40. <影と影>
オヒョウ様の主人公、西武蔵坊レオ丸法師をもう少し、お借りします。
そういえば、彼がまともに戦ったのって、まさかはじめてじゃ……
1.
「バイカル!一緒にヘイト集めてや!」
テイルザーンが刀を竜たちに向けて叫んだ。
「おうよ!」とバイカルが叫び、<ラフティングタウント>を放つ。
その構えは彼が多用する、攻撃力に優れる<タイガー・スタンス>ではなく、防御力に優れる<アイアンリノ・スタンス>だ。
同じ戦士職である<守護戦士>や<武士>に通常であれば劣る<武闘家>の防御力は、そのスタンスを取ることにより倍加するのだ。
「ジュラン!大技使いすぎるな、回復注意や!
<ラティスシンタックス>から<デスクラウド>頼む!」
「おうっ!」
ジュランの周囲に碁盤めいた光が走り、MPが膨大な魔力に変換されていく。
「カイリ!全員に<障壁>!回復怠るなや!」
「任せてくれ!」
透明な<護法の障壁>が、前衛たちだけでなく二人のユウにも広がった。
それは、本来の力を抑えられ<従者級>に貶められた竜たちの攻撃から<冒険者>を守り抜く鉄壁の意思だ。
「ゴラン!」
「<リアクティブエリアヒール>!」
もう一人の回復役、ゴランは指示が出る前に反応起動回復を発動させていた。
テイルザーンとバイカルを先頭に、中央のレンを守るように左右にゴランとカイリ、後方にジュランとレオ丸を控えた不敗の六角形だ。
その一角、レオ丸はここぞとばかりに従者を大量召喚していた。
広がった両手から<暗黒天女>と<蛇目鬼女>が現れる。
煙管を銜えたままの口からふう、と吹いた煙から、<吸血鬼妃>が妖艶な笑みを浮かべて現れた。
だん、と大地を打った足からは、<煉獄の毒蜘蛛>が這い蹲るように姿を現し、
ぱん、と拍手を打つように打ち付けられた両手から、のっそりと<獅子女>が現れる。
最後にぽん、と空中に現れた<金瞳黒猫>を頭に載せて、異形の援軍を指揮するレオ丸は心からうれしそうに笑った。
「さあ、皆皆はん、ちょいと運動を少しやりまひょか!」
「妾はいささか空腹なのじゃが、主様のお力をちょっと借りてもよいかや?」
「……旦那様。少し痛いですが、お許しくださいね」
「都合のいいときだけ手伝えなんて、許しがたい暴虐だっチャ」
「踊ってもいいですか?」
「ところで皆様。生まれたときは四足、成長して二足、年をとると三足になる生き物はなんでしょうか?」
「……あんたらな、少しは場の雰囲気をわきまえてんか……あとアヤカOさん、その質問は人口に膾炙しすぎてまっさかいな」
がっくりと項垂れるレオ丸に、周囲のあきれ果てた視線が突き刺さる。
敵味方も、竜ですら労しげに見守る中、レオ丸はぽつりと悲しげに呟いた。
「……もう、ことが全部終わったら好きにしてエエから、今はまじめに戦ってんか」
「しょうがないのう。心得た」
「…約束、守ってくださいね」
「まあ、この哀れな顔を見ると責める気もなくなるッチャ」
「……踊るのは後にします」
「がおおん」
「小芝居は終わったかしら?じゃあテイル以外はそこで惨めに死んでね」
召喚獣たちよりはるかに場の雰囲気をわかっていたらしい<鏡像>のレンの言葉とともに、竜たちが殺到する。
その目は一様に血走り、二人の戦士を一直線ににらみつけていた。
乱戦の第二幕は、こうして始まった。
◇
「<デスクラウド>!」
巨大な花火を打ち上げた直後のように、空中に煙が走る。
範囲を大幅に広げた毒の煙が竜たちを包み、もっともレベルの低い飛翔水竜が痙攣して墜落した。
即死判定のある煙に耐え切れなかったのだ。
それ以外の竜たちも、視線をさ迷わせ、その勢いを大きく減じた。
「<ライトニングネビュラ>……だっチャ」
続けて<金瞳黒猫>のマサミNが高らかに叫び、巨大な雷の渦に竜たちは翼を次々に焼かれていく。
