50. <正派邪派>
1.
ぽく、ぽく、ぽく。
荒れ果てた農地が周囲に広がる街道を、3頭の馬が歩いていく。
ぽく、ぽく、ぽく。
のどかな足音は、聞く者に眠気をもたらすほどにゆったりだ。
その効果は覿面で、純白の大型馬に乗るボロボロの鎧の<守護戦士>―イタリアから来た<騎士>カシウスは鬣に突っ伏して熟睡しているし、
二人で騎乗しているフーチュンとレンインももはや眠る寸前だ。
最後尾で自前の汗血馬を歩かせるユウすら、夢と現実の境界が曖昧になってきつつあった。
(<五毒>や<日月侠>が追っ手を出しているだろうに……これじゃあ)
かすかに残った覚醒した意識が全力で警報を鳴らすが、ユウの意識のほとんどを占める睡眠欲はその警告を力ずくで抑えようとしていた。
◇
<日月侠>の本拠地、<黒木崖>から脱出して7日。
ようやく彼らは華国の中心部、地球で言えば中原・河北省と呼ばれるあたりを歩いていた。
それまでの旅は、ほぼ不眠不休である。
馬の召喚限界時間ぎりぎりまで全力で走らせ、夜が来れば交代で眠る。
そんな逃避行だった。
彼女たちが目指すのは<五岳>と呼ばれるプレイヤータウンのひとつ、<嵩山>であった。
華国と呼ばれる中国サーバには、首都とされる大都、現実世界の北京の位置にある燕都など、複数の都市があるが、<五岳>や、<日月侠>の本拠地、<黒木崖>などはやや普通の都市と異なる。
簡単に言えば、プレイヤータウンにある衛士システムが存在していないのだ。
衛士とは、その名前のとおり都市ゾーン内での戦闘行為を片方、ないし双方の逮捕または殺害という方法で強制的に止める、都市の安全を保障するシステムのひとつである。
半強制的に都市を安全化するそのシステムは、街に篭って生産に従事したいプレイヤーや、<エルダー・テイル>をアバターつきのチャットソフトとして利用したいライト層のプレイヤーには喜ばれたが、
主に対人戦を好むプレイヤーからは、大声ではないにせよ従来から批判があった。
特に他国より比較的PvPを好む中国人プレイヤーの声は大きく、アタルヴァ社は、中国サーバの運営会社である華南電網公司と協力して、いくつかのゾーンを設定した。
それが<衛士のいないプレイヤータウン>であるこれら<五岳>なのだ。
必然的にそれらは対人戦を好むプレイヤーやその仲間が集まる場所となり、
そして今は<正派><邪派>双方の拠点として機能していた。
「その中でも<嵩山>は特別なんだ」
ある夜。
焚き火にあたる4人の前で、フーチュンは目的地をそう説明した。
「あそこは、<黒木崖>が<邪派>の本拠地であるならばいわば<正派>の本拠地だ。
もちろん頭がコチコチの奴もいるが、人が多いだけに話のわかる人もいる。
それに、あそこを統括するのは<大侠>のベイシアさんだからな。
あの人なら、<正派>とか<邪派>とか関係なく迎えてくれる」
「レンインを連れて行っても大丈夫なのか?」
カシウスが、枯れ枝を火の中に投げ込みながら、ぼそりと尋ねた。
話題に出されたレンインは動かない。毛布代わりの布を全身に巻いたまま、黙って火に当たっている。
「……大丈夫、だと思う。 あそこにはルーシウ……おれたち<崋山派>のリーダーもいるから。
確かに<崋山派>は勢力も弱いが、一派が賓客として迎え入れた人間に無礼を働く奴はいない」
「果たしてそうかな。 レンインはただの<冒険者>じゃない。 <日月侠>のサブギルドマスターだ。
そんな相手を<崋山派>だけで守れると思うのか?
