五
視界が暗い。自分の呼吸音がやたら大きく響く。今のは何だったんだろう。荒野の大樹、そして光る果実と地面から生える柱状の結晶。あの果実はアライブズ=コアによく似ていた――。
さして長く時間が経過したわけではないようだ。サクラは意識を取り戻した。ビューアの隅に小さくたたんでおいたトーナメントライブ映像サムネイルがにぎやかに存在を主張している。椅子の背にぐったりともたれた姿勢を正し、サクラはトーナメント映像のサムネイルに触れた。バトルフィールドにユミルの姿はない。横たわるケンタウロスを数体のロボットがストレッチャーに載せようとしていた。
「熱戦を制したのは零号! ケンタウロスの脚を折り行動不能に陥れるとは、なんと無慈悲な! しかしそうして勝利を――」
言いたい放題だ。ぶちり、と動画配信チャンネルを閉じてヘルメットを脱いだ。観戦ルームに残っていたのはミミひとりだった。
「さくちゃん、だいじょうぶ?」
「うん」
目の前の窓は厚いカーテンで閉ざされている。
「旦那様と内藤さんは外でいろいろと対応するって」
「そう。――ミミ」
両腕を差し伸べるのに応えてミミがぎゅう、とサクラを抱き締める。そっと髪を撫でる感触が優しい。年上の幼馴染はいつもいつもこうしてやわらかく包んでくれる。ミミがやさしいのは、サクラの知能が高いからではない。ミミが全幅の信頼を置いてくれるのは、サクラがマキナフィニティだからではない。サクラも同様だ。ミミがやさしいから、信頼してくれるから心を開くわけではない。
「勝ったね」
「うん。なんとか」
「さくちゃん」
「なに?」
「――ありがと」
自分自身の居場所だけでない。ミミと母親の身の安全をもこの勝利で購うことができた。サクラはほの暗く安堵のため息をついた。これでいい。
――ばきり。
ユミルがケンタウロスのうしろ脚をへし折る感触がよみがえる。みぞおちから全身へ冷たいものがぞわぞわと震えながら広がった。
――こうするしかなかったとは言えない。
オラクルの交通整理だけでない。サクラはユミルとつながることで戦いに身を投じた。知識、経験、技術。能力のすべてをつぎこみ勝利を追い求める。実際にバトルに出てサクラは知った。ユミルのコアに蓄積されている戦闘の経験。記憶そのものに触れたわけではない。武器や戦況によって臨機応変にことにあたるその能力は機甲殻によって得ただけではない。実戦で培われたものでもある。ケンタウロスの動きを分析し、何とかして倒そうと知恵を絞ったとき、サクラは違和感や善悪など思い出しもしなかった。ただ目の前の目標をいかに効率よく攻略するか、そのために何を優先し何を犠牲にするか、そのことに集中していた。
これからも勝ちをとりに行く。他人から見てどんなに無慈悲に見えようと。
「さくちゃん、おかえり」
お互いがお互いを必要としている。しばらくそうして少女たちは固く抱き合っていた。
やがて抱擁を解き、お互いの髪や服を改めて席を立つ。
「ユミルは?」
「トレーラーで待機中。――行こうっか」
「うん」
観戦ルームのドアの前でしばし見つめ合う。本当はミミに「お嬢様」などと呼ばせるのは嫌だ。ミミが気にしなくてもサクラは違和感を覚える。
――それでも役割を演じることで守れるのなら。
姿勢を正し、サクラはドアに手をかけるミミにうなずいて見せた。
* * *
「やあ。おめでとう」
壁にもたれていた男がひょい、と手を挙げた。ヤシロ青年である。その目は糸のように細く、閑散とした廊下の心もとない照明程度では感情の動きを読みとることはできない。たった今バトルで彼のバイオロイドを下したばかりだ。顔色をうかがうまでもない。青年の気分がよいわけがない。前回のバトルの後、怪我を負わされたことを思い出してサクラは反射的に身を竦めた。ミミがす、と前へ進み出て青年との間に割って入る。華奢なミミが大きく見えた。
