61. <惜別の剣>
1.
汗血馬が高く嘶いて走る。
大陸の戦場で幾多の武将を背に乗せた名馬の末裔は、やはり大陸の戦場が最も嬉しいのだろうか。
鞍上で身を横たえる形のユウはそう思って小さく笑った。
周囲は乱戦だ。
既に賊軍の統制は乱れ、あちこちで<冒険者>と亜人、<大地人>が刃を交えている。
一部の部隊は決死の勢いで突撃をかけていたが、それもすぐさま<冒険者>たちの呪文と矢によって立ち往生させられていた。
魔法の弾雨がとまったと見るや、<冒険者>たちによる突進がその隊列を散々に突き崩す。
既に戦場は<嵩山>を下り、そのふもとの平原地帯に広がっていた。
さながら阿鼻叫喚の修羅界のようなそこを、一人ユウは駆け抜ける。
彼女の華国における、最後の役割を果たすために。
レンインは周囲に渦巻く殺戮の中を疾駆していた。
その後ろにはフーチュン、そしていつの間にかカシウスもいる。
乱戦の中で3人が出会えたのは僥倖以外の何者でもなかった。
そもそもレンインは、メイファからこの戦いに参加することを命じられていなかったのだ。
それでもこの場に立っていたのは、元はといえば彼女自身が立てた策の結果として発生した戦いであること、その責任感と罪悪感ゆえのことといっていい。
馬を立てていたレンインに、偵察隊の一員として先行していたフーチュン、指示を無視して彼のそばについていたカシウスが合流し、今は3人となって戦場を走っている。
目指すは敵の本陣。
彼らは、敵にとっては凶悪無比の三人組として、戦場を縫うように進んでいた。
「おい、あれ!」
カシウスが不意に剣で砂塵の向こうを指した。
朦々たる煙の向こう、クリアキン族の旗が一斉に動いていく。
「逃げる気か!?」
「ユウさんも、そこへ!」
「行くぞ!」
かかってくる<大地人>歩兵―どこかの貴族の私兵だろう―を一太刀で沈め、カシウスが叫ぶ。
彼らが向きを変えようとした刹那、今度はフーチュンが叫んだ。
「おい! あれは!」
彼の目が、乱戦を無視して駆け下る一騎の騎馬を捕らえたのだ。
一瞬だったが、目に鮮やかな赤い馬体、その上に伏せる黒い装束、緑と青の残光を見るものに焼き付ける刃の輝きは紛れもない。
「ユウ!!」
3人がそろって叫び、砂塵に消えた騎馬を追う。
相手の馬は快速だが、3人の騎馬も劣ったものではない。
うまくいけば、彼女が戦場を離脱する前に捉えることができるように思えた。
◇
「これは、勝てたな」
ベイシアがそう呟くと、あちらこちらから安堵のため息が漏れた。
今、彼の周囲には自然と集まってきた<冒険者>が取り囲み、二十四人規模の中隊を編成している。
その所属幇も、派閥もさまざまだが、いずれも同じ戦場を共に戦った戦友同士特有の暖かい空気が包み込んでいた。
『<日月侠>より連絡。敵軍は壊走を始めた模様。<日月侠>は追撃を開始するとのこと』
「よし、こっちも掃討戦に移ろう。この戦いは<冒険者>が快勝する必要がある。一騎も逃すな。
<嵩山>も予備隊を第3列まで出すぞ」
『了解』
通信班からの念話が途切れると、山上から再び馬蹄の響きが聞こえた。
万一の奇襲に備えた部隊を除き、すべての予備戦力が城を出たのだ。
まだ、敵兵の多くは生き残っている。
伊達に数十万もいるわけではないのだ。
だが、大族長や各族長、将軍の統制を離れた彼らは烏合の衆に等しい。
ベイシアは逆襲を恐れてはいなかった。
今は彼のそばを離れ、独自に部隊を率いている<少林派>のファン、<嵩山派>のランシャン、<屠龍幇>の幇主らも、それぞれの才覚で追撃戦に移っていることだろう。
「<大地人>の兵士は降伏すれば殺さなくていい。亜人、草原のエルフは降伏させるな、皆殺しにしろ。あと、各軍の指揮官は残らず殺せ。生かして帰すな」
ベイシアの指示が飛ぶ。
非情ではあるが、ある意味で合理的な判断だ。
敵兵の中にいる少なからぬ数の<大地人>兵は、その多くが領主や将軍の私兵だ。
彼らも元は農民であり、華国の民である。
一方で草原のエルフは遊牧民、亜人たちは無論のことモンスターであり、いずれも華国に残しても害にしかならない人々だ。
