番外5 <おっさん都へ行く> (後編)
本作においては
水煙管 様『愛しの世界へと贈るバラッド』よりナーサリー氏、
佐竹三郎 様『三匹が!』よりエンクルマ氏以下四名のキャラをお借りしております。
シチュエーション含め、誠に有難うございました。
1.
スリーリバーの使者として、状況を<円卓会議>と自由都市同盟イースタルへ伝える。
簡単に言えば、レディ・イースタルの任務とはこれだけだ。
その後はナインテイルへ通じる<妖精の輪>が開くまでの約1ヶ月、彼女は就職後初めての休暇を、存分に満喫することが出来る。
出来るはずだった。
しかし。
ナインテイルからの使者、ウェストランデの伯爵などという厄介なサブ職業を持つ彼女を、イースタル諸侯が放っておくはずがなかった。
◇
「あー、終わった終わった! ようやく休める! クニヒコ、今日と明日の予定は?」
「今日はもう終わりだな。明日は午後からドレスター子爵との会談、それから<水楓の館>でスワ湖畔長との面談、夜はレイネシア姫主催の夜会だな」
午後の日差しがうららかなマイハマの街、<灰姫城>の城門前で、大きく伸びをしたレディ・イースタルに、秘書よろしくクニヒコが紙束をめくって答える。
「ってことは、今日は久しぶりの午後オフか!? よっしゃ飲むぞ! 今日はこの街に泊まるからな!」
面倒くさいとばかりに、動きづらいドレス―彼女が仕えるメハベル男爵家秘蔵の品だ―を、周囲の通行人が驚くのを尻目にさっさと脱ぎ捨て、いつもの服装に瞬時に着替えたレディ・イースタルは、嬉しそうにクニヒコに宣言した。
いつもどおりの黒衣の騎士姿の友人も、苦笑して応じる。
「ああ。最近はマイハマにも居酒屋が増えたみたいだし、どこかで一杯やるか」
「おうよ! …それにしても、休暇のはずだよな、俺。なんでこんな毎日毎日、貴族と会わなきゃいけないんだ?」
「……お前の立場とサブ職業のせいだ。諦めろ」
ため息をついたレディ・イースタルは、ここマイハマで、イースタル地方きっての大貴族、セルジアッド・コーウェン公爵と面談する羽目になった、そもそものきっかけを思い出していた。
◇
レディ・イースタルは<冒険者>である。
それと同時に、今の彼女は<大地人>社会における公的な身分も持っていた。
ウェストランデ皇王朝伯爵。
ナインテイル貴族、メハベル男爵家宰相にして騎士団長。
神聖皇国ウェストランデ、スリーリバー諸侯名代にして執政公爵家の非公式な名代。
これが、レディ・イースタルが持つ公的な肩書だ。
はっきり言えば、イースタル都市同盟のほとんどの貴族より持つ権威は重い。
当然のこととして、貴族たちは降って湧いたようにやってきたこの大貴族を―当人の意志とは全く無関係に―重く見た。
結果として、彼女は到着して数日経たないうちにアキバにおける<大地人>貴族の大使館とも言える、<水楓の館>に有無を言わさず放り込まれ、秘書扱いされたクニヒコ共々、押し寄せる貴族への応対に夜昼関係なく駆けまわる羽目になったのだった。
そんな激務のさなかの、とある一日のことである。
<水楓の館>では、定期的に貴族や<冒険者>を集めての茶会が開かれる。
レイネシアが、伝えにくそうにレディ・イースタルに依頼したのは、その日の午後の茶会のことであった。
「お祖父様……セルジアッド・コーウェン公爵からの招待状を預かっております」
「は?」
