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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第一章 <アキバにて>
8/245

7.<煙草を求めて>

もうしわけありませんが、再び前話を少し追記しています。

後になるとなんだか手直ししたくなります。


ちなみに、この話の主人公のユウは、昔ネットゲームで出会った友人をモデルにしています。

(もしかするとモデルにされた彼は怒るかもしれませんが)

ただ、煙草好きの部分だけは、自分自身がモデルです。

活動報告では、食事や煙草のあれやこれやを書くつもりです。

煙草の嫌いな方には申し訳ありません。

(煙草を嫌がる方々を非難するつもりはありませんが、ご不快に思われたら

ご一報ください)

1.


 翌朝、まだ日が昇る前にユウは旅支度を整えて村外れにいた。

神代、神々が作り上げた道の跡といわれる巨大なコンクリートの壁が、

イチハラの村の境である。

ところどころ倒壊しているものの、村の正門といえるその部分は奇跡的に崩壊を免れ

今では丸太や石材で補強され、野獣やモンスターの侵入を阻む粗末な木の柵が設けられていた。


ちなみに、ユウはイチハラにたどり着いた時、この門を通ってはいない。

往古の高速道路の成れの果てであるこの門は、あくまで村の一方向のみを外界と隔てているに過ぎず

ほかの場所は防御といったものはあまり考慮されていないちっぽけな柵や塀があるだけだったからだ。

彼女にいたっては、雨に打たれて朦朧としながらも、ひと飛びで柵を乗り越えていた。


「では、頼むぞ」


黎明にも関わらず、ユウの周囲には村長をはじめ、村の主だった面々が顔をそろえ、彼女に口々に声をかけていた。


「これ、途中で食べていきなさい。旅には体力もいるから、味があるほうがいいでしょう」


そういって村長の娘が手渡してくれた桃をありがたく鞄にしまうと、ユウはあらかじめ呼び出しておいた汗血馬に飛び乗った。

疾走の予感に、馬がブルル、と鼻を震わせる。


「頼んでおいたメモと、紹介状は持ったな?」

「ああ。村長。ありがたくお借りしていく」

「頼むぞ」


手綱を手に取ったユウは、「まあ1週間で帰る」と一声残すと馬を軽く蹴った。

心得た汗血馬がゆっくりと門をくぐっていく。


「はっ!」


掛け声とともに拍車を当てたユウの姿が瞬く間に街道のかなたへ消えるのを見て

村長はふうむ、と顎に手を当てた。




「あんな若い娘一人で大丈夫ですかね……」

「無論じゃ。<冒険者>は総じて若々しい体を持っているが、中身は化け物だからの」


筋骨たくましい一人の青年の声に、村長はそう言って顎をなでた。


「わしは若いころ、領主様の兵に志願したことがあっての。

当時の領主様の奥方が吸血鬼に狙われたときに、<冒険者>に助けを求めたことがあった。

兵士だったわしは当時領主さま直属の兵団におったのじゃが

最初はおぬしと同じことを思うたよ」


ふと始まった村長の話に、周囲の若い村人たちはおしゃべりをやめた。


「少年のような戦士や、ひょろっとして筋肉のなさそうな魔術師、それからの、

そのときにあのユウもおったのじゃ」

「え?でも村長が兵士だったときなんて」

「40年近く前のことじゃよ」


昔を懐かしむように、村長は目を細める。


「こんな若造どもに吸血鬼の退治などできるか、とおもったが、至極あっさりと彼らは吸血鬼の首を挙げおった。

周りの人狼だの、ゾンビだの、そうした化け物をあっさりと退治しての。

そのとき、目を丸くしておったわしに領主様が仰られたことがある。

見た目の若さなど<冒険者>の力を測る、何の足しにもならん。

わが家に伝わる古文書によれば、あのユウなる女<暗殺者>は当時のご領主の7代前、150年前にも領内でゴブリンを掃討したことがあるそうである、とな」


「そりゃ、あれじゃないのか?村長。代々ユウって名前と技を襲名して、何代にも渡ってよく似た娘が<冒険者>をやっているとかじゃないのか?」


誰かの質問に、村長はあっさりと答えた。


「違うの。わしも不思議に思ってな。手紙を出してアキバの知り合いを訪ねてみた。

すると、わしが尋ねた男は言ったよ。

まさしく<冒険者>は代替わりすることもなければ、老いることもない。

死ぬことはあるが、死んでもアキバで復活し、また戦いに赴く。

そして消えるときは唐突に消えていくのだ、と」

「<古来種>の騎士様たちのような超人ってことなのかねえ」


御伽噺に出てくる伝説の騎士団の名前を出した妻に振り向いて、村長は穏やかに言った。


「そうかもしれん。まあ、話せば普通の人間じゃがな。

若いころに見たユウどのはもう少し人間離れしておったというか、わしらの雑談にも一切答えたりしないまま、依頼だけを果たして消えていった。

何か、わしらにははかり知れん何か特別な生まれをしただけの、ただの人間なんじゃろう。

まあしかし、長旅をするのに<冒険者>ほど安心できる人材もおらんでな」


さあ仕事に戻ろうぞ、と村長が踵を返す。

しかし村人たちは誰一人として彼の後に続かなかった。

ただ、ユウの消えた草原の彼方を見つめているだけだった。

その顔は不思議と茫洋として、村人たちの真意は霧に隠れたように分からないものだった。



2.