「何かご用でしょうか」
「きみじゃなくてそちらのお嬢さんにお祝いをね」
身を乗り出そうとした青年をミミが阻む。
「ああ、アレか、うちの親戚のアホなおっさんが突撃したから警戒されてるのか」
ミミの中で何かが膨らんだように見えた。
「あんたの親戚だったんだ? さくちゃんに怪我させておいてまだ謝罪もないよ。なるほどね、おっさんに代わり報復に――」
「いやいやいや、誤解だって。――まだ謝ってもいなかったのか。駄目だな、あの人」
身構えるミミに恐れをなしたか、両手をぶりぶりと振りながらヤシロ青年は大袈裟に後ずさった。
「バトルなんだから、勝者がいれば当然敗者もいる。けんたくんには力も愛もこもってるからね、僕だって負けてへらへらしているわけじゃない。でもいつもいつも勝ち続けられるとも最初から考えてない」
ミミが背後にかばうサクラへ、ヤシロ青年は視線を向けた。
「前回のバトルのままの機甲殻だったのに、見事に改良されていたね。特にスピードと状況の変化への対応が素晴らしかった。お嬢さん、きみは素晴らしいメカニックだ。僕の完敗」
「その点は同感ね。珍しく意見の一致を見たけれど、最初っからさくちゃんの勝ちってあたしは分かってたから。――用件はそれだけ? 失礼したいんだけど?」
「だから、きみに用があるわけじゃなくてさくちゃんに」
ミミのつややかな色の髪がぶわわ、と逆立ったように見えた。
「さくちゃん言うな。さくちゃんって呼んでいいのはあたしだけだから」
「うわ――怖いなこの子」
「ミミ、お話を聞こうよ」
後ろから上着を引っ張ってミミの注意を引くサクラに目をやり、ヤシロ青年は糸目をさらに細くしてにこにこした。
「うん、メカニックの腕だけじゃない、けっこうかわいいね。お嬢さん、僕と結婚しましょう」
「――はあああああ?」
ミミがヤシロ青年の胸倉を掴み力任せに引きよせた。
「ふざけんな」
「いやいやいや、ふざけてないし真面目だし、――ぐるじい」
「やめやめやめ。メイドさん研修でミミ、自分が思ってるよりずっと強くなってるから。本気出しちゃ駄目」
乱暴に手を離して青年を睨みつけるミミをなだめ、サクラは前へ出て
「お話があるんですよね? 真面目な」
へなへなとくずおれたヤシロ青年に手を差し伸べた。
「サクラさん、きみはマキナフィニティだね」
「違います」
サクラが言下に否定してもヤシロ青年は柳に風と受け流した。
「きみ自身がどう感じているかなんて関係ないんだよ。国際政治、経済の重鎮にそう見なされている。そしてアライブズ=テクノロジー社にも」
青年の細い目が薄く開いた。真剣な表情だ。
「新たにマキナフィニティが発見された。三度日本で――しかも若い女性。きみは自分がどう見られているか、ちゃんと理解したほうがいい」
青年はサクラに、続いてミミに厳しい視線を向けた。
「マキナフィニティ。機械親和性と言われているけれど、それがどんな性質や能力なのか、実際のところよく分かっていない」
数十年に一度出現すると言われる特殊能力者のような扱いだが、その正体は不明だ。だからこそサクラは自分自身がマキナフィニティだと思えない。
「日本は昔、世界に冠たる経済大国で教育水準も高かった。日本でマキナフィニティが続けざまに二人出現したのは、天才をつくる教育システムがあったからじゃない。全国民が公教育を保証されることでマキナフィニティを発見しやすい体制が整っていたから、そういう説がある」
ヤシロ青年の視線がひた、とサクラに注がれている。
「きみの養父上は僕の一族のボスと同じ憂国の士の会に属している」
