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Ymir  作者: まふおかもづる
第三章  スティグマ

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 ミミとともにサクラは首をかしげている。


「いきなり動くようになったんだ」

「そうなの。夜中ここにきて、よじ登って寝て起きたらこうだった」

「さくちゃんのよだれに有効成分があったのかな、りんごちゃん」


 上半身を起こしたロボットの頭部が横にぶりぶりと振られる。


「よだれ垂らしてないし。この子ね、名前つけたの。ユミル」

「ゆみ……? かわいらしさって点ではゼロゴウよりマシだけどもさ、いいじゃんりんごちゃんで」


 ユミルがぶりぶりと首を横に振る。


「発話機能、つけてみようか」


 サクラがそうつぶやくと、買い物好きのミミが早速カタログをチェックし始める。部品調達の日数、組み込み作業、テストを含めた残り工程。なんとか間に合いそうだという結論に達した。腕の装甲に掌をあててサクラはユミルを見上げた。


「お話しできそうかな」


 きらきら。きら、きらきら。


「そうね、できるといいな」


 サクラが微笑む。

 ヘッドマウントディスプレイのビューアに展開される部品発注画面からミミは親友へ目をやった。


――さくちゃん、うれしそう。


 ミミには相変わらずサクラのいう「きらきら」は見えない。でも親友にそれが見えるのなら「きらきら」は実際にあるのだろう。発話機能などつけなくても親友とロボットの間にコミュニケーションが成立しているように見える。それでも発話機能で実際に言葉を交わせるようになればもっと、


――喜ぶんだろうな。


 そう思うと楽しくなる。もののはずみでちょっとお高いパーツを注文してさらに「迅速にお届け」オプションをつけちゃおう、その程度にミミの心も弾んでいる。


――あのじーさんの金なんだし、糸目つけなくていいって言ってたし。


 嬉しそうに振り向く親友にミミは微笑み返した。



     *     *     *



 朝食の席で斉木老人がどろどろとしたスープを(すく)う手を止め、口を開いた。


「例の日程だが」

「はい」

「五日後になるがよいかの」


 ユミルの再戦の件だ。嫌だとごねてどうにかなるわけでない。


「はい」


 うなずいてからサクラはほんの少し戸惑った。「嫌だとごねて」などと考えたりして、


――私はユミルを戦わせたくないんだろうか。


 その疑問は火加減のはっきりしないどろついたかき卵とともに腹の中へ落ちて行った。


「ところで、零号の仕上がり具合はどうだえ?」


 もぎ取られた脚部の修理とオーバーホールが終了したことをサクラが報告すると斉木老人はふむ、といったん言葉を飲みこむような様子を見せた。


「それだけ――かえ?」


 それだけ、とはなんだろう。サクラからわざわざ聞きとらずとも老養父は秘書の内藤を通じてすみずみまで把握しているはずだ。初戦時に目立った動きの淀みの改良についてだろうか。それとも報告の済んでいない発話機能ユニットのことだろうか。追加で発注したユニットが予算をオーバーしていただろうか。サクラが眉間に皺を寄せ首をかしげていると


