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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第二章 <西へ>
38/245

25. <桜>

 ユフ=インの夜は静かだ。

その日も深夜まで毒の調合に勤しんでいたユウは、ようやく仕事を終えたところだった。

生あくびを噛み殺し、広げていた素材を片付ける。


ユウが寄宿する老薬師は、ユフ=インでも数少ない医療従事者である。

彼がユウと出会ったのは偶然だ。

たまたま温泉で、毒と薬について話すユウを見かけた薬師のほうから寄宿を勧められたのだ。

対価は、彼女が知るいくつかの毒―薬の製法を教えること。

老薬師がそろえた豊富な素材、何より潤沢な知識に惹かれ、ユウは申し出を受けたのだった。

その甲斐あって、ユウがレシピを書き記す書付の厚みは加速度的に増しつつある。

スマホがあれば楽なのに、とは無いものねだりだろう。


瓶を丁寧に棚にしまい終えたユウは、丁寧にラベリングされたそれらを満足そうに眺めると、

ごろりとベッドに横になる。

燭台が消され、部屋は静かな闇に包まれていった。



1.


 クニヒコが行方不明になって二日。

<第11戦闘大隊>に教わった<妖精の輪>が開くまで、あと2日。

自室で朝食を食べていたレディ・イースタルは、バタンという音に顔を上げた。

現れた男爵が、これまでにないほどに厳しく引き締まった顔をして告げた。


「レディ・イースタル伯爵閣下。申し訳ないのだが、談話室まで来てくださるまいか」



部屋に入った瞬間、レディ・イースタルは激昂した。


「貴様!なぜユウを!!」


杖を構えて叫ぶ。その彼女の視線の先には、何人もの兵士に囲まれて横になったユウの姿があった。

意識がないのか、目は閉じられ体はぴくりとも動かない。

彫像のように。


「無礼はお詫びする。だが、猶予がないのだ」

「何が猶予だ!このデブが!!見直した俺がアホだったわ!」

「貴様、父上になんと無礼な!!」

「止めぬか!伯爵も杖を下げられよ。誓ってこの娘に無体なことはしておらぬ」

「じゃあ、なぜそこにそいつが寝てるんだ!!」


問答に焦れたレディ・イースタルが叫ぶと、男爵は怒り狂う<冒険者>に苦笑して見せた。


「閣下もこの娘ごも、ついて来いといわれてついてくるような方ではなかろう。

それに、閣下への人質という意味もある。

手荒なことをする気はないが、閣下が暴れればどうなるかわかりませんぞ」


あからさまな恫喝と、ユウの首筋に当てられた兵士の刃に、渋々レディ・イースタルは杖をおろした。

それでも相手をそれだけで殺せるような視線を男爵に向ける。


「……まず聞く。どうやってユウを攫った?」

「この娘が泊まっていた薬師は、先代のわが父の専属薬師だったのだ。

そして眠らせたのはこの娘自身が作っていた<睡眠>の毒だ。

解毒薬も持ってきておる。……これでよろしいか?」

「……俺とユウに何をさせたい」


その問いかけに、男爵とメハベル卿は不自然なほどにぎこちない仕草で、ゆっくりと一歩さがった。

そして返す。


「ひとつ、まず問わせてほしい。……桜を見られたか?」

「は?」


あまりに突拍子もない質問に、レディ・イースタルは思わず間の抜けた声を出した。

しかしその彼女に笑うでもなく、男爵は真剣な顔で問いを重ねる。


「桜を見られたか?何かを願われたか?」

「……いや。今は秋だろ。桜なんて見られるわけがないだろうが」


そう答えたレディ・イースタルの目をじっと見つめた後、男爵はほ、と息をついて手を振った。

無言の指示に従い、ユウの周囲の兵士たちがその口に解毒薬を含ませる。

3瓶を飲ませ、ようやくユウはもぞもぞと身じろぎした。


「……ふあ。ん?タル?それにここは」


状況のよくわかっていない声に、男爵が慇懃に腰をかがめる。


「無礼をお詫びする。<冒険者>のユウどの。許可なく我が屋敷に招いたことは申し訳ない。

しかし……すまぬがひとつだけ答えてほしい」

「……なんだ?」


兵士に囲まれた状況を理解したのか、静かに返したユウに、男爵は再び質問をした。


「あなたはこのユフ=インの山で桜を見られたか?」

「今は秋だと思っていたが、春なのか?見えるわけないじゃないか」


