番外6 <詩人たちの楽堂>
(追記)次の章との整合性を取るため、最終部分の数行のみ書き換えました。
申し訳ありません。
今回はエンクルマ氏やナーサリー氏たちに加えて、オヒョウさまのご好意により、
『私家版 エルダー・テイルの歩き方 -ウェストランデ編-』よりレオ丸法師をお借りいたしました。
登場のシーンのアドバイス等、ありがとうございました。
1.
翌日。
マイハマから海岸沿いを進み、数時間。
現実世界では稲毛海岸と呼ばれる、ザントリーフ半島の屈曲部に、静かに佇むモニュメントがある。
かつては神代の音楽堂だと伝えられるこの場所は、<大地人>から音楽という文化の多様性が失われて久しいこともあって、周辺の人々からはこう呼ばれていた。
<詩人たちの楽堂>と。
「名前に似合わず、辛気臭い場所だな……」
レディ・イースタルが馬上でぼやいた。
隣を進むエンクルマが苦笑する。
彼女のぼやきも無理はない。
現実世界でモチーフになった野外音楽堂とは似ても似つかぬ光景が、そこには広がっていた。
ゾーンのあちこちにボコボコと広がる、いびつな凹凸。
それらの一部に突き刺さった長方形や十字型の石版が、それが何なのかを一行に示していた。
風に吹かれ、土の一部から顔を出す白や茶色の物体に至っては、考えたくもない。
そして、その向こうにまるで無数の墓の主君であるかのように、巨大な建造物が朽ちた姿を晒している。
かつては優美な曲線を描いていたであろうそれは、時の流れと潮風によって、見る者を不安に陥らせるような歪な三角形となっていた。
それが、<詩人たちの楽堂>だった。
遠くに見える不気味なオブジェを、7人は見つめる。
彼らのレベルからすれば簡単なダンジョンのはずであるが、それはあまりに異様で、歪で、不気味だった。
「雨、降らないですかね」
「その前にさっさと屋内へ入ろう。あの<楽堂>の階段から下がダンジョンのはずだ」
分厚い雲の垂れこめた空を見上げ、一行が足を速めようとした時。
「ふん!ふん!」
変な声がした。
「……今んは何や?」
エンクルマがつぶやく。
「この周囲の墓から出たアンデッドの声かも。エン兄、周辺警戒を」
サツキが返した時、再び声がした。
「ふん!ふん!」
声と同時に、ぶおん、ぶおんと何かで風を切る音が響く。
「八、<狂える音符>はどんな声を出す?」
「不協和音、あるいは単音ですね。人語は喋りません」
<黒剣>時代の口調そのままで、クニヒコと八郎がささやき交わした時。
馬上から身を伸ばしていたナーサリーが前方を指さした。
「あれを!」
「敵か!? ……え?」
ナーサリーの指先を見つめた7人は、自分の見た物を一瞬理解できなかった。
◇
「……野球選手?」
誰かの声が風に流れていく。
かっぽ、かっぽという馬の足音だけが、7人の耳に聞こえていた。
青地に赤と緑のラインが美しく全身を飾っている。
ファンタジー、あるいは和風の服装、もしくは現代風の軽装が多い<冒険者>の中でも
目の前にいる人物の姿はとびきりに異様だった。
あまりに場にそぐわないためか、周囲の荒涼とした風景と逆に調和すら感じさせている。
男ーらしいーは頭に同色のキャップを被り、足元には<ダザネックの魔法の鞄>と、その場の何人かには見覚えのある法衣がひと所にまとめられて置かれていた。
魔杖なのか、どう見ても木製の、白球を打ち返すための棒を一心不乱に振っているその人物の正体に、この場の全員が覚えがあった。
「……レオ丸法師じゃないですか」
「ん?」
意外と綺麗なフォームでバッティングを繰り返すその奇妙な人物に、一同を代表してクニヒコが声をかけた。
「お、こりゃクニヒコ君! 君も自主トレか? ええでええで、運動は人を自由にするさかいな!」
「法師、一応聞きますが……ここで何を?」
健康的に汗を滴らせ、振り返ったその野球選手―ミナミの<召喚術師>、西武蔵坊レオ丸は、周囲の不気味な景観など気にもせず、爽やかに笑った。
「何って、トレーニングや! こないだな、<大地人>の<群青獅子団>のメンバーとな。
ガッツリと自主トレしてきてん♪ エエ汗かいたで!
