51. <対立の縮図>
1.
まず目に映ったのは巨大な人影であった。
頭上はるかにそびえる顔は俯くかのように瞑目しており、緩やかな布で覆われた肢体を端座させ、
手は何かを持つかのように胸の前で組み合わされている。
色目人風のカールした髪は短く頭上でまとめられ、かすかに開かれた瞳が眼下の人間を静かに見下ろしていた。
その印象は、荘厳でありながら不思議な異国情緒に溢れていた。
「な、な、な……!!」
「落ち着けカシウス。あれは像だ」
「ブ、ブッダか?」
4人が<妖精の輪>を経てたどり着いたのはそれほど深くない洞窟の中だった。
外の凶暴にぎらつく陽光が、かすかに奥に座した巨像を浮かび上がらせている。
いつの時代からここにあったのか、洞窟に潜む動物たちの巣がその耳にも肩にも作られており
あたかも鳥に囲まれて眠る修行者のようだった。
「仏像……か? しかし、<エルダー・テイル>は宗教色をできるだけ廃していたはずだが」
ユウがうめく。
この場にバイカルか、あるいは西武蔵坊レオ丸といった人々がいれば、何らかの答えを返したかもしれないが、ユウの目には像が仏像にしては妙に西洋風の剣と靴を履いていることに違和感を覚えるだけだった。
「<思惟の神像>……ではここは<西域>の<高昌>ですね」
黙って神像を見上げていたレンインの声に、3人ははっとした。
洞窟の入り口をみれば、陽光きらめく日中であるのに無数の星々が見えている峠が目に映る。
一方で視線を転じてみれば、轟々と炎を吹き上げる、まるで大地をこねて作った屏風のような山が視界を遮るかのように横にあった。
「<星々峡>と<火炎山>か」
はるかシルクロードの彼方にある奇観の名前を、ユウは呟いた。
その横で、魅入られたようにフーチュンが手を上げた。
「すげぇ……」
ユウも、カシウスも同感だ。
雲ひとつ見当たらない蒼天と、地上に広がる黄土色の砂漠。
そして星々を従える巨大な峡谷と、炎を天涯遥かに吹き上げる山脈。
ヤマトとも、七丘都市とも違う、それは見る者に畏怖すら覚えさせる壮大な光景だった。
ゾーン名称は<高昌>。
ここは先ほどまでいた華国中原ではない。
西洋と東洋とを結ぶ巨大な街道、シルクロードの一角なのだった。
「おい、あれ。人がいるぞ」
「なんだ?」
しばらく、眼前の絶景と、背後の神像を交互に見ていた4人は、フーチュンの叫び声に視線を一箇所に向けた。
彼らがいる<妖精の輪>の出口、<思惟の神像>のある洞窟は、<高昌>ゾーンのやや東側、切り立った岩山の中ほどにある。
入り口は峻険な崖になっており、眼下の大地を一望に見渡すことができた。
その一角。
砂色一色の大地の一部に、場違いに華やかな色とりどりの天幕の群れが建っていた。
それは、さらに視線の彼方、<火炎山>の懐に抱かれているような城市に、まるで相対するように密集している。
そのカラフルな色彩に、ふとユウは嫌な感じを覚えた。
色合いこそ異なるものの、かつてハダノで、ついでザントリーフで出会った<緑小鬼>の将軍のキャンプを思い出したのだ。
眼下の天幕を見つめる。
ひっきりなしに出入りするのは、ヤマトで見慣れたゴブリン……ではなかった。
「あれは、エルフか?」
<冒険者>の鋭い視覚で、人影のいずれもが長い耳を持っていることを見抜き、カシウスが誰にともなく呟く。
天幕のエルフたちは、あるものは家畜らしき羊を鞭で追い、またあるものは巨大な鍋を抱えてせわしなく行き交っている。
「遊牧民……みたいだな」
「ああ……」
フーチュンの声にユウも頷く。
さすがに実際に見たことはないが、セルデシアのユーレッド大陸中央部、いわゆる現実世界で言う中央アジアでは、現実のモンゴル人やトルコ人がそうであったように、遊牧を生業とするエルフの部族がいる、という話はユウも聞いていた。
見たところ、眼下のエルフたちはその遊牧部族の人々のようだった。
ほっとしかけたユウを、レンインの硬い声が遮る。
「あれはおそらく、ダークエルフです。<高昌>城を襲うつもりかと」
「なんだって?」
「ダークエルフ。善の種族でありながら、略奪をためらわず、悪の亜人たちとも手を組む部族のことです。一般的なイメージと違い、彼らは外見上エルフと変わりがありません。
彼らは徒党を組み、<高昌>を狙って降りて来たに違いありません」
「レンイン。そう考える理由は?」
「男女比と服装です」
カシウスの問いかけに、レンインがすっと指をさす。
いわれてみれば、天幕のエルフたちは異様に男が多く、しかも老人や子供ではなく壮年に達した人々が多い。
そして、馬や羊を追う牧童も、炊事や洗濯をしている人々も、例外なく華国風の鎧を身に着けていた。
鳥の羽や木の枝で飾ったその服装は、確かにただの平和的な遊牧民とは思えない。
「イランで言う化外の民、っていうヤツら、ってことか」
「じ、じゃあ<高昌>に急を知らせないと!」
「ええ……そうですね」
カシウスが呻き、フーチュンが焦る。
それに答えるレンインは、表情を苦悩に歪ませてじっと<高昌>城と無数の天幕を見つめていた。
「なら行くとしよう。レンイン。ここから<高昌>までの最短経路は?」
「<星々峡>を越えていくのがもっとも近道だと思います。尾根伝いに進みましょう」
「わかった。先行偵察は私がする」
「ああ。じゃあ殿はオレだな。フーチュンはレンインを守ってくれ」
「わかった」
動き出す3人から視線を佇む神像に向けたレンインは、小さく呟いた。
「あなたは菩薩ではない。それを模した、心のないユニークオブジェクトです。
ですが、あなたに聞きます。私をこの場所に連れ出し、あの光景を見せたのは、あなたの意思なのですか?
