番外5 <おっさん都へ行く> (中編2)
1.
「カーッ! うんめえなあ! やはり人生、この一杯を楽しまないとな! おう、もう一杯生追加で!」
「うまそうに飲みはりまんな」
「まったくだ」
ちびちびとつまみ代わりの焼き鳥をかじりながら、クニヒコとテイルザーンは呆れてレディ・イースタルを眺めていた。
実際に、店のビールはうまい。
魔法や召喚獣を用いた冷蔵庫は<冒険者>によって発明されていたが、3人が飲んでいるこの<大地人>夫婦の営む焼き鳥屋ではそれらは夢のまた夢の、文字通り魔法の設備だ。
だが、今は冬である。
屋外の風が通る場所に置いておくだけで、常温のビールもそれなりに冷えるのだった。
3人が飲み始めるに至ったのは理由がある。
そもそもの発端は、今は遠くナインテイルにいる3人共通の友人、バイカルだった。
彼からアキバでの出来事のあらましを聞いたレディ・イースタルは、友人が迷惑をかけた侘びもこめて、面識のないテイルザーンを誘ったのだった。
ユウやバイカルの友人であれば、テイルザーンも否やと言うことはない。
また、彼とクニヒコとは、ザントリーフ防衛戦で共に戦った仲だ。
さらに言えば、もともとミナミの<ハウリング>に籍を置いていた彼にとって、レディ・イースタルと<グレンディット・リゾネス>の名前もまた、親しくはなかったものの知ったものでもあった。
そうした経緯があり、ほぼ親交のなかった三人は、急速に打ち解け、こうして肩を組んで飲みに来たのだった。
「それにしてもユウといいタルはんといい、元男ってのは美形になる決まりでもあるんやろか?」
喉を鳴らして六杯目のビールを空けるレディ・イースタルを眺めて、テイルザーンがぼそりと呟いた。
その目は露わになった彼女の白い喉にがっちりと固定されている。
どこかしら相通じるものを感じ、クニヒコは肩をすくめた。
「さあな。まあ、確かにタルさんにしてもユウにしても、頭の中はおっさんだから、時々とんでもないことをしでかすよ……元の顔を知ってるからなんとも思わんがね」
「そういや、元の世界のユウはどんな人やったんや?」
テイルザーンの質問に、クニヒコはうーん、と首を傾げた。
「俺も基本、ネットだけの関係だったからね。でもまあ、折角だし、あいつと会った時の話をしようか」
そう前置きして、クニヒコは杯を手にとって話しはじめた。
◇
俺があの人と会ったのは、<エルダー・テイル>をはじめて半年くらいしてからだ。
今から、そうさな、18年くらい前のことだね。
当時から彼女は大体あの調子で、当時はボイスチャットもそんなに発達していなかったから、なんてぶっきら棒な女だと思ったよ。
もちろんすぐ男だとわかったけどね。自分で言ってたし。
俺は最初から大規模戦闘志向だったから、実は最初は酒場で会ったんだ。
酒場?
ああ、当時はプレイヤーが自宅やその辺の路上で開く酒場が人気でね。
プレイスタイルによらず人に会えるってんで、ちょっとしたコミュニティになってたんだ。
ユウはそうした一軒によく来ていた。
本人も飲んでいたみたいで、しょっちゅう寝落ちしていたよ。
よく顔を見れば話すようになる。
そこで印象に持ったのは、随分ストイックだな、って感じだった。
こんな自由なゲームで、対人戦しかしないんだぜ?
