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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第二章 <西へ>
33/245

21. <廃工場> (後編2)

いろいろ独自設定が出てきます。

ご不快の方はご一報くださいませ。

 カァン、カァン、と弔鐘が鳴り響く。

実際にはそれは海上を漂う浮遊物に、酸化した船体が当たる音でしかない。

小さい島々に囲まれ、かつては天然の良港といわれた山口県下松(フォーリンパイン)徳山(オナブル・マウンテン)港を、

主なき幽霊船は静かに漂っている。

はじめは徐々に、やがて雪崩のように、海水を船腹に呑み込みながら。


4.

 エルの顔はいまや憎悪と悪意で歪みきっていた。

演じていた清純な少女の仮面も、妖艶な悪女の仮面も脱ぎ捨て

歯をむき出しに唸るその表情は皮肉にも非常に男らしい。


「ボロが出てるぞ、エル(おっさん)


呼び出した狼と一緒に、殴打武器と化した杖で<吸血鬼の下僕(スレイブ・ヴァンパイア)>をなぎ払いながら、そう言ってレディ・イースタルがせせら笑った。


「うるさいッ!貴様ら、まとめて藻屑にしてやる!」

「それはこっちのセリフだ。死人とラブロマンスは俺たちを倒してからにするんだな」


忌々しそうに叫んだエルに、クニヒコが大剣を振りぬいた姿勢のまま、ゆっくりと答える。

彼方で怨みに満ちた叫びがあがり、バシャン、と派手な水音が立った。


戦闘は一進一退だった。

数で遥かに勝る吸血鬼たちであったが、<冒険者>は舷側から叩き落せば勝ちという有利がある。

たとえ、吸血鬼が水に落ちて生き延びられたとしても、潮の流れは速い。

這い上がれない以上、戦力としては死んだも同然だ。

もちろん、それはユウたちも同じなのだが、10以上のレベル差もあいまって、吸血鬼たちは数の少ない3人を押し包むことができていなかった。



<離セ。一族ヲ守ラネバナラヌ>

「やめて!今は行かないで!私の判断を信じて!!」

<……>


<秘法級>なのだろうか、青く輝く長剣を抜いて幾度か<不死の王(ノーライフキング)>が前線に出ようとするが、そのたびにエルが必死に止める。

クニヒコはなおも襲い掛かる吸血鬼たちを吹き飛ばしながらも、皮肉めいた気分を抑えられなかった。

偽りの仲間として見てきた、エルの戦術指揮能力は恐るべきものだったが、今はそのエルの制止が3人を生きながらえさせているのだ。

しかし、エルが最大の戦力(ノーライフキング)の投入を止めているということは、

同時に、彼女は戦闘の流れがどこかの時点で吸血鬼の側に傾くと判断していることを意味する。

もし、劣勢を覆せないとエルが思ったとすれば、その時点で彼女は感情はどうあれ、最高の予備戦力の投入を躊躇わないだろう。

大剣を小枝のように軽々と振り回しながらも、クニヒコは不気味な悪寒が背筋を這い上がるのを感じた。



混沌とした船上で、不意に爆音が途切れる。

それと同時に、ゴゴゴ、と鳴り続けていた不気味な音と振動が止まった。

エルがぱっと目を輝かせ、対照的にユウは一匹の吸血鬼を蹴り飛ばした足をそのままに訝しげに唸った。


「な……浸水が止まった?」

「知らないのね」


心底嬉しそうな、嗜虐的な表情でエルが叫んだ。


「この船は二重防壁構造(ダブルハル)なの。油槽船で、船腹を破られたくらいで沈む船はもうほとんどないわ。無知は罪ね」


元は船に関する仕事でもしていたのか、嘲りに満ちた顔で宣言するとエルは叫んだ。


「今よ!押し包んで!動きを止めなさい!A班は<暗殺者>、B班は<守護戦士>、C班とD班は<森呪遣い>をやって!タウンティングに気をつけて!合流させるな!!」


吸血鬼の動きが変わる。

無秩序な群れから、統制された軍団へと。

それぞれ10匹以上の吸血鬼が、仲間が倒されるのを気にもせずその爪を<冒険者>に突き立てる。


「うお、こいつら……!」


最初に捕まったのはクニヒコだった。

ユウとレディ・イースタルに群がろうとする敵をタウンティングしていたのが仇となり、彼の処理能力を大きく超える数の吸血鬼が、三途の川の餓鬼のごとく<守護戦士>を絡めとる。


「クニヒコ!!……うおっ!?」


削られていくクニヒコのHPを見て、特技を出しかけたレディ・イースタルの白い腕に剣が走った。

腕を深々と切り割られ、激痛に<森呪遣い>の顔がゆがむ。


「円を描きなさい!!舷側から離すのよ!」

「させん!」


掴み掛かる吸血鬼の頭を踏み台に、ユウが飛ぶ。

指揮官(エル)をその凶刃から守ったのは<不死の王>だった。

90レベルのパーティクラスモンスターは、青い軌跡を描いて緑の刃を防ぎぬく。


<サセヌ>

「<パラライジングブロウ>!」


麻痺の状態異常(バッドステータス)を受けながらも、かろうじて魔剣が、離脱する<暗殺者>の腹を抉る。

それでも、と短剣を取り出し、<ヴェノムストライク>を放とうとするが、その直前に強烈な光が目を焼いた。

<ホーリーライト>だ。


一瞬膝をついたユウに、吸血鬼がのしかかる。

痛みと減っていくHPに気が遠くなるような焦燥感を感じたユウの目に、狩の獲物のように追い立てられ、全身から血を流して倒れる狼の姿が目に入った。


 

