3.<混沌の都>
少し不自然に切ったので、改訂予定。
焼肉美味しいですが、イチボなんてなかなか手に入りませんね。
ユウはアキバから少し離れたゾーンに来ていた。
のんびりと草を食む野生化した牛が好き勝手に寝そべり、爽やかな初夏の草原に時折牛糞の匂いが混じる。
(どこの誰が見つけたんだっけか、牛糞にはバニラが混じってるとかなんとか)
臭いに閉口しながら、ユウはここ最近の日課に手を付けた。
腰を落とし、半身に構え、腰に括り付けた小刀の鯉口を切る。
そのまま緩やかに旋を描いた体は、流れるように刀を抜いた。
そのまま静かに一太刀、返して二太刀。
舞うようなその動きは徐々にスピードを上げていき、いつしか目で捉えきれない程の速度となる。
最早彼女は一つところに留まっていなかった。
広大な草原を跳ねるように駆け、見えない敵に対して縦横無尽に刀を振るう。
それだけではない。
すくい上げるような逆袈裟斬りに黄色い灯りがまとわりつく。
<パラライジングブロウ>だ。
続けての一撃には<ヴェノムストライク>。
横手から僅かに切り上げた刃は<デッドリーダンス>。
通常攻撃の合間に繋ぎこむように特技を加える。
これはゲームだった頃の<エルダーテイル>には無い攻撃だ。
特技を繰り出した後の僅かな硬直すら、自分のバランスをあえて崩し、次の攻撃に移る起点になっていた。
それら全てが、名人による即興のジャズ・セッションのように千変と続いていく。
一通り特技を繰り出し、体を温めてからユウはふわりと着地した。
そのまま草原に腰を下ろし、持って来たクロワッサンに口をつける。
「まあまあかな」
クニヒコとの実戦さながらの訓練はユウに落ち着いて剣を振る心の余裕を与えていた。
訓練と言えば聞こえはいいが、お互い耐久度の高い武器を使っての実戦だ。
当然、傷もつくし<大神殿>で目覚めたことも一度や二度では無い。
だが、それだからこそユウとクニヒコは、「人を傷つけ殺す」という人類が生物的に持っているタブーへの嫌悪感を、比較的早くに脱する事ができていた。
ユウの周囲に寝そべった野牛たちが突然、モウモウ、と騒ぎ出した。
じゃれていた子牛達が母親の元へ向かう。
(ん?)
身を起こした彼女の耳に、肉食獣特有の荒い息遣いが聞こえた。
逃げ惑う牛達の群れをよそに、ニンマリとユウの顔が笑みを浮かべた。
狼だ。
仕上げにはちょうどいい相手になるだろう。
昼下がり。
ユウは擦りむいた腕をさすりつつ、手持ちの瓶からポーションを飲んでいた。
飛びかかった狼に噛みつかれた傷はすでに殆どない。
それでも飲むのは、狼が狂犬病というありがたくない状態異常-わかりやすく言えば病気-を媒介するからだった。
牛を狙って襲って来た狼を撃退し、ユウはのんびりと休憩をしていた。
草むらに手をつき、青空を見上げてぼうっとしていると、嫌でもいろいろなことが頭に浮かんでくる。
あえてそれらを意識から外し、ユウは全てを洗い流した後のような、子供の頃のファミコンゲームの背景のような、雲ひとつない青を見つめていた。
「・・・ら、ふざけてんなよ!」
「お前ら如き・・・が・・・」
(なんだ?)
眠たげにしぱしぱしていた彼女の目が突然に鋭く狭められた。
中国人なら青天白日、などと訳すであろうこの見事な日本晴れにそぐわない、荒々しい声が耳朶を打ったのだった。
目を凝らせば、地平線の近くに数人の人影がある。
しかもよく見れば、二人の男がそれ以外の人々を追い立てているようにも見えた。
ユウは身を起こし、そろそろと近づいた。
<辺境巡視>のサブ職業持ちには無意味だが、ユウの身ごなしも普通ではない。
一団をじっくり見られる小高い丘の中腹にうつ伏せに隠れたユウの目に、ここ最近アキバで見慣れた光景があった。
「おら!さっさと歩け!ゴミどもめ」
「雑魚のくせに偉そうに歩いてるんじゃ、ねえ!」
時折手にした武器をチラつかせつつ罵声を上げているのは二人。
<妖術師>と<盗剣士>だ。
いずれも豪奢な装備に身を包み、誰がみても高位冒険者だ。
一方で、のこる男女の服装は悲惨だった。
いずれも安物の鎧に武器、髪や疲れ果てた表情からも、生気が感じられない。
彼らは彷徨う亡霊ですと言われても信じられるだろう。
ユウはこうした一団に見覚えがあった。
怒りが体内で湧き上がる。
(初心者を食い物にする、下衆どもめ)
そこにいたのは、有る意味でPKよりもたちの悪い連中だった。
2.