そして、私の心に浮かんだこの恐ろしい計画を、あなたは私にお命じになったのですか……?」
その声は、仲間たちの耳に届くことなく、ただ沈黙の神像の足に届き、消えた。
◇
「フーチュン!二匹向かったぞ!」
「わかった!<円風廻四方>!」
ガサガサと、奇妙に耳に残る足音を残して迫る<砂漠蜥蜴>をフーチュンの剣が切り裂いた。
悲鳴を上げて仰け反る蜥蜴にさらに追撃をかける。
脳に致命傷を負ったその一匹は、びくびくと痙攣し動かなくなった。
「フーチュン!後ろだ!」
「あっ!」
「<氷槍蓮華>!」
フーチュンの剣をすり抜けた別の一匹が、ガガガガ、と氷の刃に貫かれた。
レンインの呪文で生み出された氷の槍によって脊椎を断たれ、力尽きたように消えていく。
「<星々峡>ってのは物騒なところだな!」
5匹以上の<砂漠蜥蜴>をあしらいながら、カシウスがいらだたしげに叫んだ。
ユウも速度を利用して次々と蜥蜴を切り伏せながら同感だ、と呻く。
「星々の峡谷」というロマンティックな名称に反し、この谷は高レベルモンスターの楽園だった。
<砂縄蛇>、<巨大毒蠍>、<砂巨人>。
パーティを組んでさえ苦戦するような相手が、次から次へと沸く地獄の道だったのだ。
フル装備のレンインや、自己回復能力を持つ装備をまとうユウはまだよい。
本来の装備を偽りの<大演武>で完全破壊寸前まで消耗させているカシウスや、そもそも装備自体を失い、<大地人>の街で買い求めた<通常>級の長剣しか持っていないフーチュンでは、本来なら倒せる相手でも慎重に戦わざるを得なかった。
とはいえ、敵の数は多く、ユウ一人では対処できるものではない。
結局、彼らはただでさえ壊れかけた装備をさらに危険な状態にまで追い込みつつ、戦っていかざるをえなかったのだった。
「まだ抜けられないのか!」
「この尾根を越えれば、すぐです!」
<オンスロート>を<毒蠍>にたたきつけたカシウスが叫び、レンインが呪文を矢継ぎ早に唱えながら応じる。
いかなる魔力によってか、太陽の光が大きく遮られ、黄昏のような光に星が瞬く空の下で、4人は一丸となって進む。
体液を噴出させつつくず折れる<毒蠍>を尖った爪先で蹴り飛ばし、カシウスが行く先に剣を向けた。
「なら、早く進むぞ!このままならオレもフーチュンも丸裸になってしまう!」
「……の、前にもう一匹いるなあ」
執拗に追いすがる<砂漠蜥蜴>を剣で追い払いながら、フーチュンが前方を見て呻いた。
「<砂巨人>!」
ユウが叫び、切り捨てた<巨大蟻地獄>のぶよぶよとした腹を蹴って前方の敵へと飛んだ。
砂漠に住む巨人型モンスターの一種で、レベルは82、パーティランク。
その一撃は破壊力もさることながら、特筆すべきはその防御能力だ。
さらさらとした砂で形作られたその肉体はほとんどの物理ダメージを無効化する。
また、その腕で攻撃された相手は<渇水>の状態異常を引き起こし、大きく能力を低下させられるという、きわめて悪質なモンスターだった。
ユウは、敵を見つけて吼え猛る<砂巨人>の正面に着地すると、モンスターの血に塗れた二刀を構えなおした。
「ユウ!」
「レンイン!」
仲間の叫びを無視し、ユウが叫んだ。
振り下ろされる一撃をもんどりを打って避け、同時に<疾刀・風切丸>が巨人の腕を薙ぐ。
その切り口から、さらさらと砂がこぼれるが、目に見えてダメージはない。
「やはり、<幻想>級でも簡単にはいかないな……レンイン!」
「わかりました!」
再びの叫びに、レンインが両手を前に突き出した。
「<崩雪衝>!!」
ユウを殴りつけた姿勢のまま、避けることができない<砂巨人>に、氷の渦が直撃する。
ぱきぱき、と砂の体が無数の氷に覆われ、巨人は痛みに呻いた。
レンインは姿勢を変えないまま、再び別の呪文を唱え始める。
呆気にとられて見ているフーチュンとカシウスの横で、呪文はすばやく紡がれ、発動した。
「<炎快矢>!」
ぱしぱしぱし、と氷に覆われた<砂巨人>の巨躯に、炎の矢が突き刺さる。
