二
温気が蒸し蒸しと辺りに重苦しくたちこめるような曇天。再戦の日がやってきた。移動車両がガレージまでやってくるまでの間、サクラはユミルに語りかけた。
「ごめん、ユミル。改良する時間がなかった」
「かまいません」
「対戦相手のスペックも入手してない」
「かまいません」
「ユミルがまた壊れちゃったら――」
ゆっくりと巨体をかがめ、ユミルが膝をついた。
「サクラ。かまいません」
そして静かに片手を胸部にあてた。
「機甲殻が壊れてもかまわない」
「でも私――」
「サクラが必ずまた隣りに立てるようにしてくれる。違いますか」
感情の高ぶりのない平坦な声だ。見上げる先にあるモノアイの赤い光は揺らがない。未熟なメカニックである自分に全幅の信頼を寄せてくれているみたい。サクラの心が奮い立った。
「違わない。任せて」
やがて移動車両がやってきた。
* * *
丁寧に刈り込まれた芝生。なだらかな起伏。斉木老人に連れられて向かった先は初めてユミルと出会ったあのイベント会場だった。日が傾き始めた午後遅めの時刻、到着するやすぐにバトルが行われた建物に案内された。前回と同じ部屋かどうか分からないが、よく似た応接室のような場所だった。厚い紺色のカーテンのかかった大きな窓がある。その窓にカウンターのようなテーブルがついている。斉木は近くからスツールを二脚引き寄せ、ひとつをサクラに勧めた。今回はあらかじめ自分のヘッドセットを使っていいと聞かされている。サクラがビューアを起動していると、目の前のカーテンが左右に開いた。
ず……ん。
ビューアと窓越しのほの暗いフィールドに目が慣れる前に衝撃が伝わってきた。もう戦闘が始まっているのか、と身構えるサクラを隣に座る斉木老人がなだめた。
「慌てるでない。まだ前のバトルが終わっとらんようじゃの。零号の出番は次じゃ」
ほっと胸をなでおろし落ち着いたところでようやくサクラに辺りを見まわす余裕ができた。薄暗いフィールドは頼りないスポットライトに照らされていて、視線を下げると灰色の床が見える。窓がぐるりと殺風景なフィールドを囲んでいる。前回と異なり今回はほとんどの部屋のカーテンが開いている。ヘッドセットを装着した人々がフィールドで戦う二体のロボットを眺めていた。
やはりドローン・バトルとはまるで違う。目の前のフィールドで戦う二体の人型ロボットにはふんだんに金がかけられている。
まず、塗装。機能と関係ない部分だからバトルに出るドローンは金属がむき出しになっていたが、目の前で組んず解れつ格闘する二体は機甲殻も、持っている武器も剥げかけているとはいえデコラティブでカラフルだ。どピンクはともかく、ミミの提案もあながち見当違いではなかったわけか。
次にサイズ。ドローンはせいぜい少し大きめの犬程度のサイズだったが、ロボットは大きい。見た目を人間に近くしたバイオロイドであっても長身巨漢レベルの体躯がほとんど、目の前の金属製のボディをしたロボットは二メートル乃至三メートル程度の大きさに見える。
ず、ず……ん。
鈍く伝わってくる振動。バトルフィールドを囲むこの席はVIP専用なのか、着飾った人々が身を乗り出しているのがぼんやりと窓に映っている。
「ああ、そうじゃった」
ゆったりと構えて試合を眺める斉木老人からサクラのビューアへメッセージが届いた。中身は招待状だった。
「そのインビテーションカードがクラブへのリンクになっておる。開けてみなさい」
言われるままビューア上の招待状に触れる。すると映像とテキストが奔流となって眼前を覆い尽くした。実況音声も流れてくる。
「いよいよ制限時間が近づいてきた! しかし両者ともに一歩も譲らない。実力は拮抗しているッ!」
ビューア上で公開されているのは目の前で行われているロボットのバトルだった。画面隅にロボットのサムネイルと名前、数字がいくつか並んでいる。数字は一部を除き刻一刻と変わっていく。おんおんおん、と速いテンポでリズムを刻むBGMが流れ、画面サイドに「行け」「潰せ」「今の一撃は惜しかった」など、オーディエンスのコメントが滝のように流れていく。高く低く、人々の歓声も聞こえてくる。斉木老人が隣りから声をかけてきた。
