26. <夜風>
この章は、本編のエピソードに部分的に絡みます。
整合性には注意いたしますが、矛盾点、もしくはご不満点があれば訂正、もしくは削除するつもりです。
12月ともなれば、アキバも木枯らしが寒々と吹き流れるようになる。
かつて、世界でも屈指の都として
「発展、し尽くした……」
東京は、夜の闇も冬の寒さもさほど感じぬ都会であったが、旧東京の面影を、
より古い武蔵野の林野のそれに埋もれつくしたこの世界となっては、夜の暗がりも、人の筋骨から凍えさせるような寒気も比べ物にならぬこと、言うを俟たぬ。
そんな寒々とした夜風に当たりながら、アキバの北門に向かう人影があった。
ユウである。
黒々とした、まるで先っぽは夜に溶けているような髪をラフにひと括りにまとめ、
腰には護身用代わりに<製作級>の刀を提げている。
彼女は、既に人影が殆どない通りを足早に歩きながら、我知らずため息をついていた。
(はぁ)
口の端から小さな白が洩れ、しばし顔に留まって消えていく。
風除けのマフラーをしっかりと首に巻きつけ、黒い<戦忍びの野戦装束>の上から厚手の外套をまとった彼女は、見ようによっては塾帰りの高校生のようにも見えた。
勿論錯覚である。
高校生どころか、外見では20代の半ば程にも見えようし、中年男が好む、年寄り臭い言動によっては、30にも40にも思われるかもしれない。
「まだ時間がかかるとはなあ」
ぼやく彼女は、その日、朝から<円卓会議>、そして生産ギルド街の奥にある<アメノマ>で一日を潰してきていた。
そもそも、アキバに彼女が帰還して既に相応の日数が経っている。
本来、アキバの住人ではない、と自己定義しているユウは、さっさと装備やアイテムの整理だけをして旅立ちたかったのだが、現在のところ、様々な状況がそれを許していない。
もう一つため息をついた彼女は、ふとアキバへ帰還した最初の数日を思い返していた。
◇
西田と名乗った<第11大隊>の<冒険者>は、やはり人が良かったのだろう。
<妖精の輪>をくぐったユウがたどり着いた場所は、朽ち果てたファッションビルの墓標の隙間、
プレイヤータウン、シブヤだった。
<大神殿>や銀行といった、<冒険者>の町としての機能を持たないこの町は、<大災害>以来、
一部のギルドやソロプレイヤーの住む、寂れた場所となっている。
(実際はユウの認識と違い、アキバに場所が無くなった一部のギルドやプレイヤーが、不便を承知でこの町に住むようになったため、人口は徐々に上昇しつつあるのだが)
ユウは早速、戻ってきた目的のひとつを果たすべく、あるプレイヤーに連絡を取った。
そして待つ。
連絡した<冒険者>が、仲間を全員引き連れてユウの元に現れたのは翌朝も早くのことだった。
「預かり物、渡すぞ」
「ええ。確かに受け取りました」
そういって、手渡された金貨の袋を手ににこりと笑うのはジオ、かつて<グレンディット・リゾネス>の第三席を勤めていた<妖術師>だ。
今ではナインテイルに残ったレディ・イースタル、ミナミに所属する第二席のユーリアスに代わり、
アキバに拠点を移した<グレンディット・リゾネス>のギルドマスターをつとめている。
灰色のローブの袂にレディ・イースタルからの金貨をしまいつつ、
彼は少しさびしそうに笑った。
「まあ、もしかしたらギルマスはアキバへ戻らないかもな、と思ってたんですよ。
あの人は骨の髄までトラブル好きですからね。
ナインテイルで面白いことがあったら、アキバのことは忘れてしまうでしょうし」
「まあ、そうだなあ」
かつての隊長の性格を的確に衝いた表現にユウも苦笑しつつ、<魔法の鞄>から一振りの刀を取り出した。
刃に無数の罅割れが走ったそれは、一目で実用に耐えないものだとわかる。
鎌首をもたげる蛇を模した塚頭と柄も、砕け散る寸前のようだった。