当たった箇所を中心に氷が解け、水となって巨人の体に染み込んでいく。
言葉にならぬ悲鳴を上げた<砂巨人>の目に、再び跳躍する<暗殺者>の姿が映った。
「<ヴェノムストライク>!!<アサシネイト>!!」
空中で回転しながら、ユウは両手の刀を<砂巨人>の胸、<フリージングライナー>の氷が解けて染み込み、いまや黒い色の泥土と化したその胸郭に突き立てた。
緑の刃が<痙攣>の毒を打ち込み、青い刃が<暗殺者>必殺の奥義を叩き込む。
全身を砂で構成した巨人といえど、急所は普通の巨人と同じだった。
最後に駄目押しとばかりに<砂巨人>の胸を蹴り飛ばして離れたユウが着地すると同時に、どう、と仰向けに巨人が倒れる。
光が星のそれをかき消すように立ち上り、後にはいくつかのアイテムと金貨だけが残っていた。
「やった!?」
巨人が斃れたことで快哉を叫んだフーチュンに、不意に何かが飛んできた。
巨人の亡骸に駆け寄ったユウがドロップアイテムを投げ渡したのだ。
思わず受け取ったフーチュンの手に、魔力の篭った剣特有の、奇妙に熱のある感触が伝わる。
「これは?」
「<砂塵剣>だそうだ。使え」
「だが、これは……わかった」
渡された装備は<製作>級の長剣だった。
このレベルのモンスターのドロップするアイテムとしては、まあ通常の部類に入る。
<砂巨人>の倒し難さを考えれば、あまり有難味のないアイテムかもしれない。
だが、剣がほとんど破壊されているフーチュンにとってみれば、何より得がたい助けだ。
手早く拾った物をインベントリに入れたユウが、密かに寄ってきた<毒蠍>を踏み潰して言った。
「ともかく、このまま抜けよう。平地に入ったら騎乗しよう」
◇
太陽の光が、峡谷を抜けたとたん暴力的なまでに溢れかえった。
<星々峡>の分までくれてやるとばかりに、可視光線と紫外線が肌を焼く。
その中でも白さを失わない腕を見下ろし、ユウは汗血馬の鞍上で苦笑した。
色白の肌を維持するために涙ぐましいまでの努力をしていた自分の妻が今の自分の姿を見たら
ショックより何より、悔しさを覚えるだろうな、と思ったのだ。
4人は<星々峡>を抜け、高昌城までの砂漠をひた走っていた。
天幕のエルフたちに見つからないため、砂塵を抑えるためにそれぞれの馬の足には袋を被せている。
とはいえ、遮蔽物のない土地だ。見つかっていることも覚悟すべきだった。
カシウスは、<嵩山>の麓で出会った奇妙なフードの男のことを思い返していた。
彼のことは、まだレンインやフーチュンには話していない。
ユウとは、彼女が会った日本人<冒険者>のことと合わせて話し合ってはいたが、結論は出ていなかった。
(ユウも、フードの男の話を聞くと頷いていたな……)
EUとして経済的にはもはやひとつの地域と言ってもいいヨーロッパで生まれ育ったカシウスには分からないが、アジアの人種、民族、国家における対立は根深いものがある、と彼女は言った。
カシウス自身、ネットを通じてチベットやアジア海洋地域の争いのことは知っている。
また、『オドアケルからガリバルディまで、一度も団結したことがない』と揶揄される自国の歴史のこともそれなりに弁えている。
だが、それらはあくまで対立は国と国であって、一般の民衆同士は別だと考えていた。
カシウスがそれを問うと、ユウはひっそりと笑って答えた。
『お前さんは、こんな状況になったとして、ユダヤ人とパレスチナ人とロシア人が手を取り合えると思うか?』
だがそれは宗教や文化の対立ではないか、アジアは文化や宗教は同じではないかとカシウスが言い返すと、ユウは首を振った。
『歴史的に見て、常にアジアにおける中国は横暴な専制者か周辺国の草刈場であるかのどちらかだった。
そして近代の中国は、20世紀後半まで列強の餌か、餌ですらない貧乏国家でしかなかった。
だが今は連中はそこから脱皮しようとし、周辺にかつてと同様の権威を認めさせようとしている。
その一環で、彼らは自国は偉大で強大だ、と国民に教えようとしており、そのために台湾や日本といった国をことさらに敵視してきている。
