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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第五章 <天の峻嶺>
96/245

番外6 <詩人たちの楽堂> (後編)

これで一旦番外を終えます。

佐竹三郎様、オヒョウ様、水煙管様、キャラクターを快くお貸しくださり、まことにありがとうございました。

ご指摘の点あれば、ご遠慮なく申し付けられませ。

1.


 しのつく雨は、徐々に勢いを増しながら、かつて埋立地だった草原に降り注ぐ。


よく見れば、そこはどこかの遺跡の傍だった。

このあたりは、神代の時代、工場や製鉄所が軒を連ねていた海岸地域だ。

潮風に錆びて、もはや動くこともない機械の群れが、冷然と<冒険者>と怪物の争いを見下ろしている。


「分かったぞ、お前の能力」


レディ・イースタルの回復を受けてなお痛むのか、傷のあったあたりを撫でながらクニヒコは睨んだ。

その視線の先に佇むエイレヌスは、瞑目するような表情のまま、静かに<守護戦士>を眺めている。


「お前は『受けた攻撃を反射する』ことに特化したモンスターだ。

俺の挑発特技(タウンティング)もそう、八郎の刀もそうだ。

遠近問わず、受けた攻撃をそっくりそのまま返すのがお前の必勝法なのだな」

「……オモシロヤ」

「ならば勝ち目は見える」


クニヒコは断言するようにそう言うと、いきなり大声を張り上げた。


「前衛!下がれ! 八郎!エン!」


呼ばれた伊庭八郎とエンクルマが、無言のままにそれぞれの武器をしまう。

ゆらりと、二人の足元から現れた光の色は、青。

<居合いの構え>だ。

自ら攻撃をせず、相手の攻撃に応じ反撃を加えるその攻撃姿勢(スタンス)は、同じく反撃型のエイレヌスにとっては互いに攻め手を欠くことになりかねない。

だが、二人は何も言われずとも、大きく距離をとって居合いの構えに移行していた。

例えばエイレヌスが何らかの遠距離攻撃を持っていたとしても、余裕を持って対応できる距離だ。

しかし彼女らの行動は保険に過ぎない。

本当の連撃はここからなのだ。


「行くぞ!」


二人の<武士>が、鋭く敵を見据えたのを確認して、クニヒコは裂帛の気合を上げた。

だが、その言葉に反して彼は一歩も動かない。

代わりに動いたのは別の人物だった。


「<アースクエイク>!!」

「<マエストロエコー>!」

「<コールストーム>!」


レディ・イースタルの絶叫とともに、エイレヌスの周囲の大地が反転する。

それは同時に放たれた音波によってさらに反転し、もうもうと立ち上る土砂が彼の姿を覆い隠した。

続いて、頭上の雨雲から切り離されたような黒雲が頭上に蟠り、稲光を上げて風雨を放つ。

叩き付けられる豪雨と暴風が土砂を吹き飛ばし、穴だらけの大地に倒れこむエイレヌスを露にする。

その両腕が地面に付けられたのを見て、すかさずレディ・イースタルは次の手を放った。


「<ウィロースピリット>!」


周辺の雑草から蔦が伸びた。

なおも激震を続ける大地でバランスを取ろうとするエイレヌスの両手両足に、緑色の触手が絡みつく。

<冒険者>たちは見ていた。

彼の攻撃反射、そのために彼が手を相手に向けていたことを。


もはや彼らに言葉は要らなかった。

重戦車のようにクニヒコが突進し、揺れる足場を伝うようにエイレヌスに駆け込む。

その手が恐るべき力で拘束を引きちぎるのを見て、今度はサツキの呪文が発動した。

既に<フォース・ステップ>でレディ・イースタルとナーサリー、二人を援護しながらの一撃だ。


「<アストラル・ヒュプノ>!」


かろうじてエイレヌスの手が間に合った。

サツキの呪文に倒れこむエイレヌスから離れた場所で、サツキ自身も眠気に負けて倒れかける。

その肩をどしんと突いたのはレオ丸だ。

意識を取り戻したサツキは、再び同じ呪文を唱え、エイレヌスの行動を阻害し続けた。


クニヒコたちが観察する限り、目の前の正体不明のモンスターは典型的な反撃型(カウンタービルド)モンスターだ。

エイレヌスほど完璧ではないものの、同様のモンスターはレイドでは数多い。

当然ながら、攻略法はレイダーたちの間に広く伝わっている。

設置型、あるいは空間を対象とする呪文を用いること。

