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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第四章 <侠の天地>
77/245

58. <日月侠>

1.


 ベイシアが一歩踏み出す。

一人のプレイヤーの、たった一歩のはずなのに、それはすさまじい威圧感となって玉座のヤンガイジを襲った。

はるかな高みから見下ろしているはずなのに、いつの間にか自分が見上げているような気にさせられる。

それが、ベイシアというプレイヤーだった。

<蒼星大侠>ラピス・ストーン、<黒剣>アイザック、<南海の英雄>ティワワット・ミコミコエンジェル。

世界各地のサーバを代表する彼ら彼女らに伍する、彼こそは華国最高の戦士なのだ。


 ヤンガイジは、余裕ある姿勢を意識して崩さないようにしながら、内心で歯噛みしていた。

彼とて、<日月侠>のナンバー2を務めていた<冒険者>だ。

並みの相手には負けない自信はあるし、事実、負けたことは新人時代を除けば両手の指で足りる。

すべての武器とアイテムを用いての殺し合いであれば、<教主>ウォクシンに勝てる自信すらあった。

その彼が、玉座から動くこともできずにいるとは。

そして、進み出るベイシアの横を静かに歩く巨漢がいる。

ヤンガイジの座る玉座の本来の持ち主、<日月侠>教主(ギルドマスター)、ウォクシン。

周囲の<邪派>たちは、ベイシアよりもむしろウォクシンに愧じるかのように後ずさる。

ヤンガイジの額に青筋が浮かんだが、ふがいない部下たちを責めようとは不思議と思わなかった。

ヤンガイジ自身もかつて、その豪放な男振りに憧れ、その背を追っていたから。


 ヤンガイジは立ち上がった。

事ここに至り、自分の権力が崩壊したことを彼は認めざるを得なかった。

そして、もはや自分を守る盾は自分自身しかいないことも。

玉座の前で自分たちを睥睨する僭主に、ベイシアの引き結ばれた口がうっすらと笑みを形作る。


「立ち向う気か、ヤンガイジ君」

「戦いもせず負けを認めるわけにはいかん」

「いい度胸だね。……下種にしては」


<玄武神剣>が緩やかに一振りされる。

すかさず半身にしたヤンガイジの真後ろで、豪奢な玉座が一刀の元に断ち割られた。

<侠客>たる彼の絶技(とくぎ)のひとつ、<天剣勢>だ。

刃の形の気を飛ばし、相手を断ち割るその技は、目測だけでも20m近い距離のヤンガイジに、通常なら届くはずがない。

だが、ベイシアの愛剣、<玄武神剣>はそれを可能にする。

特技の効果範囲を2.0倍、ダメージを1.5倍にし、MP消費を0.75倍にする<幻想>級の剣だ。

それにより、ベイシアは本来近距離を戦闘距離とする戦士職でありながら、魔法職並みの遠距離攻撃ができるのだった。


「お前の手が汚れていないとは言わさんぞ、<大侠>。ここで俺は倒されるだろうが、その手に塗られた血の重みをよくよく味わってみるんだな」

「君にそれをいう資格はない」


いかなるアイテムによるものか、ほぼ間をおかずに放たれた第二の<天剣勢>を大きく跳んでよけながら、ヤンガイジは腰の剣、<玄鉄剣>を抜いた。

以前、<大演武>では腰に差したまま一度も抜かなかった、ヤンガイジ本来の愛用武器だ。

天空から堕ちた隕石を鍛えたとも、はるか地底の巨岩から削りだされたとも言われる青黒い剣が、無数のターゲットマーカーを呼び集めながらベイシアの頭上に落ちかかる。


「ベイシア!……っ!」

「メイファ!一番手は俺だ、この場においては!」


剣を頭上に構えたベイシアと、<玄鉄剣>を振り下ろしたヤンガイジが激突する。

刹那、互いの左手が交叉した。

互いに抜き放たれた剣指が、互いの顔を狙い、そしてぎゃりぎゃりと音を立ててこすれあう。

