67. <竜の軛>
1.
「<冒険者>ども。まずはわが兵を殺さなかったこと、礼を言おう」
「……冗談を」
朗々と第一声を放った<大地人>の将軍、カトマンドゥ公アンシュに、<第二軍団>の<海賊>が吐き捨てた。
その声が聞こえていたわけでもなかろうが、アンシュがかすかに苦笑する。
「とはいえ、そなたらにしてみればいきなりの攻撃、さぞ驚いたことであろう」
「ああ。驚いたね。ついでにずいぶんと不快な気分になったよ。
お前をこの<女王の拘束>で叩き切りたい衝動を抑えきれないほどにな。
当然、お前にはその末路を回避するための何かがあるんだろうな?」
ティトゥスの声に、アンシュはゆっくりと頷く。
「この国を取り巻く状況は分かっているだろう」
「ああ。そこのヤンガイジに聞いたさ。
ただ、それとお前の行動はまったく一致していない。殺されないと高をくくっているのか?
俺たちが我慢をやめればこの国は終わるぞ」
「そうならないために、そなたたちを襲った。 まあ、失敗したが」
アンシュの声はあくまで淡々としている。
憮然と見据える<冒険者>に、彼は悪びれもせず片手を指差した。
「そこの王宮。そこに、われらの王だったものどもがいる。
わしは国を守らねばならなかった。同時に、あの奸賊めを追い落としたかった。
すべてはそのため。そしてそなたらは、わが目的にかなう」
「襲った理由を言っていないぞ、貴様」
今度はユウだ。
その声にたっぷりと被された剣呑な響きに、アンシュは馬上でゆっくりと視線を向ける。
「他国の情報はわれらとて掴んでいる。 われらはそもそもそなたらを捕らえるつもりであった。
そのためにそなたらの100倍近い人数で囲んで攻め落とそうとした。
市街地側に撤退したのは誤算だったが、だがそなたらが無辜の民を盾に取らずにいてくれて感謝しておる。
そなたらが復活する<大神殿>には既に兵を伏せておいたのだが。
……あの王宮でのことは、民は知らず、わが兵は末端までを知っておる。
よってこの場で言おう。
わしとて王をあのままにしておくことはしのびぬ。
よって、王に代わる<竜の軛>の魔力の源泉を探しておった。
それがあれば、あの王たちを解放できるからな。
そしてわしはラヴィを追い落とすこともできる」
「……その、魔力の源泉とは」
「無論そなたらだ。<冒険者>たちよ」
そこここで納得の呻きがもれた。
「そなたらは王を解放したいのだろう?
ならば我が下知に従い、<竜の軛>の礎となれ。
その後のこと、ラヴィのことなどは案ずるに及ばず。
あのような小賢しい悪党、わが兵あらば一朝で首をはねてくれよう」
「そして、王殺しの罪はラヴィに着せ、結界の維持は俺たちに任せ、お前は王になるというわけか」
「好きに言うがよい」
ティトゥスの心底軽蔑したような言葉を、アンシュは肩をすくめて受け流した。
「だが、そなたらに選択権はないぞ。
このマヒシャパーラを滅ぼすか? それともわしを斬り、あのラヴィに政権を任せるかな?