直接攻撃ではなく状態異常を引き起こす特技を織り交ぜ、相手の反撃機会を奪うこと。

だが、エイレヌスというモンスターとは過去、彼らの誰一人として邂逅したことがない。

たとえ80レベルのノーマルモンスターとはいえ、さらにどんな奥の手を持っているか、知れたものではなかった。

さらには、ステータス画面の不気味なブレも気になる。

不気味な敵。

それが8人がものも言わずに共有化した、エイレヌスという敵への印象だ。


だが、そのエイレヌスは今、<秘伝>に達したサツキの<アストラル・ヒュプノ>と、同じく<秘伝>の<アースクエイク>によって大きくバランスを崩し、

その手足は風雨と植物によって縛められている。

チャンスだった。

真っ先にたどり着いたクニヒコが、のろのろと腕を上げるエイレヌスの前で剛剣を振り上げた。

しかし、その切っ先は振り下ろされる瞬間ぴたりと止められ、代わりに拍車のついた足がエイレヌスを襲う。


「……!!」

「ふん!」


自分がたいしたダメージのない、気の抜けた蹴りを反射したことに、無表情な仮面に似た顔が一瞬崩れた。

まさにその刹那、今度こそ<黒翼竜の大段平>がギロチンのごとく振り下ろされる。


「……やった!」

「鉄か、こいつの体はっ!」


金属同士がぶつかるような鈍い音と共に1割近く削られたエイレヌスのHPを見て、

レディ・イースタルが歓声を上げ、クニヒコは思わず叫んでいた。

大きくはじかれた黒い大剣を縫うように、<居合いの構え>を解いたエンクルマが<人外無骨>を振り上げる。

クニヒコを挟んだその反対側で、刀を鞘に納めたままの八郎が身を落とし、その目が雷光のように輝いた。


「<アストラル・ヒュプノ>!!」

「……ウゥ!」


その槍の穂先が突き刺さる寸前、再び放たれたサツキの呪文でエイレヌスの腕から力が抜ける。


「「<一刀両断>!」」


二人の<武士>の放つ言葉はまさに同時。

振り下ろされる槍、抜き打たれる刀、手にする武器は違っても、込められた力は劣らない。

吹き飛ばされそうになるエイレヌスの両手が万歳の格好に振れるのを見て、さらに<アストラル・ヒュプノ>が放たれる。

だがそれだけではない。


「カフカSさん!」


レオ丸の叫びに応えるように、虚空から<誘歌妖鳥(ハーピー)>が一際高く叫んだ。

暴風に乗り、一気に近寄った彼女の両足が、しっかりとエイレヌスの手を掴み締める。


「……ナント」

「「<一気呵成>!!」」


再び共鳴する男女二人の声。

強制的に再使用規制時間をキャンセルされた特技が再びステータス画面に光をともした。


「「<一刀両断>!!」」

「<オンスロート>!!」


右手から袈裟斬りの刀。

左手から振り上げられる槍。

そして正面から、唐竹の如く振り下ろされる大剣。

三者三様、それぞれの最大級の特技が、中空に吊り下げられたローブに炸裂した。

そこまで見計らって、八郎、エンクルマ、クニヒコの3人が徐々に揺れの収まる大地を蹴る。

一旦離脱は、攻撃の終わりを意味していない。


「<アストラル・ヒュプノ>!」

「友人の忘れ物だっ!」

「<剣の神呪>!」

「<アースクエイク>!!」


何度目かの催眠の呪文と連携するように、クニヒコが腰の鞄から無数の瓶をばら撒き、

エイレヌスの周囲にがらがらと散らばるそれらを目掛け、虚空から剣が降り注ぎ、大地が再び割れる。

轟音が、一瞬天地のすべての音を掻き消した。


 ◇


「やったか……?」


 先ほどから仲間の支援に徹していたナーサリーが、再び舞い上がる土砂に消えた敵の姿を追って言った。

なまじのレイドボスでも細切れに変わるであろう連続攻撃だ。

<五月の王>を油断なく構え、<吟遊詩人>ではなく戦士の目が見失った敵を捜し求める。


 息をあえがせたクニヒコたちも同様だ。

敵のエイレヌスのHPバーは、ほぼ赤に染め上げられている。

再び目にしたときがあの敵の最期。

誰もがそう思い、敵の状況を見極める。

その時。


「オモシロヤ」


最初とまったく変わらない、無機質な声が響いた。


「……っ! サツキっ!」

「<アストラル・ヒュプノ>!」


かすかに見える人影へ、呪文が再び放たれる。

だが、今度は相手が揺れる風はない。呪文を返されてくたっと力が抜けたサツキを、あわててレオ丸が支えた。


「最後だ、気合入れるぞ!」

無用(ムヨウ)