一挙動で互いに身を離したベイシアとヤンガイジは、今度は同時に踏み込んだ。


「<虎豹乗雲(でんこうせっか)>!」

「<蜂刺(クイックアサルト)>!」


互いに息をつかせぬ踏み込みで剣を交えた両者が、一合、十合と打ち合う。

一騎打ちはさながら荒れ狂う暴風のようで、なまじの<冒険者>であれば巻き込まれて死ぬとまで思わせるほどだ。

腕を組み、相変わらず感情のない目で二人を見るウォクシンは別として、レンインとメイファは思わず数歩下がって壁に背中をつける。

<道士(ソーサラー)>と<刺客(アサシン)>の防御力では、二人の豪傑の繰り出す絶技の応酬に耐えられないのだった。

その周囲では、ざわつきながらも<邪派>の<冒険者>たちが集まってきていた。

誰もが、剣を交える二人の<冒険者>と、その近くにあって最小限度の動きで流れ弾を避ける教主(ウォクシン)をちらちらと見ている。


「あれは<正派>のベイシアだろう。<邪派>としては助太刀すべきじゃないか」

「何を言ってるんだ。ヤンガイジの野郎が教主やお嬢さん、メイファ総香主に何をやったか、覚えていないのか」

「だが……」

「それに俺たちでは彼らの戦いに参加できん。近づいたら最後、八つ裂きにされるのが関の山さ」


小声で呟く<冒険者>たちを横目に見て、メイファはいまさらながらにため息をついた。


(本当に、もっと早くこうしていればよかった)


そう内心で思う。

<冒険者>を本当の混沌へ落とさないための方便だった正邪の戦い、それにいつしか自分までも取り込まれていたことに気づいたのだ。

他の道はあった。

<大災害>―レンインはこう表現したが―までは、ベイシアにせよウォクシンにせよ、正邪の派閥を超えて敬愛されていたトッププレイヤーだったのだから。

敢えて対立するのではなく、華国の<冒険者>の誰もが持つ、彼らへの信頼や友情を元に、<冒険者>を纏め上げていたならば。

レンインもウォクシンも、あるいはヤンガイジも、今のような状況にはならなかっただろうから。


後悔の色を目だけに忍ばせるメイファの横で、レンインは黙って二人の戦いを見つめている。

まるで、英雄の戦いを見守る、北欧の戦乙女(ヴァルキュリア)のような瞳で。

その表情に浮かぶものは、何もない。



 ◇


「……!!」


ベイシアが剣を颯颯颯(さっさっさっ)と三手振ると、大きくとんぼを切って後ろへと下がった。

その彼の足元に、ちゃりちゃりと何かが落ちる。


「毒針か」

「これぞ<含毒尸剣>、ベイシア、あんたは西欧人のような全身鎧で来るべきだったな」

「毒を下等とは思わないよ。ヤンガイジ、いい技だ」

「生意気を言うなよっ!」


追うヤンガイジの空いたほうの手が、複雑な印を結ぶ。

それは魔術的な不気味さを持ってはいたが、実を言えば単なる欺瞞(フェイク)だ。

複雑な指の動きの合間から、隙間なく針が飛ぶ。


毒と<玄鉄剣>、いずれもが虚にして実。


ヤンガイジはスピードに勝る<剣士>の身体能力を駆使し、小刻みに<天馬跳(ユニコーンジャンプ)>や<連声血梅花(ブラッディ・ピアッシング)>を動作だけで発動させ、ベイシアの肉体を削っていく。

もともと、正面切った殴り合いを得意とする<侠客>に対し、<剣士>は、世界各地の同業者同様に、どちらかというとダメージよりも細かい状態異常(デバフ)を積み重ねて勝利をもぎ取るスタイルが得意だ。

加えてメイファから買い求めた毒を装備したヤンガイジの一撃は、どのように軽いものであっても徐々にベイシアの継戦能力を奪っていく危険さに満ちていた。


加えて、二人は現実の地球に加え、この世界で使い手を捜しては学んだ中国拳法の技も駆使していた。

<柳風告影>の颯颯とした二手を、ベイシアは<天人相座>の胡坐をかくような姿勢で避け、伸び上がる彼の掌底、<気弾(オーラセイバー)>の一種である<無風掌>を、<庚申絶実>でヤンガイジが避ける。

