48. <大演武>
1.
<大演武>
運営の与えるクエストだけでなく、多くのプレイヤーを抱えていた<エルダー・テイル>では、プレイヤー自身が作り上げてきたイベントの歴史もまた長い。
アイテムを持ち寄ってのバザーや、<吟遊詩人>たちによる合同コンサートといった平和的なものから、街を奪い合っての戦いや、時にはサーバを割っての<高句麗事変>のように、プレイヤー同士の争いを運営がレイドコンテンツにしてしまったものまで、その種類は多岐に渡る。
その中でも中国サーバで年に一度行われる<大演武>は、プレイヤー主体の独立イベントとしては最大級のものであると同時に、ユウたちPvPプレイヤーにとっては晴れ舞台ともいえるイベントだった。
世界各国から腕自慢の対人家たちが集まり強さを競う、華やかなコンテンツだ。
運営の用意した大規模戦闘のように素晴らしい報酬があるわけではない。
<エルダー・テイル>の世界設定の裏を読み解くような楽しみがあるわけでもない。
ただ、まだ見ぬ強敵との戦いと、勝利と敗北、そして勝利者に与えられる「世界最強」の名誉。
それだけの報酬に、ある者は西欧から、ある者はウェンの大地から、またある者は暗黒大陸から華国に集う。
ただ、強い敵と死力を尽くして戦うために。
ユウも無論、毎年のように出場していた。
予選落ちだったこともあれば、準決勝まで勝ち抜いたこともある。
安定した強さでこそないが、ツボにはまれば爆発的に勝ち抜く彼女を、他の対人家たちが称して「勝負師」と呼んだのも無理のないことではあった。
だが。
(こんなものが<大演武>か!)
内心でユウは叫んだ。
ユウたちが今いる場所は<日月侠>の総本山、<黒木崖>の一角にしつらえられた演武場だ。
衛士はいないが<銀行>や<大神殿>が存在する、こうした場所が中国サーバにはそこかしこにある。
それもまた、華国で対人戦が盛んだった理由のひとつでもあるのだが……
ユウは空を見上げた。
抜けるような青空に<日月侠>の旗が翩翻とひるがえり、旗の模様が一種類であることを除けば、確かにかつての<大演武>と同じ光景だ。
しかし、行われているのは誇り高い対人戦ではない。
「ぐはぁっ!!」
血まみれで倒れ伏した、ある<崋山派>の男の断末魔に、思わずユウは唇を噛んだ。
武器も衣服も砕かれ、破られ、半裸で崩れ落ちる男の姿が、光に変わっていく。
その行き先は同じ<黒木崖>の<大神殿>だ。
手持ちの装備をすべて壊され、それでも終わることのない虐殺。
それが、ウォクシンが告げた<大演武>だった。
そのウォクシンは、演武場の最上段に設えられたビロード張りの玉座に座り、酒を片手に面白くなさそうに男の死を眺めている。
ユウは、再び全身の血液が沸騰するような怒りを感じていた。
捕らえた敵を、ろくな武装も持たずに演武場に放り込み、さながら古代ローマの剣闘士のごとく戦わせ、殺してはまた戦わせる。
例え死しても終わりではない。
死んだ剣闘士が起き上がるのは同じ<黒木崖>だからだ。
目覚めた途端、待ち構えていた<日月侠>に押さえつけられ、再び<演武場>に放り込む。
肉体を滅ぼせない代わりにその心を折る、それは対人戦という皮をかぶった拷問だ。
その真実を知ったとき、ユウの全身を激情が焦がす。
<対人家>という肩書きを誇りと共に名乗ってきたユウにとって、それは許されない恥辱だった。
(殺す!!)