どや? 自分も一緒にナロウマウントの星をめざさへんか?」
「ここ千葉ですけど」
「まあ、胸を借りるってなモンや! ワシらにとって千葉の強豪はいいライバルでもあり、宿敵やからな!
ちょうどこっちへ来たさかい、ついでに一丁練習したろ、思てな」
「はあ……で、その格好は」
「アキバの変人窟で特注した逸品や! どや? なかなかエエやろ?」
優美ささえ感じる西○ライ○ンズ黄金時代のキャップとダグアウトジャケットの背中に抜いとられた、『LEO-MARU』の文字と『五十六億七千万』と漢字で書かれた背番号を見せるレオ丸を、クニヒコはしばし見つめ、ややあって顔を仲間たちに向けた。
「みんな。すまん。知り合いかと思ったら知らん人だった」
「そうですね」
「そうよね」
「異議なし」
「では。知らない方。お達者で」
「ちょっと待って! 待たんかい! そんな狂人を見るような目をせんといてんか!」
そのまま立ち去ろうとした7人を、あわててレオ丸が止めた。
振り向いた一行の顔をレオ丸は見回す。
「珍しいメンバーやな。ナーサリーさんまでおるとは。
このメンバーでどこ行くつもりやねん? そっちの<詩人たちの楽堂>か?」
「ええ。……ちょうどいいですね。法師、ちょっとご一緒してくださいませんか?」
「え? まあ、エエけど」
要領を得ないまま頷くレオ丸に、八郎は静かに言った。
「もしよければ、いくつか聞きたいこともあるんです」
前日の深夜からーもはや誰も突っ込みさえしなかったーこの場所で訓練していたというレオ丸は、八郎の何か見かけなかったかという問いかけに、天を向いた後首を振った。
ここは<楽堂>の入り口である。
危險なゾーンの只中にあって、かつてのイベント会場跡であるここだけは、いかなるモンスターも入ってこない安全地帯だ。
狭いその場所に車座になって、八人は互いに改めて情報の共有化を図っていた。
「昨夜はどうでした?」
「せやなあ。アマミYさん、どやった?」
「妾が知る限り、主様を襲おうとしたのはスケルトンが約15体、ゾンビが28体、グールが33体、オーガが6体でありんす。
<狂える音符>やら<悲しみの休符>やらは見ておりませぬ」
「めちゃくちゃ多いじゃねえか!」
レディ・イースタルの指摘は誰からも無視され、レオ丸は何事もなかったかのように首を傾げた。
「まあ、このゾーンやったらそんなもんやな。
んで、自分らの目的は何なん?」
ナーサリーと八郎からそれぞれの目的を聞くと、レオ丸はやおら大きく頷いた。
「よっしゃ! ここで会ったのも前世の縁や!手伝ったろ!」
立ち上がり拳を握る野球選手の姿に、既視感を覚えたエンクルマたちが口々に囁く。
「ねえエン兄、この光景、見覚えがあるんだけど」
「儂もや」
「突っ込まない方がいいわよ。ネットゲームの古参プレイヤーなんて大体がお祭り好きで面白がりだから」
自分も微妙に『古参』に片足を突っ込んでいる八郎が、当人たちに聞こえないように嗜めた。
◇
その日の午後。
わずか数時間休んだだけで、8人は長い階段を降り、神代というよりアルヴ文明風の地下通路に足を下ろしていた。
目の前には、はるか彼方まで続くような無機質な大道がまっすぐに繋がっている。
いかなる技術によるものか、通路の壁や天井はうっすらと光を放っており、蛍光灯に似た寒色の光が、<冒険者>たちを薄暮のような明るさで包んでいた。
「さすがに、雰囲気は抜群ね……」
