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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第二章 <西へ>
32/245

21. <廃工場> (後編1)

2.


 ユウは足を速めていた。

目の前では、<神祇官(カンナギ)>の姿を模した<吸血鬼の下僕(スレイブ・ヴァンパイア)>がクニヒコと1対1の打ち合いを続けていた。

その後ろでレディ・イースタルが、呼び出した狼と共に<暗殺者(アサシン)>と<吟遊詩人(バード)>、

二人の敵をあしらっている。

その2人の戦闘能力を支えているのがエルだ。

彼女の<反応起動回復(リアクティブヒール)>はすさまじく、ダメージにあわせた的確な支援とあいまって、彼女自身の並々ならぬ熟練を伺わせた。

それに加え、クニヒコが囲まれればスイッチし、ドワーフならではの頑強さで戦線を支える。

最初の印象から、ユウは彼女を回復特化型(ハイヒーラー)ビルドだと勝手に思っていたが、

神官衣は旅における日常服のようなものだったらしい。

今の彼女は重装鎧に戦棍(メイス)を掲げ、<守護戦士>に劣らぬ力で吸血鬼をなぎ倒していた。


「<ホーリーライト>!今です、ユウさん!」

「おうっ!」


吸血鬼たちの頭立った<武士>―彼もまたユウのかつての知り合いだった―が、防御無視ダメージを与える聖なる光で怯んだのを見て、エルが叫び、ユウが走る。


「ロックダウン!成仏しろよ!<アサシネイト>!!」


叫びざま振り下ろされた一撃は、かつてロックダウンという名前だった<武士>を大きく切り裂き、その体を大地に這わせた。

血はわずかにしか流れない。

既に動く死体と化した彼らは、体を循環すべき血流も失っているのだ。

リーダーを失い、<吸血鬼の下僕>たちが崩れ始める。

その動揺に付け込むようにエルは的確に指示を飛ばし、クニヒコとレディ・イースタルは敵を追いたてた。


ユウは内心感心していた。

ライトニングの村を見回る間、エルと3人はいろいろと情報交換をしている。

エルは自称3年目というが、その指揮は堂に入っており、大規模戦闘(フルレイド)の指揮官の一人だったクニヒコに勝るとも劣らない。

むしろ、戦場を一歩引いて眺めることができる<施療神官>であるだけに、乱戦時の指揮能力はクニヒコより上かもしれなかった。


見た目は少女だが、中身は歴戦の大規模戦闘者(レイダー)

