56. <城> (後編)
いろいろ詰め込みすぎたような気がします。
1.
「……本当に、良かったのか」
ぽつりと呟いた誰かの声に、答える者は無い。
周囲は大人数が動く時特有の、神経をささくれ立たせるようなざわつきに満ちている。
太陽は見えない。
しとしとと雨が降る道を、総勢500人近くの<大地人>が歩いていた。
女性、子供、老人、病人。
彼らはシュチの守っていた城市の、最後の住民たちだ。
老将が意を決して<冒険者>に頼らなければ、いずれ遠からず死ぬべきだった者たち。
わずか6人の<冒険者>という、僅かな守りに縋って生きようとする者たちだった。
◇
「民を守り、<嵩山>へ送り届けて欲しい」
シュチのその願いを、ムオチョウたちは当初断った。
当たり前のことである。
たった6人のパーティに、町の住民まるまるを無傷で逃がせなどと言うのは暴論を通り越した無茶だ。
ましてや、<冒険者>がモンスターに与し、その賊徒たちに<冒険者>の大軍が敗れたという情報が、華国を恐るべき速さで駆け巡っている最中なのである。
「わかっておる。貴殿らだけでは民を守れぬ。わが兵も連れて行って欲しい。
彼らは凶暴な怪物に立ち向かえぬが、山賊やエルフごときであれば引けは取らぬ」
なぜ、そこまで逃がそうとするのか。
問い質したムオチョウに、苦い顔でシュチが言ったのは、現在の華国の状況だった。
華国、と一言で言うが、現在この国は統一国家ではない。
かつての一つの王国を起源とする複数国家が乱立する弧状列島ヤマトのようでもない。
乱世なのだ。
隣の街の城主が王を名乗り、別の土地の地主は将軍を名乗る。
<冒険者>、<大地人>の有力者、あるいは戦雲に乗じて一旗あげようとする梟雄。
そうした人々が時に団結し、時に分裂しながら競い合う。
それが、ここ二百年ほどの、つまりは<エルダー・テイル>で実装された華国だった。
シュチは、今から数十年前、この中原の片隅にある名も無い街に役人として赴任した。
彼を送り込んだのがどういう名前の勢力だったのか、それはシュチも語らなかった。
どのみち、既に過去の存在となっているのだろう。
ともかくも、シュチは城に赴任し、年老い、城の全権者となった。
法も政府もない以上、彼は自力で町を守るほかなかったのだ。
彼は町を守り、町は人と共に栄えてきた。
だが、その命運も尽きつつある。
「<冒険者>が正しい道から外れたこと、そしてこの賊徒の流入。華国はさらに危険な状況です。
一つの城に頼り生き延びるのも限界がある。
かくなる上は、民を移住させても生き延びさせる他は無い」
断言したシュチの声に、フーチュンは尋ねた。
「しかし、移住と一口に言っても、行き先の当てはあるのですか?移住先にも人はいるでしょう」
「あまり喜ぶべきことではないが、長い戦乱で華国の人の数は減り続けておる。
そこここに耕すべき主をなくした土地があるので、心配はしておらぬ。だが、この状況では城壁も無い村を作ってもただ殺されるのみ。
賊徒の脅威が片付くまで、<嵩山>で匿ってはもらえぬか」
「どうだ?イーリン」
「……ええ、ええ。分かりました……念話で各幇に聞いてみたら、まだ土地や物資に余裕があるので大丈夫、とのことなんだけど……ね」
「援軍は?」
頭を下げるシュチを見て、困ったように頭をかくムオチョウに太い声がかけられる。
その声の主、ヴォーガンに対し彼は肩をすくめた。
