18. <死の町>
この話には食事時にはいささか強い表現が現れます。
ご不快に思われる方は、どうか読まないでください。
1.
「久しぶりだな」
「……おお、これは伯爵閣下。お久しゅうございます」
<Plant hwyaden>の追っ手を避けて旅をすること5日。
テイルロードに入った3人を待っていたのは、異様な雰囲気の町だった。
ひくついたような顔で、それでも笑顔を浮かべて町長に応対するレディ・イースタルの後ろで、落ちつかなげにユウとクニヒコは周囲をきょろきょろと見回している。
どこがどう、というわけでもない。
生憎の曇り空だったが、町を覆う木々も、農作業に精を出す<大地人>たちの姿も、一見して特に変わったところはない。
「町長、俺たちがいなくなってから、海賊の襲撃はあったか?」
「……いえ、ございませぬ。平和でございます」
「そうか……」
心労のためか、やややつれた顔立ちの町長も、レディ・イースタルが最後に会った時と変わっていなかった。
念のためステータス画面を見るが、名前も職業もレベルも普通の<大地人>そのままだ。
しかし全身から漂う異様な臭気は何なのか。
生臭い、しいて言えば腐りかけた肉のような、どこか甘ったるい臭いが街中に、そして町長の全身にも立ち込めている。
誰もがその中で、当たり前のように暮らしていることが、何よりも不気味だった。
町長の家を辞して、3人はつとめて目立たないように歩く。
とはいえ絶世の美女二人と、他人よりゆうに頭二つは高い偉丈夫だ。<冒険者>だということは、わざわざステータス画面を空けるまでもなく分かっていた。
「どう思う」
「変だね」
レディ・イースタルの問いかけにユウが即答する。
彼女の手はマントの中でしっかりと刀の鞘にかけられ、いつでも抜き放つようになっていた。
「前からこうだったか?」
クニヒコの問いかけに、レディ・イースタルは首を振った。
「いや、少なくとも俺らがミナミに行くまでは普通の町だった。
その間に何かあったんだ」
「とりあえず、どこか宿に入ろう。この町を歩いていると気が滅入る」
「そうだな」
◇
「……ほい。定食だよ」
そういってとんとん、と置かれた皿に、思わずユウは叫んだ。
「おい!おやじさん!」
「……なんだね」
「ちょっと待て!俺は焼き魚を頼んだんだ!なんだこれ!」
のろのろと宿の主人が近づき、ユウが指差した『食事』を見る。
「……お客さん、いちゃもんはよしてくださよ」
「これが焼き魚か!生魚じゃないか!それに何だよこのスープ!」
ユウの眼前には、鱗も取らず、生の魚が皿の上でわずかに跳ねていた。
何かの寄生虫なのか、にょろ、と口から糸のようなものがたれてうごめいているのもおぞましい。
スープも似たようなものだ。
テイルロードに程近い島の出身であるユウですら見たこともないような、毒々しい色合いの貝と軟体動物が、ただの海水の中でぱくぱくと口をあけている。
飯は、というと一見米のようだったが、その米が一斉に黒い複眼を見せた時点で、甲高い悲鳴を上げてクニヒコはスプーンを放り出していた。
そもそも宿自体尋常ではない。
あちこちに我が家のごとく堂々と、船虫が這い回っている。
何より不気味なのは、宿に食事を取りに来た<大地人>たちが何の不満もなく無表情にそれらを食べていることだった。
米に擬態した虫をばりぼりと食べ、ぱくぱくと口をあける魚から出た回虫を口に運ぶ。
「おい、やめろ!」
と思わず隣のテーブルの少女を止めたレディ・イースタルは、うつろな目を向けられて固まっていた。
「も、もういい!じゃあな!」
金貨を数枚投げつけるように置き、ついに耐えかねて飛び出した3人の後ろから、無感動な声が追った。
「……お客さん、お達者で」
「なんなんだ、ここは!」
虫嫌いのクニヒコが叫んだ。
ここは町外れにある林の中だ。古代は寺だった場所である。