ユウはそう思い、彼女に対し信頼感が募るのを感じていた。


 ◇


4人は岩場に座って休憩していた。

出会ってから4日目の晩である。

既に村に入り込んでいた吸血鬼はあらかた掃討され、現在では村を離れて吸血鬼の牙城たる工場跡地の近くで4人は戦闘を繰り返していた。


「いや、今度の連携もうまくいったなあ。さすがエルだよ。いい指揮だ」


普段、斜に構えた皮肉っぽい言動を好むレディ・イースタルも手放しでエルを褒めちぎっていた。

褒められた彼女といえば、足をもじもじさせて恥ずかしそうに俯いている。


「いや、皆さんみたいな大ベテランを差し置いて指揮だなんて」

「それは違うよ。」


やや説教癖のあるクニヒコが口を挟む。

彼の片手は大事そうに、<黒翼竜の大段平>をさすっていた。

見れば、彼の剣だけではない。3人の装備のいずれもが、新品同様の輝きを放っていた。

エルはドワーフらしくサブ職業が<鍛冶師>であり、彼女の手によって、ヤマトを縦断して破壊寸前になっていた3人の装備は蘇っていたのだ。


「パーティプレイに年数とかベテランとか関係ない。事実、きみの指揮で俺たちは危なげなく70レベルの吸血鬼相手に戦えている。君の実力だ。誇っていい」

「そんな……」


ぼふ、と顔から煙が出そうなくらいに俯いてエルが恥ずかしがった。

それを見て笑う2人に、ユウも笑いながら口を出す。


「おい。そんないじめるな。3年のキャリアでこの実力なんだ。

これからは大隊規模戦闘(レギオンレイド)の指揮もこなせる逸材かもしれんぞ。ゴマすっとけよ」

「お、そうだな。じゃあ回復いるときは呼んでくれ」

「俺は前衛の盾になるから、呼べよ」

「もう……」


かわいらしく抗議するエルに爆笑する3人。

穏やかな時間は静かに過ぎていく。


チリリン。


ふと耳に聞こえた音に、ユウは立ち上がった。


見れば、3人は戦闘時における陣形についての話題に変わっている。


「すまん、念話だ」


一声かけて、ユウは3人から離れた。

相手からの声は聞こえないとはいえ、自分の話す声は聞こえる。

こういうとき、少し離れるのは、現実の携帯電話同様のマナーだった。



3人から十分距離を置いたところで、ユウはステータス画面を押した。

そこに見える名前は<バイカル>。

彼もまた、20年近く付き合い、ついこの間復帰した、と聞いたばかりの古い友人だった。


「やあ」

『よう、元気してるか?……って、あ、失礼しました』


急に他人行儀になったバイカルに、ユウはあわてて自分の声を思い出す。


「あ、違う、きるな。私はユウだ。知ってるか知らないが、声が変わったんだよ」

『そうなのか?……まあ、名前はユウだしな……その年で声変わりもあるまい』

「ほっとけ」


あっさりと納得した旧友(バイカル)に、手短に事情を話す。

思えば自分の声のことを思い出すのも、久しぶりだった。

地震以来、自分の殻に閉じこもる暇もなかったからだ。

こほん、とひとつ咳払いをして、ユウは念話を再開した。


「今どこにいるんだ?」

『ムナカタだ』


ユウたちのいるライトニングからも程近い、ナインテイル自治領の町の名前をバイカルは告げた。

お、と驚いたユウは、自分がライトニングにいて、ここから西へ向かうこと、

バイカルにとっても気の置けない友人であるレディ・イースタルとクニヒコが一緒にいることを告げる。

何の気なしに、ユウは言葉を続けた。


「それにな。<アイガー修道院>の若い<施療神官>も一緒なんだ。この子がまたレイド向きの子でな」

『<アイガー修道院>??あそこはほとんど人はいなかったはずだが』


訝しげなバイカルの声がユウの耳に響いた。


「いや、何人かナカスにいるんだとさ。ほら、お前も知ってるトワイライト。

あいつも戦場を駆け回ってるとか。お前もナカスにいたんだろ?状況を教えてくれ」

『……その<アイガー修道院>所属とか言うプレイヤーの名前は?』

「エルだけど?」


くるくると動き回っていた小柄な少女の姿に我知らず笑いながら答えたユウに対し、

念話の向こうのバイカルの声は低く、妙にくぐもっていた。


『ユウ。確かに俺も数ヶ月ナカスにいた。だから知ってるんだが、<アイガー修道院>は確かに今でもある。だが、トワイライトはいない』

「え?」

『トワイライトどころか、噂ではこの災害に巻き込まれたギルドメンバーは1人しかいない。

そいつの名前は確かにエルとか言った。だが、ナカスの連中が知る<エル>は髭もじゃの男のドワーフだ。

別のギルドタグを着けていた、という噂もある。

しかもそいつはついこの間、何かとんでもないことをやらかしてナカスから追い出されたという。

お前、そいつに何を吹き込まれてる?』



 ◇


 岩場に戻ったユウを、レディ・イースタルは上機嫌で迎えた。


「おい、ユウ。いろいろ考えてな。いっそ今から吸血鬼のところまで攻め込むか、って話になった。

ちょうどよく夜明けだ。昼間は連中、隠れちまって姿を見せないからな。

……どうした?」


厳しい顔を崩さないユウに、彼女が首をかしげる。

やがて<暗殺者>の視線が向かう先に気づき、クニヒコとレディ・イースタルは視線をもう一人の<施療神官>に向けた。


「な、なんですか?」

「聞きたいことがある」


ユウの声は冷徹だった。


「俺はさっき、ナカスにいたバイカルと話をしてた。クニヒコもタルも知ってるあのバイカルだ。

そいつから奇妙なことを聞いた。

エル。お前は実は男だったそうだな」

「え……」


エルの顔がさっと青ざめたのを細い目で眺めつつ、ユウは言い募った。


「トワイライトたちがいるというのも嘘だそうだな。バイカルだけでなく、ほかの知り合いにも聞いてみたが、その中にアキバからナカスに移った元<ホネスティ>がいた。

そいつの話でも、<アイガー修道院>のギルドタグはどこの戦場でも見かけなかったという。

それだけではない。

<アイガー修道院>はお前一人、しかもお前はナカスで何かをやらかして追放されたという。

何をした?

