37. <鏡> (後編)
2.
「よう、俺」
女性の声には似合わない、ぞんざいな口調でユウ―彼女の姿を模した鏡像がユウに話しかけた。
「ずいぶんと楽しい生活だったようだな。うらやましいぜ。ええ?」
「……お前は誰だ」
「あ?俺?今生まれたばかりのお前だよ。お前の本当の望みを叶えてやるためにな」
<疾刀・風切丸>を構えたユウの問いに、同じ顔の<暗殺者>がにやりと笑う。
歯をむき出したその顔は、同じ造形、同じ姿のはずなのに、あまりにユウとは異なっていた。
「本当の望みとは……なんだ。現実に帰ることか」
「そんなもの、本当はお前は望んじゃいねえだろ?」
くっく、と<鏡像>のユウが笑う。
ばさりと落ちかかった黒髪を乱暴にかきあげると、<鏡像>は楽しそうに言った。
「今も昔も、お前の望みはただひとつ。強い奴と戦いたい。生死ギリギリの対人戦を楽しみたい。
俺はその願いを叶えるためにここにいる」
「貴様……!」
「さあ、ユウ、俺と戦おうぜ!!」
「あなた、そこで何をしてるの?」
「え……」
<鏡像>の自分の声に、レンは思わず一歩後ろへと下がった。
代わりとばかりに一歩踏み出し、同じローブ姿の<召喚術師>が前に出る。
「だめじゃない。あの人から目を離しちゃ。奥さんのところへ戻っちゃうかもよ、心が」
「私はそんなもの、望んでない!あのひとの邪魔なんて、したくない!!」
「嘘」
囁くような声。
「あなたは、彼を独占したいの。
彼がいないところではいつも『テイル』なんて呼んでいるくせに。
あなたは臆病者。自分の気持ちに素直になれもしない。
どうせ、奥さんも子供もこの世界にはいないわ。あなたを縛る鎖なんて、なにもないのに。
それでも何もできない臆病者に、彼のそばにいる資格はない。
替わってあげるわ。
……私が彼を、奪ってあげる」
◇
突如、轟音が広間に轟いた。
天井にぶら下がった無数の蝙蝠たちが算を乱して逃げ惑う。
「な、なんだ!?何が起こった!」
叫んだゴランの目の前で、ユウたちが消えた玉座が轟音を上げて吹き飛んだ。
その、噴きあがる土砂に紛れるように、宙を飛ぶ黒い影。
「な、ユウ!?」
思わず叫ぶテイルザーンのそばに、くるくると回ってユウが着地した。
そのまま叫ぶ。
「気をつけろ!」
「何をや!ボスか!」
「違う!いいか、俺たちが護衛していたシャーリアはモンスターだった!
本物はその土砂の下にいる!
テイルザーン!それだけじゃない!奴は人の姿を写し取る化け物だ!俺の姿も写し取られて……!!
何をする!!」
ぶおん、と振りぬかれた豪剣が、叫ぶユウの鼻先を掠めた。
逃げ遅れた髪が数本、まとめて宙を舞う。
「何だ、お前!!」
「何だとはこっちの台詞や。化け物、本物のユウをどこへやった」
すさまじい目つきでユウ―<鏡像>を見つめたテイルザーンが言った。
<鏡像>の顔が驚きに歪み―次の瞬間、にやりと笑って飛び離れる。
刹那の後、再びの一撃が<鏡像>のユウのいた場所を抉った。
「<瞬閃>を避けるとは、腐っても、ユウの姿を写しただけはあるんやな」
呟くテイルザーンに、<鏡像>のユウは静かに問いかけた。
「聞こうか。<ホネスティ>のテイルザーン。お前、どうやって俺を瞬時に見分けた」
「本物の振りをするなら口調くらいマネせんかい。偉大なるコロッケ師匠を見習えや、アホンダラ。
それに、本物のユウは左利きや」
嘲る声に、面白がるような声が返る。
「ふん、さすがに大規模戦闘経験者だな。状況把握能力に優れている」
じりじりと間合いを詰める<鏡像>のユウに、テイルザーンは得意げに鼻を鳴らした。
「化け物に褒められても嬉しないわ。……で、本物はどこや」
「瓦礫の下だが、まあ、おっつけ出てくるだろうよ。
どっちみち、お前らも俺の獲物だ。まとめて斬って抉ってぶち殺して、生皮剥いで剥製にしてやらあ」
言うや否や、影が飛ぶ。
「ゴラン!5秒で<聖域>や!ジュラン、カイリは方陣を組め!自分はこっちや、<武士の挑戦>!!」
高められたヘイトのままに、<鏡像>のユウが飛ぶ。