叫んだクニヒコに、再び声がかけられる。

同時に、ばしゃ、と盛大な音を立てて、クニヒコの頭上から足元までが真っ二つに割れた。

続いてエンクルマ、八郎の体が盛大に血を吹き上げ、空中でカフカSが首を締め上げられたかのように失速する。


「クニヒコっ! <ガイアビート・ヒーリング>!!<ライフバースト>!」


自分の周囲をいきなり激震と風雨が襲いながら、レディ・イースタルの回復が間に合ったのは奇跡に近い。

その場の全員が、ごっそりと削り取られるものと、<森呪使い>が支えるもの、二つの相反する生命力の動きによって膝をつく。

頭上からさらに無数の剣が降り注ぐのを見て、義盛もまた大きく叫んだ。


「<四方拝>っ!」


即座に発動した<神祇官>の秘奥義をもってしても、周囲のすさまじいダメージの嵐は防ぎきれない。

だが、その一瞬を持って、8人は何とか即死を免れることができた。


 破壊の嵐が収まった後。


そこには、先ほどとまったく同じように、静かにエイレヌスが立っていた。


「範囲攻撃や、手を縛っての攻撃すら、跳ね返すというのか……」


呻くナーサリーの前で、ぼろぼろのローブを纏った敵の表情がはじめて変わる。

能面のような無表情から、口だけが徐々につりあがり、歌劇の怪人めいた笑みへと。


「オモシロヤ」


絶望的な顔をした<冒険者>に向かい、心底面白そうに、怪物は囁いた。


 ◇


 8人の考えは、ある一点に向けて収束する。

それは、エイレヌスのHPがまだ回復されていないという、その一点だ。

エイレヌスに向けられた攻撃はすべて返されるというのは、確認したとおりだが

少なくとも彼の動きを封じている限りは、ダメージを与えることはできる。

ということは。


「俺が行く」


立ち上がったクニヒコを止める仲間はいない。

この場の8人の中で、もっとも防御力に優れているのは<守護戦士>である彼だ。

彼であれば、跳ね返される<黒翼竜の大段平>の一撃に耐えて、相手に致死の一撃を与えることができるはず。

他の手段、例えば即死効果のある攻撃を用いることや、レオ丸の召喚獣を用いた攻撃なども考えられたが、前者は<剣の神呪>が効かなかったことを考えれば無駄であろうし、

後者にいたっては思いつく者もいなかった。

レオ丸の召喚獣は使い捨ての道具(モンスター)ではない。

彼の大事な仲間なのだ。


であればこそ、クニヒコは立つ。


「俺がやられたらあとの戦闘指揮はサツキ、パーティの指揮は八郎に任す。 ……頼む」

「わかった!」

「了解」


気心知れた元<黒剣騎士団(なかま)>の二人に後を託し、彼が進み出たとき。

不気味な笑顔を浮かべたままのエイレヌスの手が、押しとどめるかのように向けられた。


「マテ」


反射攻撃か、と構えた<冒険者>たちに、怪物が再び語りかけた。

その口調は明瞭でありながら、先ほどまで同様、まったく唇は動いていない。

それだけのことに不気味さを感じ、8人は黙って次の言葉を待った。


「オモシロキ者ドモ。吾ハ愉悦ス。愉悦ユエニ吾ハ提案ス」

「提案?」


訝しそうな八郎に反応しないままに、エイレヌスは告げた。


「吾ハ提案ス。破壊処理ノ継続ヲ中断シ、暫時旧ニ復サザルベカラザルヲ」

「破壊処理……? 戦闘のことか?」

「是」

「戦いをやめて逃げるというのか?」

「異ナル(カナ)。破壊処理ノ継続ヲ望マヌハ汝ラナレバ」

「……まあ、このままやったらジリ貧かもしれへんな。でもおどれも同じや、死に掛けとるで」


レオ丸の指摘に、軽くエイレヌスは首をかしげる。