そしてなぜ、俺たちに嘘をついた?なぜ」

「もうやめてください!!」


不意にエルが絶叫し、そのまま物陰に隠れる小動物のように背を縮こまらせた。


「もうやめて!言わないで!!」

「エル……ユウ」


対峙する二人の元男を見くらべながら、この場にいる唯一の男であるクニヒコが視線をさまよわせる。

その視線に触発されたわけでもないが、顔を隠して蹲っていたエルがきっ、と顔を上げた。

鋭い視線に、ユウの片眉もぴくりと跳ね上がる。


「私は確かに元男です!ですがユウさんも、そっちのタルさんもそうでしょう!

男が女になってなにが悪いんですか!?

私は女になりたかった!こんな世界でも女でいられて、何が悪いって言うんですか?

そのバイカルって人のことは知りませんけど、それがどうしたっていうんですか?

それに、ギルドだってそうです!

私は<アイガー修道院>が好きだった!たまたまあの日にログインしたのは私だけだったけど

でも、一人だって<アイガー修道院>でいたかった!

それだけです!!」


「じゃあ、追放されたのはなぜだ!?何をした?」

「なあ、おい、もうやめろよ、ユウ……」


いやいやをするように首を振るエルの背中を撫でながら懇願するような声のレディ・イースタルを遮って、エルは再び叫んだ。


「これです!!」


言うや否や、逆さにした彼女の<魔法の鞄>から、数本の霊薬(ポーション)が転がり出た。

その特徴的な意匠に、クニヒコの顔が歪み、ユウもじっとそれを見つめる。


<EXPポット>。


レベル30以下の初心者プレイヤーが手に入れることができる、魔法の液体。

クニヒコの顔が辛そうに歪んだのも訳あってのことだ。

かつて<大災害>当初、<黒剣騎士団>に所属していたクニヒコは、それが初心者プレイヤーから搾取されたものと知りつつ、これを使用してレベル上げに勤しんでいたからだ。

その罪悪感と自責の念は既に過去のものとなりつつあったが、実物を目にすれば心の古傷をじくじくと抉る程度には残っていた。

ユウたちが無言で見つめる先で、少女の姿をしたドワーフは叫んだ。


「わたしは!!強くなって<Plant hwyaden>と戦いたいからって、初心者から<EXPポット(これ)>を巻き上げる大手ギルドが許せなかった!

でも噂に聞くアキバやミナミみたいには、誰も助けてくれなかった!!

だから奪ったんです!せめてみんなが気づくようにと!!

……追放されていたのはあとで知りました。

あの町もミナミやススキノと同じなんです。

少数の強い人たちのために、たくさんの弱いプレイヤーが虐げられている。

でも私にはどうすることもできなくて……」

「……もういい」


最後はすすり泣きに変わったエルの声に、レディ・イースタルが優しく手を添えた。

立ち尽くすユウに、手を置くというには力をこめて、クニヒコが手をかける。


「……ユウ。確かに嘘は嘘だが、この子はお前と同じだろ。

やることをやろうとしたが受け入れられなくて、結果逃げざるを得なかっただけだ。

バイカルやその元<ホネスティ>の言葉だけを鵜呑みにするなんて、お前らしくないんじゃないか?」

「……攻撃は、明日にしよう」


静かな中にも怒りをこめたクニヒコの声に被さるように、

レディ・イースタルが力なく告げた。



3.