そのグループは、国際社会における日本の優位性を元に戻すためにアライブズ=テクノロジー社を再誘致する活動をしているのだという。再誘致の餌はアライブズ=テクノロジー社が世界中で探し求めるマキナフィニティ。そして血統管理や発見体制整備によるマキナフィニティ安定供給だ。
「形骸化した義務教育を復活させ貧困層の子どもにも機会を与えることでより高精度にマキナフィニティを探すことができる。つまりマキナフィニティは本来もっと人数が多いはず――斉木御大はそうお考えになった」
そういえば。サクラはミミと顔を見合わせた。
二人が育ったNK地区に公教育を受けることのできる学校はない。外から派遣されてきたボランティアが細々と私塾のような教室を運営していて、二人はそこで中等レベルの教育を修了しスラム外の高校に進学する機会を得た。その私塾の講師がNK地区の子どものいるたまり場や家庭を訪問し「子どもたちに教育機会を」と情熱的に掻き口説く姿をサクラは何度も目にした。
斉木老人は資産家で篤志家である。そして彼は才能ある若者を愛する。奨学金のファンドを設立し、教育ボランティアを組織して関東各地に派遣している。出自に関わりなく一定の確率で出生する知能の高い子どもを発見し、さらにその中からマキナフィニティを選り分ける。
――そのために南関東の各スラムへ大々的に網を張っていたんだ。時間、費用、人数、膨大な手間をかけて。なんという執念だろう。
かつての経済大国を偲ぶよすがは奥東京湾の底に沈み、物心ついたときにはすでに遠く過去のものだった。憂国の士の会とかいうグループ、その一員であるという養父の願いももくろみもサクラは理解できない。
「僕んちのボスはね、斉木御大の試みを馬鹿にしてたんだよ。あまりに迂遠だって。でも三十年近くかけて御大は発見した。――サクラさん、きみを」
「でも私――」
ヤシロ青年の飄々と穏やかだった細い目が冷たく冴えた。
「同じ憂国の士の会に属していても違う手法を追究する者もいる。僕んちのボスはどうしても自分の血族からマキナフィニティを輩出したかったんだ」
ヤシロ青年の一族のボスは日本が誇るふたりのマキナフィニティ、ミナモト博士とハジ博士の血縁者を集め親族にあてがい姻戚関係を結んだ。ボス自身も結婚、離婚を何度も繰り返しただけでなく何人もの子どもを認知している。つまり自身の血統で交配実験をしたのである。
「マキナフィニティの血縁者全員が望んでこんなプロジェクトに協力するはずがない。犯罪のようなこともあったそうだよ」
青年は俯いた。細い目が影に沈む。
「――僕もそうして生を享けたひとりというわけだ。残念ながら僕を含め誰もマキナフィニティと認められなかったけどね」
「そのけったくそ悪いプロジェクトとやらは今も進行中というわけね」
改めて背後にサクラをかばい、ミミが口をはさんだ。声が硬い。
「その通りだよ、メイドさん」
「この手合いの話で損をするのはいっつも女」
「それもその通りだ」
ヤシロ青年の飄々とした顔に悲痛な表情がよぎった。母親か姉か、あるいは叔母か。ちかしい女性がひどい目にあわされたのかもしれない。サクラの胸に痛みが走った。
「ヤシロさん。そのプロジェクトとやらは進行中だとおっしゃいました」
「そうだよ」
「あなたは被害者のひとりでもあり、駒のひとつでもある。――私に子どもを産ませるよう命令されているんですね」
「その通りだ」
サクラの言葉を受け、ヤシロ青年が顔を上げた。糸のように細められて目の色ははっきりしない。親しげに微笑んでいるようにも、自嘲しているようにも見える。
「だからサクラさん、――僕に決めちゃいませんか。結婚しましょう」
「――ふざけんな」
ヤシロ青年の胸倉に掴みかかろうとするミミを制し、サクラは無言でお辞儀をした。
* * *
「出ておいで、マイエンジェルズ」
片方はぷんすかと、もう片方はは物思いに沈みながら歩き去るふたりの少女を見送り、ヤシロ青年は振り返らず言った。廊下の角からひょっこりとふたつの顔がのぞく。
