52. <砂塵の決闘>
1.
ヒュン、ヒュン、と弓弦が鳴る音が響いた。
<高昌>の兵たちが城壁から敵を射る音だ。
だが、どれほど当たっているのか。
城外から響く無数の馬蹄の轟きの前に、効果は城門の内からは見えない。
「……攻めて、こない?」
<冒険者>の一人が訝しそうな声を上げた。
確かに、城の外を疾駆する音はするが、城壁に衝撃が与えられる音は、いくら待っても聞こえてこなかった。
「相手は遊牧民、ということは騎兵。城から引きずり出すことが目的なのか?」
ジーシオンも呻く。
その言葉に答えたのは、意外にもカシウスだった。
巨体を仁王立ちさせたまま、彼は先ほどまでの混乱が嘘のような沈毅な姿で腕を組む。
「おそらくは、挑発と威圧……だろう」
「カシウス」
「俺は趣味で歴史を学んでいてね。軍事史も一応、それなりには知っている。
連中が現実のアジア遊牧部族同様の存在だとすると、まずは連中は降伏勧告から入るはずだ。
端的にいえば、連中への租税の貢納と君主権の移譲を条件に、街の保全を約束する。
それに城側が応じなければ今度は交通の手を絶つ。
この高昌は交易都市だ。周囲の交易路の安全を確保できないことは致命的だろう」
「なるほどね」
ユウも頷く。
彼女が知るのは主に日本における攻城戦だが、街と城がある程度分離していた日本と違って、ここユーレッド大陸は、史実のユーラシア同様に町の存亡は城のそれと不可分だ。
高昌のような交易都市にとって、『安心して商人が通れない』ということはそれだけで街の死命を制する。
「であれば……このまま降伏もあり得ますね」
「ああ」
レンインが呟き、<正派>のリーダーが頷いた。
さすがに侵略を前にして、国家だの正邪だのに拘れなくなった証拠だ。
ユウは柄でもない、と思いながら周囲の<冒険者>を見回した。
「さて。 状況は理解できたように思う。今は出身国や、属する派閥に拘る時期ではないと思うが」
「……そうだな」
ユウに投げ渡された解毒薬を飲んだ<方士>―ヤマトでいう<施療神官>―が身を起こしながら言った。
直前までの激痛を思い出したのか、その顔は引きつり、<冒険者>特有の端正な顔を大きく歪めている。
「で、えらそうに説教をしてくれたお前はこれから何をしようというのだ、日本人」
その<方士>にユウは静かに言った。
「まずは指揮官の腹積もりを聞かないとな。それによっては、脱出もあり得る」
◇
砂岩で出来た王宮は、街の中心部やや奥にあった。
<火炎山>を模しているのか、炎のような屈曲した紋様の扉を開けると、兵たちの切羽詰った声や、忙しく行きかう姿が16人の<冒険者>の目に留まる。
誰もが叫びあい、武装した兵士たちの足音が宮殿の隅々まで木霊しているかのようだった。
戦場なのだ。
思わず<冒険者>たちの足が止まった。
当然ながら、彼らに戦場の経験はない。
これが徴兵制の国――たとえば北朝鮮や韓国のプレイヤーがいれば別の感想を持ったかもしれないが、彼らにとって戦争とは、遠い別の国か、あるいは歴史上の数行の記述でしかないのだ。
「何者だ!!」
立ち止まっていた彼らが目立たないわけがない。
怒鳴るように誰何した壮年の士官は、ユウたちの顔を確かめるように眺めると、唇を曲げた。
「江湖の<冒険者>殿か。貴殿らは場所もわきまえず、先ほど城門で騒いでいたと聞いているが、われらが<高昌城>のことを覚えておいていただけたとは、まことに恐悦でござりますな」
どぎつい皮肉に、<正派><邪派>、いずれの<冒険者>も唇を噛む。
そんな彼らをふん、と鼻を鳴らして通り過ぎようとしたその男に、ユウは声をかけた。
「王陛下はいずこにおわす? ご不快は重々承知なれど、陛下にお目通りを願いたい」
「ふん。陛下は今重臣がたと会議じゃ。 お会いになれぬし、どのみち行ったとしても叩き出されるのが落ちであろうよ。
場の状況も弁えず、身内で争うような者ども、われら高昌には不要」
「……そこをまげてお頼み申し上げる。この城に落ちてほしくないのは我々も同様」
頭を下げるユウの脳裏には、城門に入っていく人々の姿が映っている。