「吾ノ破壊状況を留意スルカ。ナレバ」


その場の全員が次のエイレヌスの行動に、大きく目を見開いた。

回復していく。

その量は決して多くはないものの、先ほどのまでの必殺の一撃が嘘のように、HPバーが青く塗り替えられていく。


「一体何なんや、おどれは……!!」


さすがに口を開くことも忘れてレオ丸がのどの奥で呻くと、八郎がその横から進み出た。


「ならば、停戦の条件として、<音符>の跳梁を止めさせなさい。

もしそれが駄目なら、私たちはあなたがどこにいたとしても、必ず見つけ出して狩る。

アキバを甘く見ないでよ。

私たちが倒れても、何千人倒れたとしても、必ずあなたを滅ぼすからね」

「是。吾ノ離脱トトモニ(ワザワイ)ハ停止ス」

「お前は、どこの誰だ」


最後に尋ねたのは、レディ・イースタルだった。


「お前はどこかのモンスターではないのか。クエストのボスか。<ノウアスフィアの開墾>に関係があるのか。 答えろ、化け物」

()。吾ハ<陰王>エイレヌス。<破壊>ノエイレヌス。<破壊>ナリ」

「そりゃ、お前!」


叫んだ瞬間、不意に風が吹いた。

一瞬、全員が目をしばたかせた時、既にエイレヌスと名乗った敵の姿は消えていた。


「なんなんだ、一体」


クニヒコの疑問は、誰もがその時思ったことで、

そしてその問いの答えを知ることができるかどうか、この時点では誰にも分からなかった。



 ◇



 戦いから一週間が過ぎた。


マイハマで一行は二手に分かれた。

すべてかどうかは本人すら分からなかったが、楽譜を取り戻したナーサリーは、マイハマの彼の宿に残り、曲をノートに写し取ることにしたらしい。


「練習するのにいちいち金属板を見てじゃ、面倒だからね」


苦笑して告げたその言葉が、彼の別れの言葉だった。


「じゃあ、みんな。いい旅だった。こっちの我侭に付き合ってくれて、礼を言うよ」

「いや、楽しかったとよ。また一緒にどっかで冒険しようや。出来た歌ば、楽しみにしよるとよ」


着流しの旅装束―やはり派手だが―に着替えたエンクルマに、ナーサリーも苦笑を深めて答える。


「テーマも楽器も色んな曲たちだから……一朝一夕に出来るとは思えないけど、やってみるさ。

ありがとう、本当にいい経験をさせてもらったよ。 

またいつか、どこかで」


いつかどこかで、とは、ナーサリーに限らず古参のプレイヤーがよく使う挨拶だ。

彼らはあちこちを旅し、その行動範囲は広い。

また、MMORPGだった<エルダー・テイル>では、どんなに親しくしていてもそれぞれの現実の都合でゲームから去ることもある。

去るものは追わず、しかしどこかでまた会えることを祈って、彼らは同じ言葉を発する。


「またいつか、どこかで」 と。


「じゃあ、ワシもそっちに付き合おうか」


そのナーサリーの横で別れの挨拶をしてきたのはレオ丸だ。

彼はサブ職業が<学者>であり、その脳には膨大な知識が詰まっている。

歌と楽曲は、決してそんなレオ丸にとって主要な研究分野ではなかったが、それでも彼の無限の知識は、ナーサリーの研究を十分に助けるはずだった。


「知らん仲でもないさかいな。またいつでも会えるやん。

せやから、いつかどこかで、とは言わへん。また今度、アキバで、な」


そういって微笑むレオ丸の首元から、従者たちを代表するようにアマミYが言う。


「また主様と出会うたら、よろしゅうお願いしんす。

最近、棒振りと玉を追いかけるのに夢中でありんすから」

「……まあ、同好の士もいるみたいだし、い、いいんじゃない……?」