その答えに、再び男爵はため息をついた。


「よろしい。さぞかしご不快と思うが、お許しくだされ。

すべて話しますので、場所を変えましょうぞ」


 ◇


 ユウたち二人は応接室にいた。

目の前にはメハベル男爵と息子のメハベル卿だけが座っている。

二人とも敵意がないことを示すためか、剣を帯びていなかった。

一方、ユウとレディ・イースタルは完全武装だ。

やろうと思えば一瞬で二人の<大地人>を八つ裂きにできる状況だった。


信頼が地に落ちていることを理解しているのか、ユウたちの前には茶も菓子もない。

代わりにひとつの煙草盆が置かれている。

傍においてあった自分の荷物から引っ張り出した煙管を銜えたまま、白い目で睨みつけるユウに真っ向から視線を返し、メハベル男爵が口を開いた。


「存じておられると思うが、わが領内にはベップのようなダンジョンも、凶悪な魔物の巣もない。

本来であれば、我らが恐れるものはないのだ。

だが……伝承にしかないものが蘇ってしまっている」

「というと?」


短い応答に頷きを返し、男爵は深々と椅子に身を沈めた。


「我が領内には、一本の桜の木がある。周囲の山のどこかにある、とされているが、我らもその位置は正確にわからなかった。

わかったのはあの<五月>から数ヶ月たった頃だ。

その桜は普段は何もすることはない。

しかし伝承によれば、周囲の邪気を吸い込み、きっかけを与えることで<化ける>のだ」

「<化ける>とは?」

「周囲に幻を見せ、操るのだ」


苦々しい口調で男爵は吐き捨てた。

彼の言葉を要約すると、こういうことだ。


ユフ=インのどこかに咲くその桜の木は、溜め込んだ邪気を用いて人が望むままの幻を見せる。

そのきっかけは、人の血。それも<冒険者>の血だった。

最初に血を浴びせた者の望んだことを、その桜は幻という形で見せようとする。

その桜に、意図してか知らずか、誰かが血を与えてしまったのだ。


目覚めた桜は、人の望みを吸い取り、望むままの幻覚を見せ、やがては幻覚で人すら作り出すようになる。

その目的はひたすら、人の望みを吸い、自らの邪気を高めることに他ならない。


なまじ<緑小鬼(ゴブリン)>や<醜豚鬼(オーク)>のように、明確な悪意がないだけにかえって始末に終えない。

あまりに強くなった桜の木は、邪気を用いて桜花(はな)を咲かせる。

満開となった桜の木が放つ幻には、なまじの<大地人>や<冒険者>すら抗えないという。


「既にこの町にもかなりの量の<桜の幻影>が忍び込んでいると思うが、何しろこの町は訪う者が多い。誰が人間で誰が<幻影>なのか、わからないのが実情だ。

だが、少なくとも<冒険者>の<幻影>が出るという話は聞いたことがない。

その代わり、桜に操られた<冒険者>が来ることはあり得る。

だから申し訳ないとは思ったが、お二人ともう一人の動向を注視していたのだ。

特に伯爵閣下は、できれば取り込んでおきたかった」


なるほど。とユウは思った。

知らない間に監視されていたことは腹も立つが、男爵の置かれた状況を思えば決して理解できない、ということはない。

レディ・イースタルへの求婚も、突き詰めて言えば監視の一環ということだ。

妃候補となれば、行動に指図するだけの名分も立つ。

だが、さすがにはいそうですかとその桜を切りにいくことまではユウも、レディ・イースタルも思わなかった。

そんな彼女たちの感情を読み取ったのか、メハベル男爵が口を閉じ、

代わりにメハベル卿が話し始めた。


「……あなたがたの友人であった黒衣の騎士の足取りが一昨日から掴めていない。

聞けば、彼がいた娼館にいるリアーナという女とともに、町を出て行ったという。

しかし、昨日同じ事をその娼館の女主人に訪ねたところ、黒騎士が泊まっていたのは覚えていたが

リアーナなる女など知らぬ、という。

その黒騎士がどの女性と同衾していたのかも知らぬらしい。

……十中八九、そのリアーナなる女は<桜の幻影>であり、黒騎士殿は桜に囚われたと思われる」

「……それは」


気のいい友人を襲った悪意に、喉をごくりと鳴らしレディ・イースタルは青年を見据えた。


「……その桜に囚われた<冒険者>はどうなる」

「操られる。だが彼らが何を夢見ているかは、わからぬ」


黙りこくった二人に、静かに男爵とその息子は頭を下げた。


「無礼を承知でお願いする。我が領を助けてくださらぬか」



2.