その姿を見下ろしていたその士官は、ややして宮殿の一奥を顎でしゃくった。
「王陛下はあれなる議場におられる。しかしわれら高昌の軍民いずれも、貴殿らを快く思っておらぬこと、弁えられよ」
「感謝する」
礼を言って走り出すユウたちの背中に、聞こえよがしの声が浴びせられた。
「武勇は絶人と聞くが、心映えは小児そのもの。あのような連中、なぜユーララ神はお遣わしになられたのか。不快きわまる」
◇
「何用か」
衛兵が舌打ちとともに開けた扉の向こうから投げかけられた視線と言葉は、先ほどの士官の態度などむしろ親しみがあったかのように思えるほど、凍てついたものだった。
敬意を表するため、片膝をついた<冒険者>を、正面奥から王らしき若者が、その左右から重臣らしい男女が見下ろしている。
その目は一様に深い軽蔑と失望に彩られていた。
「初めて御意を得ます。わたしは……」
「<正派>だの<邪派>だのと名乗りあって殺しあっておる<冒険者>であろう。知っておる」
レンインの声を遮り、王が言った。
自分たちの公主への無礼な言葉に、おもわず立ち上がろうとした<邪派>のリーダーを、片手でカシウスが止める。
レンインは、そうしたすべてを気にしないかのように、再び頭を下げた。
「お怒りはごもっともですわ。ですが、われら<冒険者>でらちを明ける戦局があるのも事実。
王陛下におかれては、われらもお使いくださらぬかと」
「味方同士でいつ殺しあうかもわからぬ連中を使えと? そなた、兵の常道を知っておるか?」
「兵の常道?」
「向背定まらぬ狼よりも、統制される馬のほうが戦には必要。
死んでもどこかで生き返るそなたらと違って、われらの命はひとつなのでな。
生憎だが、そなたらに頼むものはなにもない。去れ」
「王! ではむざむざと軍民ともに死ぬと仰せなのですか?」
「<冒険者>に後ろから撃たれるよりはマシであろうよ」
王とレンインの会話を聞きながら、内心ユウは頭を抱えていた。
いまさらながらに、アキバとの違いを思い知る。
アキバでは、<大地人>への暴力や略奪があったが、その期間は短かった。
一旦<冒険者>が統制を取り戻せば、<大災害>以前の<冒険者>への印象――モンスターを倒してくれる英雄――という印象が先に立っていたのだ。
だが、この華国では一年近く、<冒険者>が統制を取り戻すことはなかった。
そのためもあって、<大地人>は<冒険者>に対する信頼を地の底まで落としているのだ。
しかも、とユウはさらに思う。
そうした印象を補強するかのように、彼女らは城門前で流血沙汰寸前の騒ぎを起こしている。
あれによって城門を閉じるのが遅れれば、今頃市内は阿鼻叫喚の嵐であったことだろう。
王の怒りも故ないことではない。
だが、ここで怒りに任せて座を蹴ってしまっては、折角敵を前に一瞬遺恨を忘れている<正派>と<邪派>の対立は永遠に解消しない。
それがわかっているからこそレンインも、胴を刀で抉られるような言葉を叩きつけられてもじっと頭を下げているのだろう。
「われらは誤っておりました。<冒険者>の正邪の争いは決して故なきことではありませんなれど、今まさに危難に遭おうとする<大地人>を前にして優先させるべきものではありません。
民を輔け悪を滅する。それが我々、武林の侠者の掲げる義気です。
どうか、今一度の機会をお与えいただけませんか」
「王よ!!この者たちの言葉、片言でも聞けば耳が穢れます!すぐさま高昌からたたき出すべし!」
「いや、将軍。何らかの策があるのではないか? 叩き出すのはその後でも遅くはなかろう」
「何を言われる、宰相! この者たちはまかり間違えばあの耳長どもを城に引き入れていたかもしれないのですぞ!」
「……静まれ」
いつしか目を閉じていた王が目を開けた。
燃えるような瞳がまっすぐにレンインを見、そして言葉が放たれる。
「聞こう。義気を掲げる江湖の女傑よ。
そなたらは我ら高昌とは何の関係もない。逃げたところで誰もそなたらを責めるものはいないだろう。
なぜ、そなたらから見れば圧倒的に弱いわれらにここまで蔑まれ、憎まれても残って戦おうとする?