現実の武術と、<冒険者>の絶技を組み合わせた二人の対戦に、周囲の<冒険者>たちからいつしか嘆息が漏れていた。


だが、その戦いもやがて終わりを迎えようとしていた。


「やるなあ、ヤンガイジ君」


そう軽く呟くベイシアの全身は、血を浴びたように真っ赤だ。

鎧に包まれた足には、剣山で刺されたかのような無数の刺し傷が開き、どくどくと血を溢れ出させている。

片手に構えた<玄武神剣>の切っ先もかすかに震え、そして何より、彼の全身には刻まれたダメージマーカーが緩やかに点滅していた。


「毒をすべて避けきったのはさすがに<大侠>だな。

だが、もう移動力も命中力にも山のように状態異常(デバフ)がかかっているはずだ。

遠距離戦を得意とする、大規模戦闘(レイド)仕様のそのビルドで、対人戦(デュエル)仕様の<剣士>とやりあって、勝てるとでも思ったか」


<玄鉄剣>をだらりと下げて、そうヤンガイジは嘯く。

その顔に浮かぶ嘲りの笑みに、ベイシアは一瞬目を閉じると、再び開いた目で近くに佇む宿敵(ライバル)に目を向けた。


「いや、俺の役目は君の毒針を使い切らせる、ここまでだ。

君の始末は、君の上司が取るべきだろうからね……まさかこの期に及んで寝ていないよね、ウォクシン?」

「あア」


奇妙にひずんだ声で、沈黙の豪勇は静かに頷いた。



 ◇


 全身にダメージマーカーをまとわりつかせたまま、ベイシアがするすると下がっていく。

追撃を試みたヤンガイジだったが、足元に自分のものと同じ毒針がたたたっ、と数発刻まれたのを見て、彼はベイシアの殺害をあきらめざるを得なかった。

抜く手も見せず毒針を放ったメイファに、憎憎しげな舌打ちだけを向けて、ヤンガイジはゆっくりとかつての教主(ギルドマスター)に正対する。

その口から、侮蔑をたっぷりと放った声が漏れた。


「まあ、最初から1対1だとは思ってはいなかったが……今度はあんたですか、ウォクシン。

体は大丈夫ですかね?」

「問題なイ」


そういって進み出たウォクシンは、相変わらず焦点の定まらない目のまま、眼前でガシリ、と拳を打ち合わせた。

表情こそ抜け殻のようだが、その武威は健在。

仕草だけでそう考えたヤンガイジは、霊薬(ポーション)を飲む間も惜しみ、足を踏み出す。

影すら追いつけない速度で踏み込んだヤンガイジの<玄鉄剣>は、いつの間に抜き放たれたのか、

ウォクシンの<七星宝剣>にがっしりと受け止められた。


「どんな職業が用いても、<侠客>や<剣士>なみのダメージをもたらす<七星宝剣>……さすがにっ!」


颯颯颯、と風のようにヤンガイジの剣が翻る。

<全真幇>に伝えられる技を<大災害>以降、見よう見まねで会得した<鶏鳴察疫>の三手だ。

だがウォクシンは一歩も動かない。

腕だけが別の生き物のように鋭く動き、ウォクシンはヤンガイジの剣をすべて防いで見せた。

それだけではない。

剣を打ち合わせながら、刃を擦るような動きで<七星宝剣>が相手の首を狙う。

その動きは、<全真幇>と対を成す門派、<古墓派>の絶技、<氷蒼暗剣>そのものだ。

さすがに本家のような属性攻撃こそ出さないが、その動きにヤンガイジは距離を置きながら叫んだ。


「な!? <古墓派>の技をなぜ!」

「おレの……俺の体の中には俺が倒してきた何人もの敵がいる。

そいつらの……能力は奪えなかったが、記憶と知識は……奪った。その一人の技だ」


喋っているうちに徐々に慣れてきたのか、ウォクシンの口調は徐々に流暢になっていった。

茫洋としたまなざしも、いつの間にか滾る戦意に溢れ、燃えるような色に染まる。

その怒りと殺意に満ちた目が、ぎらりとヤンガイジを射抜いた。


「ヤンガイジ。俺の罪を共に分かち合ってくれて……礼を言う。だが俺たちは罪を償う時が来た。

この拳で、お前の魂を奪う」

「やってみるがいい! <冒険者>の亡霊が!」


怒鳴りざま、ヤンガイジが突進した。

動きを見せないウォクシンの横をすり抜けざま、<玄鉄剣>がすさまじい速度でウォクシンの腕を抉る。

筋肉を細断され、太い両腕から血が噴水のように噴出した。

<牙蛇含撃(ヴァイパーストラッシュ)>に、ウォクシンのステータス画面を<命中率低下>の文字が彩る。


「ふん!」


まずは一撃。

そう思ってヤンガイジが振り向いたとき、彼は信じられないものを見た。

