番外6 <詩人たちの楽堂> (中編1)
長くなりそうなので中篇を二つに分けます。
そろそろ、番外のみ章立てを分けようかな。
前篇の最後を少し変えました。
1.
誰もが、不気味な印象を拭いきれなかった。
「何が……どうなっとるんや」
普段の態度をかなぐり捨て、<召喚術師>西武蔵坊レオ丸が呟く。
広大なヤマトは、神秘と脅威の宝庫であり、彼はその大地を歩いてきた男だ。
昨年5月の<大災害>以来、ゲーム的な調和を保っていた世界が徐々に狂い始めているのも了解している。
その彼にして、現在の状況は「不可解」であった。
そもそもが、<エルダー・テイル>において、ダンジョンとボスは密接不可分な存在だ。
<練習用>と俗に言われていたダンジョンのように、特定のボスが存在しないものや、イベントやクエストの間のみボスが常駐し、ダンジョンとして機能するゾーンもあるにはあるが、
基本的にはひとつのダンジョンには必ず一匹以上のエリアボスが存在する。
ゲーム的にいえばきわめて当たり前で、誰もが、レオ丸やナーサリーのような年長者でさえ、
ごく自然に信じていた『常識』だった。
そのボスが、いない。
「やはりね……」
呻くように呟いたのは<武士>、伊庭八郎だった。
抜き身のまま手にしていた刀をすらりと納め、彼女は当惑する仲間たちの顔を一人ひとり見回す。
「私たちの聞いた噂では、このダンジョンに何らかの異変が起きていることを暗示していた。
さっきの異常な数の雑魚モンスター、そして不在のボス。
これは明らかな異変だわ。
このダンジョンで何かが起きている。 ……いや、起きた」
「それは何だと思う? 伊庭八」
腕を組んだクニヒコに、八郎はしばし考えて首を振った。
「それは……わかりません。 ですが、状況を推理することはできるはずです」
「じゃあ、どこかで情報を整理しよう。 そのためにも一度地上へ戻ったほうがいいな」
そう言ったレディ・イースタルに、8人は静かに頷いた。
そのとき。
「あ、これ!」
不意に義盛が声を放った。
その驚いた口調に、全員の目が僧兵姿の<神祇官>へと集まる。
「どうしゃった?」
エンクルマの質問に、義盛は黙って壁の奥、無残に掘り返された地面の片隅を指差した。
その向こうにかすかに輝く何かに、一行、特に<吟遊詩人>ナーサリーの目が見開かれる。
そのまま、物も言わずにナーサリーは壁に近寄ると、両手で土を掻き出し始めた。
やがて。
「あった……!」
彼の手に、土に汚れた金色の板が握られた。まるで赤子をいたわるように、彼はそれを抱きしめる。
「それは……」
言わずとも分かる。 孤高の<吟遊詩人>がかつて10年以上も前、この世界では200年近い昔に戯れに埋めた、神代の楽譜だ。
感極まって動けないナーサリーの肩に手を伸ばし、<武士>エンクルマが代わりに槍を持つ。
彼の大槍、<人外無骨>が、ぽっかりと開いた空洞を更に穂先で抉っていく。
「見えんな。他んもあればよかとやが」
カチン。
ズポッ。
金属同士が当たったかすかな音とともに、不意に<人外無骨>の槍先が抵抗を失った。
「あ?」
ドシャ。
土が落ちる、湿っぽい匂いと音が一行の鼻と耳を擽る。
「どうした? 円」
思わず声をかけた八郎を振り向き、エンクルマは黙って指を、槍の突き立てられた壁に向ける。
その向こうには。
「空洞……か?」
「アマミYさん」
「わかっておるでありんすよ、主様。 お任しなんせ」
崩れた土砂と大理石の向こうに広がる、明らかに人工的に作られた石造りの廊下に、蝙蝠が飛んだ。
レオ丸が常時召喚している召喚獣、<吸血鬼妃>のアマミYだ。
「こんなところに、ゾーンが……」
「ナーサリーさん、前も見たことはある?」
「いや、楽譜はかなりの数作ってしまったから、かなり深くまで置いたはずだよ。
その時はこの地下4階の奥にゾーンがあるなんて、知らなかった」
「ネットの攻略サイトや解説本にも、なかったと思うで」
「確か、<大災害>以降、<黒剣騎士団>や幾つもん戦闘系ギルドのここば訪れたはずばってん、こぎゃんゾーンのあっけんなんて聞いたこつもなか」
口々に言う<冒険者>たちの元に、蝙蝠が舞い戻る。
それが黒い霧を浮かび上がらせた瞬間、そこには顔色の悪い貴族風の女性が立っていた。
「アマミYさん。おおきに。で、どやった?」
主たるレオ丸の問いかけに、<吸血鬼妃>は小首をかしげて答える。