ほんの一時死ぬまでに、負け戦を経験したいからか?」
レンインも、その瞳を真正面から受け止めた。
目の奥には、高昌王に負けないほどの炎が宿っている。
その瞳がちらり、ちらりと左右を見た。
彼女の後ろには右に<正派>、左に<邪派>の<冒険者>たちが並んでいる。
ユウには、レンインの目がかすかに、さらに後ろに居並ぶ自分やフーチュンを捉えたように見えた。
「ひとつは民のため。われらの絶世の武勇で<大地人>の民草を守るため。
ふたつはわれらのため。無為な争いを捨て、真に義侠へと立ち戻るため」
「それは、今、この場においてでしかできぬものか?」
「諾」
場が凍った。
誰もが息ひとつつけぬまま、二人の指揮官は目を見交わし続ける。
いつまで、そのにらみ合いが続いたか。
ほう、と王がひとつ息を吐いた。
そして続ける。
「では、武侠の姫よ。そなたらの参陣を許そう。
みな、聞いたな。これより<冒険者>殿はこの私、高昌王の賓客だ。
それなりの礼遇をもって当たれ」
「ははっ」
真っ先に頭を下げたのは、もっとも強硬に<冒険者>の排除を謳っていた将軍だった。
「なんだ。さっきまで俺たちをゴミを見るような目で見ていたくせに」
小さく呟いた<邪派>の<拳士>を、じろりとユウが睨む。
「なんだよ」と突っかかる彼に、ユウは鋭く言った。
「あれが家臣のあるべき姿だ。黙っていろ」
「チッ……」
「では、諸君らにはこの場に残っていただこう。先ほど、城外のエルフどもから使者を派遣する旨が届いたのでな」
衛兵に渡された紙をひらひらと振る王の言葉に、その場の<大地人>や<冒険者>の顔が一様に強張った。
2.
「王陛下。まずは謁見をお許しいただき恐悦至極」
しばらくして。
議場には、王とその左右に並ぶ将軍と宰相、3名の<大地人>の姿と、重臣たちの代わりに椅子に座ったレンインたち<冒険者>の姿がある。
城外にキャンプを構える<クリアキン>部族の使者と名乗った男は、エルフらしい細身の体を、どこか中国風な皮鎧に包んだ、外見上は30前ほどの青年だった。
そのステータス画面には「ザハルス <剣士><遊牧民> 45レベル」と書かれている。
男は、王の前で雑に抱拳礼をしただけで、膝もつかずに椅子に座った。
その無礼に将軍の眉がぴくりと跳ねるが、口に出しては何も言わない。
「ザハルス卿。遠路はるばる高昌までようこそ。交易が目的かな?」
「そうですな。交易も目的のひとつです」
宰相がこっそりと息を吐くのを横目に、ザハルスと名乗ったエルフは下卑た目で王の周囲を見回した。
その目がリーシェ、ユウ、そしてレンインと順に留まる。
特にレンインの清楚な顔立ちをじっと見つめた後、ザハルスは嘲るように言った。
「それにしても、さすがは名高き高昌の王陛下。砂漠にも稀な名花を3つも手にしておられるとは」
「彼女らはわが家臣でも縁者でもない。江湖から参られた英雄好漢の方々だ。
……ザハルス卿。生憎だが私には、貴殿と語り合うほど十分な時間がないのだ」
「……では、わが部族長からの伝言をお伝えいたす。
王陛下には、格別のよしみあって、城門を即刻開けられ、われらを迎え入れていただきたい。
さすれば、王陛下はわが族長の庇護の元、王権を保つことができるでありましょう。
われらは高昌の民にも兵にも無意味な殺生をせぬつもりだ。
貢納するものは、後々お伝えいたす。
聞けば、王陛下の祖母君はわが部族の縁戚にあたるバルドゥル氏族の姫君とか。
わが族長はいわば王陛下にとって叔父君に当たるとも言える。
甥が叔父に従うのは血縁からみても自然に思えるが、如何に?」
「……面白い冗談だ。砂漠にいると、脳が煮えて冗談の才も伸びるのか?」
「何だと!?」
嘲弄のたっぷりと入った言葉に、激昂したザハルスに王はぴたりと指をさした。