センベーという名の<冒険者>の菓子―ぽろぽろと溢れる上、手づかみで食べるため貴族にはあまり評判が良くない―を齧りながら、間抜けな返事を返したレディ・イースタルに、レイネシアは傍らに置かれた手紙を押しやった。
「ふむ……? うん、読めん。読んでくれ」
したためられた流麗な書体の解読を、あっさり放棄したレディ・イースタルに、レイネシアも苦笑して手紙を受け取る。
目の前の<冒険者>伯爵が、通常の<冒険者>以上にざっくばらんな性格であることを、レイネシアもわずか数日で完全に把握していたのだ。
「ええと。『誉れ高きナインテイルの騎士、わが友にして甥、先祖より武勲あらたかな……』」
「形容詞は省いてくれ。 頭が痛くなる」
「え、ええ。 では……『メハベル家宰相兼伯爵騎士団長閣下へ、セルジアッドより午後のひととき、ともに酒を汲んで話でもどうか。色好い返事を期待する』 ……です」
「要は会って話せと」
身も蓋もなく要約したレディ・イースタルに苦笑し、レイネシアは軽く頷いた。
「要するに、メハベル男爵閣下の現状をお知りになりたいようです。
男爵として叙爵した以上、男爵閣下の行動をしる義務が公爵家にはありますから」
「支局の現状調査ってことか。 まあ、妥当な要求だな。いいよ。いつだ?」
あっさり応じたレディ・イースタルにほっと息をつき、レイネシアも手紙の末尾を見る。
「返書はこちらでしたためますが……多分3日後くらいでしょうね。できるだけ早く、とありますので」
「分かった。じゃあ用意して行くとしよう。なんか事前に用立てるものはあるか?」
「いえ、特にありませんが……一応、正式なドレスをおねがいします。
こういう場合、相手の立場や自分の立場で色々違うのですが……伯爵閣下の場合、今回はメハベル家宰相としての立場で訪問しますので、ドレスは一番よいものを。
紋章はご自身のものでなく、メハベル男爵家のものにしてください」
その言葉に煎餅を振って返し―砂糖を振られたこれは実に美味だった―5日後、レディ・イースタルはマイハマへ向かうことになったのだった。
そして。
◇
「そりゃ、情報がないのはわかるけどな。どいつもこいつも根掘り葉掘り聞くなよ。尋問かよ」
「まあ、今日はゆっくり飲め。明日は10時位までに起きりゃいいから」
目の前でぐだを巻くレディ・イースタルに、クニヒコは内心うんざりしながら何度目になるかもわからない返事を返した。
久しぶりの夜会のない夜である。
マイハマの下町にも最近増えた、<冒険者>風の酒場―わかりやすく表現すれば赤提灯―の一角に二人はいた。
ここぞとばかりに唐揚げ、ヌタ、漬物にビールと、おっさん臭いつまみを食い散らかす彼女は、トロンとした目で目の前の騎士を見上げる。
「公爵はまあ、まともだよ。男爵家の経済はどうか、周囲との関係は、<冒険者>との関係は、とか
まあふつうの事を聞いていたしな。
他の連中はなんだありゃ。先代男爵の最期なんて何度喋らされたかわからんぞ。
挙句恋人はいるのか、以前夫はいたのか、子供の嫁にどうかとか、田舎の見合い好きおばさんみたいなことをくっちゃべりやがって。
知るか、こっちは日々まじめに仕事してる勤労中年だぞ」
「まあまあ」
差し出されたビールをぐいっと煽って、ドレスからいつもの服に着替えたレディ・イースタルはなおも愚痴を垂れ流そうとした。
その顔が不意ににやりと歪む。