それでも、その特性により、致死の雷を真っ先に飛び出した雷竜に、白い雪崩が直撃した。
ジュランの<フリージングライナー>だ。
彼も伊達に<黒剣騎士団>の大規模戦闘者ではない。
一瞬で雷竜は氷に呑まれ、氷結したかと思ったら次の瞬間砕け散る。
「これで、二体減や!」
「法師!後ろだ!!」
ガキィン、と振り向いたレオ丸の正面で不可視の壁がひび割れた。
蒼天竜の全体重を乗せた一撃が、レオ丸の周囲に張り巡らされた<護法の障壁>に激突した音だ。
「おおっと!油断大敵やね♪」
「余裕を見せるのも大概にするでありんす」
にか、と笑うレオ丸の襟から、黒い渦となって<吸血鬼妃>が飛ぶ。
無数の黒い蝙蝠となった西欧サーバのレイドボスは、離脱しようとする蒼天竜に食らいついた。
GYAOOON!!
悲痛な叫びとともに、あからさまによたよたと竜は飛び離れていく。
そのステータス画面には<毒>の文字が揺れていた。
「さすがに太陽の下では、妾も力がありんせん。後は」
「任せとけ!!」
駆け寄る袈裟姿、動きづらい服装にもかかわらずバイカルのとび蹴りが蒼天竜の頬に突き刺さった。
「おお、受戒した身で殺生は申し訳ないことなれど、許せ!後でステーキにして食ってやるから!」
光と化して消えていく蒼天竜を前に、そういって彼は片手で拝むしぐさをしてみせた。
周囲に立て続けにヒールを飛ばしながらゴランが言う。
「あんた坊主だろ。精進料理しか食ってないとか言ってたじゃないか」
「釈尊も入滅の前に食ったのは豚肉だという説がある!気にするな!」
「そんなことのほうがどうでもええわ!まじめに戦わんかい!!」
バイカルが抜けた穴を、縦横に太刀を振って支えるテイルザーンが叫びながら上空を見た。
蒼天の彼方、飛竜はまだ、降りてはこない。
「じゃあ、叩き落すまでや」
そう呟いて、彼はこの場にいない二人の<暗殺者>に向けて明るい笑みを浮かべた。
その彼の後ろ。
生気のない操り人形のように倒れこんでいた影が、
よろよろと立ち上がろうとしていた。
◇
「どうするんだ」
息を殺して囁く<鏡像>の声に、ユウは木の枝に身をもたせかけたまま無言で返す。
苛立ったように<鏡像>が言葉を続けた。
「おい。勝敗より戦うのがいいとか偉そうに言っておきながら、いつまでここで隠れてりゃいいんだ」
「お前、私を肩に担いで飛べるか?」
「は?」
唐突な質問に、思わず目を点にした<鏡像>に、ユウは笑う。
「あの高空にいる飛竜に、このままじゃ届かない。私を乗せてお前が飛び、お前の肩から私が飛ぶ。
それであの竜を叩き落す」
「そんなことができると?」
「できるさ。お前と私なら」
見返したユウの目は真剣だ。
<鏡像>は、呆気にとられた顔でその顔を見つめ、少したってちらりと後方を振り向いた。
無数の竜が餌をついばむように群がっている光景が見える。
今の<鏡像>のユウには、その中心にいる男女がただの餌ではなく、想像を絶する強敵を前に雄雄しく戦っていることが分かっていた。
しばらくその光景を見つめた後、<鏡像>は静かにうなずいた。
「条件がある」
「条件とは?」
「役割を変えろ。お前を踏み台に、俺が飛ぶ」
「いいのか?下手すれば死ぬぞ、あの飛竜の周囲には<紅竜>と<碧竜>がいる。
撃墜されればお前は死ぬだろう」
恫喝めいたユウの言葉に、鏡に映したような顔がにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「俺はお前だぞ、ユウ。お前は死ぬかもしれないからって、いちかばちかの勝負に挑まないほどの臆病者なのか?」
その声に、ユウはしばらく考えると、やおら先ほど受け取ったばかりの刀を鞘ごと抜いた。
そのまま、<鏡像>の手に無造作に渡す。
