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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第三章 <冬>
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36. <鏡>

1.


 「私は、カルスの母親ではないのです」


昏睡するカルスを除く全員が、シャーリアの告白に目を丸くした。

特にユウは、かつてのイベントでNPCだった『シャーリア』を見ている。

年相応に老いながらも、ユウには『カルスの母、シャーリア』と目の前の女が別の存在だとは、どうしても思えなかった。


「どういうことや?なら、お前は誰や。そして、鏡とはなんや?」

「……質問を一気にしないで。私は、まだ生まれて12年なのだから」

「……分かるか?ユウ」

「いや」


尋問するテイルザーンの横で、ジュランに耳打ちされたユウが首を振る。

少なくともここ<カシガリの洞穴>にも周辺のゾーン<カシガリ山>にも、そのような鏡のマジックアイテムなどあった記憶が無い。


「いえや。お前は誰やねん?敵なら斬るで」

「昔は、おそらく敵でした。今は……どうでしょうね。

私には一人で鏡を見つけなければならない理由があった。あなたたちやカルスには見られてはならないと思ったから。

ですが……そこの<暗殺者>のおかげでもう足は動かない。

仕方ありません。共に来てください」


時折、痛みに耐えるぎりぎりという歯軋りの音がする。

<激痛>の状態異常(バッドステータス)こそなくなったものの、両足と肩を骨折しているのだ。

泣き喚かないだけ気丈だろう、とユウは背中のシャーリアを背負いなおした。

眼前には広々とした空間が広がっていた。

かつてはこの空間を埋め尽くすように巨人の群れが屯していたのだ。

彼らを斬り破り、突破したことを思い出し、ユウは懐かしげに辺りを見回した。

その視線が止まる。

やや離れて歩くレンが、同じような顔で辺りを見回している事に気づいたのだった。


「ここに、来たことが?」

「……ええ」


先ほどの残酷な行為が尾を引いているのか、やや強張った声ながら、レンは素直に答えた。


「クエストで?」

「そうです。テイルザーンさん……テイルと一緒に」

「へえ?」


やや散開して歩くほかのメンバーに聞こえないほどの声で、レンが続ける。


「当時、私は<ホネスティ>ではなく、もっと小さいギルドにいました。

でも、せっかく<エルダー・テイル>をしているんだから、大規模戦闘(レイド)をやってみたかった。

だから、仲間と一緒にここへ潜ったんです。

でも、地竜にあっという間にパーティがぼろぼろになって、ひとりで逃げて、途方にくれたとき、テイルが来てくれたんです」


当時、テイルザーンはアキバではなく、ミナミの<ハウリング>にいたはずだ。

そもそも大規模戦闘(レイドバトル)が本職の彼らも、腕試しにやって来ていたのだろう。

ユウは、時折テイルザーンが懐かしく周囲を眺めていた理由、そしてなぜ多くの知り合いの中からこの<竜使い>の女性をつれてくることを選んだのか、ようやっとわかった。

遠くを歩くテイルザーンに、ほんのわずかに頭を下げる。

彼は、ユウと、二人の<大地人>のために、できる限りの準備を整えていてくれたのだ。


レンの言葉は続く。


「結局、そのときはテイルのパーティと一緒にダンジョンを突破しました。

クリアはできなかったけど……そしてその後、彼は『ほなな』と言って去っていきました」


彼らが<ハウリング>だったことを知ったのは、その後だった。

ギルドの中でただ一人、<大災害>に巻き込まれた彼女は、<ホネスティ>に所属してもずっとミナミへ行こうかと思っていたのだと言う。


「私は……怖かった。当時のアキバはいやな町でしたけど、でも、新幹線でも4時間かかる遠い大阪まで、ほんの何回か会っただけの私が会いに行くのは……できませんでした。

だからテイルがアキバにやってきて、<ホネスティ>に来てくれて、うれしかったんです。

そしてまた、思い出のこの場所に私を選んで一緒に連れてきてくれた……」

「……あの、あいつは確か、結婚してたと思うんだが……」


気絶したカルスに肩を貸すレンの頬は真っ赤だ。

いくらユウでも、レンの抱く気持ちが何であるか位はわかる。

しかし、親切めいたユウの言葉に、レンは静かにうなずいた。


「ええ。知ってます。いつも奥さんやお子さんのことを考えてることも。

でも。いいんです。今一緒なら」


(手を出したら地雷を踏むタイプの女性だな、この人……)