「そういや、今日のレイネシア姫の表情見たか? あれ、絶対面倒くさそうだったぞ。
わざわざアキバからマイハマまで戻ってきて、爺さんの横で笑ってるだけだろ? 俺なら発狂するね」
「まあ、途中で微妙に眠そうだったしな……」
クニヒコも頷く。
アキバにおける非公式のイースタル大使として、レイネシアはレディ・イースタルと何度も面談していた。
何回も顔を合わせれば、雑談などしなくても相手の顔は読めてくるものだ。
今日、セルジアッド・コーウェン公爵の側近く控えた彼女の『早く帰りたい』という心の声は、しっかりと二人にも届いていた。
自分よりはるかに年少の相手について、二人の中年男が意地悪く笑みを浮かべたとき。
不意に、二人の耳に穏やかな調べが届いた。
酒場の一角から流れる低い、落ち着いた音を、いささか機能を低下させた鼓膜が聞き取ったのだ。
それは、クニヒコやレディ・イースタルが生まれる100年近く前、奥州の片隅で遠い銀河に思いを馳せた作家の作った曲だった。
この世界ではどこにあるのかも最早わからない、懐かしい星座の詩だ。
「……星巡りの歌、『銀河鉄道の夜』か。なんとも、懐かしい」
「子供の頃に小学校で歌ったっけ。アンドロメダの雲はー、って」
二人がゆっくりと、音色の流れる方向を見る。
そこで目を閉じ、静かに曲を奏でていたのは、チェロを操る枯草色の髪の青年<吟遊詩人>だった。
いかにも優雅な手つきでチェロの弓を動かし、合わせて歌う青年の声はかすれることなく伸びやかに広がる。
いつの間にか、騒がしい店内が静まり返っていた。
誰もがいつしか青年の歌に聞き惚れていたのだ。
そして、囁くように、音色と歌声が静かに止まった瞬間、わあ、と歓声とともに<吟遊詩人>にあちこちから拍手が送られ、金貨が彼の足元の帽子に投げられた。
軽く頭を下げるその青年<吟遊詩人>に、あちこちで乾杯の声がかけられる。
「いやあ、いい歌だな! おりゃ初めて聞いたよ!」
「異国の歌かい? まあ一杯やってくれ!」
「次も頼むぜ!」
「あ、こりゃどうも。 いや、すまないね」
突き出されたジョッキに美味そうに口をつけるその青年を見て、レディ・イースタルも思わず唸った。
「ありゃ、<金星音楽団のセロ>だぜ。いい趣味だなあ」
「ロールプレイヤー、かくあるべしッて感じだな。どれ。俺も一杯進呈に行くか」
クニヒコが立ち上がりかけた時、隣から不意に、<吟遊詩人>への賛辞とは別の声が響いた。
「あ、クニヒコさん?!」
「ん?」
浮かせかけた腰のまま、クニヒコが声のする方を眺める。
そこには、4人の<冒険者>が座っており、目を丸くしてクニヒコを見ていた。
幕末の五稜郭から脱走してきたような洋装軍服に陣羽織の女性。
こちらは戦国末期の京都から来たような派手な髑髏の模様の着流しに大槍を担いだ青年。
さらには平安時代の比叡山から降りてきたと思しき僧兵姿の女性。
最後はどこかの戦艦から泳いできたような水兵服の女性。
いくら<冒険者>用の装備が多岐に渡ると言っても、あまりに多様性に走りすぎた一団だ。
「あんたら……」
「クニヒコしゃんじゃなかやか。お久しぶりたい。お元気やったか?こん前こいに戻っちいらっしゃったと?」
「……何語だ?」
その中の一人、傾奇者めいた青年の言葉に、思わずレディ・イースタルが呟いた。
だが、友人の呟きを聞き流し、クニヒコは懐かしい友人との再会に思わず破顔した。