「敵はおりんせん。この向こうはどこかに続いている一本道のようで、少し行くと右へ曲がりんす。
その向こうにも道は続いていんしたが、変な気配を感じたので戻ってきんした」
「ようやったで、アマミYさん。 ほな、戻ってえな」
「あい」
黒い霧と化してレオ丸の襟に消えた彼女から目をはずし、クニヒコが全員を見回した。
「みんな。とりあえず状況を整理する必要があると思うんだが」
「そうだね」
楽譜を手にしてナーサリーが頷き、全員は改めて車座になって座る。
「天蓬天蓬急急如律令 勅勅勅! ユイAさん、出番でっせ」
「オッケーでーす」
外のモンスターを警戒するため、レオ丸の召喚に応じて出てきた<首無し騎士>が部屋の前に立つ。
彼女のふんふんという鼻歌―この中で一番の年かさであるレディ・イースタルの父親世代の歌だ―を聞きながら、全員は互いの目と目を合わせた。
◇
「まず、分かっていることからはじめよう。この<詩人たちの楽堂>は本来、不死系ボスの存在するダンジョンだった」
「そして、本来ボスエリアに常駐しているはずの<死せる交響楽団>はエリアのどこにもいない……ってことですね」
クニヒコに答えたサツキに、おずおずとエンクルマが尋ねる。
「たまたまお互い移動していて顔ば合わしぇなかったっちゆう可能性はなかね?」
「それはないよ、エン兄。確かここのボスは、一定数以上の<狂える音符>と<悲しみの休符>を倒したら接近してくるはずだから」
「なるほど」
次に口を開いたのはレオ丸だ。
「せやけど、あの<音符>連中はボスの分身や。ボスが消えれば消えるはずや。
連中がいると言うことは、<死せる交響楽団>はどこかにいることになるんとちゃうかな」
「ええ、法師。<交響楽団>はどこかにいる。ですが、既存のエリアにはいない。とすると」
「そうか。あのゾーンの向こうにいる、というわけか」
八郎に応じたレディ・イースタルの言葉に、その場の全員がぞっとして不気味に開いた壁の穴を見た。
「……でもさ、サツキの言葉が確かなら、こっちへ来ないのはおかしくない?」
「これない理由がある、そう見るべきだろうな」
「……<ノウアスフィアの開墾>」
ぼそり、と呟いたナーサリーの言葉は、この場の誰の声よりも、全員の鼓膜に強く響いた。
全員の声を代弁するように、クニヒコが頷く。
「おそらくな。ゲーム時代にはないゾーン。知られていないボスの行動。
そこには何かの変化点がある。俺たちの知る限り、もっとも巨大な変化点は」
「<大災害>……<ノウアスフィアの開墾>によるアップデート、ってことね」
「そのとおりだ、八。おそらくあの向こうのゾーンは、新パッチで作られたダンジョンに通じている。
そして、<死せる交響楽団>の行動は、その新パッチによって行動パターンが変化したからと推測できる」
「っちゆうこつな、儂らは未知んダンジョンに潜るっちゆうこつやな!」
不意にわくわくするようにエンクルマが叫んだ。
狐尾族のこの<武士>は、筋金入りのレイダーらしく、恐怖ではなく興奮に全身を震わせる。
「面白くなっちきよったばい。初めてんダンジョン、遅ればとらんと」
「エンクルマ……向こうの危険度は分からないんだよ?」
呆れて嗜める八郎は、不意にナーサリーに問いかけた。
「でも、金板がその一枚しかないのも変よね。単に新ゾーンの入り口ができただけなら、その辺に散らばっててもいいはずなのに」
「……単にデータ処理の関係上、消えただけかもしれないね? あるいはゾーンの改造の際に、運営が消したのかも」
「ナーサリーさん……」
ぽつりと呟くナーサリーに、八郎が気遣わしげな目を向ける。
隣に座るサツキも、気の毒そうに目を伏せた。
そんな彼女たちを元気付けるように、ナーサリーは微笑した。
「いいんだ。少なくともこの一枚だけは残っていたし。それだけで十分さ、僕にはね」
「……楽譜の行き先については分からないというしかない。この向こうにあることを祈ろう」
「せやな」
ぱん、と小さく手を打って、レオ丸が笑う。
「およそ世の中のモンというもんは、望めばいつか見つかるモンや。引き続いて探そうやないか。
楽譜でなければ、覚えてる人でもええ。
何しろアキバのプレイヤーだけでも何万人とおるんや。みんなの歌を集めればすごいことになるさかい」
「そうだね。うん、そうだ」
同年代のプレイヤーの言葉に、ナーサリーの顔にも笑みが浮かぶ。