腐れ、という言葉がある。
ユウのいるこの時代ではとうに死語だが、もともとネットゲームで、ゲーム上犯罪ではないが極めて不愉快な言動をするもの、あるいは他人を陥れて利益を得るものを指すスラングだ。
ユウの目の前にいる威丈高な二人の男は、まさにその「腐れ」だった。
「よーし貴様ら、そこらの牛を殺せ。殺して皮にして目一杯持て。
サボると殺すぞ!」
「あー、ユーリアちゃんはサボってもいいよ。でもその場合また俺らの部屋に一晩レンタルな」
怒鳴りつける<盗剣士>の横でひひひ、と嫌らしく<妖術師>が笑う。
既に反応する気力もないのか、初心者たちは目を伏せ、会話もしない。
その反応に気を悪くしたか、突然に<盗剣士>が剣を抜いた。
そのまま躊躇いもなく手近な一人に斬りつける。
いきなり剣で斬られ、もんどりを打って倒れこむその一人を足で蹴り飛ばし、<盗剣士>は初心者たちを睨み付けた。
「貴様ら!はい、は!」
「・・・はい」
恐怖に怯えながら口々に答える初心者たちを見て、男は満足そうに頷いた。
もう、耐えられなかった。
腰を限界まで屈め、素早く走って接近。
危険なのは<盗剣士>よりむしろ与ダメージの大きい<妖術師>と認識する。
微かな足音に気づく暇もなく後ろから間合いを詰めたユウは、<妖術師>の口をいきなり背後から塞いだ。
「??!!」
そのまま首を固定し、刀を逆手に振り上げ、親指の先、人間の感覚の八割を司る二つの器官に思い切り突き立てた。
<盗剣士>は何が起きたのかわからなかった。
カサ、という音がしたかと思うといきなり女が現れ、動けない<妖術師>の目を無造作にえぐったのだ。
赤色の沼になった両目を押さえ倒れ込んだ<妖術師>の口からはおぞましい不定形生物のように緑の泡が幾重にも漏れていた。
毒を叩き込まれた証だ。
そして、いきなり襲いかかって惨たらしく<妖術師>を沈めた女は、ゾッとするような目を<盗剣士>の男に向けていた。
「ぴ、PK!」
叫ぶ男は、しかし気が動転したのか念話すらせずに叫んだ。
その叫びがトリガーになったのか、<暗殺者>らしい女は、蜃気楼のように不意に男の前に現れる。
距離を詰められた、と思う間もなく、鋭い痛みが<盗剣士>の腕に走る。
ぼとん、という音。
ユーモラスなまでに鈍い音を立てて地面に落ちたのが自分の右腕だと脳が理解する前に次の刃が振るわれる。
この世界に来て半月あまり、ほとんどの戦いが圧倒的に自分より弱いモンスターやプレイヤーだけだったその男は、初めて向けられた明確な殺意に対応する術を持っていなかった。
「死ね」
口に突き込まれた剣が男の喉を灼熱で満たす。
「死ね」
振り上げられた刀が、オモチャのように軽々と左腕の筋骨を断ち切った。
「死ね」
あえてそうしているのか、ことさらにゆっくりと太い刀身が眦を切り裂いてめり込み、柔らかいゼリーのような眼球が圧力に潰されていく。
ゲームのシステムに支配されるこの世界では、<盗剣士>の男はまだ三割近いHPを残している。
ゲーム時代であれば、まだこれから反撃どころか、逆転すら狙える状況だ。
だが。
「苦しんで死ねや」
両手を落とされ、目を抉られ、喉を潰され、足を折られた凄惨な姿で痙攣する、かつて<盗剣士>だった肉塊をユウは冷たく見下ろした。
「人を呪わば穴二つ、禍福は糾える縄の如し。とどめは刺さん。二人して仲良く苦しんで苦しんで死ぬがいい。」
ビク、ビク、と動けない<盗剣士>にそう吐き捨てると、ユウは初心者たちに向き直った。
突然のことに頭が混乱しているらしい彼らを見回し、ユウは口を開いた。
「大丈夫か?もう心配ないから、早くギルドを抜けて……」
「殺してくれ!」
助かったはずの彼らからもれた最初の叫びは、喜びでも感謝でもなかった。
それは、絶望と苛立たしさの混じった、表現しようのない混沌の声。
愕然とするユウの目の前で、最初に叫んだ<守護戦士>がひざを突いて地面をたたく。
「何で殺したんだ!