3人は周囲に<シュリーカーエコー>をこれでもかと張り巡らし、野宿をしていた。
時折火に誘われて寄ってくる羽虫を払いながら、ユウも聞く。
「ここはとてもまともとは思えん。あんな生活を続けてたら遠からず全員死ぬぞ」
「……おそらく、クエストだ」
静かに何かを考えていたレディ・イースタルの、ぼそりとした呟きに2人は同時に聞き返した。
「「どういうことだ?」」
「お前ら、俺たち<グレンディット・リゾネス>が受けたクエストの中身は話したろ。
インノシマの海賊に王が生まれた。俺たちはそいつを討伐に行ったが、見つからなかった……」
「そして、船団長とかいうボスから、王がテイルロードを狙っていることを聞いたわけだな」
クニヒコの相槌に頷きを返し、舞い踊る火の粉を見ながらレディ・イースタルは呟く。
「みんな知ってるとおり、クエストはうまく達成できなかった場合、何かしらのペナルティがある。
この場合、俺たちは王を倒さないまま1週間以上も時間を無駄にした。
その間に、どうやってか分からないが王はテイルロードの人々をおかしくさせたんだ。
この甘ったるい臭いがたぶん、その証拠だ」
「だろうな」
鼻をひくひくさせてクニヒコが呻いた。
「気持ち悪い臭いだ」
「麻薬のようなものかな」
クニヒコと同じ表情を浮かべてユウも腕を組む。
「だとすると、急いだほうがいいな。タル。王の居場所に心当たりはあるか?」
「わからん。だが……そうかもしれないと思う場所はある」
「どこだ?」
「<向かい合う島>だ」
思わず3人は一方向を見た。
闇に飲まれて見えないが、その向こうにはセトの海、そして<向かい合う島>があるはずだ。
島のことを思い出したのか、ぞっとした顔でレディ・イースタルは口を開いた。
「あの島では俺たちは何にも会わなかった。動物一匹、人一人もだ。
無人島なら人がいないのもわかる。神代の遺跡があるきりだからな。
だが、今にして思えば変だ。
<向かい合う島>はテイルロードの玄関口だ。漁師なり農夫なり、誰かがいてもおかしくない。
というか、いなければおかしい。インノシマには人がいたんだからな。
カサオカでのことを覚えているか?」
レディ・イースタルの言葉に2人は真剣な顔で頷く。
ここにくるまでの旅の途中、立ち寄った<大地人>の村で彼らは聞いたのだ。
『<向かい合う島>?あそこは神代の昔は人がいたようじゃがな、今では数家族くらいしかおらんはずじゃよ。なんとやら言う昔の偉い英雄があそこで死んだとかいうての。
一緒にずいぶん悪い何かを封じたというんで、島全体があまり良くないとされておるんじゃ』
「ずいぶん悪い何か―こいつが王の正体だと思う」
「聞き覚えあるか?ユウ」
「わからん。思いだせん。テイルロードを起点としたクエストはいくつかあるが、そんな不気味な伝承がくっついていたのは記憶にない」
「俺もだ、タル。それでどうする?明日はそこに行ってみるか?」
「そうだな……」
レディ・イースタルが返事を返そうとしたとき、不意に耳を劈くような叫びが響き渡った。
「<シュリーカーエコー>!」
「来たか!」
即座に立ち上がり、武器を調える。
片足で焚き火を消し、目を一瞬閉じて暗闇に目を慣れさせる。
星の光も月の光もない暗闇の中、息を殺した3人が待ち受けていると、木々の合間からぼうっと光が浮かび上がった。
その明かりに浮かび上がったのは、昼に見た恰幅の良い体格の老人。
町長だ。
「……伯爵閣下。伯爵閣下。おいであそばしますか」
幽鬼のような、というより幽鬼そのものの声で町長の顔をした何者かが呟く。
その後ろに無数ともいえる人が続いていることを、あたりの雰囲気から3人は知った。
(逃げるか?)
(分からん。だがある意味これはチャンスだ。ユウ、クニヒコ)
(虎穴にいらずんば、というやつか?)
