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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第一章 <アキバにて>
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6. <大地人の村>

1.


 その村に、奇妙な旅人が流れ着いたのは、一月ほど前の出来事だった。


イチハラの村。

ザントリーフ半島の内湾部に位置する小さな村である。

名目上、近隣の領主の領土ということになっているが、居城から遠く離れたこの村には、年に一度徴税吏代わりの騎士が来るくらいのものだ。

森と平野を掻き分けるように作られた田畑と、イースタル湾の恵み、

そして背後の森の豊かな収穫が、この村の存在を許していた。


夏。

作物を育てる長雨が終わり、巨大な入道雲が空の天辺を白く染め上げる。

草木は青々として陽光を浴び、水は艶やかに人々に涼を与えていた。


「よう、おはようさん」

「今日も声以外は綺麗だな」

「……どうも」


畑の雑草とりから戻る農夫たちに手を振って答えつつ

ユウは粗末な小屋の軒先でぐったりとしていた。


「今日も人気じゃな、ユウどの」


軒先でへばっている彼女に、奥から出てきた老人が悪戯っぽく笑いかけた。


「トールスさん。年寄りにはこういう夏は堪えるんですよ。

秋になったらぽっくり逝くかもしれません」

「その時には葬式くらいだしてやるわい」


カカカ、と笑う老人にユウは汗を拭きながら苦笑した。


この世界にも容赦なく存在した梅雨に打たれ、ぼろきれのようになったユウがたどり着いたのがこのイチハラだった。

現実で言えば千葉県内湾部の北西部、コンビナートと都心のベッドタウンが立ち並ぶ町だったここは、

今ではのどかとしか言いようのない鄙びた農村として存在していた。


彼女がここにたどり着いたのはまったくの偶然である。

かつての友人、クニヒコ率いる<黒剣騎士団>との激闘の後、ユウはそのままアキバを離れた。

一歩でも遠く、ほかのプレイヤーがいないところへ。

そうして足の向くまま歩き続け、行き倒れた場所がたまたまトールス老人の営む雑貨屋の前だったのだ。


訳ありと一目でわかる美女、しかも声だけはどう考えても女には聞こえない奇妙な旅人。

持っている装備は旅人にしては重武装すぎ、身分ある人間にしては無骨に過ぎたユウを見て

トールスは一目で<冒険者>だと察し、そのまま家で看病したのだった。


目が覚めて後、ユウはいくばくかの金銭を村に差し出すことと引き換えに、トールスの家に寄宿するようになった。

それからは、近隣のモンスターを討伐したり、店番などのちょっとした雑用を請け負うことで徐々に村に受け入れられていった。

今では、村のちょっとした有名人になりつつある。


人間世界の東の中心部とも言えるマイハマからも遠く離れ、旅人といえば定期的にやってくる行商人くらいしかいないこの村にとって、冒険者という存在はあまりに異質だった。

よそ者への警戒心が強いのは、村という決して富強ならざる組織に寄りかかって生きていかなければならない人間にとっては、当たり前のことだ。

しかし、目覚めたユウが友好的であったこと、何より<冒険者>の絶大な能力を知る村長やトールスといった古老の説得により、それらの声は消えつつあった。

そんな盛夏のある日のことだった。