俺たちが戻った後どんな目にあうのかわからないのか!
俺たちがどういう思いで生きているのかわからないのかよ!」
「………」
うう、という嗚咽は瞬く間に連鎖した。
「ギルドを抜けろ、とあんたは言った!
そのために俺たちはどれほどの屈辱を払わなければならないのか、
強いあんたにはわかるまい!
俺たちは雑魚なんだ!
雑魚は雑魚なりに生きていかないと、この世界じゃ死んで逃げることもできず苦しみ続けるだけなんだ!
あんたと戦って死ねば、あいつらは俺たちに怒りの矛先を向けないだろう!」
「そうだ!もう少し、少しだけでも見直すかもしれない!
仲間が、友達が殴られ、恋人が毎夜無理やり連中の慰み者にされる苦しみが、お前にわかるか!」
「うう……どうせなら死なせてくれ」
「殺してくれ……」
「あんたら……」
ユウの目に、涙にぬれた初心者たちの目が映った。
絶望、と一言で表してよいものかわからない。
それは、苦しみに満ちた奴隷のような、
冤罪で死刑台を上る咎人のような
それは、暗い目だった。
彼らにとって自分の助太刀は心底、余計なことだったのだろう。
そう、思わせてしまうような。
そのとき初めて、ユウは彼らの境遇の本当のつらさに思い至ったといってよい。
現実の地球にいたいかなる悲惨な境遇の人間であれ、
その行動の倫理的な是非はさておき、自ら命を絶つという最後の逃避手段があった。
そうでなくとも、古のローマの剣闘士奴隷から、近代アメリカにおける黒人奴隷まで、自らの尊厳を奪われたものには、奪ったものに命を懸けて挑むという選択肢もあった。
命が尊厳よりも常に重いことはない、とユウは思う。
だが、彼らにとって死は救いでも永遠の逃避でもなく、
ほんのわずか、<大神殿>で蘇るわずかな期間の間の眠りでしかない。
そしてレベルという絶対的な差が存在するこの世界においては
彼らの決死の一撃は、それがどれほど渾身の一撃であったとしても
彼らの命を断ち切ることはできないのだ。
さらに絶望的なのは、死を免れているのは彼らを迫害する高レベルプレイヤーもまた同じであるということだ。
寝込みを襲い、ありとあらゆる攻撃を叩き込んで、仮に相手が死んだとしても
殺した相手はわずかな時間で戻ってくる。
更なる怒りと、レベルの低い相手にやられたという屈辱感を胸に抱いて。
ユウが押されたようにぽつりと言う。
「……アキバを離れたら」
「はっ!俺たちでどうやってこの町を抜けられるってんだよ!」
一人の<暗殺者>が嘲ったように鼻を鳴らした。
いや、事実嘲ったのだろう。
鎧ともいいがたい粗末な皮のベストに、初期装備のような貧相なダガーを持ったその青年は自棄になったような声で叫ぶ。
「俺たちだって知ってるさ!
この町を抜けても、次のプレイヤータウンまでどれほどの距離があるのかを!
死ねばアキバへ逆戻りだって事を!
そして仮に別の町へたどりつけても、俺たち低レベルはどうせただの犬っころだって事もな!」
「……もう、苦しめないでください……」
最後は絶叫を放った<暗殺者>に寄り添うように座っていた、一行のうちただ一人の女性が呟いた。
その露出度の高い衣服は、彼女がどのような境遇にあるのかを如実に表している。
「あいつらとあなたは同じです。結局、私たちには害にしかならない。
あなたは私たちを、同じような境遇のプレイヤー全員を守れますか?
あいつらを永遠にいなくならせて、この町を変えられますか?
……元のあの世界に戻してくれますか?
それができないなら、できないのに中途半端に情をかけるくらいなら
もう、何もしないでください……」
自分が唇を噛み切っていることに気づかなかった。
ユウは、怨嗟と呪詛の声を上げる彼らから、気づかないまま逃げていた。
彼らは、生きて町に帰るだろうか。
そうではない、と混乱した頭のままユウは確信していた。
彼女が身を翻す間際に見た、最後の光景がある。
それは、寄り添う女性<神祇官>に、ダガーを振り上げる
恋人だと思しき<暗殺者>の、疲れ果てた目だった。