「派遣してくれるってさ。人数は12人、戦士職と回復職中心だと」
「なるほど。じゃあ、合流してから出発したほうがいいな」
頷いたヴォーガンに、シュチが首を振る。
嫌な予感がしたように顔をしかめた<刺客>に、老将軍はゆっくりと告げた。
「数日は待てぬ。……斥候が賊の群れを発見した。連中はあと2日もすれば城を丸ごと囲むだろう。
逃げるには今しかない」
彼の声は、神託のような荘厳さすら保って、絶望を告げた。
「つまり、我々は城を捨て、わずかな戦力と共に、数百人の民を守らなければならないのだ」
◇
雨が、強まった。
フーチュンは雨具代わりにしていたマントを馬の上で被りなおし、騎手の変な動きに抗議の嘶きをあげる馬の、そのたくましい首をぽんと叩いた。
ふと、ユウのことを思い出す。
『雨の夜でも闇の中でも、人と言うのは意外と目立つものなんだ』
出会ったばかりの頃、廃城から<崋山派>の仲間たちのいる村へと向かう道すがら、
何を思っていたのかユウは唐突にそんな話をし始めた。
『不自然な空気の動き、体の体温、物が動く違和感。
人間ってやっぱり警戒心の強い猿だった癖が抜けないのか、そうしたものを感じ取れるそうだよ』
『そうした動きはどうやったら隠せる?』
『まあ、<追跡者>や、そうでなくても<暗殺者>の特技なら簡単だ。
あれは魔法のようなものだから。
そうでなければ、風の動きを良く見て、呼吸を抑えて、自分の手足を消すようなイメージで――』
ふと、気付く。
自分を見る何対かの視線。それは、一行の中央部左を、人々の列からやや離れて騎行する彼を、さらに左手にある小さな森から見ていた。
民ではない。
僅かな手勢を率いて、囮として出征しているシュチとその直属兵のものでも、ありえなかった。
そう考えた瞬間、フーチュンの手が音もなく震えた。
◇
「ぐはっ!」
フーチュンが短刀代わりに投げつけた長い針に貫かれ、叫びが響く。
その叫びの主は亜人ではない。ダークエルフでもなかった。
ボロボロの皮鎧をまとい、手に錆の浮き出た刀を握っている。
針に急所である目を的確に貫かれた男の顔には、数枚の道教めいた札が光っている。
<剣士>の特性によって生み出されたターゲットマーカーだ。
「人!?」
思わず叫んだフーチュンに、目を押さえたまま刀を振り回す。
だが、男が何か叫ぶより前に、マーカーを的確に射抜いたフーチュンの針が、男の首から上を消し飛ばす。
「敵襲!」
「<アンカー・ハウル>!!」
倒れこむ敵に一息をつくフーチュンの耳に聞きなれた咆哮が轟く。
同時に、前後から剣戟の音が湧き起こった。
「数は!?」
「数人! ……少なくとも、見えている分はね!」
イーリンの声が前方から響く。
彼女は<方士>だ。このパーティにおいては、貴重な回復役であると同時に、カシウスと並ぶ盾役でもあった。
彼女はイェンイが召喚した鉄人形と共に、最後尾を守るカシウスに代わって一行の最前列に立っている。
『みんな、聞こえるか?』
唐突に耳にムオチョウの声が響いた。
隠密に動く今回の護衛で、彼の果たすべき役割は魔法攻撃職としてのそれではない。
<道士>の呪文は確かに強力だが、同時に目立ちすぎるのだ。
それを弁え、彼は集団を率いるシュチの部下―<大地人>の将―のそばで仲間たちを指揮している。
