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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
242/245

184. <最期の対峙>

1.


 若草のような匂い。


野原を吹き抜ける風が運ぶそれに似た香りに、ユウは閉じられていた瞼をそっと開いた。


「…………ここは」


 目に映ったのは、青い光に覆われた砂浜だ。

何度も――数えきれないほどに訪れたように思える、その光景は、

ただ、かすかに思い出す神秘的な静謐さを、今は湛えていない。


「おい、呪薬(ポーション)持って来い!」

「だーかーら、報告書(レポート)は英語で頼む! 中国語(チャイニーズ)じゃ読めないんだよ!」

「あ、俺読めます。友達に一人、チャイナタウン生まれがいたんで」

「お茶くらい自分で持ってきたらどうなの!?」


わいわいと。


 ユウが目覚めた<盟約の石碑>のあった空間は、多くの<冒険者>と<大地人>が屯する、さながら公共広場(アゴラ)か野戦病院のような喧騒に包まれていた。


「よう、目が覚めたか」


 身を起こしたユウの枕元に座っていた男がそう声をかけた。

どこかの家から持ってきたと思しき、日曜大工のような椅子に腰を掛けて足を組み、口に咥えた葉巻から、細く紫煙を棚引かせている。

<守護戦士>にして<追跡者>であるヤマトの<冒険者>、カイだ。


 いや、その説明はもはや適切ではない。

<追跡者>の代わりに、今彼のステータス画面に輝くのは<敬虔な人>というアルファベットだ。

レベルももはや90以上(オーバー)ではない。

それを示すかのように、今の彼がまとうのはいつもの紫紺の鎧ではなく、適当にあつらえたと思しき鋼色の胸甲(ブレストプレート)だった。


「終わったのか?」

「一応な」


 周囲の喧騒に紛れ、ユウの目覚めはまだ誰にも気づかれていないようだった。

再び横に――彼女は誰かのマントを敷いた上に寝かされていた――なろうとした彼女に、カイがつい、と手を差し伸べる。

その指先に挟まれている茶色の小さな棒を、ユウは微笑して受け取った。


「お前さんも吸うのか」

「たまにはな。 ……好きだろ? 煙草」


 戦闘用ではなくちょっとした雑用に使うナイフで、巻葉(ラッパー)の吸い口に切れ目を入れ、ユウはかちんかちんという火打石の音を、耳を澄ませて聞いていた。

火が安定し、ふう、と口に煙を含んで、葉巻の中に吹き戻す。

一筋の細い煙が、ユウの持つ葉巻の先から空中に舞った。

そのまま、一口、また一口。


「美味いな」

「ああ」


 紅色に移り変わりつつある空の下で、それでも青い光をたたえる空間に、紫煙がゆっくりと溶けていく。

ユウは目を閉じ、音楽を楽しむようにゆっくりと周囲の喧騒に耳を傾けた。


「結局、何が終わったんだろう」


再び彼女が口を開いたのは、葉巻が半分以上灰に変わってからのことだ。

自らも葉巻を燻らしつつ、カイもその問いかけに答える。


「さてね……分からんが。 もう<大地人>が<敬虔な死者(ゾンビ)>に変えさせられることはない。

<大地人>の町が連中に蹂躙されることもない。

……だが、この大陸のどこかで苦しむ奴隷たちが待望しても、<星条旗特急(ユニオンフラッグエクスプレス)>が助けに来ることもない」


 カイがぽつりと答える。

その眼は手元の火を見ているようで、それでいてどこか朧だ。

<星条旗特急>は破壊されていた。

特急の乗員たちもまた、あの<吸血鬼妃>のように存在を捻じ曲げられた<冒険者>達だったのだ。