珍しいなんてもんじゃない。
強い相手がいると分かれば世界の反対にまで行くし、ダンジョンなんて気にも留めない。
俺とは全く別の世界にいるんだな、くらいにしか思えなかった。
<黒剣>とは違う大規模戦闘ギルドに俺が入ってから、そうした思いはますます強くなった。
そんな風に、ほとんど面識もないままに数年過ぎた、ある日のことだ。
<トツノハラ廃神殿>は小型のダンジョンで、当時まだ実装されたばかりの場所だった。
コオリマの町、実際の地名で言えば福島県にある小さな神殿を中心にすえたゾーンで、俺たち30レベル代の中級―当時で言えば、だがね―<冒険者>にとって歯ごたえのある場所だった。
俺もよく入り浸ったもんだ。
当時は、レベルアップも今ほど簡単じゃなくて、結構時間をかけてレベルを上げていってたし、
そんな連中が多かったもんだから、あの廃神殿もずいぶん賑わってた。
たまたま、ギルドの連中がいなかったもんで、俺は野良パーティに入るつもりで一人で<トツノハラ廃神殿>に向かったんだ。
そこに、ユウがいた。
驚いたね。
酒場以外で見かけたことなんてなかったからさ。
周りは知らない連中ばかりだし、ふと気になって声をかけてみたんだ。
『ユウさんか? 珍しいな、こんなところで』
『あんたは? ああ、酒場でよく会う<守護戦士>の』
『クニヒコだ。覚えておいてくれ。あんたは対人戦嗜好じゃなかったのか?』
『俺はダンジョンに来た訳じゃない。ほら、あれ』
あいつが指差しのジェスチャーで示した先に、何人かの<ちんどん屋>が派手な煙を立てていた。
『なんだ?ありゃ』
『どうもどっかのイベント好きがイベントをはじめたみたいでな。<トツノハラ神前拳闘試合>だそうだ』
俺が見る横で、何人ものプレイヤーがボイスチャットやテキストチャットでイベントを宣伝している。
その向こうには、一人のプレイヤー―主催者だろう―が大声を張り上げていた。
『普段はダンジョンモンスターを相手に強さを見せている皆はん、今日はちょっと趣向を変えて、プレイヤー同士力試しをしてみまへんか?
トーナメントの順当たり、ベスト4に残れば豪華景品がありますさかいな!』
『あれに参加するつもりなのか?』
『うい』
簡単に答えて、ユウはすたすたと歩いていくと、さっさとエントリーした。
見れば、無視してダンジョンに入る<冒険者>も多かったが、結構な数が足を止めて見入っていたよ。
俺もつい、野良パーティより楽しそうに思えて、観客席に入ったんだ。
<トツノハラ廃神殿>の構造を知っているか?
あそこは神殿の入り口から中に入ると、まず狭い通路があり、次に大きな広間に出る。
円形の広間で、ダンジョンにもぐる奴はそこからさらに奥へ進んで階段を下るのさ。
その対人戦が行われたのはその大きな広間だった。
正確に言えばその一角だな。広間はかなり大きくて、それでもダンジョンに向かう<冒険者>を邪魔することはなかった。
俺たち観客は、そこにぎゅうぎゅうづめになって見ていた。
何度目かの試合の後、あいつが出てきた。
ユウは当時レベルは確か46、<製作>級の刀と同じく<製作>級の忍者装束を着ていた。
当時から<毒使い>だったかって?
