63. <それぞれの天地>
1.
哭泣がある。
泣いているのは一人の老婆だ。
「娘夫婦と4歳になる孫が死にました。あの賊軍のせいです。
わしらの村は焼かれ、連れ合いの墓は暴かれ、知り合いや親戚が殺されました。
孫のようにかわいがっておった隣の家の娘は犯されて殺されました。
10歳だったのに。
わしはもう老い先短い。このおいぼれに何も残ってはおりませぬ。
しかし、このまま飢えて死んでも、わしは娘や婿、孫に顔向けができませぬ。
せめて……」
泣き崩れるその老女を、周りを囲む若者たちが労わるように支えた。
「おばあさん、<冒険者>さまならきっと何とかしてくださるよ」
「そうだぜ、さあ、もう立って」
<五岳>のひとつ、<泰山>のふもとにある小さな<大地人>の集落。
痛ましいその姿に、無償の炊き出しを行っていた<日月侠>の<冒険者>たちは、我知らず涙ぐんでいた。
戦乱が終わって1ヶ月が経過した頃のことである。
ベイシアたち<冒険者>が行ったのは、まず行くあてをなくした難民たちの救済だった。
暖かい味のある食事を与え、いくばくかの路銀を渡し、近隣の耕作地を割り当てる。
言葉にすれば簡単なことだが、数にして数万人の<正派>と<邪派>の冒険者にとって、行動に移すのは非常なものだ。
味のある食事はわずかな中レベル以上の<厨師>しか作り出せず、路銀は無限にあるわけではなく、耕作地といっても本来の持ち主やその後継者が生きているのかも分からない。
しかし<大地人>は押し寄せる。
彼らにとってみれば、生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
だからこそ、この老女やその取り巻きのような人々も現れるのだろう。
「ちょっと待ちなさい」
暖かい粥に続いて、金貨を渡そうとした<日月侠>の若い<冒険者>の後ろから冷たい声がかけられた。
はっとして周囲の人々が声の主を見る。特に、先ほどまでしくしくと泣いていた老女の驚いた顔は際立って奇妙だった。
「あなた、一昨日、向こうの蘭陽の町でも同じように告げて食事と路銀を得たわね。
食事はともかく、金貨が2日で尽きるとは思えないわ。
耕作地を割り当てようとしても言い訳しながら逃げたしね。
<冒険者>の通信能力を甘く見ないで。すでに顔は知られているのよ」
至極冷静に告げた、年長と思える女<吟遊詩人>の言葉に、周囲の<大地人>からざわめきが漏れる。
その内容は、好意的なものではない。
うつむいて黙っていた老女が、その時不意に顔を上げた。
「だからなんだってんだい!! さっさと金を寄越しな!!」
「何だと、ババア、盗人猛々しく!」
ふてぶてしく叫んだ老女に、カッとなった<冒険者>の一人が腰の戒刀に手をかけた。
その姿に、周囲の<大地人>が数歩下がる。
だが、当の老女はむしろ挑戦的な目つきでその<冒険者>をにらみつけた。
「確かにお人よしのあんたらから何度も金をせびってやったさ! だから何だい?
あたしが言ったことはすべて本当、子も孫も知り合いも全員あんたたちのせいで死んだんだ!
せめて金くらい思う存分くれてやっても文句は言わせないね!」
「そのために、誰かが金を渡されずに飢えることになる。それでもいいの?」
「いいさ、そんなこと」
老女の顔はこれ以上ないほど引き歪んだ。
「顔も名前も知らない誰かなんて知ったことじゃないね。
どうせ、ここじゃ殊勝な顔をしても、家に戻れば他の連中の飯を掠め取るか奪い取るかしかしない連中だよ。
それに金がない? あんたら<冒険者>なんだから、その辺のモンスターを狩ってくればいいだろう」
「そんなことはすでにやってる!」
怒鳴る<冒険者>を老女はせせら笑った。
「じゃあもっとやりな。あたしら<大地人>はか弱いんだ。
それに、あんたらみたいに死なないわけでもない。病気もするし老いもする。
なんだい?
殺したければあたしを殺せばいいだろうさ。
じゃが、来てくれと頼んだわけでもないのに、勝手にやってきて戦争をおっぱじめて、
挙句に自分たちの巻き添えにあたしらを散々苦しめやがって。
いまさら小銭と粥で英雄気取りかい?
ええ?
ありあまる金と力でほんの少し恵んでやるから、おとなしく尻尾を振れってのかい?
舐めるんじゃないよ。
あんたらは」
まくし立てていた老女の顔が不意に凍りついた。
そのしわくちゃの、ぼろ布のような服の間から赤い何かが飛び出ている。
それが、やせ衰えた体から命を奪い取った剣であると分かっていてなお、その場の<冒険者>は誰も一歩も動けなかった。
刃を突き込み、老女を強制的に黙らせた<大地人>の男は、ずぱりと刃を引き抜くと、痙攣する老女の体を蹴る。
枯れ木のようにその体はごろごろと転がり、ぼうっと光りはじめていた。
「な、なにを」
「<冒険者>さま!」
老女を殺した男はいきなり叫んで地面に片膝をついた。
血に塗れた刀から、さながら巻き戻しのように赤色が消えていく。
呆然と見つめる<冒険者>たちに、再び男は叫んだ。
「偉大なる<冒険者>さまへのご無礼の数々、許せませぬ!
