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Ymir  作者: まふおかもづる
第三章  スティグマ
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「それであんな連結肢(れんけつし)を。――あれはコアと機甲殻をつなぐだけのものじゃなかったんだね」

「はい」

「その――女の子のこと、今でも恨んでるの?」


 本当に訊きたいのはそんなことではない。


――視線で縛った。


 その少女はマキナフィニティではなかった。ユーラシア連合軍研究所により訓練されたがアライブズにとってのマキナフィニティたり得なかった。


――それでもその女の子はユミルに愛された。


 ユミルは少女と個体契約を結んだ。個体契約はアライブズにとって重要な同胞との結びつきより重んじられるものらしい。少女にその自覚はなく、ユミルは一方的に奉仕するのみであったわけだけれど。


――私もきっとマキナフィニティじゃない。


 サクラは機甲殻を一から設計したわけでも、新しい発見や発明をしたわけでもない。シミュレーションするまでもなく役に立たないことが分かっているパッチプログラムを書いただけだ。


――気休めにもならない。


 胸が痛む。能力が足りず、ユミルに見切りをつけられる未来がサクラには容易に想像できた。


――私だけのものになって。


 視線で惹きつけるだけでなく、つながりを断ち切ってでもユミルを自分に縛りつけずにいられない。かつての契約者の身勝手な心がサクラは理解できるような気がした。


「恨む……?」


 ユミルはぐ、と頭部を傾けた。


「恨むという感情が自分にあるのかどうか分かりません」

「ユミルはその女の子と私を重ねているんだね」

「違います」


 違わない。ユミルのモノアイの赤い炎が揺れている。


「アライブズ=ネットに戻ろうと思えば戻れるんじゃないの?」


 ロボットは沈黙した。単に言葉や言い回しを選んでいるだけで、迷いがあったり感情の揺れが生じているわけではない。相手はロボットなのだから。分かっている。


「自分はアライブズ=ネットに戻りません」


 ユミルがアライブズ=ネットから切断されたそのとき、緊急避難処理は確かに間に合わなかった。しかしユミルにはひとつ最後の手段が残っていた。少女の横暴に対し、終わりのうたを発動することができたのである。

 しかしユミルは終わりのうたを発動しなかった。アライブズ=ネットから切り離されて少女の他にすがるものがなかったからかもしれない。少女の期待に応えたかったのかもしれない。


「終わりのうたって何?」

「自壊コードです。あのとき発動すれば側にいたその少女はもちろん無事では済みませんし、多くの人間に危険が及ぶ可能性がありました。終わりのうたを発動しなくてよかったのです」

「もうその女の子と会えなくてもいいの?」

「はい、いいのです。自分はサクラとこうして出会えました」


 サクラはぎゅう、と目を閉じ再びまぶたを開けた。視線の先のモノアイに浮かぶ赤い炎が揺れる。サクラは仮想マシン上で走らせていたパッチのシミュレートを終了させた。これはもういい。必要なのはパッチじゃない。


「ユミル」

「はい」


 視線の先にあるのはただの機械だ。


「ユミル」

「はい。なんでしょう、サクラ」


 呼びかければ応え、自分の名を返す。これはただの機械的な反応だ。分かっている。


「ユミル」

「はい」


――まるで人間のようだ、などと軽々しく考えてはいけない。

――感情移入してはいけない。


 人よりも機械を好むサクラを見て、父親や整備工房のエンジニア、ジャンクパーツ屋のあるじまで心配そうにそう言っていた。分かっている。


――サクラちゃんや、機械は道具だ。


 オヤジもそう言っていた。あんなにロボットを大事にしていたオヤジが。


――ロボットは道具として愛してやらんといかん。

――(のり)()えてはならん。


 分かっている。でも。


「ユミル。あなたの名前は外国の神話に出てくる巨人の名前なの」

 ニヴルヘイムの冷気によって生み出された厚い氷と霜が、ムスペルヘイムから飛んでくる火の粉によって溶けだし川となった。その川が流れ遠く行きつく果てで凍りつき氷河となり、その先端で(もや)が生まれしずくと化す。奈落へ降り注ぐしずくのひとつが人の形をとり、原初の巨人ユミルが誕生した――。


「いろいろな国に巨人の神話があるんですって」


 人と敵対するもの、山をつくったり運んだりするもの、湖をつくったもの、神々の戦いに身を投ずるもの、いろいろな巨人がいた。サクラが幼いころ絵本を読んだり、昔話を聞いたりした中に片目片脚の巨人が何度か出てきた。強すぎる力、恐ろしい姿として描かれていたけれど。