「エンクルマじゃないか! そっちは伊庭八、義盛、サツキ! いや、久しぶりだな!」
「クニヒコさんこそ、ずいぶんご無沙汰してますね。お元気そうで」
軽く頭を下げた幕末風の女性―伊庭八郎の目が、となりで呆気にとられていたレディ・イースタルを見た。
「あら、そっちの方は……」
「そういや、見覚えあるな。何年か前のスノウフェルでな。おっさんネカマのレディ・イースタルだよ」
「ネカマ? でもその声……あら」
八郎と呼ばれた女性の目が細くすぼまり、その口が踊るように揺れる。
「おめでとうございます。ついに身も心も女性になられたんですね」
「なんだと!? このネナベ崩れが! 片腕落として土手っ腹に鉄砲穴を開けてやろうか!!」
「なんですって、この色物更年期ネカマ姫が!」
「待て、おい、待て! ふたりとも落ち着け!」
「ちょっと、ここ酒場だし! あんま騒ぐのは……」
怒鳴って立ち上がった二人を、しがみつくように残る4人が止める。
騒ぎを察知した周囲の<大地人>が、迷惑そうに席を避けるのを尻目に、二人はしばし睨み合い、やがてどちらからともなくぷっと吹き出した。
「ま、挨拶はこのくらいにしておきましょうか。お久しぶりです。レディ・イースタルさん」
「ああ。久しぶりだなあ。元気してたか?」
いきなり笑った二人は、気味悪そうに見つめる仲間たちを尻目に簡単に握手すると、さっさと互いの席についた。
わけがわからないなりに、残る4人も互いの席に座る。
「なんで急に仲良く……?」
「ま、貴族同士のくだらん美辞麗句の応酬の後じゃ愉快なガス抜きみたいなもんさ」
「こちらも、久しぶりに懐かしい顔に会えましたからね」
軽く答えて、伊庭八郎は不意に真剣な顔になった。
「お互いにいろいろあったということでしょうね」
「そうだな。義盛の姿もそうだが、あんたらも<黒剣騎士団>から離れたのか?」
「ええ。エンクルマはまだ所属していますけど」
『いろいろあった』といえば一言だが、その言葉の重みをこれ以上なく感じる一年だ。
6人の誰もが、様々な苦しみや悩み、冒険を経て、ここにいる。
沈みそうな座を察したのか、エンクルマとクニヒコが呼んだ傾奇者風の青年が不意に明るい声を上げた。
「まい、暗い話はここまでにしようや。
しぇっかく会ったんたい。互いに近況ば話しとらんか? お二人は今なんばしんしゃっとぉと?
クエストで来よるわけばってんなさそうたい」
「……すまん、さすがに分からん。クニヒコ、翻訳してくれ」
「ああ、タル。彼は『暗い話はここまでにして、近況を聞きたい』と言っている」
「失礼やな! クニヒコしゃん!」
抗議するエンクルマに、全員がどっと笑う。
それだけで、再び場の空気が明るいものへと変わった。
後ろでは、他の<冒険者>にリクエストされたのか、10年ほど前に流行ったアイドルグループの歌を青年が軽やかに奏でている。
48人の少女の明るい歌声が印象的な歌だが、チェロで響く曲だと、不思議と穏やかなバラードのように聞こえるのが不思議だ。
その音に背中を押されるように、レディ・イースタルは笑いながら答えた。
「ああ。すまんね。俺はレディ・イースタル。タルって呼ばれてる。
クニヒコや、そっちの伊庭八姐さんも知り合いのユウの友人さ。元はミナミでギルドにいたんだが、
いろいろあって今じゃナインテイルで<大地人>貴族に就職してる」
「へえ?」