賭けてもよいが、あやつはそなたらをまともには扱わぬよ。
わしならばそなたらに王と同じ豪奢な生活は保障しよう。
あいにくと華国や竜国のような贅沢はさせてやれぬがな」
「ユウ。ティトゥスたち。この選択は最善とは言いがたい。だが、枉げて受けてくれ。
これでないと民に元の生活はさせてやれないんだ」
アンシュの足元で、ヤンガイジがそう言った。
そして続ける。
「俺は……カトマンドゥ公の申し出を受けた。
お前たちが応じるなら、俺もまた残る<冒険者>としての生を、この国の結界のために捧げる。
たとえそれが無限の牢獄であったとしても」
「それでいいのか、ヤンガイジ」
ユウの問いに、ヤンガイジは泣きそうな顔で頷いた。
「もうそれでないと、俺は夜毎俺を苛む仲間や<大地人>たちの怨嗟の声に耐え切れそうにないのだ。
俺の罪は、死ぬまで購い続けることでのみわずかに償われるだろう。
<日月侠>の独裁者であり、恥ずべき裏切者である俺にはもはや、こうすることでしか……」
今にも崩れ落ちそうなヤンガイジは、嗚咽のような声で呻いた。
「………」
<冒険者>に沈黙が落ちる。
誰もが顔を俯かせ、黙って自分の足元を見つめていた。
自分を歓迎してくれた酒場の主人。
明るく接客してくれた店員たち。
笑う子供、微笑む主婦、日々の生活を一生懸命生きている多くのマヒシャパーラの住民たち。
確かに、目の前のカトマンドゥ公は悪辣だ。
自分たちを道具としてしか見ていない、まるでクエストの悪役のような男だ。
斬り捨てるのはたやすい。
たとえヤンガイジがいたとしても、兵士が千人いたとしても、ユウと<第二軍団>が本気になれば
全滅させることも不可能ではないだろう。
だが。
だが、それが人々を死に追いやることの理由になるのか。
民衆から為政者を奪い、故郷を奪い、他国で難民として生きることを強制する理由になるのか。
ユウもまた、際限のない悩みの中にいた。
今、ユウたちが「諾」といえば、王宮のリッチたちは解放される。
あの幼い子供のリッチもまた、安らかに眠ることができる。
であれば。
「……申し出、受けよう」
身を切るようなティトゥスの返事が小さく、暗い街路に響いた。
その言葉に兵士たちが歓声を上げ、アンシュもまたにんまりと頷く。
一人、ヤンガイジだけが、沈痛な表情で<冒険者>たちを見つめていた。
「……みな、残るのは俺だけだ。お前らはこのままユウとともに<サンガニカ・クァラ>を目指してくれ」
「いや、無理でしょう、それは」
はぁ、と息をつき、<第二軍団>の<妖術師>が苦笑した。
「あんた一人で結界の維持ができるとは思えませんしね。そうそう。前々から言いたかったですが、
ユウと一緒に来るよう決めたときといい、<七丘都市>を出たときといい、あんた、相当な独裁者ですよ。ちょっとは反省してください」
「すまん」
「それだけで許すから付け上がるんだよなあ」
「あんた、改名してください。明日からドミティアヌスかコンモドゥスにでも」
「ユスティニアヌスでもいいですよ」
罵倒に隠れた仲間たちの同意に、ティトゥスがうな垂れる。
