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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第一章 <アキバにて>
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8. <ハダノ>

1.


 白湯が、来た。


粗末な床を板敷きの間に敷き並べた中に、男はやつれ果てた姿を横たえている。

ケールメルス、という名前のその男は40をいくつか出た年頃であったが、陽にやけ尽くし、

長旅で苛め抜かれたその容貌は、60にも70にも見えた。


とろとろと眠りと(うつつ)の狭間を彷徨いながら、男は萎え果てた手足をわずかに動かし

薄く呻いた。



「ケールメルスの具合はどうじゃ」


袖で顔を覆って病間から出てきた自らの娘を見て、イットクは「そうか……」とため息をついた。


「……高熱で、もう意識もほとんどありません。食事どころか、水さえ……」

「無理もあるまい。生きて帰れたことが奇跡と言える」


袂で涙をぬぐう娘―ケールメルスに嫁がせた自らの娘の肩を叩きながら、

イットクは娘婿に選んだ男の命の火が消え果つつあることを確信した。


「御領主さまにおすがりはできないのでしょうか」


答えが決まった娘の問いに、いつものようにイットクも目を閉じて答える。


「無理じゃ。わし自身がケールメルスのようになってさえ、領主は助けるまい。

そういう男であり、そういう家風なのじゃ」

「う、うう……」


こらえきれぬように泣き出した娘を不憫そうに見やり、隅でじっとしていたケールメルスの息子、

イットクの外孫に目を向ける。

その無表情な顔に内心再びのため息をつきながら、彼は粗末なケールメルスの家を眺め渡した。

質実剛健といえば聞こえはいいが、壁の塗り土は半ば剥がれ落ち、隙間風が吹き抜けている。

食料を置く棚は小さく、屋根裏もない天井が、言えの雰囲気を余計がらんとさせて見えた。


「ともあれ、気を落ち着けることじゃ。ケールメルスも死ぬと決まったわけではない。

無理にとはいわぬが、ジェミナ、そなたも何か食べよ。

このままではケールメルスの前に、そなたとカルスが死んでしまうぞ」


言い捨て、そのまま家を出る父を、ケールメルスの妻(ジェミナ)息子(カルス)は何もいわず見送るしかなかった。



 時間は少し遡る。


アサクサの宿を発ったユウは、アキバを大きく迂回するコースを取って馬を駆っていた。

ユウが聞きなれた名前で言えば一旦浅草を出て北に向かい、旧南千住駅あたりで川沿いに道を折れ、

荒川、町屋、王子と抜ける道だ。

かつて東京に残された最後の都電が走った道の後が、この時代にはゾーンをつなぐ街道として機能していた。

王子から板橋へ。

<陽光の塔(サンシャインタワー)>が朝の光に照り映えるのを見ながら、

イースタルと北方を結ぶ街道―かつての明治通り―を避けて走る。


アサクサ―アキバと抜け、旧皇居を北に見つつかつての東海道を下る道をとらなかったのは

言わずとも<冒険者>に会う確率を減らすためだったが

今のユウには、それだけが理由ではなかった。


 見渡す限りの草原と雑木林は、この関東平野が古く武蔵野と呼ばれたころの原野の姿に戻っている。

<エルダー・テイル>の背景物語(バックストーリー)では、かつての大都市、東京は、その規模をそのままに古代には東都イースタルとして栄えたというが、

その栄華も伝説の彼方に消えたこの時代は、そのほとんどが草深い森林に埋もれつくしていた。

 その中を疾走するユウの目は鋭い。


『ゴブリンの略奪部族(プランタートライブ)が出たんだよ。イースタルの西にな。

いくつもの商隊が壊滅したらしいって噂だ』


アサクサの宿でふと聞いたその噂。

何の証拠もない、まさしく「風の噂」だったが、ユウは決して話半分に聞いていなかった。