 神代から伝わる古代神殿と、朽ち果てた神代の建物が残るハチマンの集落を過ぎ、

海岸沿いに走りながらユウは取り出したメモを眺めていた。


「煙草三百斤、塩五百斤、デンデン太鼓3個、布5反……尺貫法なのか。変なところで和風だな」


かろうじて読める文字が書かれたメモを再び懐に仕舞い、ユウはスピードを上げる。

さすがに汗血馬、地上を走る生き物の中ではかなり速い部類に属する上、

召喚可能時間も3日以上とあって、長距離の移動には最適な生き物だ。


 日が昇り、夜行性の動物が眠りに落ちると同時に、鳥や鹿といった昼の生き物が砕けたアスファルトのそこかしこから顔を見せ始めた。

空は見事に青く、梅雨明けのさわやかな大気とあいまって、歌いだしたくなるほどに爽快だ。


「葡萄の美酒、夜光の杯……」


馬上に胸をそらし、腰に置いた剣の柄を叩いて拍子をとりながら

いつしかユウは歌い始めていた。


「葡萄の美酒夜光の杯 飲まんと欲して琵琶馬上に催す

酔うて沙場に臥す君笑う(なか)れ  古来征戦幾人か回る」


思い立ってポップスもいくつか歌ってみたものの、今の壮大な気分にはそぐわなかった。

朗々とユウは詩吟し、汗血馬は駆ける。

左手には霞むように広がる東京湾。

右手には巍峨(ぎが)たる、というにはなだらかな房総の山々。

見晴るかす彼方には一面に緩やかな起伏の草原が連なり、

川や湖が時折海風ではない水の香りを運んでくる。


ザントリーフ領を抜け、ナラシノの廃港をかすめ、正面に壮麗なマイハマの都が現れた頃

ユウは馬首を緩やかに北に向けた。


「今の気分にアキバの<冒険者(れんちゅう)>はそぐわないからな」


そう独り言をもらすと、彼女と愛馬は関東平野を斜めに掠めるように走った。

あの戦い以来、アキバの住民への敵意や怒りは薄められていたが、

その代わりユウの心を占めていたのは「関わりたくない」という拒否感のようなものだった。

街道が整備されたマイハマから<エターナルアイスの古宮廷>までの道を通らなかったのもそのためだ。

それが悪意にせよ、怒りにせよ、あるいは家族を思う望郷の心にせよ、

今馬とともに走るユウの気分を乱すものであることには違いがないのだった。




 ユウは蛇行するエドの大河に沿って北上し、わずかに石垣が残るセントカントリー・ブリッジのあたりで川を渡ると、マツドを避けて旧都イースタルのエリアに入った。

周囲が見慣れたアキバ近隣ゾーンに移るや否や、

首に巻いていた布を口が隠れるまでたくし上げ、用意しておいたぼろぼろの布で<上忍の忍装束>を隠す。

最後に、現実世界のフロッピーハットに似たつば広の帽子を顎にしっかりと留めた。


 現実世界で言う亀戸の外れで馬を放したユウは、体型や武装が見えないよう慎重に服を隠すと、背中にカムフラージュ用の小麦を風呂敷で包んだものを背負って歩き出した。


アキバの域内でこそないが、このあたりでは多くの<冒険者>がゾーンの各所を探索しているはずだ。

クニヒコの追放宣言がどれだけの人間に伝えられているかはわからないものの、

<黒剣騎士団>がその名前にかけて追放した人間がアキバの近くにいると分かれば