小声でささやき交わす3人の方角を、不意に町長が向いた。
デスマスクを思わせる無表情な顔がじっと暗闇に注がれ、やがて声が響く。
「……そこにおいであそばしましたか」
明かりを片手に、町長がのっそりと現れた。
その贅肉のついた体を眺め回して、レディ・イースタルが口を開く。
「夜分遅くに、いささか不謹慎じゃないか?町長」
「……われらの王陛下からお誘いがございます。ご足労ですが御座所までお越しくださいませ」
「伯爵領じゃなく、今度は王領か?ずいぶん出世したな、町長」
「……ご返答は?」
「その前に聞く。嫌だといったらどうする」
「……王陛下のお招きでございますれば……是非にとも来ていただかねばなりませぬ」
「それでも拒否したら」
その声に、町長の声色が変わった。
それだけではない。全身が見る見る膨れ上がり、水死体そのままのぶよぶよとした青白い肉へと変わる。
はちきれた腹の一部がはじけ、ふしゅう、とあたりに臭いが漂った。
町に充満していた、甘い臭いが。
「……王陛下の御意は絶対にございますれば、皆様方には我らと同じようになってからおいで戴きまする」
「<蘇った水死体>か!こいつら全員!」
もはや彼らは<大地人>ではなかった。
甘い臭いが目を痛める刺激臭と化して吹きつける。
水死体から這い出したおぞましい寄生虫や船虫の群れが、さながら大隊規模戦闘のように編隊を組んでにじり寄る。
「ええい!俺は虫が嫌いなのに!」
「そんなことを言ってる場合か!」
「クニヒコ!ユウ!来るぞ!」
「おぉぉぉおおぉおいぃぃいいでぇぇぇなさいまぁぁぁぁぁせぇぇぇぇぇ」
もはや言葉をしゃべっているのかも分からない、間延びした音とともに町長が両手を広げて歩み寄る。
ぐるんと白目を向いたその顔を苦しそうに眺め、レディ・イースタルは手にした杖を振った。
「<ヒーリング・ウインド>!」
ひゅう、と風が吹き抜け、甘い臭いを一瞬吹き飛ばした。
それだけではない。
回復魔法は不死者への攻撃効果も持つのだ。
緩やかな癒しの風に、しかしゾンビたちは突風にあおられたかのように倒れ伏す。
だが、それで全滅できるほどにウォーターゾンビとは甘いモンスターではなかった。
◇
一般的に、<エルダー・テイル>におけるモンスターのデザインは、各地域を担当する運営会社にその多くが任される。
とはいえ、地域を股にかけて出現するモンスター―例えば<緑小鬼>や<飛竜>などは、アタルヴァ社のグランドデザインを元に、地域色豊かな意匠を施す、といった形で、全体としての整合性が図られていた。
それ以外のローカルなモンスターは、日本は、プレイヤー層の趣味志向を反映してか、ヒロイック・ファンタジー風の荘厳なモンスターか、あるいはコミカルな―可愛らしい―デザインが多い、と言われていた。
それは<大災害>によって大きく変わったが、それでも現代人が即座に気絶するほどのおどろおどろしいモンスターはそうはいない。
そのはずなのだが。
「ぞぞぞゾンビとか、これ本当にホラー」
「ばば馬鹿言うな、こんな連中苦戦なんかしなしな、しないだろ」
「イモムシさんが、イモムシさんがあの人の口の中からこんにちわって会釈してるんだぜぜぜ」
3人の目の前にいる<蘇った水死体>のおぞましさは想像を絶していた。
濁り、個体によっては垂れ下がった眼球。
ガスでぱんぱんに膨れ上がり、あちこちから汚液を垂れ流す身体。
地の底から響くような、暗く物悲しいうなり声。
身体からは、水底で棲家にしていたのか、逃げ遅れたらしい貝やヤドカリがびちゃびちゃと落ち、
どこから潜り込んだのか、線虫がゆらゆらと触手のように蠢き、
喉の奥からは、あたかも死体を操る舵手のように、サイケデリックで奇形的な造形のイモムシが3人を無表情な偽眼で見つめている。
一歩歩くごとにねちゃ、と粘っこい水音が森に響き
空母から発艦した攻撃機のように、船虫が蛇腹を蠕動させて迫っていた。
動く死体というだけでも、原初的な恐怖が喉にこみ上げるのに、おまけに虫のデコレーションだ。
実際のレベル云々以前に、3人の戦意は砕け散っていた。
「おい!<守護戦士>!ヘイト稼げ!早く!いますぐ!」
「いやだ!俺は『バイオ○ザード2』だって警察署で逃げ出した男だぞ!」
「おい!MPが切れる!早く何とかしてくれ!<ヒーリング・ウインド>!」