もちろんだ。まあすぐ話すから聞いてくれ。
『<暗殺者>、所属ギルドなし、ユウ!』
司会役のプレイヤーの声に進み出たあいつに声援は少なかった。
そりゃそうだ。当時もソロプレイヤーなんて腐るほどいたし、ユウもそんなに名の知られた対人屋じゃなかったからな。
対する相手は、ガチガチに鎧を着込んだ50レベル―2004年当時の最高レベルだな―の<武士>で、紹介を聞く限りどっかのギルドのギルドマスターだったらしい。
そいつの仲間が、自分たちのギルマスを熱心に応援していたのを覚えている。
『では、双方見合って!』
<武士>は太刀を抜き、ユウは刀を構えた。
『はじめ!』
『うおおおっ!!』
スピーカーから雄たけびが聞こえて、<武士>が一気に加速した。
<電光石火>さ。
加速力とスーパーアーマー―攻撃後硬直をキャンセルする特殊効果を持つこの技は、陣を組んだ大規模戦闘では使いづらいんだが、対人戦やソロプレイの強襲にはうってつけだ。
まあ、テイルザーン、あんたに<武士>の戦い方は釈迦に説法だね。
ともかく、そんなに広くない闘技場で、そいつは一気に踏み込んだ。
ただでさえレベルも劣ってるユウは、あっさり一撃だと思ったよ。
違った。
あいつはほんのわずか、多分1ドットだかの距離を引いてよけると、突進した相手の後ろで刀が白いエフェクトを立てた。
『<デッドリーダンス>!』
観客が驚いた。ドット単位の精密な動きは、ユウがただ強いことをさしてるだけじゃない。
パソコンの性能、回線の性能―当時はまだADSLが広まり始めたころだったかな―がすごいことをさしている。
そして大きくよけるのではなくわずかによけ、突進する相手の背に張り付いて、動きが止まるや否や乱舞だ。
俺は驚いたよ。
あんな技ができるなんて。
そりゃ、指先が器用で、使うPCが良ければできることではあるだろう。
しかし、突進する自分よりレベルの高い<武士>の攻撃を見極めて避けるなんて、簡単にやろうと思うものじゃない。
そして、再び俺たちは驚いた。
<デッドリーダンス>の最後、振り向こうとしたその<武士>にユウは<アサシネイト>を使わなかった。
<ヴェノムストライク>を使ったんだ。
そいつのダメージに、俺たちはもう一度驚いた。
15年も前の時代だ。今みたいに<冒険者>が一万以上のHPを持っているわけでもないし、
最高峰の毒がその辺で投売りされている状況でもない。
当時珍しい<奥伝>だったんだ。
みるみるダメージを受けて、<武士>は狂ったように戦ったがダメだった。
ユウは積極的に戦ったのはその一瞬だけで、あとはひたすら回避とダメージ蓄積に回ったんだ。
最後はヤケになったように暴れるその<武士>が倒れて、ユウは当たり前のようにさっさと退場していった。
だが、俺たちは<毒使い>ってのがどれほど化け物なのか、その中でユウがどれほど強いのか、分かったように思った。
ま、PCや回線のおかげでもあるけどね。 すまん、ビール追加ひとつ。
結局、ユウはベスト8まで勝ち進んだ。
負けたのかって?
そうじゃないよ。
PKが来たのさ。
最近と違って、当時は職業ごとの戦術も洗練されていなかったし、レベルもみんな低かった。
その割りに、高価なアイテムや中伝、奥伝の巻物にはとんでもない値がついていた時代だったんだ。
しかも、イベントの場所も悪かった。
<トツノハラ廃神殿>は確かにさまざまなプレイヤーで賑わう場所だったが、基本的にはダンジョンだ。
ダンジョンの入り口で邪魔なイベントをしているバカどもを蹴散らしてしまえ、ってことで
当時有名だったPKギルドがいくつか、攻め込んできたのさ。
逃げる奴、呆けたまま殺される奴、ダンジョンに隠れる奴。
いろいろいたが、俺を含めカチンときた観客や、イベントをぶち壊された当の参加者、主催者たちは怒り狂って、襲い掛かるPKに立ち向かった。
『ユウ!』
『ああ、クニヒコ。すまん、盾やってくれ』
『おうよ!』
当時、<アンカー・ハウル>などのタウンティング系特技は当然人には利かなかったが、俺たち戦士職には仲間の防御力を上げたり、ダメージをカバーする特技がある。
PKもバカじゃないからな、沈みにくい戦士職は数を頼んで襲い掛かってきた。
必死に防御する俺の横で、ユウは毒を使わず刀を振るっている。
