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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第二章 <西へ>
35/245

23. <ユフ=イン>

1.


 「ふんばれ!もう少しで峠を越える!」


ラタキウスは振り向いて叫んだ。

馬車の引き綱を曳く彼の後ろでは、家族や弟子、職人ら50数人が、あるものは馬車を曳き、あるものは荷馬の肩をたたいて、一本線のような崖道を辿っている。

辛い道だ。

その中で、馬車ひとつ落とさず、必死についてきてくれる人々に内心頭を下げながらも

ラタキウスは塩辛い声で叱咤を続けていた。


雨だ。


ユフ=インの町を出てから、ムナカタに向かう彼らにとり、一番の難所であるこの道を

豪雨の中で歩かなければならぬ苦労は並大抵のものではない。

もはや冬といってもいい気温が、山中を書き分けるように進む彼らの体力を容赦なく奪っていく。

しかし、彼らに休むという自由はない。

<大地人>である彼らには、<冒険者>や<古来種>が当たり前に持っている疲労知らずの無敵の肉体も、

いかなる天候もものともしない強靭な体力もないのだから。


重く湿ったマントをかぶりなおし、ラタキウスは再び叱咤のため振り向いた。

そのときだった。


「お、ラッキー」


場違いに暢気な声が響いたかと思うと、最後尾の馬車がいきなり炎に包まれた。

踊るように自在に動く火球を浴びた弟子の一人が絶叫を上げる。

隊列は見る間に崩れたった。


(出たか……!!)


目の前の惨劇に、ラタキウスは唇を噛んだ。

ユフ=インで何度も警告された恐るべき敵、彼らは遊び半分で人を殺す。

そうした無法の輩を避けるために、敢えて豪雨の日を選んで出立したというのに。


「やめてくれ!!」


姿を見せない殺人者たちに叫ぶラタキウスに、陽気な声がこたえた。

見上げれば、崖の上、山林が崖ぎりぎりまで迫る中に、いくつかの人影がある。

いずれも、山賊とは思えない豪奢な装備だった。


「あんたがこの隊のボス?そっか」


まだ成人していないかのような幼い声に、必死でラタキウスが返す。


「なぜ俺たちを襲う!俺たちは何も持っていない!なけなしの金ならくれてやるから、見逃してくれ!」

「んー、どうしよっかな?どう思う?」


一人の影が後ろを振り向く。


「別に金がほしいわけじゃないし」

「殺そうぜ。もう少し呪文の効率を上げておきたい」

「あーあ。連中が低レベルすぎて経験値にもならねー」

「だってさ。悪いけど死んでよ」


絶望に青くなるラタキウスの目の前で、また一頭の荷馬が御者ごと谷底へと転げ落ちていった。



 ◇


<冒険者>の誰もを公平に襲った<大災害>。

そこから立ち直った人間も多いが、誰もが人としての倫理観を取り戻したわけではなかった。

追いはぎ。山賊。PK(プレイヤーキラー)

思わぬ形で得た絶大な力と、不死身の体を用いて、無法を働くプレイヤーは枚挙に暇がなかった。

無論、止めようという動きがなかったわけではない。

だが、ナインテイルの9商家が団結して選んだ、選りすぐりの精鋭による連合騎士団すら撃退されるに及んで、為政者たちはきわめて現実的な選択をした。


つまり、無視することにしたのである。


本来、悪逆無道の<冒険者>を掣肘すべきイズモ騎士団はその姿を見せず、

<冒険者>たちもお互いに争いあっている状況下で、ナインテイルの町々は頼れるものがいなかった。

警告はする。それでも危険を冒して自ら倒れるなら、それは自業自得。

<大地人>たちは、その論理で自らを慰めるしかなかった。

そして今、ラタキウスのささやかな一族は、その<自業自得>の生贄になりつつあった。


また一人、弟子が氷漬けになって死んでいく。

その姿を<冒険者>たちは、幼児のような無邪気さで笑い転げていた。


「おいおい、二発もかけたのかよ。使えねーな、お前」

「うっせえよ。次は一発で当ててやる」


それは、縁日で弓射的に興じる子供そのものだ。


(こんなやつらに、俺が精魂こめて鍛えた弟子たちが!)