 勤勉な行商人が行商を休んでいる事実。

自分たち冒険者がここ数ヶ月、ほとんどのクエストを放棄していたという事実。

それらがユウの頭で一つの線を結ぶ。

そうした勘の働きは、彼女自身がかつての世界においても大事に持ち続けていたものだ。


 ゴブリンは、単独では決して強い相手ではない。

ユウほどのレベルを持たなくても、ある程度のレベルに達していれば撃破することは容易だろう。

だが、その「常識」が通用しない相手が、部族として集団で動くゴブリンだ。

一匹一匹は弱くても、レベルの高い族長(チーフ)祈祷師(シャーマン)に率いられ、

ゴブリンもどき(ホブゴブリン)魔狂狼(ダイアウルフ)を引き連れた群れは恐るべき凶暴さを発揮する。


ましてユウは<暗殺者(アサシン)>である。

一人で多数の敵を面で征圧することに特化した<盗剣士(スワッシュバックラー)>や、<武闘家(モンク)>といった職業に比べれば、集団戦で一歩も二歩も劣ることは否めない。


幸いなことに、ゴブリンは群れると人家を目指し、襲撃をかける習性がある。

残酷なようだが、今のユウにとって人を避け、村々を素通りするという選択は当たり前のものなのだ。


馬を駆けること数時間、道々の風景が徐々に変わり始めてきた。

荒れ果てた原野から、徐々に人が手を加えたと思しき整然とした植生が目立ってき始めた。

その中に、写真で見た単葉の植物の群れを見て、我知らずユウの胸が高鳴る。


煙草だ。


元の世界では農業植物として、国内ではほぼ絶滅したといっていい煙草だったが、

この世界では異なるらしく、旅行で見た中米のプランテーションを髣髴とさせるような広大な煙草農園が広がっていた。

もともと、秦野市は江戸から昭和にかけて煙草産業で発展した町である。

現代ではそうした印象が決してよいイメージを与えないことからあまり知られてはいないが、

江戸時代には喫煙率8割という、膨大な江戸の煙草の消費を支えた大生産地だったのだ。


(おおお……)


嫌煙家が見たら卒倒するか、思わず火をつけたくなるような光景に、ユウは内心賛嘆の息を漏らした。

この世界の喫煙率がどれほどのものかは知らないが、列島の東西への行き来が難しいこの時代、

ハダノや近郊の村々は煙草の生産地としての姿を取り戻しているようだった。


否応もなく心を突き動かされ、ユウの足が汗血馬をさらに駆り立てる。

結局、彼女がハダノに到着したのは彼女自身の予測より数時間早い、日没前のことだった。



2.


 「誰だね、あんた」


つっけんどんな声に思わずユウは軽くのけぞった。

そんな彼女の反応など気にもせず、家に帰る途中と思しきでっぷりと肥った中年女は、うさんくさげにユウを見つめている。


「あんた、どこの誰だい。その貧相な成りじゃあ、<冒険者>というわけでもなさそうだね」

「イチハラから来た。ケールメルスさんの家を訪ねたい」

「イチハラ?知らない村だけどさ。ともかくよそ者はお断りだよ」


そういうと、女はさっさときびすを返して歩き去る。

どんな会話もしたくない、というその後姿に思わず怒鳴りつけようとして、ユウはすんでのところで思いとどまった。


いまさらながらにこの世界が、実際に人間が生きている実世界だということをかみ締める。

時代劇の宿場のようににこやかに答えてくれるわけでもなければ、「ここはハダノの村だよ」と

ゲームのように答えてくれるわけでもない。

彼女たち<大地人>にとっては自分たちの生活が第一であり、よそ者はどこまでも異物でしかないのだ。


(そういえば、町の入り口にユーレッドっぽい石像があったな。

道祖神代わり、ってことか)


道行く人々があからさまに自分を避けていくのを見ながら、ユウはとぼとぼと歩き始めた。

既に日も大きく傾き、影法師がユウの後ろに長く伸びて震えている。


(村長に、といっても聞いてくれるとは思えないし、このマントを取るわけにもいかないし)