「バトルライブはクラブ会員限定サービスなのじゃ。このクラブで行われる試合は少々わけありでのう」
「――非合法賭博ですか」
「そんなところじゃ」
サクラはうつむいて唇を噛んだ。結局スラムの外に出てもやることは変わらない。
「会心の一撃、おおっ、決まったあああッ!」
槍を真っ二つに折られたロボットがフィールドの隅へ弾き飛ばされ動かなくなった。行動不能だ。興奮した実況のアナウンスが聞こえてきたがかまわずサクラはバイザーを毟り取り立ち上がった。
「――どこへ行くのかの」
「ユミルのところへ」
「――零号のことかえ? 何のために?」
何のためにって、とサクラが口を開く前に眼下の戸が滑るように開いた。
何かが出てくる。
腰を落とした大きなものが重々しく一歩、さらに一歩足を踏み出し、戸の向こうの空間からその姿を現した。オーバーホールを経て見慣れたシルエット。ユミルだ。丸い頭部をゆっくりと巡らせて周囲を睥睨する。頭部に浮かび上がる赤く丸い火の玉――モノアイがサクラをとらえた。互いに互いをじっと見つめる。塗り直したけれどやはり無骨な筺体に地味なカラーでは薄暗いフィールドで輝いているとは言い難い。しかしユミルは美しい。分厚い胴体にシンプルで古めかしいデザインの装甲。人を制圧するために作られた機甲殻。禍々しくそして、美しい。ユミルの頭部がぐ、と動き視線が逸れた。
そうだ。「任せて」と約束したんだった。いったんテーブルに置いたバイザーを手に取りサクラは腰を下ろした。
「――すみません。取り乱しました」
「うむ。――ちなみに対戦相手は前回と違っての」
反対側からロボットが出てきた。
現れたのはユミルと同じ金属装甲に覆われた人型ロボットだった。しかし雰囲気はずいぶん違う。赤、白、青と明るいカラーリングの鎧武者のような装甲。頭部には左右に上向きの角のような突起があり、金色に輝いている。左右に広く装飾的に配された肩当ても金色だ。そして武器もトリコロールで鎧と揃いのデザインになっている。金色のエンブレムのついた五角形の盾。薄暗いフィールドに映える青い蓄光塗料を塗られた剣が鎧ロボットの歩みに合わせて光の尾を引く。
「前回のバイオロイドは都合で出せないとかいう話じゃ。今回の相手は新進機甲殻メーカーのプロモーション用の機体でな。――おお、始まるようじゃ」
サクラは慌ててバイザーを装着しなおした。ビューアに戦闘開始のサインが表示される。同時に二体の機械が動き始めた。ユミルは左手に丸い盾を、右手に斧を握っている。サクラが用意したものではない。
「私、武器の用意もできませんでした」
「――ああ、持ち込みもできるんじゃがな、主催者の用意した武器を使えばいいからそこはあまり気にせんでよい。お前さんが機体の整備に集中したいようじゃったから敢えてバトルについてあれこれ教えなかったのじゃ。悪く思わんでおくれ。武器じゃがな、バトルルールがシンプルな分、厳密な規定があってのう。ああして相手のように自前の武器を持ち込む場合は事前に長々と検査をされる上に法外な持ち込み料を取られる。だいたいはただの棍棒のようなもんじゃからの、持ち込んだとてあまり得はない。あの剣は広告の一部なんじゃろうよ」
「非合法賭博なのに、企業がプロモーションのために出場するんですか」
「さして珍しくもないことじゃ。――おお、零号は人気がないのう」
ロボット・バトルはクラブ運営者を胴元とするギャンブルだ。ビューアのバトルライブ画面にはバトル前日の投票率が表示されている。投票そのものはバトル直前まで受け付けているので、最終的なオッズは観客に示されていない。バトル前に出場機体が変更になったが、オッズにはあまり影響がなかったようだ。先ほどの実力が拮抗していたバトルと違って画面サイドのコメントの流れも落ち着いている。
「前回が完敗じゃったからのう」
九割以上、つまるところほとんどのギャンブラーが相手の鎧ロボットに賭けている。