ラタキウスは祈った。すべての神に。

せめて奇跡が、雷槌にでもなって彼らに直撃すればいいと、願いながら。

しかし現実は非情だ。

重なる必殺の暴力に、馬たちは怯え、動きを止めてしまっている。

人々は右往左往しながらも、せめて自分が次に狙われませんように、と祈るばかり。


(なぜ、こんな理不尽が!!)


ラタキウスは内心で叫んだ。

なぜ、<冒険者>はこうなのだ。

なぜ、かくも無知で幼児的な魂に、神は英雄的な武勇をお与えになったのだ。

なぜ!!!


そのとき、灰色の闇が晴れた。

数条の陽光が走り、降り続いた雨がやむ。

ふと見上げたラタキウスの目に、新たな人影が見えた。


(<冒険者(やつら)>の新手か……)


今度こそ絶望にさいなまれ、ラタキウスが天を仰いだとき、別の叫び声が響いた。


「総員!!躍進距離200!!突撃に、移れぇっ!!」


一泊おいて、再び声が響く。


「突撃!!」


新手と見えた人影が、崖際の細い隙間を突っ切り、めいめい武器を構えて山賊<冒険者>に迫る。

その声に、余裕綽綽だった山賊たちがあからさまに算を乱した。


「う、うわっ!!なんだ!?」

「何なんだよ、同じ<冒険者>だろ……ぐへっ!」

「こいつら、まさか……うわっ!」


まるで津波だった。

襲い掛かった新手の<冒険者>たちが、好き勝手にラタキウスたちを狙っていた<冒険者>を瞬く間に蹂躙していく。


「畜生!!」


破れかぶれなのか、山賊の一人が杖を振るった。

その先が明確に自らを指していることに気づき、ラタキウスは恐怖する。

自らの命だけではない。彼が自ら御している馬車には、彼自身の命より大事な荷物が積まれているのだ。


「<オーブ・オブ・ラーヴァ>!」


最初の一頭を火達磨にした火球が彼を目指して飛ぶ。

観念して目を閉じた彼に、しかし激痛と死は訪れなかった。

恐る恐る目を開けたラタキウスの正面に、黒い壁があった。

いや、壁ではない。

黒い鎧と、マント代わりか風呂敷が、湿気を含んだ風に翻る。


「もう大丈夫だ」


頼もしげな、その壁の声が聞こえた瞬間、ラタキウスはへなへなと崩れ落ちた。


「ここは任せろ」

「おっしゃ!一丁バカガキどもに灸をすえてやる!」


冷静な声と威勢のいい声、ふたつの涼やかな声が届く。

呆然とするラタキウスの前で、黒い風としか思えない影が、冗談のように垂直の崖を駆け上り、

別の影が全身から緑の光をあふれさせるのが見えた。

崖に駆け上った影は、崖上から襲い掛かった<冒険者>たちと共に、見る間に山賊たちの隊列を崩す。


「なんでなんだ!俺たちは<エルダー・テイル>にいて、この世界じゃ<大地人殺し(これ)>は合法だろうが!!」


幼い悲鳴がひときわ響き渡り、そして消えた。



ラタキウスは戦闘が終わるや否や、すぐさま人と物資を集めて数えた。

死者が5人。重傷者が8人。そのうちの2人はほとんど瀕死だ。

馬車が3台、荷馬も5頭やられた。

しかし、ラタキウス自らが御していた馬車、もっとも重要な彼秘伝の書物を詰めた束は無事である。

そのことにほっとしながら、ラタキウスは目の前で崖を滑り降りてきた<冒険者>たちに頭を下げた。


「助かりました。もう駄目かと」

「ああいう手合いは駆除しないと。正常な社会生活の妨げですから」


黒ずくめの、目の覚めるような美女がそう答え、横に立っていた金で縁取りされた黒い洋服――歴史に詳しいプレイヤーが見たら、軍服を模していると気づくだろう――を着た男性が帽子を取る。