思わず呟いた義盛に、先頭に立つクニヒコが咎めるような視線を向ける。
「義盛。レベル差があるとはいえここは戦場だ。気を引き締めろよ」
「は、はいっ!」
昔、<D.D.D.>のリチョウや団長アイザック共々、徹底してしごかれた経験からか、義盛は思わず冷や汗を垂らした。
町に戻れば気さくな仲間であるクニヒコだが、大規模戦闘に挑む時の彼はまるで別人だ。
やり取りを耳にしたほかのメンバーの顔も、真剣なものへと変わる。
『たかが中レベル用のダンジョン』と心のどこかで侮っていた気持ちが一行から抜けたのを確認し、クニヒコは静かに一歩を踏み出した。
手前に大剣を構えたクニヒコ。
中央部に呪文使いを配し、両翼を八郎と義盛が固める。
殿はエンクルマという陣形で、8人は静かに通路を進み始めた。
「敵の反応、ないですね」
「そうやな。ここまで静かやと、逆に不気味やね」
ささやき交わすレオ丸とサツキの耳に、不意に不協和音が小さく鳴り響いた。
「!?」
立ち止まってそれぞれの武器を構える8人の正面から、奇妙な物体が滑るように飛んで現れた。
幼児が適当にかいて、ぐしゃぐしゃに握りつぶした金管楽器の残骸。
そうとしか思えないほどに歪なオブジェが、ふわふわと宙に浮いて現れる。
時折、吐息を吐くように鳴る和音は、まったく適当に鳴らされたようでありながら、明確な悪意と狂気をその音程に宿していた。
「……<狂える音符>……」
誰かの呟きに答えるように、ひときわ高らかに不協和音を張り上げて、形容しがたい奇怪な浮遊物がスピードを上げる。
見ようによっては多角形にも、円にも、あるいは機械的な物体にも見えるそれは、見つめる<冒険者>たちに奇妙な疲労感を覚えさせた。
現実ではありえない怪奇な造形に、脳が情報を受け取るのを拒否しているかのようだ。
しかし、その中でクニヒコはゆっくりと剣を中段に構えた。
そのまま言う。
「あれは俺が殺る。全員待機」
そう言って踏み出したクニヒコの手が不意にかすんだ。
わずか一撃。
35レベルのその敵は、過たず中心線を断った<黒翼龍の大段平>によって、瞬時に砕けて消えていた。
「しゃっすが、クニヒコ隊長たい。腕は衰えちゃいまっしぇんね」
うずうずしたような元仲間の賛辞に、不敵にクニヒコも笑う。
「じゃあ、エン、今度はお前がやるか?」
「望むところたい」
今度は後方から流れてきた単音に、愛槍、<人外無骨>をしごいてエンクルマが振り向く。
だが、彼の槍は今度もまた、振り下ろされることはなかった。
「ごめんね」
<幻想>級の弓、<五月の王>の一矢で瞬く間に<音符>を撃ち抜いたナーサリーが苦笑する。
エンクルマも、さすがに彼を相手では文句を言うこともできず、渋々と槍を下ろした。
「基本的な戦闘のスタイルを確認するぞ。前面からの敵は俺が迎え撃つ。
後方はエンクルマ、お前に任せた。
八は状況に応じて適宜援護に入ってくれ。タルと義盛は前衛のHPが50%切ったら回復。
ナーサリーさんは援護歌は使用控えめに、遠方にいる敵を射落としてくれ。
サツキも支援に特化だが、数が多いときはスプリンクラーとして制圧に参加して。
法師は魔力を節約して欲しいが、見通しの悪いところではすまないがアマミYさんに偵察頼む。
基本的にボスまでは苦戦する相手はいないはずだが、念には念を入れてMP消費は抑えよう。
みんな、いいか?」
全員が了解したのを確認して、クニヒコは前方の闇を振り仰ぐ。
