六
次のバトルまで二週間のうち一日があっという間に暮れた。屋敷へ戻ると斉木老人は相変わらず忙しく外出しており、ミミはと言うと屋敷のお仕着せ、いつものメイド服に身を包んでサクラの前に現れたものの、精彩を欠いていた。太もも半分を覆うはずのオーバーニーソックスがずれて緩んでいる。
「どうしたの」
「それがその」
着替えを手伝うというのを断り、サクラはミミを椅子に座らせた。
「筋肉痛。体力つけろって言われた……」
トレーニングか何かやらされたらしい。ミミはぐんにゃりとテーブルに顔を伏せた。
「今夜はもういいからさ、休みなよ」
「でも……」
「いいのいいの、だいじょぶ。今夜は私も早じまいするよ。ガレージで寝るし」
「んなっ、さくちゃん徹夜する気?」
がばっ、とミミは身体を起こした。
「徹夜ダメ、ゼッタイ。美肌の敵」
「おおげさだなあ。メカニックに美肌もへったくれもないよ。徹夜なんてしないし。それに――」
窓の外へサクラは目を向けた。視線の先にガレージがある。
「朝、会ったきりだし」
「やだな、さくちゃん。りんごちゃんは彼氏じゃないんだから」
「そりゃそうだ」
親友がサクラを気遣わしげに見ている。
* * *
この夜も暑かった。ガレージに着いてつなぎの作業着を脱ごうとするサクラをユミルは制した。
「作業着を脱がないでください」
「なんで?」
ユミルはしばしの沈黙ののち、言葉を発した。
「暑いですか」
「暑いよ」
「しかしその作業着を脱ぐとサクラが身につけているものは下着のみになります」
「下着じゃないよ」
これだけ暑いから確かに薄着だ。しかしキャミソールにホットパンツは亜熱帯化した関東平野で下着とは言えない。サクラはむくれた。
「ユミル、内藤さんみたい」
「心頭滅却すれば火もまた――」
「涼しくなったりしない。それそれ。『心頭滅却すれば火もまた涼し』とかって内藤さんがよく言う。でも暑いものは暑いよ。ユミル、サーモグラフィで見れば分かるでしょ?」
きらきら。きらきらきら。ユミルが沈黙した。センサーで身体の表面を走査されているのかと思うと少し気恥かしいような、くすぐったいような気持ちになる。
「確かにいくぶん体温が高めのようです。性別年齢身長はともかく体重及び体脂肪率に差異があって、暑さを感じる気温なのかデータを集めなければ自分には判断が――」
「ユミル。私を」
サクラは首をかしげた。
「誰と比べているの?」
きらきらきらきら。ユミルは再び沈黙した。夜の暑気がねっとりと気道を塞ぐ。息詰まるひとときの後、ユミルがふと頭部を動かした。
「作業着、脱ぎたいですか」
「まあね、暑いから」
「分かりました。行ってきます」
「どこへ」
ガレージのシャッターへ向かうユミルの後ろ姿へサクラは問いかけた。
「バグを排除しに。――作業着は着たまま、ここで待っていてください」
バグ。バグって何だ。虫か。虫ってまさか――。ジッパーを下ろしかけていた作業着の前を握り、サクラはうなずいた。
じゃーっ、とシャッターを開けてユミルの巨体が外へ出た。ゆっくりと身を起こし、丸い頭部をゆっくりと巡らせて周囲を睥睨する。頭部に浮かび上がる赤く丸い火の玉が何かをとらえた。じゃーっ、と再びシャッターが閉じ、ガレージの周りをユミルがのしのし歩いている音が聞こえる。じりじりとただ待つ時間は遅々として進まない。いらいらと待ちに待ってようやくガレージのシャッターが開いた。
「ど、ど、どうだった?」
外から戻ってきたユミルが頭部をぐ、と動かし首をかしげる。
「どう、とは?」
「――ば、バグ、どうなったの?」
「排除しました」
「は、排除……! 手で? それとも足?」
「手で排除しました」
「洗ってええええ、手、洗ってええええええ」
きらきら。きらきらきら。ユミルは再度屋外へ出てしゃがみ、水道を使った。
「洗いました。もう作業着を脱いでもかまいませんよ」
もぞもぞと脱ぎながらサクラは尋ねた。
「バグ、どうやって退治したの?」
「手で掴みます」
うひゃあ。サクラの口から嘆声が漏れた。
「そして説得します」
「説得? バグを?」
バグというのは虫でこの場合ゴキブリを指すんじゃないのか。ロボットはゴキブリと意思の疎通が可能なのか。サクラは混乱した。
「どうやって?」
「説得ですから。もうこんなことをするな、ここに来るなと言い聞かせます」
「それで?」
「投げます」
「投げる? バグを?」
「はい。遠くへ」
「戻ってくるんじゃないの?」
「すぐには――でも、ええ、戻ってきます。困ったものです」
説得できていないんじゃないか。そもそも相手はゴキブリなんだし。サクラが首をかしげると、ユミルも同じ角度に頭部を傾けた。