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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第四章 <侠の天地>
79/245

60. <乱戦>

1.


鬨の声が上がる。

意外と言うべきか、華国に乱入し、嵩山を囲んだ草原の民を主軸とする軍勢が動きを見せたのは、日も高く上ったあとの事だった。

一部の兵は馬からおり、銅鑼を叩き威嚇の叫びを上げつつ、急峻な山麓を登り始めている。


その軍は、薄く広がるように山域すべてを囲んでいるが、大族長(カガン)麾下の草原のエルフたちが陣を敷いているのは正面の道のみだ。

先陣を亜人たちに任せ、彼らは静かに馬を立てていた。


ユウは、いつもの<上忍の忍び装束>の上から、寒さよけのマントを羽織った姿でじっと山嶺を見つめていた。

過去、この山には何度も来たことがある。

いずれ、敵対するかもと思っていた山だった。

レンインの<策>を聞いた時、二度と登れぬことを覚悟した山だ。

ユウは、歩兵が山の斜面を踏みしめるざっざっという音を聞きつつ、目を閉じていた。




西域の夜は不思議と人の心を惑わせる魅力がある。

奇妙に青みがかった夜空とあいまって、星々の輝きはさながら銀河を渡る蛍の群れだ。


その夜のことを、ユウは昨日のように思い出すことができる。


「フーチュンたちと別れるのか?」

「ええ」


城壁の片隅に二人して座り、ともに夜空を見上げながら、レンインはユウに頷いた。


「しかし、どうするんだ。確かにこの<高昌(トゥルファーン)>では正邪の対立はなくなった。

だが、それは解消じゃない、棚上げだ。

あの城外のダークエルフどもを前にして忘れているだけのことだ」

「わかってます」

「では、なにをするつもりだ?」

「棚上げしかできないなら、棚上げさせればいいのです。

彼らが冷静に、国同士の争いを解決できるようになるまでね。

それまで棚上げさせておくには力が必要です。例えば……あのダークエルフたちや、ヤマトのゴブリンのような、(てき)が」


ユウは思わず息を飲んだ。

目の前の友人が編み出した策の概要に気がついたのだ。


「それは」

「ユウさん。わたしは大罪を犯します。<冒険者>のために。

……モンスターや亜人、ダークエルフを連れて華国に侵入します。例えどれほどの罪にまみれても」


ユウは絶句して、レンインの引き締まった横顔を眺めていた。

彼女の策は、現代日本人としては平均程度の政治や軍事に関する知識しか持たないユウにさえ、

穴だらけで、危ういものに見えた。

何より、ユウは知っている。

<冒険者>やモンスターのもたらす暴力は、一般の<大地人>にとっては強大すぎるのだ。

それを、ユウはイースタルをめぐる一連の戦役や、ヤマト西部への旅で何度も学んだ。

まして、今度はアキバのように、速やかな邀撃態勢が取れない相手へぶつけるのだ。

侵略の途中にある道にある<大地人>の町や村の蒙る被害は、想像を絶するものになるだろう。


だが。


ユウは、のど元まで出掛かっていた言葉を飲み込んだ。

それが、何千人、あるいは何万人もの死を決定付けると知りつつ。


レンインは言ったのだ。


「<日月侠>のタグを捨て、私はこの、目の前の部族から取り込みます。<道士(ソーサラー)>の力を見せればひれ伏させるのはたやすいこと。

何なら、私の体を提供してもよい。

それで蛮族(やつら)が従うのであれば。

ユウさん。

あなたは私の影となり、護衛としてついてきてください。あなたがいれば、どんなモンスターも手出しはできないでしょう。

そして、私が連中を掌握できたら、あなたは<黒木崖>と<嵩山>に走り、侵攻を伝えるのです。

軍を集め、正邪すべての力を合わせて私を討ってください。

それで、<冒険者>はまとまることができるし、この大陸での少数派である日本人のあなたが大功を立てたとあれば、多くの中国人プレイヤーも人種差別に関する考えを改めるかもしれませんから」