 レディ・イースタルは、汗血馬に静かに、山道を進ませていた。

隣には同じく危なげない手つきで馬を操るユウがいる。

そして彼女たちの後ろには、完全武装のメハベル男爵と、直衛の騎士たちが続いていた。


当初、男爵が共に行くと言った時、ユウたちは全力で反対した。

敵となる<桜>の前で何かを思うだけで、それは<桜>へ取り込まれることを意味する。

ましてや男爵はユフ=インの領主だ。

操られるならまだよい。死ねば代わりはいない。

だが、男爵は強硬に出撃を主張し、ついには2人も認めざるを得なかった。

もちろんのこと、戦闘への参加は強く戒めてのことだ。


今、男爵は弛んだ顔に強い決意をみなぎらせ、騎士たちの先頭に立っている。

いや、もはや彼は男爵ではない。

出撃に先立ち、彼は家督を息子たるメハベル卿に譲っていた。

そのメハベル新男爵は、訓練中の徴募兵たちと共に、ユフ=インを守っている。

男爵は息子に家督を譲ることで、メハベル家の退墜を防ごうとしたのだった。


「ユウ」

「なんだ?」


答えたユウに、レディ・イースタルは暗い声で告げた。


「俺は、記者としてやってはならんことをしてしまった。

相手の心も推し量らず、見た目と生理的な印象だけで人を判断してしまった。

心から恥じる」

「……」

「デブ、などと嘲った自分を殺してやりたいよ」

「じゃあその代わりに、男爵と彼の家臣を救ってやれ」


ユウの短い返答に、決意を漲らせた目でレディ・イースタルは頷いた。


昼下がりの山道で、どこかでカケスの鳴き声が響いた。



 ◇



 それは異様な光景だった。

鮮やかな満開の桜の下で、数多くの<冒険者>が思い思いの格好でくつろいでいる。

あたかも、それは季節外れの花見に興じる酔客のようでもあった。

だが、その周囲は酸鼻だ。

焼け焦げ、氷に包まれ、あるいは恐るべき力で引きちぎられた、無数ともいえる<大地人>の死体。

ちょうどそれは桜を中心にした、きれいな同心円を描いている。


「なぜ、<大地人>の死体は消えないんだ?」


倒れた死体のひとつ、もっとも桜に近づいて前のめりになった、将軍らしい豪華な鎧の騎士を見て、

そうユウは一人ごちる。

その声を聞いていたレディ・イースタルは、しかし返事をすることはなかった。


将軍の死体のわずか数m先、そこで胡坐をかいて座っている、見慣れた黒衣を見つめている。


「……クニヒコ」


小さな囁きは、夢見るように微笑む<守護戦士>に届くことはない。

彼の周囲では、<ハーティ・ロード>や<第11戦闘大隊>のギルドタグをつけた<冒険者>をはじめ

レベルもギルドも様々な<冒険者>が好き勝手な格好を取っている。

驚くべきことに、<Plant hwyaden>のギルドタグをつけたプレイヤーすら、中にはいた。

その総数は、大隊規模編成(レイドレギオン)が優に2組はできるほどだ。


後ろにいた男爵―前男爵が、目にぎらぎらとした殺気をたたえ、2人の<冒険者>に歩み寄った。


「まだあの<桜>はわれらに気づいておらぬようだな」

「あそこに倒れた<大地人>たちはあなたの騎士か、前男爵」

「そうだ……あそこで死しているエニエスをはじめ、我が剣たちだ。

それを……肉と魂を大地に還す事すら妨げるとは……」


怒りの中に悲しみをたたえ、言い捨てた前男爵の肩を、ユウがぽんと叩いた。


「……事前の作戦通り、わたしが斬り込む。前男爵は、援護する伯爵(そいつ)を守ってくれ。

……あの桜は、おそらくは私たちの最大の望みを、汚した。

あなたの家臣たちと、<冒険者(わたしたち)>の名誉に対する無礼は、必ず濯いでみせる」

「……頼みましたぞ」


呪文の効果範囲ぎりぎりに下がった前男爵たちとレディ・イースタルを背に、

ユウはゆっくりと汗血馬の首筋を撫でた。

状況を理解したのか、馬はゆっくりとレディ・イースタルの脇に立つ。

その前で、<森呪使い(ドルイド)>の従者たる梟熊(オウルベア)が、主の護衛は任せろといわんばかりに胸を張った。


ユウは静かに歩き出した。

その姿がふっと消える。<暗殺者(アサシン)>の特技、<ハイディングエントリー>だ。

10分という長時間にわたって姿を消す<暗殺者>の代名詞ともいえる特技のひとつだった。


パソコンを打っているように、手をかたかたと動かしている一人の<妖術師>を避けながら

ユウはこの<桜>の正体に思い至っていた。


ユニークオブジェクト。


かつて運営は、現実の半分の大きさの世界(エルダー・テイル)に、これでもかと言わんばかりのストーリーや設定を詰め込んだ。

一つ一つはクエストではなくとも、世界の広がりを感じさせる様々なアイテムや遺跡。

たとえばかつてのイベントの記念碑、無限に沸く酒の泉、その土地の歴史に根ざした設定やユニークモンスター、といったものだ。

そうした内のひとつに<ユニークオブジェクト>というものがある。

それは単なる景色や建物、木や森に過ぎないが、独自のフレーバーテキストを持ち、

時にはそうしたオブジェクトにまつわる小イベントやローカルクエストの舞台、あるいは小道具となるものだ。


かつては、その由来(フレーバーテキスト)がどれほどおどろおどろしいものであっても、

イベント以外では単なる奇妙な景色でしかなく、長年<エルダー・テイル>をやってきたユウであっても、普段はさほど気にしているようなものではない。

だが、この世界はもはやゲームではなく現実だ。

恐ろしい由来は事実となり、実際に人に牙をむく。


<ユフ=インの狂い桜>も、そのひとつだった。

実際に過去、無数の<桜の幻影>と戦うクエストがあった、とユウは知っていたが、丁度現実が忙しかった時期でもあり、そのクエストに参加していない。

単なる季節外れの花見スポット。

ユウが今、リィィンと鳴る刃を手に、向かっていくのはそれなのだった。



慎重に<冒険者>たちを避けると、ユウは手元の<ダザネックの魔法の鞄>から瓶を次々と取り出した。

それらを、<桜>を囲むように慎重に置いていく。

ユウは最初から<桜>とまともに戦う気などなかった。

吸血鬼の牙城たる貨物船に対してそうしたように、まとめて吹き飛ばすつもりなのだ。


(……あ)