 戦況は、まさに一瞬の間に大きく傾いていた。


すっ、と光が戦場を照らす。

月が雲間から顔を出したのだ。

その光に照らされ、エルはひどく醜く見える顔で笑った。


「は、ははは。たかが3匹の<冒険者>なんてこんなもの。予備を出すまでもなかったわ。

一番よわっちい<森呪遣い>のHPが尽きるまであと何秒かしら?」

「笑うな」

「だっておかしいじゃない。そんなに弱いのに高レベルでございって顔をして。

<黒剣騎士団>?ギルドを率いてた?対人の猛者?てんでダメね。

頭を使わず、指先だけ鍛えてたネクラの廃人(カス)風情が、偉そうにしてるからこうなるのよ。

ほら、もうあと10秒もないわよ」


自分に回復(ヒール)を掛けたエルが進み出た。

向かう先は、顔と手首だけを吸血鬼の塊からかろうじて出しているユウだ。

その顔面が、不意に衝撃に覆われた。

ガチュ、という音とともに、ドワーフの渾身の蹴りがユウの顔を砕いたのだ。

ぽろぽろと白いものが落ちる。

爪先で砕かれたユウの歯だった。


「いい顔ね。ゾンビらしいわ」

「そりゃどうも」

「余裕ね」


苛々した顔のエルに、鼻血を噴きながらユウはにやりと笑った。


「こういうこともするんでね」


突然、ぽん、と右手首に瓶が現れた。

その瓶は次の瞬間にはひょい、と宙に浮く。

目の前をゆらゆらと上昇していくそれを、エルは幻を見たような顔で見つめていた。

そのとき。


閃光が走り、強い衝撃にエルは吹き飛ばされ、ごろごろと転がった。

強い光を浴び、目が眩む。


「あ、あ……」

<ワガ妻>


離れたところで戦況を見守っていた<不死の王>の声がした。

同時に次の爆音が上がる。


<ウヌッ!!>

「タル!」

「おう!<ガイアビートヒーリング!><ライフバースト>!」

「ち、畜生!」

「奥へ走れ!これを!!」


ユウの叫びが響き、たたた、と軽い足音が船室の扉へ向かうのをエルは聞いた。

何をするのか、彼女はその足音の意味を一瞬で理解する。


「その<森呪遣い>をとめなさい!全力で!全員で!!あいつは棺を狙っているわ!」

「<アンカー・ハウル>!!」


ちらつきながらも、ようやく使えるようになった目でエルが見たものは、

扉の影に消えるレディ・イースタルと、それを追うどころか、<守護戦士>に殺到する部下(ヴァンパイア)の姿だった。

そのHPは真っ青だ。そしてその向こうには、レディ・イースタルの消えた扉を背に立つユウの姿が見えた。



エルは即座に決断した。


危険な毒を持つユウと自分の間に、何匹もの吸血鬼を配する。

ユウの毒を用いた広域制圧能力は圧巻の一言に尽きるが、唯一毒が効かない不死者には弱い。

そのための直衛、言い換えれば死肉の壁だった。


舷側で大剣を構えるクニヒコは現状の戦力で対処させる。

<アンカー・ハウル>をはじめとした多くのタウンティング特技(スキル)を持ち、戦場をばらばらに引っ掻き回す<守護戦士>の恐ろしさと嫌らしさを、敵に回ってはじめてエルは理解していた。

