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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第五章 <天の峻嶺>
99/245

番外7 <狂乱の日>

本作は若干時間をさかのぼり、本編42と43の間の話です。


なんか本編すっ飛ばして番外ばかり書いてる気がしてきました。これはエターの第一段階かもしれない。


まあでも、本編ではもうしばらくユウには雪に埋もれていてもらいます。

1.


「おっはよーっ!」


底抜けに明るい声が部屋に響き渡った時。

テイルザーンは試練がまだ終わっていないことを悟った。



 テイルザーンは優秀な<冒険者>である。

高校生の頃に友人に誘われて<エルダー・テイル>をはじめて10年以上、傍目から見ればゲーム中毒のような青春時代を送ってきた。

それでも彼が高校を卒業し、大学を卒業し、警察学校を出て制服を身にまとうことができたのは、

彼がぎりぎりのところで現実を優先したからだろう。

そして恋人ができ、結婚し、子供を授かって、そろそろ青春(ゲーム)と決別すべきか、と決めかけた時、

<大災害>に巻き込まれた。


その後のことは―いい思い出もあるが全体としては―思い出したくもない。

彼はあくまで趣味として<エルダー・テイル>を楽しんでいたのであって、異世界で勇者になりたいわけでも、豪傑になりたいわけでもなかったからだった。

だが今。

彼は目の前で明るい顔で微笑みかける女性から逃れるためならば、知らない世界で勇者になってもいいとすら感じていた。


「お、おはようさん、ユウはん……」

「なにー? 朝からテンション低いねー」

「あんたはんが高すぎるんや……というか酔いは醒めとらんのかい」

「私は正気だよ?」


何を言ってるの、といわんばかりにころころと笑う女<暗殺者>―セーターにパンツ姿の彼女がそんな物騒な職業だとも思えないが―を見て、テイルザーンは朝からどんよりとした頭痛が襲い掛かるのを感じていた。



 ◇


 事の発端は、彼と目の前の女性―ユウを含む何人かで、中部地方のとあるダンジョンに探索に出たことによる。

そこでもいろいろとあったが、問題はその後に起こった。

テイルザーン自身が少しギルド会館に顔を出していた間に、祝勝会をしていた居酒屋で出来上がったユウは悪酔いの挙句、共に飲んでいた友人たる坊主、バイカルの一撃によって昏倒した。

思えばその際、頭の何処かのネジが二、三本飛んだのだろう。

起き上がった彼女は名実ともに「女性」になってしまっていた。


そのまま夜明けまであちこちを練り歩き、アキバの大広場近くの高級宿の一室、即ちここで気絶するように眠りに着いたのがわずか数時間前。

テイルザーンのとなりでは、バイカルともう一人、夜明けまで付き合った<冒険者>、西武蔵坊レオ丸が眠っている。


「待て、ユウ、俺は決して稚児趣味では、というかお前は稚児ですら……」

「落ち着け、落ち着くんや、こういう時こそ煩悩を滅却して……」


追記する。

彼らはどうやら余程の悪夢を見ているらしい。

テイルザーンは溜息をついて、悪夢の主原因を見た。


「まだ寝足りんのと違うか? もう一寝入りしたら……」

「何言ってるのよ、せっかく、こんな、いい天気じゃない!」


ユウがばん、と窓を開ける。

そこには嫌になるほどの快晴が見えた。


「早速外にでなくちゃ! 何を着て行こっかなー」

「頼むから元に戻ってくれ……ホンマに」


苦労性の<武士>の溜息に答えたのは、坊主二人の苦しそうな呻きだけだった。


「た、頼む……そんな顔で俺を破戒の道へ誘わんでくれ……」

「色即是空空即是色……」

「……悪夢や」


冬のアキバのその朝の、気持ちよい天気とは真逆の澱んだ目で、テイルザーンは呟いた。



 ◇


 アキバは冬である。

町のそこかしこに立ち並ぶ巨樹には、葉を落とし体を休めているものも多い。

だが、町に広がる熱気は半年前といささかも変わりなかった。

いや、むしろ拡大していると言ってよいだろう。

秋に行われた<天秤祭>、続いての冬の<スノウフェル>という大きな祭の熱狂の中にあって、この町に住む<冒険者>たちもそれぞれがこの町での居場所を見つけたようだった。