<竜使い>という、武張った肩書きに似合わぬ清楚そうな女性だと思っていたが、案外中身は勇猛なのかもしれない。

そうユウが思ったとき、背中からくすくすという笑いが響いた。

悪意ある嘲笑ではない。好意的な微笑だ。

まるで、思春期を迎えた娘を嬉しそうに見守る母親のような。


「あなた、ずいぶん純情なのね」

「……」


それまでと打って変わって理知的な顔で、そうシャーリアがいう。

馬鹿にされたと思ったのか、むっとした顔のレンに、あわてて彼女はひらひらと手を振った。

それだけで痛いのか、シャーリアの落ち着いた美貌が苦しげに一瞬ゆがんだ。


「カルスは、寝てるかしら」

「ええ、多分」


レンの答えに頷くと、シャーリアは再び口を開いた。


「あのね。あなたの想い人のあの<武士>には奥さんがいるのでしょう?

思い切ったほうがいいわよ。どっちに転んでも苦労しかないわ。あの<武士>があなたに振り向かなくても……振り向いても」


その口調は穏やかだが、内心をあらわしてか、シャーリアの語尾はかすかに揺れていた。

レンが硬い声で返す。


「いいんです。テイルを想うのは、私の心の中だけのことだから」

「適わない恋をする人は、誰もが最初はそう言うの。

やがて心だけにとどめられなくなる。そうしないと誓っても、想いを顔に表すようになる。

今のあなたのように」


ユウが、骨折に響かないように静かに歩く、その背中から、得体の知れぬ<大地人>の女性は、優しげな声で<冒険者>の女性に言葉を次々と投げた。


「やがて、是が非でも彼を奪いたいと想うようになる。その先のことも見えない振りをして。

そうして得た愛情が、子供に胸を張って話せるものかもわからないままに。

もう一度言うわ。やめておきなさい。『わたし』のようになりたくなければ」


あとは、無言だった。



 ◇


 それは、唐突に現れた。

致死性の(トラップ)の多くは既に解除され、広い洞穴には動く敵はほとんどいない。

誰一人それ以上傷つくことなく、8人は洞穴の深奥にたどり着いた。


主のいない、巨大な玉座。


そこが、<カシガリの洞穴>の終着点だった。


「何もないじゃないか」


カイリが呆れたように呟く。

がらんとした空間のどこにも、鏡はおろかアイテムひとつ落ちていない。

妙な寒々しさを感じ、ユウがかすかに震えたとき、シャーリアが静かに口を開いた。


「<暗殺者(アサシン)>さん。私を連れて、玉座の裏まで行きなさい。

他の人はそこを動かないで」

「母上……私も行く」

「だめよ。あなたは決して来てはいけない。絶対に!」


ようやく疲労が取れたのか、やや弱弱しいがしっかりとした息子(カルス)の声に、シャーリアは鋭く禁止の言葉を投げる。

頭ごなしに断られたのが悔しいのか、唇をかんでうつむくカルスを嘆かわしそうに見て、レンが手を上げた。


「なら、私が行く。騎士さんの代わりに」

「あなたは……! ……まあ、いいわ。じゃあ来て頂戴」

「俺たちには見せられないってのか?」


この期に及んで、と殺意すらこめた視線で睨んだジュランに、シャーリアは謎めいた微笑を向けた。

その異様さに、思わず黙ったジュラン。その顔を流すように顔の向きを変えると、<大地人>の貴婦人は、静かに言った。


「あなたたちは、きっと見なければよかったと思うわ」



 ◇


「こんなところに階段があったのか」


玉座の裏手、半ば土砂に埋め込まれたような空間にかすかに開いた石段を見て、ユウは小さく呻いた。

いまやゴランによって完全に健康体に戻ったシャーリアが、率先して土砂を掻き分けながら頷く。


「この、下には……」


戦士も回復職もいないことに不安を感じたようなレンに、シャーリアはこともなげに答えた。


「敵は、いないわ。少なくとも、私がいたときには」

「お前がいた時だと?」

「ええ。だって私はこの奥で生まれたのだもの」


ようやく人一人歩けるだけの空洞を作ったシャーリアの返事に、二人の<冒険者>の眉が跳ね上がる。

彼らの緊張を一顧だにせずすたすたと歩くシャーリアに、あわてて二人は後を追った。


「<魔法の明かり(バグズライト)>」


レンの声とともに生まれ出た明かりが、ふらふらと彷徨うように揺れた。

階段の下にあったのは、土でできた小部屋だった。

狭い空間は、蛍光灯めいた向き質な明かりの中で、なおさら寒々として見える。

まるで、それは独房のようだった。


部屋の奥に大きな鏡があった。

姿見、といわれる人の身長ほどもある鏡だ。

それは部屋にどれほどぶりかにもたらされた明かりを受け、3人の女性の姿を映し出している。

ユウは思わず腰の刀に手をかけ、不気味な空間を見渡した」


「これは<空身の鏡>。人の姿を写し取り、その人の心の最も奥底に潜むものを写し取る、鏡」


歌うように鏡に近づくシャーリアの後ろで、思わずユウは鏡の自分を見つめた。

そして気づく。

鏡の中のユウの手が、刀を握っていないことに。


「私はこの鏡から生まれ出た。本物(・ ・)のシャーリアの心と姿を写し取った、影として。

巨人は何も知らなかったわ。この独房に押し込められた時も、埃をかぶったこの鏡を一顧だにしなかった。

人を捕らえる便利な牢獄だとばかり思っていたようね。

<暗殺者>、あなたは私が助けられたときのことを思い出したことがあるかしら?