自分の胡散臭さを倍増させているであろうボロボロの外套を見下ろしてユウはため息をはいた。

<冒険者>が立ち寄った、などという噂はあっという間に村の隅々から近隣まで伝わるに違いない。

ゴブリンの脅威が目前に迫っていればなおさらだ。

ユウは自分では部族ごとの相手は手に負えないと思っていたし、実際にそれは事実でもあった。

<冒険者>として村に立ち寄れば、必ずゴブリンの討伐を依頼されるだろう。

それでは本来の仕事ができない。


(しょうがない。探すか)


そう思い極め、ユウが歩き出そうとしたとき、彼女を呼び止める小さな声に気がついた。


「おじさん、おじさん」

「どうした?」


ユウを止めたのは、10歳にもなっていないであろう少年だった。

ろくなものを食べていないのか、腕は折れそうに細く、子供らしくふっくらしているはずの顔も頬骨が浮き出ている。

服にはあちこちつぎが当てられ、サンダルの端は擦り切れていた。


「おじさん、父さんを探してるの?」

「ああ。ケールメルスさんの息子かい?

わたしは君のお父さんが行商に来ている村の者だよ。品物を仕入れに来たんだ」


ユウはひざを軽く折り曲げ、できるだけ目線を合わせて少年に言った。

しゃがみこむとどうしても胸や顔立ちが見えてしまうからだ。


「行商の?ってことは、お金を持ってきたの?」

「ああ」

「じゃあ案内してあげる。ついてきて」


そういってとと、と走り出す子供のステータス画面には

「カルス、レベル1」とあった。


「おなかがすいてるのかい?」


時折よろけながら前を歩くカルスに、ユウは声をかけた。

HPはあるが、MPが減っている。

こんな子供が特技を持っているわけもないので、おそらくは飢えているのだろう。


「大丈夫」というカルスの手にやや強引に桃を渡す。

水気は失せ始めているが、無心にかじりつくカルスを見て、ふとユウは息子を思い出した。


(私が戻ってこれなかったら、あの子も飢えるのだろうか?お義父さんがうまくしてくれているといいが)


久しぶりに感傷的になりながらも、別の目でユウはカルスを見ていた。

貧しすぎる。


行商人は、決して豊かな職業ではない。

しかしこのような村においては、現金収入をもたらしてくれる貴重な人材だ。

貨幣流通があまり発達していないであろう田舎であればこそ、村の外との交易を生業とする商人の地位は高いものだ。

しかし、その商人の息子であるはずのカルスの姿はとてもそうした地位に見合ったものとは思えない。

親の教育方針かと思ったが、周囲を走り回る農夫の子供のほうがよほどいいものを着ているし、血色もよい。


(まさかケールメルスの子供というのは嘘で、単なる乞食の浮浪児か?)


しかしそれにしてはカルスの目には、そうした子供たちにあるとされるすれっからした小狡さは見えなかった。


(まあいい)


ユウは警戒するのが馬鹿馬鹿しくなった。

どれほどカルスが悪巧みをしていたとしても、所詮はレベル1に過ぎない。

やろうと思えば拳の一撃で死ぬはずだ。


後ろの大人がそのような物騒な結論に至ったのも気づかず、カルスは村のはずれに近い一軒の家の戸をあけ、


「母さん!父さんにお客さんだって!」


と、叫んだ。


既に太陽が没し、日没の暗さに沈み込もうとする村の中で、その声は場違いに明るかった。



3.


