43. <毒と厄>
1.
うっすらとした午後の日差しが優しく差し込む、小さな部屋。
どこか長閑さすら漂うその部屋を、しかしユウは知らない。
周囲を見回した彼女は、その時始めて自分が下着姿であることに気が付いた。
「な、な?!」
服も、刀すら見当たらない。
慌てたユウは、足元に見慣れた皮のバッグが置いてあることに気がつき、慌てて中身を漁ってみた。
ある。
刀や衣服、身につけていたあれこれがきちんと中に入っている。恐らくだが、無くしたものはない。
では、なぜ私は知らない部屋に裸で寝ていたのか?
もはやパニックのユウは、手早く衣服を纏うと、袋から二振りの刀を抜いた。
慎重に、周囲を見回す。
布団や自分自身の様子から、女性であれば自殺すら考えるかもしれない恥辱を与えられた可能性は低いが、状況は不明だ。
あの殺人鬼事件以降、アキバの衛士システムが何らかの理由で稼動しなくなったことは把握している。
いざとなれば、出会った人を残らず殺してでも、状況の把握に努めるつもりのユウだった。
キィ。キィ。
かすかな、木のきしむ音が聞こえた。
蝶番に油を差し、ゆっくりと音もなく開けた扉の向こうに、木製の椅子が揺れている。
宿屋の入り口のようだ。
人の姿はない。
人気のない広間に並んだ机と椅子は、妙な圧迫感を持って彼女に迫っていた。
扉を出ようとしたとき、近くの机に一枚の紙がナイフで止められていることに気づく。
何の気なしにちぎってみれば、誰かの書き残した走り書きのようだ。
地名、もしくはイベント名らしいいくつかの単語が、崩した日本語で書かれていた。
状況をまったく理解できないユウだったが、残っていても始まらない。
手早くメモの地名を覚えると、彼女は静かに陽光が溢れる外に歩き出した。
◇
外に出た瞬間、眩しい光が目を焼く。
一瞬驚くが、彼女のいる位置がアキバの大広場周辺にある宿屋の一角だということに、さらに彼女は驚いた。
商業都市アキバの、いわば一等地であるその周辺は、食事にせよ宿泊にせよ、他の地区と比べて明らかに高価な店が軒を連ねている。
普段のユウなら、足を向けようとも思わないような場所だった。
周囲は、雑然としていた。
すれ違う<冒険者>たちは、誰もがこの世に不幸なことなどない、というような顔で仲間と談笑しながら通りを歩いている。
<スノウフェル>が終わるほどに眠っていたわけではない、ということが分かり、ユウは思わずほっとした。
しかし。
(昨日、何があったんだ?誰といたんだ?思い出せん……)
考え込んだ瞬間、頭痛が頭に沸き起こる。
<大災害>以降、初めて味わう強烈な二日酔いに、ユウは思わず片膝をついた。
そのまま頭を抑えるユウに、頭上から声がした。
「あの、ユウさんじゃありませんか?」
「はぁ、……あ?」
見上げたユウの目の前で、男女が3人、心配そうな目を向けている。
名前にもレベルにも見覚えがないが、レベルが高いことと、現代風の衣服であることから、<冒険者>であることは明らかだ。
ギルド名にはかすかに見覚えがある。それほど大きくない生産系のギルドだった。
もちろん、ユウとは『同じゲームをやっていた』以外、一切接点のない人々だ。
「大丈夫ですか?ご気分が悪いんですか?」
「あ、ああ」
どことなく既視感があるな、と思いながら頷くユウに、一番前の女性が水を差し出す。
礼を言って人心地ついたユウは、ところで、と男女に目を向けた。
「あなたがたとどこかでお会いしたかな。助けていただいたことは礼を言いますが、忘れているので……」
目を丸くしている3人に、なおも言い募る。
「失礼なのは重々承知なのだが、本当に思い出せないんだ。どこで面識を得たのかな」
「……その口調、どうなさったんですか?」
「は?」
絶句したユウに、心配そうに一行のリーダーらしい女性が説明した。
「あんなにはしゃいでうちのドレスを買っていってくださったじゃないですか。
お仲間も喜んでおられたし……」
「ドレス?お仲間?」
「ええ。<ホネスティ>の」
あわてて鞄を逆さにすると、マーメイドスタイルというのか、やや太股部分のくびれたドレスがぽろん、と転がり落ちた。
製作者の名前と、目の前で不審そうにしている女性の名前は、同じだ。
さらには、ユウが見た覚えのないドレスがばさばさと転がり落ちるに及んで、ユウは立ちくらみがして再び地面に手をついてしまった。
「……なあカズミ。この人、覚えてないんじゃないか?」
「ええー……」
