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Ymir  作者: まふおかもづる
第四章  巨人と巫女

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 髪にブラシをかけながらふと手を止める。サクラは身体をよじり、うなじを鏡に映した。一晩経って痛みと腫れはずいぶん治まった。ユミルがうなじに刻んだ連結回路はさして大きくないがやはり気になる。


「目立つかな」


 まだうっすらと熱を持つそこに恐る恐る指先で触れてみた。ひりりと痛む。慌てて指を肌から離したサクラの口もとに満足げな笑みが浮かんだ。



 相変わらず機嫌の悪い斉木老人が、朝食の席に姿を現したサクラを見て目を丸くした。


「はて。雰囲気が変わったのう」

「わたくしには特にお変わりないように見えますが」


 内藤が頭をぐ、と傾ける。レースの付いたヘッドドレス型のバイザーが今日も似合わない。しかしクラシカルメイド姿の内藤には独特の愛嬌がある。微笑みかけながらサクラも首をかしげた。


「特に何も変化は。――ああ、そうだ。懸案事項に進展がありました」


 斉木老人がうなずいた。


「そうかそうか。それはよかったのう」

「根本的な解決にはなりませんが、一時的な改良が期待できます。トーナメント開始までの残り期間をテストと調整にあてようと思っています」

「うむ。無理のないようにな」

「はい。――あの、内藤さんにお願いが」


 斉木老人に紅茶を給仕した中腰の姿勢のまま内藤が目をぱちくりしている。



 まだ早朝だというのに日差しがぎらぎらときつい。遠くの木立で蝉がしゃんしゃんと賑やかに鳴き交わしている。まだまだ暑さが厳しい。

 朝食の席でサクラが内藤に依頼したのは


「動作確認のためにユミルの戦闘訓練の相手をしてほしい」


 というものであった。斉木老人は「お前さんならば適任じゃな」と委ねて食堂を後にしたが、内藤は腕組みをして考えこんだ。


 内藤の案内でサクラとユミルが向かったのは斉木屋敷と農園との境にある道場だった。


「こちらでメイド研修を行っております」


 メイド研修。これが。サクラは口をあんぐりと開けた。驚きのあまり顔に力が入らない。


「きええええええいッ」

「はあああああッ」


 メイド研修というくらいだから立派なメイドさんになるための勉強をしているんじゃなかったのか。メイドさんのお仕事と言えばお掃除お料理お裁縫、家事全般じゃないのか。


「気を抜くなああああッ」

「はいッ」

「もう一本んんッ」

「お願いしますッ」


 かん、かんかんかん! かかん!

 道場で身の丈を超える長い棒を振り回しているのはミミと見知らぬ中年女性だ。


「あの……メイドさんの研修とお聞きしていたんですが」

「メイド研修です」


 稽古がひと段落したらしい。汗を拭きながら中年女性の話を真剣に聴いているミミを離れた場所から眺めながらサクラは内藤に耳打ちした。内藤はきりりと顎を引き、重々しく答える。


「戦うメイドです」

「戦うメイドさんですか」

「はい。他に杖術や体術、必要に応じ火器操作も修得します」

「お料理やお掃除やお裁縫とかでなく?」

「家事全般をこなすのは当たり前です」


 内藤は不敵な笑みを浮かべた。迫力満点で悪人めいた笑みだ。


「当たり前のことを当たり前にこなすだけではいけません。弊社は他社との差別化を図るために要人警護が可能なメイドの派遣サービスを提供しております。そのために資質ある者にはあのように戦闘スキルの修得をすすめております」


 サクラに気づいたミミが小さく手を振り、師匠らしき女性に叱られている。


「零号は対人兵器だと聞いています。戦闘のレベルやモードの切り替えができますか」


 内藤の問いにサクラはうなずいた。


「ええ、可能です」

「それでは戦闘訓練を――ミミさんと」


 ミミが自分の顔を指さして首をかしげた。



 あまり前に出過ぎないように、何度も内藤に注意されたがつい身を乗り出してしまう。うなじに刻まれた連結回路が離れすぎるとうまく機能しないのではないか、サクラは心配で仕方ない。道場の中央ではユミルがミミと向かい合っていた。


「りんごちゃん、あんたと勝負したいと思ってた」

「自分は訓練モードで臨みますので勝負というには少々――」

「っかあーーっ、腹立つ! あたしじゃ勝負にならないって言うわけ?」

「所詮腐れ豚子さん相手ですから」


 ミミはずびし、とユミルに指を突きつけた。


「だっれが腐れ豚だこのぽんこつが! 泣かす! りんごちゃん、ぎったぎたにして泣かす!」

「自分はロボットですので泣きません。そんなことも分からないとは。腐れ豚子さん、哀れです」


 そのまま殴り合いになだれ込みかねないふたりを師匠が止め、試合形式の戦闘訓練が始まった。



――コネクトオン。


 接続と同時に世界が変わった。

 うなじに刻んだ連結回路がずくり、と疼く。目の前に広がる道場の眺め、隣に立つ内藤の静かなたたずまい、建物の外から聞こえる蝉しぐれ、額や鼻先に滲む汗――そんなサクラ自身の五感に加え、別の感覚の層が重なっている。