「これも任務ですので。……お亡くなりになられた方々は、どちらに?」


感情の起伏のないその声の主は、しかしラタキウスが指し示した手の先を振り返り、やおら大声を上げた。


「衛生兵!蘇生しろ!霊薬(ポーション)の使用を許す!……まことにすまないが、あなた方も手伝ってはもらえないだろうか?我々には十分な回復役がいないのだ」


最後は隣に立つ女に向けてのものだったらしく、慇懃なその声に女も軽くうなずいた。


「タル!一緒に蘇生頼む!」

「もうやってる!ようし、こいつは大丈夫だ!次だ次!!」


倒れこんだ弟子の脇から響いた明るい声を聞いて、ラタキウスはもう一度、深く頭を下げた。



 ◇


<冒険者>たちは、結局そのままラタキウスたちを護衛して、山道を歩くこととなった。

山を抜け、ツクシの平野に出ても、どこで誰が狙ってくるかわからない。

ラタキウスの率いる馬車団は、何しろ大規模なのだ。

そのため、<冒険者>たちが半数、ムナカタまで護衛するという。


何度も感謝の言葉を述べるラタキウスをあしらって、女―ユウたち3人は、ナカスからやってきた<冒険者>たちと話し込んでいた。


「ええと……西田さん?」


尋ねるレディ・イースタルに、ステータス画面に<西田>と書かれたその<冒険者>は柔らかな笑みを見せた。


「ええ。念のためにいえばキャラクターネームですよ」


彼と、彼の率いる一団は、この山道に割拠する山賊の討伐のため、ナカスから出張ってきた小隊だという。

その腰にはサーベルが吊られ、肩には吼え猛る虎の紋章が輝いていた。

ナカスの有力ギルドのひとつ、<第11戦闘大隊>の部隊章(ギルドタグ)だ。


「この山に潜むのが、さっきの連中だけとは限りませんからね。

これからもしばらくこの山にいて、連中を狩り出すつもりです。

不整地での不規則戦闘で、我々<第11大隊>にかなう相手はそういませんからね。

心が折れ、徒党を組んで山賊なんぞに成り果てた連中なんて、言うを待たない」


西田中尉と名乗ったその青年は、心底その言葉を信じているようだった。

やや鼻白んだレディ・イースタルの代わりに、クニヒコが口を開く。


「それにしても、どこかの貴族が依頼をしたのか?」

「いえ。ですが野盗退治は大隊長(ギルドマスター)からの任務です。それに俺たちは、こういう世界であればこそ、

より倫理的に動くべきなんです」


感心した3人に、ところで、と西田は話題を変えた。


「あなた方の噂は聞いています。20年近いベテランプレイヤーですよね。

そんなかたがたが、こんなところで何を?」


口調は穏やかだが、視線は炯炯と光っている。

その目をしっかりと見据え、クニヒコは答えた。


「俺たちは南に向かう途中だ。アキバへ帰ることが当初の目的だったが、ミナミの連中に邪魔されてそうもできん。

なので、とりあえず南へ向かっているのさ」

「それはそれは……でしたらナカスへいらっしゃいませんか?ナカスはご存知かもしれませんが、<Plant hwyaden>と戦っています。腕の立つ<冒険者>は一人でもほしい」

「悪いけど」


ライトニングで出会った女ドワーフ、そしてムナカタで簀巻きにして別れた友人を思い出し、クニヒコが首を振る。

沈黙した彼の代わりに、今度はユウが言葉を続けた。


「ナカスの健闘を祈るが、だが俺たちには俺たちの目的がある。むしろ聞きたいんだが、この辺でアキバに向かう<妖精の輪>を知らないか?