「ザハルスとやら。文明国の礼儀として殺さずに帰してやるから、戻ってそなたらの族長に伝えよ。
この高昌、取りたくばそなたの部族の血をもって購え、とな」
「……いいのですな!? そなたらを一人残らず捕らえ、皮袋に入れて馬で踏み潰す未来しかないとしても」
「くどいわ、ザハルス。とっとと去れ」
「わかった!」
席を蹴ったエルフは、憎憎しげに王を見下ろし、叫んだ。
「さてもこの<西域>でも群を抜く愚王よ。おのれの放言の過ちを、首を裂かれる時に泣き喚きながら悔やむがいい。
約束してやる。そなたは決して楽には死なせん。
その3人の美女がわれらに抱かれるのを見ながら、生きながら八つ裂きにしてやるぞ!」
「楽しみに待とう」
「ふん!」
鼻息を残し、ザハルスが去ると、誰ともなくふう、とため息が漏れた。
ややあって、王が静かに告げる。
「これで交渉は決した。われらはこれより篭城戦に入ることとする」
「お嬢さん、俺たちも」
<正派>の一人が声をかけ、レンインは王の目を一瞬見て、静かに頷いた。
「ええ。戦うんです。<大地人>のために」
◇
砂漠の月は艶やかだ。
ユウは、城壁に座り、空を見上げていた。
現実の地球での出来事が、まるで夢のような思いがする。
あの日。
<エルダー・テイル>に飲み込まれるその日まで、まさか自分が砂漠の都市でこうして月を見上げることになろうとは、思いもしなかった。
「『月の砂漠』という歌が、日本にあると聞きました」
「ああ。あれは確か海岸の風景だったと思うよ。実際は日本国内の砂浜を歌ったものだから、沙漠の沙の字がさんずいなのだと聞いたね……レンイン。眠れないのか?」
そういってユウが振り向いた先に、すごしやすい薄着に着替えたレンインの姿があった。
彼女は砂を払ってユウの隣に座ると、静かに空を見上げた。
「……私は、間違っているでしょうか」
レンインの声は、砂漠に溶け消えるようだった。
ユウは直接答えず、空を見る。
月の光に隠されているが、巨大な銀河が無数の星々を従えて天空に身を横たえていた。
やがて、ユウの口が開いた。
「知ってるか? ある人によれば、あの星の海には宇宙に出た人々が住んでいて、星間国家を作っているそうだ」
「え?」
「彼らは無数のスペースコロニーを作って、惑星を開発し、人型機械や宇宙戦艦を作り、銀河を舞台に戦争しているんだそうな」
「あはは……嘘でしょう?」
「嘘だよ」
咎めるように見たレンインに、ユウは視線を向けた。
その顔がやさしく自分を見ていることに、レンインはふと、目の前のユウが元男だったことを思い出す。
俯いた<道士>の少女に、ユウは穏やかな口調で声をかけた。
「策が、見つかったんだな?」
「……ええ、ですが、それはきっと多くの人が蔑み、怒り狂うような策です。
私は、義侠の名にふさわしくなくなってしまった」
「それは、たとえばフーチュンが聞いてもそう思うような策か?」
「ええ」
「だが、しなければいけないんだろ?」
「ええ。必要だと、思います」
無数の懊悩を乗り越えたのだろう。レンインの声はきっぱりとしていた。
だからこそ、ユウも何の気なしという調子で答える。
「なら、手伝おう」
「いいんですか? ……ことがばれたら華国の、いえ、セルデシアのすべての<冒険者>が唾棄するかもしれないのに?」
「すべてとはまた大きいねえ。……でも手伝うよ」
小さく鼻をかむ音がする。
レンインが静かにすすり泣く音だった。
「あまり誇大的な言い方は好きじゃないんだけども。
レンインは策を立てるのが仕事だ。華国の<冒険者>を正邪の区別なく、また出身や国籍の区別なく団結させるための策を立てたなら、実行するのは私であり、カシウスだ。
そしておそらくフーチュンも。