自分の視界を覆い尽くす何か。

それが、命中率を奪われながら自分を追撃したウォクシンの巨大な手のひらだと気づく前に

彼の頭蓋はみしりと音を立てて鷲掴みにされていた。


ぶん、と肉体が宙を舞う。

速度を誇るはずの<剣士(スワッシュバックラー)>の体は、まるでマネキンであるかのように頭を支点に転地を逆転させた。

そのまま石の床にたたき付けられたヤンガイジの口から「ごふっ」という声が漏れ、

その全身からばきりという不吉な音が響く。


「ヤンガイジ。俺を排斥するのはいい。レンインを追うのも構わん。

だが、お前は<邪派>の頭目になるべきではなかった」


むしろ沈痛なウォクシンの声とは対照的に、ヤンガイジの体が二度、三度と振り回され、床にたたきつけられる。

巨大な質量をぶつけられた石の床が巻き上げられ、埃が宙を舞った。

何度目か。

べぎ、という異音がウォクシンの手の後ろから漏れ、ヤンガイジが全身を痙攣させてだらりと弛緩する。

度重なる衝撃に、ついに彼の首が折れたのだ。

いつの間にか真っ赤になったヤンガイジのHPバーの下で、半分ほどは青く染まっていたMPバーが怯えるように揺らめいた。


「<吸星>」


静かな呟きと共に、ヤンガイジのMPが真っ赤に染まる。

そして、ウォクシンは徐々に光に包まれる、かつての副教主をそっと床に下ろした。


「ヤンガイジ。お前を<日月侠>から追放する。好きなところへ行け。しかし、次に会えばすべての<冒険者>はお前の敵に回るだろう。

さらばだ」


その呟きがその場の全員の耳に響いたと同時に、<日月侠>を専断した僭主(ヤンガイジ)は、大きく痙攣して光となって消えたのだった。




2.


「ウォクシン!ウォクシン!」

「天地豪勇、文成武徳、われらが教主、万歳!万歳!」


<邪派>の<冒険者>が口々に叫び、幾人かは耳を押さえたり、あわてて建物から走り出たりしている。

念話や会話で、真の教主の帰還を仲間に知らせているのだ。

そのどよめきの中、ウォクシンは片手を上げた。

一瞬で周囲の歓声が静まる。


「<日月侠>。そして<邪派>を名乗る江湖の英雄豪傑たち。ヤンガイジは倒された。ベイシアと、俺の手で」


その言葉に誰もが聞き耳を立てる。

教主は敢えてベイシアの名を呼んだ。かすかな敵意と、それ以上の賛嘆のまなざしに包まれながら壁際に立つ<正派>の総帥の名前を。


「俺は今日をもって、教主の座を辞する。後任はメイファだ」

「教主!?」


そこここから悲鳴が上がるが、ウォクシンはまるで聞こえないかのように続けた。


「皆も知っているとおり、俺は<災害>以来、<吸星>の絶招(わざ)を身に着けた。だがその副作用により、俺はもはや正気を保ち続けることができん」

「教主……」

「お前たちに教主と……シての、さいゴの……命令を、アタえる」


ウォクシンの目に徐々に霞がかかり、口調が徐々に当初のいびつなものへと戻っていく。


「メいふァに……従え。ソレが…ドんナ……命令であっテモ。

<正ハ>と協力シ……華国に、秩序ヲ」

「お嬢さんは、お嬢さんはどうなるんですか!?」


誰かの叫びに、かすかにウォクシンは笑ったようだった。


「メイファに……任せる」


絶句する<冒険者>たちの中で、不意に一人ひとりにアイコンが輝いた。


『<日月侠>のギルドマスター権が、ウォクシンからメイファに委譲されました』


「教主……」

「華国を、江湖の義気で……守レ」


どおん、と巨大な音が響いた。

ウォクシンの雄渾な体躯が、大きく横倒しになったのだ。

巨木が倒れるようなその体は、しかし光になって消えていない。


「教主……」


誰もが、ウォクシンの最後の言葉を反芻する中、ぼろぼろの漢衣(ドレス)をまとった美女が静かに進み出る。

メイファだ。

かつて<五毒>の総香主(ギルドマスター)だった<毒使い>の美女は、静かに倒れるウォクシンの傍に膝を折ると、彼の手から忌まわしい<吸星の篭手>を抜き取る。

しばらく静かに、眠れる前教主(ウォクシン)の髪をなでていた新教主(メイファ)は、しばらくしてすっくと立ち上がった。


周囲を見渡す。


ウォクシンが乗り移ったかのような、その炎のような目に周囲の<日月侠>も、自らの(ギルド)が解散し、牢に囚われていた元<五毒>も、他の幇の面々でさえもが気圧された。