ユウの脳裏に、<嵩山>のふもとで出会ったカークスの姿が浮かぶ。

彼らは本国へ帰ることもできず、周囲の中国人プレイヤーからの有形無形の嫌がらせを受けていることは、その薄汚れた装備からも想像がついた。

そもそも、一幇(ギルド)幇主(マスター)でありながら使い走りのような任務を受けていること自体、異常なのだ。

(実際はこれはユウの思い込みだった。同じ日本人がいるということでカークスが自ら志願したものだったのだ)

ゲーム時代はまったく接点がなかったとはいえ、異国で苦しむ同国人を助けられるならば。


だが、レンインの策を実行すれば、この華国に彼女の居場所は消え失せる。

遠いヨコハマにいながらもレンインが愛し続けた華国を、彼女は去らなければならなくなる。

それだけではない。

レンインは、愛し始めているフーチュンとの未来すら、捨てなければならないのだ。

これが現実であればどうだろう。

時と老いが、レンインからもフーチュンからも、互いの思い出を消していくことだろう。

時とは残酷ではあるが、一面で慈悲深くもある。

熱烈な情愛も、やがて時が経ち、若さと美貌が失われていくことで思い出の谷間に朽ちていく。

しかし、<冒険者>は無限の若さと命を持つ一種の異能体(エイリアン)だ。

レンインは、フーチュンは、果たして時の癒しを受けられるのだろうか。


そう考えたとき、ユウの脳裏に別の思い出がよぎった。

<黒木崖>を脱出し、<嵩山>に向かう道で、レンインとフーチュンを見ながら、あの懐かしい白人の騎士、カシウスと誓い合った光景だ。


『レンインとフーチュンを守る』


あの誓いを、カシウスは忠実に守っている。

ならばユウ自身が、その約束を違える訳にはいかなかった。


「わかった。レンイン。お前さんの策に乗ろう」



そう断言した瞬間、ユウは裏切り者となったのだった。



 ◇


「なぜ、どうして!!」


 ユウの<蛇刀・毒薙>がレンインの腹を抉ったとき、彼女の叫んだ第一声がそれだった。


周囲のダークエルフたちは、不意に始まった<冒険者>同士の戦いに、逃げることも忘れ呆然としている。

ぐしゃりと、馬上から転げ落ちたレンインを見下ろし、ユウは言った。


お前はここで死ね。

ここで死ねば、よみがえるのは<黒木崖>だ。<嵩山>には入っておらず、<高昌>に大神殿はないからな。


「どうして!私がこのエルフたちを統率しなければ!」


役割は変わった。こいつらを率いるのは私の役目だ。攻め入るのも私の役目。

お前さんは<黒木崖>に戻り、あの<剣士(ヤンガイジ)>を葬って<邪派>をまとめろ。


「そうしたら、あなたが! あなたやほかの日本人が!」


だから、頼みがある。お前さんの伝手をたどって、日本人をできるだけヤマトへ戻してくれ。

アキバへ向かう<妖精の輪>の位置を知るのはお前さんだけだからな。


「ユウさん!」


フーチュンを離すな。話はこれで終わりだ。……<アサシネイト>。


「……さて、この部族の頭目は貴様か?ええと、そこの馬の下にいる若造。

貴様、華国の王になりたくはないか?」



 ◇



 ユウは長い追想から目を開けた。

横では、大族長の壮麗な旗を背に、ザハルスが詰まらなさそうに馬を立てている。

彼の元へユウは近寄ると、后妃としての慇懃な態度で言上した。


大族長(カガン)陛下」

「なんだ、后妃(カガトゥン)