伝染したかのように笑う一行を、<首無し騎士>の少女が不思議そうに眺めていた。
◇
「じゃあ、行動を決めよう。一旦撤退するか、それともこのまま進むか」
「進む」
即答したのはエンクルマ。続いて八郎もしっかりと頷く。
「謎はこの向こうにあると思います。行こう、みんな」
「資材やアイテムを整理するためにも、戻ってもいいんじゃないか?」
彼女に目を向けたレディ・イースタルの言葉に、サツキも頷いた。
「もし<ノウアスフィアの開墾>に関係するダンジョンであれば、この向こうは90レベル以上向けの大規模戦闘地域になっている可能性もある……準備を整える時間はいるかも」
「だけど、その間に<大地人>や近くの人たちに被害が出るかも」
「レオ丸法師はほぼ1日いて襲われなかったんだし、大丈夫じゃない?」
「でも……」
言い合うサツキと義盛に、ふとレオ丸の懐から声がした。
「そういえば」
「どないした?アマミYはん」
「一昨日の夜、主様が杖を振り回していたとき、変な人影がありんした。
フードを被ったような……影のような変な人影で、モンスターとも人ともわかりませなんだ。
すぐに姿を消したので、正体は分かりんせんでしたが、不気味な雰囲気を持っていたように思いんす。
その人影は、そのままふらっと消えんしたが、この<楽堂>に入ったようでもありんした」
「早よ言いな! そない大事なことは!」
硬直する全員の中で、もっとも早く復活したレオ丸が叱責めいた声を上げると、ぷう、と膨れたような声が返ってきた。
「そう言われても、主様が楽しげに『これでナカルナードのアホウの目の前で、すかーんと一発ぶちかましたるわい』なんて叫んでいんしたから、言うに言えなかったんでありんす」
「……法師」
「い、嫌ね、これはね、そう、言葉のアヤっちゅうもんや。そりゃ……ワシだって……でも…」
ついに絶句したレオ丸にため息をつき、クニヒコが言った。
「少なくとも、謎の手がかりは見つかったわけだな」
「なら」
勢い込むエンクルマに、黒衣の騎士は苦笑する。
「ああ。とりあえず一押ししてみよう。撤退するときは俺が合図する」
「準備はいいのか?」
旧友の問いに、クニヒコはわずかに首を振って答えた。
「状況が分からない以上、偵察は出るべきだ。まだ戦闘可能だしな。
念のため、<円卓会議>に事情を報告してから出るぞ」
リーダーの決断に、今度は全員が頷きを返す番だった。
2.
「……静かだな」
「そうですね」
カツン、カツン、と靴音が響く。
そこは、白い大理石の床と壁で包まれた列柱回廊だった。
先ほどまで<冒険者>たちがいた<詩人たちの楽堂>地下4階エリアより更に精緻な文様に包まれ、
まるで古典古代の万神殿にいるかのようだ。
実際に南欧サーバに行った事のあるレオ丸やレディ・イースタルは、興味深そうに光に包まれたあちこちを眺めている。
一行は穴を潜り抜け、謎のエリアへと歩を進めていた。
ゾーン名称は<楽聖たちの神殿>。外観に相応しい、典雅な名前だ。
敵は見当たらない。
だが、8人の顔は一人残らず強張っている。
回廊を取り囲む巨大な列柱。
鏡のように8人を映す、白大理石で出来た床。
どこかから天使が現れてきそうな、そんな美しい場所であるはずなのに。
この場所がちっとも神聖にも荘厳にも見えないのはなぜだろうか。
どうして、<神殿>という名前に反し、いかがわしく、卑しく思えるのだろうか。
そして、全員の感じる違和感。
誰かが自分たちを見ているというちりちりした感覚が、8人の体にうっすらと汗を浮き出させていた。
「……奇妙な、場所、やね」
「そうですね」
本当に奇妙なのはゾーンではない事を、全員がうっすら感じながら歩く。
既に、アマミYが報告した『不気味な雰囲気』のあった場所は後方はるかに遠い。
そして、その音は唐突に聞こえてきた。
◇
それは、最初は小さな、ほんのかすかな音だった。
幼児がラッパを弄んでいるような。
だが、全員の顔色が聞こえた瞬間にさっと変わる。
八郎が刀の鯉口を切り、エンクルマが担いでいた大槍を取り、クニヒコが大剣を抜き放つ。
ナーサリーは弓を、レディ・イースタルは槍を、義盛は大太刀を構えた。
誰もが固唾を呑んで待つうちに、音は徐々に大きくなり、やがてひとつのように聞こえた音は複数の音の集合体となって全員の鼓膜を打った。
「来る」
「やっとお出ましか。待ちくたびれたちゃ」
エンクルマが戦意に耳を逆立てたとき、回廊の曲がり角から、それは姿を現した。