下手に情けをかけて逃がせば、そのまま流賊と化す危険性があった。
「勝ったには勝ったが、これから大変だな……」
周囲に聞こえないようにこっそりとため息をついたベイシアが後ろから呼びかける声に気づいたのは、しばらくしてからのことだった。
「大侠、ベイシア大侠」
「あ? ああ、カークスさん。どうした?」
「すまないが、この場にいる<ヤマト傭兵団>に、傍を離れる許可をいただきたいのだが」
「どうしてだ?」
思いつめたようなカークスの目に、やや圧倒されるものを感じつつベイシアが問いかけると、
「この戦いの元凶を討ち取りたい。いや、討ち取るのは我々でなければならないんだ。
頼む、大侠。我々に、同国人の罪を償う機会をくれ」
「ああ……」
頭を下げたカークスに、ベイシアはしばらく考えると、不意に旗を指差した。
「その旗を」
「え?」
「その旗を一本を残しておいて行ってほしい。そして代わりに僕の旗を持っていってくれないか」
乱戦で皆の気が立っている。
日章旗をモチーフにした<ヤマト傭兵団>の旗を見れば、思わず攻撃を仕掛ける<冒険者>もいるかもしれなかった。
そのために、目立つ旗は一本を残しておいていく。
代わりにベイシアの旗を持っていけば、同士討ちを可能な限り避けることができ、
なおかつ<ヤマト傭兵団>の旗を一本だけ持っていれば、ユウを討ち取ったのが誰なのか明確に示すことができる。
そうしたベイシアの配慮に気づいたカークスは再び頭を下げると、共にいる2人の<ヤマト傭兵団>の仲間に叫んだ。
「二人とも!大侠の許可は得た!旗を一本だけ持っていくぞ! 奴に会うまで俺たちの旗は伏せておけよ! いくぞ!」
「……」
カークスたちが砂塵に消えてからしばらく、ベイシアは剣を下げたまま佇んでいた。
だがいつまでもそうしていられるわけもなく、再び彼は周囲に指示を下し始める。
ベイシアにとっては、これからがもうひとつの戦闘なのだ。
2.
「ユウ!」
「……いたのか」
馬をとめ、喘ぐ汗血馬の首をたたいていたユウは、横合いからの鋭い叫びに血に酔った目を向けた。
彼女も何人もの敵兵を切り倒している。
既に本陣の会話が漏れたのか、彼女に襲い掛かってくる兵は<冒険者>だけではなく草原のエルフ騎兵や、亜人たちもいた。
それらすべてを斬り、<冒険者>のような一撃で倒せない相手は手足を斬り、ユウは戦場のはずれといってもいいこの丘の上までたどり着いたのだ。
感情のこもっていない声ながら、ユウの心にはかすかな喜びがある。
誰とも知れない相手に倒されるよりは、レンインとフーチュン、カシウスであればまだしも殺され甲斐があるというものだ。
「ユウーッ!!」
走り寄っての全身全霊のフーチュンの一撃を馬を強引に動かして避け、ユウはせせら笑った。
「どうした? 旧交を温めに来たのかと思えば」
「どうしてこんなことをした! 何がしたかったんだ、あんたは!!」
追っていた相手に出会って興奮したのか、フーチュンの目は血走っている。
「あんたのせいで、<大地人>の町や村がいくつも焼かれた! 尊敬すべきシュチ将軍も死ななければならなかった! 味方だけじゃない! あんたの口車に乗った草原のダークエルフどもも何人も死んだし、<冒険者>は大きな屈辱を受けた! すべてはあんたのせいだ!」
口早に怒声を叩きつけるフーチュンの後ろで、レンインが俯く。
その光景を見ながら、ユウは馬に乗ったまま、同じく騎乗のフーチュンの刃をかわし続けた。
「それをお前さんに言ったところで理解できるとも思えないけどね」
言い返すユウにますますフーチュンが激昂する。
<剣士>も、<暗殺者>も騎乗しての特技はほとんどない。
フーチュンの怒りとは関係なく、ユウは彼の剣を余裕を持って避けていた。
周囲に掃討戦を行う<冒険者>が徐々に集まり始める。
中には同士討ちかと思って声をかける者もいたが、ユウの姿を見て、目の前の<刺客>が敵の首魁だと気づいたのだろう。
やがて、濃密な殺気をこめた十重二十重の<冒険者>に、ユウがいる丘は取り囲まれていた。
「どうしてだ!! <高昌>まで、あんたは頼れる仲間だったのに!