さすがに唖然とした<鏡像>に、ユウはにやりと笑った。
「やっぱりお前は私だな。これを使え。二刀なら討ち損じることもあるまいよ」
「……いいのか?持ち逃げするか、あるいはこれでお前を今斬り倒すかもしれんのだぞ」
「私ならそんなことは考えもしない」
ユウはあっさりと言うと、<鏡像>を肩に乗せるためにしゃがんだ。
「行くぞ。毒と厄は、今のお前のためにこそ必要だ」
◇
二人のユウは、二人羽織のような奇妙な体勢で立ち上がった。
二人分の体重を支える木の枝が大きくたわむ。
その不自然な枝の動きに<鏡像>のレンが気づく前に、二人は飛び出した。
折れる寸前の枝を蹴り、ユウは高く飛ぶ。
その肩には、決意を漲らせた<鏡像>のユウが頭上を睨みすえていた。
異常な影に気づいたのか、<紅竜>と<碧竜>が大きく嘶くと、不遜な陸上生物を自らの玉座たる空から叩き落すべく、急降下を開始する。
「気づかれた!」
「このままいく!」
<鏡像>があせった声で叫び、ユウが返した。
どのみち、いかなる足場もない高空だ。逃げようにも軌道を変える術などありはしない。
いや、ひとつあった。
ユウが飲み終わったポーションの瓶を足元にふわりと浮かべ、その足がかすかに瓶に触れる。
「<ガストステップ>!!」
その瞬間、再びユウたちは加速していた。
落ちる寸前、無重力になった瓶を足場に<特技>を発動させたのだ。
<鏡像>のユウを相手にしているときも使った、彼女の得意技である。
だが。
「まだ足りない!」
徐々にスピードを緩めるユウを好餌と見たか、<紅竜>が大きく牙の群がる口を広げた。
まだ最大到達点ではない。
<鏡像>のユウがここで飛び出すか、と臍をかんだその瞬間。
「アヤカOさん!カフカSさん!アマミYさん!迎撃してんか!!」
「承りました!」
「……」
「心得た、主殿!」
レオ丸の叫びが響き、ユウたちの周囲を異形の影が駆け抜けた。
<獅子女>、<吸血鬼妃>、そしてカルスたちを守る任務を二体の従者に渡した<誘歌妖鳥>が竜をその爪で、牙で傷つける。
それだけではない。
「<ブレイジングライナー>!」
「<ジャッジメント・レイ>!」
「<石凝の鏡>!!」
炎の津波が<碧竜>を、神聖なる光が<紅竜>を打ち、陰陽二対の銅鏡が二人のユウの周囲を回転した。
二頭の巨竜が叫びをあげた。
その降下速度が目に見えて落ち、竜たちは攻撃ではなく、防御に自らの肉体を震わせる。
「ここだ!」
「ユウ!任せておけ!」
ついにすべての運動エネルギーを使い果たした自らの分身に叫び、<鏡像>の膝が跳ね上がる。
その手に握られるのは<疾刀・風切丸>と、ユウ自身の魂ともいえる<蛇刀・毒薙>だ。
リィィィン、と偽りの使い手に握られた刀が叫びをあげた。
まるで、今回ばかりは助けてやるといわんばかりに。
「ああ!持ち主にはちゃんと返してやるから、今は俺を助けろ!」
叫んだ<鏡像>の姿が掻き消える。
いや、透明化したような速度で<ガストステップ>で加速したのだ。
そしてついに、上昇する飛竜の首に<鏡像>のユウはたどり着いた。
「おまっとさん!!」
足場代わりに<風切丸>を突き刺された飛竜が悲しげに嘶いた。
だが。
「ようこそ。でもさよなら」
<鏡像>を出迎えたのは、手に膨大な魔力を<エレメンタル・レイ>として収束させた、同じ<鏡像>の姿だった。
<鏡像>のユウの顔が歪む。
飛び上がったばかりの彼女に攻撃をよける術はなく、そもそも竜の背を離れた瞬間に再び<鏡像>のレンと飛竜は更なる高空に飛び上がるだろう。
「バカな人殺し。せいぜい鏡の向こうで悔やみなさい」
嘲弄と共に光が放たれようとした、その刹那。
「行って!<碧竜>!!」
目の前の妖女と同じ声が響き。
ドォン、と二人の<鏡像>は激震に足をよろめかせたのだった。
2.