ひゅう、と風が吹く。

その風に煽られ、ふとユウの手先から瓶が滑り落ちた。


それは柔らかな腐葉土をクッションとして落ちると、やや斜めに傾いだ地面に沿って、ころころと転がっていく。

そしてそれが、カツン、と音を立てて木の根に触れた瞬間。


ぶわ、と、まるで嵐のように桜が花弁を打ち広げた。


「!!!!」

「ユウ!!」


<望みを言え、異邦人よ>


その瞬間、圧倒的な意志がユウの脳裏に轟いた。

同時に無数の光景がフラッシュバックのように脳裏を駆ける。

懐かしい現代の舗装道路、車が行きかうラッシュ時の大通り、どこかの学校で授業をする風景、

会社でパワーポイントを用いて発表する誰か、諸々、諸々。


<そなたも還りたいのだろう。さあ>


何もしていないのにステータス画面が開き、見慣れた、そして望んでも望み切れなかった文字が光り出す。


<ログアウト>


この<桜>の前ではいかなる願いも思ってはいけない。

望むということは目の前の<桜>に意識を奪われ、奴隷と化すということだ。

周囲の<冒険者>のように。


……クニヒコのように。


「あ、あ……」

「ユウ!!」


特技を解除して姿を現し、よろよろと数歩後ろに下がったユウに、レディ・イースタルは叫んだ。


「いかぬ!」


前男爵も切羽詰った声を出す。

周囲の<冒険者>たちが一斉にユウに顔を向ける。

そして、ゆっくりと立ち上がり始めていた。


レディ・イースタルは懐を探った。

そこには、ユウが念のため、と渡していたいくつかの毒が置かれている。

<冒険者>の腕力で、かつてテイルロードの海底洞窟でユウが自身にしたように、

その毒を投げようとした彼女は、しかし寸前で思いとどまった。

不意に激痛を与えれば、いかに<冒険者>とはいえ混乱をきたすだろう。

痛みに苛まれる人間が望むことは、たったひとつだ。

そしてそれは、今の場合、ユウを助けるどころか止めを刺しかねない。


幸い、まだ<冒険者>たちはレディ・イースタルに向かってくる気配はない。

彼女は、毒の代わりに口を開いた。


 ◇


20年近く見慣れた、<ログアウト>の文字。

それはセルデシア(ゲーム)から現実(リアル)に還る、魔法の扉。


嘘だとわかっていても、その扉の向こうにいる妻や子供の顔や声がユウの頭に蘇る。


『おかえりなさい』

『父さん、よく寝てたね』

『パパ、風邪引くよ』


このボタンを押し、現実に還ったらまず何を言おう。

妻を抱きしめて『すまなかった』と言おうか。

子供たちに『心配をかけたな』だろうか。

煙草は当分やめてもいい。

休日にはみんなでドライブに行こう。

ショッピングモールの玩具屋で、息子に好きなものを買ってやるのだ。

娘には、本か服だ。服は少し派手なものでもいいだろう。

そして、家族を思い切り抱きしめながら、『愛している』と言う。

こんなゲームは二度とやらない。

家族のために生きるのだ。

仕事もそうだ。上司や部下とは、決してすべてが幸福な関係ではなかったが、

それでも彼らのために全力で働こう。

ゲームにかまけず、会社のために。


脳裏をよぎる無数の光景が、ユウの意識を攪拌していく。

その彼女に、再び<桜>の意志が轟いた。


<孤独に喘ぐ異邦人よ、望みを言え>


「わ、私……は」

「ユウ!!」


後ろから響いた絶叫に、ユウははっとして振り向いた。

そこにはここ数ヶ月で見慣れた美女が、手をメガホンにして叫んでいる。


「まやかしと、幻を忘れたのか!お前も現実より、幸福な妄想を選ぶのか!!

ユウ!!偽りの現実(リアル)に逃げるな!!

戦え、セルデシア(ここ)で!!クニヒコや<冒険者(そいつら)>を救え!!」


<望め、<森呪遣い(ドルイド)>!>


もはや実際の声のように、圧倒的な意志が細い体に叩きつけられる。

意識を刈り取るハンマーのようなそれに、しかしレディ・イースタルはよろめきながらも不敵に笑って見せた。


「望みだと!?そんなもの、持っちゃいないね!!なぜなら俺の望みは果たされたからだ!

<グレンディット・リゾネス>の連中は逃げ切った!

友人達(そこのアホども)はお前を切り刻んで薪にする!

うまいものも食えるし、たまには酒も煙草もやれる!

家は女房が何とかするだろう!

