34. <ミドラウントの騎士>
1.
その日。
ユウがミドラウントに立ち寄ったのは、本当に偶然だった。
どうせ装備も時間がかかるし、<スノウフェル>までも数日ある。
ならばと、彼女は汗血馬の快速に物を言わせてアキバを飛び出した。
向かう先はイチハラ。
かつて彼女が逼塞したザントリーフ北西に位置する村である。
往古、首都圏の重工業を支えた工業地域の成れの果てにひっそりと寄り添うような、この人間社会から隔絶した小さな村が、巨大で暴虐な自然と言う存在に打ち潰されずにすんだのは、ひとえに周辺の森の豊かさによるものだったといえる。
そんな小さな村は、ユウが最後に見た晩夏の装いとは打って変わって、厳しい冬を蹲るように耐えていた。
家々の軒先に吊るされた干し肉や野菜は、去った後の時間の流れを否応にもユウに思い出させる。
結局、3日間をイチハラで過ごした彼女は、トールスやコルたち、旧知の人の手を振り切るように、イチハラを去った。
<大地人>にとって自然は厳しい。
ユウの知り合いにも何人か亡くなった人がいたし、村長夫妻やトールスら老人たちとは、今生の別れとなる可能性も十分あった。
(何で、私はイチハラに腰を落ち着けないのだろう?)
かつての高速道路を馬で駆けながら、ユウは自分に問いかけた。
それは、なぜ旅に出ようと思うのか?という疑問と同義だ。
その問いを何度も自分にぶつけるたびに、知った顔が脳裏を去来する。
クニヒコ。
レディ・イースタル。
にゃん太。
長谷川。
テイルザーン。
バイカル。
そして、レンインとズァン。
それだけでない、無数の知り合いたち。
彼らの声なき声は、ユウを何故か急き立てる。
のどかな房総の村に安住することを、彼らの声が止めていた。
そんな不思議な感情のまま、ユウはミドラウント馬術庭園までたどり着いていた。
◇
ミドラウント馬術庭園は、マイハマから北上したところにある広大な庭園だ。
歴代のコーウェン公爵が丹精こめた庭もさることながら、この施設の価値は馬術場にこそある。
マイハマの騎士たちが練達の馬術を披露し合う馬術試合の勇壮さは、イースタルの語り草の一つだ。
また、平時のそれとは別に、この庭園には有事において別の意味合いもあった。
広大な北ザントリーフ平野の中央部に位置するこの馬術庭園は、北ザントリーフにおいて、マイハマが誇る騎士団の集中運用に最も適した場所なのだ。
それだけでなく、マイハマを巨大な城の本丸、エドとオールド・エドの二河川を、本陣を守る内堀と見立てた場合、ミドラウントはいわば出丸の位置にある。
夏に行われたザントリーフ戦役において、遠征軍が総本部をこの馬術庭園に置いたことからも分かるとおり、
攻めるにせよ守るにせよ、庭園、という優しげな名のこの地点は、北ザントリーフの致命を制しうる地におかれたマイハマの拠点であり、マイハマを家柄だけでなく、名実共にイースタルの盟主たらしめている武力の表れだった。
庭園には常時数十人の騎士が詰め、公爵領の変事に備えている。
広大な森林と、人の手が加わったことが明らかな統制された植物達。
そこは、ユウがたどり着いたとき、奇妙なほどの喧騒に包まれていた。
「剣は無理せず振るえ!自分の動きから<特技>を繰り出せるようにしろ!」
「硬直時間を考慮してください!モンスターは待ってくれませんよ!」
剣を持つ手も覚束ない若い兵士たちを叱咤する<冒険者>の姿があるかと思えば、
「馬は無理やり御するものではない!手の力を抜き、走る馬に身を任せられい!」
「馬に呼吸を合わせよ!道理ではなく、自らの馬の息遣いを弁えるのだ!」
おっかなびっくり馬に乗る<冒険者>に指導する、<大地人>の騎士の姿が見える。
「なんだ、これ・・・・・・?」
いぶかしむユウに気が付いたのか、厳しい顔で周囲を睨み渡していた一人の若い<大地人>騎士が、
馬に乗るユウの側へと近づいた。
騎士を馬上から見下ろすのは失礼だ。
あわてて馬を下りたユウに、丁寧に礼をしてその騎士は鋭い目を向けた。
「<冒険者>殿と御見受けするが、この馬術庭園に修練にこられた方ですか?」
「いえ、立ち寄っただけだが」
「御名前は」
「ユウ」
一瞬、男の目がこれ以上なく見開かれた。