 翌日の夕暮れ。


ユウたちは吸血鬼がいるという、工場の跡に来ていた。

安全を考え、鉄格子までついた門は長い時を経て朽ち果てた姿でたたずみ、

かつての巨大な装置や配管が、巨人の内臓のごとく闇に聳え立っている。


その日。ユウは一言もしゃべる事はなかった。

エルも同じだ。ほかの2人にはわずかに憔悴した笑顔を見せるが、ユウのそばには決して近寄らない。


またやってしまったのか。


ユウの心に苦い悔恨がよぎった。

彼女の視線の先には、労わるようなクニヒコを見上げるエルの明るい笑顔がある。

しかし、ユウがそれを見ていることに気づいた瞬間、彼女はすっと笑顔を消し、

能面のような無表情のまま、ユウに背を向けた。


セクシャル・マイノリティ。

それは決して人に危害を加えることはないが、しかし理解のない人にとっては時に排斥の対象となる。

エルが元の世界でどのような人間だったのか、ユウは知らない。

だが、エルという<冒険者>に宿った魂を、知らぬ間に抉ってしまったのであれば。

ユウは悔やんでも悔やみきれなかった。


それに、と自分を見下ろして思う。

突き出た乳房。細い腰。長い髪。

いずれもユウ自身が選択し、選んだ<自分自身(アバター)>の姿だ。

それを選ぶ時、自分にもエルと同じ気持ちがなかったと、本当に言い切れるだろうか。

たとえエルのようにはっきりと認識していなかったとしても、

女性として振舞いたい、扱われたい、着飾りたい、という欲望が

本当に心の中になかったと言えるだろうか。

そう考えれば、望んだ自分に正直に振舞うエルのほうが、内心では正しく、素晴らしいものではないのだろうか。


もちろん、ユウ―鈴木雄一は二児の父だ。

妻もおり、かつての自分のたるんだ姿に、違和感を覚えたことは一度もない。

だが……


とぼとぼと一行の最後尾を歩くユウは、俯いたままかつての化学工場の跡地に歩を進めた。

ふと見上げれば、彼方にあったように見えた巨大な装置は、不気味な圧迫感と共に頭上にのしかかっていた。

かつて日本の重工業を支えた、多くのサラリーマンの夢の跡。

今やそれは、人を害する死者たちの巣窟となって、<大地人>を恐怖に陥れている。


「どこを見回る?」

「まずは本事務所の跡にいきましょう。それから順に工場を回って、最後はあそこに見えるタンカーを見ることにしましょう」


見れば、彼方に見える桟橋のそばに、陸上に乗り上げるように巨大なタンカーの残骸が鎮座している。

どのような異変がこの工場を襲ったのか、コンクリートを砕き大地を抉った巨大な船は、

そこにいた人々の魂がこもった墓標であるかのように、3人には見えた。


「……来たぜ」


レディ・イースタルが杖を抜いた。

クニヒコも背中の大剣を構えなおす。

ユウも、もはや楽はできない。手持ちの武器から<妖刀・首担>を抜く。


自問自答の時間は終わりだった。


周囲の装置から、まるで生み出されたかのように湧き出た<冒険者>の姿の吸血鬼たちに、

遅れるなよと言い放ってクニヒコがタウンティングを放つ。


「クニヒコさん!ヘイト集めるだけ集めて!前線は私が支えます!タルさん、HPが半分切るまでは攻撃、大技抑えて!……ユウさんは、ご自由に援護してください」

「わかった」

「……」


レディ・イースタルがちらりとユウに心配そうな視線を投げるのに笑みを返し、

ユウもささくれだったコンクリートの足場を蹴る。


長い夜になりそうだった。



 ◇


「はぁっ、はぁっ、はっ……」


息をあえがせたレディ・イースタルがごくごくと袋の水を飲んだ。

隣では、クニヒコががしゃりと音を立てて地面に座り込んでいる。

二人ともMPは少ない。

3人を見るユウ自身、大技の連発で体は鉛のように重かった。

それでも「船の周りを確認する」といって闇に消える。


この工場に潜んでいた吸血鬼の数と強さは、彼らの予想を大きく上回っていた。

なにしろほぼ全員がレベル70、他にもレベル80の吸血鬼までうようよしていたのだ。

幸いなのは、彼らが<冒険者>と同じなのは外見とレベルだけで、

特技はもちろんのこと、パーティとして連携することもなかったことだった。

これで彼らが特技を操り、本物の<冒険者>のように連携を取っていたとすれば、

あっさりとユウたちは敗北していただろう。


それだけではない。