漫才じみた会話だが、本人たちは必死だ。
再使用規制時間ギリギリで回復魔法を連発するレディ・イースタルにいたっては、
短時間でのMPの枯渇によってその顔色はすでに青白い。
チリリン。
レディ・イースタルの耳に、場違いに軽やかな鈴の音が響いた。
念話だ。
思わず答えると、つい1週間ほど前に別れたばかりの元部下の声が明るく響いた。
『こんばんは、ギルマス。元気してますか?』
「それどころじゃない!」
いきなり叫んだように見えるレディ・イースタルに、そばにいたユウがぎょっとした顔をしたが、
当然そんなことを知る由もなく、<グレンディット・リゾネス>アキバ脱出組のリーダーであるジオは
至極くつろいだ声で話しかけた。
『何ですか?……まあいいや。ギルマスがテンパってるのはいつものことですし。
俺たち、無事にイースタルに着けましたよ。今テンプルサイドって町です。
そこにいた<冒険者>の人の家にお世話になってます』
『みんないますよー。<Plant hwyaden>の追撃もありませんでした』
別のギルドメンバーの声も聞こえる。耳を澄ませば、念話の向こう側には平和なさざめきが聞こえていた。
心のごく一部の部分で、レディ・イースタルは深く安堵する。
脱出のタイミング的には、ギリギリだったからだ。
ジオたちも含めた当初の計画立案の段階では、ジオたちはなるたけ速い召喚獣で一気に東まで駆け抜けるつもりだった。
もちろん、<Plant hwyaden>が正直に手配してくれるとは思えない。
だから<グレンディット・リゾネス>はギルド一丸となってコーラスを懐柔したのだ。
プライドが高く、任された仕事を完璧にこなそうとするあの若者であれば、ジオたちの要求の裏に隠された計画などは見抜けないだろう、と見越して。
そしてその計画はうまくいった。
どういう交渉をしたのかは知らないが、ジオたちはうまく<Plant hwyaden>を巻いたようだ。
思ったよりもユウとクニヒコの戦い方がうまく、想定したよりもかなり短時間でコーラスたちを撃退したために、間に合わない可能性があるとも思っていた。
無責任と謗られるかもしれない、とレディ・イースタルは自嘲していたのだが。
だが、今の彼女に、脱出を果たした旧部下を労わったり、謝罪する余裕などあろうはずもない。
「わかった!ご苦労だった!ゆっくりそこでやすめ!俺は忙しい!じゃあな!」
叫んで念話を切ろうとしたレディ・イースタルにジオが不満そうに言う。
『何をそんなに慌ててるんですか?どうせ後は寝るだけでしょう、こんな時間なのに』
「ウォーターゾンビに襲われてるんだよ!あいつらキモすぎる!」
『ああ、あいつらですか。ゲームでもキモかったからなあ。
ユーリアスさんの話じゃ、中国には湿屍って水気のあるミイラがあるから、って
日本と中国のサーバ運営会社同士でデザインをシェアしたせいで妙にリアルなんだと言』
「だまれ!そんな雑学は要らん!!問題は俺たちがそのキモい連中の大群に襲われてることなんだよ!!」
額に青筋を立てて怒鳴りつけながら、近づいてきた一体の水死体をレディ・イースタルは蹴り飛ばした。
<冒険者>の脚力で蹴られたそれは、ぶにょ、とした感触を彼女の足の裏に残して暗闇の中に消えてゆく。
『何テンパってるんですか。ギルマスなら簡単に全滅させられるじゃないですか』
「はあ?!」
『周り中敵だらけなら<アースクエイク>でふっ飛ばせばいいじゃないですか。
生き残ったら<コールストーム>で<ライトニングフォール>で一発でしょう』
「……そうだった」
呻くレディ・イースタルの耳に、くっくっ、という笑い声が聞こえる。
『忘れっぽいところはギルマスの悪い癖ですよ。まあ、じゃあお元気で。アキバについたらまた連絡します。ユーリアスにも連絡しておきましたんで』
プツ。
念話の切れる音とともに、ウォーターゾンビに対する感情のどこかもぷっつりと切れる音が、
レディ・イースタルには聞こえた気がした。
「おい!」
「何だよ、早く回復魔法を……どうした?」
ユウの弓を借りて、目に付くゾンビを片端から射抜いていたクニヒコが不気味そうに一歩下がった。
隣で別の弓を構えていたユウも、にこにこと笑うレディ・イースタルに不審そうな目を向ける。