「……すまない」
信じられない、という顔をする3人に、落ち込んだ顔でその夜に会ったことを聞くと、
彼女たちが見た光景は、このようなものだった。
◇
その日。
アキバに数ある生産系ギルドのひとつ、<リーデンス>のカズミは、夜遅くまで呼び込みの声を張り上げていた。
<スノウフェル>は、<天秤祭>に次ぐアキバの大規模な祭りである。
事情が事情だけに、暢気に新年を祝う、というわけにもいかないが、それでも祭りは祭りだ。
<天秤祭>で、<大地人>商人との付き合い方もそれなりに覚えた彼女たちにとって、
アキバの服飾系ギルドが集まった『試着ドレスフェア』は、それなりに気合を入れたイベントなのだった。
「きれいなドレスですよー。お土産に、贈り物にいかがですかー?」
フェアの趣旨から売り物は派手なナイトドレスやイブニングドレスに限られているが、それでも目を向けてくる客は多い。
半日近く売り子を務め、へとへとになっていた彼女は、そのとき大通りのほうから2人の女性が歩いてくるのを目にした。
黒く無骨な衣装をまとった黒髪の女性と、大学生っぽい落ち着いた服装の栗色の髪の女性だ。
<冒険者>は一般的に端正な顔立ちだが、特に黒髪の女性の立ち居振る舞いは美人というより上品で、思わずカズミは声をかけていた。
「あの」
「うん?わたし?」
「ええ。よかったらお客様、ドレスを見ていかれませんか?お似合いのものがきっとあると思いますよ」
「へえ」
「あの、ユウさん。もう帰ったほうが……」
「いいわね。見せてくれる?」
「あ、はい」
栗色の髪の女性の制止をほぼ完全に無視して答えた黒髪の女性に、カズミはあわてて足元の木箱をひっくり返す。
上背の高い、すらっとした女性だ。特にまとめることもせず、背中に流しただけの髪も美しい。
やがてカズミが取り出したのは、黒いマーメイドスタイルのドレスだった。
黒一色ではなく、微妙な濃淡がコントラストを生み、肩や腰にはアクセントのように刺繍が施されている。
<冒険者>の衣服らしく、腰の帯止めには金具が取り付けられ、剣を提げることができるよう、工夫も施されていた。
「これ……ですけど」
覗き込む黒髪の女性に圧倒されながら、カズミがおずおずと差し出したその服を、彼女はしばし眺めて頷いた。
「試着は?」
「できます」
「なら頼みましょうか」
やがて、出てきたその女性を見て、カズミも、一緒にいた仲間たちも、後から来た二人の女性の仲間たちも一様に嘆息した。
美しかったからだ。
涙すら流して拝んでいる禿頭の男性に聞いてみれば、ユウというその女性は、せっかく顔立ちもスタイルもいいのに、いつも無骨な忍者装束ばかりで色気もなにもないのだという。
やっとお洒落を覚えてくれた、というその男性<武闘家>が、まるで娘の成長を喜ぶ父親のようで、思わずほろりときたカズミも、口を極めて女性を褒めちぎった。
その騒ぎは周囲にも拡大し、次々と周囲の出店がアクセサリやドレスを押し付け、
店の前はちょっとしたショーのようになってしまい、<円卓会議>の係員の手で解散させられてしまったが、結局ユウは山ほどのドレスを即金で買い込み、意気揚々と去っていったのだという。
「嘘だ……」
呆然とつぶやくユウを、気の毒そうに3人が見る。
やがて、目の前の女性―カズミからすっと紙が一枚差し出された。
そのときのことを<画家>が模写した、似顔絵だ。
写真の代わりによく用いられている技術だった。
そこには、白いドレスに身を包み、手にブーケを持って満面の笑みを見せているユウの姿が、まるで動き出しそうな躍動感で活写されていた。
◇
カズミたちと別れたユウは、手に似顔絵を持ったまま、ふらふらと町を歩いていた。
結局、彼女は自分が意識を飛ばしていた間、女性として振舞っていたことにようやく気づいたのだ。
(アイデンティティの危機すぎる……)
何がどうなってそうなったのか分からない。
だが、まったく顔も知らない他人が証言しており、あまつさえ物的証拠まである以上、事実とみなすべきだろう。
致し方ないとはいえ、自分のおぞましい姿にユウは再び絶望のため息を漏らす。
そのとき、横合いから声がした。
「ユウさん?」
「ああ。ユウは私だが」
目を向ければ、そこには<D.D.D.>のタグをつけた<冒険者>が立っていた。
レベルは50そこそこ。以前彼女がザントリーフで戦った<暗殺者>ではない。
「ユウさん、約束どおり髪を切ってきました!デートお願いします!」