どこからか通報は彼らに飛ぶと見てよい。

そうなれば、よくて探索隊、悪ければ今度こそ問答無用の討伐隊が出てくる可能性がある。


ユウの格好は、粗末なマント代わりの布にぼろぼろの帽子だ。

顔と髪の毛は帽子に隠されて見えていない。

<冒険者>特有の抜けるような肌も、袖と手袋で丁寧に隠している。

ぱっと見れば、小柄な<大地人>の行商人か、荷物を運ぶ人夫と思われるだろう、と彼女は思っていた。


ちょうどよく時間も午後遅くになっている。

日が沈んだ頃にアサクサにたどり着けるだろう。

そう思うと、ユウは意外と重い小麦の束を背負いなおした。

海から遠いのに迷い込んだのか、カモメの声が耳に響いた。



3.


 アサクサの村。

神代の創建と伝わる、古代の神殿を中心に栄える門前町である。

また、アキバとマイハマ以東を結ぶ交通の要衝として、多くの<冒険者>や<大地人>が行きかう宿場町でもあった。

かつて江戸の下町であった本所・深川地域がほぼ自然に還ってしまった今、

アキバ以西からマイハマへ向かう旅人は、最後の旅の準備をこの町で行うことが半ば慣習になっている。


渡し舟でスミダの大河を渡り、アサクサに入ったユウは久しぶりの人ごみに、

騒がしさよりむしろ違和感を感じた。

妙に人が活発なのだ。

和らいだ表情で街道を歩く<冒険者>のパーティの横で、のんびりと<大地人>の老爺が夕べの一服を楽しんでいる。

日が沈もうとしているのに騒がしく遊ぶ子供たちに、家に帰りなさい、という母親の陽気な声が響く。

ドン、と<守護戦士(ガーディアン)>らしい<冒険者>にぶつかった一人の子供が、

「お兄ちゃん、ゴメン!」

と明るく叫んで自分の家に消えていく。

それを眺める<冒険者>たちの顔も優しい。


「気をつけてね~」


<施療神官>らしい女性がそう言って、走り去る子供に手を振っていた。


平和な光景だった。むしろ、平和すぎた。

<冒険者>同士ですらあれだけいがみ合っていたのに、この光景はどういうことなのか?


内心で驚愕と疑問を無数に浮かべながらも、ユウは目立たないように道の端を歩き、

神殿からやや離れたあたり、かつては田原町であった場所の宿屋の入り口を潜った。



うわん、という騒音が耳を満たす。


こうした宿屋にはよくあることだが、宿屋の一階は酒場になっていた。

きょろきょろと見回すユウの口が、布の後ろで微かに舌打ちを漏らす。

中央通りを離れたところだからいないと思っていたのだが、

何組かの<冒険者>がテーブルに座っていたのだった。

幸い、目立つ黒い剣の紋章(ギルドタグ)を持つ者は独りもいなかったが。


「お客さん!いらっしゃい!素泊まり?それとも何か食べてく?」

「……空き部屋はあるか?」


ないと言ってくれ、と願うユウの期待も空しく、元気に声をかけてきた給仕の少女はほんの僅か、顎に手を当てて考えると、満面の笑みで頷いた。


「あるよ!ただ……となりが<冒険者>さんだから、ちょっとうるさいと思うけど」

「それは困る。ほかの部屋はないか?」

「うーん、ないわねえ。でもいい部屋だよ!それにこの町、最近景気がいいからさ!