あるいはミナミを越えた場所ならどこでもいいんだが」


根が善良な性格なのか、ユウの問いかけに西田はしばらく天を仰いで考えていた。

ややあって、その顔がぱっと輝く。


「確か、シブヤ近くとこっちを結ぶ<輪>がユフ=インの森の奥にあったはずです。

1ヶ月に一度、満月の深夜、月が天頂近くにあるころに開くはずですね。

今は半月ですから、ほぼ半月後ですね。

もしよければ、それまでユフ=インで滞在されてはいかがですか?」


 ◇


 ラタキウスたちを護衛する西田の小隊と別れて9日後、ユウたちはユフ=インの温泉に漬かっていた。


「はぁ。生き返るわ」


クニヒコが親父くさく布で顔を拭くと、横のレディ・イースタルも大の字になって微笑む。


「いやあ、この年になると温泉様様だな。こたえられん」

「いいけどな、お前。せめて布くらい巻け。周りの人がガン見してるぞ」


まさに一糸まとわぬ裸体を湯にたゆたせているレディ・イースタルは、きっちり布を巻いたユウに哄笑した。


「アホか。減るもんじゃなし。布なんてつけてたらせっかくの効能が逃げるじゃねえか。

……おい!<大地人(おまえ)>ら!恐れ多くも伯爵様の裸体だぞ!伏し拝めよ!!」


湯に漬かりながらやった一杯のせいか、顔を真っ赤にしたまま立ち上がったレディ・イースタルに、友人二人はあちゃあ、と顔を抑えた。


「タルは酔っ払ったらいつもこうなんだよなあ……」

「そういえばこいつ、箸拳(手に隠した割り箸の数を当て、負けたほうが酒を飲むという高知の遊びである)で身包みはがされたからって、写メ自分で撮って送ってきたっけ」

「もうそれは変態だろ。いずれセクハラで三面記事に載るぞ、こいつ」


ほれほれ、と裸体を見せびらかすレディ・イースタルを後ろから殴り飛ばし、怯んだところで毒を入れ、沈黙させてから、<大地人>たちの視線を一身に浴びつつ2人は退散したのだった。


 


「じゃあな」


そういって温泉の前で3人は別れた。

クニヒコは定宿にしている歓楽街の娼館へ。

ユウは町の薬師の家へ。

そして、とレディ・イースタルは酒の残った頭でため息をついた。


(あと1週間近く……まだいなきゃならんのか、あそこに)


そう思ってもう一度ため息をついたとき、質素だが金をふんだんにかけたと思しき馬車が、彼女の前に止まる。

出てきた執事が、恭しく彼女に礼をして言った。


「お帰りなさいませ、姫様。主人と若君がお待ちでございますれば」


(はぁ……)


見上げたレディ・イースタルの目に、雁が列を立てて飛び去っていった。



2.