次の出場者たちが放り込まれた狭い控えの間から、遠くに座るウォクシンを睨む。
視線だけで相手を殺す、<魔眼>のサブ職業が今ほどほしいと思ったことはない。
そんな彼女を、そばにいたフーチュンが心配そうに見つめた。
彼も、ユウと会ったときの白一色の服ではない。
胴だけを守る簡素な鎧に、たいした能力もないノーマルランクの長剣を差している。
彼は、全身から怒気を漲らせたユウにおずおずと声をかけた。
「ユウ。ユウ……すまないな」
「何がだ」
「いや……こんな華国人同士の争いに巻き込んじまって。
お前の旅の目的は、こんなものじゃないんだろう?」
「そんなものはどうだっていい!」
激情のままに叫んだユウを、フーチュンは目をぱちりと開いて眺め、
周囲で暗い顔をしていた<崋山派>や他の囚人たちがのろのろと顔を上げた。
「対人家にとって何よりも大事な対人戦を……こんな風に歪めたあの男だけは生かしておけん。
旅の目的? 世界の謎? 知ったことか。
あのクズを引き摺り下ろして顔面を紅葉おろしみたいに摩り下ろすまで許さん」
「見覚えのある姿だと思えば……お前、あのときの忍者か」
暗がりから別の声が響いた。
振り向いたユウたちの前に、がしゃ、と重々しい音を立てて一人の男が現れる。
その目鼻立ちは<華国人>とは違う金髪に青い目だった。
男の名前にユウは見覚えがない。
だが、ギルド名には見覚えがあった。
その男が今もなお掲げるギルド名は、<第二軍団>といった。
◇
<第二軍団>。
もはやユウにとっては朧ろげな昔となった、西欧サーバ、<七丘都市>への遠征。
その時に戦った白銀の騎士が率いているギルドだ。
主な活動範囲は華国と、ユーレッド大陸をはさんだ反対側であり、それこそ<大演武>以外でこのような場所にいるはずもない。
その男はカシウスと名乗ると、薄汚れた鎧をがしゃがしゃと鳴らしてユウのそばに座った。
警戒心もあらわのフーチュンに、疲れた顔で笑顔を見せる。
「よう、俺はカシウスだ。セブンヒルのギルド、<第二軍団>の<騎士>さ」
「なんでセブンヒルの騎士がこんな場所にいるんだ?」
返礼ではなく疑問で返したフーチュンに、カシウスは苦笑して肩をすくめる。
「あの<大災害>以来、セブンヒルもろくな場所ではなくなってな。
軍団長の命令で、あちこちに避難場所を探そうとしていたのさ。
そうしたら、<妖精の輪>に入っちまって……気づいたら華国さ。
あの連中に道を尋ねたら、遠慮会釈なく気絶させられて、今に至る、というわけだ」
「あんたらの軍団長は無事なのか?」
ユウの質問に、カシウスは再び知らない、というジェスチャーで返した。
「さあね。少なくとも俺が出発する、2ヶ月前までは元気だったよ。
その後は知らないな」
「あの男も<大災害>に巻き込まれたのか……」
かつて剣を交えた白銀の騎士を思い出す。
その男と、互いに画面の向こうから戦った思い出も、今のユウには色あせた記憶でしかない。
なおも話そうとした3人の耳に、銅鑼の音が轟いた。
新たな剣闘士を呼ぶ音だ。
「さて。次は俺だな」
補修もされていない、ぼろぼろの鎧をまとい、カシウスが立ち上がる。
その目は快活なようでいて、ブラックホールのような虚無に満たされていた。
「今日でこの<神殿騎士の鎧>ともおさらばだろうなあ。
まあ、気にせずやるさ」
「武運を祈る」
「武運?」
ははっ、と笑うカシウスの、嘲笑めいた声が頭を下げたユウに叩きつけられた。
「武運なんて、そんなもの端から無いね。この腐り果てた<大演武>の成れの果てにはな」
そういって扉を開けるカシウスを、ユウもフーチュンも黙って見送るしか出来なかった。
2.
