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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第四章 <侠の天地>
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45. <破城>

1.


 吹き抜ける風が、乾いた音と共に砂を巻き上げる。

石礫(いしころ)が、茫漠たる地平線へ向かってゆっくりと転がっていく。

黄沙に覆われた空は、黄色い砂粒と化した太陽に薄暗く照らされ、

水気をまったく含まない大気が、ヒュウ、と音を立てて流れた。


四方は見渡す限り地平線だ。

遠くにかすかに森が見えるが、それが本物であるのか、蜃気楼の生み出した幻なのか、ユウの目から判別することは出来そうにない。



 ユウは歩いていた。

砂塵避けのマントを羽織り、頭には帽子を目深に被って、口と鼻とを布で覆っている。

歩く彼女の手には、枯れ枝が杖代わりに握られ、その足の横を、転蓬(よもぎ)が乾ききった音を立てて転がっていった。


山紫水明と言われるヤマトでは絶対に見ることの出来ない光景。

雪もなく、ただ乾いて冷たい風が人を芯から凍えさせる大地に、ユウは立っている。


(ここは、どこなんだ)


そう思っても、場所を示すよすがはどこにもない。

ステータス画面には「フィールドゾーン:炎州西宇」と書かれてあるだけだ。

ふと、かつて読んだ詩が思い出された。


「代馬不思越(代馬は越を思わず)

越禽不戀燕(越禽は燕を恋わず)

情性有所習(情性習う所あり)