古いプレイヤーである3人にとって、現れた吸血鬼の名前も、また馴染み深いものだったのだ。

ディルムッド。

源右衛門。

カレン・ジェスター。

カイネウス。

六本木あみ彦。

時に剣を交え、時に肩を並べて戦った、思い出の中の戦友たちの姿だ。

いずれもこの世界を去って久しいが、彼らのことを忘れたことはない。

今のプレイヤーにとってそうであるように、彼らはユウたちの大切な仲間だった。


それだけに、尚更に待ち受ける吸血鬼の親玉に対し、怒りがこみ上げてくる。

各自が霊薬や休息によって、戦力を回復したと思えたところで、エルが闇を指差した。


「工場の中の敵はおおむね打ち倒せたと思います。

ボスがいるのはたぶん、この船の中です」


かつての巨大貨物船。

見上げるような高さのその舷側に、一本のロープが垂らされているのを見て、クニヒコが呟く。


「登って来い、というわけか」

「律儀な死人だ」


悪態をつき、レディ・イースタルもよっこら、と立ち上がった。

その彼らを追い越し、いつの間にか戻ったユウがすっと前に出る。


「先に行く」

「……」


クニヒコとレディ・イースタルの二人が声をかける間もなく、<暗殺者>は猿のようなすばやさでロープをよじ登る。

ふとクニヒコは横にいるはずの女<施療神官>を振り向いた。

ユウを見上げる彼女の顔は、まるでそこだけ闇が切り取ったかのように、彼の視線を通すことはなかった。


4人がよじ登ったとき、ユウはサッカーコートほどの広さのある甲板にじっと立っていた。

あたりに敵の姿はない。

既に動力を失って長い年月がたった船の奥は、星明りすら遮る真の闇だ。

仲間を待つというユウの判断は、当たり前のことだった。

上った4人は、いつ敵が現れてもよいように、やや密集して立つ。

正面にクニヒコ、右にユウ、左にレディ・イースタル、そしてしんがりにエル。


ふと気になったクニヒコは後ろを振り向いた。

ふと、ユウのいない先ほどの休憩中の会話が蘇る。


はぁ、と辛そうに息をつくエルに、座り込んだままクニヒコは声をかけた。


「ユウが嫌いか」

「……嘘をついていたのは、謝ります。でも」

「ユウもあんたと同じなんだよ」


そう言って話す。

<大災害>当初、アキバで起きた出来事を。

エルのように、たった一人で事態を変えようと、誤った道に進んだユウのこと。

その彼女と戦い、追放したほかならぬ自分のこと。

長い話をじっと聞き終えたエルが、ふたたびはぁ、と息を吐く。

それを肯定のため息と解釈し、クニヒコは笑顔を作った。


「だから、ユウはユウなりに苦労してるんだよ。

人間だから嫌うのはしょうがないが、少し理解してやってくれ。あいつにも言うから」

「そう……なんですね」


俯いていた顔を上げたエルの顔は、何か吹っ切れたように朗らかだった。

昨日以来、久しぶりに見たエルの笑顔だ。

周囲の誰もを巻き込むような、そんな顔だった。


だからクニヒコは振り向く。

わだかまりを少しでも解いた友人(エル)が、同じように明るい顔をしていると信じて。

だが。


想像していた笑顔は、エルの顔にはなかった。

代わりにあるのは、ユウを見るときにつけていた無表情の仮面だ。

今、それはユウだけではない。自分とレディ・イースタルにも向けられている。

思わず背筋がぞわっと粟立った。

<大災害>以来、研ぎ澄まされてきた彼の戦場の勘が、自分たちのいる場所が最高級の危険地帯だと告げている。


チリリン。


びく、としてクニヒコは脳裏に響いた鈴の音を聞いた。

聞こえてきたのは、ユウが話した旧友(バイカル)の声だ。


『クニヒコ!お前はどこにいる!』

「バイカル!?」

『答えろ!!』


切羽詰った声が脳裏に響く。


「フォーリンパイン近くの工場跡だ」

『誰と一緒だ!?』

「ユウとタル、それにエルだが」


ぼそぼそと答えたクニヒコの鼓膜を絶叫が叩いた。


『いかん!そのエルから離れてすぐ逃げろ!!』

「なぜだ?」


突然声を上げるクニヒコに、ユウとレディ・イースタルが振り向く。

彼女たちはまだ、エルの表情を見てはいない。


エル(そいつ)が追放された理由がわかった!吸血鬼の集団を率いて、ナカス郊外の<冒険者>を襲ったんだよ!しかも吸血鬼が現れる前に、所属していたギルドからありったけの<EXPポット>と<外観再決定ポーション>を百本単位で盗んで逃げた!装備も一緒にだ!!