まともな宿はどこも満杯だと思うよ」


いっそまともでない宿に入ろうか、とも思ったが、自分の体を考えるとそれも躊躇われた。

やむなく、ユウは頷くと、マントから手だけを出して数枚の金貨を渡す。


「へへ、まいどあり!じゃあ先に荷物を持って行ってね!あとおじさん埃っぽいから、

少し向こうで足を洗ってね」


宿代にはやや多かったらしく、ユウの渡した金貨を数枚、こっそりと懐に入れてから

少女は飛び跳ねるように去っていった。


一人残されたユウは、何人かの視線が自分に注がれているのを感じつつ、

できるだけ目立たないよう、手早く足を洗って上る。

<冒険者>同士であれば、どんな変装をしていたところで名前もレベルも丸裸だが、

幸いにしてこの宿の<冒険者>たちはいずれも、みすぼらしい<大地人>の男には興味がないようだった。


(ということは、私みたいな格好の連中がこのあたりをよく歩く、ということか)


そう思い、テーブルを掻き分けるように二階へ上ろうとしたユウだったが

その瞬間、ぷうん、と香ばしい匂いが鼻に届いた。


グルルルル


突然鳴り響いた腹の音に、ユウの足が思わず止まる。

目ざとく見つけた先ほどの少女が、にこにこと―にやにやに見えたが―ユウの傍へ戻ってきた。


「おじさん、おなかすいてるの?どこから来たの?」

「……東」


適当に答えたユウに、よく見れば10代半ばと思しき少女はにんまりと笑ってふんぞり返った。


「じゃあ、知らないんだ!

まあ、物は試しだよ。お金あるなら先に食べて行きなよ!その小麦の束はテーブルの下においてってさ」

「いや、別に……」


早く<冒険者>の前から逃げ出したい、という思いと同時に、

どうせ匂いはあっても味はふやけた煎餅なのだから、という拒絶を込めてユウが首を振る。

しかしその反応を予期していたのか、少女は強引にユウの手をとると、そのままあいたテーブルへと引っ張っていった。


「あれ?おじさんの手、ほっそりしてるね。まるで女の人の手みた……」

「じ、じゃあ、何か食うものをくれ!なんでもいいから!」


あわてて手を離し、ドカ、と腰を下ろしたユウに、少女は気を悪くすることなく「変な人」と笑った。

そのままくるくると回るように厨房へ行き、主人に注文を伝える。


「そこの黒いおじさんにリカトの照り焼き定食ひとつ!」

「リカト?ああ」


リカトとは軍鶏に似た家禽のことだ。イースタルではよく飼われている鳥であり、

卵と肉はいずれも<大地人>のポピュラーな食事になっている。


快活な声を聞きながら、ふとユウは光景に違和感を感じた。


(あれ?なんだ?)


騒がしく語る<冒険者>たち。

一日の肉体労働を終えたのか、噛み付くように目の前の食事を平らげる<大地人>の男。

酒が入っているのか、がははは、と笑う地元の村人らしき一団。

遊ぶ子供を叱りつけながら、ひとつの定食を分け合う家族。

厨房では宿の主人らしい中年の男が、手にした鍋をジャッジャ、と動かして

何かの料理を作っている。

妻であろうか、中年の女性が横で皿に料理を盛り付け、

娘らしい少女はくるくると立ち働き、

水場には汚れた皿が山盛りになって……



(ん?鍋を使う?)