「それにしても、まだこないんですかね」

「そろそろ来るころなんじゃがの……」


トールスの持ってきた水を受け取りながら、ユウは尋ねる。

答えるトールスの顔もあまり芳しいものではない。


「そのケールメルスさんって行商人、早く来てほしいんだけど」

「そういっても、別の村での商談が長引いているのかもしれんしな」

「はあ……このまま禁煙できそうな勢いだよ。あ、いや、禁煙しているのか今」


ユウがぼやき、トールスが笑う。


彼女が今一日千秋の思いで待ちわびているのは、行商人である。

そう、彼女はその行商人が持ってくるという煙草を待ちわびていたのだ。



「ユウ」になってからは一本も口にできていないが、そもそも鈴木雄一は喫煙者だった。

それも、紙巻煙草だけではない。

吸えるものであれば葉巻でもパイプでも煙管でも嗅ぎ煙草でも吸うという、

筋金入りのヘビースモーカーであった。

アキバでの嵐のような日々で忘れていたが、イチハラで一旦落ち着いた日々をすごすようになれば

いつの間にか口寂しくなる。

一度吸いたいと思ってしまえば、喫煙に対する欲求は加速度的に深まるばかりだった。

ここ最近は、しどけなく日陰に寝そべり、トールスと行商人はいつ来る、まだこない、という会話を交わしながら時間をつぶすのがユウの日課だった。


「もともと私らがいた世界では煙草には異様に厳しくてね。

世の中ほかに毒はいくらでもあるだろう、ってのに、禁煙しろ煙草をすうなと実に目障りだった。

いつだったか、喫煙所で吸ってたら香水臭いおばさんがつかつかとやってきて

『あなた臭いの。どこかに行ってくださらない?こんな子供も通る駅前で喫煙所なんておかしいわ』

ときた。

あんたのつけてる香水のほうがよほど臭いですよ、なんて口の端にまで上ったね」

「それはそれは。大変じゃな」


トールスはにこやかに相槌を打つ。

内心「キツエンジョってなんじゃろ?」と思ってはいたが。


「そういう意味では、こっちはいいところじゃな。わしも煙草を吸っていて、そこまでがみがみと言われたことなんてないわい。

お前さんものんびり煙草を吸う自由だけは手に入れたというわけじゃな」

「家族も仕事も家も全部なくして、残ったのがどこでも煙草を吸える自由だけ、というのもなかなか破滅的に聞こえるけどね」


まったくじゃ、と笑うトールスの肩にぽんと手が置かれた。


「お、村長じゃないか。どうしたね?」

「トールス。お前さんに手紙だよ」

「誰からじゃ?」


手紙など、この世界では酷く珍しい。

村長から紙を受け取ったトールスの手を、ユウは物珍しく見下ろした。


この世界特有の、のたくったような字で何かが書かれている。

ふと老人の顔を見上げたユウは、あちゃ、という顔をしたトールスと目が合った。


「何が書かれてるんだ?」

「ユウどの。残念な知らせじゃ。ケールメルスは待っていても来ん」

「は?」


間抜けな声を上げた女<暗殺者>に、トールスは噛んで含めるように言い聞かせた。


「ケールメルスはな。足を怪我してしもうたらしい。

とても行商に行けないので、すまんがしばらく休む、と言ってきおった」

「ちょっと待ってくれ。じゃあ煙草は?この店の雑貨は?必需品は?」

「来んな。きれいさっぱり」

「煙草ーっ!!」


錯乱したように叫びだすユウを、かわいそうな生き物を見るような目つきで眺めながら、

黙っていた村長が口を開いた。


「そこで、お前さんに頼みがあるんだが」



2.