テイルザーンたちは、高空でもつれ合う二体の竜を呆然と見上げていた。
足止めを受ける竜達の、さらにはるかな高みで、<鏡像>の乗る飛竜に、一体の<碧竜>が噛み付いている。
もちろん野生ではあり得ない。
テイルザーンはのろのろと、瞬時に自らの召喚獣を呼び出した背後の女性を振り向いた。
その女性、レンは血の気が失せるほどに唇を噛み締め、鋭い目つきで上空を凝視したまま微動だにしない。
「おい、レン」
声をかけようとしたテイルザーンは、彼女の口から血が糸を引いて流れ落ちていることに気付いた。
「お願い、テイル。今は何も言わないで。<鏡像>を倒すまで」
「……わかった」
向き直ったテイルザーンの視界に、落下しつつもすぱりと<紅竜>を切り裂くユウの姿が見える。
紅竜の動きが目に見えて遅くなり、やがて翼を大きく震わせてかつてのボスは自由落下を始めた。
その体を足場に、ふわりと着地したユウにバイカルが叫ぶ。
「<鏡像>!無事か!」
「ああ、私なら問題ない!」
「ちょっと待て!お前は本物のユウか?!」
叫んだ仲間達に、ユウは応えないまま空を振り仰いだ。
視界の彼方に、錐揉み状になって墜落する飛竜と碧竜の姿が見えた。
◇
「何で自分の影と戦わないのよ!あんたの望みじゃなかったの!?」
くるくると回る視界の中、<鏡像>のレンは叫んだ。
彼女同様に遠心力で飛竜の背に張り付けられながら、<鏡像>のユウが楽しそうに叫び返す。
「こっちの方が面白えんだよ、<竜使い>!恨むならてめえの力を恨みやがれ!」
「ふざけないで!このままだと私たちは死ぬのよ!<冒険者>みたいに無限の命なんてないのに!」
「だからどうした」
もはや視点も定かではない回転の中で、<鏡像>の<暗殺者>が嗤う。
なくしていた遊び道具を見つけた子供のような、それは無邪気な笑いだった。
「俺は戦って敵を殺して死ぬ。その望みの為にここにいる!そのために鏡の奥から生まれたんだ!
そして今、俺は戦いの中で、生死の境目に立ってる!
安直かもしれんし、無責任かもしれんし、道理がないかも知れん!
だが、俺はこの時のために生まれて来たんだ!さあ!どっちが生き残るか賭けようじゃないか!」
「生き残るのはわたしよ!わたしはテイルと!」
「逃げようとしても、させねえ!」
言うや否や、<鏡像>のユウが腰の鞄をぶちまける。
<ダザネックの魔法の鞄>を模したそこから、霰のように舞い上がったそれを見て、<鏡像>のレンが悲鳴を上げた。
「爆薬!」
「そうさ!もうすぐ地上だ!鏡に戻る用意はいいよな!」
「嫌!テイル!!」
「もう、遅い」
<鏡像>のユウの奇妙に静かな声が二人の耳朶を打った瞬間、<鏡像>たちの周囲で爆光が輝き、一泊遅れて衝撃が二人の体を吹き飛ばしたのだった。
3.
