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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
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番外16. <大晦日>


 正月と言うのは、どこであっても厳粛に迎える風潮があるらしい。

家の障子を張り替え、畳を入れ替え、神棚を丹念に掃除して迎える日本の正月のみならず

世界各地で、さまざまなイベントやしきたりを守って迎えるのが新年だ。

そこに込められた願いは変わらない。


――今年がどうか、いい年でありますように――


古今東西、誰もが(こいねが)うその祈りは、故郷を遠く離れた異世界でも変わることはない。



 ◇


 12月31日。

西に傾く太陽を見上げながら、ユウは一人でアキバの大通りを歩いていた。


ここ、かつてのMMORPG、<エルダー・テイル>の世界にある都市アキバは、かれこれ2週間ほど前から続く長い冬の祭り、<スノウフェル>の真っ最中だ。

宗教色を厳格に排した運営会社(アタルヴァ社)の方針に従い、その祭りには特定の宗教を髣髴とさせるものは、基本的には無い。


 だが、無いならないで作ってしまえというのが、各地の<冒険者>の考えだった。

特に5月の<大災害>以来、狭い列島に数万人の<冒険者>がひしめくこの日本(ヤマト)サーバでは顕著なものだ。

町の北側と西側には巨大な鳥居が飾られ、ビルを改造した各ギルドのタワーには注連飾りが飾られ、門松が置かれている。

もとより和装のアイテムが多い<武士>や<神祇官>を中心に、行きかう人も和服がほとんどだ。

その中で、いつものくたびれた黒い忍び装束に、腰に刀というユウの姿は、華やかな色彩の中のシミのようだった。


(ふん、つまらん)


 周囲とは正反対の仏頂面で歩きながら、ユウは銜えた煙管から煙をふう、っと吹き出した。


どうせ新年を一緒に祝う人間はいない。

仲間もいない。

家で煙草を日がな一日吸っているのも詰まらんと思い出てきたが、外は外で


(つまらん……)