彼らが立てこもりながら、脱出しようとした特急もまた、<時計仕掛の戦車>の手にかかったのだった。


「何かが終わって。 何かが始まる。 ユウ。あんたの旅もそうだったろう?」


頷く女<暗殺者>に、カイは淡々と続ける。


「何かが終わったことと、始まることに完全な意味づけができるのは遥か未来でだけだ。

この世界(セルデシア)じゃ、いつだってそうだった」


 俺たちは<輪>探索の旅に戻る、とカイはユウの目を見ないまま告げた。

ついてきてくれ、ともこれからどこへ行くのか、とも言わない。

仲間だからこそ、言わないのだ。

カイは知っている。

ユウは目的のある旅をしていないのだと。

何かから逃げ、その場の目的に流され、その為に人より層倍の苦労をし。

それでいて、ユウが望むものは、おそらく永遠に手に入らない。


 カイ自身は、自分のこれからについて悲観してはいなかった。

彼はあくまで探索者だ。

この世界に謎があれば、ただ解き明かしにいくだろう。 見たことのない<妖精の輪>には飛び込むだろう。

だが、ユウはそうではない。

究極的には彼女はこの世界の放浪者なのだから。

だから。


「じゃあ……ユウ、元気でな」


 自然に火の消えた葉巻を、灰皿代わりの小箱に落として、カイは立ち上がった。

また会おう、と言いそうになる喉を抑えるように、ことさらゆっくりと背を向ける。


「ああ。 よい旅を」


そうして、カイとユウは別れた。



2.


 彼女自身にとって幸いなことに、目覚めたユウに飛びついて構う人間はいなかった。

彼女はこの<聖域>における戦闘の最終局面(ハイライト)を踊ったが、勝敗を決したのは彼女ではない。

火力。

圧倒的なまでの火力と勢いとで<教団>の抵抗を撃砕した<不正規艦隊>と<夏>軍にこそ、その栄誉は与えられる。

ユグルタたちもレンインも、早々に仲間たちに誘われてしまい、ユウが目覚めた時には既にいなかった。


そして日が沈み、夜が来る。

同時に、ユウはぽろぽろと自分の心が剥がれ、砕けていくのを感じていた。

徐々に思考が取り留めなく、曖昧模糊としたものになっていく。

既に<盟約の石碑>の周囲にいた<冒険者>たちは散っていた。

月の見えない曇った夜に、石碑が照らす冴え冴えとした青い光だけが、静かに<毒使い>を照らしている。


(自分は、この光景の中で死ぬのか)


ざわめきは遠く、奇妙な静けさの中でユウはゆっくりと目を閉じた。

ふと、<暗殺者の石>を弄っていた指が小さな箱に触れる。

それは、湿って折れ曲がった、紙巻煙草(シガレット)の箱だった。

どこで貰ったものか、おそらくは北欧サーバででもあろうか。

ユウは煙草を引っ張り出そうと手に力を籠め――ふと、外した。


(さっき、吸ったしな)


 カイの横で吸った葉巻で、末期の一服としては上々だ。

余計な味で、今の空気を壊したくなかった。


そうして煙草の代わりに、ウェンの大地の夜の空気をしっかりと吸った時。

ガス、グスという重い足音が、ふと耳に入った。


『イタ』



 ◇


 まず見えたのは、ボロボロの足だった。

靴は片方脱げ、血と泥と砂で奇妙に濡れそぼったそれは、まるで直立した影だ。

そして、上半身は。


 そこに人の姿はなかった。

腹部から上は、捩子くれた触手が織りなす、鋭角の尖塔となっていた。

手の代わりなのか、胸と背中にあたるであろう部分から、ひときわ太い触手が二本、うねうねと揺れている。

それは奇妙に異教的で、背徳感すら覚えるほどの、ぬめついたピンク色の肉襞の集合体だった。


共カ子(エパシウム)