華国の<冒険者>はそうした教育を受けた世代なんだよ。
そして華国の<冒険者>の中には、そうやって敵視された民族や国家の住民もいる。
もし、<正派>と<邪派>の対立が崩れ、華国の<冒険者>がひとつにまとまろうとした時、そうした意識は必ず出てくる。
そうなれば<江湖の義気>も何もあったもんじゃない。
現実の地球にある対立の縮図が生まれるだけさ。
私が会ったカークスたちなんて真っ先に狙われるだろうね』
『じゃあ、黙って今の対立を見ていろってのか? 苦しむのは一般の<冒険者>や<大地人>なんだぞ』
『それは当然解消されなければならない。だが……』
そのユウの沈黙の意味を、カシウスは今に至るまで図りかねている。
考え込むカシウスの耳に、ふとレンインの声が聞こえた。
「<思惟の神像>ですか?」
「ああ。レンインは詳しいんだろ。あれはどう見ても仏像だったけど、<エルダー・テイル>は特定宗教に肩入れしないんじゃなかったっけ」
見れば、仲良く馬を並べたフーチュンとレンインが言葉を交わしている。
どうやら、<妖精の輪>の出口で見た神像について話しているようだった。
「ええ。確かにアタルヴァ社は宗教を仮想世界に持ち込むことを極端に嫌っていて、宗教的な要素をできるだけ排除しようとしたと聞いているわ」
「だろ? うわさに聞くホワイトポイントなんて、国ひとつがないわけだし。
だけどさっきの神像は、どう考えても仏教遺跡だ。あれはどういうことなんだ?」
「私も詳しくは知らないけど……どうも華南電網公司が直訴したらしいわ。
シルクロードは仏教やイスラム教と切り離して構築することは不可能だ、って。
実際、ほかのサーバでは寺院や神殿、教会なんかが意匠を変えて作られているわけだし。
実態として、シルクロードの仏教はほとんど滅びたといっていいから、宗教施設ではなく歴史遺跡として作ってほしい、と訴えたそうよ」
「イスラムの人たちは文句を言わないのか、それ?」
「さあ……でも、誰もが原理主義じゃないでしょうし。宗教は宗教、歴史は歴史ってことじゃないかしら」
「そんなものなのかなあ……」
その光景を見ていて、カシウスはふっと表情を緩めた。
先ほどまでの重苦しい感覚が一斉に消えていく。
そうだ。
悩むことなどないではないか。
自分は奇妙な縁で出会ったこの二人の華国人に、地獄のような虜囚生活から救われた。
恩返しにこの貴婦人を守ると決めたではないか。
そうであるならば、この若者たちが進む道を剣と盾で守るのが、誇り高い<第二軍団>の騎士の務めだろう。
前方を進むユウを見る。
カシウスの白馬と対照的な、燃えるような赤い馬に乗ったユウの表情は背を向けているため見えないが、かすかに肩が上下しているのが見て取れた。
この旅路の中でも、明るさを失わないように見える2人の華国人を、彼女も微笑んで見守っているのだろう。
ふと、カシウスは戦友というより家族めいた親しみを、目の前の日本人に感じた。
子供たちを見守る教師のような、親のような奇妙な感覚だ。
色恋沙汰というには淡く、だが友人と言うにはいささか奇妙な暖かさを持つ感情だった。
「そうだぞ。わが七丘都市にも、ヴァチカンはあるからね」
白馬に軽く拍車を当てて寄せながら、カシウスは意識的に明るい声で少年少女の会話に参加する。
え? という顔のレンインとフーチュンに、カシウスは面白おかしく自分のホームタウンだった古アルヴ族の都のことを話し始めた。
「もちろんキリスト教の施設としてではないぞ。<古来種>の砦、という名目でね。実際は<古来種>がいなくなってから封印されて、跡地は確か大手ギルドが使っちゃいたが、まあその辺はまあ適当というものだな」
「キリスト教としては、その辺はいいのか?」
「そんな頭がカチコチの連中は、そもそもMMORPGなんてやっちゃいないよ」
「まあ、そりゃそうか」
ははは、と笑いが木霊する。
前途の暗雲をなぎ払うかのように、陽気な会話は続いていった。
2.