『イェンイが確認した。敵は少数だ。<大地人>に被害はない。だがフーチュンの近くの何人かが逃げようとしている。倒してくれ』
「場所はどこだ」
『森を抜けかけている。騎乗している。逃げられたら厄介だ』
イェンイは<召喚士>だ。彼女たちには<幻獣憑依>という特技がある。
彼女は、召喚した大鷲に憑依し、戦場を俯瞰しているのだった。
まさしく鳥瞰図のように周囲を索敵する彼女は、一行の貴重な目だ。
<嵩山>からの<冒険者>と合流するまで、彼らが逃げ切るための最大の武器だった。
「任せろ!」
人―守るべき人々と同じ<大地人>を殺すためにフーチュンが駆ける。
主の意図を察した馬は、一声嘶くと急追を開始した。
たちまち、森を迂回し、必死で駆ける男たちの背中を捉える。
もはや豪雨と化した天候は、彼らの背中を妙に非現実的な揺らめきで包んでいた。
◇
「将軍!助けてくれ!お願いだ、知っていることは話したから!」
「無理だ、チャンドク。お前たちは何度も我々の追跡を逃れ、強盗を働いた。
華国は国はないが法はある。覚悟せよ」
「そんな! 俺たちも耕す畑を奪われたから、仕方なく! 頼む、頼む! たの」
<大地人>指揮官の剣が一閃し、涙と鼻水を垂れ流しながら男は顔を永遠に凍りつかせた。
その体が光となって消えていく。生涯を終えた命が大地に還っていくのだ。
<冒険者>たちが見守る中、ゆっくりと布で剣を拭き、鞘に収める。
無言のまま立ち尽くす指揮官―シュチの副官を、6人は息すら飲み込んで見つめていた。
結局、男たちはエルフに率いられた軍団の構成員ではなかった。
山賊だ。
彼らの、妙に使い古したような装備もそのためだった。
彼らはどこかの村の自警団の成れの果てなのだ。
「もともと、この中原でさえこうした輩は多かったのです」
必要な情報を聞き出した上で、命乞いをする男の首を刎ねた<大地人>の指揮官は呟いた。
その顔には濃い疲労の色がある。
「長い戦乱で民は襲われ、伝来の土地を失っています。そうした人々は武装し、他の村を襲う。
そうして<大地人>同士で争っているのです。ましてや、<冒険者>が頼りにならぬ今となれば」
ぽつりと言った声には諦観と悲痛、そしてかすかな怒りが漂っている。
『<冒険者>が華国の治安を守ってくれていれば』
黙って聞いていたフーチュンたちには指揮官の声が、そのように聞こえた。
「じゃあ、この人は……」
「元は我が……いえ、我々の土地の民だった男でした。仲間も、すべて」
ヴォーガンが小さく呻き、イーリンがふらりとよろめいた。
指揮官は、表情を凍らせたままだ。
そして言う。
「チャンドク……先ほどの男の村が別の山賊に襲われたことを知ったのは、襲撃から半月も過ぎてからでした。村人の多くが殺され、生き残りは姿を消した。
同じく賊になったと知ったのは、また別の村が襲われた時です」
ぎり、と拳を握る音がする。
小さな音は、周囲の豪雨も、立ち止まって怯えている<大地人>たちの奏でるざわめきもすり抜けて、6人の耳に確実に届いた。
おそらくは誠実に町と人を守ってきたであろう男の上げるひそやかな悲鳴だ。
「将軍……」
「私はね。終わりの見えない戦乱に苦しむより……遊牧民や亜人の王であっても、華国がまとまるのであれば、むしろ賊の華国への侵入は良かったのかもしれない……そう、思うときもあるのです」
途切れ途切れに聞こえたその声は、絶望というスパイスを甘やかに塗していた。
2.