 「ということは、わたしにケールメルスの家まで仕入れに行けと?」


 ユウの重ねての問いかけに、村長は重々しく頷いた。

今、彼女たちがいるのは村の中心にある村長の家の広間、時刻はユウが煙草の欠乏のため、

トールスの家を転げまわってから数時間後である。

すでに日は落ち、夕暮れの残滓が窓に赤くたなびいていた。

広間の燭台に蝋燭を挿す村長の妻―50がらみの気立てのよさそうな婦人だった―を見ながら

村長は確認するように言う。


「ケールメルスが住んでいるのはハダノという村じゃ。残念じゃがこの村に、そこまで遠くに旅をした者はおらん。

<冒険者>のお前さんの、あの赤い早い馬ならそれほど時間もかからんじゃろうし、

<冒険者>はものの重さを無くすという魔法の鞄を持っていると聞く。

人助けと思って行ってくれんか」

「まあ、それはいいんだけどなあ」


ユウとて行商人の不在に困っていることには代わりがない。

そして、たかが嗜好品がほしいだけの自分と違って、村人にはより切実な問題があることも理解していた。

行商人は、イチハラのような村にとって生命線ともいえる存在である。

この村では取れない薬草や、煙草のような嗜好品、村の女性のささやかな楽しみである衣服や装身具、

子供たちの玩具など、行商人がもたらす製品は多く、広い。

たとえば塩ひとつとっても、イチハラには海水からわずかにくみ上げるものしかないのだ。

塩は、これから冬の準備を始めるイチハラにとり、冬場の保存食を作るのに大事なものである。

ある意味で、行商人とはそれだけの責任を背負って村々を回っているのだ。


「ケールメルスは律儀な男じゃ。熱が出ていようが怪我をしていようが、行商を休むことは何十年もなかった。

その男が動けない、と手紙を出すのはよほどのことじゃ。

頼まれてくれんかの」


村長の横に座ったトールスが頭を下げる。

ユウはこれ以上、粘っていられないことを感じていた。

何より、ユウが旅を渋るのは、「アキバに近寄りたくない」という、子供じみたわがままでしかないことも理解していた。


「わかったよ。でも煙草は多めに仕入れさせてくれ」

「おお、頼む」


村長がほっと息をつく。

そこからの話はとんとん拍子に進み、ユウは煙草を多めに買うこと、余った金は報酬とすることなどと引き換えに、旅を引き受けることになった。


「ケールメルスはまじめな男じゃ。わざわざハダノまで仕入れに行けば、ある程度負けてくれるじゃろ。

その差額はユウどののものにしていいから」


そういって村長が手渡した紹介状を懐にしまいこみ、

ユウは翌朝早く、イチハラの村を発つことに決めた。



2.



 その日の夜。

早々に寝入ったトールスを尻目に、ユウは蝋燭の揺らめく明かりの元、自分が寄宿している一部屋で机に向かっていた。


 かつてトールスの妻の部屋だったというその部屋は、殺風景な中にも女性らしい雰囲気をどこかしら残す、趣のある一室だったが、この夜だけは女性らしさなどかけらも残っていなかった。