夕方。
巨大な夕陽が地平線の彼方に沈むころ、4人は高昌城の城壁の下に着いていた。
彼らの周囲には、ロバや馬を引き連れた交易商人や、近在の農民たちと思しき<大地人>が列になって城門の前に並んでいる。
自分たちも馬を下り、それぞれ手綱を持ちながら並んだが、周囲の妙に浮ついたざわめきは4人の耳に不安となって聞こえていた。
「なんだ?妙に焦っている、というより警戒している?」
「私たちが目立つからでしょうか?」
ユウの声にレンインがこたえた。
確かに、砂漠の民特有の白い衣服の中にあって、カシウスの西洋騎士そのままの姿や、レンインの白黒の道服、そしてユウの忍び装束はひどく目立っている。
だが、それだけではないようにユウは感じていた。
自分たちが目を引いているのはもちろんながら、<大地人>たちはしきりと背後と前方を気にしている。
「あのエルフたちのせいじゃないかな」
フーチュンが答えると、カシウスが首を横に振った。
「それだけじゃない。城の中も気になっているようだ。 ……おうい、おじいさん。ちょっと聞きたいんだがね」
カシウスの呼びかけに、前に立っていた皺に顔が埋もれつくしたかのような老人が後ろを振り向いた。
その手は、背中に乾し葡萄の籠を載せたロバの手綱を握っている。
「わしのことかね? 異国の戦士どの?」
「ああ。すまないね、いきなり。自分たちはちょっと東から旅をしてきたんだが、教えてほしいんだ」
カシウスの人懐っこい笑顔に、老人も徐々に警戒を解いたようだった。
こわごわとした表情が崩れ、親しみやすそうな顔が彼に向けられる。
「この高昌の都ってのはどんなところなんだ?」
「そうさね……西域じゃそれなりに大きい都だよ。昔は華国の華王さまの領地だったが、今は独立しているね。葡萄や料理はおいしいよ。特に料理は、最近味のあるものが出てきたおかげでみんな楽しみにしているね」
「王様ってのはどんな方なんだい?」
「ずっと昔にここにやってきた華国の将軍の末裔で、今でもご子孫が王位を伝えていなさるよ。
今の王様はお若い方だが、父君よりずいぶん勇敢だと言う噂だね」
「なるほど。ありがとう。……ところで城外でエルフを見たんだが」
慎重にカシウスが切り出した瞬間、その老人はそれまでの親しみある顔を急に引っ込め、きょろきょろと周囲を見回した。
そして口早に言う。
「わしは知らん、何も知らんよ。すまんがこれでいいかね? そろそろ番だからね」
後は聞く耳も持たぬとばかり、足早に列を進んでいく老人を見送って、カシウスは小さくため息をついた。
その後ろからユウが呟く。
「ってことは、エルフは本格的にこの城を攻めるつもりなんだろうな」
「ああ。そして庶民はああやって見えない振りをするわけだ。逃げないのは、逃げたところでどうしようもないからだろう」
「兵士の数も異様に多いですからね」
レンインが袖で控えめに指差した先には、日没直後だと言うのに赤々と篝火が炊かれ、あちこちにはためく旗の下で厳しい表情の兵士が行き交う、城壁があった。
兵士たちの傍には投げ落とすためだろう、石があちこちに置かれ、砂漠を見つめる兵たちの手には弓矢がある。
どう見ても戦時体制、はっきりといえば臨戦態勢だ。
それを見たユウが何かを言おうとした時、不意に行列の先頭近くで叫び声が響いた。
続いて争う音、金属を打ち合わせる音が響く。
「何があった?」
ユウが声を上げると同時に、軽やかな足音が彼女の横をすり抜けた。
フーチュンだ。
腰に<砂巨人>の遺産、<砂塵剣>を腰に差し、旅装の軽い服だけの彼は、<大地人>たちに紛れるように顔だけをひょこりと人ごみの陰から覗かせる。
そこで見たのは、<冒険者>パーティ同士が剣を抜いて争う姿だった。
◇
「ふざけるな! 俺たちはここの王にも認められたこの町の守備隊だ!
なんでお前たちにいきなり出て行けと言われなければならん!」
<日月侠>のギルドタグをつけた男が叫ぶと、怒鳴られた相手の男も負けじと怒鳴り返す。
「<邪派>が! 王に取り入っていい思いをしようというのだろうが、そうはさせるか!
ろくでもないウォクシンごときの下で、弱いやつをいたぶって楽しむような連中を、俺たち<正派>が許すと思うか!?