どうして姿を消した! どうしてモンスターの味方をして華国に弓を引いたんだ!」
「教えてやろう」
ガキン、と鋼の噛み合う音が鳴る。
フーチュンは、西域から今まで自分を守っていた<砂塵剣>が音高く折れて飛ぶのを呆然と見つめた。
しかし、武器を失った自分に襲い掛かるはずの毒の刃はいつまで待っても来ない。
唖然とするフーチュンの前で、距離を置いてユウは口を開こうとした。
そのときだった。
「私のせいです!」
叫んだのはユウではなかった。
周囲の数百、いや、千に達しようかという<冒険者>たちの瞳が悲痛な声を上げた女性に向かう。
レンインに。
「私が、私が悪いんです!」
「レンイン………?」
戸惑うようなフーチュンに、涙のたまった目を向け、レンインは搾り出すように告げた。
「私の……せいなんです」
「どういうことなんだ、レンイン」
誰もが、ユウでさえあっけに取られて見つめる中、一人カシウスが静かに続きを促す。
「……お嬢さん?」
「レンインお嬢さんだ」
「<日月侠>の?」
「私が……私が考えたんです! この華国のいびつな正邪の戦いを、そこで苦しむ<冒険者>をどうすれば救えるのか! 無意味な争いをやめ、どうすればこの<大災害>に立ち向かうことができるのかを!
私はヤマトにいました。<妖精の輪>をくぐり、ヤマトの、ヨコハマというところにいたんです。
そこにも多くの<冒険者>がいました。
我々と同じように、この<大災害>に巻き込まれ、帰り道を失った人々でした……ですが、彼らは仲間同士で争うことをしなかった。
彼らの町、アキバと、周囲の<大地人>の領地に攻め寄せてきたゴブリンを敵として彼らは団結し、その結果、<大地人>と<冒険者>、そして<冒険者>同士の争いを捨て、共に生きるようになっていたのです!
私は、彼らが、<大地人>とも、ほかの幇のメンバーとも笑いあう彼らが!
……うらやまし……かった……」
「まさか、レンイン……」
フーチュンが呻く。
レンインは悲しげな微笑を彼に向けた。
彼にだけは知られたくなかった、しかし彼には知っておいてほしかった、それは彼女の罪だったのだから。
「私は……考えました。この華国にも同じことは起きないかと。しかし……華国の<冒険者>の数は多く、なまなかの敵では団結しそうにありませんでした……だから…だから私は……」
いつしか、丘を取り巻く<冒険者>の数は数千に膨れ上がっていた。
ベイシアもいる。ファンも、ランシャンも、メイファもいた。
その他多くの幇の幇主たち、そしてメンバーたちも。
彼らの一人ひとりに、自らの罪をレンインは告白しようとした。
「私は……この黒衣の友人、ユウさんに告げたのです」
「そこまでだ」
「ごふっ!?」
誰もがレンインの言葉の続きを戦慄と共に待っていたその時、不意にレンインが血を吐いた。
そのまま、ゆっくりとコマ送りのように彼女の体が馬から転げ落ちていく。
「ユウ!?」
「レンイン!!」
「お嬢さん!!」
あちこちから悲鳴が上がり、馬から飛び降りたフーチュンがレンインを抱き上げた。
その喉元には、深々と短剣が突き刺さっている。
即死するほどではないが、気道を抉ったその一撃は十分に致命傷といえるものだった。
「何をするんだ、ユウ!!」
カシウスが下ろしていた剣を向けて叫ぶ。
その下で、フーチュンはぐったりとなったレンインを抱きしめて絶叫した。
「レンイン!レンイン!!」