「ここの<死せる交響楽団>は古代アルヴの亡霊だという設定だ。
知能がある可能性がある。無理せず、行こうか」
「おう」
レディ・イースタルが小さく応じ、一行は小さく頷いた。
確認こそできなかったが、<狂える音符>や<悲しみの休符>がダンジョンを出て人を襲うという噂が本当であれば、悠長に時間をかけるわけにもいかない。
寒々とした雰囲気の廊下のどこかで、再び和音が小さく鳴った。
◇
<詩人たちの楽堂>は地下に広大な空間を持つ巨大な三次元ダンジョンだ。
そしてこのダンジョンの厄介な点はもうひとつある。
ボスエリアが異様に広いのだ。
地下4階。
そこは、それまでの広大な地下迷宮より一回り小さい空間に、無数の小部屋と回廊が付属した施設だ。
それまでの、どこか無機質な、寒々しい光の通路ではなく、そのエリアは壁や天井が瀟洒な彫刻で飾られ、柱はイオニア式建築のような精緻な文様に彩られていた。
<楽堂>の名に相応しい、美しい建築複合体だ。
それと同時に、ここは<楽堂>の中でもっとも危険なエリアでもある。
決して狭くないこの空間のすべてがボスエリアとして設定されているのだ。
探索途中、あるいは休憩中に、不意に<死せる交響楽団>が現れることも稀ではない。
それほど設定レベルが高くないにもかかわらず、このダンジョンが中レベル<冒険者>用とされているのはそうした特殊事情によるものだった。
「エン兄! 後ろ!」
サツキの鋭い声に合わせるように、轟と音を立てて<人外無骨>が忍び寄ってきた<悲しみの休符>を薙ぎ払った。
その刃風をからくも凌いだ<音符>たちに、無数の光球が打ち付けられる。
まるで機銃のように打ち込まれる<パルスブリット>に、まさしく崩れるように<音符>や<休符>たちが消えていく。
「ふっ。どんなもんだ!」
「サツキ! ぼやっとしないの!」
愛用の大太刀で仲間に飛び掛ろうとするサファギンを打ち落とし、義盛が注意を促した。
援護してくれた義盛に頷いたサツキが、再び両手を前方に掲げる。
その横で、弓を構えたレオ丸の召喚獣、<蛇目鬼女>のナオMが、通路に顔を出したオーガの首筋に向かって鋭く矢音を鳴らした。
◇
地下3階で交代で眠りにつき、8人が地下4階に挑んだのは翌日の早朝と思しき時刻だった。
そして数時間。 一体どこから光を取り入れているのか、柔らかな日差しのような光に包まれた回廊の一角で、一行はこれまでにない数の敵と対峙している。
<冒険者>たちの周囲を埋めるのは、見渡す限りのオーガ、サファギン、そして<狂える音符>と<悲しみの休符>だった。
それぞれが熟練の大規模戦闘者であるためか、その陣形は崩れてこそいないが、レオ丸は召喚獣を、レディ・イースタルは新たに従者として契約した<アルラウネ>をそばに控えさせて、それぞれにパーティの維持に努めている。
その前面、縦横無尽に愛刀、<真・大和守安定>を振るう伊庭八郎は、隣で<黒翼龍の大段平>を片手剣であるかのように振り回すクニヒコと並び立ちながら叫んでいた。
「クニヒコさん! こんなに多くの敵、処理が間に合いませんよ!
突破してボスのところに向かいましょう!」
「<死せる交響楽団>は移動型のボスだ。待っていればいずれ来る。
今は無二念、敵を斬れ!」
「ですが……」
身を翻しざま、手近なサファギンを斬り捨ててなおも八郎は続ける。
「この数、少し異常です! 本来なら上の地下3階が雑魚モンスターの生息地域のはず!