包丁で人参らしい野菜を切り、火加減を見ながら鍋を操る主人を見て

いまさらに彼女は気がついた。


(なぜこの宿の主人は「まともに調理している」んだ?)



その疑問は僅かな時間の後、ドラマチックに解決した。


「はい!リカトの照り焼き定食!うちの看板メニューだよ!

といってもこないだから本当の意味で看板メニューになったんだけどさ!

あとこれ、林檎の酒だよ!おじさん疲れてるっぽいからサービス!」


どんどんどん、とユウの前に皿が置かれる。

味醂も醤油もないであろうこの世界でどうやって作ったのか、

鳥肉は見事に茶色に染まり、香ばしい匂いが速く食べてくれといわんばかりに鼻腔を刺激する。

ふっくらとしたパンは、小麦だけでなくライ麦か何かも混ざっているのか、黒っぽく粒が混じっていたが、

その香りもまた、現代の食パンを食べなれていたユウには新鮮だ。

小鉢には野菜を酢で合えた紅白膾と、青菜の胡麻和えがある。

汁物としてはスープだ。鶏がらで出汁をとったのか、薄く油が乗ったその液体は

ユウの食欲を刺激してやまない。

隣に置かれた木のカップに満たされた林檎色の酒は、わずかに発泡しており、

そのプチプチという音が絶妙なリズムで五感に美味の予感を与えていた。


「おい!まあ、食ってみろよ!田舎者はたまげるぜ!」


不意に隣のテーブルから叫び声が彼女に届けられた。

料理を見て呆然としている彼女を見かね、隣で騒いでいた<大地人>の男たちが声をかけてきたのだ。

見れば、向かいの家族も、にっこりと笑ってユウを見ている。


ええい、どうせ煎餅だ。まずくはあるが食えないほどじゃない!


思いきわめて木のフォークを鳥肉に突き刺し、かぶりつく。



その瞬間、世界が弾けた気がした。


舌を包み込む甘辛い味わいだ。

それまでの食べ物と名づけられたものが何だったのかといえるような、弾力ある感触は

ユウがもはや忘れかけていた肉の食感に他ならない。

まるで口の中で肉がタップ・ダンスでも踊っているかのようだ。

噛む。噛む。


噛むほどにじゅわ、と広がる肉汁と油が口の中を熱で洗い、

味と栄養をこれ以上ないほどにユウの体に染み渡らせる。


ユウはもはや無我夢中で、ライ麦のパンを手にとって齧った。

パンの耳の堅く香ばしい歯ざわり!

内側のふんわりとして、それでいて噛むほどに甘い舌触り!

パンに含まれるあらゆる旨味が、ブドウ糖となってユウの脳に供給される。


これはどうだ。青菜の胡麻和え。

和洋折衷、食い合わせなんて考えていられない。旨ければいいのだ。

シャ、と糸切り歯が繊維を噛み切る心地よい音が響く。


ああ、これこそは。

これこそが食事なのだ。

味も素っ気もない食い物の皮を被ったふにゃふにゃの物質ではない。

そのどうしようもない味を、果物や生野菜で無理やり嚥下するなどという冒涜的な行為が

断じて食事であったはずがない。

これこそが飯なのだ。


思わず手を伸ばした林檎酒から、しゅわ、という酸味が喉を染みとおる。

彼女はどれだけ自分がまともな食事に飢えていたか、今更ながらに気がついた。

食事が、酒が胃に届いているという実感がない。

胃に行く前に、それをよこせ、味をよこせと全身が悲鳴をあげ、

食道を下る美味を根こそぎ奪い取っているかのようだ。


おずおずとした食べ方は一瞬で欠食児童もかくやというほどのスピードになり、

それを見た主人や少女が心底幸せそうにユウを眺めた。


 もしかしたら<冒険者>もこちらに気づいたかもしれない。

もう<黒剣騎士団>に通報したかも。

もはや構うものか。

食事が優先だ。三大欲求こそ人間の基本の欲望なのだ。

たとえクニヒコが来ようが、アイザックが黒剣で脅そうが、腹一杯に食べるまでは断じて死ねん。

その後は処刑でも拷問でも好きにすればいい。

今は、食べるのだ!



