57. <誤った策>
1.
「私は、無意味に争うこの華国を変えたかった。
そう思っていたとき、ヤマトの<冒険者>の話を耳にしました。
彼らは、イベントを放置していたために押し寄せてきたゴブリンを、<大地人>、そして<冒険者>が迎え撃ち、そして団結するようになったと。
私は彼らが羨ましかった……」
昼か夜かもわからない、無明の闇に閉ざされた地下牢で、レンインの独白は続く。
それを聞く3人の<冒険者>の姿勢はさまざまだ。
<正派>の頭領、ベイシアは眉根を寄せて腕を組み、その隣で<邪派>の<毒使い>、メイファは苦しみに耐えるように首をかすかに振っている。
そして3人目、<邪派>の頭目、ウォクシンはだらりと力なく壁にもたれかかっていた。
その視線は茫洋として、何も見てはいない。
「一年待っても、華国にゴブリンは来ませんでした。
いや、狭いヤマトと違いこの華国では、たとえひとつ二つのイベントが発生しても、<冒険者>は気にも留めないでしょう。
だから……私は決意した。誰からも恨まれるこの策を使おうと」
「……それで、お前は西域を襲った遊牧民を使って、華国に侵入させたのか」
「ええ」
感情のこもらないベイシアの言葉に、レンインがまったく同じ声音で頷きを返す。
「ひとつ、言っていいか」
「どうぞ」
「お前は、大馬鹿だ」
「……!」
長年友人として付き合ってきたメイファですら背筋が一瞬凍りつくほどの、それは怒りに満ちた声だった。
横で聞くメイファですらそうなのだから、その視線を真っ向から浴びたレンインはなおさらだ。
その顔が一瞬赤く染まり、ついで闇の中でもわかるほどに青ざめる。
そんな「友人」を見つめながら、ベイシアは搾り出すように言った。
「確かにお前にしてみれば、考えた末の策だろう。俺たち華国の<冒険者>全員に恨まれる覚悟もあるのだろうな……だが、お前は、その策を実行することで背負うものがそれだけでないことに気づいているか?」
「背負う……もの?」
「そうだ。お前はその遊牧民や亜人どもを引き入れることで、どれだけの<大地人>が死ぬか、わかっているのか?」
「……!!」
レンインが今度こそ絶句する。
見つめる二人には、彼女のあえぐような息遣いさえはっきりと聞き取ることができた。
「お前の引き入れた連中に殺される男、犯される女、親をなくす子供、子をなくす親、彼らになんと言って詫びるんだ?
『華国を安定させ、<冒険者>を団結させるにはやむをえなかった』と言うつもりか?」
「……ですが、今だって同じではありませんか!
この華国にデザインされた戦乱によって民衆は死に、<冒険者>はそんなことなど気にせず正邪の戦いに明け暮れる!
そんな世界を作り上げたあなたたちに、それを言う資格はあるのですか!」
「ないよ。……そんなものはない。 道理がどうあれ、俺たちは<大地人>のことなんて気にもせずに戦いに明け暮れた。
もちろん、個々では守ったさ。だが、この世界を変えようなんて、誰も思わなかった。
今じゃ<冒険者>、いや、<江湖の好漢>なんてならず者の代名詞だ。だがな」
ベイシアの目がぎらりとレンインを射抜く。
「少なくとも俺たちは、積極的に悪に加担していたわけじゃない。
『<冒険者>は、どれほど身内で争っても<大地人>の敵には与しない』それが<大地人>たちの最後の希望であり、俺たちの最後の誇りだったんだ。
レンイン。
お前と、お前の意を受けた何者かは、その最後の誇りを崩したんだよ」
「レンイン」
続けて声をかけたメイファの声は、消しようもない重い疲労感に打ちのめされているようだった。
「あなたが、本当の意味で華国を変えようとするのであれば。
あなたは、そんな策なんて用いず、正々堂々と<黒木崖>に上り、ヤンガイジを倒すべきだった。
そうすれば、あの暴君に従わせられていた<邪派>の<冒険者>も、あなたに従ったことでしょう。
その上で、<正派>と堂々と雌雄を決するべきだった。
だけど、もうあなたにその資格はない。
ほかの誰が知らなくても、私とベイシア、そしてウォクシンは知っている。
レンイン。あなたとの友情は、この牢を出てヤンガイジを倒すまでのこと。
私はあなたを否定する、レンイン。
確かに私たちは冒険者に苦しみを味わわせたかもしれない。でもあなたの策の行き着く先がわかってる?冒険者は全てをなくしたのよ。正義も、信頼も、誇りも。
……遊牧民の集団をまとめている<后妃>という女性<冒険者>、彼女はあの日本人ね?」
「………ええ」
消え入りそうなレンインの声に、メイファはむしろ哀れむように言った。
「彼女はすべての憎悪を受けることになる。
それは、彼女を徹底的に打ちのめすことでしょう。彼女が望んであなたに従ったのかどうか、私にはわからないけれど、彼女はこの先、すべての<冒険者>と<大地人>の憎悪の的になるわ。
<冒険者>とはもう名乗ることはできないでしょうね」
「そいつだけじゃなく、この華国にいるすべての日本人プレイヤーもだ。
彼らは間違いなく排斥される。
レンイン。お前の愚行が、そこまでのことをしたんだ」
◇