土風固其然(土風もとよりそれ然らん)」


昔、テレビのドキュメンタリーで見たシルクロードの風景に似ているが、天地に自分以外誰もいないような寂寞たる孤独の中で、ユウは思わず歌っていた。

あの<妖精の輪>の前で思い切ったはずの望郷の念を込めた歌だ。

本当はさらに続くのだが、ユウは口をつぐむと、目にはいる砂を避けながら東を向いた。

どこに向かっているのか自分でも定かではないが、もしここが予想通り中央アジアであるならば、華国は東にある。

そう思い、自らの方向感覚のみを頼りに歩いているのだった。


続けて歌う。

彼女が鈴木雄一だった時から好きだった歌だ。


「太行山に北上するに、

(かた)い哉、何ぞ嶷嶷(ぎぎ)たる。

羊腸坂は詰屈し、

車輪これが為に(くだ)く。

樹木、なんぞ蕭瑟(しょうしつ)たる。

北風の声、将に悲し。

熊羆(ゆうひ)は我に対し(うづくま)り、

虎豹は道を(はさ)みて啼く。

谿谷は人民少なく、

雪落ちてなんぞ霏霏(ひひ)たり。

頸を延ばして長く歎息す。

遠行は(おも)うところ多し。

我が心は何ぞ怫鬱(ふつうつ)たる。

思いてひとたび東に帰らんとす」


歌い終えると、木霊にすらならないままに声は風に吹き消えた。

ユウは俯く。

旅に出てまだ一日にもならないと言うのに、口を開けば望郷の歌とは、と

自分が恥ずかしくなったのだ。

足取りを速めた彼女に、不意に後ろから声がした。


「いい詩だな」


ばっ、と振り返る。手はすでにマントの下の<蛇刀・毒薙>にかかっていた。


そこには、青年がいた。



 ◇


「どうした。歌っていたのではないのか」

「ああ」


陽炎のように表れた見知らぬ男に、ユウはかろうじてそれだけを返した。

なぜこの場にいるのか。

無数の疑問が彼女の頭を駆け抜ける。

先ほどまで、どの方向にもこの男はいなかったはずだ。

敵意をあらわにするユウに、苦笑して男は両手を広げて見せた。


イスラム圏のターバンのように頭に布を巻き、白いマントと洋服にも見える長袖長ズボンの服装は、砂避けのためか。

背に荷物を背負い、腰に長剣を差して、髭ひとつない若々しい顔立ちがユウを面白そうに見つめていた。


「魏武か。その前は李太白だな」

「ああ。魏武だ。好きなんでね」


腰の刀から一時も手を離さず、ユウが言うと、男はやや気分を害したように口を開いた。


「失礼な日本人だな。こっちは敵意がないというのに」

「こんな砂漠にいきなり現れた男を警戒するなと言うほうが無理だ」


硬い声でユウが返すと、呆れたように男はため息をついた。


「せっかくの顔がそんな表情では台無しだ。女ならもう少し色気を見せろ」

「その前に名前くらい名乗れ。残念ながら私は簡体字は読めないんだ」

「なるほど」


そういうと、男は苦笑して一歩距離を置いた。


「俺の名前はフーチュン。見てのとおり江湖の侠者さ。

あんたは、それはカタカナという奴だろう。こんなところに日本人がいるとは珍しいが、名乗ってくれないか」

「ユウだ」

「そうか。ユウ、よろしくな。ところでお前はここで何をしているんだ?」

「ヤマトから<妖精の輪>を渡ってきた。人里を探してるんだ。知り合いがいてね」

「ほう」


面白そうな顔のフーチュンに、ユウはとっさにレンインからもらった<日月侠>のギルドタグを出そうとして、次の瞬間踏みとどまった。

レンイン自身が言っていたではないか。華国の<冒険者>は、正邪に分かれて争っていると。

目の前のフーチュンという男がどちらの派閥に属しているのか、分からない中で安易に見せるわけには行かなかった。

だから、何も持っていないとばかりに右手を晒し、訊ねてみた。


「ところで、この近くに人間の里を知らないか?このままだと夜になるからね」

「うーん」


腕を組んだフーチュンが、思いついたように答える。


「人里、と言うとちょっと違うが、この向こうに古城がある。

そこなら一夜の宿くらい凌げると思うぞ。実は俺も旅人でね。そこへ向かう途中なんだ」


見知らぬ男と一緒に行けるか、といおうとしたユウだったが、いやいやと思い直す。

彼は見たところ武器攻撃職のようだが、華国人らしくレベルは90だ。

いざとなれば沈めることも不可能ではないだろう。

そもそも、目の前の男の情報以外に頼るべきものはないのだ。


内心の葛藤を終えたユウを、フーチュンは無邪気に誘った。


「じゃあ、一緒に行こうか」



 ◇


「魏武が好きなのか」

「ああ」


共に歩き出してしばらくして。

ユウとフーチュンは、ぽつぽつとだが会話を再開していた。

ちなみに魏武とは、魏の武帝を意味する略語だ。

その言葉が意味するものは、何人か存在する『魏の武帝』の中でも最も有名な一人、

『三国志』の一方の主人公、曹操のことに他ならない。


「日本人は三国志は好きだが、魏武の詩まで知っているとは思わなかった」

「好きなんだ、もともと。

だが<エルダー・テイル>の世界に放り込まれ、挙句ヤマトを離れてみて、改めて詩のよさに気づいたよ」

「そうだろ。魏武にしても李太白にしても、故郷を離れた旅の詩がいいと思うんだよ。

寄る辺のない悲しみや苦しみがよく分かる」

「そうだな」


会話を交わしながら、ユウは徐々に目の前の男に警戒心が薄れていくのを感じていた。

やがて、砂の向こうにおぼろげな石造りの城が見える。

かつて牙門旗を掲げていたであろう望楼は崩れ落ち、版築(れんが)で出来た城壁は砂に半ば溶けているようだった。


「あそこか?」

「ああ」


答えるフーチュンの目は鋭い。

声もいつの間にか陽気な口調ながら、かすかに硬さが見られるものになっている。

どうしたんだ、とユウが尋ねる前に、崩れた城門に雲のようなものが入っていくのが見えた。

刀槍の煌きと、袋に詰められて暴れる何かがユウの目を射る。

思わず見つめた彼女の横を、弾丸のようにフーチュンが駆け抜けた。


「お、おい!」

「93レベルのユウ!手伝え!!」


あれは馬賊だ。

そう気づくより先に、思わずユウは走り始めていた。




2.


 チュン・ウー・ズィミンは上機嫌だった。

もともと東の地域をねぐらにしていた彼の一党が、遥か西の沙漠の古城に拠点を構えてほぼ1年になる。

最初は、いくら防いでも降りこんでくる砂と、水もろくにない状況で部下ともども愚痴る毎日だったが、徐々に獲物を捕まえられるようになるとそうした不満も水が引くように消えていった。

今では、攫ってきた家畜や食料をむさぼり、女を抱き、男や子供は奴隷として、たまに来る商人に売り飛ばすことできちんと生計を立てられている。

昨年の異変以降、ちょっと騒げばすぐ襲ってくる武林の連中が内輪もめに終始していたのも幸いした。

現在、華国は麻布を裂いたような混乱の中だ。

運がよければ元の場所に帰れるかも知れねえ、とズィミンは内心ほくそえみながら、そばに引き据えた遊牧民の女を裸に剥こうとしていた。


その時。


「悪党ども!!」


聞き覚えのない声がズィミンの酔った耳を叩いた。


「なんだぁ?」

「無辜の民を苦しめる悪漢ども!たとえ華王が許そうとも、<崋山派>はこれを許さず!