「おかわりをくれ!」


怒号のようなユウの声に、少女が待ってましたとばかりに皿を持ってくる。

そのわずかな時間すらユウには惜しい。

少女が皿を置くや否や、次の食事に取り掛かる。


今度は炒飯に似た食事だった。

現実世界でユウが出張のときに食べたことがある。

この感触はクスクスだ。

小麦粉を水と混ぜ、ソボロ状に丸めたもので、北アフリカをはじめ地中海世界でよく食べられている。

やはり、この世界の日本列島に米はないらしい。

白米の甘い味わいにふと郷愁を感じるが、目の前のクスクスによる炒飯もどきには耐えられない。

いつの間にか継ぎ足されていたスープを一息で飲み干し、

勢いをつけてクスクスを口に注ぎ込む。


 なんという味わいだ。

塩と鳥の油で焼かれた小麦がここまで深い味のものだったとは!

口の中で弾ける熱さが更なる味を生み、

混ぜられた鳥肉のそぼろと卵がまた味にバリエーションを与える。


 ユウはそれまでとはまったく異なる種類の涙を自分が流していることを知らないまま

一心に料理を食べ続けた。

ついに、数ヶ月ぶりの満腹感が彼女を襲ったときは、ユウは実に5人前を平らげていた。



「ふう」

「おじさん、すごい食べっぷりだったね。もしかして結構若いの?」


食事を終え、馥郁たる茶を飲むユウに、一段落したらしい少女は向かいに座って肘をついた。


「こんなうまいもの、生まれて初めて食った」


空腹は最高の調味料というが、まずい味に慣れることとはそれ以上の調味料だ。

いつしか妻の手料理の味も忘れていた自分を内心で責めながらも、彼女は満足げにため息をついた。


「そうよね。東って言ってもその格好じゃ、ザントリーフ?もっと北?」

「ザントリーフだ」

「じゃあまだ知らないのね。この<冒険者>さんの大発明を」

「大発明?」


不思議そうに尋ね返したユウに、少女は自分の功績とばかりに胸を張った。


「そうなのよ!ねえ、私たちの食べ物ってとっても味がなかったじゃない?

私も生まれてずーっとそんな味だったから、味は果物や生の野菜で味わうだけだったんだけど」


ぺらぺらと喋る娘を見て、宿の主人と妻が目を見交わして微笑んだ。

おそらく同じように初めて食事を味わった<大地人>には、この少女はいつもこうしているのだろう。


「アキバにいた<冒険者>さんは、すごく怖かったし、暴力を平気で振るうから、って私もお父さんたちも避けてたんだけどさ。

2ヶ月くらい前かな。

アキバで不思議な食べ物が売ってる、ってうわさが広まったの。

こうさ、パンに肉や野菜を挟んで手づかみで食べる食べ物。」

「……ハンバーガーか」


ユウの指摘に、少女はそうそう、と頷く。


「そうそう!はんばが。おじさん物知りだね!おじさんのところにもあるの?

まあ、それはおいといて。

それを食べに行ったお父さんが、すっごい顔して帰ってきたんだよ!

『俺の作る食事はゴミだ。生ゴミだ』なんて言って呻いちゃってさ。

しばらくはお客さんにも果物と水しか出さなかったくらい」


カウンターの向こうで主人の顔が赤く染まる。

その姿に少し同情しながら、ユウは少女のよく喋る口を見続けた。


「でもさ。そしたらしばらくして、その料理の作り方が広まったの。

簡単なことなのよ!普通に食べ物を煮たり、焼いたり、揚げたりすればよかったの!

おじさんも家に帰ったら、奥さんや村の人に教えてあげてね。

そしたら私たちが伝えてた料理も、きちんと味がつくようになって!