そんな<冒険者>たちを無感動に見ていたアンシュが片手を挙げ、冷然と告げた。
「では約束を果たしてもらおうか。王宮へ向かえ」
「待て。一人この約束から外させろ」
「なんだと?」
いぶかるアンシュの前で、ティトゥスはユウを見た。
「……なんだ?」
「お前は行け。目的はここではないのだろう」
「なんだと? わたしにだけ……どういうつもりだ?」
「このクエストは俺たち<第二軍団>が受けた。
お前はここから神峰を目指せ。おまえ自身の目的のために」
「……だが」
「二度は言わんぞ。部外者。お前はお前の目的を履き違えるな」
きっぱりとしたティトゥスの言葉は、ユウの反論を許さないものだ。
そのまま、彼は抜いていた大剣の切っ先をユウに向けて、なおも言葉を重ねた。
「行け、ユウ。そして俺たちを含め、<冒険者>が元の世界に戻れる道を探してくれ」
「ふん。ならそこの<暗殺者>のみは役目を免じよう。
みな。<冒険者>を囲み、王宮へ迎え。ヤンガイジ。護衛せよ」
「待て。最後にもうひとつ」
ティトゥスの言葉に、いらだたしげにアンシュが答えた。
「後々ユウを捕らえることがないよう、あんたに一筆もらいたい。
こんな状況だ。あんたを信用しようがないことくらい、わかるだろう?」
「ふん」
鼻を鳴らし、アンシュは兵士の一人が持ってきた紙に筆でさらさらと書き付けると、
ユウの足元にぽいと投げ落とした。
「『マヒシャパーラの兵に命じる。これなるユウを討つべからず、剣を向けるものこれを許さず、通行よろしくあるべし。この令は布告人ラヴィの命令によっても覆らず』……これでよかろう」
「感謝する。……ユウ、達者でな」
不快そうに馬を返したアンシュに続く、それがティトゥスの別れの言葉だった。
◇
足音が街路のかなたに消えるころ、一人取り残されたユウは立ち尽くしていた。
なぜ。
なぜ。
混乱した頭が、ヤンガイジの声、ティトゥスの声、それらすべてをリフレインのように繰り返す。
『俺の罪は、死ぬまで購い続けることでのみわずかに償われるだろう』
『お前はここから神峰を目指せ。おまえ自身の目的のために』
それこそ亡霊が出そうな街路で、ユウが視線を上げたのは、もはや夜明けに近い時間だった。
東の山の向こうにかすかに輝く朝焼けの光に、ユウは呻いた。
「……わかった。この理不尽。なぜわたしではなくティトゥスたちが被らねばならないのか。
わたしへの義理で来てくれた彼らが、なぜ牢獄につながれて、私が自由なのか。
……いいだろう。アンシュ。
<竜の軛>に魔術師が必要なら、つれてきてやる。
為政者がいないと困るというなら、貴様以外の為政者を連れてきてやる。
貴様の自分勝手な行動で、<冒険者>を縛れると思うなよ。
貴様が作った独善的な環境、私が毒を放り込んで粉々に爆破してやるからな」
その日から、ユウの姿はマヒシャパーラから消えた。
そして、懸案事項を片付けたカトマンドゥ公アンシュが、ヤンガイジを先頭に政敵ラヴィの屋敷を急襲したとき、そこにいた家族や召使が
『黒衣の女悪魔にご主人様を殺された』
と震えているのを発見したのは、その日の午後のことだった。
2.