フーチュンたちが<嵩山>からの援軍と合流するまで、それから2日。
後方から多数の馬蹄の音が振動となって、街道を歩く一行に届いたのは、あと数時間で合流できるかという午前のことだった。
数日前まで降り続いた雨はやみ、黄色味がかった晴天が一行を照らしている。
ぬかるんだ道のそこここにある水溜りがぱちゃぱちゃとゆれ、はっと緊張した<冒険者>に、<幻獣憑依>中のイェンイから報告が入る。
『後方、騎馬多数。服装からダークエルフ。ゴブリンやノールは見当たらないわ……ちょっと待って、変な兵士が……きゃあっ!』
悲鳴が響き、はっと見上げたフーチュンの目に、矢を何本も突き立てられ、よろめくように羽ばたく大鷲の姿が見えた。
憑依中の<召喚士>は、憑依している幻獣のステータスを自分のものにできると同時に、受けたダメージも自らが受けたのと同様に食らうことになる。
かすかに痙攣して消えた―召喚を解除されたのだ―大鷲を見て、フーチュンたちはあわてて列の最後尾に向かった。
徒歩の民衆を抱えてのフーチュンたちと、全員が騎馬の遊牧民。
<冒険者>と、<大地人>指揮官が列の最後尾にたどり着いたときは、すでに遠くに見えていた土煙はごく近くにあり、走りよるエルフたちの表情すら鮮明に見えるほどの距離となっていた。
しかし、彼らが驚いたのはエルフたちの速度にではない。
「シュチ将軍!!」
<大地人>指揮官が思わず悲鳴を上げる。
そう。
遊牧民たちが一頭の空馬に載せ、両手両足を縛って連れてきたのは、
わずかな兵士たちと共に囮を勤めていたはずの老将、シュチだった。
◇
草原に暮らすエルフの一人、ハンバダイ族のアラクは、下卑た笑いを抑えきれずにいた。
あの大族長を僭称するクリアキン族のザハルスの鼻をわずかでも明かそうと、手近な城に攻めかかってみれば、人もいなければ物資もない。
地団太を踏んで悔しがっていたところ、斥候が少数の人間たちの集団を二つ見つけたという。
片方を襲ってみれば、城の将であるチャン・シュチを捕虜にすることができた。
もう片方はといえば、こちらは物資を担いだ民衆だという。
一旦は得られないと思った獲物を目の前にし、彼は丸々と太った羊を見つけた狼のように残虐に喜んでいた。
だからだろうか。
彼は、いきなり攻めかかるのではなく、まずは言葉を民衆たちに向けた。
「俺はハンバダイ族のアラク・ズァロだ。お前たちと交渉してやろう」
「シュチ様を放せ!」
激怒して剣を抜いた何人かの兵に、瞬く間に矢が突き刺さる。
倒れこむ兵士を見下ろし、アラクはいやらしげに笑った。
「交渉はこうだ。今すぐ降伏して<冒険者>は去れ。そうすれば兵士どもとこのジジイ、それから貴様らのうち役に立たぬ年寄りや病人は生かしておいてやる。さあ、頷け」
「そんな交渉があるか……っ!」
思わず叫んだフーチュンを冷たい目で見て、アラクは後ろにあごをしゃくる。
「やれ」
「……っふ!」
<大地人>指揮官―副官の声にならぬ悲鳴が空気を揺らした。
シュチの指が一本、短剣によって無造作にちぎり取られたのだ。
フーチュンたちの目には、シュチのステータス画面に光る<激痛>の二文字が鮮明に浮かび上がるのが見えた。
口を噛む敵に向かってアラクは笑う。
「ほら、どうした?<冒険者>の鍍金は既に俺たちには利かんぞ。
仮に俺に襲い掛かっても、守ろうとした民ごと殺されるのはお前たちだ。
お前たちは死ぬと記憶をなくすみたいだなあ?
キオクというのは大事なんだろう?