目を丸くしたジオや彼の仲間たちに、ユウはつとめてさりげなく尋ねた。
「ところでさ。<堕ちたる蛇の牙>を修理できるような鍛冶師は君らの中にいないか?」
「……これはまた、見事に壊れてますね……」
砕けた刃に乱反射する緑の光をしばし呆然と眺めた後、思わず呟いたジオは、後ろを振り向き、仲間の一人に物問いたげな視線を向けた。
隊長とユウに見つめられた彼―<グレンディット・リゾネス>唯一の<鍛冶屋>は、慌てて首を横に振る。
「ギルマス、僕には無理です。<秘宝級>の完全な修理なんて。
刀ですからね、これ。<アメノマ>に行くくらいしないと」
「<アメノマ>?」
鸚鵡返しに答えたユウにも、その名前は聞き覚えがあった。
確か、凄腕の<刀匠>が率いるという、刀鍛冶専門のギルドだ。
対人戦という戦闘の特性上、それほど無理な武器の使い方をしなかったユウは一度も世話になったことは無いが、うわさだけは聞いている。
「そこにいけば直るのか?」
「多分。<アメノマ>の多々良さんなら、というよりあの人に直せないなら、多分ヤマトの誰も直せないと思います」
「ふうん」
頷いたユウは、いす代わりにしていた雑居ビルの階段から立ち上がった。
そのまま鞄を背負いなおしたユウに、あわててジオが尋ねる。
「<アメノマ>に行くんですか?」
「ああ。見てのとおり装備もボロボロだからね。<アメノマ>だけでなく、あちこちの生産ギルドを回ることになるだろう。」
「……その後は?」
ジオの探るような声は、どこかにユウへの思いやりを含んでいる。
一時期よりは改善したとはいえ、アキバも決してソロプレイヤーにやさしい世界ではない。
行き場が無ければ来ませんか、という言外の誘いに、しかしユウは笑って謝絶した。
「また旅に出ることになるよ。わたしの住む場所はやっぱりアキバじゃないんだ。
君らへの伝言と渡し物で戻ってきたし、補修や補給もしなきゃならないが、
やっぱりどこかで出て行くことになる」
「そうですか……」
残念そうなジオにユウは不意に手を差し出した。
そして言う。
「タルから伝言を預かっている。
『これからはジオがリーダーだ。みんなをまとめてこの世界を生き抜いてくれ』とのことだ。
それに、懐かしい顔に会えて私もうれしかった。有難う」
「……俺らもです。レディ・イースタルの伝言、有難うございました。
アキバへいる間は、いつでも俺たちのギルドへいらしてください」
「また寄らせてもらうよ」
シブヤを去る背中を見つめるジオたちには、ユウがまるで霧に消えていくように見えた。
◇
「これはまた、派手にやったねえ」
<堕ちたる蛇の牙>を手にとってしげしげと眺めていた<アメノマ>のギルドマスター、多々良は、ひとつため息をつくと目の前の台に刀を置いた。
「直るか?」
「さあねえ。耐久度は減ると思うがね」
「そうか……」
ここは生産系ギルドが軒を連ねる一角の、その奥。
ぱっと見、店ではなく何かの倉庫のように思える店舗、そのカウンターで多々良は腕を組んだ。
「<毒使い>専用の刀なんて、私でも見たのはこれが数度目さ。
まして<秘宝級>をここまでぶち壊すなんて、どれだけ無茶苦茶な使い方をしてきたんだよ」
じろりとドワーフはユウを睨みあげる。
<刀匠>である彼女にとって、刀はただの武器ではない。
その辺の棍棒かなにかのように使いつぶされるために刀を打っているわけではないのだ。
非難をこめたその視線に、ユウは真っ向から見返して言った。
「アキバからナインテイルまでだましだまし使ってきた。
ボスモンスターも何匹も殺ったし、最後は<冒険者>の集団とやりあった末に、<黒翼竜の大段平>から私を守って砕けた。こっちもそうだ」
言いながら、もう一振りの愛刀、<妖刀・首担>を取り出す。
こちらは破壊には至っていないものの、耐久度はほぼ0に等しい。
「<黒翼竜の大段平>?<幻想級>の大剣じゃないか。むしろよく原型を保ってるよ」