殺されないだけでも有難く思え!」
「なんだと!?」
既に一合打ち合った後だろう、互いに抜き身の剣を突きつけあった二人の男の後ろで、それぞれの仲間らしき男女が険悪な表情でにらみ合っている。
周囲を<大地人>が取り巻いているためか、さすがに全面闘争とまではいっていないが、いつそうなってもおかしくない状況だった。
周囲の<大地人>の兵士や士官も、突然始まった<冒険者>同士の争いにただおろおろするだけだ。
ついに怒りが沸点を超えたのか、<日月侠>の戦士が剣を腰だめに構えた。
<正派>側のリーダーと思しき<武当幇>の男も剣を回し、拳を前に、剣を後ろに向けた独特の構えを取る。
<武当派>の構えのひとつ、<辟邪残心>の構えだ。
互いに本気であることを悟ったのか、急速に殺気を膨れ上がらせた2人を見比べ、フーチュンは顔を青ざめさせ、ついで赤く染め上げた。
(こんな中原から遠くに来てまで、まだ<正派><邪派>とやっているのか!こいつらは!)
そう怒りのままに考えた瞬間、フーチュンは飛び出していた。
「待てよ!」
叫んで人ごみを掻き分けて出てきたフーチュンを、殺気だった24対の目がぎろりと睨んだ。
二人の男もフーチュンの旅人そのままの姿を上から下まで眺めわたす。
<武当幇>の男がちらりと正面の<日月侠>の男を見て、短く言った。
「<崋山派>か。まあいないよりはマシだな。さっさと手伝え」
一方で<日月侠>の男は忌々しげに舌打ちしたが、フーチュンが大した武装をしていないのを見てかすかにほっとしたようだった。
「伏兵か。まあ、大した装備でもないし、どうでもいいか。小僧、殺されたいなら前へ出ろ」
「ふざけんなよ、あんたら!」
そんな二人と、その後ろの仲間たちに対して、フーチュンは怒鳴りつけた。
「ふざけるな、だと!?」
「きさま、<崋山派>じゃないのか!」
「俺は<崋山派>のフーチュンだ!だが、あんたらはそこで何をやってるんだ!<大地人>を怯えさせて、それでも江湖の義侠か!恥を知れ!」
「……小僧。そこまで言うなら死ぬ覚悟もあると見えるぞ」
言うや否や、<日月侠>の男が急激に近づく。<刺客>の絶技、<縮地歩>だ。
刷刷刷、と男の剣が閃く。
フーチュンは腰の剣を抜き合わせないまま、足捌きだけで剣をかわし、再び叫んだ。
「知らないのか!外にはダークエルフがいるんだぞ! 戦える奴は一人でも多いほうがいいのに、なんで俺たち<冒険者>が争わなければいけないんだ!」
「決まっている。俺たちが<正派>で、そいつらが<邪派>だからだ」
フーチュンを助けようともせず、そう嘯いた<武当幇>の男に殺意の篭った言葉が叩きつけられる。
「そんなもの、誰が決めた!同じ華国の<冒険者>の、幇主たちが勝手に決めた枠組みじゃないか!
今は非常時なんだぞ! そんなくだらない争いで、目の前の<大地人>を見捨てる気か!?」
「……」
「俺たちが掲げてきた江湖の義気ってのは、そんな卑小なものだったのか!?
あんたらは学校で何を学んできたんだ!正義じゃないのか!?」
「……お前に何が分かる」
突如、フーチュンの全身を衝撃が覆った。
呪文だ、と認識する間もなく全身が城壁に叩きつけられ、悲鳴を上げてフーチュンの周囲から<大地人>が離れた。
呪文を放った<正派>―<青城派>らしい―の<冒険者>は憎憎しげにフーチュンを睨んだ。
「正義だと?偉そうに誰が抜かす。侵略国家に洗脳された身勝手なクズが」
「なん……だと!?」
全身を襲う痛みに耐えながら目を開けたフーチュンの前で、再び杖を掲げた<道士>らしい男は頭上に魔力を集め始めた。
無色透明の魔力が、炎と言う属性を与えられて巨大な火球と化す。
<オーブ・オブ・ラーヴァ>だ。
「お前らに正義なんて名乗る資格はない。せめて分捕った島を返して、殺した無抵抗の住民を生かして戻してからほざけ」
「待ってよ。ランワン……あなた、中国人じゃないわね?」
<道士>の男に剣呑な目を向けたのは、直前まで隣に立っていた女<剣士>だった。
<邪派>に向けていた細剣の切っ先が、<道士>の首筋をぴたりと指す。
「中国人でもないくせに、えらそうに<五岳派>を名乗っていたの!?」
「リーシェ!敵を間違えるな!!」
「おい。女。属する派閥が違っても、同郷人を殺すと言うなら俺も黙ってはおらんぞ」
侮蔑の声を上げたリーシェという女<剣士>に弓を引き絞ったのは、<邪派>の弓使いだった。
先刻までの仲間を含めて周囲に油断なく目を向けつつ言う。
「お前ら中国人はいつも勝手なことを言う。<正派><邪派>以前に、お前ら全員が邪悪だろうが」
「ジーシオン!」
「うるさい!!そもそもお前ら中国人に従って、同じ国の仲間を殺せと言う気か!?」
「黙ってろよ、属国民風情が。誰のおかげで<エルダー・テイル>をしてこれたと思うんだ?
