一
二十二世紀初頭。第三次世界大戦で受けた攻撃により東京湾大堤防が決壊した。大堤防の決壊は当時の日本の首都に深刻な被害をもたらした。歯止めの効かない地球温暖化により上昇した海面からの浸水を阻んできた大堤防を失い、かつて日本において行政だけでなく経済の中心でもあった東京を含む関東平野南部、利根川や荒川流域が広範囲にわたって水没した。
西暦二千百三十年、日本、南関東。
首都機能が京都へ戻り、経済基盤が九州に移動して二十年あまり。かつての首都は遺棄された。二十世紀から二十一世紀初頭にかけて、小国ながら高い技術力とそれに立脚した経済力で世界をリードした旧都の隆盛は忘却の海の底へ沈んだ。豊かな水資源に恵まれたこの地は現在、利根川流域を中心とした内陸部が大規模農業の営まれる静かな田園地帯に、遺棄されたままの沿岸部旧市街はスラム化している。
* * *
青い空。いち早く夏の到来を告げるようにじりじりと厳しい日差しがグラウンドに降り注ぐ。グラウンドに描かれた青い光の輪の中で、すっきりした人型とずんぐりした四足の獣型、一メートル大の機械二体が戦っている。
ドローン・バトルだ。
輪の外で頭部にバイザーを装着した少年が二人、両手を宙で激しく動かしている。少年たちの手の動きに呼応してドローンの動きも激しさを増す。ドローン同士がぶつかり合い、火花を散らすたびに遠巻きにする人々の間から歓声が上がる。
激しい殴打の応酬を繰り返した後、人型ドローンが青い光の輪の外に投げ出された。
「勝者、チームNKッ!」
グラウンドにぴりぴりぴり、という電子笛の呑気な音が響く。土埃にまみれたドローンを抱え満面の笑みを浮かべる自チームのオペレータに拍手を送りながらサクラは、バイザー越しに油断なく辺りに、そしてヘッドマウントディスプレイに表示される周囲の情報に目を配っている。気になるところがあるようだ。ひらひらふわふわしたエプロンドレスをまとい近くでぴょんぴょん飛び跳ねる少女に鋭く目くばせし、低く声をかけた。
「ミミ、急いで」
「おまかせあれっ」
丈の短いドレスの薄く幾重にも重ねられた生地が芍薬の花びらのようにふわりふわりと翻る。ミミは両手を口の横にあてた。
「みっなさーん、注目!」
ウェーブのかかった明るい色の髪が肩先でゆるりと揺れる。
「ヤバいの来ちゃうっぽい! 逃っげろおおお!」
見物人もレフェリーも、ドローン・チームのメンバーたちも慣れた様子で撤収し始めた。
二分後。警官が駆けつけた時、グラウンドには人っ子一人いなかった。乾いた砂に半ば埋もれた小さなビスがひとつ。非合法賭博ドローン・バトルの痕跡はほぼ残っていない。
* * *
路地に淀んだ潮のにおいが漂う。足下に沈む廃ビル群の谷間に魚影が走る。
「今日はありがとな。いいドローンだった。性能も動きもばっちりで助かった」
「ドローンもよかったが萌えメイドのリングガールも効いたな! おかげで客の集まりがよくてファイトマネーが吊りあがったし」
「また頼むよ――」
チームメイトと別れた少女ふたりは廃墟の陰に隠しておいた電動バイクを引っ張り出した。バイザーを外そうとしたサクラが首をかしげる。レースで飾りをつけたメイド風ヘッドセットをリュックにしまい、リングガールにしてはガーリーな衣装から素早くダークカラーのレギンスやジャケットという地味ないでたちに着替えたミミがヘルメットを掴みサクラを振り返った。
「さくちゃんの作ったドローン、すごかったね! えっと――どうかした?」
「なんか見られてる気が……」
「ちょ、ちょっとまさか? ずっと尾行されてたの?」
「うーん、それはない――」
やがてサクラは警戒を解き、ヘルメットを被った。
「この辺りの監視カメラは死んでるはずだし。生きてるのが残ってるとしても警察の監視網に載らないくらい古いはずだし。考えすぎかな。――行こっか」
車輪が道路の砂利をかむ音を残し、少女たちは廃墟から去った。
崩れかけたビルの壁に這う蔦の影から黒い虫が現れた。本来複眼のあるところがきらりと光る。スパイカメラだ。黒い虫は、仏頂面の少女にフォーカスしていたレンズをぐるりと動かした。そして羽ばたき、宙へ消えた。
――今の少女が。
――やっと。やっと見つけた。
――マキナフィニティ。