高い防御能力とHPを持つというところがなおさら嫌らしい。

だが、そんな鉄壁(たて)にも弱点はある。移動力の低さと、制圧能力だ。

本来、敵の攻撃を一身に集める彼らは、同時に防御に専念することで仲間の支援を受ける。

クラスティやアイザック、ナカルナードといった例外はあるが、クニヒコはそこまでではない、と感じていた。

そういう鬱陶しい敵に対しては、飽和攻撃で押し包み、仲間から孤立させるのが一番だ。

彼が周囲の敵を掃除し終えた頃には大勢は決しているだろう。


そして、レディ・イースタル。

本来ならば彼女が二人の戦士の戦線維持を支えるのだが、と、エルは不可解な行動をとった彼女の意図を図りかねていた。

彼女の目的は明白だ。

3人の<冒険者>の見立てどおり、このタンカーの奥、居住区画には<吸血鬼>たちの棺が並んでいる。

回復職であるレディ・イースタルであれば棺の無力化も不可能ではないだろう。

しかし、彼女一人で突破できるほど、船室内部は甘い警備ではない。

レディ・イースタルが消えた船室の中には予備の吸血鬼が控えている。

エルは経験と知識から、常に予備戦力を作り、状況に応じて投入することにしていた。

予備という言葉から、彼らのレベルを侮るのは、三流に過ぎない、とエルは鼻を鳴らす。

一瞬の勝機をこじ開ける決戦兵力だからこそ、彼女は予備隊に、<不死の王>を除けば最高の戦力を配していた。

そこを、<森呪遣い>一人で抜けると思うのはあまりに無謀というものだ。


エルはしばらく考え、結論付けた。

彼らをもってすれば、いくら歴戦の<冒険者>といっても攻撃役がいない以上、倒れるのは時間の問題だ。

相手は歴戦の<冒険者>だから油断は禁物だが、過剰に警戒すべきでもないだろう。



そして。

扉の前でエルを睨み付ける<暗殺者>を、吸血鬼の肩越しにエルは見る。

自分と似た思いを抱いていた女<暗殺者>。

途中までまったく同じ<冒険者>殺しに走っていた黒髪の女性。

だが彼女を救ったのはモンスターでも絶望でもない。

優しい<大地人>との日々と、遠い西日本まで共に旅してくれたかけがえのない友人たる騎士だ。

自分には、何もなかったのに。

仲間も、友人も、誇るべきギルドも、女としての美しい容姿すらも。

心を偽り、あえて男らしい髭のドワーフキャラを作った、かつての己が恨めしい。

その無駄な虚栄心のせいで、<不死の王>に抱きしめられるに足る肉体すら、

彼女は<外観再決定ポーション>で作り直さなければならなかったのだ。

エルは、冷静な戦術というよりも半ば個人の感情から、どろどろした目を自分の騎士(ヴァンパイア)に向けた。


攻撃力に優れるが防御力に劣る<暗殺者>には、攻防ともに最強の戦力をぶつけるのが、最良の判断。


そう、自分の心を偽って。


「行ってくれます?」


上目遣いのエルに、安心させるように<不死の王>が頷く。

不死者である彼に、エルの鍛えた回復魔法の援護はできない。

代わりに、自分より遥かに高い位置にある冷たい頬に、女ドワーフはそっと唇をつけた。

乾いた頬を流れ落ちるドワーフの唾には、恨み、怒り、嫉妬、

そしてごく微量にだが、それ以外の感情(あこがれ)が混ざりこんでいる。



 ◇


 巨大な油送船(タンカー)の船室は広大だ。

そのほとんどは油を積み込む貨物室(タンク)からできている。

タンクのそれぞれは独立した配管を持ち、この船が自由に海を行き交った時代であれば、たとえ船室(キャビン)で火災が起きたとしても、延焼することはない。


時折現れる吸血鬼をかわし、時には蹴散らしつつ、レディ・イースタルは走っていた。

船内は真っ暗闇だ。

時折、埃に塗れた窓から月の光が差し込むものの、その光は薄く、うっすらと船内を照らし出したと思えば、力尽きたように消えていく。

彼女の前には、狼の変わりに呼び出した従者、<梟熊(オウルベア)>が、うなり声をあげて走っていた。

本来はエッゾ地方に生息するモンスターで、顔はどことなく梟のそれに似ている。

能力も似たようなもので、暗闇を苦にすることはない。

レディ・イースタルは回復職にしては例外的なほどに攻撃能力が高いが、それでも次々現れる吸血鬼を一人で皆殺しにできるほどの力ではない。

仲間の代わりに従者に前衛を任せることで、レディ・イースタルは敵との暗闇での遭遇戦闘(エンカウント)を軽傷で切り抜けているのだ。

同時に、必然的に後ろに大量の追っ手を抱えつつ逃げることとなった。


「ここだ!あけろ!」


梟熊(オウルベア)に命じた彼女は、さび付いた扉が軋んでいくのをあせった目で見守った。

後方からは無数の足音。吸血鬼が追っているのだ。

ギギギギギ。黒板を引っかいたような不快な音を立てて扉が押し開かれる。

すぐさま駆け込んだレディ・イースタルは、後ろについてきた梟熊に扉を閉めさせ、ついでとばかりに屈強な巨体を扉につけさせた。


「<森呪遣い>に肉弾やれとか、あいつは本当に友達か!?」


ぼやきながら、別世界のような静けさの広い船室を見渡す。

続いて、手に渡された鞄に目を落とした。

その中には、彼女があきれるほどの<爆発>の毒―端的に言えば爆薬と、3本の火縄が入っていた。


「ユウが火事か落雷にでも逢ったら、あたり一面吹き飛ぶだろうな……」


船自体を動かした爆薬といい、鞄の中の爆薬といい、ユウが持っている毒はいったいどれほどのものなのか。

思えば宿でも、夜中に起きだしてはせっせと調合に勤しんでいたな、とレディ・イースタルは思い出す。

<暗殺者>というより、爆破テロの実行犯めいた光景だった。


ともあれ、ぼやいていても始まらない。

レディ・イースタルは倒れた狼や、吸血鬼と力比べをする梟熊の代わりに自分で船室の一角に蹲った。

そこには錆でゆがんだ6本のネジで止められた蓋が、埃にまみれて置いてある。


「大丈夫かね……お」


ぼろぼろと鉄らしきネジが砕ける。