大人しくすればよし、さもなくば斬って捨てるぞ!」


彼と手下たちの目の前。

大広間のドアを蹴り飛ばし、そこには青年が片手に長剣を掲げて立っていたのだった。


「武林の乱暴者か!」

「何でこんなところに!」

「うるせえ!!」


慌てふためく部下たちを、ズィミンは一喝した。


「見たところ一人だ。たった一人の野郎に、なんで百人もいて怖気づかなきゃならねえ!

俺たちゃ江湖でも名前を知られたツォン団だろうが!

構わねえ、殺せ!」


首領の号令に、応とばかりに男達が剣を抜く。

しかし、彼らが動き出す前にフーチュンの足は地を蹴っていた。


「<蜂刺>!」


抜き放たれた長剣が影すら残さず一人の喉に入る。

すぱ、と軽やかに裂かれた首が血を吹き上げる間もなく、別の男に蹴りが入った。

その動きに間断はなく、剣を振る仕草がそのまま体幹を通して蹴り足に繋がっていた。


「<天馬跳>!」


日本で言うならさしずめ<ユニコーンジャンプ>だろうか。

高く飛び上がるフーチュンを見て、初めてユウは彼が<盗剣士>であることを知った。

呆気にとられる馬賊達の中央に、フーチュンはすたりと着地すると、叫ぶ。


「ユウ!」

「はいよ」


ユウはひらりと舞い降りた。

首領、ズィミンの真横に。

あまりのことに剣を抜くことすら忘れて惚ける彼に、ユウは青く光る刀を突きつけた。


「詰み、だ。」


バラバラと武器を落とした馬賊たちが、抵抗する者は殺され、大人しくなった者は高手小手に縛り上げられたのはそれからしばらくしてのことだった。



「どうする?」


縛られて項垂れる馬賊たちから振り向いてフーチュンが言った。

言葉はユウに向けられたものではない。

彼が声を掛けた先、先程まで奴隷だった男女がのろのろと顔を上げ、その表情を見た馬賊達が絶望の呻きを漏らした。


奴隷達の一人、傷だらけの男がゆっくりと立ち上がる。

そして転がっていた槍を手に取ると、一人の馬賊の前に立った。


「おま、待て、今俺たちをやれば別の部隊が」


命乞いか恫喝か、自分でもわかってないであろう声をあげるその馬賊を、手にした槍でいきなり刺す。

そのまま、叫ぶ馬賊の傷口をぐりぐりと抉りながら、奴隷だった男が言った。


「母を殺し、妻を犯した。お前だけは、許さん」


その言葉に奴隷達が次々と立ち上がり、馬賊達に向かって行く。

たちまち虐殺現場となった広間の片隅で、フーチュンは意外そうにユウへと顔を向けた。


「止めないのか?」

「なんで?」

「いや、日本人ってのは理由がどうあれ平和を愛し、暴力や殺人を嫌うんじゃないのか?」

「ステレオタイプだな」


ユウが笑う。


「正当な復讐は常に正しい。自らや家族の尊厳を奪われた人間が、相手の命を奪うのは当たり前だよ」

「日本人は誰もそうなのか?」

「さあね。頭の中が平和と言う花畑で埋め尽くされた馬鹿も中にはいるさ。

でも大抵の人は理不尽には理不尽で返すべきだと思うだろうし、命は命で償うものだと思うよ」

「へえ」


鼻白んだフーチュンから視線をそらし、ユウはなおも殺戮に目を向ける。

一際大きな悲鳴を上げ、チュン・ウー・ズィミンが倒れこんで、宴は終わった。


死者が光へと変わり、奴隷達が馬賊の馬に乗って故郷へ帰っていく。

夜の騎行が危険であることは百も承知で、彼らは家族に無事を知らせるべく、手綱も鞍も暗く見えない中を走るのである。


二人残されたフーチュンとユウは、どちらからともなく顔を見合わせるとふ、と笑った。


「晩飯にしようか」


そう言う彼のステータスには<厨師>と入っていた。

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