呆れたように唸った多々良は、「そっちも貸しとくれ」と、<妖刀・首担>を手に取ると、手元の<堕ちたる蛇の牙>を見比べる。
「はっきり言って、元のままの修復は不可能だ。
耐久度か性能か、どちらにしても何かを失うことになるだろうね」
「仕方ない」
肩をすくめたユウは、手付け代わりの金貨を置くと、身を翻した。
「ともかく、頼む。代金はいくらかかってもいい。何とか旅に耐え得るようにしてほしい」
「……ちょっといいかい?」
背中からかけられた声にユウが振り向くと、多々良は何かを決意したように言った。
「お代は言い値でいいから、少し試したいことがある。
この二振りを使わせてもらってもいいか?」
「……任せた」
<刀匠>の静かな声に、ユウは頷く。
何をするつもりなのか、などとは聞かない。多々良というプレイヤーとまともに話をするのは今回が始めてのユウだったが、彼女の静かな目の奥にある光は、自信と誇りを持つ職人―技術者のみが持ち得る真剣なものだ。
その彼女がしようとする事が、後に悔やむことになるようなものであろうはずがない。
仮に彼女の実験が失敗し、愛刀が砕けたとしても、多々良は必ずそれに見合う何かをくれるだろう。
そう思い、ユウは再び刀に目を向けた多々良から視線をはずした。
その目が不意に、店の壁にかかった一振りの小太刀に止まった。
「これは?」
「<鳴刀・喰鉄虫>。いい刀さ」
「売り物なのか?」
「ああ。買ってく?」
ふと護身用にちょうどいいか、などと思うが、ユウはしばらく考えて、首を横に振った。
「そうかい」
「<毒使い>にこの刀はあまり使いでが無いのでね」
「それもいいさ。最近その刀にはご執心の<冒険者>がいるからね」
「そうか」
やはりやめておこう、と一言残しユウは店の外に出る。
愛想ひとつよこさない多々良の持つ空気は、どこか自分と似ているようで、ユウはもう少し居たかったのだが、多々良が長話を好むはずも無い。
歩き出したユウの横を、ふと小柄な影がすれ違った。
菫色の長い髪の毛が、名残のようにユウの鼻先を撫でていく。
思わず振り向いたユウの目に、<アメノマ>に吸い込まれる人影が見えた。
(結構繁盛してるんだな)
そう思い、ユウはその人影のことなど忘れて歩き出した。
◇
ユウは回想からふと目を開けた。
見れば、アキバの北の門が威容を湛えて彼女を見下ろしている。
いつの間にか門のぎりぎりまでたどり着いていたのだ。
結局、彼女は<アメノマ>に立ち寄った後、別の服飾系ギルドで愛用する<上忍の忍び装束>も修理に出し、代わりにほとんど使わない<戦忍びの野戦装束>を着込んで、北門のぎりぎりにある寄宿先の居酒屋の二階へ帰るところだった。
あたりに人影はすでになく、ぽつぽつとまばらに立つ街灯が寒々しい光をあたりに投げかけているのみだ。
(体が重いなあ)
普段、身ごなしを軽やかにする<上忍の忍び装束>を着ているだけに、鎧並みの防御力を誇るとはいえ、敏捷さをやや殺す<戦忍びの野戦装束>はどうも着ていて心地よくない。
腰に差している刀も、愛刀二振りとは比べ物にならない、単なる<製作級>の脇差だ。
(さっさと帰って寝よう。明日はこたつと火鉢を買ってこよう)
不意に寒さを感じ、ぶるると震えた彼女の目の端に、ふと何かが映った。
手足の歪な人影だ。
だが、歪なシルエットというだけであれば、別に気にするほどのものでもない。
ユウの視線をひきつけたのは、その人影が持つ、奇妙な迫力だった。
たとえて言うならば。
鉦がなった直後の対人家が放つものと同じもの――凍りつくような殺気だった。
◇
不意にあたりにキラキラと何かが輝く。
それが大気中の水分が氷結した氷の欠片だと思う前に、ユウは夜空に舞い上がっていた。
直後、ユウのいた場所を青白い刃が薙ぎ払う。
空中で体勢を立て直したユウに、ひと飛びで舞い上がった敵が迫った。