どこか変ですよ、ここ!」
「そうだな……だが、今陣形を崩すのは下策だろう。突破するにしても、まずは敵を減らしてからだ」
言葉と同時に一太刀でオーガを沈めたクニヒコの前には、決して広くない回廊を埋めるように押し寄せる敵が、まるで一行の行く手を阻むがごとく立ちはだかっている。
回避能力の高い八郎に行動の自由を与えるべく、<アンカー・ハウル>を放ちながら進むクニヒコの視界に、不意にナーサリーの姿が過ぎった。
襲い掛かる敵を踊るように避け、目の前のモンスターに的確に<五月の王>で一撃を加えている。
満座の舞台で踊るプリマのように、その動きは軽やかで、しゃら、と揺れる服の衣擦れすら優雅だ。
無数の雄たけびと不協和音が交差する戦場にあって、彼は息をあえがせることもなく、
<剣速のエチュード>と<慈母のアンセム>の音色を道連れに、戦場を疾駆していた。
◇
「すげえな」
レディ・イースタルは仲間たちのHPに絶えず目を走らせながらも、周囲の仲間たちの様子に思わず嘆声を上げた。
彼女自身、大規模戦闘の経験は決して多くはないが、目の前の男女の戦いは、彼女が過去見た中でも屈指に強く、かつ美しいものだったのだ。
やや楕円形に伸びた戦線の正面で剛剣を振るうクニヒコは、いつ見ても頼もしい。
隣で足さばきを駆使しつつ、周囲を斬り捨てる八郎の動きもまた、クニヒコを動とするなら静を象徴するかのようだ。
持つ武器の特性で50以下のレベルの相手には即死効果を与えられるだけに、彼女の刃にかかった敵はまるで魂ごと斬られたかのように倒れていく。
そうして作り上げられる死の空間には、理性のないモンスターでさえ入ろうとしなかった。
横を見れば、いつもの法衣に着替え、煙管をくわえたレオ丸が手にした杖で<狂える音符>を吹き飛ばすところだった。
レディ・イースタルにはただのバットにしか見えない杖から、ひょこ、と半透明の女性が顔を出す。
<風乙女>だ。
その彼を守るように、<蛇目鬼女>と<首無し騎士>が武器を振るい、すぐ横では<暗黒天女>が舞踏さながらに刀を閃かせていた。
レディ・イースタルが自らの槍を振るうことなく、回復に専念できるのも彼女らの援護によるものだ。
その横を跳ぶのはナーサリーである。
援護歌に加えて<シフティングタクト>で仲間の特技の再使用時間を抑えながら、取り回しのよい短弓は、仲間の攻撃をすり抜けた敵を正確に射落としていた。
本来、武器攻撃職に分類されながらも他のメンバーの支援に特化するのが<吟遊詩人>だ。
大隊規模戦闘などでは、自身は動かず、盾たる仲間を信じて支援に回る<吟遊詩人>は多い。
しかし、ナーサリーは違った。
自らの足で最適な位置を探し、攻撃と支援を両立させる。
それは単に酒場で歌を歌うだけの<吟遊詩人>ができる業ではない。
「ナーサリーさん!」
クニヒコによって切り倒されたオーガの血だまりに足をとられたナーサリーの横を、無数の光弾が駆け抜けた。
彼の体を器用に避けた魔術による速射砲が、周辺の敵を瞬時に光へと変える。
<速射砲型付与術師>たるサツキの面目躍如ともいえる一撃だ。
瞠目したレディ・イースタルが思わず振り返った先には、元と現役、3人の<黒剣騎士団>が相互に支援しつつ戦っていた。
全方位からの飽和攻撃ともいえる敵襲は、数々のレイドコンテンツをクリアしてきた彼女たちにとっては、いわば手馴れた戦場だ。
周囲を取り囲む敵を前に、彼らは不敵に笑っている。
全方位に<パルスブリット>を発射するサツキを大太刀と<障壁>で守りながら義盛が踊る。
その横でエンクルマが縦横に<人外無骨>を振り回していた。
3人のもたらす暴風は無数のモンスターを、まるで草を刈るように血泥に沈めていく。
レディ・イースタルは彼らを見ていて気がついた。
エンクルマは無作為に暴れているようでいて、義盛やナーサリーの支援を的確に受けられる位置に常にいること、
そして残る2人は、自らも乱戦の真っ只中に身を置きながらも、レイダーらしい冷静さで周囲を把握していることに。
「エン兄! 左前方、敵3!」
「まかしときんしゃい! 義盛!」
「<護法の障壁>!」
「タルさん、義盛ちゃん残り50! ナーサリーさん40! そろそろ!」