この戦が終われば、どこへ行くつもりだ?」
「北辺へ」
涙声で短く答える彼女に、ユウは彼女の『策』が分かった気がした。
泣き止まない彼女の肩をぽんぽんと、父か兄のように叩く。
そのまま、二人は静かに夜空を見つめ続けていた。
3.
王が使者を追い返して4日目の朝。
普段なら牧童や商人たちの奏でる、騒がしい生活音で始まるはずの高昌の朝は、天を裂く轟音で幕を開けた。
「なんだ!?」
あてがわれた部屋で、<邪派>のリーダーである<刺客>、ファーリンが叫んだ。
手の中の朝食、帕爾木丁がぐしゃりと潰れる。
羊の肉を叩いたミンチを、クレープに似た皮で包んだ、高昌の名物料理だ。
肉と脂が手を汚すのもかまわず、ファーリンは窓の外を見た。
彼の目に、城壁を飛び越えて降ってくる巨大な石が見える。
「投石器か! 連中、思ったより用意周到だな!」
同じ光景を見た<正派>のリーダー、<武当幇>のジャーシュアが呻いた。
正邪関係なく、車座になって食事をしていた16人の<冒険者>が立ち上がる。
彼らがそのまま王の下へ駆けつけたとき、王は側近と何か話していたが、駆け寄ってくるレンインたちを見るや「おお」と手を上げた。
「陛下!戦況は!?」
「これ、叩頭せぬか」
「よい、将軍。 このまま逃げ出せばよいと思っていたが、仕方ないな。
江湖のかたがたは持ち場についてくれ」
短く指示を出すと、再び地図を手に忙しく話し始める。
レンインは全員を振り向くと、告げた。
「では、行きましょう。まずは防壁を確認したうえで、相手の主力を確認。
一気に攻めつぶします」
◇
「それにしても、向こうの攻撃が始まるまで待たなくても、俺たちが先に行けばよかっただろうに」
「いや、それは下策だ」
城壁への道すがら、<邪派>の弓使いジーシオンが呟いたぼやきに、隣を歩いていたカランバルという名前の<正派>の侠客が口を挟んだ。
お互い、数日前は剣と矢を突きつけあった間柄だが、数日の共同生活はいささかながらもわだかまりを解いたらしい。
会話する二人に、正邪の派閥による敵意も、フィリピンと中国という出身国による隔意もなくなっていたようだった。
「どういうことだよ?」
「このあいだ、エルフどもの使者が来たとき俺たちが顔を見せただろ。
あれで向こうの族長が警戒して部族を離れた。
あの直後に奇襲したとしても、逃げられた可能性は高い。
あえて攻めさせて、連中の足を止めてから襲う必要があったんだ」
「だがさ、こっちには遠距離攻撃職がお嬢さんを入れても3人もいるんだぜ。
取り逃がすとは思えなかったけどな」
「その代わり、城方の準備も十分じゃなかった」
ユウが口を挟む。
振り向いたジーシオンとカランバルは怪訝そうに首をひねった。
「準備?」
「私たちが王にあった日、城から出た騎馬を見たろ?」
「ああ……そういえばいたな」
彼らは数日前、城門をひそかに開け、夜陰にまぎれて城を出た数騎の兵を思い出した。
「あれはおそらく、周辺を通る商隊や遠くの遊牧民に、敵の襲来を知らせる使者だ。
何も知らずに高昌に近づけば、連中にとっ捕まって開城の人質にされるだろうからな。
だから、周囲の民が無事に逃げるまであえて連中を追い散らさなかったんだろう」
ユウの説明に二人は納得したようで、何か軽口を言いながらも駆けていく。
その背中を見つめるユウに、不意にフーチュンが声をかけた。
「なあ、ユウ」
「なんだ?」
「最近、レンインが沈んだ顔をしていることが多いんだが、ユウは何か知っているか?」
冷静沈着な女<暗殺者>の顔が一瞬歪んだ。
その瞬時の表情の変化にも気づかず、フーチュンは沈んだ顔のまま、腰の<砂塵剣>を叩く。
「あいつ、また何か困っているんじゃないかと思ってさ。