しかしその表情は一瞬で消える。目をそらしていたユウは気付かなかった。
視線を戻したユウに破願した男は、自らマイハマの騎士、カルス・トゥルーデと名乗った。
この<ミドラウント馬術庭園>に詰める騎士隊長の一人だという。
カルスと名乗ったその騎士は、佇む汗血馬の肩を気安げに叩く。
その行為に何とはなしの親しみを感じ、ユウは興味本位で尋ねてみた。
「ところで、カルス卿たちは何をなさっておいでで?」
「見ての通り。吾らの新兵を<冒険者>の方々に鍛えていただいていると同時に、馬術を卿らにお伝えしているのでございます」
丁寧な口調の彼は、マイハマに仕える近衛騎士の一人らしい。
ユウはへえ、と顔を上げ、次々に転げ落ちながらも馬にしがみつく<冒険者>たちを見た。
「我々<冒険者>は、訓練しなくても馬に乗れるはずですけどね」
「それは存じております。しかし、馬に乗ることと、戦場で馬を操ることは全く別。<冒険者>の方々も、馬上槍ともなれば勝手が違うのでございましょう」
実際、現実世界において、武士が戦場で乗馬したまま戦う作法を馬上槍という。
相手の利き腕の逆をつき、時には『当て落とし』という人馬一体の突撃もすれば、掴みかかる敵からうまく避ける方法も含まれる。
ユウたちのいるセルデシアのヤマト騎士は、勿論大陸同様の騎馬突撃も行うが、山がちな地形も考慮し、かつての武士同様の接近しての打ち合いも考慮した戦法を持っていた。
ユウは知らないが、イースタル、ウェストランデ全体を見渡しても、最も騎馬突撃に優れていたのが、平野部を戦場とすることの多いマイハマ騎士たちだ。
その彼らでさえ突撃より組討を重視したというところに、大陸と異なる起伏の多いヤマトならではの特異性があった。
単なる通りすがりに過ぎないユウの側で、細かく説明するカルス。
気になったユウは、彼の口が閉じたタイミングで、つとめて不思議そうに彼に聞いかけた。
「ところで・・・カルス卿はなぜ私にここまで?
失礼ですが、私は単なる通りすがった<冒険者>に過ぎないはずですが」
「それは・・・」
カルスの口元が歪む。
妙に苦しげなその横顔を見るユウの前で、彼は搾り出すように吐いた。
「以前、あなたに私は助けられたことがあるのです」
◇
セルデシアで約13年前。ユウたち<冒険者>の主観時間で言えば1年と少し前のことだ。
カルスは母に連れられ、キョウからマイハマまで旅をしていた。
旅の理由は、彼はユウの問いにも答えることはなかった。
貴族である彼らが母一人子一人で、護衛もなく旅をしたのだ。
カルスの苦しげな顔は、その旅を始めた理由も、旅の合間の出来事も、決して楽しいものでなかったことを告げている。
その途中、旅人の多い<赤土の街道>を避け、山間の道を縫うような旅を続けていたカルスたちは、ある谷でモンスターに襲われる。
無力な女性と少年に抗うすべなどありはしない。
絶体絶命のとき、目覚しい速さで彼らの前に飛び込み、モンスターを切り捨てた<冒険者>。
それが、ユウだったのだとカルスは言った。
「ユウ殿とわかって、私はぜひ礼を言いたかった。
そして……任務中に無作法なとお思いでしょうが、お願いもあるのです」
そういって、彼はユウの胸元に視線を当てる。
カルスの語る思い出を一切思い出せない彼女の記憶が、その瞬間はっきりした。
「そうか!あんた<カシガリの洞穴>のときの子供か!!」
カルスが見つめるユウの胸元。
そこには小さな独楽状のペンダントが下げられている。
<守り独楽>
特技の再使用時間を5%短縮するという、秘宝級のアクセサリだった。
それは、パーティレイド級クエスト、<カシガリの洞穴>にてユウが得た報酬だった。
パーティレイドとは、その名のとおり六人による小隊でクリアすることを求められる冒険のことだ。
いわゆる大規模戦闘と違い、小さなギルドや仲間でも気軽に挑めることもあり、その種類は多岐にわたっている。
その難易度は攻略適正レベルに左右され、90レベル6人のパーティレイドともなれば、<秘宝>級が複数出るのも決して絵空事ではない。
それは、大規模戦闘や大隊規模戦闘のような華やかさや派手さはないものの、多くのプレイヤーが好評をもって迎えていたイベントだった。
