二
トーナメント初日。丁寧に刈り込まれた芝生がなだらかな起伏をなし長閑に広がる。大きなテントやコテージが点々と美しく配されたそこは毎回バトルが行われるイベント会場だ。この会場は政財界の大物、資産家などセレブリティのための会員制クラブの一角にある。そこに斉木老人の一行は来ている。ホテル本館やコテージなどの宿泊施設だけでなく、庭園やゴルフや乗馬などスポーツ用の施設、会議場などが広大な敷地にゆったりと配されている。バトルはいつもの建物で行われる。町役場のように飾り気がなく、体育館と言うには大きく、劇場と言うには小体な、外からちらりと見ただけでは使いみちのはっきりしない建物だ。この日は前二回よりさらに多くの人々が集まっていた。クラブの会員だけでなく、ロボットのメカニックやオーナーなどのクラブ非会員も参加している。トレーラーで乗りつける者も少なくない。斉木老人の一行もしかり。
「あの少女が例の」
「資産家令嬢で――マキナフィニティだとか」
トレーラーから降りた斉木老人に続き姿を現した小柄で華奢な少女に注目が集まった。紺色のオーガンジーの布を重ねたクラシックなデザインのワンピースに身を包んだ少女は、老いた養父に手を預けその楚々とした衣装に見合ったしとやかな身のこなしでステップから降り立った。しかし白い肌に映えるワンピースも、艶やかに梳られた髪も何もかも――眉間にくっきり刻まれた皺が台無しにしている。少女はこの世の果ての虚無の沼で着衣水泳訓練を強要されたかのような仏頂面をしている。
「そろそろ機嫌を直してくれんかのう」
斉木老人が小さくため息をついた。
できるだけユミルの近くにいたいからロボット搬出口に控える、そうサクラは言い張ったが斉木老人からもユミル自身からも反対されたのだ。バトル会場の観覧席にいるよう説得されてサクラはむくれている。
「ワンピースよりつなぎの方が楽なんですけど」
「さくちゃん、そうつんけんしないの。よく似合ってるじゃん」
メイド服やトレーニング用のシャツ姿でなくダークカラーのスーツに身を包んだミミは大人っぽく見える。しかし中身は普段のままだ。
「言葉に気をつけなさい」
今回は内藤もついてきている。こちらもメイド服でなくスーツ姿だ。例のマキシ丈のプリーツスカートをはいている。やはり袴のようで雄々しい。
内藤の注意に対しミミはしぶしぶといった態で
「はーい」
と横着な返事をした。しかしすぐにきりりと表情を改めてモノクルタイプのバイザーに触れた。内藤に目くばせする。うなずき返した内藤が鋭い目つきをやわらげ斉木老人とサクラに語りかけた。
「旦那様。お嬢様。トーナメントの対戦表が発表されました」
「うむ、そうかえ。――おお、マダムがお呼びじゃ」
ほんの少し、ためらう様子を見せ斉木老人は内藤を見上げた。
「お前さん、むすめのそばに残るかえ?」
「いいえ。――是非旦那様のお供を」
内藤は二台目のトレーラーから姿を現したユミルに目を遣った。威圧感のある内藤よりさらに大きい人型兵器の出現に周囲がどよめいた。
「対戦表を見る限りバトルまでずいぶんあるようですし。――零号、ミミさんといっしょにお嬢様をお守りするように」
「言われるまでもありません」
じりじりとサクラとの距離を詰めていた人とロボットの輪が、ユミルの出現で少し遠のいた。
* * *
まるで武士のように厳つい秘書を従えた斉木老人を、青い瞳の老女が笑みを浮かべて出迎えた。頬と頬を合わせ挨拶を交わす。
「トーナメントの件、日本の警察やお役所にサイキが筋を通してくれてとっても助かったわ」
「お安いご用ですじゃ。――ただあの狼藉者をクラブから追い出せなかったのが」
「ああ、彼ね」
和やかな表情から一転、冷ややかな色に変じた青い瞳が向けられた先、灌木の木陰にしつらえられたタープがあった。そこには数人の女性に囲まれる中年男の姿があった。男は嵐の夜にユミルにバトルで負けた鎧ロボットのオーナーで新進機甲殻メーカーの経営者だ。
「彼からお嬢さんを譲ってほしいと要請があったんじゃなかったの?」
「そんな話もありましたな。馬鹿馬鹿しい」
斉木老人の表情が険しくなった。背後に立つ内藤からそっと
「旦那様。何かお飲みになりますか」
と声がかかり斉木老人の表情がふ、と元の飄々としたものに戻る。うなずく老人の意を受けて給仕バイオロイドを呼ぶ内藤を見遣り、老女が微笑む。
「あいかわらず優秀ね。あの彼女もあなたが見出し育てなければああはなってなかったわけでしょう?」
にこやかな表情を浮かべる給仕バイオロイドからグラスを受け取り、老女は琥珀色の酒を一口含んだ。
「階層関わらず教育の機会が与えられる――かつてこの国が到達した平等が大国に従属しなければ実現できなかったなんて。大国の傘から出てしまえば教育が富裕層が受け継ぐ既得権益になってしまうなんて。それで階層が固定されてあんな代々金持ちというだけの男がのさばるのね。腐ってるわ、この国」
「マダムは我が国の事情にお詳しい」
「あら、失礼。あなたの国の悪口を言っちゃったわ。でも私、この国にとても興味があるのよ? マキナフィニティを二人――いいえ、三人も輩出した国は日本だけだもの」
斉木老人が苦笑するのに気づき、老女は肩を竦めた。おどけた仕草だが目が笑っていない。
「クラブのトップにあの狼藉者の親族がいるのよ。どうしても今回だけは、なんて言うから恩を着せてやったわ」
「それはまた――おそろしい」
ふふふ、ふふ。給仕バイオロイドが他の客のもとへ向かうのを確かめ、老いた男女が微笑み合う。
「――で、どうなのかしら。例の件」
「優秀な我がむすめをもってしてもコアを修理することはかないませなんだ。つまり――」
「零号のコアも機甲殻も戦時中のまま、あの楔が刺さったままということね。結構。お嬢さん、コアを暴いてくれるかしら」
薔薇色に塗られた老女の唇が弧を描く。青い瞳に曰く言いがたい光が宿る。
「これだけアライブズ=テクノロジー社製品が身近にあふれているというのにコアがどんな仕組みで動いているか、我々人類は知らない。ねえ、サイキ。――僕だと思っていたもの正体が訳の分からないもので、その上それらにマウントポジションを取られてしまうのって屈辱だと思わない?」
グラスの酒を再び口にしてほう、と熱くため息をついた。
「コアの仕組みを解明しろなんて贅沢はもう言わない。壊してくれるだけでいいの。そうなればあの連中だって沈黙を守っていられないわ。きっと動きを見せるに違いない、あんなにこだわっている契約を反故にして――」
老女の青い目がひた、と遠くを見つめる。熱に浮かされたような目つきだ。
「コアを壊してくれればきっと」
視線の先にいるのは紺色の清楚なワンピースに身を包んだ仏頂面の少女と、無骨で大きい人型兵器だった。
* * *