それでみんな幸せになれたの!」


こくこくと、相槌を打つ暇もなく頷く<暗殺者>は、しかし心の中でふと腑に落ちたものがあった。


(そうか。わたしが毒を自力で作ったように、料理も自力で作ればよかったのか)


まさにコロンブスの卵といえる発想だった。

なまじ、システム画面から大抵のものが作れるだけに、こちらでは自分で苦労して何かを作る、という発想がすっぽりと抜け落ちてしまっていたのだ。


「わたしも、お父さんに習ってすごい料理人になりたいんだけど、

でもこの料理、<料理人>や<主婦>しか作れないんだって。

だから私、<料理人>になって、お父さんの味を受け継ぐんだよ!」


最後は叫ぶように言った娘に、周囲のテーブルからぱちぱちと拍手が巻き起こる。


どうもどうも、と頭をかいて、照れたように両親の元へ引っ込んだ少女を見送るユウに、

今度は別の場所から声がかけられた。


「それだけじゃないぜ、<大地人>のおっさん」


その声に思わずユウの顔がこわばった。

こっそりと口を隠し、表情を消しながらゆっくりと声のするほうに振り向く。

そこには、先ほどまで内輪で話をしていた<冒険者>たちが、

獰猛な笑みを彼女に向けていた。



4.


 正体がばれた。


<冒険者>同士ならば、少しステータス画面を見るだけで相手が<冒険者>か<大地人>か分かる。

今この瞬間は気づいていなくても、気づかれるのは時間の問題だ。

幸いなのは、相手が全員、相当酒に酔っていることだ。


周囲にほかの<冒険者>はいなくなっている。

おそらくほかの店に行ったか、あるいは部屋に引き上げたのだろう。

みれば<大地人>の数もかなり減っていた。

深夜と言うにはまだ早すぎる時間だが、日が昇れば起きて働き、日が沈めば眠る<大地人>は

基本的に朝型の体質なのだろう。


(どうする?手っ取り早く狩るか)