時間はしばし過ぎ行く。
ユウが<山麓都市>から消えて一ヵ月後、マヒシャパーラへと向かう一団があった。
千人近い集団は、そのすべてが馬体豊かな馬や、<鷲頭獅子>のような幻獣に乗り組み、きらびやかな華国風衣装を身に着けている。
<冒険者>だ。
意気揚々と進む彼らの前にあっては、凶猛を誇る魔獣すら、鎧袖一触に蹴散らされていた。
その先頭を進む数人の人影がある。
「こっちでいいんだな? ユウ」
複雑そうな、若干いたわしげな目を眼下へ向けるのは、いまや<日月侠>教主の腹心といわれる副教主、フーチュンだ。
その隣には白銀の鎧に身を固めたカシウスもいる。
そしてその下。別の<冒険者>の馬に括り付けられた綱で両手を結わえ付けられ、全身を汗と泥で異様なまだら模様にしながら、よろよろと歩いているのはユウだった。
周囲の<冒険者>の突き刺さるような敵意を受けながら、ユウはしっかりと頷く。
「ああ。頼む」
「えらそうな口を利くな! クズが!」
「ぐふっ!」
癇に障った別の<冒険者>が馬の一撃でユウの腹を蹴り、倒れこんだユウはそのままずるずると引きずられた。
「やめろ! 殺す気か!」
「ですが副教主、あんた甘いですぜ!! こいつの罪はこんなことで許されるものか!」
フーチュンの叱咤にその<冒険者>も口に泡を飛ばして言い返し、フーチュンもぐっと押し黙った。
ややあって、言う。
「だが、マヒシャパーラの状況を教えたのはこいつだ。あの町に着くまでは殺してはならん」
「なら、せいぜい殺さない程度に痛めつけてやりますよ。どうせこいつはマヒシャパーラで殺すんだ。
それまではまあ、生かしておいてやらあ」
ぺっ、と吐き捨てられた唾が、汚れきったユウの顔面に当たり、汚らしく落ちた。
(これで、いい)
ユウは、屈辱的な今の自分を省みて心の中で呟いた。
ユウの用意した『毒』。
それは、『華国の<冒険者>に連絡を取る』ということだった。
無論、既に事情はティトゥスにも伝えてあり、ヤンガイジを逃がすことと、<第二軍団>はユウと無関係だと告げることを打ち合わせてある。
ティトゥスは無論反論したが、ユウが押し切ったのだった。
ユウの急報を受けたレンインから事情はすぐさまベイシアら<夏>の首脳陣へと伝わり、そしてベイシアとメイファは結論を出した。
マヒシャパーラに侵入し、<冒険者>を助け出す。
それによって結界を失うマヒシャパーラの民のために、華国に町を用意する。
今、遠い華国では、ベイシアたちが<大地人>を総動員して難民たちのための家と当座の生活用具、生活用品や農地を用意しているはずだ。
確かに難民という立場にはなるが、どのみち今の華国は土地が余っている。
マヒシャパーラの住民たちが蒙る被害は、感情的な部分を別にすれば最低限のものになるはずだった。
そして、<大地人>たちを場合によれば護衛し、華国に連れ帰る任務を背負ったのが
フーチュン率いる千人近い<江湖>の<冒険者>たちというわけだった。
散々に虐待され、何度も殺しては蘇生させられる地獄を繰り返させられたユウもまた、ほとんど奴隷のような格好で一団に参加しているのだった。
無論、最低限の部分だけは、フーチュンやカシウスらが守ってくれていたが。
「いいのか? <大地人>の国を、いかにろくでもない君主とはいえ<冒険者>が滅ぼすことになるんだぞ」
馬上でカシウスがフーチュンに耳打ちする。
一介の騎士である彼は、ベイシアやレンイン、フーチュンたちによる<夏>の会議に参加していない。
そんな盟友に、フーチュンも小さく頷いた。
「元々マヒシャパーラは<サンガニカ・クァラ>のためだけに設定された街だ。
俺たちはまずあそこを調査し、住民に状況を聞く。住民が移住を望めば、俺たちは移住の護衛になる。
どうしても移住を望まなければ、俺たちで結界のシステムを調査し、改善できるものならばする。
改善できなければ、改めて住民に状況を説明し、移住を募ることになる。
ユウが連中に聞いた話では、どのみち<竜の軛>の範囲は狭まっているのだろう。
それを知って、なおも元の土地に残るとは思えないな」
「だがな……」
カシウスは不得要領に首をひねった。
彼の経験でも、<大地人>とはその名のとおり大地に生きる民だ。
どれほど冷酷で無慈悲な大地であっても、そう簡単に故郷を捨てるだろうか。
ちらと、彼は後ろをよたよたと歩くユウを見る。
彼女の目的は、フーチュンを通してベイシアたちからカシウスも聞いていた。
「<サンガニカ・クァラ>の入り口であるあの町が失われれば、あの山脈に何かがあったとしても
挑むことはできなくなるぞ」
「<大神殿>は残る。それだけでいい。アオルソイの<テケリの廃街>のようにな」
「……なるほど。少なくともベースキャンプとしては機能するわけか」
「ま、復活した瞬間モンスターとこんにちは、かもしれないけどな」
はあ、とカシウスは頭上を見上げた。
警戒をする<鷲頭獅子>が遠くに小さく見える。
「まさかこんな形で会うとはねえ、軍団長」
カシウスの呟きは、すぐ横のフーチュンの耳にも届くことなく、鳴り響く風に消えた。
◇
「な、何を……!!」
政敵であった布告人ラヴィが死に、名実ともにマヒシャパーラの絶対君主であったはずのカトマンドゥ公アンシュは、突然の急報に玉座から転げ落ちそうになった。
目の前には、城壁を守る兵士が急報を告げた直後、彼の屋敷へとなだれ込んできた<冒険者>たちが冷たい目で立っている。
その中の一人、アンシュから見れば息子のように若く見える一人の<冒険者>が、手にした巻物を目の前に掲げた。
「カトマンドゥ公アンシュ。あなたには主君たるマヒシャパーラ王陛下はじめ、王族貴顕ならびに布告人ラヴィ氏を殺害し、不当に国家の権力を握った疑いが持たれている。
古の華王の権威を継承せしわが王、<夏>帝ならびに女帝両陛下の布告により、監察が終わるまであなたのこの国における施政権を凍結する。
潔く従われよ」
「なんだと!? わがマヒシャパーラは古よりの独立国、いかに華王とはいえ従ういわれはない!!
しかもそなたらは<冒険者>ではないか! さらに<夏>だと!?