私は玉座の裏にいたわ。

でもね。本物のシャーリアはずっと、ここにいたの」


「お前は、誰だ」


いつの間にか、シャーリアは鏡の前に立っていた。

彼女の目の前には、鏡に映るまったく同じ姿の女性がいる。


いや、同じではない。

笑みを浮かべたシャーリアの前で、鏡の中のシャーリアがゆっくりと俯いた。

その目だけが、長い髪に隠れた顔の中から、微笑むシャーリアを見つめている。


「私は鏡像(ドッペルゲンガー)。人の姿を写し取り、人の思いを写し取るモンスター。

レベルはさまざまで、元の人によるわけだから、私は戦うことはできないけれど。

でも、成り代わることはできた。

そう。

<空身の鏡(ミラー・オブ・ドッペルゲンガー)>が、私の生まれ故郷なの」


すっとシャーリア――その姿を模した鏡像(ドッペルゲンガー)が手を伸ばした。

その手は、淀んだ水に触れたように鏡の表面に漣を立て、そしてそのままずぶずぶと沈んでいく。

睨みつける鏡の中のシャーリアの手を掴み、鏡像はそのまま大きく引き抜いた。


「ドッペル……ゲンガー」

「そういえば、そんなイベントがあったな。昔」


呆然と呟くレンと、何かに思い当たった顔のユウ。

二人の前で、一卵性双生児のような二人のシャーリアは静かに互いに見詰め合った。


「あなたに、あなたを返すわ。シャーリア」


鏡像がささやく。


「あんただけは、許さない」


本物が陰々とした声を上げた。


「私はあなた。あなたの本当の心だけを持った、あなた。

私はカルス(あのこ)の母でいたかった。

母であるよりも、多くの貴族の女でいたかったあなたの代わりに、望みをかなえてあげたの。

夫を裏切り、不義の子を産み、嫁いだ家にも生まれた家にも行き場がなくなって東に逃げたあなたの代わりにね」

「私を奪い、暗闇に閉じ込めたくせに……」

「それもあなたの望み。あなたは自分が罰されるのを望んでいた。

でも、同時にそれがどうしようもなく怖かった。だからわたしがあなたを罰したの」

「シャーリアは、私だ!!」


激昂した本物が叫ぶ。

鏡像は、不思議と穏やかに微笑むと、顔を醜く歪ませた同じ姿の女性の肩に手を置いた。


「そう。本物はあなた。どれほどあなたが子供を愛していなくても、旅の途中置き去りにするつもりだったとしても、カルスを生んだのはあなただった。

鏡像に過ぎない私には、あなたがあの子を愛する百分の一も愛せなかった。

目の前であの子が血煙をあげて倒れても、駆け寄ることもできなかった」


「悲しげな声」


レンがぽつりと呟く。

ユウも、黙って周囲に視線を走らせながら、同感だと思っていた。


「だからあなたに返して、私は鏡の向こうへ去るわ。本当の故郷へ。

そしてあなたの姿を捨て、鏡にたゆたう名もなき影に戻るの。

自我も望みもなくし、ただ誰かが鏡の前に立つのを心待ちにする影へ」


そういうと、鏡像のシャーリアはすっと本物の脇を通り、鏡の正面に立った。

その向こうには何も移っていない。茫漠とした空間があるだけだ。

思えば、自明のことではあった。

彼女は鏡像なのだから。