机どころか、床に並べられた瓶、瓶、瓶。

ベッドには何かの生き物の翼膜だの、干からびた虫の死骸だの、

グロテスクな色合いの草だの、名状しがたい不気味なものが散乱している。

外から見られたくないのか、窓の木枠はきっちりと閉じられ、

蝋燭の薄い光源の中で、異様な迫力を醸し出していた。


ユウはそれらの不気味な事物の中央で、ゆっくりと手元のフラスコに紫の茸から抽出した液を加えていく。

ちゃぷ、と静かに液を注ぎ終わると、隣で煮立てていた妙に甘ったるい臭いの液に鉄砂を入れ、ひと煮立ちさせてからこちらもフラスコに注ぎ込んでいった。


時折、膝に乗せた手書きのメモに視線を落としながら、慎重な手つきで視神経のこびりついた目玉を取り上げ、フラスコにゆっくりと入れていく。


シュ、と音がした。

何かの化学反応のような青黒い炎が一瞬吹き上がり、

彼女の手元には緑色、というにはやや鮮やか過ぎる色合いの液体をたたえたフラスコが残っていた。


ふう、と顔をそらして深く息を吐く。

あまりの緊張感に止まっていた肺の機能が、酸素を求めて大きく蠕動したのだ。


「ようし、できた……」


フラスコの口に慎重に封をすると、ユウはレシピを記した羊皮紙に、トールスからもらった木炭でさらさらと追記する。


『激痛』とそこには書かれていた。


「これで量産ができる。いくつかの素材は狩って手に入れるとして…こっちの『窒息』と『爆発』で計3種類。まあまあの成果だ。

『病気』と『MP破壊』、『痙攣』に『壊死』は……今後の研究を待つとしよう」


一人ぶつぶつと呟きながらにんまりと笑う彼女を見れば

トールスも一も二もなくユウを叩き出すことに同意するだろう。


 彼女が作っていたのは毒薬である。

この<エルダー・テイル>において<冒険者>が用いるアイテムのひとつにポーション―霊薬があるが、<EXPポット>のような特殊な手に入れ方をするごく一部を除けば、

その取得方法は大きく3種類に分けられる。


 ひとつは、町で買うこと。しかしそうして手に入る霊薬はレベルの低いものに限られる。

 もうひとつは、モンスターのドロップアイテムを手に入れることだ。

こちらは、そのモンスターの強さや背景に応じて強弱様々な霊薬が手に入る。

しかしこの世界となってからはそう簡単に強力なモンスターを討伐できることもないし、手に入れるにしても偶然と運が強く作用することは否めない。


 最後の方法が、「作り出す」という方法だった。

<エルダー・テイル>には回復から状態異常まで、あらゆる霊薬を調合できる、

その名も<調剤師>というサブ職業があるが、ほかのサブ職業でも一部系統に限り、霊薬の作成が可能になっている。

ユウの<毒使い>スキルもそのひとつで、毒薬系のアイテムに限り調合が可能になるのだ。


 ユウがオリジナルの毒薬に手をつけたのはイチハラに来てしばらく経ってからのことだった。

イチハラの村は、自然の只中にあるだけに野生の動植物も豊富であり、それらは簡単な採取で容易に霊薬の材料となる。

さらに海岸沿いに墓標のように立ち並ぶ、かつてのコンビナートからは、異形のモンスターや、時代を重ねるうちに悪質なトラップと化した装置が行く手を阻むものの、

<古の燃える水><太古の樹脂>といった希少なアイテムを産出する、

霊薬作りには天国ともいえる場所だった。


 ゲーム時代からの癖で、気が向いては採取に行っていたものの

ユウの懐には使う当てもない材料が山のように溜まるばかりだった。

<毒使い>がシステム画面から調合できる毒など、莫大な取得量からすれば非常に微々たる物だったのである。


ある日、ユウはふと思い立ち、武器や防具の耐久度を下げる<不定形生物(ブロブ)の亡骸>と、毒の威力を高める<クニツクラ草>を自分の手で混ぜてみた。

できたおどろおどろしい液体を、ためしに<はぐれ>のゴブリンに振りかけてみたところ、

そのゴブリンはあっという間にしゅうしゅうと生きながら溶けてしまった。


 その光景はとても正視に耐えうるものではなかったが、それ以来ユウは村人が全員寝静まった夜に、一人こっそりとオリジナル毒の調合に勤しむようになったのだった。

もともとインドア派で、さらに手先で作業することが好きだった彼女は倦むことなく研究を続け、

そして今回3種類目の毒薬の精製に成功した、というわけだった。


 研究成果に満足し、ユウは手作りの毒をいそいそと鞄にしまいこんでいった。

材料や器材をトールスに借りた衣装箱(チェスト)に放り込み、鍵を何重にもかける。

虫や動植物ならまだしも、どこから手に入れたのかミイラのような干し首まであるのだ。

下着や女性のあれこれを入れていると伝えているため、トールスが箱を開ける可能性はないと言っていいが、気をつけるに越したことはない。

弱い麻痺毒のトラップまでかけたところで、ユウは不気味さをようやく払った部屋のベッドに横たわった。


(まあ、使うこともなければそれに越したことはないのだけどな)


欠伸とともにそう一人ごちる。

自分でもいささかやりすぎた、と思わなくもないが、

自分の手で自由自在に素材を選択し、効果を測っていくという行為は

休日に自分で酒のつまみを作っているときに似た楽しさを彼女に与えていた。


(そういえばこの、自作すればゲームにないものが作れる、というのは……霊薬だけのことなんだっけ……)


ふと疑問が浮かんだが、それが具体的な考えに至る前に、ユウは寝入ってしまっていた。

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