決して楽園ではなく、不便なことも多いけれども、武器を携行せず、周り中に警戒の視線を向けずに歩けるだけでも、この世界においてのアキバの立ち位置は特異である。

ススキノやナカスの現状を知ればなおさらにだ。


そんな冬の日差しの中を嬉しそうに歩く一人の女性<冒険者>がいる。

ユウだ。

茶色の手織りのセーターをまとい、厚手のズボンを履き、ブーツの音も軽やかに鼻歌交じりに歩いている。

その顔は朗らかで、もとより美しい顔立ちもあり通りすがりの視線を少なからず集めていた。


「ふんふんふーん、ふふふーん♪」

「どこ行くんや」

「さあ? 面白そうなところ!」


刀すら「重ーい」と置いてきたユウをさすがに一人にするわけにもいかず、テイルザーンは後ろを歩きながら何度目かわからない嘆息をついた。

それでも律儀についてくるあたり、彼も苦労を抱え込む性格のようだ。


やがて、二人の目の前に周囲の廃ビルとまったく違うデザインの、どこかファンタジー世界の賢者の塔めいた数階建ての建物が姿を現した。

ギルド会館だ。

そこから今まさに出てきた一人の女性<冒険者>が、歩むユウを見てあら?という顔をした。


「ユウさん。それと、テイル。こんな朝早くに、どうしたんですか?」

「お、レン。昨日はすまんかったな。そういう自分こそ何しとるんや、こんな朝っぱらから」

「私はギルドから<生産系ギルド連絡会>に届け物があって。そんな二人こそ、なにを?」


首をかしげるレンだが、そもそも二人が朝から連れ立って歩いていることへの疑問はない。

互いに既婚者であり、しかも精神的にはユウは男だ。

昨日は若干変だったが、惚れた腫れたの関係になり得ないことはレンの中では既に確定事項だった。


「いや、それがな」


説明しようとしたテイルザーンを遮り、ユウは楽しげに声をかけた。


「ねえレンちゃん。今から暇なの?」

「え、ええ……特に必須の予定はないですけど……レン…ちゃん?」


やたらと親しげな声音に、何かを察した<竜使い>が見ると、テイルザーンが指を頭の横に当ててくるくると回していた。

失礼きわまるジェスチャーだが、それでレンも状況を察する。


「ユウさん……まさか、まだ?」

「何がまだなの? そんなこといいから、この街を案内してくれないかな。私、不案内でさ」

「え、ええ」


頷きながらも確かめるようなレンの瞳に、テイルザーンは両手を軽く合わせた。


(頼む、ここは一発、俺を助けると思て)

(貸しですよ、テイル)


互いの目と目が一瞬で交わされ、二人の<ホネスティ>所属<冒険者>が頷く。

治安は保たれているとはいえ危険も少なくないアキバで、上京したての女子大生のような彼女を放り出すわけには行かない。

レンは頭の中でそこまで考えると、期待が溢れるユウにくるりと向き直った。


「じゃあ、せっかくだからアキバの観光案内と行きましょう」

「ありがと!」


嬉しそうなユウに、知らずレンの顔もほころぶ。

なんだかんだ言いながら、彼女もこの年上の<冒険者>と歩きたかったのだ。


 ◇


「ここがギルド会館です。主に中規模のギルドが拠点にしているほか、<円卓会議>の事務局もここに置かれています」

「へえ」


レンのバスガイドのような説明に、きょろきょろと周囲を見回すユウ。

ギルドホールとも呼ばれる天井の高い広間は、ひっきりなしに<冒険者>や<大地人>が行きかっている。

そんな中で、おのぼりさんのようなユウが目立たないのは、同じようにあたりを物珍しげに見渡す人々が少なからずいることによるだろう。

ほかの地域から脱出してきた<冒険者>や、マイハマや各地の都市から訪れた<大地人>たちが、ある者は興味深そうに、ある者は驚嘆して彩色の施された壁や天井を眺めている。