枝を洗って待ってろ、この唐変木野郎が!!」


怒りのままに彼女は呪文を紡ぎ上げ、掲げた両手を叩きつけた。


<望みを言え>

「黙ってろ!!<シュリーカーエコー>!!」


もはや物理的なダメージすら与える音波の渦が直撃し、<桜>は悶えるように大きく身を震わせた。


 ◇


 くるくると脳裏を回る地球の映像がいきなり途切れた。

代わりに見えるのはうつろな目で自分を見る周囲の<冒険者>。

ユウはぎっ、と目を見開くと、流れるように腰から短剣(ダガー)を抜いた。

輝き続けるステータス画面を無理やりに閉じる。

そして叫んだ。


「<ヴェノムストライク>!!」

<!!??>


毒の一撃で巨大な幹がさらに揺れる。

その瞬間には大地を蹴っていた彼女は、津波のような桜花の群れを切り分けるように後ろ向きに飛んだ。

彼女の軌跡を狙い、誰かの剣が走るが、体をひねってかわす。

着地点で杖を掲げる<妖術師>の首を掴み、捻るように首を折り、その力のない肉体を蹴ってさらに後ろへ。

くるくると回りながら、ユウの手から二本目の短剣がなげられた。

その向かう先は、巨木の周囲半分を取り巻くほどに置かれた瓶。


「タル!」

「おう!<フレイミングケージ>!」


空中を駆けるユウの掛け声にあわせた呪文が、巨木を包み込む。

魔法が効果を発揮し続ける限り、同時に状態異常(どく)の効果を持続させる炎の檻に、

<桜>は眠れる樹人(トレント)のようにざわめいた。

そうして熱せられた瓶のひとつを、ユウの短剣(ダガー)が貫く。


強い熱と衝撃で割れた瓶からこぼれ出た液体は、周囲の同僚たちを巻き込んで一瞬で気化、爆撚現象を引き起こした。


閃光が目を焼いた。



 光が収まったとき、雄大な巨木は無残な姿になっていた。

斜めに傾いた幹の下では、爆発で掘り返された根が千切れ飛び、毒と火のために、瑞々しかった葉がみるみる変色し落ちていく。

幹に穿たれた大きな割れ目からは、邪気のかけらなのか、どす黒い煙がもうもうと立ち上っていた。

枝を焼く白い煙とあいまって、さながら灰色に彩られているかのようだ。


「助かった」

「いいってことさ」


ある<召喚術師>の喉を蹴り潰した勢いで飛んだユウが、レディ・イースタルの傍に降り立つ。

短く礼の言葉を呟いた友人に、目を<桜>から逸らさないまま、レディ・イースタルは微笑した。


「見ろよ。あれはレイドモンスターじゃない。ただのユニークオブジェクトだ。

HPもMPも何もない。ああなればおしまいだ」

「そうでもなさそうだ」


見れば、先ほどまで人形のようだった<冒険者>たちが、めいめいの武器をユウたちに向けている。

その目は生気のなかったそれではない。

殺されようとしている<桜>の怨念が乗り移ったかのように、彼らは例外なく狂気的な怒りを顔に浮かべ、無言で迫ってきていた。


「前男爵!さがれ!密集していればいい的だ!森の奥へ!」

「あなた方はどうなさる!」


すばやく手を振り、騎士たちを下がらせる前男爵に、今度はユウが不敵に笑ってみせた。


「食い止める。ここで連中を。あの木がくたばるまで」

「無茶だ!」

「あんたらが離れればさっさと逃げるから、早くしてくれ」


そう言うと、ユウは揺らめくようなトリッキーな動きで前に出た。

殴りかかる81レベルの<武闘家(モンク)>の拳をよけ、その首筋に刃を走らせる。

瞬時に<激痛>の毒を叩き込まれて倒れるその<武闘家>を回復しようとする<神祇官(カンナギ)>の喉に短剣が刺さった。

喉を押さえてぱくぱくと呻く<神祇官>を無視し、次の敵と定めた<守護戦士>の兜の奥を突く。

とん、と大地を突いたユウに怒涛のような勢いで振り下ろされる大槌(ハンマー)