そもそも<崋山派>自体、何人も<日月侠>に捕まっているだろう」
「う……まあ」
ユウがカシウスの疑問を補足し、フーチュンが言葉に詰まる。
ある意味では、カシウスやユウの疑問は正当だ。
一年近くにわたった争いは、その原因がどれほど馬鹿馬鹿しいものであれ、多くの恨みを生み出してしまっている。
それを考慮せず、正論を吐いたところで聞き流されるのがオチだ。
だが、そんなフーチュンを援護したのは意外にもレンイン自身だった。
「私は、嵩山へ行こうと思います」
「死ぬかもしれんぞ。 というより、<黒木崖>に捕まった<正派>と同じような拷問を加えられる可能性もある」
「それでも、です」
恫喝のようなユウの言葉に、レンインは静かに返す。
「争いを止めるためなら、<邪派>だけでなく<正派>からも変えていく必要があります。
嵩山に行けるならちょうどいいわ。
幸い<冒険者>は死なない。 何度殺されても、耐えていつかベイシア大侠に理解させてみせる」
4人が押し黙る。
やがて、ゆっくりと息を吐いたユウが、自分に言い聞かせるように呟いた。
「やむを、得ないな」
「ああ。貴婦人を守るのも騎士のつとめだ」
ユウとカシウスが諦めたように頷きあい、フーチュンが申し訳なさそうに頭を下げた。
「ルーシウもできるだけ根回しをしてくれると言うし、俺からも知り合い全員に声をかけてみる。
レンインは有名人だからな。 仮に<日月侠>から脱退しても気付かれるだろうし」
「ええ。 そして私は<日月侠>を離れる気は毛頭ありません」
レンインの声に、再び3人が驚いた。
呆気にとられるユウたちの前で、彼女は愛おしそうに首から提げた紋章――<日月侠>のギルドタグをいじる。
「私はヤンガイジを倒し、<邪派>の総帥になります。
そしてこの戦いを終わらせる。そのためには、ソロプレイヤーのレンインではなく、<日月侠>のレンインでいなければならないのです」
「だがな。<日月侠>に属したまま嵩山に入るなんて、俺には自殺の一変形にしか思えないが」
レンインが首を振った。
「だからこそ、です。 単なる元<日月侠>のソロプレイヤーが行っても、何も話は聞いてもらえない。
ですが<邪派>の大幹部なら話を聞いてもらえると思うからです」
言葉に秘められたすさまじいまでの決意に、思わず3人が絶句する。
結局、目的地は、レンインに押し切られるように予定通り嵩山に決まったのだった。
◇
数日後、プレイヤータウンのひとつである<洛陽>を横目に、4人はようやく馬の足を緩めた。
ここはすでに<正派>の勢力圏だ。
<日月侠>や<五毒>の暗殺者たちもこの地までは追ってこない。
ユウは、万一に備えて警戒しつつ、前を歩く馬の上に並んで座るフーチュンとレンインを見た。
<正派>と<邪派>であり、本来は敵対しあう間柄の二人だが、ここ数日で急速にその距離は縮まっている。
二人とも、ユウやカシウスに親しげなところを見せないよう努力しているところがまたいじらしい。
元々、同じ国に住む同年代の男女である。
互いに肌を接する距離での騎乗の旅を続ければ、自然情愛も沸いてこようというものであった。
眠気を辛うじて抑えるユウは、眠り込まないよう内心で考えていた。
(そもそも、<正派>だからといって正しいとは限らない。連中はそもそも、レンインを連れて行ったフーチュンを味方とみなすだろうか?)
<正派>の支配する土地に入って何日も経っている。
<大地人>は無論のこと、<冒険者>らしい集団にも何度となくすれ違っていた。
その上で面と向かっての接触も詰問もないことそのものが、行く手にある未来の不気味さを暗示している、と言えなくもない。
生えて数日、ようやく違和感を覚えなくなった右手を見つめる。爪の伸びたその手は、奇妙にぶれて見えた。
最悪のケースを考えてみる。
<嵩山>に入り、力ずくもしくは一服盛られて捕まる。
レンインの仲間とみなされて全員捕らえられる。<崋山派>も一緒に捕まるか、あるいは既に裏切っているか。
そのまま無限の蘇っては殺すの嵐だ。
なまじの死に方で痛みを覚えるとは思えないが、何度も殺されるという、生物としては想定していない状況がもたらすショックは、戦場に慣れた人間でもかなりのものである。
ユウは、自分が何もかも打ち捨てて、「助けてくれ」とわめく姿を想像してみた。
その醜さ、おぞましさにぞっとし、今は強い意志を湛えたレンインの目が、卑屈に歪むのを続いて想像する。
(聞くに堪えん)
眠気も吹き飛んだユウは、内心で強く頷いた。
今から向かう<嵩山>は紛れもなく敵地だ。
ユウの最初の役割は、敵で満たされた死地からの、無事な脱出路を探すことになるだろう。
◇
過去の偉大な業績と言うものは、たとえ数十億年の時間を経たとしても決して完全に消え去りはしないものだ。
世界に冠たる帝国を築き上げた人々が敷設した街道は、その人々が栄光の歴史を閉じてもなお、その場に在り続け、人々に栄光の何たるかを示し続けていた。
「……脱落者は」
「ガイとベレドアです。軍団長」
「事前の指示通り、帰還呪文で戻っていることを祈ろう」
「ええ。飛んだ先が廃墟の罠でないことを祈るばかりです」
「次の<輪>までには時間がある。無理をせず飛ぶぞ」
「ええ」
2.