「総がかりです。わが兵は、征旅の途上、その多くを失いましたが、主な被害は亜人どものみ。

今も先陣は亜人ですが、ほどほどのところでわれら草原の勇者たちが雌雄を決しましょう」

「そうは言うがな、后妃よ。一山丸ごと城砦と化したこの<嵩山>、われら騎兵では攻めるに難い。

そなたがわが部族の者どもの命を重く考えているのであれば、いささか進軍は時期尚早ではないかな」

「いいえ」


刺々しいザハルスにユウはにっこりと笑って見せた。


「今の時点での進撃を進言いたすは故あってのこと。理由は二つ。

ひとつ。<冒険者>の多くは魔法使いです。今のように敵からも味方からも離れ、平原に馬を立てるは長距離の魔法や召喚獣に狙えと言っているようなもの。

少なくとも本陣と近衛は山麓に布陣し、敵から姿を隠す必要があります。

もうひとつ。亜人どもはともかく、他のエルフ部族や華人貴族どもは、大族長の一挙手一投足を見ております。

先だっての<冒険者>の襲撃も、被害の多くは前陣であり、われらクリアキン部族は戦局が決定的になったところで果実を刈り取ったに過ぎません。

そして今も、もっとも被害の大きい前衛を亜人に任せています。

これでは大族長陛下の指揮いかがかと疑念が生まれるやも知れませぬ。

陛下。陛下はただ勝つだけではなりませぬ。

ヒューマン、エルフ、ドワーフ、多くの民に華王として相応しいと思われる戦いをする必要があるのです。

華王は先陣を切って戦に出るとなれば、彼らの疑いも晴れ、忠誠心はいや増すことでございましょう」

「そうして、そなたの目論見どおりクリアキン部族はこの<嵩山>に万の屍を晒すことになるのだな」


皮肉げなザハルスに、ユウは大仰な仕草で否定してみせる。


「滅相もない。……<冒険者>が百人、千人いても問題とならないのは、先日の戦いでよく見られたはずでは?」

「先日、ハンバダイ族のアラクの部隊が壊滅した。生き残りの話によれば、それはたった数人の<冒険者>によるものであったという。

確かにわれらはあの日、<冒険者>の大軍を滅ぼした。

だが、それはいついかなるときも連中に勝てるということを意味しない」

「……」

「今一度聞こう。后妃よ。そなたはまことに我が部族のため、同胞を裏切ったのか?」


とと、とザハルスが馬を後ろに下がらせる。

ユウとの間に距離が開くと、すぐさま周囲のエルフ騎士がザハルスを守るようにその周囲を囲んだ。

彼らの目はすべて、疑念と敵意に満ちている。


「……」

「……后妃。いや、ユウ。貴様も一度はクリアキンの旗に従った身だ。

わが部族の、草原の裏切り者への掟は知っていよう。

貴様を捕らえ、皮袋に入れ、馬に踏み潰させる。

あるいは両手足を馬に縛られ、八つ裂きにされるのがよいか?

選べ、裏切りの<冒険者>よ」


ユウが唇を噛んだその時、軍の前後からどっと歓声が上がった。



2.