「へえ、って。こないだ来たやないかい。うちの御大(アインス)やらグランデールのウッドストックはんらに呼ばれて」

「あの時は緊張してて、そんなの見る余裕なかったし」

「へぇ、さよか……」

「ねえ、あれ何?」

「あれは<冒険斡旋所>の受付ですね。ゲーム時代のようなクエストを発行する部署です。

ほら、あの<冒険者(ひと)>、書類にサインしてるでしょう?

あれでクエストを受けたことになるんです」

「へぇ、面白いね」


そういうユウの目はすぐさまほかの方角へと向かう。


「あれは?」

「あっちはギルドホールの入り口ですね。ここには多くのギルドが部屋を借りていますから。

<ホネスティ(わたしたち)>のような大きいギルドは、独立して建物を構えていますけど」

「お」


解説するレンの前で、今しがたギルドホールから出てきた<冒険者>がユウに気づいて驚いた顔をした。


「ユウじゃないか! 戻ってたのか?」

「ええと……あなたはカイ?」

「おう。久しぶりだな!やっぱり声変わったのか。 ……ん? 連れか?」


紫紺の鎧をまとったその男の名前はカイ。

アキバでは零細ともいえる、6人だけのギルド、<エスピノザ>のギルドマスターだった。


「ああ。俺は<ホネスティ>のテイルザーンや。よろしゅうに」

「同じく<ホネスティ>のレンです。ユウさんのお知り合いですか?」

「ああ。一緒にゴブリンを討伐した仲間さ。ユウ、こんなところでどうしたんだ?」

「ちょっと観光してるの」


そんなユウの言葉遣いや態度に異変を感じたカイは、しばらく押し黙る。

やがて、ゆっくりと顔を二人の案内人に向け、彼は平板な口調で言った。


「声はともかく……ユウはどうしたんだ?」

「それがな」


初対面のその<守護戦士>に何か共感するものを感じつつ、テイルザーンが説明すると、カイは絶句したまま眉間を揉んだ。


「そりゃあ……まあ……災難だな」

「せやろ?」

「ああ。で、今は観光中ってところか?」

「そうや。 そういうあんたはんは?」

「ああ。今からちょっと<黒剣>に用事があってね」


そういうカイの無骨な手甲の先には、確かに数枚の書類が握られている。


「俺たち<エスピノザ>は<妖精の輪>探索部隊に志願しててね。

今は報告書を<円卓会議>に出すところだったんだが、そこの担当に<黒剣>にも写しをまわしてくれと言われたのさ。

事務局の連中が忙しそうだったから、帰りのついでに使いに寄るところだ」


説明したカイに、ユウが飛びつくように言った。


「ねえ、カイ。私もついてっていい?」

「え、ああ、まあ、いいんじゃないか? ……お二人は?」

「まあ、しゃあないな。暴れだしたら止めるさかい」


肩をすくめたテイルザーンに、同病相哀れむとばかりにカイも同じしぐさで答える。

その間に所在なげに立つレンが軽くため息をついた。


 ◇


 ギルド会館に限らず、セルデシア世界にエレベーターなどという便利なものはない。

階段を一列になって上がりながら、テイルザーンはカイに話しかけた。


「そういえば、ユウとはどんな出会いやったんや?」

「ああ。ここから少し離れたところにハダノって村があるだろ? あそこにゴブリンが来た時さ。

夏の……ザントリーフ戦役の始まる少し前だったかな。

俺たち<エスピノザ>の前にゴブリンキャンプを単独で調べてたのがユウさ」

「へえ。どんな感じだったんですか?」


すいすいと上るユウの背中を見ていたレンの声に、カイも思い出すように返事する。


「第一印象はあまり良くなかったな。いきなり斬られて毒を入れられたからな」

「……それは難儀な」


呆れるテイルザーンに、あわててカイは手を振った。


「いや、あの時は俺がいけなかった。キャンプのすぐ前でいきなり声をかけたからな。