「<正派>の兄貴がた、ご先輩方!<崋山派>のフーチュンだ!開けてくれ!」
山の中腹にある巨大な山門の前で、フーチュンは声を張り上げた。
明るい声はしかし、ぴくりとも動きを見せない巨大な鋼鉄の扉に当たり、跳ね返って消えていく。
「おうい、フーチュンだ!」
「無駄だ。というよりも開いたほうが怖い」
なおも叫ぶ彼に、横から手を置いたカシウスが言う。
その落ち着いた声に噛み付くように、フーチュンは巨漢のイタリア人を睨みつけた。
「なんでだ!事前にルーシウたちにも言っている!彼らが俺を裏切るはずはない!」
「ルーシウは気のいい奴に思えるが、だがあいつも<正派>の中で幇一つを率いているんだ。
仲間全員の為に、あえて小を殺すこともあるだろう」
「だが!」
納得できない様子のフーチュンと、無念そうなレンイン。
二人の肩をぽんと叩いてユウも言う。
「むしろこうして、反応のない時間をくれていることがルーシウの好意だと思うよ、私は。
今のうちに逃げろ、と言ってくれてるんだろ。
俺たちにできることは、こうして得た時間を有効に使うことだけだ」
「だが、ベイシアさんは!」
「まだ分からんのか」
ギリ、と肩に置かれた手に力が篭り、ユウはドスの利いた声で二人の中国人に告げた。
「二度は言わんぞ。ここから離れる。四の五の余計なことは言わん。
私は我執に拘るあまり、無意味に命を散らす輩が大嫌いでね。
問答の時間は与えん。これ以上うだうだ喋るようなら、毒で気絶させてでも連れ出すが、どうか」
「お、おい。ユウ……」
「止めるなよ、カシウス。理想は無論立派だが、今の状況で理想に拘るのはアホのすることだからな」
「……」
ユウとカシウスの前で、悔しそうにフーチュンとレンインが唇を噛む。
ややあって、「……わかった」とフーチュンが呻いた。
仲間に実力行使に出ずに済み、<暗殺者>の顔が思わずほっとする。
そんな彼女の横で、レンインが身を翻しながらも叫びを上げた。
「<正派>の方々!私はレンインです!私は華国を離れ、どれほど今の華国が情けない状況なのか身をもって知りました!
同じ中華の民として、義なく理なく争うことがどれほど無意味で醜悪なものなのかを!
私は<邪派>にあって、ウォクシンとヤンガイジを倒し、<日月侠>を変えてみせます!
あなた方も変わらねばなりません!
話し合いすら拒否するのであれば、それもいいでしょう!
だが覚えておきなさい!
今の偽りの正邪の争いを続けたところで、我々華国の<冒険者>に未来などないと!」
最後は絶叫となったレンインの叫びにも、扉はおろか、いかなる音も答えることはなかった。
ユウたちがついに背を向け、<嵩山>を降りるその瞬間まで、一度も。
◇
ユウたちが<嵩山>を降りた、その日の夜。
悔し涙を流しながら眠ったフーチュンとレンインの横で、カシウスは剣を研いでいた。
<砥石>とは、本来<砥師>や<鍛冶屋>といった特定のサブ職業にしかできない、武具の修理補修を可能にするアイテムだ。
もちろんリスクはあり、砥石を用いた武具は耐久度が回復する代わり、武具そのものの最大耐久度は減少する。
だが、七丘都市を発って以来、まともな修理をしていないカシウスの剣が折れないためにはやむをえない措置だった。
パーティのもう一人、ユウは周辺偵察と称してこの場にはいない。
<嵩山>からの刺客を気にしなければならない以上、もっとも隠密性の長けた彼女が周囲の見回りに出るのは当然のことだった。
消えかけた焚火を尻目に、一心不乱に剣を研ぐ彼の耳に、不意に聞き覚えのない音が入ってきた。
(これは……音楽?)