「よそを当たれ!!」
その後も「デートの約束を取り付けた」「好きだと言われた」「可愛いと言われた」という<冒険者>はアキバのあちこちでユウに声をかけ、
彼女はただでさえ失いつつある平常心と克己心を限界ギリギリまで削り落としたのだった。
◇
ユウは祭りの隙間を縫うように街路の片隅にある大樹の虚に身を潜め、誰憚ることなく頭を抱えていた。
(何が起きたんだよ)
突発的に毒を呷りそうになる自分を、歯を食いしばって耐える。
際限ない自嘲と罵倒に苛まれながらも、彼女はここで1時間以上、自分の行動を再構成していたのであった。
聞く限りでは、とても今のユウからは同じ肉体を持つ人物とは思えない。
(<鏡像>の仕業か)
呻くユウの声を当の<鏡像>が聞いたら激怒するだろう。
だが、少なくともドレスをきゃっきゃと言いながら喜び、若者に偉そうに「女の子」指南をした挙句抱きつかれ、ミスコンに出て……と、乱暴狼藉と言うにもおこがましい行為をした自分を、「自分」として認めたくはなかった。
暗い目で宿屋にあったメモを思い返す。
ドレスフェア。
ギルドホール。
広場のミスコン。
酒場「レイチェル親方亭」
アメノマ。
間違いない。
あれはお節介な誰かの手による、ユウの行動の記録だ。
日付を確かめると、アキバに帰ってから2日が過ぎている。
つまり、少なくとも1日以上に渡って、ユウは変な行動をしていたことになる。
(あのトンチキども、なぜ止めなかった!)
恨むのは筋違いだとわかっていてなお、グラグラとした憎悪が止められない。
見つけたら皆殺しにしよう、とユウが思いを新たにした時、不意に女の声が木の虚に響いた。
「やあ、ユウじゃないか」
何十度目か分からない声掛けに、八つ当たり気味にユウが目を向けると、浅黒いドワーフの少女がこちらを眠そうな目で見つめているのが見えた。
「<アメノマ>から出てくるとは珍しいな、多々良さん」
「昨日のあんたほどじゃないよ」
そういって、ほんの微かにドワーフの<刀匠>は笑った。
2.
「なるほどね。道理で昨日のあんたは変だと思ったよ」
狭い木の虚に苦労して座った多々良は、開口一番そう答えた。
手に持った紙袋には、フランスパンが窮屈そうに入っている。
ギルドから出たことが殆ど無いと言われる多々良だが、どうやら食事を買いに出ていたらしい。
納得したように頷く多々良に、ユウはぼやいた。
「もういい加減聞きたくもないが、迷惑をかけているなら謝って回らねばならん。
すまないが、<アメノマ>では何をしたんだ?」
言外にかなりの謝罪の気持ちを込めたユウの問いかけに、多々良は軽く首を傾げる。
「何をした、といっても……特に変なことはしていないよ。まあ、口調は十分変だったけど。
私を訪ねてきて、刀の礼を言って、由来と能力の説明を聞いていっただけさ。
まあ、その様子だと、どうせ覚えちゃいないだろう。
もう一度説明しようかね」
そう言われれば、と、ユウも腰から抜いて木に立てかけておいた刀を手にとった。
今は鞘に隠れて見えない緑の刀身の輝きを思い出す。
多々良が打ちなおした<蛇刀・毒薙>は、カテゴリでいえば<製作>級だったが、かつての<秘宝>級刀である<堕ちたる蛇の牙>よりも明らかに性能が優れている。
非常にささやかながら、<エルダー・テイル>だった頃にはあり得ない変化だった。
そして、スワの戦いの最後。
瀕死の<鏡像>を光の中に分解していった謎の力。
それは、かつての<堕ちたる蛇の牙>では持たなかった能力だ。
自分の奇行は脇に置き、ユウは黙って多々良の小さな口を見つめた。
「まず、気づいているとは思うが、その刀は単なる<堕ちたる蛇の牙>の打ち直しじゃない。
これは、あんたが持っていた二振りの刀、<蛇の牙>と<妖刀・首担>の合成なんだ」
合成。
一般的にそれは、複数の素材アイテムを用いて別の一つのアイテムに作り変える行動を指す言葉だ。
広い意味では、<調合師>の調薬や、ユウ自身が行う<毒使い>の毒薬製造も含まれる。
<エルダー・テイル>がまだゲームだった時代、合成という行為は決してマイナーなものではなかった。
武器や装備を合成することもあたりまえのことだったのだ。
しかしそれは、あくまで素材アイテム同士、あるいは素材アイテムと既存アイテムの合成に限られていた。
<狂骨の欠片>と<冥府の黒鋼>から<狂骨剣>を作る。
製作した鎧に<魔宝珠>をつけて対アンデッド防御能力を高める。