このリンヒョンが、あの詐欺ババアを退治いたしました!」
「あ、ああ……」
鋭く叫んだ男は、しかし次の瞬間目をぎらつかせた。
「この華国において<冒険者>さまは正義!偉大なる<夏>に逆らうものは悪です!
このリンヒョン、一剣をもって悪を退治いたしましたゆえに、報酬をいただきたい」
「あ……あ」
その吐息を肯定と受け取ったのか、目をにやつかせてリンヒョンと名乗った<大地人>は立ち上がった。
「では報酬の食事と金を! あのババアを殺したのは私でありますゆえに、ババアへの金は私が受け取る権利があるかと!」
「……っざけんな!」
老女の取り巻きだった若者がいきなり剣を抜いてリンヒョンの頭を打つ。
しかし、鈍らだったためか、血を肩から吹き出しながらもリンヒョンは振り向いて叫んだ。
「黙れ!詐欺の片われめ! 死ね!」
「うるさい! お前も金がほしいだけだろうが!」
「おい!そこで争うな!! 俺たちが次の番なんだぞ!!」
後ろにいた男たちがいきり立って襲い掛かる。
その場の<冒険者>の誰もが止めるどころか、何も反応できないうちに、その場では<大地人>同士の殺し合いが始まってしまっていた。
その誰もが必死だ。
「俺の家にはカカアと子供2人がいるんだ! さっさとどけ!」
「やかましい! 俺の家にも妹が待ってるんだ! 飢え死にするだろうが!」
「黙れ! どうせ一人で贅沢をする気なんだろう!」
「や、やめて……」
当初の凛とした雰囲気を失い、女<剣士>は呆然と呟いた。
腰には愛剣が、まるで頼りないマッチ棒のように揺れていた。
◇
「駄目ですな、連中は」
書類をめくり、ムオチョウは心底軽蔑しきった顔で鼻を鳴らした。
乱闘があってから一昼夜。
<泰山>上方、<古墓派>が臨時の拠点を置く聖堂の中での発言だ。
「あちこちの炊き出しをめぐって金をせびり取る。
そうした連中を勝手に狩って金を要求する。
夜になれば救護所に盗みに入る始末。
しかも本人たちには罪悪感のカケラもない。『元はといえば<冒険者>のせいだ』連中の発言はいつもそれだ。
やめましょう、慈善事業なんて。大事な資金と資材をドブに流すようなものです」
「だがね、ムオチョウ。それをやめれば連中は暴徒になるか、山賊になるかしかない。
そうなればただでさえ最低な<冒険者>の悪名はさらに高まるんだけど」
水色の髪をボブカットにし、すらりと長い肢体を道服に包んだ<古墓派>の幇主が静かに指摘するが、ムオチョウは心底汚らわしいというように吐き捨てた。
「こんなことをしても悪名は消えませんよ。結局奴らにとって我々は招かれざる隣人なのです。
都合がいいときは頼りきり、拒否すると居丈高に喚き、見えないところでは悪評を垂れ流す。
そんな連中、救って何の意味があるのです?」
「それでも我々は江湖の義侠だ」
まるでそれだけで答えになるかのように、女幇主は一言答えて口をつぐむ。
しばらくそんなリーダーを見つめていたムオチョウだったが、やがてふう、と息をついた。
「大体、<冒険者>が悪い、なんて言っちゃいますが、華国が戦乱状態なのは元からではないですか。
連中の村を焼いたのも同じ<大地人>の山賊や盗賊だし、そもそも賊軍だって<冒険者>は一人、その他は参加した貴族とその兵にしても、騎馬民族のエルフにしても、すべて<大地人>です」
「だから」
「<大地人>を捨て置きましょう、幇主。
そう大侠やメイファ毒侠に伝えてくださいませんか。
連中は我々の助けなどなくても勝手に生きていきますよ、過去何百年もそうだったように。
百歩譲って開拓地の耕作は必要でも、それ以上の支援は不要です。
<大地人>のまいた種は自分たちで刈り取ればいい」
言い放ったムオチョウに、<古墓派>の幇主は黙って手にした林檎を投げた。
危なげなく受けた彼が不思議そうな顔をするのを見て、小さい声で言う。
「その林檎は<嵩山>の近くで採れたものだ」
「だから何なんです?」
「採ってきたのは<大地人>の農民だ」
「……」
「その林檎だけではない。我々は多くの資材や生活物資を<大地人>から購入している。
いくら我々が否定したところで、<大地人>抜きで生活を行うのは不可能なのだ。
お前はそれでも連中を切り捨てろというのか?」
淡々とした幇主の言葉に、ムオチョウはぐっと息を呑む。
やがて、苦しげな返答が幇主の耳に届いた。
「それは……我々に敵意のない、従順な<大地人>だけを優遇すれば」
「それは奴隷制度と何が違うのだ?」
幇主の切り返しに、今度こそムオチョウが黙る。