 ごとごとと音を立てて、夕暮れのユフ=インの町を進んだ馬車が止まったのは、一軒の豪壮な邸宅の前だった。

広大な庭にはあちこちに巨木が並び、欧州式の幾何学模様の花壇の周りには、自然そのままの木々が立ち並んでいる。

その中にある邸宅は、二階建てであるものの、ユフ=インのような辺境にあるのが何かの冗談であるかのように、豪奢な飾りに彩られていた。


内面で心からうんざりしつつも、静々と馬車から降りたレディ・イースタルを玄関で待つ人影があった。


「おお、伯爵閣下、お帰りになられましたか!このペルポドン・メハベル、首を長くして待っておりましたぞ!」


肥満体の中年男である。

脂ぎったその体は、あのテイルロードの町長を思わせた。

その、肉ではちきれんばかりの体を、西洋(イースタル)風の貴族衣に包み、腰には騎士である証拠なのか、拵えの豪奢な剣をさげている。

口の周りにちょこんと生えたちょび髭が、男にユーモラスな印象を与えていた。


ペルポドン・メハベル・アト・ユフ=イン。


このユフ=インを代々治める領主、メハベル男爵家の当代当主である。



そもそもユフ=イン男爵領は、本をただせばこの九州(ナインテイル)地方を治める9大商家の領土ではない。

初代メハベル男爵は、当時まだ健在だったウェストランデ皇王の命により、イースタル地方から下向してユフ=イン男爵領を作り上げた。

本来の領地はザントリーフ半島にあり、メハベル男爵家自体、古くはコーウェン家より別れた家であるとも言われる。

ナインテイル伯爵家が滅び、自治領となったナインテイル地方に打ち込まれた、皇王家の楔。

それが本来のメハベル男爵領であり、代々のメハベル男爵は武勇に優れ、皇王への忠誠心も厚かったと言われている。


それが変化したのが、皇王家の滅亡であった。

ほかの各地の<大地人>貴族同様、仕えるべき主を失ったメハベル男爵家も、領土の維持に専念し、土豪化の道を進むことになった。

幸い、ユフ=インには豊富な温泉資源があり、近くのベップのように<八大地獄>と呼ばれるダンジョンに隣接しているわけでもなかった。

いまや押しも押されもせぬ大勢力に成長したナインテイル伯爵の末裔、九大商家と折り合いさえすれば、交易と湯治客の落とす金で十分豊かになる。

そうしていまや土着化したメハベル家は、先祖の名乗った男爵位を受け継ぎつつ、平和なあけくれを享受しているのだった。



そんなユフ=イン領主の歴史を思い返しているうち、レディ・イースタルはペルポドンの前に到着する。

彼女の白い手に、突然にちゃっとした感触がまとわりついた。

脂っこく、妙に生暖かいそれを反射的に振りほどこうとして、それが男爵の手のひらであることに気づいたレディ・イースタルは、全身の筋肉を駆使し、男に手をとられるまま階段を上る。

その微細な震えに気づいたのか、男爵がさも心配げに、自分より頭ひとつは高い美女に視線を向けた。


「いかがなさった?伯爵。まさかご気分でも?」

「いえ、湯冷めしただけですわ、男爵」

(うるせえキモいんだよこの汗くさデブが)


男のままだったとしても生理的に無理なこの男に、それでも彼女が優しくこたえる。

優しげなのは顔つきと声だけで、内心では目の前の男爵に<デブ男爵>などとあだ名をつけていたのだが。

その清楚な姿に感銘を受けたのか、スキップでもし始めそうな足取りで男爵が屋敷に入っていく。

引っ張られるように扉をくぐったレディ・イースタルに、ずらりと並んだ男女が一斉に頭を下げた。


「「「お帰りなさいませ、ご領主様、伯爵閣下」」」

「うむ。仕事に戻っていいぞ」

「「「はい」」」


機械仕掛けのような礼を返し、使用人たちが戻っていく。

それを見送りながら、<でぶ男爵>はレディ・イースタルを振り向いた。


「今日は閣下やわが祖先の愛した、東方料理でおもてなしいたしましょう。

ま、ま、こちらへ」



頷いてこたえたレディ・イースタルがふと辺りを見回した。

「どうなされた?」という男爵の甲高い声を無視して、周囲をじっくりと見る。

使用人たちはいずれも、自分の仕事を片付けており、彼女たちに視線を向けている相手はいない。

しかし、レディ・イースタルの首筋にはちりちりとした感覚が残っていた。

この屋敷に招待されてから、今までずっと感じていた感覚。

敵意、だった。



 ◇


どこからか、チチチチ、と柔らかいさえずりが聞こえる。

屋敷のどこかで飼っているのだろうか。

ふかふかの椅子に腰をゆったりと埋めながら、レディ・イースタルは優雅にワインを口に傾けた。


味のあるものとないものが混在する食事が終わり、レディ・イースタルは食後の酒を談話室で楽しんでいた。

目の前には<でぶ男爵>、そして、彼によく似た顔つきに体つき、違いといえばまだ少しは張りがある肌だけ、という青年――嫡男のメハベル卿が、彼女をちらちらと見ながら座っていた。