長い年月で、その強度を失っているのだ。

それでも自重で閉まった蓋を、腰に力を入れて引っ張り上げる。

途端に、むわ、っとした揮発臭が周囲に溢れ出した。


レディ・イースタルは新聞記者である。

仕事柄、様々なものを見学した経験も豊富だ。

彼女の過去の記憶に、愛媛県の某市に寄航したタンカーの取材というものがあった。

だからこそ、アイテムを投げ渡されただけで彼女はユウの意図に気がついたのだ。


タンカーの心臓部ともいえる貨物室は、通常は甲板から長い配管を経なければ液を送り込めず、当然ながら人が入ることを前提にされていない。

しかし、特に化学物質を運ぶケミカルタンカーには、船室から直接貨物室に入るための入り口がある。

その中にもぐって、船員たちは、攪拌機械(バターワースマシン)と呼ばれるスプリンクラーのような装置で洗った後の船室を拭きあげるのだ。

レディ・イースタルが開いたのはそれだった。

見下ろすと、闇の広がる眼下に、かすかにたゆたう影がある。

時折水音を響かせるそこからは、目を回しそうな揮発臭が上がっていた。


「やっぱりあったか……廃油」


ステータス画面を見れば、<太古の機械液の湖(レイク・オブ・エンシェントリキッド)>とある。

レディ・イースタル自身、かつてのクエストで採取したこともある、ナフサと呼ばれた物質だった。


「せめて…もう少し爆発しやすい薬物、ええと、たとえばアセトンとかトルエンだったらな……」


うろ覚えで覚えた薬品名をぼやきながらも、彼女はユウに託された爆薬の瓶を慎重に下へと下ろした。

ポーチを取り出し、小分けしていた爆薬を、衝撃で起爆しないようロープを使って入れていく。

最後にロープの端を切ると、ちゃぽん、という音と共にレディ・イースタルの目からそれらは見えなくなった。

仕事を続ける彼女の顔に汗が浮く。

ナフサは、一般的な印象と違い、原油ほどではないが容易に発火することはない。

しかし、周辺の空気は別だ。

揮発性の高い成分を多量に含んだ空気は、酸素と混ざり合って簡単に発火する。

自分の装備にわずかながらある金属があたったり、すれたりしないよう気をつけながら、

彼女は次の蓋に向かった。


結局、5つあった蓋のうち、開けることができたのは3つだけだった。

だが、それで十分だ。

割れないよう注意しながらすべての瓶を落とし、たぷたぷと漣を立てるそこに、火縄を投げ落とす。

火は不必要だ。

そして、それこそレディ・イースタルがこの仕事を任された理由でもあった。


ドアを破ろうとするドシンという音が響き、梟熊がくぐもったうめき声を上げる。

天井の向こうでは戦闘が続いているのか、時折ドカ、という音が鳴っていた。


「これってほとんど自爆だよな……」


開放された蓋を見据えて、レディ・イースタルは大きく息を吸った。

これから先はどれだけ瞬時に呪文を唱えられるかにかかっている。

ギッ、と彼女の視線が暗闇を射た。


「<ライトニングフォール>!<アースクエイク>!」


雷が開いた蓋の向こうの闇に炸裂し、続けての激震が人工物であるそれが経験したことのない衝撃を加える。

ビシビシ、と足元で不吉な音が起こり、シュウ、と気化した廃油が漏れた瞬間、彼女は立て続けに呪文を唱えた。


「<ヘイルウインド>!<フレイミングケージ>!……<ハートビート・ヒーリング>!!」


彼女の周囲を緑の光が覆うのと、周囲の空気が一斉に発火するのは、ほとんど同時だった。


 ◇


 再びの激震によろけたユウは、衝撃をものともせず振り下ろされた青い剣を額のそばで受け止めた。

衝撃で当たった<堕ちたる蛇の牙>の、その刀の背が彼女の頭を割る。

血が流れるのもかまわず、ユウは目の前の<不死の王>ににやりと笑った。


<ナニガオカシイ>

「いや、うまくいったな、と思って」

<……ソレハ我ガ勝利ダ>


一瞬、<不死の王>が剣を引く。

その代わりに伸びた無骨な鎧に包まれた足を、ユウは自ら飛んで避けた。


飛び退るユウの目に、暴風のようにクニヒコを襲うエルの姿が見える。

彼の<アンカー・ハウル>にその精神を乗っ取られてしまったのだ。

なまじ、クニヒコを吸血鬼たちに任せてしまったのが不利に働いた。

いつの間にか彼が、エルから10メートルの位置まで近づいていたことを見落としてしまったのだ。


<ドウセ、オマエタチハ シヌ>

「そうかな?」


おどけるような調子のユウが口の端を吊り上げた瞬間、これまでにない規模の振動が船を襲った。

もはや振動ではない。船の中央部を基点に広がる衝撃波に、脆くなった配管が悲鳴を上げて折れる。

そして、突然船の中央から火柱が立った。

何匹もの吸血鬼が炎に飲まれ、一瞬で消し炭になっていくのを、<不死の王>は呆然と見ていた。


<ナニガ>

「余所見を!」


その首を<アサシネイト>が刈る。

延髄の半ばまで断ち割られ、王は奇妙にゆっくりと首を横に傾かせた。


「あなた!!!」


エルの悲鳴が上がり、それをかき消すように船首からも火柱が立ち上る。

止めとばかりに、半分崩壊した船橋ごと、炎があたりに輝き、船は断末魔の悲鳴を上げて速度を急激に殺した。


「タルがやってくれたな」

「お前、どれだけ爆弾を持ってるんだ……」


にんまりと笑うユウに、呆然と周囲の火柱を見上げるクニヒコが呟く。

その顔がふと悲鳴じみた表情を浮かべた。


「タ、タルは!?」

「セルデシアに生を享けて240年。彼女(とも)も天に還る時が来たようだ……」

「おい!!土壇場でふざけるんじゃない!ユウ!!」

「いや、すまん。ちょっと言ってみたくて」


右往左往する吸血鬼、何がおきたのかわからないという顔の<不死の王>を尻目に、ユウは乱気流の中を、一足でクニヒコの元へと着地する。

ついでに仕返しとばかりに、動きを止めていたエルの顔面を蹴り飛ばし、