その刃をすんでのところでかわしたテイルザーンに、鋭角の軌道を描いて刃が走った。
<疾刀・風切丸>を写し取った刃は、本物の速度をそのままに、恐るべき速さで鎧を抉る。
「っぐ!!」
「さすがに<幻想>級、いい反応速度だ」
「余裕さらすなや!これでも喰らわんかい!」
振りぬかれる太刀を笑みを浮かべてかわし、<鏡像>は距離をとった。
その周囲に魔法陣が浮かぶ。
とっさに飛び上がった彼女の手から何かが飛んだ。
それは、呪文を唱えようと集中するジュランの喉を一直線に狙って走る。
「<瞬間回避>!!」
呪文を瞬時に切り替え、<鏡像>のユウが、足元で霧散する魔法陣の光に包まれる。
「チッ!」
<鏡像>の舌打ちと同時にジュランは一瞬で掻き消え、次の瞬間、ゴランの隣に現れた。
カシ、と目標を失った短剣が岩に突き刺さる。
その隙にカイリがゴランの元へたどり着き、彼につれられたカルスが方陣に膝をつき、テイルザーンが走り寄った瞬間、ゴランの呪文が完成した。
「<聖域>!!」
現れた方陣から、青い光が粒となって立ち上る。
方陣の中にいる仲間の防御力を増加する魔法だ。
その中で、テイルザーンは腰を落とし、刀をすらりと鞘に収めた。
そのまま、半身になって目の前の<鏡像>を睨みすえる。
彼らを見た<鏡像>のユウは、楽しそうに、本当に楽しそうに笑った。
「いいね。実にいい。さすがに<ホネスティ>と<黒剣騎士団>だ。
とっさの対応もいいじゃないか。殺し甲斐があるぜ」
逆手の刀を愛おしむように撫でる<鏡像>に、カイリがぎりぎりと歯を食いしばった。
「ユウの姿だけを真似た化け物め。ぶち殺すはこっちの台詞だ。本物の皮を被ったなら中身もせめてマネしろよ!」
「真似てるぜ?これでもな」
目をむく4人に、<鏡像>は歌うように言った。
「俺はな。『ユウ』の望む態度、望むものを叶えてやるだけのモンスターさ。
あいつの心の中を知っているか?
お前らにユウはどう見えた?
頼れる<毒使い>、冷静な<勝負師>、それとも落ち着いた大人か?
いや、どれもこれもユウじゃないね。
本物の俺は、こういう奴さ。
強い相手をどこでも、どこまでも追って、感覚を研ぎ澄まして、流れを読み解いて、勝率を計算して……
戦って、戦って、戦い抜いて殺して死ぬことだけが望みなんだよ」
「ユウが……」
ジュランが思わずぞっとした。
あの春の夜、<朽ちた不夜城>で戦ったユウを思い出す。
ただ立ち向かう相手を殺すことだけを考える、精密機械のような<暗殺者>のユウを。
「それじゃ、まるで、人ではなく……鬼、じゃないか……」
ジュランににこりと歯を見せて、<鬼>は静かに嗤う。
肌寒い洞穴の温度が、さらに数度下がった気がした。
「そうさ。あいつは俺。俺はあいつ。人と自分の血にまみれて踊るのが大好きで、そのためなら友も敵も神でも鬼でも殺す、戦鬼なのさ」
◇
「ふざけんなよ……」
ぎりぎりと歯を食いしばるジュランに、そのとき初めて気づいたように、<鏡像>のユウはほう、という顔を向けた。
「そういえば、お前の顔には見覚えがある。
おまえと、おまえもだ。テイルザーン、お前もな」
「くっ……!」
視線を向けられたカイリとゴランが強張る顔を見て、
にたり、と<鏡像>の頬が吊り上った。
「久しぶりだなあ、ジュラン。首の傷は癒えたか?<朽ちた不夜城>では楽しかったよなあ?」
「うるせえ!その顔で抜かすんじゃねえ!」
怒り交じりの<炎熱火球>を、ひょいとかわして<鏡像>がせせら笑った。
その悪意の滴る顔に、再びの呪文が迫る。
「おっと」
「けったくそ悪いわ。ユウのできそこないめ」
<オーラセイバー>を放ったテイルザーンがうめいた瞬間、再び轟音が響いた。
再び舞い踊る土砂の向こうで、ユウの姿をした鬼は静かに後ろを振り向く。
「来たか」
◇
土砂の向こうに雄たけびが響く。
テイルザーンたちが見たものは、もつれ合うように戦う2体の飛竜だった。
その懐に抱かれるように何人かの人影がある。
その影のうち二組は、双子のようにそっくりだ。