「お楽しみいただけましたかな」

「ええ、とっても」


朗らかに微笑むレディ・イースタルに、男爵とメハベル卿はよく似た笑みを見せた。

善良そのものの彼らの顔に、彼女の顔も思わずほころぶ。

花のような笑顔に、二人の男はそろって顔を笑み崩れさせた。


 貴族の横の連帯というものは、平民の想像を絶するところがある。

一般的に、地球でもセルデシアでも、貴族の条件とは二つある。

爵位と、領地だ。

前者がなければ貴族は貴族足り得ない。広大な所領を持ちつつも、ナインテイルの九大商家が貴族に列せられていないのは、彼らが騎士爵すら持たぬ平民だからだ。

そして封地のない貴族もまた、貴族足り得ない。

貴族であり続けることに必要な家臣、兵、騎士、そして貴族としての付き合いに必要なあれこれ。

それらを維持できないからだ。

たとえ文官あがりの宮廷貴族でも、統治をしないとはいえ領地を持つのが通例である。


しかし、セルデシアでは若干事情が異なる。

貴族が貴族足りえる<爵位>が、サブ職業としてシステム化されているからだ。

決してすべての貴族がサブ職業で爵位を持っているわけではないとはいえ、やはりステータス画面で貴族であることを証明できることは大きい。


そのためか、流浪の貴族がその地の君主に任じられ、新たに領地を与えられるケースも、稀ではあるがないわけではない。

そして将来のため、あるいは貴族が持つ血統や縁故を手に入れるために、貴族たちはそうした放浪貴族を手厚くもてなす。

<でぶ男爵>がレディ・イースタルをもてなすのも、そうした貴族同士の常識に従ってのことだった。


だが、レディ・イースタルの場合はさらに少々異なる。

彼女は門地を持たない。縁故もない。貴族に封じられはしたが、領地を与えられたこともない。

ユフ=イン男爵、マイハマ公爵といった称号に近いもので、彼女が持っているものといえば

時の皇王直々に与えられた称号、<薔薇の伯爵(コント・ド・ロジェ)>が最も近いだろう。

(さすがのレディ・イースタルも、ネーミングのあまりの厨二病っぽさに呆れ、自ら名乗ったことは一度もないのだが)