自分たちのサーバに引きこもってりゃいいものを」
「黙れ!お前も台湾人だろうが!島ひとつしか持っていない日本とアメリカの犬が!」
「なんだと!? 訂正しろ、海賊!」
(なにが起こってるんだ……)
こっそりと霊薬の口を開けながら、フーチュンは壁にめり込んだまま呻いた。
彼の目の前で、12人の<冒険者>は<正派>と<邪派>の区別なく、今度は敵味方入り混じって武器を突きつけあっている。
その光景は異様だ。
<正派>の<侠客>が同じ<正派>の<方士>に刀を突きつけていたかと思えば、その刃を<邪派>の<拳士>が遮る。
一方で<正派>の<道士>を守るように、<邪派>の弓使いが番えた矢を周囲に向けていた。
もはや幇も派閥も関係なく争う彼らの後ろから、複数の足音が近づいてきた。
「何をやってるんだ!<冒険者>同士!」
仲間たちが来たことを知り、フーチュンはかすかに笑った。
「フーチュン!?」
恋人の悲鳴が妙に嬉しい。
続いてやってきたカシウスに城壁から引っ張り出されながら、フーチュンは口の中に入っていた煉瓦のかけらを、血と共にぺっ、と吐き出した。
「公主!?」
争っていた<冒険者>たちのうち、<邪派>に属する6人が思わずと言った調子で膝をつく。
<正派><邪派>関係なく罵り合っていたとはいえ、それでも長年敬意を表してきた相手だ。
一方で<正派>側の6人も、呆気にとられてレンインを見ていた。
<日月侠>の副幇主といえば、彼らにとっては宿敵だ。
その宿敵が、こともあろうに<正派>に属する<崋山派>の少年を見て悲鳴を上げたのだ。
その声、表情を見れば、フーチュンとレンインがどのような関係なのか言わずとも知れる。
そして、公主と共にやってきた仲間らしい2人の男女もまた、彼らの動きを止めていた。
「西洋人と日本人……だと!?」
国籍は、ステータス画面を見れば分かる。
それぞれのサーバごとに、ステータス表示はそのサーバの主要言語でつづられているからだ。
「お嬢さん!どうしてここへ!それにその仲間はいったい!?
西洋人はともかく、日本人と<崋山派>ですよ!?」
膝をついたまま、<邪派>のリーダーだった男が叫んだ。甲高いその声はほとんど悲鳴だ。
「だからなんだと言うんです!わたしたちは同じセルデシアの<冒険者>でしょう!」
「だからって、なんでわざわざ……教主はご存知なのですか!」
「知っています!」
「<崋山派>を教主が取り込んだのですか! それとも裏切って……」
「どちらでもありません! フーチュンはフーチュンの自由意志で私と一緒にいてくれています。
あなた方も<正派><邪派>なんて関係ない! 今は<大地人>とこの高昌を守るのに力を尽くすべきでしょうに!」
「……ふん。これで形勢逆転だな」
わけが分からないとばかりに叫んだ<邪派>のリーダーに、同じ<邪派>のジーシオンといわれた弓使いが嘲るように告げた。
ぎり、と睨むリーダーに、弓使いは唾を吐いて続ける。
「見てみろ。日本人のレベルを。93だ。<ノウアスフィアの開墾>のおかげだろうぜ。
それにイタリア人もいる。これで人数はお前ら中国人より多くなった。
土下座して謝るなら今のうちだぜ」
「貴様……」
「おい、日本人。お前らも濡れ衣着せられたり、金を奪われたり島や資源を狙われたりで、中国人どもには恨みがあるだろう。
俺はフィリピン人だ。自由主義の国民同士、中国人を叩きのめそうぜ」
「日本人!それにイタリア人!命が惜しければそこで黙って立ってなさい!この華国で中国人に逆らえば、<冒険者>全体を敵に回すわよ!」
ジーシオンが言えば、リーシェという名前の<剣士>が叫ぶ。
密かにため息をついたユウを見ながら、横で剣を抜いたカシウスは今更ながらに、フードの男やユウの言っていたことを実感していた。
確かに、今の彼らは両派のリーダーの男2人を除き、<正派><邪派>を区別せず振舞っている。
<正派>の男を<邪派>が守り、<邪派>と<正派>の男女が目と目を見交わして背中合わせに立つ、その行動だけを見ればレンインが求めていたものだ。
だが。
(こういうことか……)
両派の幇主たちが、必死で正邪の争いを維持しようとしていると聞いた意味が分かる。
派閥というカテゴリをなくした瞬間、再び彼らは中国人とそれ以外、というカテゴリに一瞬で分裂してしまったのだ。