「ちぃっ!」
翼を持たないユウに、空中での機動は限られる。
それでも、くるりと逆上がりのように下半身をひねり、彼女は至近距離の敵の刃をかわした。
そのまま、片手で短剣を投げる。
「<パラライジング・ブロウ>!」
キィン、と透き通った音が響いた。
ユウの短剣を、見もせずに男が手の刀で打ち払った音だ。
だが、男が短剣を捌いた、その一瞬でユウは恐るべき一撃を逃れ、大地に膝をつくことができた。
ぎ、とユウの視線が男を抉る。
黒いタンクトップにズボン、両手両足のみを歪な鎧で覆ったその男は、仮面に隠した目で彼女を見返した。
その唇が無言のままににいっ、と吊りあがる。
無言のままに、ユウは男の強烈な殺意と悪意を感じ、こちらも不敵に笑ってみせた。
そのまま、まるでホバー走行でもしているかのような速度で急接近する男の突きを、刀を合わせずかわす。
すれ違ったユウの手からぽろぽろと何かが零れ落ちる。
ドカン。
闇を閃光で塗り替えるそれは、ユウ愛用の<爆発>の毒だ。
さすがに一瞬たじろぐ男は、それでも次の瞬間には正確にユウの居場所に剣を突きこむ。
ユウも無言のまま、その刃に横から自らの刀を当て、軌跡を微妙にずらしていく。
刹那の攻防だけで、刀がひび割れ、耐久度を失っていく。
だが、その刀の犠牲は無駄にはならなかった。
ついにがら空きになった男の脇の下に、ユウは思い切り最後の短剣を突き刺した。
「<ヴェノムストライク>」
それまで、流れる水のように滑らかだった男の動きが不意に途切れた。
苦しそうに喉を押さえ、仮面を通してすら感じる激烈な視線をユウにたたきつける。
さすがに追い討ちをする余裕などなく、距離を置いたユウは男に油断なく刀を構えた。
「<毒>……毒か」
不意に冷え切った街路に、それ以上に冷えた声が響いた。
それが目の前の男から発せられたものだと気づいたユウは、敢えて嘲弄するように答える。
「そうだ。<絶息>をかけられてまだ喋れるとは驚きだな」
かけられて、の「れ」のタイミングで投げられたその短剣が男の腹に吸い込まれる。
もう一度、今度は<激痛>の毒を受けた男は体をくの字にして呻いた。
「おのれ。毒、毒、毒をまたも……」
その声はとても生きた人間のそれではなかった。
冥府の奥底、地獄の鬼すら凍りつく氷結地獄のかなたから響くような、陰惨な声だ。
「<毒使い>を相手にしたのが身の不運だ。毒まみれにして殺してやる」
ユウは言いながら、心の中で冷や汗を流していた。
やはり、体を動かすテンポが遅い。
<上忍の忍び装束>での動きに慣れきった体は、いわば体の身ごなしが3割も減っているに等しい。
まして武器も粗末だ。
実際、目の前の男には二発の毒を与えていながら、それでも致命傷には程遠い。
通常であれば、HPの多い敵に対しては、彼女は腕なり目なりを狙って相手の戦闘意欲を殺ぐという戦法を多用する。
しかし目の前の男の四肢は頑丈な鋼鉄に覆われ、目は仮面に守られて狙えそうにない。
かといって、目の前の敵の刃をかいくぐり、相手に一撃を与えるという薄氷のような戦い方を続けられるとも思えなかった。
実際、彼女のHPは先ほどからじわじわと減り続けている。
範囲攻撃を受けているのだ。
(死ぬかな、これ)
そう、ユウが半ば覚悟した時だった。
不意に男が体勢を立て直し、真上に飛ぶ。
思わず横っ飛びによけたユウが目を開いた時、すでにあたりに氷の粒はなくなっていた。
「逃げたのか」
そう思ったユウは、全身を脱力感が包むのを感じた。
「こりゃ、早急に装備を直してもらわないとなあ」
念のため、大きく迂回して宿に戻ったユウが、アキバの町を震撼させる殺人鬼の噂を聞いたのは、次の日の昼間のことだった。
第1章でえらそうに言っておきながら、アキバに戻してしまいました。
ほんとマジで、どうしよう……