「耐えよ!」


<嵩山>の巨大な正門の上、望楼に仁王立ちしたベイシアはよく通る声で叫んだ。

彼の声を、周囲に控える<冒険者>たちがあちこちで防戦に回る仲間に伝えていく。

非常に簡略化されてはいるが、それはザントリーフの戦いでアキバの<冒険者>たちが行った、念話による通信・指揮システムと同じものだ。

ベイシアの横には、副官格の<少林派>のファン大師、<屠龍幇>の幇主が控え、共に鋭い目で眼下の亜人たちを見据えている。


 今のところ、味方に被害はない。

ベイシアたちは正門にいたる山道のあちこちに罠や簡易な砦を設けていたが、そこにつめていた<冒険者>も、死者なく脱出を果たしていた。

もちろん、彼らが撤退したのは<嵩山>ではなく、いまや敵軍の後方に食らいつこうとしている<邪派>の主力軍だ。

正門は力の強いホブゴブリンやハイコボルドを中心に肉弾の攻撃にさらされているが、巨大な鉄で作られた門はいまだ、こ揺るぎもしていなかった。


「この調子だと、数日は問題なく耐えられそうですな」

「いや、大師、連中の数は数十万はいるというぞ。重ね重ね攻めてこられればいくら<冒険者(われら)>の体力とて尽きる」


後ろで会話を交わすファンと<屠龍幇>幇主の会話を聞き、ベイシアは振り向いて頷いた。


「ああ。もうすぐメイファさんも攻めかかる。そうなれば一気呵成だ。

門を開け、一気に押し出そう。

……みんなは大丈夫か?」

「ランシャン殿のおかげで士気は高まっています。死を恐れる者は武林には一人も」

「よし」


その時、ベイシアの耳にちりん、という音が鳴った。

念話の差出人は、メイファだ。


『そちらは大丈夫ですの?』

「問題ない。いつでも出られる」

『では、お願いいたしますわ。あなた方が山麓に出たときに攻めかかります。

……後輩(レンイン)の作ったツケは、先輩(わたしたち)が支払わないとね』

「ああ」


再び振り向いたベイシアの表情を見て、二人の副官が同時ににやりと笑みを見せた。

ファンは獲物の鉄扇を引き抜き、<屠龍幇>の幇主は彼の二つ名の由来になった龍殺しの大剣を肩に担ぐ。


「教主からの連絡ですな」

「大師、あんまり坊さんが好戦的な顔をするもんじゃないぜ。先陣はわが<屠龍幇>が請け負った」

「よし。行くぞ」


ベイシアも自らの愛剣、<玄武神剣>を引き抜いた。

そして敵を見つめていた体を振り向かせ、今度は<嵩山>の側を向き、

そして<嵩山>の隅々に届けとばかりに、獅子吼が放たれる。

その足元。城門の手前には、一万人に匹敵する<冒険者>――いや、<江湖の義侠>たちが立っていた。


<崋山派>がいた。

<紅花会>がいた。

<屠龍幇>がいた。

<少林派>がいた。

正邪を問わぬ一万人に匹敵しようと言う<冒険者>がその場に集っている。

生まれも育ちも、ギルドも民族すら異なる、ただ<エルダー・テイル>のプレイヤーであるというだけの共通項しか持たなかった男女だ。

出自で争い、民族で争い、それを糊塗するための偽りの争いに狂奔してきたはずの人々だ。

いまや、強大な敵を前に、彼らはあらゆる対立を一時的に忘れ、共に待機している。

ベイシアは思った。

<大災害>以来、争いあっていた華国の<冒険者>たちを纏め上げ、再び<義侠>に立ち戻らせたのは、ベイシアとウォクシンだ。

それがレンインの策によるものであったとしても、決定的な役割を果たしたのは自分とあの眠れる剛勇だった。

今も<邪派>の軍中奥深くで起き上がらない(ウォクシン)のことを思う。

本来の、豪放磊落で戦好きのウォクシンであれば、この場に居合わせる幸運に拳を掲げ、身震いしたに違いない。

だが、彼は今、自らの技の副作用によって、醒めることのおそらくはないだろう眠りについている。

しかしベイシアは、そのことをウォクシンが悔しがるとは思えなかった。

戦えない己を悔やむことはあるかもしれないが、一方で安心して眠れるだろう。

彼の代わりに<邪派>もまた、<正派>と並んで戦陣に立っているのだから。


「武林の兄弟たちよ!」


叫びが轟く。

それは、山々を越え、蒼天の彼方まで届くかのように、長く、朗々と響いた。


「武林の兄弟、志を同じくする江湖の英雄、豪傑、好漢、悪漢たち!

時は来た!!」


整列する<冒険者>たちに返事はない。

しわぶき一つ、剣が擦れる金属音一つ立たなかった。

その中でベイシアがなおも叫ぶ。


「敵はこの嵩山に攻め寄せている!その数はわからないほどに多く、数十万はいるかもしれぬ!敵は津波のようだ!だが兄弟達!!あえて言う!時が来た!

吾らが<大災害>に巻き込まれてより約1年、無駄に燻らせてきた絶人の武勇と、星の如き知略と、玄妙なる魔法を持ってして、悪に立ち向かうべき時が!」


言葉を切ったベイシアの目が<侠者>たちを見渡す。

ぐるりと回った彼の視線と、黙って見つめる<冒険者>たちの視線が絡みあう。


「諸君も江湖の武侠を名乗るのであれば、知っているだろう。

過去、我らの国の戦乱を縦横に彩った群雄たち。

義気をもって立ち上がった英雄好漢たち。

この国の者でなくても、それぞれの国々に、同じような逸話があるはずだ。

西洋の兄弟たち!ハンニバルを破ったローマ兵の剛勇を思い出せ!