カシウスの知る音色とは異なる、東洋的なそれは、三線と呼ばれる楽器のものだ。
彼も聴き覚えがある<エルダー・テイル>のメインテーマをアレンジしたそれは、奇妙に物悲しい印象を<守護戦士>に与えていた。
<絶技>ではない。
そう判断し、急ぎ二人を起こそうとしたカシウスを、奇妙に若々しい声が遮った。
「起こすには及ばんよ」
「……誰だ?」
周囲は木々に囲まれている。
樹木が作り出す複雑な陰影の暗闇を睨んで鋭く誰何した彼の目に、ゆっくりと三線を弾きながら人影が現れた。
男……であろう。
さほど高くない上背を、ボロボロのマントとフードで隠している。
腰には何も差していないが、それが即丸腰といえないのがこの世界だ。
実際、カシウスは男の一挙手一投足から目を離さず、剣を構えたまま叫んだ。
「誰だ、と聞いている」
「ただの物乞いだよ」
そういう男のステータス画面は、カシウスの読めない文字―簡体字―で書かれてはいたが、幇名らしき文字の隣に小さく何かが書かれているのは見て取れた。
ギルドマスター、ないしはそれに準ずる立場を表す文字であることは、世界共通だ。
そうであれば男の正体も知れる。
「<正派>のいずれかの幇の幇主か」
「さてな」
ヒェッ、ヒェッ、と化鳥のような声で笑った男に切っ先を向けたまま詰問するカシウスを、楽しそうに眺めて男は言った。
「レンインを―俺たちを追ってきたか」
「いや。そもそも殺して捕らえるなら、もっといいチャンスがあったとは思わんかね」
「………」
「わしは話に来ただけだよ。まあ、お前さんがたを殺そうとする連中も中にはいるがね」
「……何の用だ」
「まあ、座らんかね。ずっと立っていると疲れるしな」
「……」
「……ま、いいさ。座らせてもらうよ」
無言のカシウスを眺め、男はひょいと焚火の傍に座った。
そのまま、三線を弾き続ける。
音色に隠れるように、カシウスは密かにフレンドリストの名前を押した。
「あの日本人の<刺客>にも、別の者が会いにきているはずさ」
まったく外からは分からないにもかかわらず、カシウスの行動を先読みしたかのような男の声に、心中呻いて<守護戦士>は腰を下ろした。
どちらからも声を発することがないまま、三線の音だけが夜風に乗る。
しばらく経ち、唐突に音色が途切れた。
「……このお嬢さんと若者は、ずいぶんと大それたことを考えているな」
「ああ」
「<正派>と<邪派>の争いを本当に止められると、お前さんは考えているのかえ」
「さあな。だが俺にとっては、<正派>も<邪派>も変わらん。どっちも自分勝手で横暴だ」
「否定はできんね」
ヒェ、ヒェと男が笑う。
「西欧サーバはどんな感じかね」
「やってることは変わらんね。やっぱり身勝手な連中ばかりだな」
「お前さんは、それが嫌でこんな東まで来たのかね」
「さあな……それよりこちらの質問に答えろ。何をしにここまで来た。
話し合う振りをして油断させるためか」
念話の窓が開いていることを確認し、ユウに聞かせるようにカシウスは問いただす。
その声に、再び面白そうにフードの男は笑った。
「そんなつもりはないねえ」
「信じられんな」
「信じようと信じまいと勝手だが、別にお前さんがたにわざわざ油断してもらわなくても、変わらないからね」
「……ではなぜ」
「勧めに来たのさ。逃亡をね」
「……それは」
「今のうちにできるだけ離れるんだ。この華国からね。
遠からず<正派>からも追っ手が出る。
どこかの<妖精の輪>から飛びな。そこの二人も、あの日本人も一緒にね」
真剣な声に、カシウスの眉が引き結ばれた。
フードの奥から一瞬、男の目がイタリア人を射抜く。
「教えてあげよう。<正派>も<邪派>も、この争いをやめるつもりはない。
そこのお嬢さんが願っているのとは裏腹にね」
「なぜだ?わざわざ<冒険者>同士で血で血を洗う戦いをしている理由とはなんだ」
「怖いからさ」
男は短く言い捨てた。
その口調に含まれる嘲りの色は、カシウスたちに向けられたものではない。