のであった。


 幸いにして、どこで見つけてきたのか、<冒険者>は蕎麦の実を入手していた。

年越し蕎麦なら――味を無視すれば――どこかで食べられるだろう。

ついでに……この不愉快な一年の締めくくりを、どこか場末の酒場で自棄酒を呷って迎えるというのも、悪くは無いアイデアだと思えた。


 ◇


彼女の下宿先は、アキバの北の外れにある。

元の世界の地名でいえば、秋葉原と言うより上野に近いあたりだ。

そこから大通りを南に向かった彼女は、かつての秋葉原駅前に向かう道を途中で西に折れた。

緩やかな上り坂を、落ち着いた歩調で登る。

やがて上りきった坂の上には、誰かが建てたのだろう、手製の鳥居と――壮大な夕暮れが在った。


東京は高低差の無い土地だが、場所によっては小高い丘と呼ぶべき地形がある。

アキバの西――御茶ノ水から湯島にかけての土地もまた、そうした場所だ。

ユウの暮らしていた時代では、高層ビルにうずもれて見えなくなっていたが、遠い異世界では、東京は往古の姿を再び人々の前に現してくれていた。


 空気が、澄んでいる。

地面に突き立った釘のように、あちこちに廃ビルの残骸が並ぶ中、山頂から見下ろしたユウの目の先では、今まさに今年最後の太陽が沈むところだった。


向こうには、今は何者も住んでいないであろう皇居――江戸城跡と、シンジュクの廃墟が見える。

ぽつぽつと、人家の明かりが見えるのは、シブヤと、イケブクロだろうか。

そしてそれらの壮大な借景として、霊峰フジが赤く染まった地平線に立っていた。


「……」


 言葉は無かった。

いや、いかなる感情も無かった。

それほどまでに圧倒的な光景だった。


西に没しようとする、深紅の夕日。

その色を背負って立つ、霊峰。

富士見坂とは、よくぞ名付けたものだ。

その光景は、ユウから一切の不満も憤懣も、それ以外の感情も一切合財を奪い取ってしまうほどに、ただただ美しかった。


「……ねーさんも、富士山を見に来たの?」


 ふと、かけられた声に、ユウは我知らず慌てた。

見下ろせば、先客らしい。 4人の<冒険者>が座っている。

彼女を見上げる、その男女のいずれも、ユウには見覚えが無い。


「ほんっとうに綺麗だよね」

「……ああ」


だが、その邪気の無い口調に絆されたのか、ユウは不思議にも、穏やかな表情で頷いていた。



 ◇


 座りなよ、と示された場所に腰を下ろしたユウに、隣の男から水筒が渡される。

一口、口をつけてみると、強烈な酒精が喉を焦がした。


「あれ、おねーさんお酒ダメな人?」

「いや。 水かと思った」


その返事に、朗らかな笑いが広がる。

それもじきに止み、落ち着いた沈黙がその場を支配した。


ユウも、不思議と穏やかな気分で、紺色から深い青に染まりつつある天を見る。

華やかな踊り手が緞帳(どんちょう)の陰に消えていくように、フジもゆっくりと闇の中に消えていく。


ユウを誘った男性が再び口を開いたのは、夜の帳が完全に降りてから随分経った後だった。


「昔の人は、毎年この光景を見ていたのかねえ」

「……そうかもな」


 彼も、彼の仲間も、夕日が綺麗だったとか、そうしたありきたりの感想は一言も喋らなかった。

言葉は、言葉で言い表せないものを見つけたときには沈黙する他はない。

ただ、満ち足りた気分を味わうだけだ。


 ユウもそうだった。

この光景を見られただけで、2018年と言う年は満足すべきものに思えてくるほどのものだった。


だからこそ。


「じゃあ……また」


彼らに背を向け、立ち上がったユウを止めようとする人間はいない。

名前も名乗りあっていないし、交わした言葉もほんのわずかだ。

ただ、いい光景を共有した満足感だけがあればいい、とユウは思っていた。

だから。


「あのさ、おねえさん」

「……?」

「俺たち、六月にあんたに殺されてんだ、PKのユウさん」

「!!」


 思考が現実に立ち戻る。

全身から剣気が吹き出し、ユウは無意識に刀に手をかけた。

今はお互い無防備だ。 先んじて奇襲すれば、この場を切り抜けることも……


「だけどさ、もうどうでもよくなったよ」


自分を振り返りもしない男たちの後頭部を見つめ、息を呑むユウに、彼らはなんでもないように言う。


「俺たちも必死だった。 レベルが低かろうが、俺たちは仲間同士で生きていかなきゃいけなかった。

綺麗ごとは言えなかった。 アイテムを奪い、狩場を奪っても生きていきたかった。

……あんたは理不尽な死だった。

あんたが、俺たちを憎んで襲い掛かったわけじゃないことは、そのときにわかっていた。

だからこそ理不尽だと思ったし、憎んだし、あんたを必死で探したよ。

探して、今度こそ息の根を止めてやろうって、

俺たちが受けた屈辱を数万倍にして返してやろうって思っていたよ。

……たぶん、今もそれは変わらない」


 そういって振り向いた男の顔を、ユウは出会って初めて、まじまじと見つめた。

名前も、顔も、格好も特に取り立てて特徴のない、『普通の』<冒険者>たちの顔を。

ユウが怒りのままに殺した、<冒険者>たちの顔を。


「だけどさあ。 こんな風景を見た後じゃ、そんな私怨なんてちっぽけに思えてさ。

あんたにはあんたの理由があるし、俺たちにだって理由があった。

でも、結果としてこうやって肩を並べて夕日を見れたんだから、いいことだと思うよ。

……あんたは、まだ人を殺しているのか?」

「……理由があれば」


 押し殺したような返事を返すユウの顔は闇に溶けているはずだったが、その目を男女のまなざしは闇の向こうから見返している。

何の表情も見えない瞳の奥に揺らめいているのは、憎しみか、諦念か。


 奇妙な見詰め合いは唐突に終わった。

男たちが何か呟いたかと思うと、消える。

<帰還呪文>だ。


人気のなくなった丘の上で、ユウはいつまでも立ち尽くしていた。




 ◇



 静かに、太陽が昇る。

モノトーンからフルカラーに、色彩を変えていく無音のドラマを、ユウは前日と同じ場所から見つめていた。

赤々と輝く太陽は、新年を告げる吉兆だろう。

背後では、いまだにぎやかな騒ぎ声や音楽が聞こえてくる。

アキバの住人たちも、ある者は友達と騒ぎながら、ある者は親しい仲間としんみり、ある者は夢の中で、それぞれの年明けを迎えているようだ。


 ユウは立ち上がり、朝日にまず浅く、続いて深く一礼すると、思い返してもう一度深いお辞儀をした。

続いて手を叩く。

一般的な二拍手――二回ではない。 四回だ。

四拍手と呼ばれるその作法は、普通ならば出雲大社など、ごく一部の神社でのみ行うべきものだが、

今のユウにはこれがもっとも適しているように思えたのだった。


そして、合掌したまま、ユウの目が閉じられる。


やがてその瞳が開いたとき、ユウの全身からは水色に似た光が立ち上っていた。

一瞬で尽きたその光を振り切るように、ユウはそのまま朝日に背を向けて、彼女のかりそめの宿へと帰って行った。

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