俺でよければいつでも力になるのに、水臭いよなあ……」
不意に、走りながらユウはフーチュンの肩を抱え込んだ。
いきなりの行為に彼の足がもつれ、ユウの豊かな胸が肘に当たってその顔が真っ赤になる。
「な、なんだよ!?」
「お前さん、心配ならそう言ってやれ。人間、言葉を交わさなければ分からないものもあるからね」
「だ、だけどさ。江湖を渡る一端の侠が、そんなこと……!」
「いいか、少年。おっさんのたわごとと思ってくれていいが、胸に秘めた純愛なんてクソの役にも立たんぞ」
「はあ!?」
「気になるなら言え。悲しんでいるなら慰めろ。相手が大事なら百万言費やしてでも言え。
……言おうと思ったときにはもう相手が自分を向いていない、なんてこともあるからね」
フーチュンを離してユウはそう言うと、足を速めて城壁に向かう。
怪訝な顔で残されたフーチュンを、後ろからバシ、と大きな手が叩いた。
見れば、出会った初日に自分を吹き飛ばした、フィリピン人の<正派>の<道士>、ランワンだ。
「あの日本人の言うとおりだ。お嬢さんが大事なら、きっちり言えよ、少年」
「そうそう。男は大体、後になって悔やむものなんだから」
隣を走っていた中国人の女<剣士>、リーシェも面白そうに口を添える。
それ以外の仲間たちも、正邪関係なく、フーチュンに暖かい笑みを向けていた。
国も派閥もなく、ただ年下の恋に悩む少年を見守る年長者の目だ。
「へえへえ、どうせ俺は武林のご先輩方と違って若輩者だよ!」
「そう思うなら勇気を出せよ、<崋山派>のフーチュン。お嬢さんを見事完全に落としたなら、真っ先に俺たちが祝いに酒を持ってきてやる」
むくれたフーチュンに、笑いながら<邪派>のリーダー、ファーリンが声をかける。
ますます顔をしかめたフーチュンに、前方から鋭い叱咤が飛んだ。
「フーチュン!!遅れてないで、早く来なさい!戦闘は始まってるわよ!!」
「おお怖。あのお嬢さんを落としたなら、尻に敷かれないように気をつけることだな」
「ファーリン!!」
おどけたように肩をすくめるファーリンに、フーチュンが叫んだ。
戦場は、あと数分後に彼らの前に現れる。
◇
「城壁はどうか」
たずねた自らの主君、<クリアキン>部族の族長であるトルミシュに、ザハルスは恭しく頭を下げて答えた。
「いま少しで穴が開くかと」
「兵は猛っておるか」
「存分に」
言いながらザハルスはちらりと馬上から彼方を見る。
即席の投石器による攻撃は、あちこちの城壁を砕き、煉瓦で積み上げたそれらを吹き飛ばしている。
その光景に、ザハルスは我知らず笑みが浮かぶのを抑え切れなかった。
その耳に、ちらりと族長の次の言葉が耳に入る。
あわててザハルスは主君の言葉に再び注意を向けた。
「……ザハルス。江湖から来たという<冒険者>どもはまだ出てこぬか」
「ええ。もしかすれば逃げ散ったかも。あやつらにこの高昌を守る義理などありますまいし、
よしんばあったとしてもわれらの数は五千人以上。斬り破れるとは思えませぬ」
「侮るな、ザハルス。われらの常識を軽々と超えるのが<冒険者>どもだ。
やつら一人は我ら草原の騎兵百人に勝る」
(そんな弱気だから部族の土地をむざむざ奪われるのだ、臆病ものめ)
神妙に聞く振りをしながら、ザハルスは心の中でトルミシュを罵倒していた。
そもそも、わざわざ冬営地を出て、こんな高昌などを襲う羽目になったのも、元はといえばトルミシュが隣のカーラバン族に土地と家畜を奪われたからだ。
トルミシュ自身、先代の族長の血縁ですらなく、無理やり先代族長の妻を娶ったからこそ、族長になれたのだから、それを快く思わない周辺部族に狙われるのは分かりきっていた。
(先々代族長の庶子である自分のほうが、よほど血筋で言えば族長に近いのだ!)