そのような国は知らぬし、従うことなどできぬ!」
「ほう。ならば一戦交えてみるか? 言っておくが俺たちはティトゥス軍団長のように物分りがよくはないぞ」
その<冒険者>―フーチュンの横で凄む白い鎧の<冒険者>―カシウス―の声に、思わずアンシュは鉄面皮が崩れるのを感じた。
「その格好……まさか」
「よくもわが軍団長と軍団の仲間を牢獄に放り込んでくれたな。
余人は知らず、俺はお前を膾切りにしたくて仕方ないが、どうだ?」
目だけで周囲をうかがうが、アンシュの部下たちはいずれも剣を突きつけられ武器を足元に落としている。
理不尽な、と唇をかんだアンシュの目が、彼らの後ろでボロボロになって立つ黒衣の<冒険者>を見てぎり、と燃えるように揺れた。
「なるほど。そこの薄汚れた<暗殺者>。そやつの告発によるものか」
「だからどうした?」
「その者の言葉のみを一方的に信じてわしを断罪するのはあまりに理不尽。
そもそも、わが同僚たる布告人ラヴィ殺害の嫌疑は、ほかならぬその女にかかっている。
証拠が要るというならば、ラヴィの家族、召使どもをここに呼び寄せよう。
わが国を武力で簒奪せんとする貴様らの目論見はさておき、貴様らの道理はその一事のみでも崩れるぞ」
勝ち誇ったようなアンシュに、やはり、という疑惑に満ちた<冒険者>の視線が重なってユウを打つ。
「そういう疑惑があるが、どうだ? ユウ」
フーチュンの言葉に、ユウは軽く頷くと、胸元からひとつの手紙を出した。
ボロボロにかすれたその紙は、あっけに取られるアンシュの目の前で大きく広げられる。
「『ユウに命じる。わが剣となって布告人ラヴィを討つべし。
マヒシャパーラのため、よろしくあるべし』
……こうあるが?」
「なんだと!?」
フーチュンの言葉に、目をかっと見開いてアンシュは紙を見た。
ところどころかすれてはいるが、紛れもなく自分自身の書体だ。
丁寧にも花押までが押されている。
突然、アンシュは自分がはめられたことを悟った。
「そうか……あの書付、あれを元にわが筆跡を<筆写師>に模写させたな!!
おのれ、<冒険者>ども!!」
「連れて行け」
手元の剣を抜こうとしたアンシュを押さえつけ、<冒険者>たちが彼を引きずっていく。
怨嗟の声が聞こえなくなるほどに遠ざかって後、別の<冒険者>がやってきて復命した。
「<第二軍団>のご先輩方は救出いたしました!
皆様無事です。
それから、王宮ですが、リッチと化した王族はすべてその姿はありませんでした。
引き続き調査いたしますが、ティトゥス卿の話によれば、全員討ち滅ぼされたとのこと」
「分かった。よろしく頼む」
「それから……その、牢獄にはもう一人<冒険者>がおりました。
それが……その……」
「どうした。早く言え」
副将格のカシウスが促すと、その<冒険者>は意を決したように顔を上げた。
「元<日月侠>教主、ヤンガイジです。今はおとなしくしておりますので、捕らえて連れてきております」
「ヤンガイジ……!」
「あの男か……」
フーチュンとカシウスが、同時に呻いた。
二人とも、因縁の相手だ。
カシウスは自分が<黒木崖>に捕らえられた時に散々苦杯を舐めさせられた相手であったし、
フーチュンにいたってはレンイン救出の際に直接剣を交えている。
思わず目と目を見交わした二人は、ややあってため息をついた。
「会わないわけにはいかないだろうな……」
「まったく、ユウさん絡みだと、どうしてこう面倒が次から次へと起きるのかね……」
「しょうがない。通せ」
やがて、豪奢なカトマンドゥ公の謁見の間に、一人の<冒険者>が引き立てられてきた。
◇
「久しぶりだな、ヤンガイジ」
「ああ。今はお前が副教主か? あのときの小僧が、ずいぶん出世したな」
周囲の<冒険者>のほとんどを下がらせ、フーチュンとカシウスは距離を置いてかつての<日月侠>教主と再会した。
そばにいるのは相変わらず綱につながれたユウ、そして数人の腕に覚えがあり、ヤンガイジにうらみのない<冒険者>だけだ。
そんな周囲に一瞥を投げ、ヤンガイジはかつて同様、傲然とフーチュンを見上げた。
「なるほど。こうすればよかったわけか……ふふ。俺の頭も鈍っていたなあ」
「それはともかく、ヤンガイジ。なぜここにいる? お前は華国追放と言われたはずだが」
「なに、ここはマヒシャパーラ、独立国さ。華国とは言えん。それにたどり着いた理由は……まあ、特にない」
小さく笑うヤンガイジに、いらだった様にフーチュンが尋ねた。
