176. <集う者たち>
1.
北米大陸、スペリオル湖南岸。
今はどのような名で呼ばれているのか知る由もないが、<大地人>はおろか、モンスターの影さえないこのうすら寒い大地に、血反吐を吐いて倒れる者たちがいる。
次々と自らの生命を失って倒れる男女の胸に例外なく掲げられるのは、小さな十字架だ。
片や彼らを大地に片端から沈めているのは、妙に統一感のある服装をした男女だった。
多くが頭を頭巾で結び、この<ウェンの大地>では見られない意匠の鎧や道服をまとい、彼らは危なげなく自分たちより多くの敵を屠っていく。
「鉄拐散手!」
その一人が伸びあがるようにして拳を打ち付けると、十字架を掲げた男――<教団>の最後の生き残りは、うめき声をあげてのけぞった。
そのまま倒れた男から、小さな光が溢れ出す。
死の予兆だ。
「……っ、貴様ら、何者だ……!」
五大湖に黒い水を流し、さらに<敬虔な死者>を増やそうとする試みを挫かれたその男が、最後の執念で言葉を発した。
いきなり自分たちを襲い、一切の躊躇なく鏖殺した、異形の軍勢の、せめて名前なりとも聞かねば死ぬに死ねぬ。
そんな彼の言葉に、目の前に立つ男はフン、と鼻を鳴らした。
「はるばる華国から、邪智奸佞の輩を討伐に来てやった、江湖の義侠だ!
人をゾンビに変える水を湖に流すなど言語道断、<冒険者>……いや、モンスターにすら劣るわ。
聞け、青天は皓皓として暗日なし、人を惑わす詭道暴悪の手下に成り下がった貴様らに、明日はない!」
「……くっ……主よ……。 ……がふっ!」
「天主もまた、貴様らを嘉し賜らず!」
消えかけた男にとどめとばかりに足を踏み下ろした男は、周囲で戦闘の後始末をしていた仲間たちを振り向いた。
その中の一人、彼とは長い付き合いの女性<冒険者>がいたずらっぽく声をかける。
「そのセリフは誰の真似なの? 射鵰・郭靖? それとも楊過か誰か?」
「馬鹿言え、自作だよ」
女の告げた武侠小説の主人公たちの剽窃ととられたことに気を悪くしたのか、男はぶすりと答える。
そのやり取りに、周囲の男女から笑い声が上がった。
何の邪気もない、朗らかな笑いだ。
その声を見回して、男はぽつりと呟く。
「それにしても、俺たちがこんなことになるなんてなあ」
その声には、深い感慨が込められていた。
呟いた男に限らず、この場にいる華国の<冒険者>は言わずと知れた追放者たちだ。
無能、無気力、無価値。 <夏>という新たな、そしてより公正な秩序を構築しようとする<冒険者>の中にあって、不満ばかりを述べ、協力もせず、ただ無為徒食を為すだけの者共。
だが彼らにも言い分はある。
そもそも、秩序とは何だ、という言い分が。
<大都>は一部ギルドの意のままに軍記物の英雄気取りの<冒険者>ギルドが争い、その火種は沿岸部から徐々に<馬乳の都>のような西域まで広がっている。
彼らと争うべき中原の対人プレイヤーといえば、こちらは正邪の争いに興じるばかりか、あまつさえ他の<冒険者>にもそれを強制しようとしていた。
そんな秩序など知ったことか、と、この男を始め思った者は数多い。
なぜ、見知らぬ大手ギルドの意のままに、顔も知らない誰かと憎みあい、殺し合い、大手ギルドのメンバーが贅沢をするために身を粉にして働かなければならないのかと。
無論追放された者の中には、本当の意味で無気力になってしまったものもいる。
だが、主に選ばれたのは、体制に対し反抗的――あるいは批判的と思われた人々だ。
その中の少なからぬ数は、そうした疑問を抱いていたがゆえに<夏>への協力もしなかったのである。
『どうせ旗を変えても中身はクズどもばかりだ。お前らがやってきたことを今更無かったことにするな』
ベイシアやメイファたち、大手ギルドの盟主たちからすれば、『では対案を出してみせろ』と言いたいことだろう。
誰も、何もしないまま、無秩序の世界に陥っても良いのかと。
他を詰ることと、事を成すことは違う。
この追放は、不満を述べ、理不尽を難ずることしかしなかった、彼らへの懲罰と言っても良かった。
そうして<妖精の輪>をくぐった彼らを待っていたのは――思いもかけない毎日だった。
華国と似た、だがどこかが決定的に違うその大地に存在していたのは、まだしも華国がマシに思えるほどの、秩序のない世界だった。
崩壊したプレイヤータウン。
モンスターに加えて悪逆な<冒険者>のもたらす理不尽に耐え続ける<大地人>たち。
殺戮、ゾンビ化、奴隷化。
およそこの世の中で考えられ得る、ありとあらゆる無道を行って恥じない<冒険者>。