「前教主より大命を受け、非才の身ながら<日月侠>を統率いたします」


だが、その口から流れ出た言葉は意外なほどに穏やかだった。


「正邪の争いは終わりました。ベイシア大侠とウォクシン前教主の共闘によって。

これより、華国の<冒険者>は真の意味でひとつになります。

それを阻むものは、<正派>、<邪派>、あるいは華王を名乗る(ギルド)でさえも例外なく許されません。

我々は、失われた江湖の義気と、<冒険者>の誇りを取り戻さなければならないのです」

「ですが……新教主。我々がそのつもりになっても、<正派>がどう思うかわからないではありませんか」

「それは俺が保証しよう」


壁際から声を上げたのはベイシアだった。

彼は立てかけていた<玄武神剣>を腰に戻し、いつもの飄々とした口調で続ける。


「<黒木崖(ここ)>に来る前、<少林派>のファン大師や<嵩山派>のランシャンなど、主だった幇主には了解を取ってある。

俺たち各地の幇主が、この正邪の戦いを続けたのには意味がある。

もちろん、ゲーム時代同様、いや、それ以上に権力を持ちたい欲がなかったとは言わん。

それは、<正派>、<邪派>を問わず、すべての幇主が責めを負うべき事柄だ。

だが、それだけではない」


ベイシアはちらりとメイファを見た。

彼女がかすかに頷くのを見て、静かに言葉を風に乗せる。


「俺は、ウイグル人だ」


一座に声にならないどよめきが立ち上った。

ある者は共感を、またある者は隠しようもない驚愕と、かすかな嫌悪を。

その空気を混ぜるかのように、ベイシアの声が流れた。


「ウォクシンは北京に住む中国人。メイファは内陸部、重慶に住む農村戸籍の中国人だ。

他にも多くの民族、国籍の人間がいる。

今、賊軍を率いる遊牧民の<后妃>は日本人だという。

……あの日以来、俺たちはそれぞれの祖国と切り離された。あらゆる法や秩序と共にだ。

あの時、手をこまねいていたら、凄惨な民族、国民同士の争いが起きただろう。

同じ中国でも、都市戸籍と農村戸籍との間にはすさまじい差別意識がある。

俺たちが、そのことで争えば、たちまち義侠の心は失われ、互いに終わりのない憎しみの連鎖に取り込まれたことだろうな。

各幇の幇主達(おれたち)は、そんな未来が待ち受けていることに耐えられなかった。

別の凄惨な未来があることを承知の上で、俺たちは敢えて正邪の争いを続けたんだ。

最低限、江湖の義気だけは守るために。

……みんな。

今、<嵩山>では、ファン大師が俺と同じことを言っているはずだ。

偽りの争いは終わった。

そして、本当の争いを、俺たち<冒険者>は止めなければならない」


「大侠の言うとおりです」


メイファが静かに言葉を引き継いだ。


「私たちは誰もが、このゲームの世界(セルデシア)に巻き込まれた<冒険者>です。

その意味では、世界中の誰もが、民族、主義主張の区別なく同じ。

裁かれるのはその行動と、義侠の心に沿うか否かであり、生まれ育ちは関係ない。

皆に言い渡します。

これより、<正派>か<邪派>かという区別だけで争うことは許しません。

同時に、生まれ、育ち、国で争うことも許しません。

たとえそれがどの国であっても」


そう言ってメイファが静かに言葉を切ったとき、誰かの叫びが上がった。


「だが! 大侠や教主はいい!その遊牧民の后妃とやらは日本人なんだろう!?

この世界で唯一、新パッチを当ててレベルが高く、しかも日本人だ!

俺たちは同じ中国人同士では争わない! 台湾やモンゴル、朝鮮でも争わないよう努力する!

だが、裏切り者で残虐な日本人は、今度は<冒険者>をも裏切ったんだ!

あいつらは例外だ!!」

「そうだ!そういえば日本人もちらほらいるぞ!狩り出そうじゃないか!」

「黙りなさい!」

「黙れ!!」


メイファとベイシアが叫んだのは同時だった。

思わず押し黙るその<冒険者>たちに、憎しみすら湛えた目を二人のトッププレイヤーが向ける。

誰かの悲鳴が響いた。


「先ほど言ったことは変わらない。<冒険者>を、人を裏切ったその日本人が裁かれるのは、彼女が日本人であったからではない!

彼女の行為が、行動が、江湖の義気を汚したからです。

彼女は彼女ゆえに裁かれるのであって、日本人であるがゆえに裁かれるのではない!

重ねて言う!

日本人も、他の民族も、ただその民族であるというだけで敵視するものはすべて、わが毒の獲物となると!