男はゆっくりと顔を回し、眠りこけるフーチュンとレンインを見た。
そのまま続ける。
「お前さんの故郷じゃどうか知らないが、ここ華国サーバのプレイヤーは一枚岩じゃないんだ。
中国沿海部、内陸部。台湾、朝鮮半島。国籍もばらばらなら、拠って立つアイデンティティも様々さ。
わしらがこんなくだらない争いを続けているのは、本当の争いを避けるためだよ。
そこの幸せな若者たちは実感していないと思うがね」
「地球での争いを持ち込まないために、ってことか?」
「そうさ。ここで<正派>と<邪派>で争っていれば、わしらは本来の対立軸を忘れて振舞うことができる。<冒険者>としてね。
だが、仮にその対立が終わってしまえば、起きるのは無数の混乱だ。
なぜあいつが幇主としてえらそうに振舞っているのか。
なぜ台湾人が本土人の上に立っているのか。
一時はまとまるかもしれないが、誰かがそれを言い出せばすべては終わりさ。
誰もが元々の対立を思い出す。
日本人やヨーロッパ人と、わしらが最も違うところがそこなのさ。
もちろん、幇主として贅沢をしたい、旧時代の王侯貴族のように振舞いたい、という欲望もないとは言わんがね。
このわし自身、幇をひとつ率いちゃいるが、敵を失ってまとめきれるとは思えないからね」
「この世界の元からの敵、モンスターを相手にし、<大地人>を守る、だけじゃ駄目なのか?」
「駄目だね。残念ながら」
カシウスの問いかけに、男はゆるゆると首を振った。
「わしらも、なぜここにいるのか、元の世界に戻れないのかということを考えることはある。
噂に聞く日本サーバほど大々的じゃないが、調べちゃいるさ。
それにモンスターが敵なのも変わりはしない。
だがね。わしらにとって、モンスターは所詮モンスターでしかないんだよ。
討伐する相手ではあっても、<冒険者>が一丸となって挑むほどの敵じゃないのさ」
「それは……」
「モンスターを甘く見すぎていないか、だろう?」
笑いをこめた男の質問に、うっと呻いてカシウスも黙る。
「まあ、よほどに強い、あるいは多数のモンスターであれば手を取り合うかもしれないね。
だが、そんな敵はいない。
一部辺境で、レベル表示がおかしな強いモンスターがいると聞いてはいる。
そいつらが大挙して襲ってくれば、まあ状況は変わるだろう。
だが、今の時点では<正派>も<邪派>も、変わることはないよ。
互いの幇主たちが納得ずくの戦いを無理に抑えようとしても、無理さ。
両派から裏切り者として憎しみを受けるのが関の山だ。
わしはそこのフーチュンとも、レンインお嬢さんとも面識があるからね。
知った二人がひどい目にあうのを見ていられない。
だからわざわざ来たのさ。
裏切り者を殺せと叫ぶ一部の幇主たちを抑え、<嵩山>の扉を閉ざした後でね」
「……」
腰の袋から水を飲む男を見つめて、カシウスは思わずため息をついた。
目の前の男の正体は分からないが、彼の言葉には理がある。
いくら<大災害>以来、<冒険者>を取り巻く状況が激変したとはいえ、去年の5月から半年以上に渡って、薄弱な根拠を元に争い続けるのはおかしい、とは、彼自身思っていたことだ。
だが、<正派>と<邪派>。
互いの指導者たちがぐるだったと考えれば、疑問にも解答が出る。
ヨーロッパに住むカシウスも、アジアの情勢は漏れ聞こえていた。
過去の諍いを徐々に解消しつつある欧州と違い、中国を中心とするアジア圏がいまだに19世紀的な対立軸の中にあることも知識として知ってはいる。
だが、民間人に過ぎないであろう目の前の男たちすら、偽りの敵味方を作って争わなければならないほどの根深い対立があったとは。
絶句するカシウスの横で、フードの男は静かに伸びをした。
そのまま裾を払って立ち上がる。
「じゃあ、話は終わりさ。邪魔したね」
それだけを言い残し暗がりに消えていく男を、カシウスは背筋に氷柱が刺さったような嫌な感触のまま、黙って見送っていた。
3.