人だ。
タキシードのような、民族衣装のような、無国籍的な服をまとった人影が、しゃちほこばってトランペットを吹いている。
8人全員が横並びになっても、なお十分な広さを持つ巨大な回廊で、まるでマーチングバンドのようにトランペット奏者は進み出た。
その後ろにリュートを奏でる人影、バイオリンを持つ人影、太鼓を叩く人影。
次々と、まるで産み出されるように人影が現れる。
彼らは何者か、それはこの場の全員が分かっていた。
半透明の人間などいるはずもない。
<死せる交響楽団>が現れたのだ。
てんでばらばらに楽器を吹き鳴らしながら現れた半透明の亡霊は、40人ほどだった。
90人編成には程遠い数だが、時代も様式もまったく異なる楽器を備えた彼らは、演奏しながらも巨大な扇形に広がっていく。
「今のうちに攻め込むか?」
「いや、今襲えば連中は逃げる。戦闘形態になるまで待つんだ」
囁き返すクニヒコに、ふうん、とレディ・イースタルが答え。
その声に合わせたように、じゃん、と演奏が終わる。
同時に、彼らの奥から一人の亡霊が進み出た。
右手には指揮棒。左手には、
「あれは、僕の楽譜……!!」
ナーサリーが思わず呻いた。
指揮者らしき亡霊の手に抱えられているもの、それは紛れもない黄金の銘板だ。
驚愕するナーサリーに向き直るように、進み出た亡霊は彼へと一礼する。
深く頭を下げ、姿勢を戻すと同時に、亡霊たちが閉じていた目を一斉に開けた。
真っ暗な空洞だと思っていた。
日本で亡霊の目といえば、虚無に形容される暗い闇の穴。
この場の8人はそう思っており、実際にゲーム時代はそのとおりの画像だった。
しかし。
「ひっ!」
義盛が思わずかわいらしい悲鳴を上げる。
だが、彼女の視線の先を見た誰もが、その悲鳴と同じような声を喉の奥で漏らしていた。
血走り、ぎょろぎょろした目。
白目の部分を毛細血管で覆いつくし、焦点の定まらない瞳を無作為に動かす、
それは狂気と悪意を具現化したような、妙に生々しい瞳が、<冒険者>を見ていた。
ぐっと叫びを押し殺すクニヒコの前で、今度はだらりと演奏者たちが口から舌を垂らす。
そのまま、徐々に亡霊たちの間隔が狭まっていき、重なり、べきべきと音を立てて折れ曲がっていく。
まるで折り紙のように、プレス機で圧縮された粗大ごみのように、指揮者も、管楽器奏者も、弦楽器、打楽器奏者も、ぐちゃぐちゃに混ざり合い、折れ、砕け、ひとつになっていく。
やがて、彼らは人だったようには思えない、巨大で歪なオブジェクトへとその姿を変えた。
変態が終わったことを知らせるように、ぱおお、と何重もの和音が響く。
分身たる<狂える音符>や<悲しみの休符>をめちゃくちゃに繋ぎ合わせ、巨大化させた歪な多角形。
それが、<死せる交響楽団>の戦闘態勢だった。
唯一、ゲームだったときと異なる、正面に繋がれた巨大な眼球が<冒険者>を見つめる。
その視線と、クニヒコの視線が交差した瞬間が、戦いを告げる合図だった。
「<アンカー・ハウル>っ!」
叫んだクニヒコの全身から、不可視の光が<楽団>に叩きつけられる。
応じるように、不協和音が響き、一筋の光条がクニヒコを打った。
HPの2割近くが一瞬で吹き飛んだことに、全員の顔色が紙のように白くなる。
サツキが強張った表情のまま叫んだ。
「敵……95レベル!<小隊規模戦闘級>!! ……うそ、こんなレベル…!」
現実に意識が追いつかないサツキの横で、ナーサリーが呻いた。
もはや潰れた楽器の集合体にしか見えない<死せる交響楽団>が放つ光が、ボス自身のものだけでないことに気付いたのだ。
見ようによっては金色にも透明にも見える<交響楽団>の体内。
そこに無数の金板が収められていることを。
「……楽譜!」
<五月の王>に矢を番え、ナーサリーの顔が歪んだ。
「エン!八! 俺と一緒に前衛になれ! ヘイトは俺が管理する!
他は役割どおり攻撃! 95レベルパーティランクだ、出し惜しみするな!」
「アマミYが見た人影はどうするんだ!」
「こいつにまずは集中しろ! タルさん、回復は任せる!」
しゃらん、という音が響いた。義盛の<護法の障壁>だ。
見えない鎧をまとい、クニヒコが突進する。
一歩遅れてエンクルマと八郎。
ヘイトを稼ぐべく、<タウンティングブロウ>を唱えたクニヒコが、<黒翼竜の大段平>を勢いよく<楽団>に叩きつけた。