そしてそれはベイシア大侠にとっても、他の幇にとっても同じであると!」


普段の妖艶さをかなぐり捨てて絶叫したメイファを見て、ベイシアが続ける。


「俺も中国の教育を受けたからな。日本人は残虐だ、と思いたい気持ちもわかる。

だが、よく考えてみてくれ。俺たちは世界中のプレイヤーが集まった<エルダー・テイル>の日々をすごしてきたんだ。

その中で日本人は常に残虐だったか? 台湾人は常に敵意に溢れていたか? ウイグル人は常に不平を漏らしていたか?

……違うだろう。少なくとも、俺にとってはそうだった。

前教主(ウォクシン)の言葉をもう一度思い出せ。

彼は『華国を守れ』と言った。国を守るのはそこにすむ人を守るのと同じだ。

<大地人>も<冒険者>も、出自が何であっても華国のために戦うならばウォクシンは守れと言ったんだ。

……わかったか?」


誰もが押し黙っていた。

いや、かすかな声がする。

ベイシアとメイファの言葉を、念話で各地に散った<邪派>に中継しているのだ。

その聞こえるかどうかというかすかなざわつきを耳にしながら、ベイシアは内心でうめく。


ここまで言っても、やはり華国は未曾有の混乱に巻き込まれるだろう。

ライトユーザーの多い中国サーバは、他国に比べ若年層のプレイヤーも多い。

若く、国の外に出たこともない<冒険者>であればあるほど、教育のもたらす影響は甚大だ。

ふと、彼はレンインが牢の中でウォクシンに言った言葉を思い出した。


『華国の日本人プレイヤーを一人でも多くヤマトに戻す』


それは、こうなることを予期しての言葉ではなかったか。

たとえ、レンインの友人と言う日本人が彼女の策に乗ろうが乗るまいが、巻き込まれる混乱の中で真っ先に標的になるのは日本人、ついで南北朝鮮の人々だ。

朝鮮はまだいい。遠いとはいえ、大陸を歩けばいずれ故郷に帰りつける。

しかし、海を隔てたヤマトは遥かに遠いのだ。

時間に直せばごく短い間ながら、そこまで考えたベイシアははっと気づいた。

レンインは自らに従うプレイヤーと共に華国へと帰還したはず。

だが、<黒木崖>に戻った時点でレンインは単身だったという。

その後も、日本人や<崋山派>の青年と行動を共にしていたと言うが、本来の彼女の同志たちとは合流していない。

もしかすると、彼らの任務は、レンインから離れ、一人でも多くの日本人プレイヤーをヤマトへ帰すことではなかっただろうか。

正邪の争いが終われば、凄惨な異国人狩りが行われる可能性があることを承知で。


 ベイシアはちらりと、傍に控えるレンインを見た。

彼女はただ静かに、周囲の静かなざわめきに耳を傾けている。

そんな彼女の目が不意に開かれた。

メイファの新たな声を聞いたからだった。


「<日月侠>の成員たち、そしてすべての<邪派>の成員に、教主として命令を二つ、下します。

ひとつ。自分たち自身を含め、この華国―中国に生まれを持たぬもの、あるいは華国を離れたい者を護衛し、故郷に、あるいは旅の出発点まで連れよ。

日本人はヤマトに、朝鮮人はダンガニアンに、台湾人はフォルモッサ島に。

だが、それぞれの意志を曲げて連れて行くこと、あるいは押しとどめることは許さない。

その仕事はレンインお嬢さん、あなたに頼むわ」

「……わかりました」


<冒険者>の視線を一身に浴びながら、レンインが静かに頭を下げる。


「そしてもうひとつ。各地を跋扈する山賊、盗賊、軍閥。あるいは民を虐げる独裁者。

そして何より、無謀にも華国を荒らそうとやってきた侵略者を、<正派>と共に迎え撃ちなさい。

首魁を斬り捨て、その后妃という<冒険者>を打ち滅ぼしなさい。

二度と悪に加担する<冒険者>が現れないよう、徹底的に。

そして居ない華王の代わりに民を安んじ、<冒険者>の誇りを取り戻すのです。