テキストチャットする暇なんてなかった。
俺はイライラと、なぜあいつが毒を使わないのかと思っていた。
すると、ユウが俺から離れてひょいひょいと動き出した。
プレイヤーが桶の中のジャガイモみたいにすし詰めになっていて、通信への不可のために身動きもしづらい中で、ユウだけが重力がないみたいにするすると動いていった。
向かう先は、騎乗したままの<武闘家>、PKギルドのリーダーだった。
『しね』
ひらがなのチャットだけは良く覚えている。
あっさりとリーダーに近づいたユウは、途中で消えた。
<ロードミラージュ>を使ったんだ。
そして<フェイタルアンブッシュ>、<ペインニードル>。<パラライジングブロウ>、<アサシネイト>。
流れるような動きに見とれたあまり、死に掛けたほどだ。
相手は何もできなかった。今にして思えば、回線が重くて動きづらかったのかもしれない。
結局あっさりと<スウィーパー>でリーダーは殺され、
周囲の連中も<ヴェノムストライク>や<ペインニードル>で沈んでいく。
こういっちゃ何だが、拭き掃除してるみたいだったよ。
結局、PKと俺たちは双方結構な死者を出して痛みわけの形でお互いに撤退していった。
とはいえ、ぐずぐずしていたら次が来る。
なし崩し的に俺とユウは<妖精の輪>まで走った。
俺は感動していた。
<暗殺者>は当時のギルドにも何人もいたが、あんなに強い<暗殺者>はいなかったからな。
『あんた強いな、ユウさん。訓練してるのか?』
『うい』
『大規模戦闘とかはしないのか?』
『ああ』
『初めてどれくらいになるんだ?』
『5年目。あんたは』
『4年目。なあ、せっかく知り合ったし、どこかダンジョンを攻めてみないか?』
『おk』
今にもましてぶっきらぼうだって? 当時は会話は全部キーボード打ち込みだからな。
しかもその時は走ってたんだ。
別に気にはしなかった。
そんなことがあって、一緒に遊ぶようになり、俺も大規模戦闘がないときはユウとダンジョンや対人戦の会場を回るようになった。
それからタルさんやバイカルと知り合って、あちこち回って、その間にユウもタルさんも結婚して子供ができて、だんだんログインが少なくなって。
それで今に至る、さ。
それでな、それから1ヶ月位して、ミナミでな……
◇
長い昔話が終わると、テイルザーンは思わず息を大きく吐いた。
いまさらながらに、目の前でビールを煽る、同年代にしか見えない黒衣の騎士が、自分とは違う時代のプレイヤーだということが分かったのだ。
あちこちに脱線し、当たり前のように固有名詞を出してくるクニヒコの話は孫に聞かせる祖父の物語にも似て、テイルザーンには理解できないことも多々あったが、それでも彼は時折相槌を打って聞いていた。
PKギルドに攻め込んでズタボロに殺されたこと。
クニヒコに誘われて大規模戦闘に初参加したユウが思ったよりうまく戦ったこと。
そのうち<幻想>級装備や、秘伝の巻物が実装され、ユウがそれらを手に入れるために躍起になったこと。
そこには、ユウという一人のプレイヤーの、20年近い人生があった。
(人に歴史あり、やなあ)
テイルザーンが知るユウは、沈着冷静な戦士で対人家、激情家で軽率、といったイメージである。
それは彼女の内面の一部だが、それだけがユウではなかった。
ごくごく平凡な、一人の<エルダー・テイル>プレイヤーが、クニヒコの話に出てくるユウだった。
思わず、今は袂を分かったかつての団長を思い出す。
遠いアキバにも、冷酷な常勝将軍として名を馳せる彼も、現実に戻れば一人の市民であり、社会人だった。
アキバで人を狩り続けたユウと同様に、彼の人生も<大災害>によって大きく変えられたのだ。
それを人によっては福音と言うかも知れない。
元の現実がさほど楽しくなかった、あるいは障害や病気に苦しんでいた人にとって、異世界への漂流は苦痛からの解放だったろう。
だが、ユウやナカルナードにとっては、それは理由のない懲役に近いものではないのだろうか。
自分と同じように。
いい加減出来上がったクニヒコを前に、そう思ってテイルザーンは温くなった杯を干す。
(ユウの知り合いと飲むと、いつも最後はシリアスになってまうなあ)
そう考える自分に、かすかなおかしみを覚えながら。
遠くで、深夜を告げる<大地人>の鐘が鳴っていた。