凄まじい轟音と共に、爆風が辺りを揺らした。
午後も遅い寒々しい太陽を、舞い上がった土煙が覆い隠す。
<冒険者>たちは思わず顔を背け、手で覆って衝撃をやり過ごした。
「……やったか?」
「そうだ!見ろ!」
誰かの声に答えたバイカルの指が空を指す。
空中戦を繰り広げていた<碧竜>の姿が、幻のように風に溶けて消えて行くのが見えた。
あわててテイルザーンも見渡せば、傷付いた竜たちが同じく、まるで最初からそこにいなかったかのように輪郭を消していく。
残ったのは、本物のレンが召喚した碧竜のみ。
彼は、激突に傷付いた体をよろよろと持ち上げ、弱々しいが誇らしげに一声、吠えた。
「よーし、ワシらの勝利や!皆さん、お疲れっした!」
レオ丸が満面に喜色を満ち渡らせて叫んだ。
不意にその動きが止まり、不思議なべきり、と言う音が響く。
主の元に戻った従者たちに全身をがっしりと掴まれた音だった。
「あの……アマミYはん?ミチコKはん?マサミNはん?みなさん何してはるん?」
「逃げようったってそうはいかないっチャ」
「主様、約束をお忘れではありんすまいな?」
「お食事に、なられませ」
「……優しくしてね?」
「………連行!」
「んのわぁぁぁぁぁぁぁぁ……ぁぁ………」
まるでドラム型洗濯機に放り込まれたように、くるくると回転しながらレオ丸が空へと消えていく。
その叫び声が、ドップラー効果を実証しながら空に溶けて消えていくのをなんとも言えない目で眺めていたカイリが、静かに呟いた。
「<召喚術師>ってのも、大変なんだな」
その時、碧竜の悲痛な嘶きが全員の耳に響いた。
あわてて向き直る<冒険者>たちの前で、よろよろと人影が立ち上がる。
レン、その<鏡像>だった。
「ひっ」
誰かの息を飲む音がした。
無理もない。
高空からの墜落に、美しかった顔は無残に破壊され、片目がでろりと垂れた上からは、割れた頭蓋骨から血と脳漿が垂れ落ちている。
全身は爆発で焼け焦げ、無残に折れた片腕からは骨が飛び出していた。
生きているのも不思議な程の重傷だ。
しかし、<鏡像>のレンは残る片手に緑に光る刀を握りしめ、よろよろと立って笑みすら浮かべていた。
あまりの惨状に、死者を見慣れたバイカルすら動けない中、血と肉でドロドロに汚れた口から、不思議な程に静かな声が漏れた。
「さあ、テイル……わたしと一緒に来て」
「……」
一歩、また一歩と踏み出す<鏡像>に、テイルザーンが何か言おうと口を開きかけた時。
悲鳴そのものの叫びがその場にいる全員の鼓膜を乱打した。
「駄目!あなたの声をテイルに届かせはしない!」
「醜い偽物……あんたに言う権利はないわ」
「それでも!あなたはわたしよ!あなたはわたしの心を読み取って、その通りに振舞ってくれた!でも駄目!