「どうしたの?」
声をかけてきた友人に、「いや」とだけ答え、男は周囲の景色を改めて見回した。
光景だけならば、そこはなんの変哲もない自然の森だ。
だが――そこにあったのは、『こうなっていたかもしれない』華国だった。
誰もが己のことを考え、批判を覚悟で秩序を――それがどれほど歪であっても――をしなかった結果、すべてが無に帰した世界だ。
ベイシアも、ウォクシンも、<大都>の自称華王たちもいない、世界。
男が望んでいたはずの世界は、恐ろしいまでに荒れ果てた、苦痛に満ちた世界だった。
「責難、是れ事を成すに非ず、か……」
「何を言ってるんだ?」
別の仲間に何でもないとばかりに頷き、手にした剣を見下ろす。
「そうだな、秩序を作らなければ……そのためにも」
男は今、憎み、忌み嫌っていた華国の大手ギルドに、感謝すらしている自分に気が付いていた。
◇
『各隊、所定の位置に配置終わりました。 ……いつでもいけます』
「敵は?」
参謀長の短い問い掛けに、前線で<冒険者>による大隊と、<時計仕掛けの戦車>による一隊を率いる男は、念話で答えた。
『連中、随分と混乱しているようです……一部こちらに対し動きを見せようとしている部隊がありますね。この距離では<冒険者>と<大地人>が混在しているという以外は不明』
「よし。 事前のスケジュール通り始めてくれ」
『了解』
天幕を出た参謀長は、地平線の向こうにそびえる古代の廃墟の群れをじっと眺めた。
その手前に、幕のように薄く広がるなにかから、唐突に爆音が響く。
やや時間を置いて、どこかきな臭さを纏った風が、参謀長の髪をさらりと揺らして吹き過ぎた。
「弾着!」
誰かの叫びとともに、前方に朦々と煙が上がる。
<聖域>への侵攻作戦が始まったのだ。
もともと、参謀長は戦端を切るタイミングを、もう少し遅くしようと思っていた。
ユグルタたち遠征艦隊側と連絡が付かなかったからだ。
いかに戦車の砲撃が相手に対し心理的な衝撃をもたらそうと、その主砲は多くが38mmの小口径砲である。
一旦<教団>が敵勢に気づけば、一気呵成に攻め立てられる危険性があった。
一方で、ユグルタたちが手に入れようとしているのは戦艦だ。
16インチ――40.6cmの大口径砲弾であれば、さしもの<冒険者>といえど無事では済まない。
何より、戦車の砲撃を見たことがある人間は多いが、戦艦が主砲を放つ光景など、ほとんどの人間にとってはファンタジーのモンスター並みに別世界のなにかだ。
米軍は90年代まで戦艦を運用していたから、動画でなら見たことがある人間もいるだろうが、それでも自ら艦砲射撃を受けて平然としていられる人間はそうはいない。
だからこそ、ユグルタの着陣を待ってから戦闘に移りたかったのだが。
「敵軍、前進を続けています!」
<遠見の片眼鏡>――要するに望遠鏡だ――を覗き込む部下の報告に、参謀長は小さくため息をついた。
おそらく、昨日から観測できる不可思議な光と音。
それが、<教団>側に臨戦態勢を取らせてしまったのだろう。
着実に近づく参謀長たち<不正規艦隊>と華国の連合軍も、遠からず発見されると見て良い。
海陸同時攻撃にならなかったことを悔やみながらも、参謀長が攻撃命令を下したのは、そうした事情もあってのことだった。
砲声は殷々と続く。
この世界に来て初めて、近代兵器の轟音を耳にするフーチュンは、片手で耳を押さえながら、隣を進むカシウスに苦笑を向けた。
『こういう時は<冒険者>の感覚が恨めしいな』
そんな彼の横では、カシウスもフーチュンと同じく、耳栓をつけ、その上から両手で押さえている。
『ああ。鼓膜が吹き飛ぶかと思ったぜ』
互いに苦笑を交わす彼らがいるのは、<時計仕掛けの戦車>たちのすぐ後ろ、戦場の最前線だった。
当然、聞こえてくる轟音は凄まじい。
一部の<冒険者>の中には、早々に鼓膜がおかしくなり、自分に回復をかけている者もいる。
『だが、連中は止まらんな』
『止まっても一方的に叩かれるだけだ。 連中も一刻も早く俺たちと接触して、砲撃を止めたいんだろうよ』
二人の念話によるささやきの通り、<教団>側は止まってはいなかった。
<冒険者>はさすがというべきか、砲弾の直撃を受けても即死する者は少ない。
<大地人>の兵士はその限りではないが、彼らは死んだとしても、今度は不死者となって立ち上がってくる。
結局、一人の兵士を殺すのに、二度手間が必要になるというわけだ。
『それにしても、連中は本当に正気なのか? 隣の奴がゾンビになっても一緒に歩いてくるとか、何かのジョークか』