呆れ果てたような言葉に、サツキが出会った時の格好を思い出して汗をたらした。

<冒険者>はあくまで自由だ。

どんな服を着て何をしようとも、それが人に迷惑をかけるものでなければ、それは自由なのだから。



 そして、アキバの門前で、クニヒコとレディ・イースタルは4人の仲間に別れの握手をした。

クニヒコの手を握り返し、八郎が勿体無さそうに尋ねる。


「やっぱり、ナインテイルに帰るんですか? クニヒコさん」

「ああ。 向こうに生活があるしね。 久しぶりにお前らとダンジョンに行けて、楽しかったよ」

「アキバに残ればいいのに」


義盛の残念そうな声に、レディ・イースタルも苦笑する。


「そうもいかねえよ。一応俺もクニ(こいつ)も、向こうに待っている相手がいるし」

「それって、恋人とか彼女とかのことやろか?」


故郷が九州(ナインテイル)であるエンクルマの、どこか懐かしそうな声に、二人は揃って笑った。


「そんなんじゃないよ。俺はバイカル―ああ、むさくるしい坊主が待ってる」

「俺は殺気立った部下と近隣の白塗りお化けどもだな……」

「何が楽しいんですか、それ」


ぼそっと突っ込まれるサツキの声に、2人が何かを返そうとした時のことだった。



「待っていませんよ」

「は?」


レディ・イースタルには何度か聞き覚えのある声が唐突に響いた。



2.


 水楓の館。


装飾もどこか典雅な、アキバ屈指の美麗な建物だ。

その一隅、窓際から冬の樹木を眺められる一室に、レディ・イースタルとクニヒコ、

そしてなし崩し的についてきた八郎たち4人は、落ちつかなげに座っていた。


その正面に座るのは、マイハマからの急報を受けてアキバの門前、<ブリッジ・オブ・オールエイジズ>に<冒険者>たちを迎えに出たエルフの侍女、エリッサ。

そして、傍目から見ても最低の機嫌と分かる、館の主、レイネシアだった。


「……おかえりなさい、伯爵閣下。闘病生活は『さぞや』楽しかったと思いますわ」

「お、おう……」


普段の口調とは別人のように刺々しい出迎えの挨拶に、さすがのレディ・イースタルもうろたえる。


「閣下ご不予とあって、スワ湖畔長閣下をはじめ多くの貴顕がたがどれほどご心配なさったか、

私たち<水楓の館>の者たちがどれほど心配したか。

賢明な閣下にはお気づきのことと思いますけれど」

「す、すまん。いや、本当に……その、俺は実はアキバでは休暇と……」

「その休暇について、男爵閣下から一言申し上げたき儀がございます」


皆まで言わせずにレディ・イースタルを黙らせて、冷え冷えとした声のままレイネシアが片手を振る。

その場の異様な雰囲気に、全員が声も出せないまま、レイネシアの傍らにあった水晶球が七色に輝いた。


『……姫。わが声は届きますかな』

「ええ。よく聞こえますわ。伯爵閣下とクニヒコ様はじめ、<冒険者>の方々もおられます」

「何が起こるんね?」

「さあ……」


水晶の向こうから聞こえてきた壮年の男性の声に、小さくエンクルマが囁いたが、

問いかけられたサツキも、要領を得ない顔で頷くしかない。


『レディ・イースタル伯爵閣下。使者の任務、かたじけなくございます』

「お、おう。男爵も元気そうだな」

『おかげをもちまして』


冷静なメハベル男爵の声からは、その感情を読み取ることは出来ない。

何が起きるのかと、残る5人は固唾を呑んで水晶球と話すレディ・イースタルを見守った。


「も、もうすぐ帰るからな! <妖精の輪>からは直行するから!

