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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第三章 <冬>
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41. <死せざる者たち>

1.


 夜を徹して空を翔けたユウたちが箱根の山を越え、三浦半島上空についたのは既に夜明けに近い時刻だった。

とはいえ空は真っ暗だ。

紺碧のかすかな光が、竜たちに乗る<冒険者>と<大地人>の目に届く。

遠く水平線が彼方から照らされる一日の最初の輝きによってぼうっと浮かび上がり、

ヤマト特有の複雑な海岸線を陰刻のような淡いコントラストに包み込む。

眼下を見れば、ぽつぽつと、鬼火のようにあちこちに火が灯るのが一行の目に焼きついた。


それは、美しい光景だった。


決してやさしい世界ではない。シャーリアとカルス、<鏡像(ドッペルゲンガー)>と<大地人>の親子にとっては尚更にそうだろう。

そして、仄かな灯りの下で一日の仕事を始めようとしている、彼らより貧しく、身分の低い多くの<大地人>たちにとっても。


ユウは<蒼天竜(スカイドラゴン)>の背で、蹲ったまま目の前の風景を見続けていた。

その手には、再び自らの元へ戻ってきた愛刀、かつての<堕ちたる蛇の牙>――<蛇刀・毒薙(ぶすなぎ)>がある。

その刃は、自らを包むべき鞘を失い、淡い緑の光を静かに周囲に放っていた。


「<鏡像の私(あいつ)>はどうなった?どういう最期を遂げた?」


問いかけて、自分の行動のくだらなさにユウは我知らず苦笑した。

ふざけた話だ。ついこの間まで単なるデータだったはずの刀に問いかけるなどと。

もちろん、刀が答えるわけがない。

数時間前、レンの<鏡像>を光の中で分解した、荒々しい輝きが嘘のように、刀はまるで眠り込むように光を弱めていく。

その刀身を見下ろすうち、ユウはいつしか眠気が全身を覆うのを感じた。

疲れ果てて、気だるい気持ちの中で、夢と現実が徐々に入れ替わっていく感覚など、久しぶりのことだ。

彼女は念のためにと命綱をかすかに引っ張ると、背中のバイカルとレオ丸にぼふ、と身をもたせ掛けた。

空中にもかかわらず、風をものともせずにいびきをかくバイカルと、

横でえずくレオ丸の、二人の背中の温かさに、ユウの瞼が徐々に閉じていく。


「すまんが和尚さんたち、少し眠る。適当に起こしてくれ」

「……うっぷ。オッケー!や。何ならやさしくさすって起こしても」

「船酔いと酒酔いと車酔いが重なるという、<悪酔>の毒を叩き込まれたい?」

「……勿論、紳士的に起こさせてもらいますわ」


レオ丸の声を聞きながら、静かにユウは眠りに落ちていった。



 ◇


ユウたちの乗る蒼天竜の前、竜の群れを先導する位置にテイルザーンとレンはいた。

ゆっくりと、巨大な翼を羽ばたかせる<紅竜>の背で、二人は寄り添うようにマントに包まっている。


二人の間に言葉はない。


離陸してから、二人の<ホネスティ>には静謐な時間が流れていた。


「一安心やな。ようやったな、レン」

「ありがとう。テイル……ザーンさん」

「テイルでええわ」


ぽつりと言葉を交わしたのは、<鋼尾翼竜>の巣であるレッドストーン山地を越え、彼方に茫漠たる太平洋が見えてきた頃だった。

最大の難所を超え、ようやくこの竜たちのささやかな航空隊が安全に進めるようになった時だ。


レンはちらりと、後ろに座るテイルザーンを見上げる。

彼女が憧れとともに仰ぎ見てきた精悍な顔立ちは、吹き付ける風をものともせず、まっすぐに水平線の彼方を見つめていた。

気づかれないように視線を戻しながらも、レンは自分の感情が、不思議なほど静まっていることを感じていた。

凛々しい顔立ちも、陽気な笑みも、ほんのわずか前ほどには彼女の心を躍らせない。

まるで、そうした荒れる感情のすべてを、あの<鏡像>のレンが持っていってしまったかのようだ。

ただ、眼前に広がる海のような、果てしのない思惟だけが、今の彼女には感じられた。


「……あの」

「どうした?レン」

「………」


何も言えない。

ありがとう、なのか、ごめんなさい、なのか。

言うべきことを見つけられず黙りこくる同僚を、やさしげな顔で見下ろし、テイルザーンは唐突に手を伸ばした。

くしゃり、と長いレンの髪を大きな手が包む。

そのまま、女性に対してはやや粗雑なほどに、彼はがしがしとレンの頭を撫でた。

そのままいう。


「ようやったな」

「は……い」


いきなり視界がぶれた。

なぜ泣いているのかわからない。

レンは少し前の自分を心の中で思い切り罵倒する。

感情をすべて<鏡像(あのひと)>が持っていったなんて、嘘だ。

なぜ、わたしは泣いているのか。


「レン」

「は……はい」

「こうするとな、うちのガキが喜んだんや」

「!!」