ザハルスは内心で叫ぶ。
そんな部下を胡乱げに眺め、トルミシュは呟くように言った。
「まずは高昌を抑え、通商税をとる。それで家畜を購い、兵を養ってカーラバンの無能どもに分を叩き込んでやるのだ」
(無能は貴様ではないか、トルミシュ!)
そうザハルスが思った瞬間、前方の兵士から叫びがあがった。
「城壁が!!」
慌てて見ると、城壁の一部がついに崩壊し、崩れた石と煉瓦の間から高昌の家々がちらりと顔を覗かせていた。
兵士たちからわああ、という歓声が上がる。
「族長!好機じゃ!」
先代族長のころから仕えている千人隊の長の一人、ジルサが叫んで馬をあおった。
そのまま槍を手に前線へと駆けていく。
「トルミシュ様!われらも行きましょう!」
「<冒険者>どもは逃げ散ったのか? しかし……」
この期に及んで逡巡するトルミシュを、もはや軽蔑を隠そうともせずザハルスは見る。
そして言葉をつなげようとした瞬間、天に巨大な雷光が輝いた。
◇
崩れた城壁から、どさどさと兵士たちが落ちる。
あるものは腕を失い、あるものは頭を砕かれ、無事な兵は数えるほどしかいない。
同僚たちの酸鼻な姿に兵士たちが浮き足立つ中、ユウたち16人の<冒険者>は崩れた城壁を駆け上がり、城外の敵兵を見下ろした。
「かさにかかって、攻め立ててるな」
カシウスが楽しそうに呟く。
その姿は今までの白い騎士鎧ではない。
高昌王に借りた、中国風の甲冑だ。
同じく中華風の盾を構えて、七丘都市の騎士は叫んだ。
「さあ!!これ以上の暴虐は、<第二軍団>のカシウスが許さん!
一手立ち向かおうとするものは前に出ろ!!」
言いながら笛を吹き鳴らす。
どこからともなく現れた愛馬に、飛び降りざまに乗るとカシウスは剣を片手で掲げた。
そのまま襲い掛かってきたエルフの騎兵を、片手の勢いだけで切り下ろす。
頭蓋から腰までを一刀両断にされた敵兵が崩れ落ちると、カシウスは凶暴に笑った。
「いいぜ!レンイン!!」
「みなさん、作戦通りに」
「ああ」
「わかった」
「任せておいてくれ」
城壁の上で、レンインは最後に確認した。
周囲の<冒険者>から応答があがり、レンインは軽く頷く。
最後に彼女がフーチュンを見ると、彼は精悍な顔立ちを憂いに沈ませ、レンインを見返したところだった。
「なあ、作戦は分かるんだが、<道士>のあんたが前に出る必要は本当にあるのか?」
「くどいわよ、フーチュン」
他の仲間たちと違う、親しみのこもった拒絶に、かすかにフーチュンの愁眉が上がる。
だが、と言おうとしたフーチュンを横からユウが制した。
「お嬢さんは、私が命をかけて守る。だから安心してくれ」
「だけどさ。もしはぐれたら……」
「もしもレンインと私がみんなからはぐれても大丈夫だ。念話もあるし、そうなったときは事前の取り決めどおりこのメンバーの半数は高昌を防衛し、残りはそれぞれの派閥に戻って伝えてくれ。
今は<正派>と<邪派>、あるいは国同士で争いあう状況にはないと」
「まるではぐれるのが前提のような言葉だな?」
訝しげな<正派>のリーダー、ジャーシュアにユウは軽く微笑む。
「数千人相手の大規模戦闘だ。どんな可能性もある」
「わかった……死んだらどこかの街の<大神殿>で会おう」
「ああ」
ジャーシュアに言い残し、まだ心配そうな目つきのフーチュンに軽く頷いてユウは飛び降りる。
その足元には彼女の愛馬、汗血馬がぶるる、と唸って待っていた。
「じゃあ、フーチュン」
続いて飛び降りようとしたレンインに、フーチュンは思わず声をかけていた。
「レンイン!」
「……なに?」
「戻ってきたら言うことあるからな!無事に戻れよ!!」
「後で聞くわ」
そういいながら、レンインもふわりと飛び降りる。
その優美な後姿がユウの背中に収まったのを見て、フーチュンは眦を決すると自らも愛馬を呼び寄せた。
彼はこれから、事前の作戦通りにユウたちとは別の方角へ向かうのだ。
馬を駆けて、去っていくフーチュンを見て、残る仲間たちも次々と飛び降りていった。
◇
「何がどうなっているのだ!」
トルミシュは、自らの近衛兵とザハルスに囲まれて叫んでいた。
目の前ではあり得ない光景が広がっている。
雲ひとつない青空に、いきなり稲妻が轟いたかと思うと、瞬く間に数名の兵が倒された。
浮き足立った前線の兵が、次は前線のジルサたち千人隊の長たちの統制を離れ、勝手ばらばらに崩れた城壁に駆け寄って行っては、数名の敵兵に倒されていく。
その周囲では、まるで円を描くように別の敵兵が味方をなぎ倒していた。
五千人の兵に対し、わずか十数名。
それだけの相手に、トルミシュの兵士たちは弄ばれるように倒されていく。
(<冒険者>か!)
トルミシュは呻いた。
彼自身、注意に注意を重ねたつもりであったが、彼にしても初めて見る<冒険者>の武勇は群を抜いている。
クリアキン族にも魔術師―<道士>や<召喚術師>はいるが、彼らの魔法では傷ついた様子すらない。
少し離れた場所で、召喚した<大型狼>をけしかけていた部族唯一の<召喚術師>が一刀の元に切り倒されたのを見て、トルミシュは決断した。
「退き鉦を鳴らせ!撤退じゃ!!」
「いずこへ落ちると申される、族長!」
「ザハルス、ならばそなたはこれをなんとする!」
「族長たる者が何を弱気な!!」
トルミシュの叫びに、満面に血を上らせたザハルスが怒鳴り返すと、族長はいらだたしげに剣を抜いた。
「弱気だと!? ザハルス!! ここで死ぬか、反逆者よ!!」
自らの族長と側近との剣を抜いての争いに、周囲の兵たちも視線を左右しながら何も出来ない。
彼らとて、トルミシュの族長即位のいきさつは知っているし、そもそも勇猛さを美徳とする砂漠の民にあって、トルミシュの発言は臆病、怯惰といわれても仕方のないものだ。
そんな本陣の混乱は、徐々に周囲に拡大していった。
「この程度の戦で逃げ出すような臆病者は、クリアキンの族長にふさわしからず!」
「何を!?」
ザハルスが剣を突きつけ、その切っ先をトルミシュがはじく。
一触即発の空気が、血を流しての決闘になりかけた刹那。
「ここが本陣か」
場違いにおちついた声が響いた。
◇
こんな女が軍にいたか?