中東の兄弟たち!君らの先祖は圧制者に対し、どう戦ってきた!

蒙古の兄弟たち!君達の先祖が草原を駆けた、その志を貸してくれ!

美国(ウェン)の兄弟たち!自由を守るその気持ちは嘘偽りだけではないはずだ。

アジアの兄弟たち!元の国は敵同士かもしれないが、大地を守る心は同じだろう!

私は聞いている。

ヤマト、ウェン、ユーレッド、各地で<冒険者>が<大地人>と共に悪を破っているのを!

ならば我ら中国サーバで、この華国で、同じことができないはずがあろうか!

諸君。

元の世界で、世界の歴史を彩った英雄豪傑たちの物語を興奮と共に読み耽った経験があることと思う。

諸君、今、敵を見、兄弟たちを見よ。

今は、諸君らが、彼ら物語の英雄になるべき時なのだ」


「おおおおおっっ!!!!!」


それは、物理的な衝撃すら伴う轟音だった。

巨大な『侠』の牙門旗(城門に掲げられる巨大な旗)が、<冒険者>たちの手によって翻る。

ド、ド、ド、という律動的な音がした。

馬に乗り、全身鎧を纏った<守護戦士>たちが、自らの盾に武器を打ち合わせているのだ。

キシャア、と鋭い声が天を貫く。

ひときわ巨大な中華風の黄金龍(おうりゅう)が身をくねらせ、雄たけびを上げた声だ。


「<道士>たち!弓使いたち!雨を降らせよ!騎士たち!突撃準備だ!相手が惑乱すれば行くぞ!」

「皆。江湖の武侠の名を辱めず、戦いましょう」

「ようし、いくぜ!」


指揮官たちの声と共に、ヒュンヒュン、と無数の弓鳴りが響いた。

見上げる空を、場内から場外へ、無数の矢玉が飛ぶ。

時折閃くのは、氷の矢や炎の球だ。

それらは瞬く間に城門の外にたむろする<小頭鬼(ゴブリン)>たちの頭蓋を叩き割る。

先日、<冒険者>の受けた矢玉とは比べ物にならない。

瞬時に亜人たちは壊乱し、逃げることもできずに次々と光の玉と化した。

ベイシアたちも飛び降りると、後に残る通信班の<冒険者>に叫ぶ。


「戦局を見て、適宜増援を出せ! 大軍相手の混戦で重要なのは増援の投入時期だ。

タイミングは任せたぞ、<召喚士(サモナー)>の報告を見逃すなよ!」


そういってベイシアは愛馬である<麒麟>に飛び乗ると、頭上で剣をくるりと回した。

日の光を反射し、刃がさながら光輪のように輝く。


「開門!」


ゴゴゴと、重々しい音を立てて門が開かれるとベイシアは真っ先に飛び出した。



 ◇


「<正派>ならびに<屠龍幇>、進撃を開始しました。亜人を蹴散らし、山麓を下っています」

「では、私たちも進むとしましょう」


召喚獣に意識を移した仲間からの念話を受け、メイファは静かに告げた。

彼女は、かつてウォクシンも使っていた輿にゆったりと腰を下ろし、手の扇をゆるゆると動かしている。

しどけなく座るその姿は、とても戦場の将軍とは思えない。物見遊山に出てきた貴族の姫君といっても通じるだろう。

ただ、その眼光だけが、鋭く戦場を見据えている。


「すでに先陣の一部は散発的に敵と接触していますが……」

「ならば、本格的にいきなさい。各員、大隊規模編成(レイドレギオン)を崩さずに。敵の矢は練習どおり盾で回避するように。もしやられても、死にさえしなければ回復があるわ。