カシウスが呆れた口調で呟いたとおり、<教団>側の進撃は常軌を逸したものだった。
広い範囲から満遍なく砲撃を浴びせているため、一つの場所に降り注ぐ砲弾の量はそれほどのものではないにせよ、その中を走るでもなく、十字架を掲げてじわじわと歩いてくる姿は、それこそゾンビの群れのようだ。
仲間が死のうが、ゾンビとして蘇ろうが気にしないかのようなその歩みは、静かだが徐々に、攻め手の<冒険者>側にも混乱を与えていく。
「あいつら……死ぬのが怖くないのか!?」
誰かの声とともに、また一発の砲弾が地面に激突した。
吹き飛ばされた<大地人>たちが転がり、やがて再び立ち上がる。
生き残った者はちぎれた肩や腕を押さえながら。そしてその合間に、首の骨が折れた兵士がふらふらと同じ歩みを始めていた。
「怪物……!」
だれかの悲鳴が、戦場に轟いた。
接敵は、もうすぐに迫っていた。
◇
ユグルタたちが、大破した<ジョン・ポール・ジョーンズ>を修復し終える頃、参謀長から接敵したという報告が入った。
とはいえ、彼としても「急げ」と有害無益なハッパをかけるわけにも行かない。
現時点で、彼の仲間たちは必要十分なまでに急いで修復作業を進めているのだから。
だが、特に精霊動力については<不正規艦隊>でも知る者はおらず、修理は諦めざるを得なかった。
外輪も脱落こそしていないものの、無理に飛ばせばスポークが折れるという報告を受けている。
(やむを得まいな)
彼はあちこちに激戦の跡がこびりつく<JPJ>の甲板で、そうため息をつくしかない。
<JPJ>は、満身創痍と言って良かった。
外輪の片方には罅が入っており、甲板にはあちこちに破壊の跡がある。
船腹にもいくつも弩砲を受けた結果巨大な破口が穿たれ、波をかぶるたびに不気味な軋みを上げていた。
メインマストは折れ、精霊動力が稼働している事を示す虹色の輝きも今はない。
控えめに表現しても、沈没していないのが不思議なほどの損傷だ。
だが、それでも彼が鹵獲した<JPJ>に将旗を掲げたのは、現時点でなお、遠征艦隊のどの船よりも強大な砲打撃力を持っているからだった。
もともと、<マサチューセッツ>以下の遠征艦隊は、太平洋までの長期間の航海に耐えられるような比較的小型、高速の帆船で構成されている。
加えてそのまま場合によっては<聖域>に切り込むことを考え、艦隊の船はある程度砲や矢弾を犠牲にしても、<冒険者>と航海用の資材を積み込まざるを得なかった。
結果として、一船あたりの攻撃力は、<JPJ>に大きく劣っているのが実情なのだ。
現在、ユグルタのいる<JPJ>を中心に、<聖域>に切り込む船は6隻。
サスーン湾に残す僚艦から余剰の弩砲と矢弾を移すことで攻撃力を底上げしているものの、やはり決定的な決め手には欠ける。
ユグルタは、この6隻でサンフランシスコ湾の最奥、<聖域>近隣に乗り上げ、艦砲射撃を行うつもりだった。
「提督、補修終わりました」
「どこまでやれる」
やってきた整備士――彼は<船大工>という珍しいサブ職業を持つ男だった――に、短くユグルタが問いかける。
「通常航行ならなんとか。 ですが外洋航海も帆走も無理です。三角波一発で急速潜行となるでしょうな。
精霊動力も無理でした。 現在、この船はほとんど手足をもがれたカエルです」
「弩砲は使えるな?」
「可能な限り積みました」
「よし」
頷いたユグルタの周囲を男たちが取り巻く。
薄汚れ、ボロボロの船で敵の本拠地に突撃するというのに、彼らの顔は総じてどこか晴れやかだった。
「ジョナサンたちには<コンスティチューション>を残しました。 いざとなればそれで脱出させられるかと」
「彼らには、なんとか戦艦を蘇らせて欲しいですが」
<サスーンの墓場>に残す仲間たちの名前に、ユグルタは再び頷いた。
そして口を開く。
「さて。我々もやれることはやった。 既に参謀長の部隊は敵と遭遇、戦闘に入っている。
彼らに敵戦力が集中する前に、我々も海上からの戦力投射を行い、引き続いて白兵戦に入るものとする」
指揮官の訓示に、誰からともなく男たちが姿勢を正した。
「これからの戦い、おぞましいものを目にするかもしれん。 恐るべき敵に打倒される可能性もあるが、作戦は概ねとしては順調に推移している。
連中を叩き出し、<教主>を降伏させる。
<教団>の権威と求心力を打ち滅ぼせば、我々の勝ちだ。諸君らの奮闘を期待する」
歓声はなかった。
ただ各自が強く握った拳だけが主将の声に応え、男たちの熱気に応じるかのように、帆船が大きく舳先を陸へと向けた。
2.