サツキと呼ばれた水兵服の女性が面白そうに相槌を打つのに気を良くし、彼女はぺらぺらと喋った。
もともとが記者、聞き上手なのはあたりまえだが、そもそも彼女は話好きなのだ。
「一応浮世の義理という奴で、その貴族のおやじさんに息子を頼まれてな。
後見役っていうから、ご意見番みたいなもんかと思ったら、宰相になっちまった。
んで、仕事でこっちに出張、兼バカンスのつもりだったんだが……」
「サブ職業に<伯爵>ってあるだろ? これ、20年近く前にタルさんが取ったサブ職でね。
<冒険者>にはなんてことないんだが、<大地人>にはとんでもないものらしくてね」
「ああ、なるほどな」
クニヒコの言葉に合点がいったらしい僧兵風の女性―義盛が、仲間たちに説明するのを聞きながら、振り向いた彼は伊庭八郎に尋ねた。
「で、あんたらはここにはなんで? クエストなのか?」
「ええ。ちょっと依頼を受けまして。<詩人たちの楽堂>というダンジョンなんですけど」
「それは、興味があるね」
不意に6人の後ろから別の声がした。
「!?」
「ああ、驚かせて悪いね。ちょっといいかい?」
そこにいたのは、先ほどまでチェロを奏でていた、砂色の髪の<吟遊詩人>だった。
◇
「……あなたは?」
「ああ、僕は」
「ナーサリーさんじゃないか!」
問いかけたサツキに答えようとした青年の声をいきなり遮ったのはレディ・イースタルだった。
その名前にピンときたのか、比較的プレイ歴が長い伊庭八郎とクニヒコはじめ、他のメンバーもあっという顔になる。
<吟遊詩人>、ナーサリー。
他国に比べ、プレイの裾野が広い日本サーバでも、職業としての<吟遊詩人>ではなく、まさしく文字通り『吟遊詩人』として長年プレイしていた彼は、その独自性の高いプレイスタイルから、サーバでも有名な人物だった。
「そういや、いくら<大災害>後とはいえ、<大地人>の酒場で弾き語りとかあんた以外にいるはずもなかったな。元気だったかい?」
「ええ。タルさんも、その声はともかく元気そうだね」
「……声はほっといてくれ。なんでこう会う奴会う奴全員に突っ込まれねばならんのだ……」
「…タルさんはしばらくほっとこう。それにしてもナーサリーさん、一別以来だね」
「まあ、座ってくださいよ」
差し出された椅子に座り、手にしたジョッキをあおって、ナーサリーは言った。
「お久しぶり、みなさん。元気そうで何より」
「久しぶりたい。元気しっとぅと?」
「まあ、ね。それより……<詩人たちの楽堂>に行くつもりなのかい?」
笑顔は一瞬、その真剣な目に、思わず全員の顔が引き締まる。
「ええ……そのつもりなんですけども」
「お願いが、あるんだ」
八郎に、ナーサリーは真剣な声で告げた。
「その音楽堂、僕も連れて行ってもらえないだろうか?」
2.
マイハマの夜は早い。
朝が早い<大地人>にとって、深夜とは飲む時間ではなく、眠る時間だ。
明日の労働に備え、三々五々マイハマの住民たちは帰宅の途につき、それを見越して酒場も早々に暖簾を下ろす。
クニヒコとレディ・イースタル、エンクルマたち、そしてナーサリーを加えた7人は、場所をエンクルマたちが取った宿屋へと移し、酒とつまみを並べた。
残る3人もあっさりと同じ宿を取り、車座になって座る。
「で、なしけん儂ん部屋なんや」
「そんなことはどうでもいいでしょ。……で、ナーサリーさん。なんで<楽堂>に?