「どうした?キモすぎて脳がおかしくなったなら下がっててくれよ。邪魔だから」
「せめて俺の前に立っててくれるとうれしいな。<バーニングバイト>かけて」
心配そうなユウと、とことん利己的な考えしか浮かばないらしいクニヒコへの怒りを加味して
レディ・イースタルは二人の前に出る。
「わるいがお前ら、その辺の木にでも登っててくれ」
「はあ?」「喜んで」
二人が効果範囲から離れたことを確認し、レディ・イースタルはゾンビをしっかりと見据えた。
その正面には、まだ倒されていなかったらしい町長がのっぺりとした表情で立っている。
「おぉいぃぃぃでぇぇ、なぁぁさぁぁぁいぃぃまぁぁすぅぅねぇぇぇ」
「すまんが、成仏してくれよ。<アースクエイク>!」
レディ・イースタルが叫んだ瞬間、地面がどかんという音とともにひっくり返った。
眼前のゾンビたちが、町長も含め裂けた地面に飲み込まれていく。
続けて<コールストーム>。
効果範囲の外にいたらしい町民のゾンビを押し包むように、局所的な嵐が巻き起こる。
雲が揺れ、豪雨が降り始めた周囲は、自分の手すら見えないほどの闇だ。
「<ライトニングフォール>!<ヘイルウインド>!」
ゾンビが密集していることもあって、本来単体攻撃魔法でしかない呪文は、周囲のゾンビをまとめて吹き飛ばした。
運良く効果範囲を逃れたゾンビたちも、渦巻く風と雨に煽られ、次々とひざをつく。
「行くぞ!しゃきっとしろ!この森を脱出する!」
目の前の広範囲魔法に思わず息をついた二人を、レディ・イースタルのだみ声が叱咤した。
杖の先に槍に似た光の穂先をまとわせて、ゾンビの中に突っ込む友人を見て、
さすがに二人もそれぞれの愛用の武器を抜く。
闇の中でのおぞましい敵の群れを、足を速めた3人は駆け抜ける。
だが、逃走劇が一晩中続くことになるとまでは、この時点の3人は気づかなかった。
2.
嵐のせいか、翌日は見るだけで気持ちがいい快晴だった。
遥かに見れば、島々の向こうに四国も見えるだろう。
もちろん3人には初秋の瀬戸内の絶景を旅番組よろしく眺める余裕はない。
「南無阿弥陀仏」
かすかな声とともに、<蘇った水死体>の延髄が断ち切られる。
生きていたときそのままに、腐ったどろどろのスープらしきものを火にかけようとしていたその<大地人>は、生前はこの家の主婦だったのだろうか。
なんとも言えず物悲しい気分でユウは、彼女が消えた地面を見つめ続けた。
<水死体>たちは朝が来ると、ユウたちを追うのをやめた。
どういう命令によってか、彼ら彼女らは生前自分たちが行っていた日々の営みを再現し始めたのだ。
ゾンビが腐った稲の世話をし、虫だらけの食材を調理し、火にかける。
食材の前で何度も手を振るゾンビは、生前もステータス画面から調理をしていたのだろう。
何も起こらない食材に向かって熱心に手を振るそのゾンビの姿は、異様なまでの哀切に満ちていた。
「この家は終わったぞ」
そう言って扉をくぐったユウの目に、二人の仲間の姿が映る。
その姿に、ユウは重苦しい気分がさらに募る思いだった。
昨日の恐怖と衝撃から立ち直った3人だったが、それは<グレンディット・リゾネス>が結果的にクエストを放棄したことで、終焉を迎えようとする町を直視することに他ならなかった。
元来やさしく、子供がいない割には子供好きなクニヒコは、路傍の石に座り込んで握り締めた手をじっと見つめている。
よりひどいのはレディ・イースタルだ。
彼女は朝になってからはずっと、虚脱したような顔で、それこそゾンビのように2人の後をついてきているだけだった。
実質、朝からそろそろ昼になろうとする今まで、歪な日常の真似事を続けるゾンビたちを斬ってきたのはユウただ一人だった。
「タル。クニヒコ。いい加減目を覚ませ。日が照っているうちにこいつらを全滅させないと、夜になったら昨日みたいなことになるぞ」
「子供……子供を斬ったんだ、俺」
何度目かわからない独白に、ユウも重たい気分のまま返す。
「もうあの子はゾンビだったんだ。眠らせるのが慈悲だ」
「慈悲か。あの子を救う神様なんて、この世界にいるのかよ!!」
自らの大剣で斬って捨てた子供のゾンビを思い出したのか、激情に震える声でクニヒコが叫ぶ。
「あの子らは遊んでたんだぞ!石蹴りで!それを俺が斬った!後ろから!