 審判を務めるミミの師匠が開始の合図とともに身を引き、道場の中央でユミルとミミが対峙した。身の丈を超える長い棒を構えるミミに対しユミルは素手だ。ユミルの頭部に五回棒をヒットさせればミミの勝ち、頭部への打撃を回避し続けて十分間防御に成功すればユミルの勝ち、というルールになっている。いったん棒の間合いの外へ出たミミが距離と構えを保ち、横へ滑るように移動する。道場中央に残るユミルはやや腰を落とし、相手に合わせて向きを変えた。

 腰を少し落としたり、向きを変えたり。視界が一部動き機甲殻のエネルギーの流れが変化する。それを体内、脳内でどう処理するか、信号を受け取り捌くサクラの感覚が追いつかない。

 動作の確認は何度もした。激しく動くテストも行った。しかし訓練とはいえ戦うというのはこんなにも感覚が違うものなのか。

 サクラの視界、離れたところで対峙するユミルとミミの姿と、ユミルの視点でとらえるミミの姿は同じようでいてまったく違う。対象との距離、像を結ぶ角度から導き出される対象の大きさ、体温、鼓動、呼吸、身体の動き。情報として入力された値が視野に出力される。そして驚いたことにユミルはデータとして入力されない部分で攻撃対象であるミミの緊張の高まりを感じとっている。


――アライブズっていったい何なんだろう。ユミルが特別なロボットなの? それとも……。


 ぐい、と感覚を掴まれる。サクラの心の中で形をとり始めた憶測が霧散した。

 緊張がピークに達した。ミミの身体のどこか、見えない部分がぎゅうっ、と縮こまるのを感じる。同時にミミが道場の床を蹴り、ユミルが大きく一歩踏み込み両者が一気に間合いを詰めた。


――いけない。感覚を持って行かれる。


 そう感じたのと同時にサクラの視界がぐんにゃりと曲がった。気が遠くなる。――が、大きな音でかろうじて意識が引き戻された。

 がん、がん、ががんがん、がん! ルールで定められた打撃数を明らかに超えている。


「一、二、三、四いいいいいの、――五! あたしの勝ちいいい!」


 高らかにミミが宣言した。ユミルは片脚を前に踏み出して中途半端に腰を落とし、これまた中途半端に腕を前に伸ばした格好で固まっている。コントロールを握ったままサクラが意識を手放しかけたため、ユミルは動けなくなったのだ。


「ユミル。ごめん」

「かまいません。――差し支えなければもう一度試したいのですが」


 ユミルが姿勢を元に戻すとミミが得意げに胸を張った。


「へっへーん、あたしに負けたのが悔しいんだ、りんごちゃん」

「誰がりんごちゃんですかこの腐れ豚が」


 むむむむむ。見下ろすユミルと睨み上げるミミが交わす視線に火花が散ったような錯覚にサクラは陥った。じゃあもう一度、とふたりは道場の中央で向き合った。


 一度目よりも二度目、さらに三度目、試合形式の戦闘訓練を重ねるごとにユミルの動きは滑らかになっていった。それでもミミの速さについていけない。


「お嬢様。ご覧になっていただけですのになぜこんなにお疲れに――」


 内藤が眉尻を下げ困惑している。一時間強の戦闘訓練後、へなへなとへたりこんだのはミミでもユミルでもなく、サクラだった。



 自分自身をバイパスにするというのはサクラの想像以上に負担が大きかった。訓練とはいえ、実際の戦闘となると単に身体を動かすのと違い、機甲殻を行き来する信号の数もエネルギーの量も段違いに多く、速い。


――早く制御できるようにならなくちゃ。


 焦りをいったん横に置いてしまうと機甲殻の内部を直に感じることはサクラに大きな喜びをもたらした。コアが発する信号やエネルギーが機甲殻をめぐる。機甲殻の感覚機能が外部の様子を信号化してコアへ送り返す。駆動部分にエネルギーがいきわたり、収縮と弛緩を繰り返す。コアと機甲殻を行き来する信号やエネルギーは光、オラクル(神託)のようだ。


――私の役割はオラクルを受け取る巫女というところかな。


 インとアウトがひとつの連結肢で縛られるボトルネックで停滞する光を掬いあげ道筋をつくり整える。難しいけれど、必ずやってみせる。サクラは寝食を忘れてシステムの構築に没頭した。

 機甲殻の制御を身体の感覚に結び付けるという作業は複雑だった。初めのうちサクラは道路や川でインフラを構築したり交通整理したりするイメージを抱いていたが、どうもしっくりこない。様式というのは意外に重要だ。ふと思いついて楽器やVRオーディオ・ワークステーションなどの脳波を利用して作曲、演奏するシステムを参考にすることで一気にインターフェイスの構築が進んだ。

 ユミルもサクラも互いの感覚を開き共有することに少しずつ慣れてきた。インターフェイスの構築と同時進行で戦闘訓練も行った。初めのうちはミミと、そして数日後には内藤とも訓練できるようになった。


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