いいか、そいつは<アイガー修道院>なんかと関係ない!

そいつは吸血鬼の味方なんだ!』

「な!?」


思わず叫んだクニヒコの声を掻き消すように、クスクスという笑い声が響いた。


「知られたみたいですね」


言いながら、パチン、と指を鳴らす。

その音が合図だったのだろう。船のあちこちから、<冒険者>の格好をした吸血鬼が姿を現した。

彼女は、そのまま最後に現れた一際美麗な武装の吸血鬼の長、<不死の王(ノーライフキング)>のもとへ駆けていき、その青白い体に身を寄せる。


<ヨクヤッタ>

「あなたのためですもの」


軋るような<不死の王>の声に、そういってエルが唇を寄せる。

その姿は、愛する男に寄り添う女そのものだ。

あまりの事実に唖然として声も出ないクニヒコの耳に、バイカルの絶叫が響き続ける。


『早く!早く逃げろ!死ぬぞ!』

「もう、遅い」


後ろから現れた吸血鬼が、ロープをすぱりと切り落とすのを見て、それだけを囁く。


『おい!クニ―』


念話は、切れた。


呆然とする<冒険者>をあざ笑うように、エルの声が場違いに明るく響いた。

しかしそれは村や冒険の合間で見せた天真爛漫なものではない。

隠微な妖花のような、暗く、陰に篭った声だ。


「うふ、うふふふふふふ。

そこの<暗殺者>がナカスと話したときにはどうなるかと思ったけど。

ベテランって言っても頭の程度はお粗末なのね」

「エル。貴様、何でこんな真似を」

「あら。あなたも女になったなら、わからない?」


レディ・イースタルに、嘲弄の笑顔を向け、女<施療神官>は囁いた。


「女になったら、好きな(ひと)に尽くしたいでしょ?

私はそうしただけ」

「だが、お前は男だったんじゃ」

「そうよ」


口調まで女そのものになりきって、エルは夢見るように呟く。


「あなたたち、特にそこのまじめなクニヒコさんに言ったことは、半分、本当。

私は女になりたかったし、ナカスやそこの低レベル<冒険者>も何とかしたかった。

でもね。ふと気づいたのよ。

ああ、こいつらは助けられたくないんだなって。

搾取するほうも、搾取されるほうも、それに甘んじちゃって、何も自分たちでしようとしない。

そんな連中のために、歯を食いしばって何かをして、それがなんになるの?」


思わずユウが歯を食いしばる。

エルが問いかけた疑問も、エルが至った結論も、かつてはユウ自身が感じ、思い、至ったものだ。

そして、その疑問はいまだに心の奥底に眠り、消えてはいない。

そんな彼女を面白そうに見て、エルはおどけるように肩をすくめた。


「あなたとわたしはおんなじよ、<暗殺者(アサシン)>のユウさん。

ちょっと違うのはやろうとした方法と、助けてくれた人の違いだけ。

あなたはそこのかっこいい彼氏に救ってもらえた。

私を救ったのは、この人なの」


爛々と赤く輝く目をうっとりと見上げる。


「わたしは絶望してナカスから逃げた。何をすればいいのかも、わからなかった。

そのときこの<不死の王(ひと)>に出会ったの。

彼は救われたいと思っていた。

自分たち一族を根絶やしにしたナカスに復讐したかったのよ。

でも、まだそのときはそこまで想ってなかったわ。

あのとき。

ナカスの腐った<冒険者>、自分たち高レベルだけでレジスタンスごっこをしようとした<冒険者(カスども)>をこの人たちが襲い、負けたとき。

逃げながらこの人はいったの。

<我の妻になれ>って。

電流が走ったわ。

だってそのときのわたしはいまのわたしじゃない。髭もじゃの小汚いドワーフなのよ。

汚い筋肉に覆われた私の髭にうっとりと手を伸ばして彼は言ったの。

そのとき、この人のためなら何でもしようと想ったわ。

だから言われるままに当時のギルドのホールに入りこみ、ありったけの<EXPポット>と<外観再決定ポーション>―連中が荒稼ぎするために集めたそれを、全部盗んでやったの。