それに、お前たちが襲い掛かる前にこいつを殺せるぞ……そこの<刺客>!」
最後の鋭い叫びは、ヴォーガンに対してのものだ。
「お前、姿を消してみろ。すぐさまこいつを殺し、俺は俺の兵士にお前たちを蹂躙するよう命じる。
既にお前には何人もの兵が狙いをつけている。
たとえお前の姿が見えなくとも、一面に矢を降らせるからな」
「……クソ」
ヴォーガンが懐に入れた手を離す。
アラクは狡猾にも、自分が常に囚われのシュチの陰になるように動いていた。
しばしの沈黙の後、ゆっくりと副官の首が前に倒されようとする。
その彼を止める兵はいない。
民衆を守ることは兵士の本義と知りながら、それでも彼らはシュチに心酔していた。
敬愛する上官を見殺しにすることは、その場の兵士たちの誰もができなかったのだ。
だが。
「……エルフよ」
かすかな声がした。
◇
「あん?」
声を発した男、激痛で息をするのも苦しいはずのシュチをアラクが振り向く。
黒い瞳と青い瞳が交差した。
「……エルフよ。提案がある」
「……ジジイに発言を許した記憶はないぞ。やれ」
ベキィ、と耳に障る音が再び響き、シュチの体がかすかに震えた。
だが、声は震えることなく続く。
「私を殺せ。この首、いささかの価値はあると自負している。
私を殺した証拠に私の印章を渡そう。華国中原に明るい者がいれば、首の値段を教えてくれるだろう。
だからこの民と兵も逃がしてくれ」
「将軍!!」
<大地人>指揮官の声はもはや絶叫だ。
「将軍!!命を粗末になさいますな!! 御身の価値はわれらがたとえ一万人いても勝ります!」
「目的を見誤るな!」
激痛にさいなまれているにもかかわらず、叱咤するシュチの声は鋭い。
「このような状況にあって、指示は明確に伝えたはずだ。従え」
そういって首を差し出したシュチを、アラクは詰まらなさそうに見やると、不意にその手が閃いた。
ごとり。
2m近くの高さから落ちた首は、思ったより大きい音がした。
「まあ、交渉は不調ということで。いいか、<冒険者>ども。余計なことをすればお前らも射」
「<火炎衝>っ!!」
あっさりとシュチの首を落としたアラクがぎょっとする。
射るぞ、という言葉が彼ののどを通る直前、業火と熱風が彼の横をすり抜けたのだ。
火にあおられた馬が大きく前足を上げ、アラクは―遊牧民には屈辱的なことだが―どたりと無様に落馬した。
「な、な!? 記憶がなくなってもいいのか!? いくらレベルが高くとも数にかかれば」
「黙っていろ。お前を殺すのは後だ」
すかさず忍び寄ったヴォーガンがアラクの腹を殴りつける。
血反吐を吐いて転がりまわるエルフの足を彼が踏み折る間に、状況は大きく変わっていた。
ここでアラクが、事前に別働隊を回りこませてでもいれば、状況は変わっただろう。
この場に<冒険者>は6人しかいないのだから。
だが、彼はそれをしなかった。
アラクは、クリアキンの妾の言葉によって崩れ立つ<冒険者>を見ていた。
無数の矢を突き立てられ、津波のような数の暴力に押しつぶされていく1,500人の<冒険者>たちを。
レベルが高いから勝てないのではない。
個々の能力では劣っていても、数によって勝てるのだ。
レベルの差とは、絶対的な強弱の差ではない。
それまで長年、レベルというものを絶対視していただけに、アラクの、そして彼ら草原のエルフが集めてきた賊軍には、乱れ、敗北する<冒険者>の姿は、衝撃をはるかに超えた何かとして脳裏に強く刻印されてしまった。
そして、彼ら草原のダークエルフは騎兵だ。
どれほど強くとも、たとえ跳ね飛ばされてもかすり傷だと分かっていても、騎兵の突撃を平然と耐えうる歩兵などほとんどいない。
殺意を秘めた500kgの肉塊が突進してくるのだ。
事実、その衝撃によって、絶大な武勇を持っているはずの<冒険者>の心は折れた。
それを強く脳に焼き付けていたからこそ、アラクは意図して<冒険者>を軽んじたのだ。