「回復を!!」
丘の傍に立っていた一人の<方士>が回復を飛ばす。
短剣に毒は入っておらず、血を噴水のように噴出していたレンインの呼吸が穏やかなものに変わった。
それと対照的に、さらに殺気を増した周囲を冷たい目でにらみまわし、黒衣の<暗殺者>は嘯いた。
「勝手な作り話を作っているんじゃない。お前とは友達でもなんでもない」
「なんだと!?」
いきり立つフーチュンを無視して、ユウは周囲の<冒険者>を見下ろした。
「ことここに至っては、どうしようもない。教えてやる。
私はね。もともとアキバで散々PKをやらかして、ヤマトから逃げ出そうと思っていたのさ。
そうしたところにこのお嬢ちゃんが来てくれた。
彼女は言ったよ。華国をよくしたい、人種や国籍の隔てなく、正邪の隔てもなく団結するようにできないか、ってね。
だから囁いてやったのさ。
華国へ戻れと。
私も一緒にいってやる、ってね。
簡単に動いてくれたよ。
もちろん、彼女には華国行きの<妖精の輪>を教えてくれたという、最低限の恩義があったからね。
彼女の目的を、徹底的にゆがめた上で叶えてやろうとしたのさ。
私自身があんたたちの敵になることでな。
ちょうどやってみたかったんだよ、<冒険者>に軍隊をぶつけたらどうなるのかってね。
<高昌>でついにそれがレンインにばれて、私を殺して止めようとしたものだから叩き斬って<黒木崖>に送ってやった。
ほんとはね。
レンインは一人ひとり、幇主を説得して回ろうとしたんだよ。
あんたらにも覚えがあるだろう、そう。<黒木崖>の大演武や<嵩山>に私たちが来たときのことを知っている連中なら。
レンインも敵を作って無理やり団結させようと思わなくもなかったらしいね。
それを実行に移してくれればこっちも悪役を押し付けられてちょうどよかったんだが、あいにくレンインはやめてしまった。
<大地人>の無辜の民にも被害が出るということで怖気づいたのさ。
だから私がやったんだ」
「ユウさん……違」
「黙ってろ」
ようやく身を起こしたレンインの手を再び短剣で刺し貫き、笑ったユウに、周囲から殺気の矢が飛ぶ。
彼女のすぐ傍にレンインやフーチュンたちがいなければ、即座に矢と魔法が飛ぶといわんばかりだ。
そんな殺気などどこ吹く風というように、ユウは思い切り邪悪な顔で周囲の<冒険者>を嘲笑った。
「わかったか? クソくだらない正邪の争いとやらで楽しく遊び、本当の問題を一年近く棚上げにしてきたおろかな諸君。
どうせ私はアキバの敵、ヤマトの敵だからな。
ちょうどよく日本人がここにもいるということで嬉しかったよ。
わたしのおかげで華国の日本人プレイヤーも、あんたらによって無限に殺されるだろうからな。
ヤマトには恨みしかないし、そのヤマトの仲間をお馬鹿なお前らのおかげで地獄に落とせるとあって、実に爽快極まりないね。
どうした?
ほら、そこに日本人がいるぞ? <ヤマト傭兵団>なんて名前の」
「うるせえ!!」
嘲弄するユウの声にこたえたのはフーチュンではなかった。
丘の周囲にいる<冒険者>たちの輪から、一人の<侠客>が叫ぶ。
彼の隣にいる<妖術師>は<ヤマト傭兵団>―日本人だった。
「ああ。はっきりわかったぜ。 お前がどうしようもない人妖だってのがな!
レンインお嬢さんを利用し、ヤマトで俺たちと同じ<冒険者>を殺して回り、今度はその罪を何も関係ない日本人の仲間に押し付けるなんざ、お前はクズだ!