あそこはダンジョンですよ?」
文句を言うエンクルマを一言で黙らせ、伊庭八郎が腕を組んで<吟遊詩人>を見た。
「うん。もちろん知ってるさ。 ……その前に君たちの目的を聞きたいんだけど」
ナーサリーの反問に、八郎はやや黙ったあと、口を開いた。
「あそこは低レベルから中レベル帯のダンジョンです。出てくるモンスターはサファギン、オーガ、それから<狂える音符>、<悲しみの休符>の二種類。
ボスは60レベルパーティランクのアンデッド、<死せる交響楽団>です。
サファギンやオーガはともかく、他のモンスターは基本的にダンジョンゾーンから出てきません」
八郎の説明に、全員が黙って頷く。
「ですが、最近、近隣を通行する<大地人>や<冒険者>が、野外フィールドゾーンで<狂える音符>に襲われるという情報が入りました。
彼らのレベルは30から50。<冒険者>でもレベルが低い者や、<大地人>には危険な相手です。
ですので、我々が調査に来たんですよ」
「野外で? だが、しかし」
クニヒコが腕を組む。
<大災害>以来、知能のあるモンスターがゲーム時代の行動パターンを逸脱して動いていることは、既にアキバの<冒険者>たちには周知の事実だ。
だが、八郎が名を上げたモンスターは、いずれも知能を持たない、『設置型の』モンスターだったはずだった。
「その<狂える音符>が目撃された範囲は?」
「まだ近隣ゾーンだけです。ただ、街道が近くを通っていますので、現在<大地人>はやや街道を離れて通行することを余儀なくされています。ですので」
「他のモンスターに襲われかねない、ってことだな」
義盛が八郎の後を続けた。
ナーサリーも軽く<金星音楽団のセロ>を爪弾く。
「注意を要する問題よね。……で、ナーサリーさん。あなたの目的は?」
サツキの問いかけに、今度はナーサリーが口を開いた。
「あの<詩人たちの楽堂>に眠る楽譜を探しに行きたいんだよ」
「楽譜?」
「うん、そうだ」
ナーサリーは軽く頷いた。
「あの<詩人たちの楽堂>は、現実の千葉市にある野外音楽堂がモチーフだ、ってことはみんな知っているよね?
僕は、ゲーム時代、かなり昔だけどもあそこに潜ったことがあるんだ。
そこで見かけたんだ。彫刻可能な金属板をね」
<彫刻>とは、特定の金属アイテムに好きな文字を書き連ねられる機能だ。
当初は英語、それも特定の文字列のみを書き込む機能に過ぎなかったが、日本サーバを統括する<F.O.E>社は、まことに日本的と言うしかない無駄な作りこみを発揮した。
プレイヤーの要望に応じ、日本語、漢字、キリル文字から五線譜にいたるまで、およそPCで表示可能な文字列であれば何でも記載できるよう、システムを変えてしまったのだ。
あまりの出来具合に、米アタルヴァ社が驚いてしまうというエピソード付きで広く知られた話だった。
「当時、僕と友人は『音楽堂で金属板を見つけた!』ということでひどく喜んだ。
それで、その場にあった金属板に片っ端から知っている曲の楽譜を書き込み、壁の崩れたところに置いたんだよ。
金属板は金で出来ている。腐るとは思えない。見つけ出したいのはそれなんだ」
「そりゃまた、まあ、なんとも……」
呆れたようなクニヒコの声が部屋に広がる。
さすがは吟遊詩人というべきか、ナーサリーらしいエピソードだ。
しかし、絶句する全員の顔を見渡して、彼はなおも続けた。
「……<大災害>が起こって8ヶ月。私も、多分みんなも地球の歌を少なからず忘れてしまったのではないかな。
みんなは知ってると思うけど、この世界の歌は、異常に少ない。
わずか42種類。
<エルダー・テイル>のBGMとして設定された42種類の曲、それがこの世界の音楽の全てなんだ。
音楽は人を自由にする。どんな苦しみがあっても、つらいことがあっても、
音楽は慰め、楽しくさせ、そして活力を取り戻してくれる。
一刻も早く、一曲でも多く、歌をこの世界に持ち寄りたい。
……だけど、いくら中レベルとはいえ、ダンジョンに一人で潜って無数の楽譜を発掘するのは不可能だ。