まあ、その後は頼れるヤツだったよ。動きはいいし、度胸もある。

鉄火場の経験も豊富そうだった……理由はアキバに戻って知ったけど」


彼らの先を鼻歌交じりに歩くユウを見る。

彼女の<鉄火場>とはアキバの<冒険者>に対する半無差別の殺人行為と、その後の<黒剣騎士団>との戦闘に他ならないからだ。


「ねえ、遅いよー」


踊り場から声をかけるユウには、自分がかつて敵対したギルドに行くという緊張感は欠片も見られない。

そもそも今のあいつが覚えているかも不明やな、とテイルザーンは内心ため息をついた。


 ◇


 <円卓会議>が入るフロアの一室に、<黒剣騎士団>のオフィスはある。

いつもならそこで忙しく働く部屋の主、レザリックは今は不在のようだった。

代わりにそこにいたのは、一人の女性<冒険者>だった。

さながら鉄塔のごとく積み上げられた書類の山の中で、一人カリカリとペンを走らせている。

時折「ああ、もう!」とか「終わらないって!!」 などと口走り、頭をガリガリと掻く姿は、お世辞にも上機嫌とは言えないようだ。


さすがに口を閉じたユウの背後から、カイがそんな彼女におずおずと声をかけた。


「すんません、事務局からここに報告書届けろと言われて来たんですけど」

「ええ!? また書類!? いい加減にしてよ、私は自動筆記ロボットじゃ……あれ、カイさんじゃん」

「お、キリーさんか」


机から顔を上げたその女性の名前はキリー。

シャギーのかかったような紺色の髪が印象的な<盗剣士>だ。

ぱりっとした制服のような衣装をまとい、角ばった眼鏡をかけた姿は、外見年齢以上に大人びた印象を周囲に与えている。


「どうしたの? 新しい<妖精の輪>の情報?」

「ああ、まあ、そんなところ。息子さんは元気?」

「有り余ってるくらいね。まあ、もう少し物を覚えたらあなたに預けてみましょうか」

「考えておくよ」


軽口を叩きながら、カイが書類をばさりと机に置いた。

それを手に取り、キリーと呼ばれた女性は書類をざっと眺め渡す。


「……ふうん。どこかの珊瑚礁への<輪>か。で、そこには良くわからない地下への階段があると」

「探索しても良かったんだがな。戻れなくなったらその珊瑚礁じゃ自活できん。

だからとりあえず位置を確認して戻ったところだ。

場所的にはオセアニアサーバ、クリスマス島の位置になる」

「なるほどね」


ぱさりと書類を脇に置いて、キリーは考え込むように肘を顔の前で組み合わせた。


「調査隊を派遣してもいいけど……場所が場所だけにね。

カイ、見た感じ海棲モンスターはいた?」

「遠くにでかい背鰭がいくつか見えた。 ぐるぐる回っていたから、たぶん巣だな」

「支援も届かない距離だし、しばらくは放置ね。……あら? ほかの方?」


ずれた眼鏡を直した時、キリーは初めてこの場にいるカイ以外の人物に気づいたらしい。

進み出た3人が、初対面のキリーの前に立つ。


「ああ。はじめましてやな。俺はテイルザーン。<ホネスティ>の<武士>や」

「同じく、レンです。<召喚術師>です」

「ああ。アインスさんのところの。はじめまして。よろしく。テイルザーンさんは、元<ハウリング>ね。

で、そちらは……」


一人だけ<冒険者>という肩書きにそぐわない格好をしたユウに目を向けたキリーの眼が見開かれた。

彼女の雰囲気が変わったことにも気づかず、ユウはあっけらかんとしたものだ。


「はじめまして。ユウでーす」

「ユウ……というと貴女、PKの」

「そうみたいねー」


『てへ』と言わんばかりのユウの仕草に、キリーの額に青筋が浮き上がった。


「あなた……よくここに顔が出せたわね。ここは<黒剣騎士団>よ、わかってるの?」

「わかってるよ。でもそれがどうしたの?」