俺は知ってるぞ! こいつら<ヤマト傭兵団>は、俺たち中国人プレイヤーの嫌がらせにも黙って耐えてた! 理不尽には堂々と対抗していた! こいつらは誇り高い<江湖の好漢>だ!
日本人だからどうした! お前のようなゲスな日本人とはまったく違う!」
「そうだ! お嬢さんまでダシに使いやがって、許せん!」
「腐った日本人はお前一人だ!」
「俺たちは共に戦った戦友を疑ったりしない!」
「口ではでかいことを言える。台湾人も、チベット人も、東南アジア人もいるのにか?」
「「関係ない!!」」
ユウの声に怒声を返したのは数百人もいただろうか。
スラ、とあちこちから武器を抜く音が聞こえる。
言いたい放題を言い放つユウに、ついに彼らの怒りが沸点を超えたのだ。
誰もが、丘の上に立つ敵に殺到しようとした。
その時。
「待ってくれ」
堂々とした声が響き渡った。
動きを止めた<冒険者>の中を掻き分けるように、一騎の騎馬が進んでくる。
その背中にはベイシアの旗。そして<ヤマト傭兵団>の旗が翻っていた。
「そいつの始末は、俺にさせてくれ。兄弟たちよ」
カークスはそう言って、ゆっくりと馬から下り、背の旗を丘の麓に立てた。
◇
「ユウ。あんたの真意、確かに聞いた」
同じく馬から下り、腕組みをするユウに、カークスは静かに言った。
歩きながら、すらりと剣を抜く。
「あんたは日本人の中で最悪の一人だ。
今。
この場において、国籍も民族も関係ないと言うが、あえてあんたのとどめは俺が刺す。
同じ日本人として、日本人のしでかした罪は、俺が償う」
「できると思うか? 4レベルも違うのに」
「やれるさ」
ふっと笑ってカークスは剣を構えた。
ユウも腕組みを解き、腰に戻していた二刀をすらりと抜く。
「元<D.D.D.>、<ヤマト傭兵団>団長、<武士>、カークス、参る」
「ユウだ。 いくぞ」
互いに声を掛け合った瞬間。
ぎり、と音を立て、3本の刃は互いに噛み合っていた。
互いの吐息すらかかるほどの近くで、カークスが囁く。
「ユウさん。……ありがとう」
「何のことだ」
「俺のところに伝令が来たんだよ。ヤマトからね。アキバの<妖精の輪>探索隊さ。そいつらからあんたのことは聞いてるんだ」
「……」
「どういう経緯か、詳しくは知らないが、あんたは俺たち華国の日本人のために、自分ひとりが悪役になったんだろう? だから礼を言う」
「……早くヤマトへ帰ってくれ」
「ああ……この後にな!!」
ガシン、とひときわ大きく打ち合った後、カークスは飛び離れた。
ユウもくるりと空中で一回転すると、その手から短剣が飛ぶ。
「遅い!」
ガシ、と打ち落とすカークスを、瞬時に近い速度でユウが詰める。
さすがのカークスも、アイテムの性能に加え<ガストステップ>を駆使したユウの突進速度には及ばない。
「<アサシネイト>!」
「<切り返し>!」
ガシン、と閃光が走った。
カークスの胴から血が飛び散る。
しかし、本来<武士>である彼すら一撃で瀕死に追い込む一撃は、その威力のほとんどを失っていた。
ユウは彼女にしては非常に珍しいミスをした。
敵の眼前で呆然としたのである。
まさか、レベルも低く、速度も大幅に劣る彼に必殺技を返されるとは思っても見なかったのだ。
だが、そのわずかな時間をカークスは無駄にしなかった。
「<瞬閃>!」
「<パラライジングブロウ>!」
「<叢雲の太刀>!」
大規模戦闘用<武士>の真骨頂といえるだろう。
速度を引き上げられた、秘伝にまで達した秘技は、同じく秘伝のはずのユウの一撃をかき消し、その体を深々と断ち割る。
「ぐふっ!」
衝撃と激痛にのけぞるユウに追い打つようにカークスが叫ぶ。
「<一気呵成>!」
使用済みの特技の再使用規制時間を無視して再度の攻撃を可能にする、<武士>必殺とも言える特技だ。
それによって再び、カークスのステータス画面の中の使用可能特技一覧が輝く。
彼の最大の奥義が。
「く、<ヴェノ……」
「<叢雲の太刀>!!」
「殺すな!」
最後の叫びは一騎打ちを見守っていたベイシアのものだ。
しかし一瞬遅く、ユウの首は音高く宙を飛んでいた。
3.