「レン!!」
「母上!!」
二種類の叫びがあがった。
死闘を続ける2体の竜が、同時に光となって消えていく。
やがて、その巨体が完全に姿を消したとき、そこには5人の人影があった。
その一人、本物のユウが、同じく本物のレンと<鏡像>のシャーリアを抱きかかえて飛ぶ。
残された<本物>のシャーリアと<鏡像>のレンを、<鏡像>のユウは鬱陶しそうに眺めた。
「色情狂どもが。もう少し足止めしてろってんだ」
はき捨てた声に「ふん」という声だけを残し、<鏡像>のレンは刀を抜き放てる姿勢のテイルザーンに視線を向けた。
その顔がぱぁっと明るくなる。
ユウにつれられたレンの顔がひきつった。
「はぁい、テイル」
「な、なんや?」
てっきり襲い掛かってくると思った<鏡像>のしぐさに、思わず毒気を抜かれた表情でテイルザーンが呻いた。
その彼に満面の笑みを見せながら、<鏡像>のレンが進み出る。
こちらも戦う気をなくしたのか、<鏡像>のユウが詰まらなさそうな表情で刀を納めて腕を組んだ。
「テイル。私は、レンはね」
「やめて!!」
金切り声を上げる本物のレンに視線すら向けず、<鏡像>のレンはばさりとローブを脱ぎ落とした。
シャツとスパッツという、現代的な下着姿だ。
「あなたのことを愛してるわ!心から!だからね、私を奪って、逃げて、抱いて!
殺し合いなんてそこのバカ女たちに任せて!」
「やめてえええええ!!!!」
悲鳴が上がった。
しゃがみこんだレンが漏らす嗚咽の声に、<鏡像>のレンがなおも進み出ながら、目を向ける。
その視線は、ぞっとするほどに酷薄だった。
「あら、まだいたの。偽者で臆病なわたし」
「おどれはなんや。レンの姿を写して、何を変なことを言ってんねん」
「私が、本物よ。テイル。だって、私がそこの『レン』の心を一番正しく表しているのだもの」
「どういうことや?」
「やめて……やめて」
思わず<聖域>を解いたゴラン、唖然とするカイリとジュラン、二人の母を見つめながら声も出ないカルス。
そして、<鏡像>の自分を鋭く見据えるユウ。
そんな中で、レンの力ない嗚咽だけが響く。
泣き声を伴奏にするように、シャツすら脱ぎ捨てながら<鏡像>の<召喚術師>は囁いた。
「私はね。あなたのことが好きなの。友情じゃないわ。愛欲よ。
あなたに抱かれたい、あなたに愛されたい。誰よりも。故郷のあなたの家族よりも。
だけどこの子は怯えて何もしないから、私が替わってあげるのよ」
「……ホンマ、なんか」
「……」
俯くレンは答えない。
しかし、悲しみに紅潮した首がさらに赤くなったことで、テイルザーンは悟った。
「……ということは、おのれらは単なる化け物やないってことやな。
そっちのユウも、レンも、それぞれの内心をえろう醜くあらわすもんなんやな。
自分もそうなんか、<鏡像>のお母はん」
黙って立つ<本物>のシャーリアを見据える。
しかし、その彼女はテイルザーンの問いかけなど聞いていなかった。
その目に映るのは、血を分けた息子であるはずの、カルス。
<大地人>騎士を見つめるその目はぎらぎらと輝いている。
断じて、それは息子を見る母の目ではなかった。
不意に、唇から音が漏れた。
「……あなたなのね」
「母上……?これは、一体……?」
急激な運動に朦朧としているのか、ぼうっとしたカルスの声に、<本物>が勝ち誇ったような笑みを浮かべ、<鏡像>は顔を背ける。
二人の母を交互に見比べながら、カルスが呟いた。
「なぜ……母上が…二人に」
「私が本物よ。こっちの二人と違ってね。私があなたを生んだ、本物のシャーリア。
……たくましく育ってくれて、母は嬉しいわ。まるであの人が生き返ったよう」
半裸のままで忌々しげに視線を向けるレンと、退屈なのか生あくびをかみ殺すユウ。
二人の<鏡像>に挟まれて、<本物>は艶やかな微笑を見せた。
「そっちの<鏡像>のことは気にしなくていいわ。母の元へいらっしゃい」
「おい!行くな!!」
「母……上」
ジュランの制止も聞かず、ふらりとカルスは立ち上がった。