「いや、よいのじゃ」


 老人は話を切り上げた。そしてサクラがサラダを平らげたのを見て少し表情を緩めた。



     *     *     *



 最奥ユニットと一号殻の連結肢の数が特殊であるだけではない。ユミルの機甲殻はところどころ効率を度外視した機構が組み込まれていた。


「りんごちゃんの機甲殻って変わってるね。本とかカタログとかに載ってるのと違う」

「うーん。軍隊で開発されたからというより量産されなかったプロトタイプ、だからかなあ」


 設計図にマークをつけ、改良計画を立てながらサクラは椅子をぐるりとまわし、ユミルを見上げた。


「発話ユニットと接続してみて」


 きらきら。モノアイの奥に光のパターンが浮かぶ。しばし待つ。


「音声テスト、開始」


 人生の錆がほどよくこびりついた中年男性風の声がユミルのボディから聞こえる。機甲殻に問題はないようだ。ミミが飛び上がって喜んだ。


「うっわー、りんごちゃん、シブい声!」


 ところが。


「何がりんごちゃんだ、黙れこの腐れ豚が」

「――え? ユミル、どうしちゃったの」

「イエス、マム! 当ボイスプログラムに組み込まれた言語セット『新兵教育担当下士官タイプ』に従って発言しております」


 凍りついていたミミがぎぎぎ、と振り返った。


「さくちゃん、これ何?」

「何って……ユミル、軍隊で作られた機甲殻ついてるし軍人さん風が似合うかなって」

「確かにりんごちゃんって軍隊っぽいけど」

「誰がりんごちゃんだこの腐れ豚野郎」

「ユミル、下品な言い方やめて」

「イエス、マム! 対象の呼称を『お腐れ豚野郎』に修正します」

「こら『お』つけりゃいいってもんじゃないよ、酸化剤のプールに漬けてやるから一度ぴっかぴかに錆落としてこいや」


 ぴきぴきと眉を吊り上げたミミが酸化剤のボトルを手に修羅と化した。

 発話ユニットに問題はない。ただ、「新兵教育担当下士官タイプ」声の音域に合わせてあり再調整に手間がかかるので言語セットだけ交換することにした。


「お嬢さん、あなたのレンチづかいはとても……素晴らしい。もっときつく締めて」

「うっわ、跪いちゃってる、M入っちゃってる」

「そこの腐れ豚子さんは黙ってボルトの酸洗いでもやっていればいい」

「誰が腐れ豚だって――」

「やめよう。ロマンス系言語セットは駄目みたい」


 ミミがボイスプログラムショップのサイトからダウンロードした言語セットのファイル名を見てサクラは首をかしげた。しかし、是非試したいという親友の要望に応えユミルにインストールする。


「――んもう、こんなに痩せちゃってこの娘ったらちゃんと食べてるのかしら。それからボルト緩めてもらえる? 窮屈で仕方ないわ」

「ミミ、違和感ないの、これで」

「おっさんのだみ声だからね、そりゃもう。でも『有閑マダム風味おかあさん』言語セットだったら下品なこと言わないでしょ」

「んまあ、おっさんですって、下品ですって! 腐れぶ――」

「誰が腐れ豚野郎だこのぽんこつが!」


 駄目だ駄目だ、と慌てながらボイスプログラムショップのサイトをうろうろさまようサクラの目にふと留まるものがあった。これなら機甲殻の調整も少しで済む。


「ふたりとも、喧嘩やめやめ。鬼教官の声を変えないとユミルがそっち方面学習しちゃいそうだからやっぱりボイスプログラムごと交換しちゃうね」


 鬼教官の声は錆が効きすぎている。ユミルにはもっとクールな声が合う。あれこれと悩んだサクラが選んだのはボイスプログラムの中でも熱狂的な少数派に愛されるレトロ音源だった。現在の発音や感情プログラムによって調整された自然な風合いの仕上がりでなく、ボイスプログラム開発黎明期の、人間の声を合成しただけの人工的な音源を復元したものがレトロ音源とカテゴライズされている。無機質で感情表現に乏しい平坦な声色の音源が多い。


――でもそんな声があの揺れる視線やきらきらと合うかな。


 ユミルはただの機械部品の塊じゃない。躍動する何かを内面に抱えている。サクラはそう感じている。だけどやんちゃな少年風、熱血タイプのお兄さん、優男、ダンディなおじさま、いずれも完全に合致しない。無理やりそのキャラクターに当てはめると大きな違和感が生まれそう、そんな気がする。

 鬼教官と音声パターンが比較的似通っている音域の男声レトロ音源をユミルにインストールし、サクラは微調整を施した。


「ユミル、もう一度テストしてみて」

「音声テスト、開始」


 サンプルと同じ、抑揚に乏しい平坦な声だ。しかし人工的であっても低く太く、穏やかなトーンが意外にこの機体に合っている。


「マスター」


 ユミルが呼び掛けた。サクラは首をかしげる。


「マスターって、私のこと?」

「そうです。当機体はマスターと主従契約を結んでいますから」

「うーん」


 サクラは腕組みをして眉根をぎゅぎゅ、と寄せた。


「なんか違う。それ、気に入らない」

「はい?」


 ユミルが頭部を少し動かした。ロボットも首をかしげたりするんだ。サクラは少しほほえましいような気持ちになったがすぐに切り替えた。


「主従契約はいや」

「契約の破棄を希望しますか」


 モノアイの炎がちらりと揺れる。


「そうじゃない。ユミルと対等な関係でありたい。上下でなく、隣に並ぶような関係を結びたいの。でも、具体的にそれを何と呼べばいいのか、私もまだ分からない。だから、とりあえず私のことは『マスター』じゃなくて別の――」

「分かりました。――ご主人様」


 ミミがぼそっと「ウケる。おっさんのエセ執事声で『ご主人様』ってウケる」とつぶやいたがサクラは聞こえなかったふりをした。


「ううん。名前で呼んでほしい。――いいかな」

「分かりました、サクラ」


 ユミルの返答に何の感情も載っていないと分かっている。それでも、名前を呼ばれることでサクラの心の奥深いところがあたたかくなる、そんな気がした。


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