<嵩山>の最も大きな広場。
そこには、簡易的な台が作られ、丸太がくくりつけられていた。
その下には無数の人影。
<冒険者>だけではない。
篭城に参加した<大地人>、あるいは近隣の領主たちの姿もある。
その中から一組の男女が進み出た。
メイファと、ベイシアだ。
そしてもう一人。
首をはねられてすぐ蘇生させられ、ぐるぐる巻きに縛り上げられたユウだった。
「さっさと歩け!」
獄吏役の<冒険者>に蹴り飛ばされ、よろよろとユウは数歩歩くと倒れこむ。
その惨めな姿に同情の視線は、ない。
誰もが彼女を憎み、蔑み、視線だけで殺せるほどの殺気を向けていた。
かつん。
石がユウの頭にあたり、彼女の泥に汚れた黒髪からつう、と血が滴った。
「人殺し!」
<大地人>の少年だ。
彼は石を投げた手をそのままに、指をさして糾弾する。
「人殺し!化け物!<冒険者>の面汚し!」
「そうだ!!」
「化け物!!」
「鬼!」
「悪魔!!」
「殺せ!!」
たちまち無数の石礫がユウの体に降り注ぐ。
彼女を縛っている綱を握っていた<冒険者>があわてて退避する横で、ユウは膝を突いて無数の石の雨を受け続けていた。
「待て! 待て! やめろ!!」
あちこちの<冒険者>が、暴徒と化しかけた<大地人>たちを抑える。
しかしその動きは緩慢だ。
殺したいほど憎いのは、彼らとて同じなのだから。
「静まれ!!」
やがて一組の男女の男のほう―ベイシアが叫ぶと、ようやく混乱は静まった。
だが、それは単に投石と罵声がやんだというだけだ。
よろよろと立ち上がるユウを、誰もが憎悪にたぎる目で見つめ続けている。
平静な表情でユウを見下ろしたベイシアは、朗々と響く声で叫んだ。
「みんな! 今日、この場を持って、<正派>と<邪派>の戦いは終わる! この場にいる皆が証人だ!
そしてもうひとつ、華国の<冒険者>は今このときをもって再び団結する!
もはや元の国籍や民族、遺恨によって我々は争わないと誓おう!
我々を縛る法はただ一つ、<江湖の義気>に沿うか否か、それだけであるがゆえに!
……そして、我々<冒険者>は、<大地人>に謝らねばならない。
華国を襲う悪を滅ぼすのが我ら武林の侠者であるのに、その<冒険者>から、華国に史上空前の災厄をもたらした悪を生み出したことに!
<大地人>諸君!