自失していた女<冒険者>は鞠のようにごろごろと転がった。

折れた鼻から噴く鼻血を乱暴にぬぐうと、ユウは火柱の一角を指差した。

クニヒコの目が開かれる。


そこには、火傷と打撲で満身創痍のレディ・イースタルが、同じくぼろぼろの梟熊に抱えられ、崩壊した船室から出てくるところだった。


 ◇


ピィィィィ、と鳥の声のような音が響いた。

配管に残った空気が圧力に押し出されて生まれたその音は、神代の船の断末魔だ。

火柱に煽られ、なすすべもなく燃え尽きるか、海に転げ落ちていく吸血鬼たちを見ながら、<不死の王>は呆然と喘いだ。

声にならないそれは、ユウが断った気道を通ってヒュウ、ヒュウ、と乾いた音を立てる。

その横で、鼻を押さえ立ち上がったエルは、傍目にもわかるほどに目が血走っていた。


「よくも……よくも!!貴様ら!!許さんぞ!!」

「これでお前さんも打ち止めのようだな、吸血鬼の恋人」


脈動回復で焼け爛れた肌を再び雪のように白く染めたレディ・イースタルが返す。

彼女の目は、喘ぐ女<施療神官>を哀れむように見下ろしていた。


「たかが3人と侮ったな。もうこれで本当にお前たちは終わりだ」

「こいつらの棺がどこにあったか知らんが、元のイベントじゃ大体出現位置の近くにあった。

今頃まとめて香ばしく燃えていることだろうよ。

陸上で生き残った棺も昼の間に探し出して全部まとめて海に流してやる」

「貴様ら……!!」


自分に回復をかけるだけの精神的な余裕もないのか、怒髪天を突く勢いのエルの肩に、手が置かれた。


「あなた……」


<不死の王>の答えはない。

ただ、その手が大きく振られ、エルは王の後ろに放り投げられた。

その姿勢のまま、<不死の王>がゆっくりと剣を構えなおし、足を踏み出す。


「あなた……あなた!!」


絶叫するエルの声にも耳を貸さず、王は3人の前に出ると、その剣で一人を指した。


「俺を御指名か」


切っ先を向けられたクニヒコが頷いて、自分もまた前に出る。

その大剣がゆらりと動き、正眼の構えをとった。


「勝負、謹んでお受けする。ユウ!タル!手を出すなよ!」


回復しようとしたレディ・イースタルに言い捨て、クニヒコは<不死の王>の前に立った。

かしいだままの吸血鬼の首が、にやりと笑う。

クニヒコは無言のまま、差し出された青い剣に自らの剣を軽く当てると、爆発するように踏み込んだ。


「<クロス・スラッシュ>!」

<……!>


大剣と魔剣が交差した。


縦横に剣を振るい、黒い鎧を削る青い光。

それに対し、大剣が冗談のような素早さでしなり、死した肉体を斬りつける。

死せる騎士と、黒騎士。

二人の剣の腕はまったく互角だった。


「ヌヌウウウウオオオッ!」

「<カウンター・ブレイク>!」


死者の渾身の一撃に、合わせた大剣が振るわれた。

いつしか、踊るように燃える部下は消え、<不死の王>はただ一人で戦っている。

その顔にも、対するクニヒコの顔にも憎悪はない。

彼らは、友人同士が鍛錬するような爽やかさで剣を交えていた。


魔剣が翻る。クニヒコがかわして一閃。

返す刀の大剣に肩当てを砕かれるが、<不死の王>は止まらない。

ますます勢いを増した暴風が守護戦士を打つ。

<不動の構え(フォートレス・スタンス)>が、その猛威をしのぎ切る。

王の刃が時折黄色い光を放つ。

その一撃一撃は、<守護戦士>の防御をさえ抜く大威力の攻撃だ。

視界が90度ずれているにもかかわらず、その剣技は正確無比。

互いにHPを削りあい、そのHPは共に赤い。

しかし、そうした試合めいた死闘にも終わりが来た。


突然、クニヒコが足を縺れさせた。

鋭角に動いていた大剣が揺れ、鎧に覆われた肉体が自重に耐えかねたように腰を沈める。

しりもちをつき、片手を剣から離さざるをえなかった彼に、勝利を確信して王の剣が振り下ろされた。


<……!!>

「待ってたぜ」


「あなた!……あなた!!?」


勝利を確信したエルが悲鳴を上げた。

いつの間にか、跳ね上げられた切っ先が、水平に<不死の王>の胸部を貫いている。


「<オンスロート>」


足と片腕だけで大剣を跳ね上げ、そのモーションから特技を繰り出したクニヒコが静かに告げ、

HPを失った王がゆらり、と倒れ付した。


<不死の王>の口が動く。

それは言葉になることはなかったが、クニヒコはゆっくりと頷いた。


「ありがとう、<不死の王>。あなたのことは忘れない」


ゆっくりと微笑み、王は全ての妄執をなくしたように消えていく。

その体がすべて消え去って後、その場にはエルの悲鳴だけが響いていた。


「あなた!あなた!あなた!」


その声は、愛する夫を失った、妻の嘆きそのものだ。

船が揺れ、いつしか波が舷側を超えて飛沫を飛び散らせた。

船は沈もうとしていた。



 ◇


「エル」


きっ、と彼女は3人に振り向いた。そのまま叫ぶ。


「人殺し!よくも!!」

「そいつは吸血鬼だ。人ではない」

「だからなんなのよ!」


ユウのいわでもの指摘に、<施療神官>の絶叫が轟いた。


「<冒険者>は必ずモンスターと戦わないといけないの!?

<冒険者>同士、助け合わなきゃいけないの?!

私は彼を愛した!汚かった私を愛してくれた!

それに尽くして、何故悪いの!

私だって!!

モンスターと愛し合って、<冒険者>と戦う人がいてもいいじゃないの………」


三人は何も答えなかった。


客観的に見れば、彼女は紛うことなく悪だ。

人を襲うモンスターに味方したのだから。


だが、三人には責め立てる気にはなれなかった。

彼ら自身が、ライトニングの村で受けた言葉が蘇る。

<冒険者>だからと<大地人>を助け、モンスターを狩ることを強いられる。

この世界での役割―悪しきモンスター、弱い<大地人>、助ける<冒険者>や<古来種>。

その役割は誰に決められた?