ついでにこの人たちが装備できるものも、ありったけ。

ポーションで姿を変えた私を、今度こそこの人は抱いてくれた。

ちょうどよく、声も今のかわいい声になったし。

わたしはこの人に尽くすわ。

それがわたしがこの世界に来た、本当の意味」


詩を朗読するような、不気味な告白に、思わずレディ・イースタルが問う。


「……だが、<外観再決定ポーション>で変わるのは外見だけだ。

レベルは<EXPポット>で無理やりパワーレベリングをしたとしても、こいつらの名前や職業はどうやってつけた!」


見回す彼女の目に、懐かしい顔ぶれが見える。

いずれも口に牙、目を赤く輝かせている以外は。

そのとき、ふとレディ・イースタルは気づいた。

彼らは、彼女自身がいたフォーリンパインの<廃工場の吸血鬼>事変に参加したプレイヤーだということに。


「あら、簡単よ」


なんでもないことのようにエルが告げた声が、その事実を補強する。


「この人たちは今はもうどこにもいない。引退した人たちだから。

でも彼らのデータは残ってる。わたしはそれを呼び出しただけ」

「お前はGM(ゲームマスター)だったのか!?」

「いいえ。でも<施療神官>は<神祇官>ほどじゃなくても回復を扱う、つまり死んだ人の魂を扱う職業でしょ。だったら死んだ人の姿だけを呼び出すこともできるし、

死んだ名前にこの吸血鬼(ひと)たちの死んだ魂を入れることくらい、できるわ」

「そんな特技(わざ)、<エルダー・テイル>には……」


呻いたレディ・イースタルにエルは嫣然と微笑んだ。


「知らないの?この世界は、思ってた以上に何でもできるのよ」



 ◇


 口付けを交わす<不死の王>とエルに向かって、しゃらりと刀の鞘走る音がした。

緑の刃が、再び合間見えた敵を見て嬉しそうに震える。


「よくわかった」

「はぁい」


ユウだ。おどけたように答えるエルに切っ先を向け、<暗殺者>の目が<施療神官>を射抜く。


「確かに、お前さんはわたしだ。化け物に成り果てているがね」

「そうね。姉さんと呼ぼうかしら?」

「あいにくドワーフの妹も、化け物の義弟も要らん。楽しくしゃべり終えたところで、叩き斬ってやる」

「できるの?これだけの人数相手に」


馬鹿を見る目で肩をすくめたエルに、ユウはにやりと笑った。


「簡単だ」

「……じゃあやってみせてよ!!」


エルの号令と共に、吸血鬼たちが動き出す。

しかし一足早くユウは大きく飛ぶと、朽ちた舷側に立ち、手にした瓶を下に落とした。

その瞬間。


ドガガガガガガガガ


すさまじい閃光と爆音が響き、朽ちた船が大きく傾ぐ。


「な、何をした!!ユウ!?」


いきなり傾いた甲板に片膝をついて叫んだクニヒコに、ユウは得意そうに答えた。


「さっきわたしは確認、といってお前らから離れた。

何を確認したと思う?」

「まさか!!」


エルがあえぐ中、ゆっくりと船が動いた。

それは夜の海流に乗って徐々に速度を増していく。

漂流しているのだ。


「この船の周囲と、こいつを繋いでいた桟橋、それからぶつかっていた岸壁に、

ありったけの<爆発>の毒を仕掛けておいた。

連鎖爆発するようにみっちりとな。

今頃、お前らの巣は水浸し、この船は徐々に沈みながら海の上。

確か、吸血鬼には『流れる水は渡れない』っていう有名な制約があったよな?」


状況に気づいた<不死の王>が乱暴に恋人(つま)を振りほどく。

倒れたエルが恨めしそうに<不死の王>とユウを交互に見た。


「そんな、こんなこと」

「ゲームになかった技を使うのは、お前だけじゃない」


言い切ったユウに、吸血鬼が殺到する。

飛び上がってよけたユウの蹴り足が、彼らを次々と舷側から放り出した。

バランスを失い、怨嗟の声を上げながら吸血鬼たちが奈落の海へと落ちていく。


「さあ、やるぞ!クニヒコ、タル!こいつらのHPなんてどうだっていい!

海に落とせばわたしたちの勝ちだ!」

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