カシウスが男と話す少し前に時間は遡る。
ユウはフーチュンたちが眠るキャンプの周囲を囲むように、警報装置を張っていた。
装置といっても大したものではない。
木を切って簡易的な鳴子をつくり、ロープで結ぶだけだ。
あちこちには鳴子の代わりにいくつか<爆発>の毒を仕掛けている。
元の世界では傭兵でもゲリラでもないユウに、詳細なトラップなどが組み立てられるはずもない。
心細いそれを、ユウはそれでも緻密に張り巡らせようとしていた。
「ユウ」
ロープを結び終え、次の地点に向かおうとした彼女に、不意に声がかけられる。
その声は、自動翻訳を通していない。
日本語だった。
思わず振り向いたユウの目に、ヤマトサーバで何度も見た青い鎧が映った。
<製作>級のその鎧は、装備の性能よりもむしろ見た目でヤマトの住人に着用者の正体を示すものだ。
紺碧よりも、やや澄んだ青色は、ヤマトでも特定のギルドの一員にのみ支給されているものだ。
「<D.D.D.>……だと?」
「そのステータス表示の日本語、懐かしいよ。あんたがユウだな」
暗闇からのっそりと現れた男は、敵意がないことを示すように腰の刀に手もかけず、両手を上にあげてにこりと微笑んだ。
「俺は見てのとおり、元<D.D.D.>の<武士>、カークスだ」
「……ユウだ」
互いにやや距離を置いて石に座りながら、ユウと、カークスと名乗った<武士>は自己紹介をした。
二人のやり取りに、今のところ敵意はない。
ユウはなぜ、日本人プレイヤーがこの場にいるのか、図りかねていた。
「<D.D.D.>のメンバーがなぜ華国にいる。それに、ギルドも違うな」
ユウの質問のとおり、カークスのギルド名は<D.D.D.>―アキバ五大戦闘ギルドのひとつではない。
<ヤマト傭兵団>、それが今の彼の所属ギルドだった。
「あの災害の日、俺たち<D.D.D.>のパーティは華国に遠征していた。
新パッチ、<ノウアスフィアの開墾>は知っていたが、クエスト中だったんだ。
そこで異変に巻き込まれ、俺たちは帰り道を失った」
「なるほど」
「<ヤマト傭兵団>は、そうやって行き場をなくした華国の日本人プレイヤーや、在留邦人のプレイヤーが集まってできたギルドだ。
<ヤマトの塩海>を渡る手段はなく、<妖精の輪>もどこへたどり着くか分からない。
そんな中で、日本人同士助け合うために作ったものさ」
「そして今は<正派>の傭兵、というわけか?」
「そのとおり」
カークスが頷く。
その姿勢のまま、ユウの顔色を窺うように彼は質問した。
「あんたのレベルは90以上だな。ということは、五月のあの日は日本にいたのか。
なぜ日本を出てきた?どこかの<輪>に間違って入ったのか」
「いや……」
ユウは言葉を濁す。
はぐらかす訳ではないが、一朝一夕に語れるほどの話でもない。
しかし、その彼女の態度を複雑な事情があると誤解したか、カークスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまん。初対面の人間が軽々しく聞ける話でもないな」
「いや、いい。それよりなぜここへ?何をしに来た?」
言いながら、ユウは脳裏でちりん、と念話が鳴る音を聞いた。
カシウスだ。
繋げると、彼の緊張した声が脳裏にステレオ再生のように響いた。
『……<正派>も<邪派>も変わらん。どっちも自分勝手で横暴だ』
カシウスも誰かと話しているようだった。
おそらくは、目の前のカークスと同じ<正派>の誰かだ。
ユウは注意深くカシウスの声を聞きながら、一方でカークスの口が開くのを静かに見つめた。
「ユウ。あんた、狙われているぜ。正確にはあんたとほかの3人全員だが。
この華国で<正派>と<邪派>の争いを止めようとしているんだって?