 ジェミナは夢を見ているような気分だった。

息子が連れてきた黒装束の人物を、最初彼女は死神かと思った。

ぼそぼそと喋る陰気な声もその印象を裏付けていた。


しかし、その人影は扉を閉め、警戒するジェミナの前で簡単に黒い帽子とマントを取り、

彼女がいまだ見たことがないような輝くような美貌をさらすと、じゃら、と腰から金貨の詰め込んだ袋を取り出したのだ。


ジェミナが震える声で、ケールメルスは臥せっている、と伝えると

美女はあっさりと隣の部屋に入り、呻くケールメルスの口に何かの薬液を流し込んだ。

あまりの行為に彼女が叫ぼうとした瞬間、

夫の「う……」という呻きに虚脱したのだった。


4人はケールメルスの病間にいた。

それまでの瀕死の病状が嘘のように、ジェミナの夫は目覚めた体を起こし、その背をジェミナ自身が支えている。


「なんとお礼を言えば……」

「無理しないでください。あくまで休養が肝心かと思います」


HP回復の霊薬(ポーション)を幾本か枕元において、ユウは無精髭の浮いたケールメルスに答えた。


「疲労と軽い毒の状態異常(デバフ)がかかっていました。手持ちの霊薬で何とかなってよかった」


そう言ってユウも笑う。

髪こそ半ば禿げ上がっているものの、元の自分を髣髴とさせる中年男に、ユウは我知らず同情していたのだろう。


「これで行商にも行けますよ」

「だめだよ父さん、少しやすまないと」

「いやカルス、行商は父さんの仕事なんだ。傷や病気で休むわけにもいかない」

「体力を戻してからですよ。とりあえずイチハラへの荷物は私が買い付けに来ましたし」


男の責任感のある言葉に感嘆しながらも、ユウは医者じみた態度で忠告を行う。

ううむ、という顔のケールメルスに苦笑して、彼女は夫の後ろで涙ぐむジェミナに目を向けた。


「奥さん。この薬は調子が悪くなったら飲ませてください。毒はもうないので大丈夫だと思いますが、念のためこちらの霊薬も置いておきます。解毒です。

あとは栄養のあるものを食べさせて……あ」


思いついたユウは「厨房をお借りします。あと奥さん、ちょっと来てください」と言い

彼らの反応を見て立ち上がった。

案の定、厨房に調理器具や食材はほとんどなかったが、

ユウは気にせず小麦粉に水を混ぜてもらい、軽く練ったところで小さな鍋で焼かせる。

仕上げにジェミナが塩をぱらぱらと振り掛け、簡単なお好み焼きができた。


「これは?なんだか手間がかかっただけに思えますけど」

「食べてみてください」


ケールメルス用にと、同じ小麦粉を水で練ったものを煮立たせながら問いかけるジェミナに

ユウは有無を言わせずできた料理を食べさせてみた。


「……!」

「甘い!甘いよ、母さん!」


カルスが夜にもかかわらず大声で叫ぶ。

その顔を見て柄にもなく目を潤ませて、ユウは目を白黒させるジェミナに向き直った。


「私や旦那さんにはできないと思いますが、奥さんは料理ができると思いました。

<主婦>でしたからね。

同じものに卵や牛乳を入れれば甘くなりますし、油で両面を焼けばぱりっとして香ばしい。

これで栄養もあるし、少しは食欲も出るでしょう。」


感極まって伏し拝むジェミナに、手を振りながらユウはそこまで言い、いたたまれなくなりその場を去った。

小麦粉を焼くという行為は原始的なパンであり、現代のクレープやナン、チャパティといった食べ物の祖先だ。

病間に戻ったユウを、ケールメルスは驚いた顔で出迎えた。


「本当に、ありがたい。今度イチハラに行ったときには必ずお礼を」

「いえ、それより」


ユウはかすれ声で礼の言葉を述べるケールメルスを遮った。


「何が起きたか、教えてくれませんか?

見たところ骨折もしていたようだ。

いくらなんでも、道でこけたというわけではありますまい」


ユウの静かな声にケールメルスも押し黙る。

やがて、呻くように彼の喉から声が漏れた。


「……ゴブリンです」

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