敵の騎馬突撃も戦士職がいれば問題ではない。必要以上に恐れないように」


メイファの指示に従い、<邪派>の軍も勢いを加えていく。

とはいえ、とメイファは言葉にせずに考えた。


 ランシャン率いる<正派>の軍が敗れたのは、敵将(ユウ)の言葉もあるが、直接的には矢と騎馬突撃だ。

間断なく降り注ぐ矢は、たとえ一本二本で死ぬ可能性はほぼないとはいえ、軍団の足を止める。

そして、頭上にばかり注意を向けていたところへの突撃。

たとえ個々の能力でははるかに勝る<冒険者>といえど、その精神は<大地人>と変わりがない。

むしろ、戦場に慣れていない分<大地人>より劣るといってもよい。

そんな連中に、突進してくる人馬を冷静に受け止めろというのは非常に困難だ。

メイファは、彼女の世代にしては珍しく、それなりの歴史知識というものを持っていた。

古来、スキタイからペルシア、モンゴルにいたるまで、遊牧騎馬民族が大陸を席巻したのは彼らが馬に乗り、弓を放つ弓騎兵だったからだ。

まず弓による制圧射撃。敵が浮き足立ったところで突撃。

いかに訓練を重ねた歩兵であっても、自分を容易に跳ね飛ばし、踏み潰す攻撃を受け切ることができる者がどれだけいることだろう。


だからこそ。

メイファとベイシアは、この巨大な敵軍を前にして、ひとつの対策を立てていた。



 ◇


 うわあ、と歓声を上げて<邪派>軍が敵に食らいつく。

賊軍は、巨大な<嵩山>の正門を中心に、俯瞰すれば根元に長方形の札をつけた大きな扇状ともいえる陣を敷いていた。

ユウやザハルスたちが本陣を構えているのは、扇の要に当たる部分だ。

彼らの前方には亜人を中心とする部隊が破城槌のような長方形を成して進んでいる。

<嵩山>から進撃した<正派>は、その長方形の先頭から食い破るように進んでおり、

<邪派>は扇の一方の端から円を描くように突進していた。

<邪派>軍の中央に位置し、周囲を3つの大隊規模編成(レギオン)で守られた形のメイファは、周囲の幕僚たち―ベイシア同様の通信班―の報告を聞きながら矢継ぎ早に命令を下している。