さすがはトップランクのレイダーというべきか、視線を敵から一瞬もそらさないままに仲間たちのHP残存率を告げるサツキの声に合わせ、彼らの戦い方に見とれていたレディ・イースタルもあわてて呪文を唱えた。
<ガイアビート・ヒーリング>。 <森呪遣い>である彼女の声に合わせ、解き放たれた魔力が隣の<アルラウネ>によってさらに増幅され、味方に癒しの光となって降り注ぐ。
大規模戦闘の経験が少ないレディ・イースタルが、8人の仲間と4体の召喚獣の回復を一手に引き受けていられるのも、サツキの的確な指揮によるものが大きいのだ。
ほっと息をついたレディ・イースタルは、ふと敵の動きが変化していることに気がついた。
◇
ざわり。
奇妙な悪寒が、八郎の背筋を駆け上がった。
<大災害>以来、常に最前線で刀を振るっていた彼女だからこそ得た、第六感だ。
サファギンやオーガが無傷の個体から徐々に後ろへと下がっていく。
その代わりに前に出てきたのは、無数とも見える<狂える音符>だった。
その光景が、八郎にさらなる危険を知らせる。
50レベルの<狂える音符>や<悲しみの休符>は、通常は突進による体当たりか、微細な状態異常を引き起こす光線を放つのが主な攻撃方法だ。
しかし、彼らにはもうひとつの特技がある。
複数の<音符>が集まったとき、個々の不協和音は歪なメロディとなって敵にたたきつけられるのだ。
「みんな! 来るよ!」
「おうさ!」
「うん!」
応答もつかの間、狂った多重奏が<冒険者>たちの全身を打った。
ナーサリーの援護歌が強制的に解除され、メンバーに絶えずかけられていた<障壁>や、その他の支援型特技が一瞬で吹き飛ぶ。
<狂気の夜想曲>。
<冒険者>たちの支援型特技をダメージとともに解除させる、乱戦では危険きわまる特技だった。
それだけではない。
まるで次の銃兵に道を譲るように、<音符>たちの隙間から<悲しみの休符>が顔を出す。
彼らもまた、一斉に暗い音を響かせた。
<沈黙の幽眠歌>
<悲しみの休符>から放たれた音なき音を叩きつけられ、レディ・イースタルは違和感に気がついた。
声が出ない。
90レベルを超える<冒険者>にすら抗えない<沈黙>の状態異常効果だった。
通常、<音符>たちが放つこうした集合特技は、参加する<音符>の数によってその威力を増減させる。
歴戦の高位冒険者である彼らであれば、たとえ10や20の<音符>たちの攻撃であっても耐え切るはずだった。
しかし、目の前にいる<音符>は全周囲合わせて50以上。
耐え切れるわけがなかった。
援護歌を打ち消されたナーサリーが、空中で一回転してパーティの中央に着地する。
彼の周りに集まるように、呪文使いたちが円陣を作った。
特技には呪文、すなわち声が必要。
声を封じられた今、サツキやレオ丸は無論のこと、レディ・イースタルや義盛も回復特技を使うことができないのだ。
かさにかかって攻めてくるモンスターたちを、クニヒコやエンクルマ、八郎に義盛といった前衛の戦士たちが迎え撃つ。
だがその連携は、それまでの優美ささえ感じさせるものから、徐々に軋み始めていた。
<エルダー・テイル>がまだゲームだったころ、<沈黙>の状態異常は魔術師を無力化させる強力なものではあったが、決して致命的なものではなかった。
喋れないのはあくまでアバターであり、プレイヤーたちはチャットで話すことができたのだから。
だが、今は事情が異なる。
乱戦の中で指示も出せず、指揮も取れないということがどれほど危険なのか、<大災害>以降の無数の戦闘を潜り抜けてきた、この場にいる全員が等しく理解していた。
それでもなお、<冒険者>たちの目から不敵な笑みは消えない。
彼らは即席のパーティであり、ソロプレイヤーも抱えていたが、だからこそ言葉などなくても自分の役割を明確に理解していた。
エンクルマとクニヒコは前後の壁だ。
そして、回廊の壁際に固まった呪文使いたちの前に、八郎と義盛が並び立つ。
レディ・イースタルも彼女たちに頷くと、八郎の隣で槍を構えた。
サツキも続くように前線で、妙にかわいらしい意匠の鉈を振り上げる。
その後方では魔杖による風の障壁を掲げたレオ丸と、弓を左手に、右に扇のように十本近い矢を掲げたナーサリーが立った。