ユウの心の中で語りかける声がある。

どうせお尋ね者だし、こいつらは後手に回って容易に勝てる相手ではない。

相手が全員90レベルであることを確認し、ユウは脂汗がじとりと湧くのを感じた。


だが、そんな彼女の内心にも気づかず、一団のリーダーらしい<暗殺者>は言葉を続けた。


「おっさんは知らないかもしれないが、おれたちは3ヶ月くらい前に急にこの世界に来たんだ。

いきなりのことだった。

みんなが途方にくれたよ。そして段々とろくでもないことを考える連中が幅を利かせ始めた。

あんたら<大地人>や、俺たちの中でもレベルの低い奴らをいじめて喜ぶ手合いがな。

俺たちのアキバの雰囲気は最悪だ。

もうこれはどうにもならねえんじゃねえか、って俺たちも思っていた」


男たちのギルドは、ユウも知らないものだ。

おそらくは中小ギルド。ユウがいた頃のアキバであれば、迫害の対象だったであろう人々だ。

少なくとも、当時迫害されていた連中が、『俺たちのアキバ』などと思っていたとは思えない。


だが、目の前の<暗殺者>は、至極当たり前のことであるかのようにその言葉を口にした。

そして続けた。


「大手……ああ、大人数の、その、騎士団か?そいつらに対抗しようと、中小ばかりで

協議会を作ろうとした奴もいる。

だがそれも共倒れになった。中小は中小で、お互いが強い弱い、大きい小さいなんていがみ合ってたからさ」

「それが変わったのよ」


珍しい女の<守護戦士>がリーダーの後を継いだ。


「最初はハンバーガー…その、今の子が言ってた『はんばが』ね。

それを売る屋台が町にできたの。

私たちは驚いたわ。だって味がある食事なんてそれまでなかったんだから」


「そっからはとんとん拍子だった。

クラスティやアイザックといった、まあ俺たちの有名人というか、その大手騎士団……ああ、俺たちはギルドって呼んでるんだが、そのギルドのリーダーが手を握ってな。

俺たちがまごまごしてる間に、<円卓会議>なんてものを作り上げちまった。

そこで基本的な法律を決めて、同時に初心者や<大地人>をいじめてた連中を叩き出して、

こういう本当の料理の作り方を広め始めた。

それだけじゃねえ。

アキバへ行ってみなよ。驚くぜ。

今は誰も彼もが発明と発見ばっかりだ。

治安もよくなったし、俺たちもこうやって狩りに行くこともできるようになったんだ。」


「なるほど……」


確かに治安の維持、法の確立、目に余る者の排除。

クニヒコがユウにしたことの、ちょっとした発展形。

その上で旨い飯を与えれば、どんなにささくれ立った気分も落ち着く。


昔の小説家も言っていたではないか。

人間、どれほど死ぬことを考え抜いていても、一杯の味噌汁の旨さに感動することができると。


「すごいんだな、<冒険者>は」

「おうよ!といっても俺たちは何もしてないけどな」


へへへ、と逆立った髪をぼりぼりと掻く<暗殺者>に、<吟遊詩人>らしい楽器を持った仲間が頷く。


「だからまあ、今度は罪滅ぼしに、アサクサで厄介ごとを片付ける仕事をしてるのさ」

「<円卓会議>か。アキバもいい噂を聞かなかったが、良くなっているんだな」

「ええ!」


満面の笑みで<守護戦士>が頷く。


会話が一段落したところで、ユウはつとめてさりげなく立ち上がった。


「いい話をありがとう。今日はちょっと歩きつかれたんでね。先に失礼させてもらう」

「ああ!アキバにきたら俺たちを訪ねてくれよな!」


そういって手を振る彼らに頷きつつ、ユウは小麦の束をできるだけ重そうに見えるように担ぎ上げ、

階段に向かった。


「そういえばさ、<円卓会議>成立には仕掛け人がいたって話、知ってるか?」

「仕掛け人?誰、それ」

「友達が<RADIOマーケット>に所属してるんだがな。

<記録の地平線(ログ・ホライズン)>のシロエって<付与術師(エンク)>なんだが」

「どっか別のサーバの大手か?名前を聞いたことのないギルドだが」

「いや、それがな……」


ユウに興味をなくし、再び内輪で盛り上がり始めた彼らの話を背中に聞きながら

ゆっくりと階段を上る。

案内された部屋で鎧を脱ぎ、パンツ代わりの褌一丁になると、ユウはベッドに横になった。

たぷ、と重力に釣られた胸が落ちる。


「アキバが変わったのか」


独り言が思わず口から漏れた。

久しぶりに幻聴が聞こえた。


『八つ当たりって、みっともないですよね』

「ああ、みっともなかったな」


素直にユウは、顔も名前も覚えていない記憶の中の青年に答えた。

しかし、幻聴はそれだけではなかった。


『あんたのその言葉を吐けるのは、あんたじゃないよ、ユウ。

本気でこの街を、この世界を変えようと思える人だけだ。

人の中で人を変える努力ができない人間に、人を裁く資格はない。』


「そのとおりだ。クニヒコ」


ユウが町から去って後、誰かが、おそらく彼らの会話に出た最後の名前の人物が

本気でアキバを変えたのだ。

八つ当たりではなく、無意味な殺戮によってでもなく、

人とのつながりを用いた上での冷静に考えた策によって。


「どっちが<冒険者(ゴミ)>だったかということだな。

思い上がっていた廃人は、わたしのほうだったのか」


ユウはやがて目を閉じた。

苦い思いは、敗北感ですらない。

敗北感という言葉をやすやすと言えるほど、近い場所にすら立っていなかった。

<黒剣騎士団>の犬、と内心蔑んでいた友人(クニヒコ)と同じ地平にすら

ユウは立っていなかった。


(クニヒコと、あるいはその男と話してみたいな……)


その微かな願いは、すやすやとした寝息に溶けていった。




8月のはじめ、ある日の夜のことだった。



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