……こんなの、ホラー映画ですらねぇよ……」
「……」
再び自分の思考に沈み込んだクニヒコから、ユウはレディ・イースタルに目を向ける。
「タルも落ち着け、お前のあのときの判断は最善ではなかったかもしれないが、
それでもお前の決断だ。結果を直視しろ」
「……俺は分かっていたはずだ。クエストの放棄がどういう意味を持つか。町長たちをこんな風にしたのは俺だ。こんなの、昨夜のうちに分かったはずなのに!俺は気づかず大騒ぎをして……」
「落ち着け。こんな状態なんてわかりゃしない」
淡々と慰めるユウに、自嘲のためか笑いながらレディ・イースタルは告げた。
「思い出したんだ。クエストを。このテイルロードじゃなく、インノシマが起点のクエストだ。
かなりローカルな小クエストだったから……こんなことになると知っていれば……」
「思い出したのか?」
「……<水底の鬼王>というクエストだ。<向かい合う島>の地底の洞窟から行き着く海底洞窟に古代のゾンビが眠っている。そいつは海賊を生贄にしながら復活の時を待つ。
15年近く前のクエストで、単発だったと思っていた。
そのゾンビは人間を操り、幻覚を見せて海の底に引きずり込むんだ。
そして殺した<大地人>が多いほど、奴の力は増していく。
俺が参加したときは海賊の長の依頼だったからあっさり倒せたし、その割りに当時としては見返りもよかった。
そのボスが何百年かしたら復活する、なんて抜かしてたのも無視してた。
すっかり忘れていたんだ……こんなことになると知っていれば……」
半ば自分を断罪するようにぶつぶつ呟く友人の顔を、何を思ったかユウはいきなり蹴り飛ばした。
漫画のように吹き飛び、顔面が舗装もない街道を掘る。
しばらくして立ち上がったレディ・イースタルは激昂したように叫んだ。
「何をする!鈴木!」
「ほざくな、三宅」
返すユウの声は、音のない静謐な町に驚くほどに響いた。
「状況がわかって、まだそこでぼうっとしてるのか?
お前がやることは何だ?」
「それは……テイルロードの人々を……助け」
「そうだ。助けることだった。海賊もな。海賊がこの町を襲ったのも、そいつの差し金だろう。
できるだけ多くのテイルロードの<大地人>を集めるためにな。
それは失敗した。しょうがないといえばこの人たちに失礼だが、
だが死んだ以上俺たちと違って彼らは生き返りはしない。
じゃあ、次のお前の仕事は何だ。三宅……レディ・イースタル伯爵」
<冒険者>としての名前で呼ばれた三宅が首を振る。
その姿と、遠くでいまだ自分の心から戻ってこないクニヒコを見て、ユウは首を振った。
「物事はやらかした後だと後始末に余計な時間がかかるんだ。
夜まで待つ。
その間に私はこの町の連中をできるだけ殺す。
そのときまでクニヒコともども考えろ」
言い捨てて背中を向け、ユウは別の家に向かった。
その背中から、言葉が向けられる。
「こんな事がキツいのはだれでも同じだ。
でもな、事態を招いた一人はタルかもしれんが、主犯は違うだろ。
主犯をやらないと、またこんなことになるんじゃないのか?」
その言葉に返ってくる声は、なかった。
自分で頭をひねったつもりなのですが、どこかで似たような話を読んだことがあるような、ないような……
存知よりの方はご一報ください。