雷が落ちた。

それはレンの心象風景上のことに過ぎなかったけれど、レンの全身がまさしく高圧電流を浴びたように固まる。


「……ようやったな、父ちゃんは嬉しいぞ、というと、言葉も話せんくせに笑うんや。

あー、とかんー、とか言わんし、動けもせんくせに、手間ばかりかけさせよる。

でも、一日の仕事の疲れも、捜査でえらいさんに上から目線で言われたイラつきも、何もかも流してしまいよるんや」


沈黙するレンを見ないまま、テイルザーンは風に途切れさせながら言葉を続けた。


「女房も、美人やないし、性格もキツいけど、それでもへとへとになって帰ったら飯を作ってくれとる。

帰る家というのはすごいもんや。どんだけ罵倒されても馬鹿にされてもええんや、と思わせる」

「……」

「俺もユウも、ほかのたくさんのプレイヤーも、それを一瞬でなくしたんや」

「……!!」


絶句するレンに、テイルザーンは表情を変えないまま、静かに続けた。


「多分俺らは、家族を失った辛さを誰もが抱えとる。死に別れならまだマシかもしれん。

二度と会えないのは気が狂うほどに辛いが、時間がいずれ癒すときもあるやろう。

せやけど、俺らにはなにもないんや」

「なにも……ない」


レンも思い返す。

それなりに愛情を注いでくれた両親、喧嘩もした頼れる兄。何人かの友人。職場の同僚たち。

大学に入り、就職し、余暇でネットゲームに嵌り、仕事以外では一人で画面を見続けた彼女にテイルザーンの喪失感は実感できない。

決して家族や家とは楽園ではない、とレンは思う。

それでも、彼の抱える痛みの何分の一かは、確かに彼女の心にもあった。

そしてその瞬間、彼女はこれ以上ないほどはっきりと悟った。


目の前の<武士>が、自分に振り向くことは決してないのだと。


それは、絶望的な冷たさを持つと同時に、どこか安心できる暖かさを伴った喪失感だった。

だから、涙にぬれる目を拭いもせず、顔を上げる。

その視線の先に、口を引き結んで彼女を見つめるテイルザーンの顔がある。

その瞳に映る自分の姿を見つめて、レンははっきりと告げた。


「テイル。あなたを……愛していました」

「おおきに」


泣き崩れるレンを、がっしりとしたテイルザーンの両腕が包み込む。

かつて夢にまで焦がれた腕の中で、レンは自らの恋が終わったことを知った。



 ◇


「これにて、メデタシ、ってところなのかな」

「めでたくもないだろうけどな」


傷ついた飛竜の背中、ジュランは隣のゴランと言葉を交わす。

彼らの目には、泣き崩れるレンをかき抱くテイルザーンの背中が見えていた。

視線を下に転じれば、毛布代わりにマントを数枚巻きつけて眠るシャーリアとカルスを背にしたカイリが、碧竜をおっかなびっくり操っているのが見えた。

その向こうには3人そろって寝ているらしいユウたちの影がかすかに目に映る。

その姿にちらりと笑い、ジュランたちは徐々にのぼり始めた朝日を眺めた。


「綺麗だな、セルデシアって」


ジュランがふと呟いた。


「しっぽくさんの護衛は、別の部隊がするんだろ?これからどうする?俺たち」

「<黒剣騎士団>で次の仕事だろうよ……といいたいが」


物問いたげなゴランに、ジュランは水平線を見つめたまま呟くような小ささで囁いた。


「俺も、旅に出てみようかな」

「ジュラン!?」


一瞬叫んだゴランが、声のトーンを落とす。


「……クニヒコさんや、ユウみたいにか?」

「ああ。あの二人みたいにさ」


二人の脳裏に、頼れる隊長だった男の、堂々とした鎧姿が浮かぶ。

そしてその横で闇を翔ける黒衣の女<暗殺者>の姿も。


「俺はあの人たちに追いつきたい。ただ戦いじゃなくて、あの人たちの見る世界を見たいんだ。

だって、俺たちが見てもこの世界はこんなに綺麗じゃないか。

あの人たちには何が見えているんだろう、って、思うよ」

「そうだな」


ゴランも視線を正面に向ける。

そして言った。


「そのときは、俺も誘えよ。カイリもな」

「ああ」

「俺たちは仲間だからな」

「ああ」


彼らの目に、青々とした空が映った。

いつの間にか、日は昇っていたのだ。

地上の灯火が徐々に褪せてゆき、輝いていた星々もその座をたった一つの天体に譲っていく。

眼下はヨコハマの町だ。

異国からの難民たちが、今日もまたやるせない思いを抱えながらも日々を生きていく。


ジュランは顔を上げた。

鏡のような東京(イースタル)湾の彼方、無数の巨木と廃ビルに覆われた、懐かしささえ感じる風景が見える。

多くの<冒険者>と<大地人>が住まう町は、今日もまた活気にあふれているのだろう。


「……アキバ」


彼らの町だった。

護衛対象に去られたしっぽく旨太郎さんこと長谷川さんは今頃何をしているのでしょうか。

案外、温泉につかって日本酒を飲みながら一足早い正月休みを楽しんでいるのかもしれません。

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