「零号に賭けているのはよほどの物好きじゃの」
斉木老人はほほ、と笑った。養父がどちらに賭けているのか、サクラには分からなかった。
それよりもバトルだ。
今のところ相手が押している。相手の装甲は暗がりの中でも映える。大きく振られる剣が青い燐光を放つ。抑えられた照明、ユミルのモノアイの赤い炎、フィールド内のわずかな光をすべて集め相手ロボットの装甲が輝いているように見える。デザインが神々しい。
「零号は大丈夫かの」
「問題ありません」
サクラはバトルライブ画面をビューアの隅に押しやった。ユミルの動きを録画している画面を引っ張り出す。反射的な防御、力の溜め、攻撃、動きの順番に問題はない。なのに、ひとつひとつの動作がほんの少し、ぎこちない。動作と動作の間に空白が生じている。それは前回と変わらない。
「相手もパワーファイターのようです。力は二体ともほぼ拮抗している。でも」
青い燐光を放つ剣が振り降ろされる。黄金の角が輝く。神々しい鎧のような相手の機甲殻を分析し、サクラはうなずいた。
「こちらが有利です」
パワー、スピードともにユミルのわずかな動きの淀みも含め、実力は拮抗している。それであればユミルのほうが有利だ。相手の機甲殻はユミルと同じ金属装甲の人型だが、見栄えの良さを重視したのか構造に問題がある。例えば頭部。本来は後頭部や首など頭部背面を守るためにある兜のしころと呼ばれる部分。これを模したのか、長い髪を表現したのか、頭部から肩に接するところまで余計なパーツがついている。兜のしころであれば首の動きを邪魔しない構造になっているが、相手の装甲はこの部分が板状で頭部の回転を妨げている。ロボットは眼にあたる部分に搭載されたカメラだけで情報を得ているわけではないが、動きが阻害されて確実にマイナス要因となる。しかし
――頭部を攻撃しても有効打にならない。
頭部は今回の相手の弱点にならない。もぎ取ったところで見た目がグロテスクになるだけで大したダメージにならない。それであればどこを狙うか。バトルのルールは単純だ。制限時間内で相手を行動不能にすれば勝ち。サクラはビューア上でアプリケーションを立ち上げ、相手ロボットを解析する。
――腰だ。
相手ロボットの構造上の弱点は下半身だ。すっきりとしたデザインを優先するために腰が高い位置にある。そして臀部が小さく脚が細い。
脚を狙い行動不能に陥れるのはロボット・バトルの基本戦略だ。基本中の基本だからこそスピードが拮抗する相手の場合、ダイレクトに脚を狙ってもガードされてしまう。そして同じ理由で後ろをとることもきっと出来ない。
だから狙うべきは脚部の少し上、腰だ。何度も打撃を加えて関節パーツを破壊すれば行動不能に陥れることができる。
――行け。
二体のロボットが前方にかざす盾と盾がぶつかり合い、火花が散る。
ぐ、ぐぐ。
薄暗いフィールドに二体の力がぶつかり、拮抗しているのが見える。ぱっと離れ、再びぶつかり合う。相手は剣を上から振り降ろし、ユミルはそれを盾で押し返す。
一閃。
銀色の光がひらめいた。ユミルの振るう斧の軌跡だ。
――そこだ。薙ぎ払え。
一閃。さらに一閃。
右上から体のひねりを利用して斧を振りぬく。そのままひねりの反動を利用して左下、盾の陰から斜め上に向かって薙ぎ払う。火花が散る。光を集める相手ロボットの装甲と違い、ユミルの機甲殻は闇に沈む。モノアイにともる赤い火の玉が機体の位置を示し、ぼんやりとシルエットを浮かびあがらせる。
――美しい。
斧がつくる光のひらめきがフラッシュのように躍動するユミルの体躯を照らし出す。サクラは解析を忘れ、窓の向こうで戦うロボットに見惚れた。オーディエンスも徐々に戦闘の流れをユミルが支配していることに気づき始めた。「どうなってるんだ」「ちゃんとやれ」バトル画面のコメント欄がテキストで埋まり、流れ始める。ユミルは相手ロボットの防御をかいくぐり、一撃、さらに一撃、腰と脚部の付け根を狙ってダメージを加えていく。