悪意がまったくない口調のユウに、キリーの眉が危険な角度でつりあがる。


「<黒剣>をナメてるの?」

「別に。だって私、対人家(デュエリスト)だし。大規模戦闘職(レイダー)なんて勝負しても勝てるよ」

「お、おい。ユウ。もうその辺にせえ」


肩をつかんだテイルザーンの手を身をよじって振りほどき、ユウはなおも、無邪気とすら言える口調で言い放つ。


「私なりに考えたことだし。罵倒されても文句言えないけど、今は別にあなたたちと戦う気はないよ」

「……よく言えたわね。こっちは仲間も何人も殺されてるのよ」

「だからそっちの若い人に頼んで、出る前に勝負に来てほしいって言ったけど、誰も来なかったもん」


ぷう、と頬を膨らませたユウと対照的に、挑発―としか思えない―を聞いたキリーの顔は冷え冷えと凍てついている。

その手が静かに机に立てかけていた何か―おそらく剣だ―に伸びるのを見て、テイルザーンはなおも言葉を続けようとしたユウの口を後ろから塞いだ。

そのまま、アイコンタクトで応じたレンとともにユウを前後から挟み込み、あわてて叫ぶ。


「ま、まあ語らいはこの辺にしようや! そ、それじゃ俺らは次行かなあかんさかい、ほなな!

時間くれておおきに!!」

「あ、ちょっと、待ちなさい!」


抜き身の剣を下げて立ち上がったキリーの手が、うずたかく積み上げられた書類の塔を突き崩す。

断末魔のような悲鳴を上げるキリーと、口をあんぐりとあけて声も出ないカイをその場に置いたまま、

テイルザーンとレンはあわててユウを連れ出した。


「ほな、さいなら! 団長はんにもよろしゅうに!!」

「……相変わらずあいつ、いろいろやらかすなあ……」


ぽつんと呟くカイの声は、散らばった書類を見て絶望に呻くキリーによって、誰にも聞こえることなく消えていった。



2.


「おまえなあ!! 何であんな挑発しまくるねん!」

「えー。質問に答えてただけだよ? 勝手に怒ったのは向こうだしー」

「そのギャルみたいな口調はええ加減にやめえ! ……ユウ?」


ギルド会館を出たところで、怒鳴り続けていたテイルザーンは、不意に立ち止まったユウを奇妙な生態の古生物でも見るような目で見た。

立ち尽くすユウの肩が徐々に小刻みに震えだし、俯いた顔の横を流れる髪がふるふると揺れる。

挙句、彼女が目元を両手で覆った時点で、テイルザーンは周囲の視線に気づいた。


「なんだあいつ、泣かせてるじゃねえか」

「あーあ。ひでえなあ、あいつ」

「女の子泣かすとか最悪だな、あの野郎」

「サイテー」


周囲の冷たい声に、テイルザーンは助けを求めるようにもう一人の仲間(レン)に顔を向ける。

しかし、そんな彼が見たのは、詰るような目を彼に向けたまま、ユウの背をさする裏切者(レン)の姿だった。


「テイル。いくらなんでもひどすぎます。したことはともかく、口調は関係ないでしょうに」

「い、いや、俺はな……ああいう態度はさすがにどうかと……」

「っく……うぅ」


耐え切れなくなったように白い喉から嗚咽が漏れ出し、行き交う<冒険者>や<大地人>の視線がさらに氷点下に落ち込む。


「……っ、だって、しょうがないじゃん……わたしは、確かに人殺しで、殺人鬼で、毒使いで、殺しが好きで戦うのが好きで、相手の首が落ちる間際にぴくぴく撥ねる体を見ると嬉しいけど……でも、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃん……私だって…」

「……その自己紹介を聞くと、怒鳴るとかむしろ生ぬるいと思えてくるんやけどな……」


(テイルザーン)の小声の突っ込みも無視してユウはなおも泣き続けた。

彼女の告白に一瞬顔を白くしたレンが、それでも年上の女<暗殺者>の肩を優しく抱く。


「もう、過ぎたことは過ぎたことだから。きちんと贖罪もしたんでしょ?