ランシャン率いる<正派>の連合軍は彼らに敗れました。

どのような策を用いたか、それは話すにおぞましいものです。

私たちの記憶が大きく奪われると、私たちの地球の記憶を人質にとり、戦意を挫いたのです。

そのような策をとる者に、我々が負けるわけにはいきません。

記憶は失われない。そして、仮に失われたとしても、その代償に私たちは江湖の義侠としての真の誇りを手にすることができる。

そして……<正派>だけでは勝てなかったからといって、<邪派>が加わって負けると思いますか?」

「否!」


最後は挑発するようなメイファの言葉に、誰かが叫ぶ。

にやりと、いつもの妖艶な<毒巧手>の笑みで、メイファが囁いた。


「武林の豪傑は天下無敵。江湖の義気は、何者にも敗れはしない。

私たち<冒険者>が団結すれば、いかなる敵も打ち倒す。

そう……だからこそ、打ち倒しなさい。私たち<江湖の冒険者>の手で」

「応!!」


誰かが叫びをあげた。

剣や刀が振り上げられ、直前まで静かだった<黒木崖>がたちまち雄たけびに飲まれていく。


「武林を敵に回したことを、連中に後悔させてやる!」

「俺たち江湖の英雄好漢が揃って、負けるはずがない!」

「<邪派>の流儀を亜人どもに見せ付けてやるぜ!」


ある者は長大な青龍刀を振り上げて叫び、またある者は毒に濡れたような槍を掲げる。

<道士(ソーサラー)>たちは杖で天を指し、出陣前で逸ったか、鏑矢がひょうと音を立てて天に昇った。

その中で、衣の裾を翻し、メイファが決然と歩き出す。

周囲に付き従う<冒険者>たちを睥睨し、彼女が歩きながら叫んだ。


「<屠龍幇>!」

「いるぜ」


やって来たウォクシンに負けず劣らずの体格の<守護戦士>に、視線を向けずにメイファは言った。


「幇主。あなたの(ギルド)大規模戦闘(レギオンレイド)に慣れている。先行し、<嵩山>の<正派>と合流なさい」

「心得た」


見事な龍の浮き彫りが施された大剣を抜き、柄に両手を当てて抱剣礼をすると、男が部下を連れて去っていく。


「<一青門>!」

「御前に」

「あなたたちは生産系が多い。主軍と同行し、部隊の補給を万全とするように。

この<黒木崖>にある<日月侠>の素材も、すべて使って構わない。

しかし、名のあるアイテム同士の<合成>は決してするな」

「わかりました」


ゴシックめいた洋服を着こなした女性<方士(クレリック)>がやや憂いを帯びた顔で頷く。

ウォクシンを人としては再起不能にした<吸星の篭手>を作ったのは彼女の幇なのだ。


「<日月侠>と旧<五毒>は主軍を構成する! 同時に、各地に散って異国人を護衛せよ!

行き先のわかった<妖精の輪>の場所と開門時間は、別途選抜した者に伝える!

<邪派>全員!前教主の武名に愧じぬ、勇猛かつ義侠の戦いを期待する!」

「応!!」


 

 ◇


 

 メイファたちが去って後。

人だかりが嘘のような<黒木崖>の宮殿には、3人の人影が残された。

ベイシア、レンイン、そして彼女が腕に抱えるウォクシンだ。

彼の胸の上には、忌まわしい<吸星の篭手>が、不気味に煌きながら置かれている。

そんな、もはや動くこともできない義父を抱えて、レンインがぽつりと呟いた。


「メイファさんは……私に最後の贖罪の機会を与えてくれたのでしょうか」

「だろうな」


ベイシアも頷く。

しばらく動かなかった二人だが、いつまでもそうしていられるわけでもない。

ベイシアは、<屠龍幇>によって構成された先発隊に同道し、<正派>と合流するという任務があるし、

レンインも、各地に散らばる自分の元からの同志に加え、メイファによってつけられたメンバーを指揮し、一人でも多くの日本人やその他の国の人々を、祖国に帰すという任務があった。