「お前のこと、動機、一応はユウから聞いている。それで確認するが、ユウに言ったことは事実だな?」
「ああ。事実だよ」
あっさりと認めた彼に、なおもフーチュンは畳み掛ける。
「<大地人>への贖罪のためにあえてこの地で結界の電池になることを選んだのか」
「くどい」
「この街は放棄する。まだ決定事項ではないが、状況からして町全体を覆う結界の維持は不可能だ。
お前が電池になる必要もない。これから、どうする?」
「街は本当に放棄されるのか?」
しかし、ヤンガイジは逆に問い返した。
カシウスが頷くと、しばし頭を天に向ける。
「……そうだな。フーチュン。結界自体も破壊するのか?」
「いや。結界システムは電池たる術者のMPさえあれば稼動する。
……ただ、町全体を覆うとなると常時<冒険者>が二十人は必要だな。
仮に一人だとすれば、せいぜい<大神殿>を覆うくらいが関の山だろう」
フーチュンの返事に、「そうか」とのみ返したヤンガイジは、やおら言った。
「ならば、俺をこの地に残してくれないだろうか」
「なんだと!?」
◇
「この街がなくなるのは止むをえん。<大地人>たちも、華国へ行ったほうがよいのだろう。
だが、この街は<サンガニカ・クァラ>に挑むための出発地だ。
安全地帯はどこかに残す必要があると思う。
そのために、俺が残る」
「お前一人で、<大神殿>の結界を維持するというのか?」
「そのとおりだ」
頷くヤンガイジの目は鋭い。
既に決意をした男の目だった。
「何のために。<サンガニカ・クァラ>に探索隊を送る余裕は華国にも竜国にもないぞ」
「だが、いつか誰かが来るかもしれん。あの山々に、元の世界に戻るための手がかりが現れるかもしれん。そのために俺は残りたいのだ」
「贖罪のつもりか?」
「それもある。だが、それだけではない」
ユウが思わず言った。
「わたしが<サンガニカ・クァラ>に挑むからか?」
その声に、嘲ったようにヤンガイジが笑う。いや、事実嘲ったのだろう。
「何を勘違いしている。俺はこれでも華国の<冒険者>だ。華国のため以外にあり得ぬ」
「……食料はどうする」
「これでも厨師だよ、俺は」
カシウスの問いに答えたヤンガイジのステータス画面には、確かに「<厨師> Lv.2」と書かれている。
「だからって、貴様……」
「俺に贖罪の機会をくれ、フーチュン。俺は、残りたいのだ」
「……」
沈黙が落ちる。
やがて、その沈黙を破ったのはフーチュンだった。
「……わかった」
「おい、フーチュン!」
カシウスの制止の声を片手をあげて抑え、フーチュンは朗々と告げる。
「ヤンガイジ」
「はっ」
今までの態度をかなぐり捨て、ヤンガイジはボロボロの姿で片膝をついて答えた。
「<夏>帝の名代として命じる。元マヒシャパーラに残り、<大神殿>の維持に専心せよ。
そのためにこの地に駐留することを<夏>の名において命じる」
「有難き幸せ」
軽く頷くと、ヤンガイジは立ち上がり、ユウを見た。
「というわけで、死んでも問題ないぞ。行ってこい」
「ヤンガイジ」
ユウは、黙って深く頭を下げた。
同じく罪を犯し、別の方法で償おうとしている男に、言葉が出なかったのだ。
その光景を、フーチュンとカシウスは涙をためて、他の<冒険者>たちも敬意をこめて見守っていた。
翌日。
フーチュンたちはマヒシャパーラの全住民と財産、家畜たちを連れて華国への帰途についた。
これから彼らは<大地人>を守り、長い危険な旅路を行く。
それだけではない。
故郷を捨てざるを得なかった彼らを保護し、生活を安定させ、周囲との軋轢を絆すという戦いがある。
「またな、ユウ。今度は罪人としてではなく、友人として会えればいいと思うよ」
「じゃあな。何か分かったら教えてくれよ」
それが、友人たちからユウへの最後の言葉だった。
互いに、もう二度と会わないであろうことを半ば確信しての別れだ。
残ったのは、一人で<竜の軛>を起動させるヤンガイジ、神々の山へと向かうユウ。
そして。
「……で、何で戻らなかったんだ?」
「約束だからな」
「お前たちは? ティトゥスのことをコンモドゥスだのドミティアヌスだのめちゃくちゃに言ってただろうが」
「知らないのか? 軍団長権限は、凱旋するまで有効なんだぜ」
「ついでにいえば、行軍中の軍団兵に将軍への命令不服従権はないし」
「そうそう。まあ、一緒に山登りといこうぜ」
一ヶ月近い監禁生活の疲れもなく、あっけらかんと答えるティトゥスと<第二軍団>の仲間たちに、
ユウは、大陸に来て初めて、屈託なく、実に楽しそうに笑ったのだった。