その足元でどしゃ、という音がする。彼の愛剣が地面に落ちた音だ。
ふらふらと歩み寄るカルスを、絶望的なまなざしで<鏡像>のシャーリアが見つめるが、口に出しては何も言わない。
ただ、蹲るようにして唇を噛むだけだ。
一方で<本物>のシャーリアは、大きく手を広げて息子を待つ。
誰も動かないまま、ついに目の前にやってきたカルスを、<本物>のシャーリアは強く抱きしめた。
「ああ……たくましい背中。高い背丈。あなたを産んでよかったわ。私にもう一度あの人を抱きしめさせてくれたのだから」
「母……上?あの人、とは……?」
抱きしめられるに任せながら、カルスが小さく尋ねた。
シャーリアの夢見るような返事が返る。
「もちろんそなたの父です。ウェストランデでも一番、美しく強かったあの騎士」
「私の父上は……セリオ・トゥルーデ閣下……では」
「あんな年寄り、金のために結婚しただけよ。弟は田舎周りのうだつのあがらない武官騎士、娘は小さいくせに凶暴で、懐きもしなかった人食い鬼もどき。
あんな男の種なんて、たとえ執政閣下に頼まれてもゴメンだわ。
私は、愛する男の子供を産みたかったの」
「母……上」
身じろぎするカルスをさらに強く抱きしめ、愛人に囁くようにシャーリアは言った。
「もう捨てたりしないわ。置き去りにしようともしない。子供のあなたはいらなかったから、この場所で巨人の餌にしようと思ったこともあったけど。
あなたを愛してるわ。あなたはあの人になって、私と暮らしましょう」
「やめなさい!!」
睦言のような<本物>の言葉に絶叫が重なる。<鏡像>だ。
「私は、私が<鏡像>よ!偽者の、モンスターだけど!でも、シャーリア!あなたはカルスを見ていない!
母になろうとしていない!」
「なろうとしてもなれないような化け物風情が、何を言い出すこと」
カルスを抱きしめながら<本物>が嘲笑う。
「知っているのよ。あなた、<鏡>の向こうへ戻りたさに、この子が傷ついても気にしなかったわ。
あなたのような化け物が人間の、母親の振り?笑わせるわね」
鳴り響く嘲笑に、<鏡像>は答えない。
カルスが母親の胸の中で再び身じろぎしたとき、別の声が場に響いた。
「……けんなよ」
それは、方陣の真ん中で黙って二人のシャーリアの声を聞いていた、ゴランの声だ。
最初は小さかったその声は、やがて徐々に大きくなり、最後は叫びのようだった。
「っざけんなよ!!クソババア!!黙って聞いてりゃ腐ったこと抜かしやがって!」
「何よ。関係ない平民が黙っててくださらない?」
「黙れ!ゴミババア!!」
「……っな!?」
ゴランの絶叫に、<本物>のシャーリアの目が見開かれる。
「お前が本物だと?そっちが化け物だと!?どの面下げて言いやがる!この売女が!」
隣に立つジュランが丸い目を大きく開いて友人を見た。
沈着冷静な大規模戦闘者のはずの彼の目からは、滂沱の涙が流れていた。
その涙を拭うこともせず、ゴランが叫ぶ。
「母親が捨てるだと?巨人の餌にするだと!?その上、無事に育てばあの人の代わりだと!?
汚らしい手をどけやがれ、ババア!
そいつを育てたのは、てめえが今化け物と罵ったこっちのシャーリアだ!
どんな理由があろうが、夫を裏切り、息子を裏切り、よその男に股を開いた売春婦風情が、人並みに言葉を喋るんじゃ、ねえ!」
「ぶ、無礼な!」
「無礼はどっちだ、豚ババアが!てめえは人間なんかじゃねえ!股間でしかものを考えられない、単なるクズだ!俺の母親のようにな!」
「……ゴラン」
テイルザーンの声に、ゴランの悲鳴のような絶叫が重なる。
「俺の母親もてめえと同じクズだった!親父を裏切って不倫したくせに、偉そうにパパが全部悪いの、なんてほざきやがって!
そのくせ、俺の顔が親父に似てきたからって、新しく引っ張り込んだ男とどんだけ殴ったか!
親父に救われたとき、本当に俺は死ななくて済んだと泣いた!
あの豚が破産して親父に助けを求めたとき、親父があっさり弁護士呼んで、どんだけ痛快だったか!
そりゃ、俺はまだガキだがな!