そのうちのひとつが<カシガリの洞穴>だ。
スワ湖畔市に、没落貴族と思しき少年が立っていることからイベントは始まる。
彼と彼の母は、長旅の途中、スワ湖畔市に立ち寄ったところをモンスターに襲われ、少年は母をさらわれてしまったのだ。
母が囚われたのは地竜を従えた巨人が潜む天然ダンジョン、<カシガリの洞穴>。
スワに程近いその迷宮にいる母が衰弱死するまでの短い時間で、<冒険者>たちは巨人を倒し、母を助けて迷宮を脱出しなければならない。
ユウが参加したのは、クエストのプレイベントである母子がモンスターに襲われているときからだった。
カルスの思い出話も、そのときのことだ。
人の動きで言えば、ユウたちがカルス親子を助け、別れたその後に母親は巨人にさらわれた、という流れになる。
「なるほどね。ずいぶん立派になったなあ」
みすぼらしいかつての少年の面影などない、精悍な騎士姿に、ユウは懐かしさを感じて言った。
だが、カルスの憂い顔は晴れない。
何かあると感じ、ゆっくりと姿勢を正したユウは、改めて彼を目線で促した。
「あの時、みなさんたち<冒険者>の方々の助力で、巨人は倒され、母は助け出されました。
今では私もマイハマに仕官し、母は都で穏やかに暮らしています。
しかし最近、母がへんなことを言うようになりました。
『私はあの洞穴で、大事なものをなくした。取りにいかないと』というのです。
何をなくしたのかと聞いても答えてくれません。
ただ、行かなくては、といい続け、最近ではめっきりと憔悴してしまいました。
この件をフェーネル伯閣下に相談申し上げたところ、『その時に洞穴を踏破した<冒険者>を探すように』と言われました。
とはいえ子供のころのことです。顔も名前もほとんど忘れており、困っていましたが、ユウ殿は覚えておりました。
なので思わず、こうしてお伺いした次第です」
長い説明を終えたカルスは、がば、とユウの手を掴んだ。
「お願いです!もう一度洞穴に連れて行ってくださいませんか!母の望みをかなえたいのです!
当時と違い、私も一人前の騎士です!スワの湖畔長閣下にも手紙でご了解を戴いております!
どうか、お願いします!」
「だがなあ……」
ユウは必死に嘆願するカルスから思わず目をそらした。
彼女とて1年前のクエストだ。当時誰と一緒に挑んだか、などということは忘れていた。
覚えているのは、クニヒコやレディ・イースタルら、勝手知った友人ではなく、その場で作った即席のパーティで挑んだことくらいだ。
それに、ユウは現在主力装備がない。
腰の<黒剣騎士団>のアイザックから貰った<疾刀・風切丸>があるとはいえ、使い慣れた武器も装備もなく、<大災害>以降大きく姿を変えたであろうレイドダンジョンに挑むのは抵抗があった。
ユウの歯切れの悪い口調に、鼻息の荒かったカルスの顔が徐々に歪んでいく。
「駄目、ですか……?」
「あ、いや、そうじゃない。だが、当時の仲間とは連絡が取れないんだ。
いくらなんでもお前さんと私だけで<カシガリの洞穴>に挑むのは無理だ」
「そうですか……」
その悄然とした姿に、ユウも罪悪感が膨れ上がる。
仲間はまだよい。アキバで依頼すれば、ついてきてくれる相手はいるかもしれない。
だが、カルス自身失念しているようだが、カルスの母が洞穴で落とした<大事なもの>を見つけるためには、カルスの母自身が洞穴にもぐらなければならないことを意味している。
<大地人>の、それも貴族の女性を守って洞穴を再び踏破するのは、いかに<冒険者>でも難しい。
パーティレイドのダンジョンとは、そこまで甘いものではないのだ。
だが、カルスの口調はそうした冷静な判断を許さない必死さに溢れていた。
おそらく、ユウが断れば彼は一人で<カシガリの洞穴>に赴くだろう。
そこまで考えて、ユウはついに観念した。
「わかった。当時の仲間とはいかないが、人数を集めてもう一度探索してみよう。
時間はかかると思うけどね。
だから、できれば母君に頼んで、<落し物>の詳細を聞いておいてくれ」
「え……あ、ありがとうございます!わかりました!!」
喜ぶカルスを見ながら、もう一度ユウはため息をついた。
2.