彼の足元には、矢筒が床に突き立てられるように垂直に置かれている。
見交わす目は一瞬。
それぞれが正面のモンスターを見据える。
「GUOOOOU!!」
勝ちを確信したように、一匹のオーガが丸太のような腕を振りかざして突進する。
それが合図となった。
<冒険者>たちから、先ほどまでのサツキに並ぶほどの速度で次々と矢が放たれる。
怪物たちの喉笛を射抜いていくのは、ナーサリーだ。
踵を支点に回りながら、彼は右手の矢を弓に番えては打ち放つ。
でたらめに射ているようで、その狙いは正確無比だ。
その彼の軌道を邪魔しないようレオ丸は、手にした魔杖の不可視の障壁を<音符>に叩きつけた。
地面から浮いている<狂える音符>や<悲しみの休符>には、何より吹き飛ばしの効果がある杖は鬼門だ。
そうした後衛の援護を受け、サツキとレディ・イースタルを含めた前衛が各々の武器を振るった。
いずれも劣らぬ性能の武器だ。
周囲の建築ごと吹き飛ばすようなクニヒコの剛剣が、エンクルマの豪槍が、現実感がないほどにあっさりと敵陣を薙ぎ払う。
「……っはっ!」
声が、出た。
状態異常が時間によって解除されたのだ。
「<ガイアビート・ヒーリング>!」
「<護法の障壁>!」
すかさず二人の呪文使いが回復をはじめ、喉に息を吹き込んだクニヒコが叫ぶ。
「ようし! 殲滅しつつ前進するぞ! <休符>を優先的にやる!」
クニヒコの叫びに答えるように、8人は壁沿いに前進した。
彼を先頭にし、長柄の武器ならではの距離をとって敵を蹴散らすエンクルマを後方に立てた陣形だ。
じりじりと歩く彼らの横では、打刀と大太刀、二種類の剣が近寄る敵を切り捨てる。
終わりの見えない悪意の海のような敵の群れに出口が見えてきたのを確認し、後ろから追うレディ・イースタルはふと思い出した。
片手で槍を振り回しながらももう片手で<ダザネックの魔法の鞄>をあさる。
出てきたのは、ヤマトを出て久しい旧友の残した置き土産だ。
「ユウ! 使わせてもらうぞ!」
言い放ち、彼女は引っ張り出したポーチのふたを開け、後方の敵に向かって投げつけた。
ポーチからぼろぼろとこぼれた毒々しい色の瓶は、地面に勢いよくぶつかると同時にその力を解放する。
「うおっ! 何ね!?」
すさまじい爆風に思わずエンクルマは片手で顔を隠した。
「爆弾だ!後ろを見つめるなよ!」
どれほど渡されたのか、次々とポーチごと無数の爆薬を投げつけるレディ・イースタルにより、密集した敵のあちらこちらで爆発が起き、そのたびに柱が倒れ、壁に穴があき、<音符>たちが悲鳴を上げて消えていく。
その爆風に押されるように、<冒険者>は前進を開始した。
◇
「ここも空、か」
最後の部屋を探索し終わった八郎に、クニヒコが疲れたように頷いた。
敵襲から逃げ切った彼らがいるのは、地下4階の最も奥まった部屋である。
そこにもまた、ボスである<死せる交響楽団>の姿はなかった。
それだけではない。
「たぶんこの部屋だと思う……楽譜は見つかったかい?」
問いかけるナーサリーに、八郎はだまって首を振った。
そんな彼女と入れ違いに入ったナーサリーから、不意に叫びが聞こえた。
「なんだ?」
「これ、ここだよ、僕たちが楽譜を置いた場所は」
指を刺すナーサリーの視線の先には、確かに部屋の一部の壁がはがされ、柔らかい土質の地面が露出している。
しかしそこには、誰かが掘り返した後のような不気味な空洞が口をあけているだけだった。
「ともかく、もう一度エリアの状況を確認しよう。ボスもいないとはどう見ても変だ」
クニヒコが疲れたように告げ、彼らはモンスターたちが来ないかどうか、交代で見張りにたちながら、部屋の探索を続けた。
しかし。
結局、<死せる交響楽団>の姿も、楽譜も彼らの目に留まることはなかった。
ただ。
何者かに見られているような、奇妙な違和感だけが、全員の体に不快な疲労感だけを残していた。
ダンジョンのモチーフになった稲毛の野外音楽堂は、実際は非常にきれいなところです。
周囲が墓場に囲まれているとか、地下に大空洞があるとかはありませんのでご安心下さい。
でも自主トレ中のプロ野球選手はいらっしゃるかもしれません。