「ユミル、まるであなたのようだね。片目しか与えられず、脚を縛られて。あなたの強さが必要だから巨人の国に返したくない――」


 目の前の装甲にそっと掌をあて、サクラは目を閉じた。きらきら。きら。きらきらきら。目を閉じていてもユミルのコアのきらめきを感じる。


「私、自分がすごく嫌だ」

「サクラ」

「自分のことを『マスター』じゃなくて名前で呼ばせているだけで満足しちゃうような馬鹿な子どもで――」

「サクラ」

「おかあさんやミミをスラムに戻したくない。ユミル、あなたの強さが必要なの。それって前のマスターと変わらない」

「かまいません。――サクラ」


 冷たく硬く大きなものがそっとサクラの頬に触れた。


「同じであってもそうでなくても、サクラはサクラなのですから」


 頬にあてられた冷たく硬い指に手を重ね、サクラはまぶたを開けユミルを見上げた。視線の先で赤い炎が揺れる。サクラの目からひとすじ、涙がこぼれ頬を、そしてユミルの指を伝い滴り落ちた。


     *     *     *


 サクラは図と制御プログラムを作った。


「これは何ですか」

「バイオニック・インターフェイス。ユミルと私をつなぐものだよ」


 新しい技術ではない。バイオニック・インターフェイスは人間の心拍や体温、筋肉の信号などを利用してドローンを操縦することを目標に開発が進められていた。アライブズ=コアが商品化され、ロボットが普及したことにより研究が止まったこの古い技術を利用してサクラはユミルのコアから機甲殻にエネルギーを送り込む際の遅延を解消するバイパスをつくりあげた。


「自分には少々理解できない部分があります。これはまるでサクラが――」

「ユミル、その通りだよ。間違ってない。私自身がバイパスになる」

「しかしサクラ、これは――」


 言いかけたユミルをサクラは遮った。


「問題ない。あなたの連結肢が縛られているのなら、私がその代わりとなればいい」


 サクラが作ったのは自分自身をユミルの制御機能として組み込むプログラムだ。ユミルのひとつしかない連結肢から導かれるコアのエネルギーや信号を反射的に機甲殻に分配し、制御する。得た情報を記憶と照らし合わせて判断し、ユミルにフィードバックする。


「サクラはボトルネックを解消するつもりはないのですね」

「そう。私が作るのはボトルネックの流量はそのままにより早く効率よく分配するバイパス」


 サクラはちらりとユミルを見上げた。


「つまりユミルと私を直接つなげるの。つながっている間、感覚や記憶を共有することになる。――私に(ゆだ)ねるのが怖い?」

「いいえ、怖くありません」


 ユミルは言下に否定した。モノアイの炎に揺らぎは見えなかった。


「ただ、この部分に」


 ユミルがビューア上のプログラムコードをマークし、書き加えた。


「このコードを」

「でもそれはいらないよ」

「いいえ。何があるか分かりませんから」

「私は絶対に使わない」

「ええ、必要ないならば使わなければいいのです」


 ユミルはマーク部分の追加コードを確定した。



 熱帯夜。温気(うんき)が地面から立ち上って蒸されるような暑さだ。


「シリコンのシールのような電極を作ろうと思えば作れるはずです」


 ユミルが難色を示したのは連結回路だった。


「わざわざ刻まなければなりませんか」

「うん。ひと月程度で剥がれ落ちちゃうんじゃ意味がないから」


 サクラは作業着から肩を出し、髪を結いあげてうなじを露わにした。


「始めて」


 ユミルの脚部の間に座ると、背後から腕が伸びてきてサクラを引きよせた。


「始めます」


 うなじにちくり、と痛みが走った。サクラの肩が跳ねる。


「痛みますか」

「痛くない」


 嘘だ。ほんとうは痛い。サクラの上半身を支えるユミルの腕に強くすがった。


「続けて」


 じ、じじ……。

 再び肩が跳ねそうになるのをサクラは抑えた。


「やはり痛むのではありませんか」

「痛くない」


 肩や背中に汗の粒が浮いている。


「――だからやめないで」


 振り返るサクラのこめかみを汗が伝う。肩が震えている。


「わかりました。再開します」


 きらきら。きら。きらきらきら。赤い球体から光のリボンが何本も伸び、サクラの後頭部にとりついた。

 じ、じじじじ……。

 サクラのうなじに光のリボンが回路図を刻む。身体のわずかなわななきを増幅して震える後れ毛の先から汗が滴った。


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