「あの子を、大事にしてあげてね」


そういって鏡の向こうへと足を踏み出した彼女の肩を、別のほっそりした手が掴んだ。

本物のシャーリアだ。


泣き笑うような顔で振り向いた鏡像に、本物のシャーリアが視線を向けた。


「シャーリア!」


ユウの警告の叫びは、果たしてどちらの彼女に向けられたものか。

ぎらつく殺意を、煮詰めた脂のように目から滴らせ、本物は笑みを浮かべた。


「逃がしはしないわ。私から若さも、時間も、自由も、光すら奪ったお前を」


はじめて鏡像のシャーリアが震えた。

その顔に浮かぶのは、恐怖。


「許さないわ。私の気が済むまで、思い知らせてやる」


その顔は、モンスターに過ぎないはずの<鏡像(ドッペルゲンガー)>よりも、怪物めいて見えた。



 ◇


「逃げろ、シャーリア!そいつは危険だ!」


動かない、否、動けない鏡像に向かってユウが叫ぶ。

その手には既に抜き放たれた刀があった。

だが、と叫びながらユウは思った。


互いを見つめる2人のシャーリア、一人はモンスターだ。


客観的に見れば、被害者は憎しみに歪んだ顔をした<本物>のほうだ。

モンスターに故なく囚われ、13年という、<大地人>にとっては人生の四分の一ともいえる時間を、息子と引き離され孤独に過ごさざるを得なかった。

誰も訪れない、気づきもしない無人のダンジョンの、その奥底で。

その恨み、復讐心を誰が責められよう。

仮に本物のシャーリアが母として失格な女性であったとしても。


せわしなく2人の女性に目をやるユウの背後から、声が聞こえた気がした。


『ほら、あなたも私と同じ』

(違う!!)


幻聴を通して聞こえる、かつて会った女ドワーフの、嘲りの声だった。


『人よりモンスターを選ぶの。だって、モンスターのほうが醜くないもの。

人は守るに値しないもの』

「違う!!」


いきなり叫んだユウに、隣のレンも、二人のシャーリアも呆気に取られた顔を向けた。

やがて、<本物>のシャーリアがくすくすと笑う。

同じ造形、同じ笑いのはずなのに、<鏡像>がレンに向けた笑みと、なんと違っておぞましいことか。

嘲笑をもらすその口から、流れるような声が漏れた。


「そうね。そういえばあなたたちもいたわね。

じゃあ……<冒険者>は<冒険者>同士、影と戦ってもらいましょうか」

「やめなさい!シャーリア!!!」


<鏡像>が叫ぶ。

その声にますます笑いを響かせながら、<本物>は片手を鏡に突き入れた。

その手をとる、二つの手。

ひとつながりになったその手の主たちが、ゆっくりと鏡の縁をまたいで姿を現す。


くすくすくす。

ははははは。


二種類の笑いが、狭い室内に反響した。


「はじめまして、レン(わたし)。恋した相手に何も言えない臆病者」


<召喚術師>の女性が、セミロングの髪をかき上げ。


「よう、ユウ(おれ)。美女生活は楽しいか?」


ユウの前で、同じ姿をした<暗殺者(アサシン)>が、ばさりと髪を後ろへ流した。

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