なら、もう前を向こうよ」

「うん……もう忘れる……忘れて殺す……」

「こ、殺しの話はもういいから! ともかく行きましょう。 注目の的だし……」


周囲を見渡せば、ただでさえ人通りの多いギルド会館前であることもあって、回りはちょっとした人だかりになっていた。


「三角関係か?」「いや、あの<武士>がそっちの子を手ひどく振ったらしい」「何だよあいつ。彼女持ちはPKに殺されちまえ」


などと、憶測を交えた邪推がひそひそと囁き交わされている。


(撤退せなあかん。即座に、緊急に、なんとしても、や!)


熟練のレイダーらしい観察力がテイルザーンの脳裏に特大の警鐘を鳴らした。

冷たい目だけならまだしも、女たらしの女泣かせのように思われるのは心外だ。

しかも相手はユウ。

自分より一回り以上年齢が上の『中年男(おとこ)』なのだ。

そのシチュエーションのあまりのおぞましさに、テイルザーンはあわてて二人の女性の手をとった。


「ま、こんなところで立ち話続けるのもなんやし!! 早よ行こうや!

次、次や! ユウはん……泣き止んでくれへんか…なんかもう色々と一杯や……」


彼の最後の言葉は、途轍もない疲労感が重く漂ったものだった。


「あ、逃げる」

「マジサイテーじゃん」

「あんなきれいな女の子二人が、あんな野獣とくっつくとか異世界おかしくね?」


(もう、何とでも言うてくれ……)


レイドボスから逃げるときさながらに足を速めるテイルザーンの後頭部には、観衆の突き刺さるような視線がいつまでもぶつけられていた。



 ◇


 テイルザーンが土下座さながらの謝罪を―本人にとっては理不尽極まりないが―したことにより、しくしくと泣き続けたユウもようやく機嫌を直した。

今は、隣のレンと手をつなぎ、アキバの街路を楽しげに歩いている。

そんな二人を少し離れた後方から見つつ、あまりの疲労にテイルザーンは気が遠くなるのを感じた。


肉体的な疲労からは<冒険者>はほとんど解放されていると言っていい。

重装備の鎧を着て山野を駆け回ろうが、何時間に渡って馬に乗って駆けようが、痛みひとつ、肩こりひとつ起こさないのが<冒険者>だ。

体を動かし、よく食べ、よく眠れば次の日に跨る疲労感など起こるはずもなかった。


しかし精神的な疲労は別だ。

西の、今はないギルド、<ハウリング>での最後の日々もテイルザーンにとっては十分に気疲れする日々だったが、今の彼の感じる疲労感はそれに倍する。


(さっさと起きへんかな、バイカルはんら……)