安心してくれ、今頃スリーリバーには支援が……来ている……んだが」

『それは良うございます』


叱られた小学生のようなレディ・イースタルの声がかすれて消える。

沈黙が落ちた一室で、メハベル男爵の声だけが淡々と響いた。


『閣下。閣下はもうお戻りになられなくてもようございますから、そのおつもりで』

「なんだと!?」


叫んだレディ・イースタルに被せるように、今度は別の聞き覚えのある声が響いた。


『クニヒコ。お前もそこにいるんだろ? お前も同じだ。戻っても住む場所はないぞ』

「バイカル!! ちょっと待て! どういうことだ!?」


一瞬の絶句の後、黒衣の騎士も叫んで椅子を蹴飛ばす。


『申し上げた通りの意味です。今までのご助力感謝いたします。少しばかりですが謝礼は遅らせますゆえ』

『こっちもだ。まあ俺の渡した数珠と経、餞別代りにくれてやる』

「待て! どういうことだ、おい! いきなりクビって、お前それ、伯爵への態度か!?」

「公務をサボるのも伯爵としてどうかと思いますけどね」


後ろでぼそっと呟かれた、レイネシアの陰惨な声を無視してなおもレディ・イースタルは叫んだ。


「クビにするならするで理由を言え! 俺は某新聞みたいに国にいちゃもんつけてないだろうが!」

「こっちもそうだ! まじめに勤めてただろうが! お前の大道芸だかフーテンの○さんみたいな商売にも付き合ってやったし!」


怒鳴る年長者二人を、年少の4人は呆気にとられて見つめている。


「これって、いわゆる、リストラ?」

「サツキ、リストラっていうのは本当は再構築(リストラクチャリング)の意味であって、

こんな風にいきなり首にすることじゃないわ」

「その解説、この場においてなんかの役に立つんかね……」


ぼそぼそと4人が囁きあう前で、二人はさらにヒートアップしていた。


「解雇するなら30日以上前に書面で通知しやがれ!! 男爵、貴様、労働基準法ってのを知らんのか!?」

「宗教団体だからっていきなりクビはないだろうが! 住む場所もないとは、お前、まさか酒代に俺の部屋を売り払ったんじゃ……!」

『いきなりで憤るのは分かりますが、少し聞いてください』


水晶球からさぞ騒音が響いているであろうに、男爵の声はあくまで冷静だ。


『我が父、前男爵の遺言に従い、あなたは遠いナインテイルで文句ひとつなく我々<大地人>の為に働いてくれました。

何も出来ない私を支え、兵を整え、葬儀を行い、騎士たちの遺族が立ち行くようにしたのみならず

産業振興の策を講じ、民に親しく交わってその声を聞き、我らの至らぬところを補佐してくださった。

何度礼を言っても言い尽くせませぬ。

しかしながら、閣下ご不在の間、我らは家臣や領民、いてくださる<第11戦闘大隊>の西田将軍とも話し合いました。

あなたはその名の通り東方(イースタル)の薔薇。

あくまでおわす場所はそのアキバであるべきです。

我らの我侭にいつまでも付き合わせるわけには参りませぬ。

よって、閣下へ向けた我が父の依頼は、この言葉をもって完了といたしたく』

「……男爵」

『俺も同じだぞ、クニヒコよ』


続いて声を出したのはバイカルだ。

いつもの豪放な口調ながら、真剣味を増した声で彼は語りかける。


『ま、お前のいない間に何人か仏弟子が来てな。そいつらの居場所の為にお前の部屋を片付けたというのもあるけどな。

お前は今も<黒剣>だった連中と一緒なんだろう?

お前はあくまでアキバの<冒険者>だ。このとんでもない災害がこれからどう転ぶのか分からんが、

アキバの連中と協力して進むのがお前の本当の道だろうぜ。

それに、だ』

「それに?」


搾り出すようなクニヒコの声に、水晶球の向こうのバイカルは笑ったようだった。


『俺やお前らの共通の友だち、あの<暗殺者(アサシン)>のことさ』

「ユウが、なんだ?」


もはや思い出すのも稀になっていた、行方不明の友人の名前に、バイカルが応じる。


『ユウのことだがな。あいつ、今頃勝手に暴れて、毒を誰かに叩き込んで、ぶちのめしたりぶちのめされたりして、挙句ドツボに嵌ってると思うんだよ。

おまえらとしては、そんなあいつがいつか帰ってくる時の為の目印作りをする必要があるんじゃないか?