<大地人>の救助という常識(ルール)より、自分たちの怒りを優先させた3人と、

モンスターに恋し、人に背を向けた目の前のエル。

その心において、何が違うのか?


エルがやがて低い声を上げる。


「………さい。戦いなさい!<暗殺者>のユウ!私と!」

「わたしか」


歩み出たユウに、エルは涙声で叫んだ。


「引導を渡してやるわ!同じことを思った癖に、別の道に行った私を!

私の得られなかったものをすべて手に入れていたお前を!!」

「分かった」


ユウが静かに頷き、刀を抜く。


「お前さんは私だ。確かに私だ。

だから解放する。お前さんと、過去の私を……タル、クニヒコ、言うまでもないが手を出すなよ」

「殺してやるわ!」


エルの叫びがユウには、私を殺して、と叫んでいるように聞こえた。



 ◇



 エルはじりじりと距離を詰めていた。

全身を覆いつくす金属鎧の上に、男だったときに愛用していた無骨な盾を構える。

かつて大規模戦闘(レイド)の戦場で手に入れた破魔の力を持つ<秘宝級>のカイトシールドだ。

盾に自らを隠し、エルはその影からユウを見た。

目の前の相手は、PVP―人との戦いに慣れた<暗殺者(アサシン)>だ。

遠近かまわず必殺の毒を入れてくる相手に、なまじの防御は無意味。

だからこそ、彼女は徹底的に防御に特化した構えで対抗した。


ユウの動きはない。

自然体でだらりと立っているだけだ。

しかし、構えがないということは、次の攻撃が読めないということでもある。


(どうする気だ)


反応起動回復(リアクティブヒール)を自分に掛け、エルはじっと相手の出方を待った。



(やりづらい相手だ)


ユウは手をこそりと懐に入れながら、目の前の<施療神官>の隙を伺っていた。

彼女には、実は手持ちの毒が既にほとんどない。

武器や装備の耐久度も大きく減っている。

何より、こういう場合に敵の混乱を誘う<閃光の霊薬>も、それを基に作った爆弾も切らしていた。

炎はますます燃え盛っている。

金属でできた甲板は灼熱地獄に炙られ、いまやほとんど鉄板焼きの鉄板のようだった。

熱さを感じていないわけがないのに、エルの足取りは冷静だ。

彼女の意図は明白だった。

防御でユウの毒を抑えながら、自己回復と耐久度で競り勝つ腹だ。


再び船が揺れる。

海流に流され、徐々に再び進路を変えつつあるのだ。


(まずは足で混乱。ついで鎧の継ぎ目を狙って<痙攣>を叩き込む)


ユウは決断し、飛び出そうとした。

その瞬間、彼女にとって不運としかいいようのない出来事が起きた。

どこかで再び爆発が起きたのか、突き上げられるように甲板がめくれたのだった。



(いまだ!)