「さて、今日の相手は誰だ?」
広い演武場の中央で、剣を肩に担いでうそぶいたカシウスを、無数の目が見下ろした。
それらの視線に一様にあるのは、薄汚れたセブンヒルの騎士への嘲笑と哀れみの視線だ。
ユウはぶるっと震えた。
あのカシウスという男は、どれほどこの無情な視線にさらされ続けていたのだろうか。
どぉん、と再び銅鑼が鳴る。
その音と共に、演武場の逆方向から進み出た人影に、ユウは見覚えがあった。
濃緑のローブをまとい、顔をフードで隠した<刺客>だ。
それは毒の一撃でユウを沈めた、<五毒>の<毒巧手>の不気味な姿だった。
「今日は盟友たる<五仙>の豪傑、江湖にその名を轟かせる<毒巧手>のヤンフォンに相手をしてもらおう」
何らかのアイテムでも使っているのか、ウォクシンの気だるげな声が<黒木崖>に木霊する。
盾と短い馬上槍を構えるカシウスに、顔をみせないままヤンフォンが軽く会釈した。
フルプレートアーマー、<神殿騎士の鎧>の面貌をがしゃりと下ろし、カシウスがヤンフォンに対峙する。
殺気を漂わせる二人の上で、がぁん、と強く銅鑼が鳴った。
「<飛刀毒之>」
陰気な声がかすかに聞こえたかと思うと、カシウスに向かって銀色の光が飛ぶ。
カシウスは読んでいたのか、落ち着いて盾で光を受け止める。
かしゃ、と落ちた短剣を拾うように、ヤンフォンがいきなり動いた。
ローブ姿から魔法職だとばかり思っていたが、先ほどの絶技といい、<刺客>のようだ。
「<オーラセイバー>!」
打ち出された光の球をひょいと避け、一瞬の後にはヤンフォンはカシウスの目の前に立っていた。
「<蛇毒>」
その名のとおり、体をくねらせる蛇のような動きでカシウスに緑の光が伸びる。
「<シールドスマッシュ>!」
しかし、光よりもカシウスがぶんと振った盾のほうが早かった。
周囲の観衆からざわめきが上がる。
地面に押しつぶされるような盾の一撃を受け、ヤンフォンが吹き飛んだ。
ごろごろと無様に転がるヤンフォンを、しかしカシウスは追撃しない。
盾を胸元に構え、変わらず馬上槍を構えて、兜の中から睨んでいるだけだ。
戦場に静寂が落ちた。
転がったまま動かないヤンフォンに、油断なく盾を構えるカシウス。
そのままの姿勢の二人を、時間だけが静かに包む。
その時、扉から見ていたユウが気づいた。
カシウスのブーツ、足の甲がある辺りを短剣が刺し貫いているのを。
静かにヤンフォンが起き上がり、キシシ、と嫌らしい笑い声を上げた。
「どうやら、馬鹿ではないようだ。感心、感心」
嘲弄するようなヤンフォンの声にカシウスはこたえず、やおら馬上槍を突き出した。
その穂先から飛ぶ<オーラセイバー>は、あさっての方向に飛んでいき、不運な観客を巻き込む。
しかし、カシウスにそれらを見る余裕はない。
先ほどまでの闘志に満ちた鋭い動きとはまったく異なる、ふらふらと焦点が定まっていない動きで彼は落ちそうになる穂先を構えていた。
<シールドスマッシュ>で吹き飛ばされる一瞬、ヤンフォンはカシウスの足に毒を叩き込んでいったのだった。
その動きはユウの目をもってさえ、かすかに手が動いたくらいしか見えないものだった。
すさまじい腕前だ。
そんなユウに気づくこともなく、ヤンフォンは仁王立ちするカシウスに再び笑い声を上げた。
「キヒヒ。<痴愚毒>はどうだ? お前は今、まともに考えることも、狙いをつけることも出来ない。
出来損ないの<騎士>よ。その白い鎧を粉々にしてから、<大神殿>へ送ってやろうぞ」
「……っ!」
ユウは扉にはめられた窓の鉄格子ごしにうめいた。
いかに優れた対人家でも、思考能力を奪われれば終わりだ。
優れた対人家同士の勝負とは、名人同士の将棋や囲碁にも似て、相手の行動を封じ、自らの勝ちパターンへ持っていく、一種の知恵による勝負でもあるからだった。
不意に、ユウの脳裏に先ほどのカシウスの目が蘇った。
あれは、がむしゃらに勝利を望む目ではない。
敗北を予測して、それでも行かなければならない絶望の目だ。
そう思った瞬間、ユウは扉を思い切り蹴り飛ばしていた。
◇
演武場に歪な音が轟いた。