それが一緒に旅をしたお前らのやることじゃないのか?』

「それと俺たちをクビにするのと、何の関係がある?」

『俺が思うに、あいつもな。自分でどう思ってるかは知らないが、やっぱりアキバの<冒険者>なんだよ。

他の奴と違う道を歩いても、一人でもがいて、他人からそっぽを向いていても、あいつの帰る場所はアキバ(そこ)で、あいつのいるべき場所もアキバ(そこ)なんだ。

そんなあいつが戻る時、おまえらがいなくてどうする』

「……」


『アキバに戻れ、タル、クニヒコ。戻ってあいつを迎えてやれ。

きっとあいつはいつものように何かとんでもないことをやらかして、ズタボロになって戻ってくるんだから』

「……おまえは来ないのか、バイカル」

『俺はナカスの<冒険者>だ。元の世界に戻れるか、それとも消えるのかは分からんが、最期の日はナカスにいるさ。

だが、お前らは違う』

『父の遺言を守ってくださり、御礼申し上げます、伯爵閣下。

ですが、我がユフ=インは、自力で立たねばならないのです。街も、家臣たちも、私自身も。

あなたにはあなたの道がある。貴女のいるべき場所へ、お帰りください、閣下』


水晶球の通信が途切れた。

誰も何も言わない。

レイネシアも、エリッサも、詳細は分からないまでも彼らの事情を薄々は感じていた。

やがて、歪んだ自分たちの顔しか映さなくなった水晶球へ、レディ・イースタルが呻く様に言った。


「まあ、しゃあねえな」


続いてクニヒコも苦笑した。


「人生どこでどう転ぶか分からんな、まったく」

「まさか、アキバへこんな形で帰還するとはねえ」


笑いあう二人の<冒険者>は、そのまま八郎たちに向き直る。


「まあ、そういうわけで。俺たちもアキバへ残留だ。

これからもよろしくな」

「ええ」


立ち上がった八郎が手を伸ばす。

別れではなく、再会の握手だ。

レディ・イースタルと八郎が笑い、その笑いは徐々に周囲の6人にも感染していく。


そうして、レディ・イースタルとクニヒコの二人は、まったく思いもかけなかった形でアキバに帰還した。

考えてみれば、レディ・イースタルは、周囲によって最初から最後まで予定を崩されたとも言える。

快さの中に、一瞬やるせなさを感じつつ、彼女は笑い続けた。


……レイネシアが言葉を発する瞬間まで。


「ようございましたわね。伯爵閣下」

「へ?」


デッサンの崩れたような顔で振り向いた伯爵に、公爵家の姫君は獲物を前にした魔狂狼(ダイアウルフ)のように笑ってみせた。


「ご自身の自由になさる前に、この<水楓の館>で、あなたが会談を断った貴族がたへの謝罪の手紙を書いていただきます。

近隣の領主がたへは挨拶も。

貴族としての、これは義務ですわ。

もちろん代筆や代参なんて致しませんから、そのおつもりで」

「ちょっと待て! 俺はこっちの字が書けないぞ!」

「知ったことではありません」


懇願するレディ・イースタルをばっさりと切って捨て、止めとばかりにレイネシアは微笑んだ。


「スワ湖畔長閣下やドレスター子爵からは、事情を知ってお怒りと詰問のご使者が見えられておりますわ。

早速、ご挨拶に行きませんと」

「ちょっと待て、おい、俺にも自由意志が……クニヒコ、お前も一緒に来るよな!?」

「……なあエン、一応俺はアイザックに挨拶したほうがいいと思うんだが」

「………そうやね。そうしたほうがよかやろ。団長も心配しとったけん……」

「そうすると善は急げという。早速ギルド会館に行こう」


長年の友人から目をそらし、そそくさと立ち上がるクニヒコに、視線だけで呪い殺しそうな顔でレディ・イースタルが叫んだ。


「お前、俺を見捨てて、それでも友達か!! ええ、木原!! お前、それでも……」

「往生際が悪いですわよ、閣下。 閣下はこちらへ」


エリッサに慇懃ながらも有無を言わさない口調で扉へ導かれつつ、なおも彼女が喚く。


「お前、お前、覚えてろよ!! ペンは大剣より強いって思い知らせてやるからな!!」

「さあ、エン、行こうか。八、サツキ、義盛。今日は祝勝会ってことで一杯やろう」

「薄情者ーっ!!!」


<大地人>たちに引きずられて連れ出されるレディ・イースタルを見送りながら、クニヒコは静かに袖から数珠を取り出し、小声で読経したのだった。



原作<ログ・ホライズン>で最大の謎のひとつである<典災>を出してしまいました。

原作の動向如何では、この話を改変もしくは削除する場合がございます。

キャラクターをお借りしておいて無責任ではございますが、申し訳ありません。


重ねて原作、そして先達の二次創作の作者様方に、お詫びと御礼を申し上げます。

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