<大地人>もまた賊軍に参加し、悪に加担していた! 我々<冒険者>と同じくだ。
だからあなたたちに対する謝罪はこの一度きりと了解願いたい。
この悪の首魁、<刺客>を殺すことでだ!」
言いざま、ベイシアはすらりと剣を抜いた。
その剣に、隣のメイファが手にした霊薬を振りかける。
「この剣は、<正派>のこの私の刃に、<邪派>総帥たるメイファ教主が力を加えたもの。
今より行う断罪は、正邪双方が協力して成すものと心得よ!」
ベイシアは言って剣を振り上げる。
彼の足元で<冒険者>の一人が、ユウを無理やり跪かせ、長い黒髪をかきあげてその細い首を晒した。
「華国の<義侠>を代表して、この私が断を下す。……いや」
剣を振り上げたベイシアは、不意にその刃を下ろした。
事前の打ち合わせと異なる展開に、ファンやランシャンなど、周囲の<冒険者>が戸惑った目を見交わす。
「この剣を振り下ろすべき者は別にいる。 ……レンイン!!」
俯いて目を閉じていたレンインは、不意に呼びかけられた声に驚いて顔を上げた。
見れば、遠くのベイシアはじめ、周囲の全員が彼女に目を向けている。
「な、なぜ……」
本当なら、レンインはこの場にいたくなかった。
むしろ、早く追放してほしいとベイシアやメイファに頼みたいほどだったのだ。
だが、戦後処理で彼らは忙しく、レンインは声をかける暇もないままに、今日まで来ていたのだった。
隣にはフーチュンとカシウスがいる。
戦いが終わって後の、レンインの涙ながらの告白を聞いた二人もまた、いたたまれない気分でこの場にいたのだった。
むしろ、突発的に短刀で自分の喉を突こうとするレンインを抑えることに終始していたといってもいい。
「レンイン! 早く来なさい!」
「……行こう、レンイン」
メイファの焦れたような声に、フーチュンが静かにレンインの肩を押す。
彼に支えられながらよろよろと進み出たレンインに、ベイシアは冷然と自らの剣を手渡した。
「そのフーチュンがいれば、仕損じることはないだろう。……君がやれ」
「……どうして」
消えるような声は、ベイシアとメイファにしか聞こえない。
目配せをして周囲の<冒険者>を下がらせると、ベイシアは動かないユウを見つめたまま、静かに囁いた。
「彼女は、君の犯した過ちを償うためにこの場にいる。
無論、彼女の罪も大きいが、彼女がこの道を進んだのは君のためだ。
……君の罪を彼女は被って、数多くの憎しみを受けているんだ。
ならばせめて、彼女の為に彼女を斬れ。
彼女を斬って、彼女の望みを叶えてやってくれ」
「私の……罪を」
「そうだ。彼女が受ける罵声も石も、数限りない憎しみも、本来君が受けるはずのものだ。
君をその地獄から救い出す為に、彼女はその罪を背負ったんだ。
ならば君が彼女を断罪し、華国に残ってこの国をよりよく変えてくれ。
それが、あなたの望みなのだろう……ユウさん」
立ちすくむレンインの目前で、ユウの首がかすかに上下に動くのを見た。
「ユウは……最後まで君を守ろうとしてるんだな、レンイン」
労わるようにフーチュンが呟く。
その声に押し出されるように、レンインはベイシアの<玄武神剣>を手に取った。
震えるその柄を、フーチュンが手を伸ばして支える。
「レンイン。あなたの罪は許せない。ですが……彼女のために許すわ。
だからせめて、苦しまずに死なせてあげなさい。たとえほんのわずかな眠りでしかなくとも」
メイファが静かに口を挟む。
その目にあるのが怒りでなく、悲しみであることに気づき、レンインは嗚咽を漏らしかけた喉を必死で押さえた。
「お嬢さん! ずばっとやってくれ!」
「そいつは<黒木崖>でウォクシン教主をやったんだ! あんたにとっては親の敵だろう!」
「早く!」
「早く!!」
周囲から叫びが上がる。無神経なその言葉に思わずレンインは叫ぼうとして―押し黙った。
ややあって、震える手で剣を振り上げる。
<玄武神剣>は、使い手の気持ちと関係なく、日の光を浴びて絢爛ときらめいた。
「ユウさん。 ……ごめんなさい。ありがとう」
囁くような声とともに。
振り下ろされた刃は、狙い過たずユウの頚椎を断ち割り、すとんとその首を落としていた。
「諸君!」
ふらつく剣をすくいあげ、ベイシアが叫ぶ。
「僅かではあるが、これを諸君らへの贖罪としたい!
知ってのとおり<冒険者>は死なない! だからこの一撃でも彼女はよみがえる!
だが彼女はこの後、はるか密林への<妖精の輪>に送り込まれ、二度と華国へ戻ることはない!
万一戻ってきたならば!
我らが総力を挙げて狩り立て、今度こそ無限の処刑を行うだろう!!」
「<江湖の義侠>万歳!!」
「大侠万歳!!教主万歳!!」
歓声に包まれる広場の中で、レンインはぽとりと、一粒だけ涙をこぼした。




