「その楔を抜いてください」
ミミが息を呑む。あれだけサクラが避けたというのに。
「時間がありません。このコアに刺さった楔を抜いてください。早く」
「分かった」
ヤシロ青年は左手でコアを押さえつけ、右手で楔を掴んで一気に引き抜いた。
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