彼女が華国の<冒険者>として行う、最後の任務だ。

そして眠れるウォクシンは、メイファと共に往かねばならない。

ほとんどの戦力が出払う<黒木崖>では、彼を守りきれないのだ。


二人が立ち上がろうとしたとき、ふとレンインの腕の中のウォクシンが身じろぎした。

その手がゆっくりと上り、レンインの道服に包まれた体に触れる。

そして。


「なに!?」


レンインはいきなりすべてのMPを奪われたショックに思わず倒れこんだ。

同時に転げ落ちようとするウォクシンを、間一髪ベイシアが掬い上げる。

そのたくましい両手に、いつしか<吸星の篭手>がはめられていることに二人はようやく気づいた。


「な、なぜ……わたしのMPを」


急激な脱力感にレンインがへたり込む中、ウォクシンの唇がかすかに揺れる。

それは言葉になったものではなかったが、ベイシアはその動きをゆっくりと読み上げた。


「お前…の、罪を、魂ごと…俺が持っていく。お前……は……」

「……ウォクシン」


再び沈黙したウォクシンをかき抱いて泣くレンインの声が、挽歌のようにいつまでも宮殿に響いていた。



 ◇


 行軍中の軍団は騒々しい。

特に亜人たちを含んでいるとなれば尚更だ。


無表情で馬を進めるユウの元に、その男たちが現れたのは、時間軸を多少遡る。

遥か彼方でフーチュンが<大地人>の老将と会ったころ。

あるいはレンインが地下牢で二人の囚人に再会したころのことだ。


「久しぶりだな、ユウ」

「ズァン・ロンか」


案内のエルフの戦士を蝿でも払うようにしっしっと追い払い、ヨコハマで会った<侠客>はユウを見上げた。

見れば何人もの仲間と共にきているようだ。

その全員が、ヨコハマのレンインの館で見た顔だった。

馬から下りもせず、冷然と見下ろすユウに、ズァンはぶっきらぼうに挨拶した。


「久しぶりだ。……が、お前は変わったな」

「お前は祖国に帰って嬉しいようだな」

「別に嬉しくはないさ」


まるで初対面の時のような刺々しい会話に、周囲の草原のエルフたちが耳をそばだてる。


「お前の目は濁っているぞ、ユウ」

「死んでヨコハマに戻りたくなったか? ズァン・ロン」

「殺したければそうしろ。 まあ、戻るのは<燕都>だがな」

「顔見知りだから会ってやったが、何の用だ? われらの覇業の手伝いにでも来たか?」


ふん、と鼻を鳴らしたユウに、ズァンは声を抑えて告げた。


「今、俺たちはお嬢さんの命令で、全土の日本人を探して燕都に連れて行っている。

来るべき混乱の時代、お前の同胞が無意味に虐殺されたりしないためにな」

「そうか」

「だがお前のせいで仕事を急がなければならなくなった。その恨み言を言うついでに、顔を見に来てみたが……予想以上だったよ」


ズァンは厳しい目でユウを見た。そして訊ねる。


「教えてくれ。ヨコハマであれだけ清廉だったお前をこうまでしたのは、お嬢さんの意志か?」

「……お前に教える義理はないね。ズァン」


素っ気無く答えるユウに、ズァンは思わず怒声を上げる。


「ユウ! お前は自分のしていることが何かわかっているのか!? お前はすべての<冒険者>を裏切ったんだぞ!そして<正派>の軍団(レギオン)を滅ぼし、公然と敵対したんだ!

お前は地の果てまで追われることになるんだぞ! お前はそれでも!」

「……なら、尚更、お嬢さんの意志かどうか問うのは無意味だろう。

ひとつ教える。どのような経緯があっても、こういう道を選んだのは私だ」


正面から見るユウとズァンの言葉が途切れ、互いの視線が真っ向からぶつかる。

周囲のエルフたちも、大族長(ザハルス)がいないこともあっておどおどと、睨み合う二人の<冒険者>を交互に見るばかりだ。

やがて、先に視線をおろしたのはズァンだった。


「……わかった」


心なしか沈んだ声でズァンが言う。


「ヨコハマで、俺の命だけでなく誇りと名誉を守ってくれたのはお前だ。

そのお前が選んだ道なら、どうあってもお前は省みないだろう。

たとえ、この華国の誰からも敵視されても、ヤマトのお前の友人たちから蔑まれても。

……ユウ。お前の同胞は、俺たちが命に代えてもヤマトへ帰す。一人でも多く、一日でも早く。

だからお前はお前の道を行け。……お別れだ」


そういって彼らは馬を呼び、背を向ける。

仲間たちが周囲と敵意の視線を交わしあいながら去った後、最後に漆黒の巨馬に跨ったズァンは一言、

呟くように言った。


「お前の行く先に、お前の求めるものがあることを祈る」



「后妃陛下。あの無礼な<冒険者>を追い討ちましょうか」

「要らぬ。あの者たち、そしてあの者たちの仲間と称する<冒険者>を襲った者は、生きながら腐らせる毒を与える。

……決して追ってはいけない」


訳知り顔に問いかけたその騎兵は、殺意すら篭った后妃(ユウ)の視線に、転がるように下がっていく。

そんな部下を一顧だにすることなく、ユウはズァンの去っていった方角をじっと見つめていた。




ユウ自身も含めた包囲軍が、<冒険者>最大の拠点となった<嵩山>を囲む、二十日前のことである。

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