<武士(サムライ)>必殺の<虎口破り>を、ユウは一歩だけでかわしてみせた。


周囲から降り注ぐ攻撃の連打。

味方がいようが構わず、雨あられと降り注ぐ呪文。

それらをあるものは避け、あるものはレディ・イースタルの<脈動回復(ハートビートヒーリング)>でしのぎ切る。

最後の毒を叩き込むため、回復の網から外れるのを承知でユウは更に踏み込んだ。


桜の花は、まだ散ってはいない。



 ◇


「<大祓えの祝詞>!!」


誰かが叫び、<桜>の葉が落ちる速度が目に見えて遅くなった。

幹が揺れ動き、<冒険者>たちを鼓舞するように桜吹雪が舞い飛ぶ。


なおも回復を唱えようとするその<神祇官>の首を鷲掴みにしたユウは、そのまま彼女を布切れのように振り回した。

やわらかい肉体に、弓使いたちの放った必殺の矢がぶすぶすと突き刺さる。

断末魔の痙攣を繰り返す<神祇官>をほうり捨てると、ユウは再び<堕ちたる蛇の牙>を構えた。

その刃は既にボロボロで、刀というより鋸のようだ。

それでも刀はユウの毒を受け、<冒険者>たちに毒を叩き込み続けている。


<望まぬのか>

「お断りだね」


ずいぶん弱弱しくなった声に吐き捨てる。

そもそもが200人近いプレイヤーと、たった2人で闘っているのだ。

勝てるという望みすら、既に捨てていた。

ただ、目の前の肉を斬り、目をえぐり、骨を折り、内臓を砕き。

自分が<エルダー・テイル>で、あるいは<大災害>以降の世界で培ってきた戦闘技術を縦横に振るい

より多くの敵を道連れにする。


無心、という言葉がある。

ユウの心境は、しいて言えばその無心に近かった。


後ろでどう、と音がした。

ちらりと目だけで振り向けば、主たる<森呪遣い(ドルイド)>を守っていた梟熊が、

ついに斃れたところだった。

全身に痛々しい無数の傷を作っていた彼の命を最後に絶ったのは、

ユウも見慣れた、巨大な大剣、<黒翼竜の大段平>。


その光景に、止めを刺しかけていた<吟遊詩人>を放り出し、

ユウは空中でくるくると回ってレディ・イースタルの前に着地する。


梟熊(オウルベア)……ぐっすり眠ってくれ」


そういって槍となった愛杖、<深海の女王>を構えるレディ・イースタルから緑の光が溢れ、

ユウと死した梟熊を包み込む。

その光に押されるように、ユウは眼前で大剣を振り下ろした格好のままの旧友(クニヒコ)を見上げた。


「本気でやりあうのは二度目だな、クニヒコ」

「………」

「言葉もなくしたか?」


大気そのものすら断ち割る、横殴りの斬撃をひらりと飛び上がってかわし、

殺到する別の<盗剣士>の華奢な首を蹴り折ると、ユウは再び口を開いた。


「テイルロードやロカントリを忘れたのか。<大地人>を守っていたお前はどこにいる。

ユフ=インの騎士たちを斬るほどに、お前が見た夢は心地よかったか」

「……香織といったんだ」


返事を期待していなかったユウは、突如クニヒコが発した明確な声に驚いた。

しかし、彼はユウに告げているわけではなかった。


「大学の後輩で、法学部だった。大人しい顔の美人だった。

ずっと大事にしていこうと思った。結婚も考えた。

だが、俺がシンガポール駐在から戻ってみると、あいつはとっくに別の男の彼女だった」


クニヒコの声に誘われるように、周囲の生き残った<冒険者>が口々に呻く。


「優子、博」

「あなた……タっちゃん」

「パパ、ママ」

「高橋、安田、松岡……」


誰もが口々に人の名前を呼ぶ。

その声は望郷の声ではなく、もはや呪詛だ。


「こんな世界、来たくなかった」

「あいつらと離れたくなかった」

「家に帰りたい」

「あの人のところへ、還りたい」

「還りたい」


「………還れるさ」


思わず、答えていた。