「あるじいいいいい」
壁にもたれネクタイを緩める青年のもとへぱたぱたふわふわと飛んできたのは翼のある幼児ふたり、天使型バイオロイドだ。
「マイエンジェルズ、首尾はどうだい」
「ばっちり! なの」
「あっちとか――あっちでね」
ぱたぱたふわふわと青年の周りを飛びながら天使が愛らしい声でさえずる。
「あるじのライバル全部で八人、しゅば! したの」
「そうなの、しゅば! してやったの。みんな、おねむなの」
「あるじ褒めれ」
「激しく褒めれ」
天使たちがふくふくとまるっこい手に握る弓と矢を振り回す。
――マキナフィニティを手に入れろ。
一族の他の男たちにもボスから指示が出ていることを青年は知っていた。手段を選ぶな、などと焚きつけられて真に受ける輩もいる。今回はなんとかライバルたちを撃退できたはずだ。ヤシロ青年は安堵の笑みを浮かべた。が、次の瞬間、う、と胸を押さえる羽目になった。
「あるじフラれた」
「最初はあの萌えメイド目当てだったのにターゲット変更しちゃうから」
「あるじ浮気者」
「浮気者はモテない」
「あるじ生涯童貞」
「――いやいやいや、現在清らかだからといって魔法使いと化すと決まったわけじゃない」
「我らは最初っから令嬢推しだもん、ねー」
「ねー。乳しか見てないあるじと違うの」
「辛辣だなあ、マイエンジェルズ」
ヤシロ青年は二人の少女が去った方向へ顔を向けた。細い目がうっすらと開いている。
「彼女、ほんとにマキナフィニティなんだね」
バトル出場機体の零号だけでない。イベント会場で飲み物やオードブルを手にサクラの後ろ姿を追うギャルソンバイオロイドたち。ヤシロ青年のパートナーであるケンタウロスも。青年の手前、意識して隠そうとしていたようだが、知らず知らず視線がサクラに惹きつけられていた。そして人間に対して手厳しい天使たちまで。
――サクラさんにはああ言ったけど、ほんとは違う。
ある人物がマキナフィニティであるかどうかを決めるのは、組織や社会の利害や地位ある人々の思惑ではない。アライブズなのだ。
「あるじ開眼」
「あるじマジだ」
「こらこら、マイエンジェルズ。僕はいつだって真剣だよ。――それにしてもあのお嬢さんは少々、神々し過ぎる」
あのサクラという少女はロボットたちを惹きつける。それだけではない。あの古い機甲殻。事前の情報と寸分たがわぬスペックなのに生まれ変わったような動きだった。
ヤシロ青年のつくる機甲殻は世界でも最高の水準に到達している。しかしそれは現時点のテクノロジーに限定される。新しい素材も機構も時が経てば古くなる。機甲殻のデザインやアクチュエータ、新素材。世界中のエンジニアや科学者たちが目の色を変えて発明や発見の糸口を追い求めている。まずはヤシロ青年自身が、そして次世代の人間が次々と挑み新しい科学と技術の地平を拓くだろう。でも――。
――どんなに努力しても平凡の域を出ない自分とは違う。
マキナフィニティの発見や発明は違う。じわじわと広げていた科学技術の領域を軽々と飛び越える。
――外側から解析しただけだからはっきりとは分からないけど。
零号の古い機甲殻そのものは手つかずだった。あの少女が古いロボットに施したのは単なる改良ではない。
――彼女はアライブズ=コアに手を出そうとしている。あるいはもう――。
アライブズ=コアは契約で厳重に守られている。仮にコアに手を加えればロボットは稼働を停止するはずだ。サクラはそれをどうにかしたわけだ。
「どうやったのか見当もつかないよ」
あれがマキナフィニティ。ヤシロ青年の糸のように細い目にサクラの行く末を案じるような、憐れむような色が浮かんだ。神がかった才能が少女を幸せに導くとは限らない。