わたしの想いをテイルに届ける訳にはいかない!」
「……矛盾しているわ。あなた」
「あなたはわたしのおぞましい心とともにここで死ななければならないの!わたしと!一緒に!」
「なら……あなただけが死になさい」
幽鬼のような、というより幽鬼そのものの姿で、<鏡像>が刀を振り上げる。
いつの間にかテイルザーンの前に立っていたレンは、両手を広げて目を強く閉じた。
「……テイル。なんで?」
不思議そうな声が、斬られる衝撃の代わりにあたりに広がった。
よろよろと振り下ろされた刃が、いつの間にかレンを庇うように立つテイルザーンに触れる寸前で止まっている。
呟いた<鏡像>は、心底不思議そうに自らの分身を庇う<武士>を見つめた。
「……まず言う。レン、自分を苦しめてすまんかった」
目の前の<鏡像>をしっかりと見つめながら、テイルザーンは言った。
「俺はな。己自身で言うのもなんやが、鈍い男や。
自分がそこまで強い気持ちをもっとるとは、つゆ知らんかった。
すまん。
せやけど、自分の気持ちに応えることはでけん。
自分が嫌いやとか、そんなんやない。
どれほど今は離れとっても、一生一緒に歩くと決めた女がおるからや。
そして、その女との間に生まれてくれた子供がおるからや。
俺はこの世界から逃れられんかもしれん。
いつか女房の顔も息子の顔も、声も、肌の感触さえ忘れてまうかもしれん。
せやけど、そんな女がおって、女も俺を選んでくれて、間に生まれた子供のことは忘れへん。
せやから、レン、俺を憎んでくれてええ。
殺してくれても恨まん。
だから、もうそないになってまで苦しまんでくれ」
バイカルも、ジュランも、カイリもゴランもユウも、咳き一つ発しなかった。
森が黄昏に向かう一時、テイルザーンの声だけが静かに木々に響き続ける。
「俺は自分らの気持ちを弄ぶようなことはしとうない。
せやからレン、その刀で俺を刺せ。
それで思い切ってくれ」
啜り泣きが聞こえたのは前後同時だった。
そして、目の前の瀕死の<鏡像>が地面にくず折れる。
もともと動いていたことすら奇跡のような傷なのだ。
思わずヒールをかけようと動いた二人の回復職を手で制し、<鏡像>のレンは静かに笑う。
空中の<鏡像>のユウと全く違うが何処か似ている、澄み切った空のような笑いだった。
「残念だったわね、レン。
振られちゃったわ」
「いいの。……ありがとう、わたし」
微笑む<鏡像>のレンに、泣きながらレンが答える。
その声をきっかけにしたかのように、突然<蛇刀・毒薙>から緑の光が伸び、<鏡像>を包み込む。
その鮮やかな色は、妙な不吉さを伴って全員の目に映った。
その光の中で、徐々にレンの体が溶けていく。
「やはり持ち主が持たないとね。この刀はわたしを取り込む気みたい」
あっさりとした声に、レンが思わず駆け寄ろうとした。
その手を鋭く遮り、<影>は歌うように言った。
「これでわたしの役目は本当に終わり。レンの心は変わり、わたしは影に戻る。
あの暗く冷たい地の底で、来ない誰かを待ちわびて。
でも今日のことは忘れないわ。
きっと」
「わたしも……忘れない。私の一番醜い部分を映し出してくれた、もう一人のわたし」
二人のレンが頷きを交わす。
誰もが声も出ないまま、消え行く<鏡像>を見つめていた。
その目には、モンスターに向けるような光はない。
ユウとレン、そして<大地人>のシャーリア、<洞穴>から現れた三人の<鏡像>たちの思いは三者三様だったが、いずれも、たかがモンスターと割り切るにはあまりに感情が濃密に過ぎたのだ。
不意に読経が響き渡る。
バイカルだった。
瞑目し、自作らしい質素な数珠を爪繰りながら、彼は静かに経を読む。
その声はいつしか二重唱となっていた。
戻ってきたレオ丸が読経に参加したのだ。
バイカルとレオ丸、二人の僧が静かに祈る中、緑の光に殆どその輪郭を溶けさせた<鏡像>は、最後にちらりとユウを見た。
「刀、返すわ。私の命を吸ったのだから、大事に使いなさい」
「約束する。……わたしの<鏡像>はどうなった?」
「さあね」
すでに表情も定かでない傷ついた口が、唇をほとんど失ったままにふわりと笑みを形作る。
「その刀に聞いてみたら。多分、どこかで会えるわ」
最期にそう言い残し、<鏡像>のレンは消えた。
満ち足りた、満足そうな笑みとともに。