そして、アラクに率いられた数百の兵団は、ダークエルフたちの中で最初にその報いを受けることとなった。
『絶対的な強弱の差がない』というのは、『強弱の差がない』という言葉と同義ではなかったのだ。
「<崩雪衝>! ……<火炎衝>! <溶岩球>!!」
MPを惜しみなく注ぎ込み、ムオチョウの両手から凍てつく氷が、溶岩の火球が放たれる。
弓を構え、あるいは槍を手に突進しようとした遊牧民たちがたちまち飲み込まれ、瞬く間に光に変わっていく。
その横では、辛そうにしながらイェンイが片手を天に掲げていた。
「出なさい!鳳凰!麒麟!鋼尾翼竜!」
既に出していた鉄人形とあわせて4体の同時召喚に、自分たちの危地も忘れて遊牧民たちが畏怖のため息を漏らした。
<大地人>である彼らにとっては一生に一度、目にする可能性も低いほどの神獣なのだ。
「仇を討ちなさい!」
凛とした声に応ずるように、召喚獣たちが吼えた。
その下を、アラクを<大地人>指揮官に向けて蹴り飛ばしたヴォーガンと、<砂塵剣>を構えたフーチュンが走る。
先ほどの交渉の時点で既に馬から降りており、二人の武器攻撃職は騎乗していたときよりなお速い速度で騎兵の群れに突っ込んだ。
「<円風廻四方>!!」
<剣士>たるフーチュンの最も得意とする戦場、1対多数の殲滅戦に、彼の中の獣性が蘇る。
首と引き換えに民を助けようとし、命を落としたシュチ。
華国を襲う蛮族たち。
それを率いるユウ。
そうしたすべてへの限りない憤りをこめて、フーチュンは飛ぶ。
ヴォーガンも負けてはいない。
何事もそつなくこなす男だが、本来彼は移動力に特化した構成の<刺客>だ。
敏捷度を上げている点ではユウと同じだが、彼はより斥候向きといえる。
今、彼は自らの選んだ能力を殲滅という目的のためにすべてつぎ込んでいた。
「<縮地歩>」
彼の姿が掻き消える。
敵を見失い、馬を棹立ちにさせた騎兵は次の瞬間、頚動脈を斬り割られていた。
騎兵を歩兵が蹂躙する。
<大地人>同士ではありえない光景に遊牧民たちが浮き足立った。
一旦衝撃力を失えば騎兵は脆い。
そして、<冒険者>に限った話でなく、戦意を失い烏合の衆と化した軍が殲滅されるのもまた、道理だった。
◇
数時間後、静けさを取り戻した戦場に、10数人の人影がある。
既に日は大きく傾き、木々の影が北東を指して長く伸びていた。
人影の一人が、大事そうに何かを拾い上げ、ゆっくりと立ち上がった。
「見つかったのか」
「ああ」
声をかけたのはフーチュンだ。
返事をした<大地人>の手が、大事そうに印章を握り締める。
「俺は、許さない。こんな華国を。華国を更なる混乱に陥れたあいつを」
静かに俯く<大地人>の指揮官―既に民衆を<嵩山>に向かわせているため、彼の指揮官の任務は一時的に失われているが―に、フーチュンは告げた。
その声には、それまでの彼とは異なる色彩、憎悪が深くたなびいている。
「いいのか」
<黒木崖>以来隣にいる異国の騎士が労わるように問いかけたが、彼は聞こえなかったかのように話し続けた。
あるいは、もはやいないシュチに対する言葉だったのかもしれない。
「民衆が山賊になるしかない世界も、蛮族にいいようにされる世界もおかしい。
俺はユウを、この戦いの元凶を討つ」
「あいつは一押ししただけだ。華国の騒乱はあいつだけのせいじゃない」
「それでもだ!」
怒鳴ったフーチュンは、しかし再び口調を暗鬱なものに戻して、まるで囁くように言った。
「俺はこの世界を変えたいんだ。もう<正派>も<邪派>も関係ない。国同士の諍いなんてゴブリンにでも食わせてしまえばいい。
シュチ将軍みたいな人が死ななければならない世界は間違っている」
「なら、そのユウって人に会わなければな」
ムオチョウがぽつりと呟いた。
それに対するフーチュンの返事は、黄昏の暗闇に誰にも聞き取られないまま溶けていった。