疲れ果て、幻にすがる人々の目が、一斉にユウを見る。

その目をひとつひとつ見返して、ユウは力強く答えた。


「俺たちは帰れる。こんな幻の<ログアウト>じゃなく、本当のログアウトを見つけられる」

「それは、どこに?」


誰が放ったかもわからない声に、ユウは首を静かに振った。


「わからん。だが、探すしかない。幻に囚われず、世界の隅々まで回ってでも。

この世界に生きて、この世界の人々と生きていって、知恵を集めて、探すしかない。

だからお前さんらも、戻ってくればいい。そしてそれぞれの方法で探せばいい」

「そんなもの、あるかよ!!!!」


不意に目の前の黒衣の騎士(クニヒコ)が叫んだ。

血すら混じった涙を流し、彼は大剣を振り上げる。

それは一瞬で縦の暴風となってユウを襲った。


「!!」


間一髪。<堕ちたる蛇の牙>が、<黒翼竜の大段平>を食い止める。

だが、長年ユウと共に歩んだ刃が主を守ったのは、そこまでだった。


きらきらと輝くエフェクトとともに、<秘宝級(アーティファクト)>の刀が砕け散る。

主を守った、その誇りを煌びやかな光で示すかのように。


愛刀の作った一瞬の隙が、彼女を死の雪崩から救い上げた。

飛び退ったユウをしかし、返す剣が下方から襲う。

すらりと抜いたもう一振りの刀、<妖刀・首担(くびかつぎ)>がその刃を受けようとするが、

こちらも折れる寸前の剣だ。

まさに黒竜のあぎとのように、視界すべてを覆い尽くすクニヒコの剛撃を受け止めきる力はない。


「クニヒコ!」


がしゃ、と硬い物同士がぶつかり合う音が響いた。

レディ・イースタルだ。


「目を覚ませ!幻は幻だ!縋ってもなにもならん!」


必死に叫ぶ彼女の前で、<深海の女王>と<黒翼竜の大段平>、ふたつの<幻想級(ファンタズマル)>武器が軋む。


「でも、幻でも!元の世界にもう誰も待っていなくても!!還りたいんだ!香織の下へ!!」

「馬鹿野郎が!!」


<オンスロート>と<バーニングバイト>、二つの特技が火花を散らした。




そのとき。

いくつかのことが同時に起きた。



かしゃり、とクニヒコの胸元が鳴る。

テイルロードで無残に死した人々の遺品は、ただ躍動するクニヒコの鎧に当たり、

小さな音を立てた。

キン、と別の音も立った。

それは壊滅したロカントリで、生き残った<大地人>からレディ・イースタルが貰った、

小さな硝子細工が割れた音だ。


『今です、ユウさん』


動きを止めた2人の背後から、廃工場で戦った女<冒険者>の、

戦機を見極めた時の声が聞こえた気がした。

無意識に、その声に重ねるようにユウは叫ぶ。


「今だ!前男爵!!」



 ◇


 誰もが、その存在を忘れていた。

高レベル<冒険者>同士の激戦には、どれほど鍛えた<大地人>も無力だ。

しかも、<桜>は近づく人間の望みを叶えることでその人間を意のままに操ってしまう。

高い身体能力と状態異常耐性を持つ<冒険者>ならともかく、<大地人>の、それも年老いた男がなんになるだろうか。

誰もが、おそらくは<桜>ですら、そう思った。


「おおおおおおっ!!」


ユウの汗血馬に跨り、前男爵が雄たけびを上げた。

その辺の馬など比較にもならない高速で、土煙を蹴立てて彼は走る。

豪奢な手甲(ガントレット)に握られたのは、ユウの渡した<爆発>の毒。


「我が子の、先祖の、領地の、領民のために!」


太った体に、紛れもなく先祖と同じ騎士の精神を宿したその老貴族は、誰もが何もできないうちに<桜>に走りより、手にした瓶をすべて、その倒れ掛かった幹に叩きつけた。


再び爆風が上がった。

それだけではない。

めりめりという気持ちの悪い音と共に、巨木がその芯から折れていく。


<!!!>


<桜>の意志が、断末魔の悲鳴を上げる。