一瞬ひざを曲げ、飛び出そうとしたユウが衝撃に押されてバランスを崩した。

その機を逃さずエルが飛び出す。その様は黒と銀の弾丸のようだ。

重装備とは思えない速度で走り寄りながら、エルは叫んだ。


「<ホーリーヒット>!」


ユウが避けようとした瞬間、命中率を増した戦棍(メイス)がユウの飛び上がる足に激突した。


「ぐぅっ!?」

「<バグズライト>!!」


痛みに呻きながら、片手を振ろうとするユウの目の前で光の球が生まれる。

至近距離で放たれた光が網膜に焼きつき、<暗殺者>の動きを一瞬、遅らせた。


「<ディバインマイト>!」


エルは余計なことを言わない。

威力の増した衝撃が、ユウの肩を打ち、その手から剣がこぼれた。

鎖骨を撃砕されたのだ。

そのまま、振り下ろされた戦棍の威力を失わぬよう、流れるような軌跡を描いた打撃が、ユウの脇腹に突き刺さる。

大きく吹き飛んだ<暗殺者>を追ってエルは走り、走りながら戦棍を投げ上げた。


「なにを!?」


叫ぶレディ・イースタルににやりと笑い、空いた手をユウにかざす。

その足が一瞬止まり、聖句が口から溢れ出した。


「<ジャッジメント・レイ>!」


ビームとすら思える高密度の光の束が、ユウの全身を包む。

そのHPが見る見るうちに危険域に至るのを見て、レディ・イースタルの悲鳴が響き渡った。

<ジャッジメント・レイ>は、<施療神官>の決め技ともいえる遠距離攻撃魔法である。

失うMPも膨大だが、その代わりに得る威力は<暗殺者>や<妖術師>に劣るものではない。


エルはすかさず盾を構え、落ちてきた戦棍を掴み取った。

これで勝負が決まったとは、エルは思っていない。


吹き飛ぶ間に(ユウ)はポーションを飲んでいる。

回復し始めたHPと共に、奇妙に凹んでいた肩が盛り上がる。

次の応酬は短かった。


「<ディバインフェイバー>!」

「<ペインニードル>!」


ユウの短剣が正確にエルの足首―可動域であるためわずかに鎧に隙間があった部分だ―を貫くと同時に、エルの防護魔法が唱えられた。

一瞬の痺れるような感覚が走り、すぐにそれは消滅した。

しかし、毒の効果が消えたわけではない。数十秒、先送りしただけだ。

エルはその間に次の呪文を唱え終えていた。

既に目の前にいる<暗殺者>に、更なる呪文を唱える。

ユウもまた、特技を用いようとしていた。


「<アーシェント・シャイン>!」

「<シェイクオフ>!……ぐっ!」


うめき声を残し、白い光に包まれたユウが煙の中へ消える。

エルもまた、つま先に力を入れ、一瞬で煙の渦から身を離した。


ユウの姿はない。

エルにはユウの考えがわかっていた。


<ディバインフェイバー>は、あらゆる状態異常に効果があるが、回復をしたわけではない。

10数秒後、現在からは6秒後に効果は再び戻る。

ユウは姿を消し、その効果が切れるまで待つのがセオリーだ。

もちろん、多彩な回復で毒が解除されることもありえる。

そのときは物陰から再び攻撃を仕掛ければユウの勝ちだ。

一旦受身に回ったならば、<施療神官>でも<暗殺者>の猛襲を受けきるのは至難の技なのだ。


だが、エルは姿を消す瞬間、ユウの周囲に白い光が取り巻くのを見た。

その技、<アーシェントシャイン>には副次効果として、相手に盲目の状態異常(バッドステータス)を与えるというものがある。

ユウは今、エルの現状を確認するのに耳に頼るしかない。

足元は火によって既に脆くなっている。


であれば。


「止めを刺しにくると思ったぞ!<シンボル・オブ・サクラメント>!!」


あらゆる状態異常を回復し、3分間それらからの絶対防御を得る、<施療神官>が誇る絶技。

それはたっぷりと毒を塗りたくったであろう、姿を消したユウの一撃を、盾で受け止めた。

頭二つ分ほど違う、二人の姿が密着する。

目を閉じたまま、ユウの腕がかき消すように消えた。

すさまじいしなり(スナップ)を効かせたユウの手首が落ちる。

その腕にたたきつけるように、エルは本当の奥の手を繰り出した。


密着した状態だからこそ可能な、奇襲技を。

<秘宝級>の盾が、光を放ってユウの半身に叩きつけられた。


「<ホーリーシールド>!」



詰め将棋のような戦闘だった。

初手こそ幸運に頼ったが、その後の戦闘の流れはエル自身が作り上げたものだ。

圧倒的に強力なユウの毒をただ無効化しただけであれば、時間の長短こそあれ、やがてユウが勝っただろう。

しかし、特技を繰り出すタイミングを絶妙に推し量ることで、エルは「時間」を手に入れた。

目の見えない敵に、その毒を気にすることなく自由に戦える3分弱という、時間を。


「死ねぇっ!!」


エルの戦棍(メイス)が唸る。

目を閉ざされながらも避けるユウだが、爆風じみた戦棍の一撃はやはり見せ技でしかない。

捻った体が得た回転力で、盾がユウの顔面を打つ。

もともとMP消費の割りに威力がさほど高くない<ホーリー・シールド>は、盾のアイテムクラスが高いこともあって、無視できないダメージをユウに与えていた。

跳び退ったユウの前で何度目かの<反応起動回復>が輝く。

その詠唱の隙に飛び込もうとするユウだったが、無秩序に振るわれる戦棍が巻き起こす音の渦に阻まれ動けない。

あたりの床や鉄柵を乱打することもあり、音だけでエルを捉えきれないのだ。

戦況はいまや、見守るクニヒコやレディ・イースタルの予想に反して、絶対的にユウに不利だった。


無言で、レディ・イースタルが並び立つクニヒコに目を向ける。

加勢するか、というその無言の問いに、鎧の傷跡も鮮やかな黒騎士はしかし、首を縦に振らなかった。


<冒険者>は死なない。

それは絶対の掟だ。

ユウの死は、二人にとって永遠の別離を意味しないが、ここはプレイヤータウンを遠く離れた地だ。

今、ユウが死ねば、彼女が目覚めるのはアキバの<大神殿>である。

間にミナミを挟んだその街は、今の3人にとって地球の裏側ほどに遠い。

クニヒコはまだよい。

ミナミから出発したレディ・イースタルにとって、再びユウに逢うためには、追っ手をかいくぐり、自らの足でアキバまでの道程を走破するしかないのだ。


だが、それでも2人は動かない。

ただ信じるのみだ。

先ほど、<不死の王>の勝利を祈ったエルのように、ユウの勝利を祈りながら。



 ◇


 エルは、勝利への確信が鎌首をもたげるのを感じていた。