「敵後方は歩兵!華人貴族や山賊の軍かと」

「魔法攻撃職は攻撃を控えて。<守護戦士>や<拳士>、<侠客>を盾にして進みなさい」

「後方にいくつかの土煙があります!動きの速さから見て騎兵!」

「エルフかしら?」

「<召喚士>たちの報告によればそのようです」

「ならば、打ち合わせどおりに。手近な大隊(レギオン)で始末なさい」

「はい、教主!第8,12,16大隊!敵騎兵用の戦術で!」


不意にメイファの後方の大隊が動きを止めた。

そして次の瞬間、迫り来る騎兵に向けありえないほどの質量の呪文が放たれる。

呪文だけではない。矢もそうだ。

まるで火山がいきなり現出したかのような、炎、氷、そして雷が、勢いに任せて突進する騎兵に炸裂し、その勢いを瞬時に殺したのだった。


対策とは簡単なことだった。

歴史を少しかじった人間であれば、誰しもが思いつくものとさえ言えた。

騎兵の突撃衝力を止めるのはただ、火力あるのみ。

ワーテルローの戦いで、フランス軍のミシェル・ネイ率いるフランス騎兵の突撃を止めたのが、イギリス軍砲兵による間断ない阻止砲撃であったように。

日露戦争においてコサック騎兵が、日本騎兵の軽臼砲や機関銃による下馬しての陣地防御戦によって殲滅されたように、

騎兵の最も大きな威力たる心理的・物理的衝撃力を緩和するのは、それ以上の衝撃、つまり火砲によるものしかないのだ。

そしてメイファやベイシアの率いる軍には、火砲はないもののその代わりになる魔法がある。

<道士>の呪文や、<召喚士>の大規模戦闘(レイド)用召喚獣の面制圧射撃は、十分に火砲の代替としての役目を果たしたといえた。

壊乱し、動きを止めた騎兵たちに<冒険者>の騎士たちが襲い掛かる。

いったん突進衝力を失った草原の民は、なすすべもなく討ち取られていった。


メイファは、報告を受けてほっと息をついた。

すぐさまベイシアに連絡を取る。


『そうか。やっぱりな。後はどれだけ混戦に持ち込めるかだ。

一旦距離が詰まってしまえば、騎兵の突撃は使えない』

「向こうもその点はわかっていると思いますわ。むしろ危険なのはそちらです。

連中、亜人を巻き添えに騎馬突撃くらいしてのけますわよ」


念話の向こうで、ベイシアが快活に笑った。


『それなら好都合だ。こっちも勢いに乗っている。同数、いや、敵兵が10倍いようとも、負けるものか』

「これで<冒険者>の汚名もすすがれますかしら?」

『さあね。でも、<大地人>も一枚岩ではないし、存外したたかなものさ。

連中は連中なりに、<冒険者(ぼくたち)>を利用しようとしている』

「そうでしょうね」


くすりと笑うと、メイファは念話を切り、周囲を見回した。


「さあ!連中の陣を食い破りますわよ! 武林の英雄豪傑がそう簡単に負けることはないわ」


おおう、と答える声は、逃げ惑う敵兵を追い、太い錐を突き込むように敵陣を食い破っていく。



 ◇


「どういうことだ!? <冒険者>の軍が二つだと!?」

「<正派>と<邪派>が連合したのでしょう」


前後から響く戦場音楽に戸惑うザハルスに、ユウは冷たく告げた。

心の中で、これでレンインの目的は半分達成された、とつぶやく。

今、彼らが率いる軍の総数はおおむね15万といったところだ―正確な人数など調べてもいないが。

その数ゆえに、まだ敵兵はザハルスやユウの元へ殺到してはいないが、敵の勢いから見て時間の問題というところだろう。

手元の<追憶の鏡>を見る。

ランシャン率いる軍を壊乱させたその映像を、この場でユウは使うつもりはない。

これは一度きりの奇策であり、二度使えるものではなかった。

ユウが黙考する間にも、前線から悲痛な報告が次々ともたらされる。


「コボルドのグラシャ族長、戦死!」

「ウォルデン将軍降伏! 周囲の軍に攻撃をかけつつあるとのこと!」

「後方は乱戦です!ハンバダイ族、壊滅とのこと!族長の生死は不明!」

「どうするのだ! ユウ!」


ザハルスの叫びに、ユウは氷点下のまなざしを向ける。


「ことここに至って、裏切り者の策がご入用ですか?」

「やかましい! わがクリアキン族をこの地獄に落としこんだのはお前だ、ユウ!

責任を取ってみせろ!」


わめくザハルスに、ユウはそれでも進言する。


「今は本陣を動かさず、ただ敵兵のいない先を探されませ。ここに至れば<嵩山>の攻略は不可能です。

周囲の同盟諸軍すべてを捨ててでも、自らの故郷に一目散に逃げなさい。

そして二度と華国を脅かそうと考えず、北の草原で遊牧に戻りなさい。

<冒険者>が多勢とはいえ、わざわざ華国から遠い草原まで攻めることはありますまいから」

「……すべて貴様の目論見どおりだな。ユウっ!!」


瞬時に抜刀したザハルスの剣を、ユウは馬を器用に操って避けた。

振り下ろした勢いのままに横薙ぎに振るわれた刃を、自らの<疾刀・風切丸>で受ける。

<幻想>級の刀と打ち合ったザハルスの剣が一撃で折れ飛んだ。

それでもザハルスは、半ばから折れた剣を握り締め、ユウに殺意のこもった視線を向ける。

ユウはその視線を冷笑で返すと、不意に馬の向きを変えた。


「どこへ行く!」

「目的は半分達した。もう半分を達成するために、最後の役割がある。

ザハルス。エルフの若僧。十分に私のために踊ってくれた礼として、殺さずにおいておく。

手勢を率いてどこへなりとも落ち延びるがいい。

さよなら。もう会うこともないだろうよ」

「おのれ、<冒険者>め!」


斬りかかってきた一人のクリアキン族の騎士を斬り捨て、ユウは砂塵を立てて駆け去っていった。



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