誰もが、ウォクシンも、ヤンフォンでさえも、砕け散った扉を見る。
その向こうで長剣を振り下ろしている<侠客>を背に、ゆっくりと演武場に入ってくる女が見えた。
「<斬鉄剣>。サンキュ」
<侠客>が<武士>同様に持っている、あらゆる建築物を一刀両断する絶技で扉を斬り割ってもらったユウは、ゆっくりと進み出るとカシウスを守るようにその前に立った。
「女。お前の出番ではない」
「そもそも対人戦でもないのに出番もクソもあるか」
頭上から降ってきたウォクシンの声に、ユウがぼそりと憎悪に満ちた声を返す。
呆気にとられているのか、動きを見せないヤンフォンの前で、ユウはいきなり手に持った剣を投げ捨てた。
奪われた愛刀たちの代わりにと渡された、何の特殊能力もないただの剣だ。
それを簡単に投げ捨てると、素手のままユウが両手を上に挙げる。
何の根拠もない。
元の<エルダー・テイル>では、こんな能力を持つ武器など、一部の<幻想級>が持っていたくらいのものだ。
だが、不思議とユウには、二振りの愛刀が自分の望みに確かに応えてくれる気がしていた。
だから、叫ぶ。
「<風切丸>!!<毒薙>!!来い!!」
青と緑、二つの光が次の瞬間、ウォクシンの背後から飛び出し、掲げられたユウの手にたどり着く。
光が収まったとき、彼女の手には二振りの日本刀が握られていた。
◇
「……ほう」
ウォクシンの、かすかに驚いた声が小さく響いた。
インベントリにもない、離れた場所の武器を一瞬で呼び寄せる機能など、元の<エルダー・テイル>にはない。
そしてユウのMPは、使われていないことを示すように真っ青なままだ。
つまり、主の元へと戻った刀は、己の能力のみでその信じがたい事象を可能にしたのだ。
失われていた愛刀を握り締め、ユウは叫んだ。
「<毒遣い>!!ヤマトの<毒遣い>が助太刀する!」
「……これは、これは」
フードの奥でヤンフォンの口が歪んだ。
笑ったのだ。
だが口にしてはそれ以上をいわないまま、黙ってヤンフォンは頭上のウォクシンを見上げた。
ウォクシンが頷く。
再び<五毒>の<毒遣い>が前を向いたとき、がぁん、ともう一度銅鑼が鳴った。
試合が変わる合図だ。
その瞬間、演武はカシウスとヤンフォンによる決闘から、ユウとヤンフォンの決闘に変わったのである。
「また、手もなく倒されたいか?」
そういうヤンフォンの前でユウの姿が掻き消えた。
いや、消えたのではない。
<疾刀・風切丸>と<上忍の忍び装束>、ふたつの装備からもたらされた80%に及ぶ速度増加効果が、さしものヤンフォンの目をも欺き、ユウの体を瞬時ともいえる速度で動かしたのだ。
次の瞬間ヤンフォンが走る。その袖から何かがパラパラと零れ落ちた。
撒き剣だ。
無論、切っ先を宙に向けたそれらには、<五毒>で練りに練った毒薬がたっぷりと塗られている。
自分を取り囲むように撒き剣を投げつつ走るヤンフォンの首が不意にかしいだ。
そのまま、自らの撒き剣に貫かれないよう、わざと重心を傾けて横っ飛びに飛んだヤンフォンの前に、ユウが姿を現す。
勝負は意外なほど一瞬だった。
目にもとまらぬ速さで毒の剣を振りぬいたヤンフォンの全身から血がしぶく。
そのまま彼はぱた、ぱた、と数歩歩いたかと思うと、不意に全身を痙攣させて倒れこんだ。
誰もが幻を見ているような、妙に空想的な光景に、不意にユウが現れる。
彼女は足でごり、と痙攣しているヤンフォンを踏みつけると、いとも簡単にその首に刀を突き立てた。
ひときわ大きくヤンフォンの手足が震えたかと思うと、力を失った肉体がぱたりと地面に伸びた。
ごり、ごり、と刃が骨を割る音だけが響く。
やがて、つかみあげたユウの手には、信じられないという表情を凍りつかせたヤンフォンの生首が握られていた。
見る見るうちに光となって消えていく首を、おぞましげに投げ捨てると、ユウは傲然と周囲を見渡した。
その左手が頭上はるかな位置にあるウォクシンの喉を正確に差す。
無言の勝ち名乗りを上げた<暗殺者>の目は、次は貴様だ、といわんばかりに、
眠たげなウォクシンの視線を真っ向から貫いていた。