静かな、見ようによっては冷たくすら見えるまなざしを部下に向けると、幇主は周囲を見回した。
幇主とムオチョウの舌戦を息を呑んで見守る、他のメンバーは、あるものは目線を合わせず下を向き、またあるものは挑戦的に幇主の目を見返した。
「<大地人>は強かだ。脅迫、泣き落とし、正論じみた暴論、ありとあらゆる手を使って<冒険者>から利益を得ようとする。
それを憎み、蔑むことはたやすい。私とて憎い。
だがそれを断罪して何が変わる? どのみち<冒険者>と<大地人>は付き合っていくしかないのだ。
古来<大地人>の天地だったこのセルデシアで。
ムオチョウ。憎むのもさげすむのも構わん。 だが支援は継続する。
ここは<冒険者>の世界ではないのだ」
その日の夜。
自室に戻ったムオチョウは、荒れ狂う内心を抑えるように、一心不乱にメモを書いていた。
書き記す中身は<大災害>以降の各地の様子だ。時系列順、場所順に、出来るだけ整理して書き記していく。
しかし、その心中では自らの幇主の言葉が延々とリフレインしていた。
『ここは<冒険者>の世界ではない』
当たり前のことだ。この世界の主役は英雄ではない。無名の民衆だと。
プレイヤーがログインしようが、ログアウトしようが、彼らはその世界に在り続ける。
しかし幇主の言葉はそれ以上の意味を含んでいるように見えた。
セルデシアが<大地人>の世界であれば、その世界にあって<冒険者>はなんなのか?
「…<脇役>」
我知らず、ムオチョウの喉から単語が洩れる。
ふと、昔、日本に留学していた時に、大学の友人に見せてもらった日本の古いサムライ映画を思い出した。
「勝ったのは<大地人>、ヒーローはあくまで負け戦の脇役……」
ペンの先につけたインクが滴るのも構わず、そう言ってムオチョウがため息をついた時だった。
「……?」
ムオチョウの目が訝しそうに、叩かれた扉を見た。
そのまま真っ暗な窓の外を見て、月から時間を計ろうとする。
少なくとも夜半は回っているだろう。自身、ひっきりなしに動かしていた右腕が重く痛んでいた。
そんな時間に、自分を訪ねる馬鹿はどこのどいつだろうか。
<冒険者>の朝は早い。冬の今頃では、当たり前のように凍死者が出るからだ。
いくら即座に光になるとはいえ、見つけて気分のいいものではない。だからこそ、<冒険者>はいつしか、夜明けに宿舎の周囲を回るという習慣を持つようになっていた。
とんとん。
再び扉が開かれる。
魍鬼か?と、その背が一瞬ぞわっと逆立つが、そんなことはないと即座に彼は首を振った。
アンデッドであれば、少なくとも<辺境巡視>や<狩人>持ちプレイヤーによる警戒網を気付かれずに突破することは不可能であろうからだ。
「どうぞ」
そこまで考えて、ムオチョウは不機嫌そうに扉に声をかけた。
「夜分にすまない」
「イェンイ?」
彼の声のトーンがいきなり大きく変わった。
彼の部屋から廊下に続く木の扉を開き、申し訳なさそうに顔を出したのは、彼の友人である<召喚士>の女性、イェンイだったからだ。
彼女の魅力的な容貌・物腰と、戦場での沈着冷静な戦いぶりは、元来クレバーな人間が好きなムオチョウにとって好ましいものだ。
だが、とイェンイをみる彼の目が不審そうに揺れる。
「よく来たなあ。しかし、君は確か<恒山>方面への派遣部隊にいたはずじゃあ」
「ええ……ムオチョウ。お願いがある」
猜疑心というほど強くはないが、疑念の目にイェンイは言いづらそうに目を伏せた。
「あなたに聴いてほしい話がある。 ……元の世界に帰ることが、できるかもしれない」
「なんだって!?」
思わず叫んだムオチョウの視界に、二人目の<冒険者>が入った。
奇妙な文字をステータス画面に描いた、リュートを背負った<吟遊詩人>だ。
どことなくムオチョウ自身と似た雰囲気を醸し出しているその<吟遊詩人>の出身を察し、ムオチョウは過去に留学していた先の国の言葉を口に乗せた。
どうせ母国語でも意味はとってもらえるが、ちょっとした余興だ。
「日本の方とは珍しいですね。なぜここに?ユリアス……さん?」
「使者としてまいりました。あなたのような方―ギルドの中堅層の方に会いにね。
イェンイさんとも、その縁で知り合ったんですよ。
さて……私はヤマト、ミナミ、オデッセイア騎士団という集団の使者として参りました。
<吟遊詩人>のユーリアスです。
どうか、よろしくお見知りおきを」
眉をひそめるムオチョウの前で、そう言ってヤマトからの使者は大仰に腰を折った。
前後編に分けます。
ある意味、<華国>編のエピローグのようなものです。