……同郷人としての忠告と思ってくれ。
やめておけ」
「……それはどういう意味の台詞だ?お前さんらもよく分からんPvPごっこが楽しいのか」
「そうじゃない」
カークスは首を振る。
「……俺もこの一年近く、華国人プレイヤーたちと接して分かった。
あいつらは敵がいないと纏まれないんだ。
同じ中国サーバにいるとはいえ、連中の国籍や立場はバラバラだ。
共産党のえらいさんの息子もいれば、台湾人の女の子もいる。
もちろん俺たち日本人や、ヨーロッパ人、アメリカ人もいる。
聞いた話じゃ、北朝鮮やチベットのプレイヤーもいるらしい。
そんな連中をまとめようとしてみろ。
たちまちギルドもパーティも崩壊して、互いに本当の殺し合いになるのがオチだ。
だから、各幇の幇主たちは元々あったロールプレイの対立を利用することにした。
華国の<冒険者>に、本当の敵が誰なのか忘れさせるためにね」
「……なるほどね」
カークスの声は真剣だ。
彼自身、本来の国同士のいがみ合いとなれば、瞬く間に被差別集団になることを分かっているのだろう。
国同士の対立は、客観的に見てどうあれ、主観がすべてだ。
日本は虐殺をしていない、紛争や係争も中国の横暴な行為が原因だ、と言ったところで彼らに対する敵意は強まりこそすれ、消えることはない。
ウォクシンのような異常な武勇を持っていればともかく、ほとんどのプレイヤーは<大災害>以前はただの一般人だったのだ。
「……あの女の子の言う事は正論だ。だが、正論を通すことによって生まれるものを考慮していない。
だから排除されるし、俺も排除する側に回る。
個人的には応援してやりたい気はするが……」
呻くカークスは、苦渋に満ちた顔で俯いた。
その姿を見ながら、ユウは静かに声を出した。
「言っていることはよく分かった。アキバも当初そうだったからな。
お前さんがいた<D.D.D.>自身、ほかのギルドと争い、あるいは吸収して巨大になったんだ。
だが、アキバの場合、<ゴブリン王の帰還>があったからね。
あれでひとつにまとまって、その後はまあ、落ち着いたみたいだね。
こっちも、大きな敵が現れない限り、変わらんだろ。
それこそ<正派>や<邪派>、あるいは既存の他の対立軸、それらを根こそぎ吹き飛ばすほどの敵がね」
「そうだな……」
ユウは立ち上がった。
ぱんぱん、と尻についた土を払うと、周囲のロープから<爆発>の毒を外し始める。
その姿に、カークスは驚いたように顔を向けた。
「どうするんだ?」
「さあね。だが忠告、ありがたく受け取ろう。
正直、私はレンインの力になりたいと思っているし、<正派>と<邪派>の連中のもくろみはどうあれ、
一般のプレイヤーはおろか、私やカークスのような行きずりの旅人すら捕まえて悪趣味な対人戦を強いる今の華国のありようは間違っていると思っている。
だが、それだけで周囲に変わることを強いるのが一面的であることも理解した。
後は何とかするさ」
「これ以上、お前やあの女の子が動くようなら、俺たちも剣を抜かないわけにはいかなくなるぞ」
「かかってこい、とは言わないが、落としどころを考えてみよう」
恫喝めいたカークスの言葉も受け流して、ユウは毒を片付け終えると、彼に向き直った。
「わざわざ会いにこれたということは、既に私たちには<正派>の監視がしっかり張り付いているということだろう。
忠告の礼として、こっちからも警告しておく。
余計なことをするな、とは言わない。
だが、むやみに仕掛けるのならこっちにも考えがある。
93レベルの<毒使い>を甘く見るなよ。
脅すわけじゃないが、こっちはウォクシンを倒したパーティだということも伝えておけ。
下手に手を出せば最後、安心して眠れる日は来なくなると思え」
「……伝えよう」
カークスが答えるのとほぼ同時に、ユウの姿はその場から消えていた。
◇
翌日。
ユウとカークスは、一晩あけてやや生気を取り戻したフーチュンとレンインを連れてある<妖精の輪>の傍に立っていた。
そこはレンインがヤマトへ向かった<輪>よりもはるかに小さい。
「どこへ抜ける<輪>なんだ?」
「さあね。ただ、このまま<嵩山>の近くにいてもどうにもならんよ」
ユウはそう言い、真っ先に輪の中にずかずかと入っていく。
不安そうな二人の男女ににこりと微笑むと、ユウは手を伸ばした。