今もアキバ中心部に近い宿屋の一室で、際限ない悪夢に(うな)されているであろう友人二人の寝顔が浮かぶ。

だからといって、3人そろって魘されたいとも思えないが。


 時刻は昼に近くなっていた。

既に冬の太陽は頭上に燦々と輝き、夏に比べれば少ないもののぽかぽかとした陽気を地上に届けている。

不意に、彼の鼻に甘い香りが届いた。

焼き菓子特有の、どこかほんわりした蜂蜜と焼けた小麦粉の匂いだ。

同時に、テイルザーンの腹がぐう、と飢餓を主張する。

ふと見れば、3人はギルド会館のあるエリアからずいぶんと外れたアキバの片隅まで来ていた。


「なあ、そろそろ小腹がすかへんか?」


女性陣二人にそう声をかけると、レンが振り向いた。


「ええ、そうですね……喫茶店でも探しましょうか」

「うん、いいね、でも……こっちからいい匂いがするよ」


ユウが指し示す先には、冬でも葉を茂らせた常緑の大樹を包み込むような、廃ビルの姿があった。

3人がふらふらと匂いに釣られて近づくと、どうやら中には何人かの人がいるようだった。


アキバにおいて、神代の遺跡とも言える廃ビルに好んで住むのは<冒険者>と相場が決まっている。

その一般常識を証明するかのように、一人のTシャツ姿の少年がとことことビルの入り口から現れた。

その手には空の水桶が握られている。

どうやら水汲みに出てきたところらしい。


「おーい」


物怖じせず声をかけたユウに、呼びかけられた少年は怪訝な顔で振り向いた。


「ん……おねーさん、俺を呼んだ?」

「うんうん、ごめん。ちょっと聞きたいんだけどさ。この辺に喫茶店か何か、食べられる場所ない?」


笑顔のユウに若干警戒心も解けたのか、少年はせわしなく水桶を井戸に入れながら答えた。


「んー、このあたりはあんま人、いねえからなあ……お腹空いてんの? おねーさんたち」

「うん、そうなのよ、どっか知らないかな?」


ユウの返事に、しばらく考えていたらしい少年が、不意に顔を自分が出てきた建物に向ける。


「そっか……わかった。ゴメンだけど、ちょっと待っててくれる?」


手際よく水を汲み終えると、少年はそう言って小走りに建物へ駆けていく。

躍動する彼の手にあわせ、桶の縁まで溜まった水がぴしゃぴしゃと地面に零れた。


少年が姿を消してしばらく、やることもなく3人は瓦礫らしい石に腰を下ろしていた。

ユウとレンは他愛ない話に花を咲かせている。

どの服がお洒落だとか、最近おいしいランチを出す店はどこだとか、年頃の女性なら誰しも話題に乗せるような話だ。

何が面白いのか、時折笑いあう二人をぼうっと見ながら、テイルザーンは疲労感に身をゆだねていた。


(はぁ……こらアカン。眠ってしまいそうや)


そう思いつつ、ふとユウを見る。

初対面のときから一貫して見てきた、緊張感に溢れた表情とは別のユウがそこにいた。

くるくると表情を変えながらも、その顔はあくまで朗らかだ。


(こんな顔もできるんやな……)


普段の冷静な立ち居振る舞いから、ユウの外見への第一印象は可愛いというよりはどちらかと言えば美しい、とか凛とした、といった形容詞が近い。

戦っているときは、それに加えて冷酷、陰惨といった印象が先に立つ。

だが、怜悧な刃物のようなその印象は、今に限ってはまったくなかった。

バイカルたちの事前の知識がなければ、テイルザーンも今のユウを見てもともと男性とは思わないだろう。


ユウの身に起こっていることが酒と拳による一時的なものなのか、それとも何か慢性的な疾患なのかはわからない。

だが、もし彼女の人格が戻らないままであれば。


(まあ、これはこれで当人幸せそうやし、エエんやないかな……)


眠気に支配された頭で、かすかにそう思いつつ、彼は夢への道をたどり始めた。

その時。


「おおーい、お兄さんにおねーさんたち! 入ってくれよ!」


テイルザーンを眠りの縁から引っ張り出したのは、先ほどの少年の明朗な声だった。


「何?」


立ち上がったレンに、その少年は楽しげに答える。


「いや、こっからだと距離あってちょっと店探すのキツイからさ。

俺たちももうすぐ昼飯だし、一緒にどうかと思って」

「え? いいんか?」


頭を振り振り問いかけたテイルザーンに、少年はにこりと頷いた。


「ああ、飯はたくさんで食べるほうがおいしいしな! にゃん太班長も許したし」

「にゃん太? じゃあここは……」


気づいたレンとテイルザーンがステータス画面を見るより早く、少年は誇らしげに答えた。


「ああ、ここは俺たち<記録の地平線(ログ・ホライズン)>のギルドハウス、俺は<武士>のトウヤっていうんだ。ようこそ、俺たちのギルドへ!」


kirryさま、勝手にキャラを使わせていただきました。

後付になりますが、ごめんなさい。


そして原作の登場人物に頼ってしまいました……できるだけ使わないと決めたんですけども。

キャラが立っている人々は動いてくれますからね……

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