爆風に包まれた前男爵も無傷ではない。

全身を火傷と傷でズタズタになりながらも、強靭な汗血馬にしがみつくように、彼は炎の地獄から脱出した。


「あ……」


<冒険者>たちが虚脱する。

彼らを縛っていた意志が消滅した、それは証だった。


だが。



操られていた<冒険者>の中に、若い<暗殺者>がいた。

噂に名高いトップレイダー、<シルバーソード>のウィリアムにあこがれた彼は、取り回しのよい複合弓(コンポジットボウ)に、矢を番えていたままだった。


<暗殺者>の手から力が抜け、矢は明後日の方向に飛び出す。

その射線は、駆け抜ける前男爵の煌びやかな鎧、その首筋の隙間に

天文学的な確率で交差していた。


矢が、突き立った。


馬上の前男爵が一瞬、びくりと震える。

次の瞬間、彼は走る馬からどう、と音を立てて倒れ落ちていた。


「前男爵!」


光の泡が広がる。

<桜>がとめていた死した騎士たち、<冒険者>たちの魂と肉体が還るのだ。

<冒険者>は、それぞれが最後に立ち寄ったプレイヤータウンの<大神殿>へ。

そして<大地人>は大地へ。


光の泡となって消えていく前男爵に、脱力するクニヒコから逃れたレディ・イースタルが駆け寄る。

以前はおぞましさすら感じた彼の脂ぎった手を握り締め、その首を胸にかき抱いた。


「前男爵!」

「……伯爵閣下。伝えてくだされ」

「ああ!何をだ!」

「息子に、よき領主をと」

「わかった!だが自分で言え!<ネイチャー・リバイブ>!!」


どんな瀕死の人間でも呼び戻す彼女の呪文も、消えかかる前男爵の前で、空ろに消える。

レディ・イースタルが次に何かを言う前に、老貴族はその生を終えた。


俯いて動かないレディ・イースタルの周りですすり泣きが聞こえる。

その言葉は幻を見た自分を哀れむ言葉ではない。

「すまなかった」「ごめんなさい」「許してくれ」

消えていった<大地人>への、贖罪の言葉だった。



同じく俯く黒い騎士の前に、ユウは立った。


「クニヒコ」

「……ユウ」

「歯を、食いしばれよ」


ズドッ


首に刺さったユウの拳は、毒が加わっていないにもかかわらず、

ユウに過去浴びたいかなる毒よりも痛く、苦しいように、クニヒコには思えた。




3.


 「本当にいいのか?お前さんら」


戦いの日の翌日。

煌々と満月が照らす<妖精の輪>の前で、ユウは尋ねた。

シブヤ、ひいてはアキバへとつながる扉だ。

尋ねられた二人は、決心した表情で首を振った。


「俺は、バイカルのところへ行く」


クニヒコだ。テイルロードの、そしてユフ=インの騎士たちの遺族から貰った彼らの形見を片手で握り締め、彼は静かに言った。


「俺は幻に騙され、再び自分の誓いを破っちまった。

バイカルのところで、彼らを供養する」

「タルは?」


振り向き、もう一人の友人を見る。

彼女は苦笑して、肩をすくめた。


「前男爵に約束した。新男爵が馬鹿なことを考えないよう、きちんと見てやるってな。

言っとくが、嫁になる気はないぞ。権力の監視はジャーナリズムの基本だ」


温泉もあるしな、と笑い、彼女はややあって促した。


「早く行け。もうすぐ月が傾く」

「俺たちのこと、アキバにきちんと伝えてくれよ」


友人たちの声に押されるように、ユウは静かに輪の中に立った。


「じゃあな。また会おう」

「ああ」

「そうだな」


すう、と息を吸い、ユウは静かに囁いた。


「<虹の向こうへ>」

これで第二部<西へ>を終わります。

つたない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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