そうしたことは行われたが、すでに存在する複数のアイテムを無理やりつなげることなど、システムでできるものではない。
まして、片方は大規模戦闘の報酬になるような<秘宝>級の武器なのだ。
「わたしはそもそも地球での刀鍛冶の方法も知っていた。
壊れたあんたの刀たちを見た時、ふと思ったんだ。
<料理人>が料理を作り、<毒使い>が毒を作れるこの世界で、<刀匠>たる私がステータス画面によらず自分で刀を打ってみたら、どうなるのかってね。
すでに自分の作った刀では試してみた。ちょっとしたマジックアイテムでもやってみた。
だが、<秘宝>級をいじるのははじめてだ。
だから私はあの時あんたに断ったんだよ」
ユウは目の前の<刀匠>にはじめて会った時のことを思い出す。
彼女は『お代は言い値でいいから、少し試したいことがある』と言った。
それは、<秘宝>級武器の合成のことだったのだ。
「そしてできたのがこの刀、というわけか」
ユウはすらりと刀を抜いた。
刀身の淡い緑が、無言で彼女の目に照り返す。
同じ光を見ながら、多々良も静かに返事をした。
「ああ。賭けだった。人の刀で合成をするのは、私も震えたよ。
……その刀は一旦<首担>と<蛇の牙>を砕き、打ちなおして作っている。
どちらかと言えば<首担>に<蛇の牙>の機能を加えたものよ。
もう一本、自己回復能力を持った刀を入れている。
そして、その刀は出来た。
<蛇の牙>の毒と<妖刀>に込められた厄、それを力に転嫁できる刀さ」
「この刀は瀕死のモンスターを<食った>。何を言っているのかわからないかもしれないが、
瀕死のモンスターを緑の光に包んで溶かした。
それもあんたのつけた性能か?」
ユウの声に多々良が目をむく。
「なんだって?どういうことだい?」
ユウがスワで起きたことを説明すると、ぞっとしたような顔で多々良は再び自ら打った刀を見た。
その語尾が震える。
「少なくとも、元の<堕ちたる蛇の牙>にも、<妖刀首担>にも、もちろんわたしの刀にも、そんな能力はない。
……いや、単なる即死判定じゃなく、戦った相手を光に溶かすなんて能力、私の知る限りどんな武器にもない。
だとすれば……武器同士の合成は、全く別の効果を付与する可能性があるということなの?」
「試してみるか?他の刀……例えば<幻想>級で」
「いいや」
頭を振る多々良の速度は、常の彼女よりやや速い。
ジェスチャーだけでは足りないと思ったのか、彼女は言葉を絞りだす。
「やろうとは思わない……それは危険だ。
どんな武器が出てくるかわからないからね。
知ってのとおり、<幻想>級や<秘宝>級は、強い由緒が付いているのが常だ。
あんたの刀も、大陸の蛇神の遺産と、処刑に使われた妖刀だからね。
単独でも化け物めいた<幻想>級なんて、合成するとそれぞれのフレーバーテキストがどう反応するかわからない。やめとくよ。
私は刀を打つのが仕事で、刀の皮を被っただけの化け物を作り出すつもりは、ない」
「そうか」
ユウも今更ながらに、自らの刀の能力に、不気味さが蘇るのを感じていた。
刀を振るうユウでもそうなのだから、おのが手でそんな刀を作り出せることを知ってしまった多々良の恐怖は想像するのも計り知れない。
そうだ。
アキバで発明といい、発見という。
そうしたことが何を引き起こすか、19世紀の夢想家のように安直に、発展する未来をいつまでも信じていて良いのか。
ユウの持つ刀は、その一つの不気味な回答だった。
◇
多々良はゆっくりと身を起こした。
そのまま、虚を出ていきながら彼女が振り向く。
いつもの面倒そうで、気さくな<刀匠>の振る舞いに戻り、揺れる目だけが内心を微かに表していた。
「ありがとう。いい話を聞けてよかった」
「ああ。あんたも」
「これからアキバを出るんだろ?なら最後に店によっていきなよ。
餞別くらい渡すから」
「ああ。出るときには立ち寄らせてもらう」
「ああ。じゃあね」
そういって、小柄なドワーフはユウの元を去った。
もはや自分の奇行などどうでもいい、と思わせるほどの気味の悪い後味だけを残して。
◇
2日かけて、ユウは自分が記憶が飛んでいる間に立ち寄った場所を回った。
そして知ったのは、正気に戻ったあとのユウの激怒を恐れたテイルザーンたちが、揃ってオウウへ遠征という名の逃亡に出ていたという事実である。
復讐という名目の八つ当たりはすみやかに成された。
ユウがアキバを離れた、その3週間前のことである。