てめえみたいな人間のカスに比べれば、まだしも<緑小鬼>の方が人間らしいし、こっちにいるシャーリアのほうが間違いなく人間だぜ!
てめえみたいな人の皮を被ったモンスターなんざ、討伐して終わりにしてやる!」
カタカタカタ。
小さく何かの音がする。
<本物>のシャーリアの体が震え、首のネックレスが揺れて音を立てているのだ。
<大地人>に過ぎない彼女にとって、初めて味わう<冒険者>の本気の激怒と殺意は、怒りも欲も通り越して彼女に根源的な恐怖を与えたのだった。
今になって、彼女は自分がその場の支配者でないことを知った。
その場にいる人間は、自分など太刀打ちもできない猛獣ばかりであることを、今更ながらに理解したのだ。
小さな音が響き続けた。
その音に誘われるように、<本物>の腕の中から、カルスが身をよじって離れる。
「母上」
その目は、二人のシャーリアがどちらも見たことのない目だ。
冷たく、悲しみに凍てついたような瞳が、<本物>のシャーリアを見つめている。
「な……なによ。あなた、戻ってらっしゃい。戻りなさい……戻って!!」
絶叫を無視して、カルスが一歩一歩離れていく。
「母上。あなたはウェストランデを離れるとき、私にこういった。
『陰謀だ』と。父たるトゥルーデ閣下を騙し、私たち親子を路頭に迷わせたのだと。
私は幼く、あなたの言うことを信じていた。
だが、それは嘘だったのだと、今、理解した」
「何なのよ!あなた、血を分けた母の私より、そんな下品な<冒険者>や、化け物の言うことを信じるの!?」
「だが、あなたは一度として私の名前を呼んでいない」
<本物>が絶句する。ゆっくりとテイルザーンの元へ戻ったカルスは、渡された剣を静かに構えた。
「あなたは、母ではない。私を守り、育ててくれたのは、たとえ偽者だったとしてもこちらの母上だ」
「カルス……」
「人間より化け物を選ぶというの!?」
「あなたのほうが化け物だ!!」
叫んだカルスが、そのまま座り込んでいた<鏡像>の手をとって立ち上がらせた。
そのまま抱きしめる。
泣き続ける<鏡像>の髪を撫でながら、カルスは決意した声で叫んだ。
「私の母はこの方一人だ!元の暗闇に戻れ!化け物!!」
「!!!」
「だ、そうだ」
突然、立ち尽くす<本物>のシャーリアの後ろから場違いに無感動な声がした。
次の瞬間、脳天から股間まで、綺麗に赤い一本線が引かれ、<本物>のシャーリアが左右に分かれていく。
びしゃ、びしゃ。
粘着質の音がした。
脳漿と血液、人を構成する液体すべてが、地面にぶちまけられた音だった。
「ふん。いい年をして色にボケた婆さんなんざ、血すら汚いもんだな」
「おどれは!!何をさらしてんねん!」
「何を、って駆除だよ。親子の楽しい会話の時間は終わりだ」
一太刀で<本物>のシャーリアを切り捨てた<鏡像>のユウが、<鏡像>のレンを振り向く。
「てめえも斬られたくなけりゃ、汚ねえ裸は隠しとけ。
まったく、女に話を任せると、いつまでたってもおわりゃしない。
こっちはいい加減迷惑なんだ。邪魔をするならてめえも殺すぞ」
脱ぎ捨てたローブで胸を隠した<鏡像>のレンに、嘲笑交じりの欠伸を投げると、<鏡像>は静かに<本物>のユウを見た。
「お前もいい加減退屈なんだろ?もう一人の俺よ」
「別に」
肩をすくめた<本物>に、<鏡像>が獰猛な笑みを見せる。
「いいね。お前の考えはよくわかるぜ。何しろ俺はお前だからな。
俺を殺したくてたまらないんだろ」
「まったくだ。だが、私も思えばお前さんのような性格を確かに持っているな」
抜き身の刀のような殺気をぶつけ合いながら、二人のユウは同時に言葉を発した。
「誰も援護は要らない」
「でしゃばるなよ、お前ら」
同時にすらりと腰の刀を抜く。
互いの放つ青い光が、二人の<暗殺者>の顔を照らし出した。
片方がうっすらと笑う。
もう片方は、より露骨に笑った。
「自分と対人戦か。ゲームの頃も考えたことがない」
「そうだな。でも、夢だったろ?」
「まあな」
まるで友人同士の気の置けない会話のような。
しかしその声が洞穴に響いた瞬間、二人の<暗殺者>は刃を激突させていた。