彼女を見た兵士たちの最初の感想はそのようなものだった。
黒髪、黒い服、腰に二本の変わった刀。
熱い熱砂の中だというのにマントもまとわず、白い顔を陽光に当てて立っている。
ふわりとなびいたその髪の後ろに見える耳が、エルフの長さを持っていないことに兵士たちが気づいた瞬間、その女はすう、と飛んだ。
抜く手も見せずに鞘走った剣が一閃、瞬く間に2人の兵士が胴を斬り割られて倒れこむ。
「て、敵!?」
「遅い」
叫んだ兵士の顔を握りしめ、ぐしゃりと握りつぶすと、飛び出た眼球を砂に捨て、女はじろりとトルミシュを見た。
「お前さんが族長か」
「……そうだ」
人の姿をした、その鬼に向かって、それでも声を震わせずに答えたのはトルミシュの矜持であろう。
その女――ユウは、トルミシュと、その隣のザハルスを見て、小さく嗤った。
「そちらの男はこないだの使者だな」
「……!」
馬をあおって、駆け抜けざまに振るわれたザハルスの剣をふわりと避ける。
そのまますり抜けようとした彼の帯を、むんずとユウの手がつかんだ。
それだけで馬は棹立ちになり、どう、と倒れこむ。
へたり込むザハルスを横目で見ると、ユウは再びトルミシュに向き直った。
「聞くことと、頼みたいことがあったが……こっちの男に聞くとしよう」
「なにを!!」
侮辱されたことに気づいたトルミシュが激怒して馬腹を蹴る。
しかし、彼の剣は永遠に振り下ろされることはなかった。
「……な?」
エルフ兵の一人が虚脱した声を上げた。
自分たちの族長が、いきなり女に飛び掛られたかと思うと、次の瞬間その首がすっぽりと抜けていたのだ。
それが、<冒険者>の常人離れした握力で首を握りつぶされたことに気づくや否や、兵士たちは我先に逃げ出していた。
「ば……人妖!!」
「た、助けてくれ!!」
兵士たちが逃げ散った先には、馬にのしかかられ動けないままのザハルスだけが残されていた。
「さて、使者どの」
「ひっ!?」
高昌城で見せた態度もどこかにほうり捨て、鼻水すら垂らして叫ぶザハルスの元へ、鬼が歩み寄る。
「な、なんだ!」
「お前さん、ここから助かりたくないか?」
誘惑する中東の女魔人のように囁くユウの後ろから、道服をまとった人影が歩み寄ってくるのを、ザハルスは見た。
◇
数時間後。
「レンインは! レンインとユウはまだ戻っていないのか!」
惑乱して叫ぶフーチュンの姿を、高昌城の城門で見ることが出来る。
その周囲には数十人の<大地人>の兵士たち、そしてフーチュンを含めて11人の<冒険者>が集まり、心配そうな顔を見合わせていた。
<冒険者>の死者は3人。
<邪派>の弓使い、ジーシオン。
<正派>の<剣士>、リーシェ。
そして乱戦の中で、<正派>のリーダーだったジャーシュアも斃れている。
しかし、3人は今頃、それぞれの最後に立ち寄ったプレイヤータウンの<大神殿>で復活しているはずだった。
そして、死んだ様子も伝わることなく、今に至るまで行方が知れないメンバーが二人。
レンインと、ユウだった。
「陛下! お帰りなさいませ」
泣き叫ぶフーチュンを痛ましげに見ていた<大地人>たちが、城門から入ってきた騎馬の一団を見て叫ぶ。
自ら斥候に出ていた高昌王が帰還したのだ。
馬から下りながら、王はフーチュンをちらりと見ると、残った<冒険者>の束ね役、<邪派>のリーダー、ファーリンに声をかけた。
「そのユウとレンインの遺品は見つからなかった。本陣に走っていく赤い馬を見た兵士もおるから、クリアキンの族長と戦ったのは間違いなかろうが……」
王が自ら、レンインたちを探してくれたことに感動しながらファーリンが答える。
「ありがとうございます。ですがわれらは<冒険者>、死んでも彼女らは蘇ります。
おそらくは<黒木崖>で。
あとは我らでさがしますので、どうか陛下におかれてはご放念を」
「うむ。しかし、高昌が守られ、連中が北へ遁走したのもみなそなたらの功あってこそ。
深く礼を言う。戦場で散った仲間たちにもどうか礼を言ってほしい」
「その言葉だけでありがたく存じます」
頭を下げるファーリンに「うむ」と一言残すと、王は馬を手近な兵に任せ、フーチュンのそばに近寄った。
「フーチュンといったな」
「……はい、陛下…」
「レンインとやら言ったあの姫はそなたの妻か」
「そう……望んでおりました」
「惑うな。そなたら<冒険者>がみすみすあれらダークエルフどもに捕まるとも思えん。
ましてその場にはあの黒衣の<刺客>もいたのであろう」
「はい。彼女……ユウは、レンインを命を賭けても守ると」
「ならば守っておるのだろう。そなたも江湖の英雄なれば、顔を上げよ」
「は……はい!」
「よき顔よ」
破顔一笑、王のまなざしがフーチュンの目を射る。
そのまま王は視線をずらし、隣に立つカシウスを見た。
「そなたなれば、こうした場合の動きようも分かっておるのではないか?」
「ええ。陛下。レンインは事前に、自分が帰らなかった場合のことも告げています」
「ならば、然るべく計らうとよい。そこのフーチュンはそんな気もないであろうが、もう一日かけて周囲を見た上で、本当にあの蛮族どもが逃げ散ったのであれば、明日は宴よ。
それまでは気を抜かず頼む。
みなも良いな!?」
王の最後の言葉は、周囲の兵たちに告げたものだ。
応、と主君に答える兵士たちの中で、カシウスはぽん、とフーチュンの肩を叩いた。
フーチュンにはそれが、戦いの前に自分の肩を叩いた、ユウの手のように思えた。