仲間も忙しいし……
その時、たまたまみんなを見かけたんだ。
どうか、連れて行ってくれないだろうか」
今度はクニヒコたちが押し黙る番だった。
やがて、誰ともなく目を見交わし、頷き合う。
「それを聞いちゃあね」
「ああ。古の音楽堂に隠された無数の楽譜。こりゃ燃えるシチュエーションたい」
「<大地人>の人たちのためにもなることですし」
「ナーサリーさん。あなたの戦闘力は?」
義盛の質問に、ナーサリーは口を引き結んで答えた。
「僕は……この世界に来てから長く一人旅をしてきた。戦うことは、できる……好んで身につけた技ではないけれどね」
「なんて倫理的な言葉なんだ。対人戦馬鹿に聞かせてやりたいな、いやホント」
「タルさん、混ぜっ返すなよ……同感だが」
「クニヒコさんも黙っててください……わかりました。ナーサリーさん。よろしくお願いします」
八郎が断を下し、ナーサリーと握手する。
その手にエンクルマが躊躇いもなく手を載せ、義盛、サツキが続いた。
「私達の目的に追加します。<音楽堂>の謎を解き、モンスターを討伐して、楽譜を持ち帰る。
みんな、いいね?」
「おう!」
「了解ったい!」
「うん!」
その光景を見て、不意にレディ・イースタルは叫んだ。
「よっしゃ決めたぞ!」
「今いい場面なので、明日の朝食の献立選びは又の機会にしてくれませんか?」
心底うんざりしたような八郎の突っ込みが飛ぶが、既にレディ・イースタルは聞いていなかった。
「クニヒコ! 早馬を飛ばすぞ! レディ・イースタルは明日から当面、急病で倒れて動けん!」
「<冒険者>が急病? タルさんに必要なのはむしろ脳の……」
「ここで突っ込むなよ! そうじゃなくて、明日から当面貴族とのお話し合いはお預けだ。
俺はこいつらについていく!」
立ち上がって拳を握ったレディ・イースタルを、心底呆れた顔でサツキが見る。
「伯爵ってそんな簡単に休めるものなの……?」
「さあ……」
周囲の微妙な視線に傷ついたのか、若干トーンを落としてレディ・イースタルは言った。
「いや、たまには<冒険者>らしいこともさせてくれよ。俺も役に立つぞ。一応これでも<幻想>級持ちの<森呪遣い>だからな」
完全に呆気に取られたナーサリーと彼女の視線が交差する。
苦笑してクニヒコも八郎とナーサリーを見た。
「まあ、パーティには入れなくていいから、ついてこさせてくれないか?
盾役と回復役はいくらいても邪魔にはならんだろ。
ロートルだが、一応これでも訓練は続けてるぞ」
「ま、まあお二人が来てくださればありがたいですけど……」
度重なる突っ込みにへたり込んだレディ・イースタルと、横で笑うクニヒコに、八郎がおずおずと答える。
「じゃあ決定だ。……みんな、ナーサリーさん、いいかな?」
「うん、構わないよ」
一同を代表してナーサリーが答える。
そうして、7人の変則パーティが出来上がった。
◇
翌日の昼前のこと。
マイハマから早馬で届けられた手紙に、<アキバの美姫>、レイネシア・エルアルテ・コーウェンは普段の節度を忘れ、思わずそれを破り捨てそうになった。
(『麗しきレイネシア姫へ。 当方、<えーがたいんふれんざ>に感染しました。咳、鼻水、頭痛、悪寒、吐き気その他により動けません。人里離れた場所で静養します。一週間はいないのでその間はよろしく。レディ・イースタル』 ……ですって!? ふざけないでくださいよ!)
無論、深窓の令嬢たる彼女が現実に起こした行動といえば、物憂げに眉を寄せて手紙を読み、心底気の毒そうに使者を労い、「ありがとうございました。伯爵のご快癒をお祈りしております」と言っただけだ。
(私だって! 私だって仮病で休みたいですっ! ……あの方のことも心配ですし……ですが…それにしても! <冒険者>じゃないですか! 伯爵閣下は! 病気なんて魔法で治せるじゃないですか!)
使者に手紙を返す時、その手がかすかに震えていたことだけが、彼女の内心を表していたことは、ほかならぬ彼女だけが知る秘密であった。