レンインは膝を抱えて座っていた。
隣にはウォクシンがいる。
かつてはもっとも信頼を置き、<大災害>以降はどんなモンスターより恐れたかつての義父は、全身をだらりと弛緩させて浅い寝息を立てていた。
少し離れた場所では、ベイシアとメイファが話している。
この牢獄を出る算段を考えているようだが、彼女はそれに参加する気力すらなかった。
「……ウォクシン。私は、間違っていたのですね」
物言わぬ教主に、独り言のようにレンインは声をかけた。
「あの時。私が話した策をユウさんは黙って聞いていました。
その結果、彼女がどのような危難にあうかも。彼女の願いはひとつだけでした。
『華国の日本人プレイヤーをできるだけ多く、ヤマトに戻してほしい』
それだけで、彼女は黙って私に従ってくれたんです。ヤマトでの友情があるからと。
その結果、私は彼女に取り返しのつかない罪を犯させてしまった……私の罪を」
泣き声がかすかに響く。
その嗚咽が自分ののどから出たものと気づかないままに、レンインは言葉を続けた。
「ベイシアさんの言うことは正論です。今苦しんでいるからって、<大地人>をさらに苦しめる策なんて、作るんじゃなかった……」
「……イン」
はっとレンインは顔を上げた。
隣のウォクシンの口が、かすかに動いている。
だらだらと口の端からよだれを流しながら、確かにウォクシンは言葉を発していた。
「……レン……イン。お前が……つ……ミを……おカシたと…スルならば」
いつしか遠くの会話もやんでいた。
ベイシアとメイファも気づいたのだ。
「……ツ…グなエ。おれ……モ、手伝……ウ」
「ウォクシン!」
「罪……ヲ、犯しタノ…は、俺も……同ジ」
ウォクシンがよろよろと手を上げ、手元の篭手を見る。
<吸星の篭手>が、主を嘲笑うようにきらりと青く光った。
「ベイ……シア」
「なんだ、ウォクシン」
最初にメイファが見たときの余裕ありげな表情ではない。
必死の表情で、ベイシアが呼びかける仇敵の肩をつかむ。
その手をぎ、と握り返し、ウォクシンはこれだけははっきりと、告げた。
「ヤンガイジを、倒せ。武器は……鵬老峰に」
「鵬老峰だな。わかった!」
ベイシアが頷き、レンインを見る。
「すべての償いは、まずはヤンガイジを倒してからだ。ついてきてくれ、レンイン」
◇
ヤンガイジは最近、無性にいらだつ自分を感じていた。
教主、ウォクシンと、その義娘、レンインを捕らえて牢に放り込んだ。
それだけでなく、<正派>のベイシア、そして自分にことあるごとに反抗していた<五毒>のメイファも牢の中だ。
<嵩山>に拠る<正派>も、<嵩山派>総帥ランシャン率いる大規模戦闘大隊が、たかがモンスターの群れに押しつぶされたという。
いずれも喜びこそすれ、不愉快に思うことなど何一つない。
そう、頭では思っていても、ヤンガイジは不愉快だった。
(たかがモンスターごときに手もなくやられおって。これで<武林>の名声は地に堕ちた)
(ベイシアも、何をのほほんとしてやがるのか。<正派>がやられたのだぞ)
(まったく、どいつもこいつも)
憎憎しげに、手にした干し葡萄を噛み砕いたヤンガイジは、そばに控える女性<冒険者>にいきなり怒鳴った。
「おい! あの間抜けどもを引っ立てて来い! 余興がてらいたぶり殺してやる」
「それには及ばんよ」
ヤンガイジの怒声が消えないうちに、別の涼しげな声が重なった。
はっとして彼が見れば、美麗な中国風の甲冑にマントを羽織り、腰に長剣を差した若武者が開いた扉の前にたたずんでいる。
その横には、妖艶な衣をまとった美女と、墨色の道服をまとった少女、そしてヤンガイジが最も見たくなかった、簡素な鎧に豪奢な篭手と刀を差した偉丈夫がいた。
その集団の先頭に立つ鎧姿の男―ベイシアは、案内したと思しき<日月侠>のメンバーに軽く頷く。
「ありがとう。もうここでいい。君はみんなに伝えてくれ。ウォクシンは復活した。もうヤンガイジの言うことを聞かなくてもいい。<邪派>は全員、ウォクシンの指示に従え、とね……うおっと!!」
マントを翻し、ベイシアが飛びのく。
その瞬間、彼のいた場所にカツカツカツ、と針が突き刺さった。
大理石の床石も貫く、メイファ特製の毒針だ。
奇襲をかわされ、ヤンガイジが吼えた。
「貴様ら!ベイシアは<正派>だぞ! そいつの言うことに従うんじゃない!」
「その正邪ごっこも、今日で終わりだ」
ベイシアが静かに告げた。
「ヤンガイジ。俺たち華国の<冒険者>、江湖の侠は、拭いきれない罪を犯し、また犯し続けている。
この華国の<大地人>を苦しめる戦乱を放置し、今、さらに賊を跳梁させているという罪だ。
俺たちは失われた正義と、江湖の義気を取り戻さなければならない。
そのためにヤンガイジ、まずはお前を倒す」
ベイシアがすらりと剣を抜く。華国サーバに5本しかない、正真正銘<幻想>級の剣、<玄武神剣>が、敵を見据えてぎらりと輝いた。
元々、レンインの手段には無理があったということですね。
なお、ユウの依頼は、レンインだけがヤマトへ直行する<妖精の輪>の位置を知っていることによるものです。