その言葉は、奇妙にひずんでいるせいか<共感子(エンパシオム)>とは聞こえない。

ただ、彼の目的だけは嫌になるほどに理解できる。

この死にぞこないの怪物は、今度こそユウを殺し――あるいは何かを奪うために戻ったのだ。


「……もう知らん、とは言えまいな」


 呟いて、ユウも立ち上がる。

正直、特技や口伝はおろか、剣を振るうことすら億劫だった。

自分の中に燃え盛っていた戦意も再び失われた。

それが(うず)み火ではなく燃え尽きた灰だということをユウは疑っていない。


『オマエの共カシを寄越シ宿セ』

「宿す?」


 相手がゆっくりと近づくのを見ながら、ふとユウの耳が違和感に気づく。

宿す。


目の前の、おそらくかつてトーマスであっただろう肉体を歩かせるその怪物に、ユウの脳が小さな連想を生み出した。


 かつて、<エルダー・テイル>がゲームだったころ、一部のボスをデザインする必要に駆られた運営会社は、アタルヴァ社と協議してある特性を持つボスを作り出した。

折しも、プレイヤーの多くが当時の上限レベルに達していた頃だ。

生半可なボスを出しても熟練プレイヤーには蹴散らされてしまう。

かといって、正面から<冒険者>と戦うボスを作ったところで、オリジナリティは出せない。


そうして出来上がったのが、憑依という特殊能力を持つボスだ。

一時的にアバターを操り、プレイヤーからその操作権を奪い取る。

そのまま、<冒険者(アバター)>が死ぬまで操ってはクレームになるので、適当なダメージを与えれば憑依は解ける。

<冒険者>は仲間同士で同士討ちを行いつつ、憑依を解いた瞬間を狙ってボスを倒すというものだ。


 結果的に言えば、運営会社側のもくろみはそれなりに功を奏したといっていい。

通常のクエストと舐めてかかった多くの<冒険者>が多くそのボスの前に倒れた。

でありながら、憑依系ボスというジャンルはそのボスとほかに世界中で数例、実験は一過性で終わった。

プレイヤー同士の本格的ないがみ合いに発展したからだった。


ダメージを与えるつもりがやりすぎて殺したもの、そもそも野良(スポット)パーティでチームワークが無いも同然だったもの。

程よく戦場に緊迫感を与えるはずの特質は、ボスそっちのけでのプレイヤー間の殺し合いに発展し、それで現実に暴力事件が出るに及んで、あわててアタルヴァ社は同様のボスを今後使用しないことを宣言する羽目に陥ったのだった。


どうやら。 目の前の怪物――むしろ<教主>というべきかもしれないが――は、そのボスの亜流、ないし残党らしかった。

であれば「宿す」という言葉の意味も自明だ。


ユウは抜きかけた刀を鞘に戻すと、ゆっくりと両手を広げた。

戦意のない仕草に、近寄っていた<教主>が立ち止まる。

まるでそれは、ユウの行動を訝しんでいるようでもあった。


「そうか。 私の肉体が欲しいのか」

『コノ肉体は欠損が多イ』


問答無用に戦闘に入る気は向こうもないのか、ユウの問いかけにやや時間をおいて返事が返る。

その答えに、ユウは小さく苦笑した。


「そりゃそうだね。 目をつぶして股間を砕いて山ほど毒をぶち込んでやった。

死んでいないのが不思議なほどだ」

『我の助力にヨルモノ』


 再び触手が歪んだ声で答える。


『サリナガラ<共感シ>の採取にハ利用シガタシ。 ソノ肉体を宿ス』

「その<共感子>ってなんだ?」


 今度は怪物は答えなかった。

答える必要を感じていないのか、あるいは何も知らないのか。

採取するというからには、ユウの身にもあるものなのだろう。


 ユウは、ゆっくりと言葉を発する。


「どうせ使いつぶしかけた体だし、まあいいよと言いたいところだが、どうもお前さんはこの世界には邪魔なようだ。

そんな恰好(なり)でカイたちの手を煩わせるのも嫌だしな。

だが、といっても見ての通り」


 彼女の肩がひょいとすくめられる。


「こっちはもう戦えそうにない。 なので賭けをしないかね」

『カケ』


 ギャンブル、と呟く怪物にユウは微笑んで説明した。


「極めて簡単だ。 あんたはそこで一発、私の攻撃を受ける。

耐えきればあんたの勝ちだ。 この肉体もくれてやる。

だが耐えきれなければあんたの負けだ。 消えてなくなれ」


 怪物は答えない。

だが、その足も止まっている。

足の隙間から、ぼたぼたと肉片のようなものが滴り落ちているのを、ユウは見た。

いかなる素性のモンスターかはわからないが、少なくともユウ以上に傷ついている。

真っ赤に近いHPバーもそれを証明していた。

だが、それは赤いが即死するほどのものではない。

一方でユウはといえばHPはあるもののMPはいつの間にか真っ赤だった。

特技をひとつ、出せるかどうか。


怪物もそれはわかっているのだろう。

悠然とたたずむ姿には、余裕すら感じられる。


『宿セ』


それが、<教主>からの了承の合図だった。

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