彼女をもてなしたところで、美女と飲む以上のメリットはメハベル男爵家にはない。



「今宵の酒はいかがですかな?」

「なかなかですわね」


赤い顔で酒臭い息を吐く男爵に、悠然とレディ・イースタルはこたえた。


「それはよかった。……ところで、ユフ=インはいかがですかな」

「いいところです。気候も穏やか、人も栄えています」

「ありがとうございます。我が父はじめ、歴代のメハベル男爵の統治のたまものです」


息子のメハベル卿が言う。先祖を誇ることでもあり、その顔は得意げだ。

聞けば、彼はすでに父を助け、統治を行っているらしい。

彼の自負心は、父と先祖たちだけでなく、自分自身にも向いているようだった。


彼の声には答えず、レディ・イースタルはことさらゆっくりとワインを楽しんだ。

酸味と、少しの苦味が喉を下る感覚が心地よい。

味を楽しみつつ、それでもレディ・イースタルはもう深夜近いこの時間まで、自分を捕まえて談話室で話す意味がよくわからなかった。

彼らの朝も早いのだ。


「ところで……」

「そういえば伯爵。よろしければこれを」


穏やかに辞去しようとしたレディ・イースタルの声に被さるように、男爵が小箱を取り出した。

その中身は、ペンダントだ。

設えは取り立てて華美ではないとはいえ、金や宝石をさりげなく織り込んだその意匠は、アクセサリーにまったく興味のない中年男であるレディ・イースタルの目すら引いた。

思わず手に取った彼女を、男爵が促した。


「よろしければ、つけてみてくだされ」


その声に押されるようにペンダントをつけた彼女を見て、男爵はオーバーなほどに喜んだ。


「おお、やはり似合われる」

「そうですな、父上」


レディ・イースタルのシックなドレス―これも借り物だ―を上から下まで眺めわたし、男爵が言った。


「そのペンダントには由来がございましてな」

「ほう」


まさか呪いの品物か、と思わずアイテムステータスを眺めかけたレディ・イースタルは、

次の瞬間心底驚いた。


「そのペンダントはわが祖先、初代メハベル男爵の妻、イドリス姫が婚礼の際つけていたものといわれておりましてな。

代々、わがメハベル男爵家の妃になられる方がつけることになっておりますのじゃ。

伯爵閣下、どうかお考えいただきたい。我が息子の妃になってくださいませぬか」

「はぁ!?」



頭痛がしてきたレディ・イースタルは、酔った振りをして自室に引っ込んだ。

「ぜひお考えくだされよ」という言葉を背中に聞きながらだ。

誰も見ていないところで念話を起動し、二人の友人にコールする。


「おい、クニヒコ」


<守護戦士>の答えはない。彼は娼館に流連(いつづけ)を繰り返しているので、

夜といえば、眠っているか、あるいはつまり、そうなのだろう。

畜生、と悪態をつくともう一人の友人の名前を押すと、しばらくして面倒くさそうな声が返ってきた。


『なんだ、タル』

「なにやってんだ、お前」

『知ってるだろうが。毒造ってるんだよ』


どこまでもうるさそうなその声は、調合中に声をかけられた苛立ちもあるのだろう。

度重なる戦い、特に吸血鬼との廃工場の一戦で、彼女の持つ毒はほぼ枯渇している。

おそらくほかの<毒使い>が誰もやったことのない、『素材からその場で毒を精製する』という奥の手があるとはいえ、毒の補充は急務だ。

温泉で知り合い、転がり込んだ薬屋で彼女は今夜もせっせと毒を作り続けていた。


『悪いがたいした用事でなければ切るぞ。もうすぐ新しい毒ができるんだ。吸った相手の脳神経に作用して、自我を失わせゴーレムのように使役できる。理論上はできるはずだ。

わたしはこれを<ロボトミー>の毒と……』

「なに作ってるんだお前!!立派な非人道兵器じゃねえかそれ!!やめろやめろそんなもん!」

『そうか?じゃあこっちがいいかもな。対象の原子に作用し、砕く。理論上は中学生でもビッグバンを起こせる……』

「だからそういうテロ兵器の製造を続けるのはやめろ!そんなことより困ったことになったんだよ!」

『はぁ?』


ようやく毒製造から頭が切り替わったらしい。生返事をやめたユウに、レディ・イースタルは口早に、先ほどまでの会話を話して聞かせた。

その最初の返事は。


『そうか……おめでとさん。披露宴には呼んでくれ。二次会は会費制なら行かんぞ』

「するか阿呆!なんで嫁さんもらって子供もでかくなって、どっかの貴族の嫁にならんといかんのだ!

そもそも美意識的にあのデブの相手は無理だ!親父も無理だが子供も無理!」


叫んだレディ・イースタルは、はぁはぁと息を喘がせて友人の声を待った。

よほど耳元で叫ばれてうるさかったのか、返事が返ってきたのはしばらくしてからだった。


『……まあ、状況はわかった。で、どうするんだ?』

「俺は<冒険者>だ。それを話して諦めさせる」

『しかし、連中はそもそもお前が<冒険者>だと知った上で言ってるんだろう?意味がないと思うがな』

「だが……」

『そもそも、領土も親戚もいないお前に、こういうところの領主が求婚する理由は何だ?

まあお前……というより<冒険者>が美女だってこともあるだろうが、それだけじゃないだろ』


ユウの声に、レディ・イースタルははっとして考える。

それが形になったところで、再びユウの声が耳に届いた。


『この町は特に何もイベントがない。<冒険者>の護衛がほしけりゃ、俺たちを雇えばすむことだ。

なのにわざわざ求婚している。この町の領主は男爵、それもウェストランデの男爵だ。

先祖がどうかはよく知らんが、まあ貴族としちゃ下のほうだろうよ。

その割りに金はある。

ユーリアスの奴が昔ミナミでお前に言ったセリフが、近いんじゃないか?』

「つまりは俺の<伯爵>位がほしいと」


沈黙の間が生まれた。おそらくはユウの息遣いからして、頷いたのだろう。


『お前の伯爵はユーリアスも言ってたようだが、ただの爵位じゃない。

皇王から直々にもらった……なんだっけ。<よもぎの伯爵(コント・ド・アルモワーズ)>?』

「<薔薇の伯爵(コント・ド・ロジェ)>」

『そう、それ。お前がもし結婚して、できるか知らんが子供を生めば、その子は次代のユフ=イン男爵にして薔薇の伯爵ってことになる。

そうすれば、ここの男爵は金だけじゃなくて家柄でもほかを圧倒できるよな』

「じゃあ」


望ましくない未来を思い描き、ぞっとしたレディ・イースタルの耳に、

ユウの声が死神のそれのように響いた。


『ああ。すぐではないだろうが、箔をつけて領土を広げる気だろうよ、ここの領主は』



 ◇


 念話を終えたレディ・イースタルの耳に、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。

返事を返したところで、使用人(メイド)が数名、静かに部屋に入ってくる。

彼女たちは無言でベッドのシーツを直し、水差しの水を入れ替えると、幽霊のように去った。


「こそ泥」


かすかに、その声が耳に届いたレディ・イースタルが目をむいた瞬間、

ドアはバタン、と無遠慮な音を立てて閉じられたのだった。


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