そしてそちらには<江湖の義気>などという共通認識すらない。
相手への限りない憎しみと侮蔑があるだけだ。
横を見れば、レンインがフーチュンに寄り添ったまま、唇を噛むのが見えた。
彼女もようやく理解したのだろう。
自分が目指してきた世界、その果てにあるのがなんであるかということに。
ふと、彼の耳にざっ、という足音が届いた。
視線を向ければ、ユウが静かに足を踏み出したところだった。
その目が剣呑に細められているのを見て、カシウスが青ざめる。
短い付き合いながら、ユウがこういう目をした時、何をし出すか彼もまた理解していた。
「おい。ゴロツキども」
玲瓏な声ながら、徹底して冷ややかな口調に、<冒険者>たちの声が止まる。
「周囲を見てみろ、アジア各国から選抜されたバカガキの恥さらしどもが」
「なんだと!?」
そう叫んだジーシオンを視線だけで黙らせ、ユウはゆっくりと周囲に目を向けた。
いつのまにか、広場に<大地人>の民衆の姿はない。
カシウスが声をかけたあの気のよさそうな老人も、連れていたロバごと姿を消していた。
いるのは遠巻きに<冒険者>たちを見る兵士たちだけだ。
その目に恐怖だけでなく、怒りと嫌悪が混ざっていることに、正邪の<冒険者>たちはようやく気づいた。
「分かったか? クソガキども。お前らの時と場所を弁えない愚行が何をしでかしたか」
「だが、中国人が」
「うるさい。黙っていろ」
抜く手も見せず、ユウの袖から飛び出た短剣が、声を上げた<方士>の喉に突き刺さる。
その<方士>は一瞬で顔を青黒く染めて倒れこんだ。<窒息>の毒だ。
口をぱくぱくと開き、必死でもがくその<方士>を、敵も味方も、レンインとフーチュンすらぞっとした顔で見つめている。
「ここはセルデシアだ。そして私たちは<冒険者>で、この町はモンスターではなくとも同じように危険な連中に狙われている。
そこに至って<正派>だ<邪派>だ、中国人だ台湾人だと、脳みそを茹でられたのか? 貴様ら。
やることをしようともせずくだらない争いをする連中を世界各国共通で表現する言葉を教えてやろう。ボケ、というんだ。
そんなにお国自慢がしたいなら、どこか人のいないテストサーバかどこかでやれ。
分かったか?」
「……お前は中国人の味方か。自分の国に誇りを持たず、連中の靴を舐める気か」
呻いたジーシオンの肩に短剣が突き刺さる。
矢を取り落として痙攣する彼を、ユウは氷結し切ったような目で見下ろした。
「私はいつ、どこでも日本人だ。世界に冠たる帝国を作った日本の住人だ。
だが、それと同時に今はこのセルデシアでモンスターから<大地人>を守る<冒険者>でもある。
日本の自慢なら地球に帰ってから存分にしてやるが、今は他にすべきことがある」
「それはなんなのよ!日本人!」
「まだ分からないのか?」
三本目の短剣が飛んだ。
かろうじてかわしたリーシェに、一瞬で間合いを詰めたユウの足が飛ぶ。
ぐぶ、という叫びもあらばこそ。
中国人の<剣士>は、顔面を大きくユウの靴に踏みつけられ、砂に頭を半分以上埋めていた。
「お前ら、生まれ育ちは異なっても武林の義侠なんだろう?ならそれ相応の行動をとれ」
「たかが日本人ごときが、偉そうに……うぐあっ」
「三度は言わない」
「ユウさん、それくらいで……」
「レンイン。お前さんが目指した世界はこれか?」
かろうじて声を出したレンインに、冷え切った表情でユウが振り向く。
レンインは絶句して、押し黙る<冒険者>たちを見た。
やがて涙がその目に盛り上がり、彼女はそれを見せないようにか、俯いて首を振る。
「いいえ……これではありません」
「なら、考えてくれ。それが理想を掲げた人間のつとめだ」
「そう……ですね」
レンインが呟くように言う。
その肩を、慰めるようにフーチュンが支えた。
その時、突然として喇叭の音が響いた。
同時に、いつの間にか閉められていた城門の外から、ドドドという音が響く。
大量の馬だけが鳴らすことができる、それは歴史上無数に奏でられてきた音楽。
騎兵の進撃の音だった。
「来たのか」
すばやく持ち場に戻り始める兵士たち、そして虚脱している<冒険者>たちを見ながらユウが言う。
巨大な赤い月が、まるでこれから流される血を先に飲み干したかのように空に不気味に輝く、早春の夜のことだった。