世の中の人間にはいくつかの種類がある。
安定を好む者、リスクの橋を踏みわたることを好む者。 何事にも投げやりな人間もいれば、細かいところまで自分で確かめなければ気が済まないという人間もいる。
<エルダー・テイル>を例にとっても、たとえば大規模戦闘の戦場で指揮を執る人間はリーダーシップに優れているであろうし、参謀として策を立てる人間は、ゲームの攻略本やネットの情報、あるいは講義の参考書でもそうだろうが、およそ事前準備を万全に整え頭に無数の選択肢を作り上げてから事に臨む。
優れた生産職は、自分の決めたものを一心不乱に作り続ける忍耐強さがあるだろうし、優れたロールプレイヤーは、同時に優れた人への観察眼と、人を楽しませる思いやりを持っているものだ。
(では、私は?)
まだ夜明けには間がある漆黒の闇の中を軽快に駆けるユウは、内心に浮かんだその問いかけに、小さく笑った。
音もなく走る彼女の後ろで、一つにまとめた長い髪がふわふわとなびくように揺れている。
それは、たった一人で戦う彼女のための、ささやかな戦旗だ。
だが、その戦旗の下には将軍もおらず、参謀もいない。
一人の兵士がいるきりだった。
ユウは自分のことを、本質的には単なる猪武者だと思っている。
学生時代も、興味のあった事柄には手間をかけたが、そうでない部分は徹底的に手を抜いた。
古典や漢文は原文を丸暗記し、数学は解法を同じく丸暗記した。
英語に至っては単語だけを学び、文法は無視して頭から読み下して意味の取れない形容詞はすべて『すげえ』と訳していたほどだ。
要は、心から納得して興味を持たないこと以外に力を使うのが嫌なのだ。
だから、<エルダー・テイル>でも、興味の対象以外のすべてのことに目もくれなかった。
人を率いることも、計画を立てて実行し検証し次回に生かすことも、忍耐強くミッションをこなすことも、人を思いやり、喜ばせることも、現実だけでたくさんだったのだ。
そして今、彼女は自分自身ががけっぷちにいることをこれ以上なく理解している。
記憶と人格が一時的に戻ったのも、自分の中にある<厄の欠片>たちが、自分の中の別の<厄>を抑えてくれているからだと、そしてその時間がさほど長いものではないということも。
たとえて言えば、今のユウは砕ける寸前のガラスのコップのようなものだ。
中の水と、破片同士の絶妙なバランスによってかろうじて形を保っているだけの、罅割れたコップ。
わずかな衝撃で、あるいは置かれた床がかすかに傾いただけで、それは砕けて無数の破片に戻るだろう。
そして、割れたコップはもう二度と戻らない。
さしずめ、先ほどの思いは、そんなコップが自分がまだ作られたばかりのころを思い出した慨嘆か。
彼女の闇に慣れた目に、ちらりとわずかな濃淡が見えた。
人だ。
<冒険者>ではないのか、おっかなびっくり周囲を見回すその人影は、不安そうに腰の剣に手を置いている。
やがて近づくにつれて、ステータス画面が見えた。
『ルドルフ・G <吟遊詩人> レベル60』
ち、と舌うちする間も惜しみ、ユウはたん、と片足で踏み切り、夜空に舞う。
ルドルフというその<吟遊詩人>が何も気づかぬうちに、彼女の姿は近くの屋根の上にあった。
(がんばって)
その<冒険者>が眠い目をこすりながら振り向いた時には、既に女<暗殺者>の姿は消えていた。