あと2分弱。目の前の<暗殺者>が視力を取り戻し、自らが状態異常に再びかかるようになるまでの、

それは残り時間だ。

エルは走る。甲板で熱せられた足鎧が、じゅうじゅうと足裏を焼いていたが、もはやどうでもよかった。

そのとき。

無残に黒髪を焦がし、半ば焼け爛れた姿となったユウが、何かを掴みあげた。


ユウは足音を感じていた。

毒も麻痺も気にすることがなくなったエルの足は、直線を描いて自らの元へ向かっている。

重戦車のごときその進撃は、ファンタジーのドワーフそのものだ。


「……ション>!!」


轟々と燃え盛る船の中、かすかにエルの叫びが聞こえた。

<施療神官>の呪文の中で、末尾を「ション」で終わるのは3種類。

しかしうち2つ、<リザレクション>も、<デボーション>も、仲間がいて初めて効果を表す特技だ。

であれば、掛けた魔法は<エナジープロテクション>。

武器に属性を付与し、攻撃力を倍化させる技だ。

その中で、現状にもっとも即した属性といえば、氷でも風でも土でもない。

軽くつま先で甲板を蹴る。

想定以上の熱量を加えられたそれは、かすかな力でも大きくたわんだ。


足音が近づく。


ユウは、わざと方向を選んで吹き飛んだ先に、狙い通りにあった()を一掴み掬い上げた。

もうひとつの手で鞄を探り、目指すアイテムを指の感覚だけで拾い上げる。

諳んじていた膨大なレシピから、瞬時に目当ての毒を作り出すものを思い出す。


砕いた<クニツクラ草>。

乾燥しばらばらになった<不定形生物(ブロブ)の死骸>。

そしてたった今採取した<不死の王の遺骸>。



これは一種の賭けだ。

そもそも、調合とは細心の注意を払って行われるものだ。

本来<エルダー・テイル>のレシピにない毒であればなおさらである。

ただ混ぜ込んで熱しただけのものが効果を発揮するか、どうか。


「とどめっ!!」


ガスバーナーで炙られたような熱が頭上から落ちかかる。

ユウはその熱から逃れるように後ろに飛びながら、手にした粉を混ぜて投げた。


 ◇


 ユウ以外の3人には、何がおきたか分からなかった。

盲目と化した<暗殺者>が何かを投げるしぐさをしたと同時に、突然、赤々と燃える戦棍が爆ぜたのだ。

それは見る間に液体と化し、床にぼとぼとと零れ落ちた。


「なんだ!!何がおきた!!うぎゃあっ!!」


困惑したように叫んだエルの悲鳴が上がる。

液体がかかった場所から焦げるような煙が上がり、エルは激痛に膝を突いた。

そして、十分に熱せられ、腐食により弱った甲板は、その衝撃に耐え切ることができなかった。


ガシャリ。


エルの身長が突然低くなる。


いや、そうではない。

抜けた甲板に下半身を落としたのだ。

激痛に耐えながらも、必死で甲板にしがみつくエルは、あまりに突然流れを変えた戦況に絶叫した。


「何をした!!ユウ!」


なおも目を閉じたまま、ユウは彼女から十分離れてその声に答える。


「<腐食>の毒を造った。幸い、材料も環境もあったからな。

作り方は粉にした素材を混ぜて熱するだけ。火だけはお前さんの<ホーリー・プロテクション>を借りたよ」

「そんな……ポーションでなく、素材から土壇場で毒を造るなんて」

「今のお前さんには装備を含めて毒が効かないからな。

だったら周囲を毒で壊して動けなくすればいい。賭けだったけどね」


肩をすくめるユウに、エルは涙すら流して怒鳴った。


「そんな……こんなことで!私は勝っていたはずだ!!」

「勝ってたよ。お前さん、いい対人家(デュエリスト)だ」

「しかも……こんな……」


ぼろぼろと涙を、鼻水すら流してエルが泣く。

その声がふと色合いを変えた。


「……なぜ止めを刺しにこない!そこから短剣を投げれば終わりだろうが!

情けを掛けているのか!?貴様!」

「自殺幇助はゴメンだ」


ユウの声に、エルの叫びが止まる。

戦闘の騒音が去った甲板にも、徐々に静寂が訪れていた。

船腹を破られた船がついに沈没しようとしているのだ。

徐々に船の周囲に渦が沸き起こる。

流出した油によって燃えるそれは、エルには自分を引きずり込む地獄に見えた。


「持っていけ」


<不死の王>が振るっていた剣がカラカラ、とエルの鼻先に転がってきた。

狙ったように柄を向けたそれに、愛する吸血鬼のよすがを思い、エルの顔が更にゆがむ。

無数の疑問が頭に沸き起こる。

しかし、口をついて出たのは一言だけだった。


「……なぜ?」

「形見くらい持っていけよ。何かのときに役に立つだろう」


ユウの答えは、エルが聞きたかったことの1%もない。


「いいだろ?クニヒコ」

「ああ。いいよ」


自分の戦利品を勝手に分配されたクニヒコも頷いたのを見て、エルは甲板を掴む手を握り締めた。

ぱきぱき、と腐食した鉄が折れる音がする。


「追いかけて、復讐する」

「また相手をしよう。いい戦い(デュエル)だった」

「またな」

「いつかどこかでな」


項垂れるエルにユウが背を向けると、状況を見守っていたレディ・イースタルとクニヒコも、まるで野良パーティを組んだ相手に別れを告げるように、一言言い残して踵を返した。


ザパン、という音がする。


一人、沈没しつつある船に残るエルは、いつまでも同じ姿勢で泣いていた。



 ◇


 「あれがムナカタか?」


遠く遥かに島を望む海岸沿いの家々を峠から見下ろし、汗血馬に乗ったクニヒコが目を細めた。


「お、今度もなかなかいい街みたいだな」


レディ・イースタルも嬉しそうに笑う。

わいわいとはしゃぐ2人の後ろでゆっくり馬を進めながら、ユウは久しぶりにエルのことを思い出していた。

溌剌とした少女と、偽悪的な妖女の仮面の下に、よく似た激情を抱えていた男性(・ ・)のことを。

フレンドリストに載った彼女の名前は、あれから少しして光を失った。

それ以来、彼女の名前は消えたままだ。

ヤマトから去ったのか、どこかのゾーンに入ったのか、それとも死んでナカスに戻り、<大神殿>での復活を許されず偽りの眠りに漂っているのか。


価値観はまったく異なっていたが、ユウにとって彼女は初めて、共感に似た感情を覚えた相手だった。


(居酒屋で焼き鳥でも食べながら、ゆっくり話してみたかったなあ)


自らの胸を見下ろして、ユウはふと息をついた。

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