また盾と盾がぶつかり合い、火花が散る。両者が同時に後方へぱっと離れた。距離をとり、フィールド中央に向け駆ける。青い燐光と赤い炎が交差し絡まった。
ずず……ん。
相手ロボットが倒れた。脚部付け根の損傷で行動不能になっている。
「――なんということだ……! 圧倒的不利との下馬評を覆し零号が勝利しましたッ!」
興奮のあまり裏返るアナウンサーの実況音声も配当金を失ったオーディエンスの嘆声も耳に届かない。身を乗り出し、両手を握りしめるサクラの視線は炎のように赤く燃えるユミルのモノアイに一心に注がれている。
* * *
人々がひしめく上の階のロビーから階段を駆け下り、サクラは裏手のロボット搬出口へ向かった。バトル中に雨が降り出したようだ。昼間のねっとりとした暑気を洗い流すように大粒の雨が木々を、地面を叩く。
搬出口の庇の下、移動車両の到着を待つユミルを見つけサクラは駆け寄った。
「転ばないでください」
「そんなへましない。――損傷は」
「問題ありません」
斉木家の移動車両が到着した。きら、きらきら。ユミルのモノアイに光のパターンが浮かぶ。
「装甲に少々傷がつきましたが機甲殻内部に至る損傷はありません」
「よかった」
荷台に納まり固定されたユミルにカバーがかかった。雨の中、走り去る移動車両を見送るサクラの手がいきなり取られた。びくり、と身を竦める。やわらかく握られているだけなのに容赦ない拘束だ。サクラが恐る恐る振り返るとそこに銀髪を短く整えた老女が立っていた。
「濡れてしまうわ」
老女は青い目をやわらかく細め微笑むとサクラの手を引き裏手からロビーへ導いた。バトル後、屋外で立食パーティが催される予定だったのが雨に降られて場所が変更になったらしい。ロビーは上の階も下の階も人々でひしめいていた。縦長の窓があるロビーの隅に至り、老女は足を止めた。握ったままの手を顔の前に掲げる。
「あなた、メカニックなのね」
「あ……」
老女がじっと見つめていたのはサクラの手の爪だった。少し力を込めて手を引くと、老女はあっさりと解放した。念入りに落としたつもりだったがオイルの汚れが残っている。サクラは赤面しうつむいた。
「そんな目立ちはしないわ。――あなたがサイキの養女ね」
「養父をご存知ですか」
「ええ。――あら」
やわらかく細められた老女の目に怪訝な表情が浮かんだ、そう見えたのと同時にサクラのむき出しの二の腕に痛みが走った。
「痛――」
「お前、零号とかいうロボットのメカニックだってのは本当か」
振り向くとすぐそばに派手なスーツ、もっと派手なネクタイの男が立っていた。年の頃は四十いくかいかないか。目が血走っている。サクラが腕を引こうとすると掴んだ手にさらに力を込めた。男の身体から酒のにおいがする。
「ケネスシリーズにぎったぎたにされたぽんこつだから絶対に勝てると聞いたのに話が違うじゃないか」
「ぽんこつじゃありません」
「こっちはなあ、今回のバトルに社運を賭けてたんだよ」
男はぎりぎりとサクラの腕に爪を立てた。
「お嬢さんのお遊びなんぞとは違うんだよ」
「いいかげんになさいな」
いつの間に取りだしたのか、老女が男の目の際にペンのようなものを突きつけている。男がサクラの腕を離し一歩よろりと後ずさるのに合わせて老女もぐい、とペンを突きだす。
「やめろよババア――なんだアンタら」
男は屈強な黒服たちに囲まれ、後ろ手に拘束された。「何するんだ」「俺が誰だか分かってるのか」などと喚く男が連れ去られた。しばしロビーに沈黙が満ちたがすぐに元の喧騒が取って代わった。老女はペンをジャケットの内ポケットに戻すとサクラに微笑みかけた。先ほどの老人とも思えない身のこなし、鋭く剣呑な雰囲気が嘘のように和らいでいる。しかし、ノースリーブのワンピースから出たむき出しの腕に刻まれた男の手や爪の痕を見て眉根を寄せた。
「痛そう」
平気だとは言い難い。サクラは曖昧に微笑んだ。
「――ああ、ちょうどいいところに。サイキ」
「マダム。我が養女を保護してくださったか」
「申し訳ないわ。そばについていながら怪我を。――ごめんなさいね」
サクラは横に首を振り、俯いた。