「で、ユウはん。自分、その依頼を受けたんか」
難しい顔で腕を組むテイルザーンに、ユウは「すまん!」と手を合わせた。
ここは、アキバのいつもの居酒屋である。
むっつりと手元の杯に目を落とすテイルザーン。
彼の機嫌が急降下していることは、額に浮かんだ青筋でもわかった。
「本当にすまん。だがあの騎士を見殺しにするわけにもいかん」
「こんな時期に、難儀なことを引き受けよってからに」
やがて、はぁ、とため息をついたテイルザーンは視線を上げた。
「まあ、事情が事情や。その騎士が騙しとるとも思えん。
しゃあない。やろうやないか」
「え?いいのか?友人が待ってるんだろ」
あっさり答えたテイルザーンの手が左右に振られる。
「かめへん。どうせほっといてもなんかやって遊びよるやろ。
とはいえ<カシガリの洞穴>は諏訪湖のほうや。長旅になるな」
アインスはんになんと言って許可貰おうか、と呟くテイルザーンに、ユウは思わず尋ねた。
「私は一緒に祭りに参加できないのを詫びにきたつもりなんだが……いいのか?下手したら<スノウフェル>を見逃すぞ」
「ええわ、そんなん。とはいえ普通にいけば年を越すからな。ズルさせてもらおかい」
それに<カシガリの洞穴>は、まんざら知らん場所でもないしな、と言うと、<武士>は耳に手を当てた。
念話だ。
「ああ。スマンな。テイルザーンやが。お前今ヒマか?今から『居酒屋ニコちゃん』に来れるか?
ああ、そこにアインスはんもおるのか。ちょうどええ。
ちょっとパーティレイドの参加要請が来たさかいに、参加するわ。
自分も来てくれんか?足がなくてこまっとるんや。
……ああ。……そうや。腕の立つ<召喚術師>がほしいんや。
え?ほか?……戦士は俺や。武器攻撃職ならもうおる。回復職と<妖術師>なら今から手配するわ。
ああ。……ほうか、スマンな。えろうおおきに。頼むで」
「大丈夫か?」
「ああ。二つ返事やったわ。これで3人。ほかのメンツはスワの近くにおるさかい、安心してええ。
後で話しとくわ。
そいつはサブが<竜使い>やからな。地竜が潜むあのダンジョンにも最適や」
「そりゃ、助かった」
ユウも安堵する。
<召喚術師>とは、その名のとおり16体までの召喚生物―あるいは無生物―を操る職業だ。
テイルザーンのいう『ズル』とは、移動にその竜を使おうというものなのだ。
確かに、地上を馬で走れば数日かかるスワまでの距離も、飛行能力を持つ竜であればわずか1日以下の旅程に過ぎない。
やがて、カラカラと扉が開けられ、白いローブを着た女性が二人の下に歩み寄った。
「テイルザーンさん、遅くなりました。こちらがこのクエストの仲間の方ですか?」
「ああ。ユウや。ユウ、こっちは<ホネスティ>の<召喚術師>、レンや」
「レンです。よろしく」
レンと名乗ったその女性<召喚術師>が、一瞬ユウをまじまじと見たあと、手を差し出す。
握手を返しながらユウも名乗った。
「ユウです。よろしく」
「ほな、顔合わせもすんだところで作戦会議といこうやないか。
……アインスはんには許可をとったんやろな?レン」
「ええ。後ほど正式なクエスト依頼を発行するので、明日ギルド会館に来なさいって」
「了解や。ほなはじめよか」
<竜使い>のレンを交え、居酒屋の夜は更けていく。
ユウは不思議な気分に浸りながら、声を交わす二人の<冒険者>をじっと見つめていた。




